寫眞 - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第9巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第9巻

尺以上にもなる。僕の考へぢや一卷を七八百尺ぐらゐにして、五卷ぐらゐにしたいんだがね。でないとダ レて仕様がないよ。」 「ダレてゐるツて ? 」 「いや、僕は必ずしもさうは思はんが、斯う云ふ寫眞は長過ぎるよりは短か過ぎる方が安全ぢゃないか。 獨逸や伊太利あたりで出來る所謂藝術的映畫とか文藝作品とか云ふ奴は、大概カッティングで失取してゐ る。それでも彼等は間を持たせるだけの藝があるからまだいいんだが、我々の方の役者は素人だからさう は行かない。たとへば人魚の泣くところがあるとする、さう云ふ場面は、『泣いてゐるな』と云ふ感じが 現れさへすれば、もうそれ以上その場面を續けたり、何度も繰返して見せたりする必要はないんだ。正直 に云ふが此の寫眞にはクロ 1 ズ。アップが多すぎると思ふ。殊に入魚のクローズ。アップが : 柴山は何と思ったか機械を押してゐた手を休めて、ぐるりと此方へ向き直った。彼の顏つきは恐ろしく眞 そんな気持ちが眉宇の間に仄見えてゐた。 面目だった。云はう云はうとしてゐたことを遂に云った。 「ダレてゐるとは僕は思はない。素人だから間が持てないと云ふことは、僕の考へとは全然違ふ。 「なぜ ? 」 「一體、間が持てるとか持てないとか云ふのからして、あまり芝居に囚はれ過ぎた考へちゃないか。僕が 此の映畫で現さうとしてゐるものは、一つの筋の運びではないんだ。物語の發展よりも、刹那々々の美し さにあるのだ。君は人魚のクローズ・アップが多過ぎると云ふ。必要もないのに彼女の顏を見せ過ぎると ワンリー 128

2. 谷崎潤一郎全集 第9巻

う。が、要するに、詩を作りたくても作ることの出來ないもの、繪を畫きたくても畫くことの出來ないも の、そして俗事にたづさはりながらなほ藝術をあきらめることの出來ない人々が、所謂「藝術冩眞」をや るのだ。自然の中からキャメラの内へ好きな構圖を切り取って、それに多少の修飾を加へる。結局それは さ、つ ほんたうに己れのものを生み出す力のないものが、たゞ創作の眞似事をして慰めてゐるのだ。 思ふのはひがみであるかも知れないが、吉之助にはそんな気がしてならなかった。惡い事には、寫眞の技 巧が上達するに從って一居それが感ぜられた。夜おそく、狹くるしい暗室の中に立て籠って、藥の臭をか ぎながらコッコッ仕事をしてゐる最中に、さういふ莱持ちが湧いて來ると、彼は突然いひやうのない淋し さに打たれた。 「自分は一體、何のためにこの種板をいちくってゐるのか。こ、には自然の物の形が、素直に有りのま、 に寫ってゐるのに、それを自分のわざとらしい技巧で以てどれだけ美しく出來るといふのか。自分は今、 自分の智慧である物の線を有るがま、よりぽかさうとしたり、ある部分を一層明るくしようとしたり、自 こ染めようとしてゐる。さうし 分の好みに隨ってピンクだとかブリュウだとかセビアだとか、勝手な色調。冫 て出來たものを世間は美術的だといひ、撮影家の個性や気分がよく現れてゐるといふ。けれど自分はいっ てやりたい、成程これは美術かも知れないがごまかしの美術だ。詩入や繪かきが自己の内心に盛上がって 來たものを、やむにやまれず外へ向って溢れ出させて、思ひのま、に歌ったり描いたりするのとはまるで 違ふのだ。こ、には自然の物の形を借りながら、自然の中にある純朴さがない。朦朧としたものを詩的だ と思ひ、出來るだけ自然を矯めたものを美術的だといってゐるのだ。」

3. 谷崎潤一郎全集 第9巻

姿が見られた。秋子はときどき母親に叱られながら、一日嬉々としてその間を駈け廻ってゐた。 スタディオの工事が日に增し捗って行く一方に、吉之助と柴山とはそれる \ 仕事に必要な人員を集めなけ ればならなかった。 「僕の考へでは最初にそんな多勢の人間はいらないと思ふよ。」 と、柴山が云った。 「僕等は出來るだけ小規模に、經費を切り詰めて行かなきゃならない。だからあんまり組織的に部署を分 けないで、小人數で以てお互ひに手を貸し合ふと云ふ風にする。それには成るたけ此の仕事に理解があり 同情がある靑年たちを集めることだ。古い連中は相手にならない、何と云っても映畫のことが分るのは若 い人たちだ、靑年が僕等の味方だ。一人か二入の助手さへあれば、寫眞の方は撮影から現像からカッティ ングまで僕が責任を以てやって行く。此の場合何か世間をあっと云はすやうな話の筋を考へることが第一 だね。」 柴山はさう云ふ方には才能がないので、吉之助がそれをやる事になってゐた。先づ第一に筋を作る、筋に 從ってシナリオを書く、それからその劇に必要なタイプの俳優を捜し出す。 問題はその俳優にあった。在來の寫眞や舞臺に經驗のあるものは取りたくない、古い頭と技巧とは一切排 ~ タイプの 斥しなければならない、 全く素入の入々を集めて吉之助がそれを監督する。彼の意見では、い、

4. 谷崎潤一郎全集 第9巻

うな気がしないだらうか ? 己はほんたうにさう思ふよ、金と自由と經驗とがありさへしたら、己は何よ りも活動冩眞をやって見たい。一つの映畫劇を作るといふ事は、その心理が實に面白い。最初に己は脚本 を作る。さうしてそれを頭の中で夢にして見る。夢の世界でいろんな人間の幻がちらちらする。それから 己はその幻に似たものを、此の世の中に生きてゐる男や女の中から捜し出す。その場合に、己の幻こそ本 體なので、俳優たちはその影なのだと己は思ふ。彫刻家が大理石を材料にするやうに、己は人間を材料に その考へ自身の中に、云ふにいはれない愉快が 使って、永久の夢を作ってゐるのだと、さう考へる ある。」 そして吉之助は、自分にいろいろ映畫臺本の腹案があること、今亞米利加では話しの筋に行き詰まってゐ るが、日本入にはとても彼等の思ひ及ばない着想があること、寫眞術さへ研究すれば決して彼等に負けな いものが作られること、横濱といふ土地は各國の人種が入り込んでゐるから、白人、印度人、支那人、亞 彼等を方々から捜して來て比較的安い費用で雇へる便宜があ 剌比亞人、その他さまざまな混血兒、 ることなどを、熱心に語った。 久しく捨てられて物置同様になってゐた暗室へ、夫が幾時間も立て籠ってせッせと現像してゐるやうな日 一かっゞ / 、 0 民子は再び、夫の代りに帳場へ坐ったり、簿記をつけたりしなければならなかった。さうして 出來上った僅か百尺か二百尺かの實寫フィルムを、夫は非常な樂しみにして、西洋物に劣らないやうな綺 麗な色をつけたりして、映して見せる。そのためにはアクメの映寫機も買った。暗室を廣くしてそこ ~ 水 道や電気を引いたり、大きなタンクやドラムを拵 ~ たり、だんだん大袈裟になって行った。

5. 谷崎潤一郎全集 第9巻

上に反射した。極度の昻奮の中にあって、彼は此れ等の悲しみの原がみんな自分から出てゐることを ( ッ それが少しも彼の怒りを鎭めることにはならないで、一脣その爲めに腹が立った。 キリ意識した。が、 「柴山君、今日は寫眞は止めにしよう。」 「さうかね。」 さう云ったきり、柴山はその口元を痙攣的にピクビクやらせた。何かしらまだ云ひ足りない様子だったが、 グランドレンと吉之助とを尻眼にかけて、意地の惡い、皮肉な薄笑ひを洩らしただけだった。彼はさッさ と三脚を疊んで、「ドッコイショ ! 」と、わざと威勢よく掛け聲しながら、それを頑丈な肩に擔いだ。 「秋子さん、もう泣かないでもいいんです、叔父さんと一緖に此方へ來給へ。」 母子が柴山に促されて出て行ってしまふと、あっけに取られた見物人も思び出したやうにぞろぞろと三人 の後につづいた。がらんとしたスタディオの中には、合も永久に取り殘された影のやうに唯二人だけが動 かずにゐた、茫然と立ってゐる吉之助と、未だに榻に腰かけたまま鸚鵡の籠を膝に載せてゐるグランドレ ンと、 「わたし、もう此の寫眞は寫さないよ、此のスタディオへはもう明日から決して來ないよ、子供だけなら い、けれど、みんなで耻を掻かせたんだから、 「子供の事は僕が詑まる。柴山には譯を話して出て貰ふから、 「いや、いや、誰が糞 ! 」 彼女の膝からカタリと鸚鵡の籠が落ちた、驚いた鳥は喉を鳴らしつ、白い翼をばたばたやらした。 188

6. 谷崎潤一郎全集 第9巻

肉 動くのが、眼に見えないだけ一層惱ましく想像された。恰も暗室に立て籠って彼女の寫眞を現像しようと する時のやうに。 「どうしたの ? ちょっと ! 何を考へてるの ? 」 「いや、何でもない、 「早く這入ってそこをお締めよ、ぐづぐづしないで。」 女の後に從って裏口の扉を這人ると、そこは矢っ張り眞っ暗な廊下だった。が、直ぐに吉之助は、右側の ド 1 アをくぐって白タイルを敷き詰めた浴室の中へ引き込まれた。 「グランドレン ! 僕は廊下で待って居よう。」 「何云ってるんだい、 あなたに用を云ひ付けるのよ、さ、此のボタンを外しておくれ。」 女は肩へ手をやりながら、べっとり濡れた背中を向けて、殆ど男に凭りか、るやうにする。 「おや、此の水着は紅かったんだな。」 「ええ、さう、なぜ ? 」 「戸外で見たら黒く見えたから。」 「でも、私の肌には眞っ紅なのが似合ひはしない ? 」 「紅でも黒でも同じ事だらう、どうせ夜だけしか泳がないんなら。」 「ああ、私が負けた、あなた悧巧ね、大へん悧巧ね。」 どさりと、潮を含んだ水着の布が天鵞絨のやうに重々しく一方の肩から落ちた。 165

7. 谷崎潤一郎全集 第9巻

肉 「さ、もう眼をあいてもよござんす、今度は唇 : : : ・ : 」 さう云ったのが聞えたのか聞えないのか分らないほど、ゆっくり彼女は瞳を膰いた。そして、催眠術から 呼び覺まされた犧牲者がまだ夢の中を迷ひっ、あるかのやうに黄色く染まった自分の容貌をばんやり見詰 めた。 「まあ、顏の感じがすっかり變ってしまひますのね。」 民子はさう云って、鏡を覗いて笑ひかけたが、そのほほゑみはグランドレンの冷たい一瞥が、ちらりと彼 女を見返すと同時に消えて行った。少女は未だに笑ひもしなければロも利かない。そしてそのロには、吉 堅く締ってゐるやうでただ緩やかに合はさってゐる上唇と下 之助の手が紅を塗ってゐるのだった。 唇との間を分けて、花に吸ひ寄る蜜蜂のやうに夫の指がヴァミリオンの花粉の線を曳いて行く。黄色い顏 が見る見るうちに生き生きとして來る。 「どうだね、どんなエ合に變ったかしら ? 」 吉之助はやっと我に復ったやうに二三尺離れてその顏を打ち眺めた。 「ふん、化粧と云ふものは面白いものだよ、殊に映畫俳優の化粧は、 と、彼は云った。 「普通の化粧は眼で見て綺麗なやうにするが、映畫の場合は寫眞に映して効果があるやうにしなけりゃな らない。亞米利加あたりぢや水銀電燈を使ってゐるので、俳優の化粧がまるで死人の顏のやうな紫色に見 えるって云ふが、それを寫眞にして見るとちゃうどあんなに白く柔かく映るんだ。日本ちゃとてもまだそ

8. 谷崎潤一郎全集 第9巻

肉塊 さう云って相澤は、子供のやうに頬を報くしてばちばち眼瞬きしてゐる吉之助の顏を不思議さうに見上げ 「 : : ・ : : 實は此の間から男の志願者は澤山來る、中には有望だと思はれる者もないことはないんだが、女 優のいいのが得られないので困ってゐるのだ。全體横濱といふところにはいろいろ變ったタイプの女がゐ るに違ひないんだが、さういふ連中がさつばりやって來てくれないんだ。往來を歩くと、『あ、、あ、、 ふのが欲しいもんだな』と、さう思ふのが眼につくけれど、耻かしながら僕等にはさういふ人を勸誘する 手づるがない。君の知ってゐる女のなかに心あたりはないだらうかね ? 」 「さうですね、 : ああさうさう、あの女なら來やしないかな。」 相澤はひとりで頷いて、知ってゐる女を一入一人頭の中で數へるやうな眼つきをした。と、急にその眼を ヂロッと吉之助の方へ向けて、 ・ : 活動寫 「聞いて見なければ分りませんが、多分來るだらうと思はれるのが二三人はゐるんですよ、 眞がすきなんだし、女優になって見たいなんてさういってたこともあるんですから、僕が話したらきっと 來るかも知れません。けれど一體どう云ふタイプがいいんでせうか ? 」 、混血兒の 「どんなタイプと云ふことはない、、 ろいろなタイプがほしいんだよ。純日本式の女でもい ゃうなのでもいい、寫眞にして見て人を惹きつけるやうな顏なら孰れでもいいんオ 「ああ、あります。」と、相澤は聲に應じて伸び上るやうな恰好をした。「混血兒ならばグランドレンはど うか知らん あの本牧の海岸の赤い家に住んでゐるグランドレンと云ふ娘を御存知でせうか ? ちょ こ 0 あひのこ

9. 谷崎潤一郎全集 第9巻

肉 よいよ仕事にかかるとなれば、普請の費用、諸機械の費用、所員たちの 民子もそれはよく知ってゐた。い 多くもあらぬ家の資産でそれを悉く支辨するのは容易なことではないのだった。零碎 給料の費用、 な金をも節するために夫は大切な書籍までも賣拂った、もうこれからは子供の着物一枚でも、うつかり買 ってやることは出來ないと、彼女はそれに氣がついて、出來るだけ生活費の方も省く覺悟で、既に此の間 もも、親子三人の食事の から二人の女中を一人に減らしてゐた。場合に依ったら女中なんか使はないでも、 世話なら自分だけでもやって行ける。そして、家が手狹になってからは、どの部屋を何に使って、どう云 ふ風に儉約にして行かうかと、そんな事まで彼女はちゃんと考へてゐた。 「苦しいといってもさう長いことはない積りだ、順潮に行きさへすれば二三年後にはきっと樂になる。さ うしたらお前たちには何處かに家を見付けてやって、仕事と家庭とは全然區別してしまふから。」 と、夫は慰めるやうにいふのだけれども、民子はむしろスタディオが家庭と同じ所にあるのが、唯一の慰 めであるやうに感じた。それなら自分も夫の仕事を朝夕目撃することが出來る。さうして着々夫の夢がそ こに實現されて行くのを眺めることは、どんなに愉快であるか知れない。それを思ふと彼女の心は夫と同 じ期待をかけてその日のことを想像する喜びに躍った。 「おかあさん、いっからお内で活動寫眞が始まるの ? 」 と、秋子もそれをたのしみにしてゐた。頑是ない彼女は自分の家が小ひさくなるのは苦にもしないで、一 日も早く大工が這人って、寫眞をうっす小屋や舞臺を造ってくれて、毎日芝居を見物するやうになりたか

10. 谷崎潤一郎全集 第9巻

こまでは行かないけれど、今迄のやうに無闇に白粉を塗り立てるのは一番よくない、 彼は民子に話すと云ふよりもグランドレンに説明すると云ふ口調でつづけた。 「在來の日本のやり方だと、女形は白粉をこてこて着けて、それへ正面から光線をあてる。だからちっと も人間らしくない白壁のやうにコチコチした感じが出るんだ。それでなくても日本人は地色が黒い方なん いくらか黒みを持たした方が却て柔かみが出ると思ふよ。グランドレンさんの肌は決して黒い方 、と思ふね、たとへば水のやうなものだよ、水は やつばり多少黒ずんだやうに映した方がい ではないが、 大概白くは映らない、寧ろ薄黒く映るけれど、それで非常に柔かく透き徹った気持ちが出る。僕は此の肌 をああ云ふ風に見せたいんだ。少し黄色が強すぎるからかうして見ると變だけれど、寫眞にしたらちゃう いかも知れませんよ。」 「だけど、かうして見てもちっとも變ちゃありませんわ。」 と民子が感心したやうに云った。 「黄色過ぎるから可笑しいやうな気もするけれど、綺麗な顏はどんな色に染めてしまってもやつばり綺麗 グイヤモンド さう、たとへばそれは金剛石のやうなものだと、吉之助は心の中で私かに答へた。いい寶石は泥土に投げ 捨て、火の中 ~ 燻べても固有の輝きを失はない。それと同じに、滑らかな肌と立派な目鼻立ちは、眞紅に 染めても、眞黒に染めても、依然として美しい。時とするとその人間離れのした、化物じみた怪異の中に 却て自然では見られない畸形の花のやうな妖艶さを示す。黄色く變ったグランドレンの顏にあるものは正