云ふまでもなく藝術の上での美しさと、實生活での美しさとは違ってゐる。自分は夫を混同するほど無理 解ではない。此世の中で美しいものが、常に必ず藝術的に美しいとは云へないであらう。だが少くともグ ランドレンの場合には映畫の中の人魚が現す美しさは、彼女が日常の實生活の延長であると自分は見てゐ る。よしや物語の世界が全く寫實をかけ離れた夢幻的なものであらうとも、それは現世に生きてゐるグラ ンドレンの生れながらの美しさを、出來るだけ充分に、出來るだけ明瞭に、そして出來るだけ順序よく翫 賞するに都合がいいやうに、 一つの便利なシチュエ 1 ションを作ったに過ぎない。その映畫は一定の時間 内に短縮され、適當に壓搾された彼女の生命そのものであるとも云へる。たとへば人は泥土の中から貴い 石を掘出したとき、その貴さを增す爲めに研きをかけ、細工を施し、それにふさはしい贅澤な筐の中に收 める。グランドレンはその石と同じだ。自分は彼女を此の世の中から掘り出したのだ。宮殿や、水族館や、 噴泉や、鱗の衣裳や、 それらのものは彼女と云ふ石を藏って置くびろうどの筐だ。その筐を作り、 さてその裡にその石を收め、かがやかしい光を飽かずに打ち眺める。それが今度の映畫なのだ。クロ ズ・アップが多過ぎるのは自分に云はせれば當然のことだ。自分はそこに、大きく映された彼女の顏の表 情の中に、酌めども盡きない無限の變化があるのを感じ、滾々として湧き出づる微妙な音樂を聞くことが 出來る。それで藝術の目的は達せられてゐるのぢゃないか。共の外に何を求めることがあらう。 「それとも又、さう云ふ風に考へるのは自分の心の迷ひだらうか ? 柴山が遠廻しに諷したやうに、グラ ンドレンの愛に溺れた結果だらうか ? 」 が、若しその映畫が彼女の生活の延長だとすれば、グラン ドレンに溺れる心は劇中の人魚を愛づる心と變りはない。實際吉之助に取っては、グランドレンを人魚の それ 132
山口驚いたなどうも、とんだ飛ばッちりを受けちゃったな、僕あ昔から二股武士で天下に通ってゐるん ( 藤沼に ) おい、まあタオルを取って見ろよ、それでもい だから、そいつあ仕方がありませんよ、 くらか落ちただらう、 光子でも、笑っちゃあいやよ、 山口ええ、笑ひませんよ、 光子きっと ? 山口きっと、 光子 ( 藤沼の手からタオルを受け取る ) ほら、こんなよ、 鼻を中心にして藤沼の顏全體へ、びしゃッと何かを叩きつけたやうに大きな綠の斑點がひろがってゐる。 野田あツははは、 濱村あツははは、 山口 ( 一番仰山に腹を抱へて轉げて笑ふ ) あツはははは、 光子 ( いつの間にか以前の冷靜な態度に復り、二三尺離れて藤沼の顏をしげしげと見ながら ) まあ、笑ひごとちゃあない わ、 藤沼 ( 仕方なくニャニヤしながら ) おい、そんなにをかしいか、 光子をかしいわ、ほんとに、當分散歩にも出られやしないわ、 野田、濱村、山口あツははは、 536
第二十場屋内縁側 二匹の兎、 0 、、菜っ葉やおからをたべて居るところ。 第二十一場屋内茶の間 ミツは辨當箱を風呂敷に包んでゐる。祖母は柱時計を見る。 柱時計の針九時一一十分前を示すもの挿入 祖母時計を見、線側の方を見、「愛子や、もう幼稚園へ行くのですよ」と云ふ。ミッ辨嘗箱を包み終り、 左から右縁側へ行く。 第二十二場屋内縁側 ミッ辨嘗箱を持って來て愛子に渡す。母親「さあ、もう兎ちゃんの御膳はすみましたよ、早く幼稚園へい らっしゃい」と云ふ。愛子「行って參ります」と母にお辭儀をし、玄關の方へ行く。 第二十三場屋外門前 愛子、格子戸を明け、獨りで出て行く。絞暗。 0 0 0 ( タイトル ) 溶明暗 愛子さんのお祖母様やお母様は、お節句が近づいたので、お雛樣の支度をして居らっしゃいま す。 0 0 うさ 414
に今日のやうに至極お睦ましいところを見せられたりしちゃあね、 光子さうを ? そんなに睦ましさうに見えて ? 濱村たって、事實がさうに違ひないんぢゃありませんか、 皆さんがあたしたちのことを仲が好い好いッて仰っしゃ 光子でも、實はそれほどでもないのよ、 るんですけれど、そりゃあ初めのうちだけだったわ、 濱村へ、御冗談でせう、藤沼君はまるであなたに眼がないッて云ふ評判ですぜ、 光子ええ、藤沼はそりゃあさうよ、だけど : 濱村だけど何です ? : まあ、そんなことは云はずに置くわ、 光子 濱村 ( 熱心に膝をのり出す ) 云ったっていいちゃありませんか、え ? だけど何ですよ、 : 實はあたし、もう一度舞臺に立ちたいのよ、 光子一と口には云へないけれど、 濱村どう云ふ譯で ? 光子だから、それがなかなか簡單には云へないのよ、 藤沼君はいけ 濱村あなたがもう一度女優におなりになると云ふなあ、僕あ大いに賛成ですなあ、 ないッて云ふんですか、 光子ええ、まあ不賛成の方なの。それに何だわ、そんな事になりやとても藤沼の國の方で默ってやしな いわ、それでなくってもあんな女と喰ッ着いてゐれば勘當するの、學費を送らないのツて、やかましい 514
「途中で間違ひでもありやしないかね ? 」 「まさか、子供ぢゃあるまいし、」 ぎゃん 朝子と違ってテキ。ハキしたところのある、いかにも藝者らしいお侠な姉は、大した事でもないやうな調子 で云ふのだった。 「多分一と汽車おくれたのよ。今にきっと來るでせうから、よく當人の腹を聞いて見て、いやなものなら くつつ 返さなくってもい、ぢゃないの。何もそんな目に遭ってまで喰着いてることはありやしないわ。」 「そりやさうだけれど、逃げて來たっきり打っちゃっとく譯にや行かないからね。どうしても朝ちゃんが 歸らないッて云ふなら、何とか先方へ云ってやらないぢや、 「え、、そりゃあさう : 「そりゃあさうッて、 ・ : 誰か東京へ話をしに行く人があるかね ? 僕の考へぢや、若し別れるなら向 うから迎ひに來ないうちに、早く此方から出向いて行った方がい、と思ふカ 「さうね、 ずべらな蔦代はそんな事に係り合ふのが面倒くさいのか、暫く電話ロでモヂモヂしてゐる様子だったが、 やがて突然頓興な聲で云った。 の「だから先生、先生が話に行って下さいよ。それが一番い、ちゃないの。」 僕が行ってもいゝッて云へば行く気だけれど、 「僕がかし ? 「い、も惡いもありやしないわよ、第一先生の責任だわよ、」 249
港の人々 「ふきやッて云ふ名にする積りなの。」 と、彼女は云った。 家がきまらないうちに名前の方はきまってるんだね。」 「カフェエ・フキャか どうぞ始めたら御贔屓に願ひます。」 「ええ、ふきやッて云ふ名が莱に人っちゃったの。 おせいを女給に使ってくれない ? 」 「毎日のやうに出かけて行って景気をつけるわ。 姉さんが帳場をやって、私が女給 「女給なんか置かないの、姉さんと二人ッきりで小さくやるの、 の代りをして。」 「女給がいいから又書生などが大勢張りに行くこッたらうね、ポリスさんが妬きやしないかい ? 」 「妬くとも妬くとも、ちッと妬かした方がいいんだ。」 などと私たちは、當人を前に置いて勝手な評判をしたものだった。 が、どうしたのか子さんはそれきり暫く本牧の方へ顏を見せなかった。いつの間にかカフ = 工の計割も 沙汰止みになって、相も變らずボリス君と同棲してゐると云ふ話を、私はせい子から聞いた。 「やつばり別れられないんだね。」 と、私たちは語り合った。 3 山手の家のこと 本数の私の家は造りは西洋館だったが、臺所だの湯殿だの便所だのの都合が日本風に出來てゐたし、疊の 445
肉塊 「お母さん、此れほんたうの水品 ? 」 ふいと、秋子は、照れ隱しにそこにあった箱を取り上げて云った。箱の中には無數の玉ガラスの粒が光っ てゐた。 いえ、そりや本當の水品ぢゃないの。 それが章魚の疣になるのよ。ね、此の繪を御覽、白いび ろうどで體を拵へて、肢に水晶の疣を附けるの。綺麗な章魚が出來るでせう。」 「まあ ! 」 と云ふやうに、秋子はキョトンと眼を見張って、手を打って小躍りした。 「さうして誰が章魚になるの ? 」 「誰がなるかお母さんは知らない。 秋子や、お前遊んでゐるなら、大きな水晶と小ひさな水品を分 けておくれ、お母さんのお手傳びをして。」 頑是ない子供はそんな用事を賴まれるのが嬉しくてならなかった。彼女は小ひさな掌で輝やく粒を拾ひ上 げては、一生懸命に母親を助けた。 民子が一番苦勞するのは縫ふことよりも裁ち方だった。ワイシャツや脊廣服や子供の學校服などなら手が けた經驗もないではないが、夫の獨創になる珍奇なプリンスや人魚の衣裳を裁つのには、幾度も型紙を作 ったりして頭を使はねばならなかった。 「まあびどいわ、こんなむづかしい物を持って來たりして。」 と、彼女は笑ひながら夫に言った。
くれさへすれば、自分は立派にあの人を思ひ切る。會はしてくれ、ば却って後がサツ。ハリしてあきらめが つくと云ふんだ。」 「それなら猶更會った方がい、ちゃないか。」 さうは云ったが、穗積は心の奥深くに強い打撃を感じないでは居られなかった。「もう時機は去った、や そんな気がした。 つばりもう遲かったんだ。」 「それが、あきらめがつくとは云ってるが、さて會って見れば又どうなるか分りやしないよ。おまけに會 ひたい會ひたいと云ってる矢先に、君の方から會ひに來たんちゃ尚更僕は心配なんだ。會ふなら會ふでも う少しほとぼりのさめた時分にゆっくり出直して來てくれ給へ。ねえ、濟まないがさうしてくれ給へ。折 角當人も落ち着きか、った所なんだから、 僕は正直に何も彼も君に打ち明けて賴むんだ。 「あ、、添田君、ちょっと待ってくれ給へ」 と、穗積が云った。 「僕は此の間までは、君の幸を祈って已まない一人の親切な友人だった。けれども僕が今日やって來た のは友情の爲めちゃないんだよ。」 「ふん ? 」 のと、鼻先で云った添田は、滿更それを豫期して居ないでもなかったらしかった。が、その顏色は、すうッ とと刷毛で塗り換へたやうに一度に際立って蒼白になった。 さうは ~ 、 263
群集は緊張して、固唾を呑んだ。いよいよ劇が始まるのだ、 を待ち構へた。 「わたし、今日は撮りたくありません、 と、突然グランドレンが云った。 「どうぞ明日 明日にします。」 「身體のエ合でも惡いのかね ? 」 「ええ、さう。」 さう云って、ちらりと吉之助に冷やかな一警を投げながら、 「私大へん頭痛がします、どうぞ明日にして下さい、そして子供をもう一人搜して來て下さい さッと柴山の顏色が變った。が、彼女は何處までも王女の威儀を崩さないやうに、おッとりと落ち着いて 榻の上に腰かけたまま、少女が扇ぐ團扇の風をその無表情な顏に受けて居た。 一座は暫くしらけ渡って、重苦しい、ヂリヂリと暑い沈默がつづいた。「構ふもんか、早くやれやれ」そ んな彌次馬の聲も聞こえたが、王女の餘りに尊大な取り濟ました態度に氣壓されたのか、それも。ハッタリ 止んでしまった。相澤ははっと吃驚したやうな眼を膰って、グランドレンと、吉之助と、柴山の顏をキョ ロキョロ眺めた。 吉之助は明かに當惑の色を示した。彼女の我が儘は分ってゐる、頭痛と云ふのはロ實に過ぎないで、二人 みんな一齊に默り込んで、監督の合圖 182
ど。」 「わツはははは」 と、その尾についてみんなが腹を抱へて笑った。 何でも書間から酒が始まって、正月気分になりながら、添田と幹子と二人の先客と、四人の間に例の三角 關係が、いや、嚴密に云 ~ ば四角關係が、しきりと話題に上ってゐたところ ~ 、さうしてそれが專ら穗積 を中心として議論されつつあったところへ、當の本人の彼がひょっこり飛び込んで來たのであるらしかっ 「え、、よござんす ! 何杯でも頂きませう ! あなたのお酌でも結構ですよ。」 「でもが附くんぢや心細いわ ! 」 「あははは、どうです添田さん、穗積さんの爲めにあなたの奥さんを呼んで上げたら ! 」 「さうすりゃあてんで問題はない、すっかり圓滿に收まるんだが。」 「賛成 ! 」 と云ったのは幹子だったが、添田は何とも答 ~ ないで、あぐらを掻いて兩膝の上 ~ 脇まを載っけて、それ に凭れたま、いつもの豪傑笑ひをやった。 「ところで穗積さん。今もその話をしてたんですが、 x x x x >< >< 、 >< x X X X X x x x X X X X X X X こ 0 「さあ、どうぞ ! ぐッと一と息に乾して頂戴、あたしなんかのお酌ぢゃあお気に召さないでせうけれ ふ そ の 364