れてゐるらしかった。 「しかしボリスは眼が高いね、あれだけの娘を女中にしとくのは勿體ないよ。先の妾がどんな女か知れな いが、追ひ出されるのは嘗り前ぢゃないか。」 と、私はさう云ったことがあった。 十月になって、もう海水浴でもなくなった時分、子さんは獨りぼっちで二階の部屋に閉ち籠ってゐる日 が多かった。ボリス君は露西亞人には珍らしいスッキリとした所のある、三十臺の若い紳士で、彼女と全 く二人ぎりで女中も置かずに住んでゐたのだが、山下町の或る銀行へ通って居たから晝間は大概留守であ った。で、彼女はよく、二階の窓から退屈さうな聲を出して、 「おせいちゃん」 と、私の妻の妹を呼んオ 「なんだい ? 」 と、此方の廊下からせい子が怒鳴り返す。 「遊びに來ない ? お茶を飮みにやって來ない ? 」 と、又向うの二階からだだッ兒のやうな調子で應じる。 々 せい子は毎日のやうに遊びに行って、一日二階へ上ったきり二人でしゃべってゐるのだった。「おせいと のちゃんぢゃあ本當にいい相棒だよ、不良少女が二人集まって一體何をしてるんだか」と、妻は頻りに可 笑しがったが、兩方とも生意気で、傲慢で、負けず嫌ひの、年頃も似たり寄ったりの二人が、どんなキッ 435
2 子さんのこと キョ ハウスの女たちは、 一人二人の混血兄をのぞいて多くは日本娘だったが、 西洋人の客 を相手にするせゐかみんな野蠻で、活漫で、キビキビしてゐて、體格なども立派だった。ピッグメリ 1 と 呼ばれたのなどは見上げるやうに背が高く、でつぶり太った眞っ白な肌を持ってゐた。此のメリ 1 さんを 頭にして二十人近くもゐたであらう、夏は大概裸も同然なうすいキモノに細帶一つで、二階の欄干や棧橋 に出て遊んでゐるか、でなければ海へ飛び込んで盛んに暴れ廻ってゐた。中には達者にポ 1 トを漕いだり 泳いだりする連中もあって、日が暮れてまで暗い水面で河童のやうにバチャパチャ騷いだ。器量の一番す ぐれてゐたのは混血兒の子であったらう。その兄は以前箕輪下の方の芋屋の娘で、嘗て私の關係してゐ たキネマ俳優の寄宿舍へ遊びに來たりして、女優になりたいとか云ってゐたさうだのに、 いつの間にやら チャブ屋の方へ買はれたのである。チャブ屋へ行ってからはだんだん體が肥え過ぎて來て、前ほど美しく はなくなったけれど、茶色のちぢれ毛を肩に垂らして、ピンクの縮みのガウンを着て棧橋などに腰かけて ゐるのを、私はしばしば泳ぎながら、眺めたものだった。よくは知らないが猶太人の血が交ってゐるとか で、西洋人には持てなかったが、子自身も日本人のお客が好きで、彼女のもとへわざわざ東京からやっ 々 て來る入々の中には、私の知ってゐる名前も二つ三つあった。気だてもおっとりとおとなしく、日本人じ のみてゐて、一度も泳いでゐるところなどを見たことはない。「あたし洋服は嫌ひなのよ」さう云って、冬 は大概元祿袖のやうな袖の短かい和服を着てゐた。 433
らう。だがこんな物を飮んだにしても、一時病的に興奮するだけで、精力旺盛になる譯はない。それより 若しちょ 添田は此れを「非常な劇藥」だと云ったが、果して此れがどんなに危險な藥であるかを、 っとでも分量を誤まれば生命に係はる物であるのを、ほんたうに知ってゐるのだらうか ? 穗積が添田を 殺す気があったら、今此の蠅を一匹か二匹盜んで行けば、容易に目的は達せられる。古來此の藥で人を殺 した前例は、支那にも西洋にも澤山あって、あの有名な佛蘭西のサ 1 ド侯なども用ゐてゐる。侯は此れを チョコレートに混じて三人の娼婦に飮ましたところ、その女たちは忽ち極度に興奮して狂人のやうに浮か れ出し、一人は夢中で窓から飛び降り、二人は急性の腎臟炎を起して死んだ。添田はよもやそんなこと迄 は知らないのだらう。 「おい、おい、添田君、馬鹿だな君は。僕は醫者だよ。さうして君を憎んでゐるんだよ。僕の居る前でそ んな藥を出したりして、君は恐いとは思はないのかね ? 油斷してゐると君の命は僕の手中に握られちま ふぞ。それとも君は例の意地惡で、僕を誘惑する気なのかね ? 」 おれ 穗積は腹の中でさう云って見た。「事によったら、己は誘惑されるかも知れんぞ」と、脅やかすやうな口 調で云って見た。今や盛んに講釋をしてゐる添田と、それを熱心に傾聽してゐる二入の記者と、三人のう ちの誰か一人が「醫學士としての穗積」を思ひ出し、彼に質間を向けるやうなことになったら、彼は返辭 あんばい に困るやうな氣がした。が、好い鹽梅に誰もその事は思ひ出さない。「めったに此れはやれないんだが、 ちゃあ少しづっ分けてやるかな」と、添田は勿體をつけながら、疊の上へ紙をひろげて、罎の中から二三 十匹蠅の屍骸をざらざらと打ちまけてゐる。二人の記者が又一枚づっ紙を貰って、その紙の中へ、それを 370
神と人との間 自然のやうに思へた。彼女の方でもただ何となく二人が好きだと云ふだけの事で、添田にも穗積にも別に 甲乙はないらしかった。 明くる年の正月、添田は穗積と照千代に停車場で別れて、一度東京へ歸ったが春になると又やって來た。 しかしその時はもう照千代は長野にはゐなかったのである。「急に引かされることになってね、京都の方 へ行ってしまったよ」と穗積はあっけなささうに云った。 「京都へ ? ひどく遠方へ行ったぢゃないか ? 」 「うん、旦那と云ふのが始終上方 ~ 商用のある人でね、月の半分は京大阪へ行ってるもんだから、それで あっち 彼方へ妾宅を置いたんだらう。」 旦那は長野の木村と云ふ呉服屋の主人で、もう四十近い男だと云ふ話だった。細君と云ふのが大變物分り のした人で、子供が一人もない所から、夫婦して照千代を妹のやうに可愛がって、引かせる時もその細君 の差し金だった。 「それぢゃあの時分からその男と關係があったのかしら ? 」 「いいや、さうぢゃないらしいよ。男の方は前からそんな気があったんだけれど、照千代の方ぢや奥さん に濟まないと云って、いつも逃げてゐたんだよ。それが今度仲へ這人って口を利く者があったりして、引 かされる事になったと見えるね。」 添田は一週間ばかり穗積の家に遊んで行ったが、二人とも何だか物足りなくて、話が愉快にはずまなかっ 215
る、至極平和な谷あひだった。私の家の東隣りにはイラさんと云ふ可愛い娘のゐる露西亞人の家族、西隣 りには和蘭人の家族がゐた。びろい往來を一つ隔てた向う側には英吉利人のホ 1 レイさんの家族がゐた。 そこの娘の「ヴァーナちゃん」も私の鮎子の友達だった。 電車へ乘るには千代崎町の停留場まで五六丁ほど行かねばならず、夜はその路が淋しいと云ふので、 ーおまけに近所にお化け屋敷があると云ふので、 女たちは気味惡がった。何しろ横濱開港以來建て 直したことのないやうな古い家屋が殘ってゐて、お化け屋敷が方々にあった。それで私の家の近所は「お 化け屋敷」と云びさへすれば俥屋などには通ってゐた。家の前の路を、セント。ジョセフ・カレヂの方へ 降りて行くと、「赤マ 1 テン」の下の所に「マーテン地藏」の祠があって、そこには街燈が一つもなく、 一番淋しい場所であった。 横濱にはマ 1 テンさんが二軒あった。私の家の後ろの丘に建ってゐたマ 1 テンさんの家は眞っ赤に塗って あったから、もう一つのマ 1 テンと區別する爲め「赤マ 1 テン」と呼ばれてゐた。邸は丘の上にあったが、 丘の下にもコック部屋や、アマさんの部屋や、自動車小屋が並んでゐて、上と下とに廻廊のやうなものが 繋がってゐた。マ 1 テンさんは頤に長い髯のあるお爺さんで、そんな廣い邸の中に年を取った奥さんと二 人、多勢の奉公人を使って住んでゐた。そしていつも外へ出る時は古ばけた服に變り色の山高を被って、 どう云ふ譯か自動車がありながら、二人曳きの俥たった。その俥も特別に作らせたものであらう、幅のひ 4 「赤マ 1 テン」と「マ 1 テン地藏」のこと 448
「をばさん、お願ひがあるんだが聞いておくんなア と、甘ったれたやうにコッソリ云ふ。私の家ではもともとせい子が男のやうな口のきき方をする所 ~ 、彼 女がそんな調子なので家中の女がさうなってしまった。 私が懸念したほどのこともなく、子さんとせい子とは宣曄もせずに交際をつゞけて、お互ひに「いい相 棒」を見出し合ってゐるらしかった。同じ色の毛絲を買って、同じ形の襟卷を編んで、それをぞろりと頸 そんなことを面 の周りへ垂らしながら、二人で往來を練って歩くので、よく姉妹と間違へられる。 白がって話したりした。そしてせい子が誘ひさへすれば、彼女は活動寫眞にでも舞踏會にでも何處へでも 。トキワやすき焼 出かけた。たまにはポリス君が二人を連れて伊勢崎町へ引っ張って行ったり、カフ = 工 を奢った。或る寒い晩、せい子は子さんの所でボリス君と三人でタ飯をたべたが、夜に入ってから雪に なって風が募り出したので、とうとう一と晩泊まって歸った。 「今度のちゃんの内はまるで素敵よ。」 と、彼女は云った。 「部屋にはスティ 1 ムが通ってゐるし、栓をひねれば熱いお湯がふんだんに出るし、實に ( イカラよ。」 「だけどお前の寢るべッドがあったのかい ? 」 々 「ううん、べッドはないけれどソフアアへ寢かして貰ったの。温かくッていい気持だったわ。」 のその子さんの住居と云ふのは、ボリス君の勤めてゐる山下町の銀行のビルディング内にあるのだった。 今度新しく「ンクリ 1 トの堂々たる普請をして、三階をア。 ( アトメントに拵 ~ たので、二人はそこの湯殿 441
わざはひ 勿論穗積は此の禍の大きな原因が自分にあることを知ってゐる。自分も照千代も人並外れて氣の弱い方だ もとゐ ったのが、かう云ふ不幸な喰ひ違ひを生じた基であるから、若し此れだけなら添田を憎む理由はない。添 田のその後のやりゃうに依っては、穗積は恐らく胸の痛手を忘れることが出來たであらう。さういっ迄も 彼女のことを思ひ詰めずに濟んだであらう。しかし添田の取った行爲は、折角穗積が忘れ去らうとしてゐ るものを、強ひて意地惡く焚き付けるやうにするのだった。少くとも相手の眼からはさう見られた。添田 はあの時分、あんなに熱心に照千代を求め、穗積に向ってもあんな事を云ひ、そして首尾よく結婚して置 きながら、而も東京にも二三人の女があったのである。一體、穗積は二入が結婚したならば長野の町に所 帶を持って、今迄通り自分と往き來してくれるものと信じてゐた。添田が友情を口にする以上、それでな ければならない筈だった。ところが夫婦は東京へ新婚旅行に出かけたきり歸って來ないで、やがて小石川 に一家を構へたと云ふ通知を受けた。彼はその時も欺されたやうな莱がしたけれども、新妻になった朝子 を見るのは嘗分の間辛くもあったし、それを向うでも察したものと解釋すれば善意に取れないこともなか った。が、それから半歳ばかり立って、上京のついでに、、 月石川の家を訪れた穗積は、そこで意外な結果 に逢った。二日も前から主入は家を明けてゐて、彼が内々、二人きりで會ふことを恐れた人が、留守番を してゐたのである。顏を見るなり、二人はすでに忘れ去ってゐた筈のあの晩のことを想び出した。一と言 間 の 二た言、添田の仕打ちを話し合ってゐるうちに、その心持ちの募って來るのが互ひにハッキリ感ぜられた。 とどっちも顏を見ない間はそんなにまでとは思ってゐなかったのであるのに、それは不思議なほどであった。 5 「僕は先達ハガキを上げて置いたんですが、添田君はあれを見なかったんでせうか ? 」 せんだって
「まあ、お嬢さん、どちらへお出かけでございます。」 などと近所の人々が聲をかけると、彼女はきっとはにかむやうに母親の袖の下に隱れる。 「ちょっと伊勢崎町の方まで運動に行って參りますの。」 と、そんな場合に、民子はニコニコ笑ひながら、誰にでも如才なく愛嬌をいった。や、ゝ陰鬱で、重々しい 所のある夫とは反對に、彼女はさうした物のいひ振りにも、生れつき人なっッこい所があった。 運動に行くと云っても、活動寫眞を見て歩くか、子供の玩具を買ってやるか、たかだかそんな事ぐらゐで、 別に睛れがましく着飾って出るのではなし、此れと云ふほどの贅澤をするのでもない。書間は秋子はつい 坂の上の、佛蘭西人が經營してゐるカソリックの幼稚園に行く。妻の民子は階下の茶の間に引き籠って、 針仕事をするとか、毛絲の編み物をするとかしてゐる。そして夫の吉之助は、朝から一日二階の書齋に上 ひる ったきり、何かしきりに調べ物や書き物に熱中してゐた。午の食事におりて來ても默ってこそ / \ と飯を 濟まして、直ぐ逃げるやうに二階へ上がる。親子三人がほんたうに打ちくつろいで顏を合すのはいつもタ 飯の時であった。それから後は夫は全く樂しい家庭の父となって、妻や子供の相手をしながら夜を過すの が常であった。 吉之助は一體何を調べたり書いたりしてゐるのか、 それをうす / ( 、知ってゐるのは民子だけだった。 「お前だけは己を了解してゐてくれるね、己には昔から友達らしい友達は一人もなかった。二人の伯父が あったけれどそれさへ今は己を見捨て、しまったのだ。己はほんたうに獨りばっちだよ、お前より外に己 の味方はないんだから。」 寢物語りの折などに、さういはれると民子はいつもその一言に感謝しな
を、君のカで僕の方へ振り向けるやうにしてくれ給へ。君ならそれがきっと出來る、僕等夫婦を幸にす るもしないも、要するに君の心一つだ。僕は友に訴へて賴むんオ さう云っても穗積が下を向いたまゝ答へないので、添田は手を執って搖すぶりながら繰り返した。 「君、後生だ、僕の賴みをきいてくれ給へ。こんな無理な事をお願ひするのは此れが二度目だ。君はさぞ かし僕の我が儘を怒ってゐるだらう。君の戀人を奪って置いて、自分で理解させることが出來ないからっ て、君の助力を賴むと云ふのはあんまり蟲が好すぎるけれど、 「蟲がよいのは問題ちゃないよ、」 かんたか と、穗積は努めて冷靜を裝ったつもりだったが、自づと剩が昻ぶるのをどうすることも出來なかった。 「そんな事よりか、君は自分の細君に戀人のあるのを是認して、而も平氣でその戀人が、夫の浮気をして ゐる留守に家庭へ出人することを許せるのかね ? それで夫婦が一日でも成り立って行けると思ふのか ね ? 君の告白は恐らくうそちゃないだらうが、僕にはさう云ふ考へ方が分らないんだ。」 「しかし、僕はさっきも云ふ通りその戀人を信じてゐるんだ。決して間違ひがある筈はないと云ふことを 「ふざけちゃいけない、僕だって人間だよ、僕がそこから生ずる結果を保證することが出來ないとしたら、 君はそれでも安心して二人を近づけて置けるだらうか ? 少くとも心の中では細君を愛してゐる入が ? 君は細君を侮辱してるんだ。」 「侮辱してゐるんちゃない、却て尊敬してるんだと思ふが、 おの ヾ ) 0 236
が、はにかみやの彼は面と向って挨拶などする勇氣はないので、襖の蔭でそっと彼女の話聲を洩れ聞いた 、藥瓶を下げて歸って行く後姿を見送ったりして喜んでゐた。 かほなじみ その後二人は或る料理屋 ~ 二三度照千代を呼んだ事があった。「一度顏馴染になって置きたいから」と添 田が云ふので、穗積が連れて行ったのである。そして馴染になってからも座敷で會ふよりは穗積の家で會 ふ方が多かった。その頃の彼女はそれ程始終醫者の厄介になってゐた。肉づきなどもいい方で、水々と肥 えてはゐたけれども、やはり流感をやった後なので肺尖を少し惡くしてゐた。實の姉が土地で一流の姐さ きむすめ ん所で、その家から出てゐたので、極く我が儘に、それこそほんとに生娘のやうに大事にされてゐたらし く、ちょいとでも體のエ合が面白くないと、座敷を休んで遊んでゐる日が多いのであった。藥に用がない びる 時でも午の食事の前後なぞによくやって來た。何でも病院の直き近所に古流の生花の師匠があって、そこ へ時々行くのだと云った。 「生花とは變ってゐるね。」 「なあに、今に奥さんになった時の用心なのさ。」 「へえ、もうそんな人があるのかい ? 」 「まあいやだ、そんな人なんかありやしなくってよ。」 と照千代は顏を赧くした。 そして三人で一緒に飯をたべたりして、暫く話し込んで行く事があった。それはただ仲の好い友達のやう な附きあひだったが、二人はそれで滿足してゐた。さう云ふ淸い交際が、照千代と云ふ女に對しては極く どころ いけばな 214