横濱 - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第9巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第9巻

してゐた筈だけれど、うまく助かってくれただらうか。 ついでながらおせいさんの英語の發音を紹介して置く、プディングをプリン、キドニ 1 をケンネン、ソオ セエジをサシズ、クオ 1 ター (Quarter) をコワタ、 : これを横濱のコック英語と云ふのである。し かし此れでもしゃべることなら私などよりずっと流暢で、何でも用が足りるのだった。 6 アイリッシュ君のこと アイリッシュ君は横濱の住人ではない、その名の如く遠い先祖は愛蘭土から出て、今ではアメリカのロ ス・アンジ = ルスで活動寫眞のキャメラマンをしてゐる。もう四十を越した分別盛りの好紳士で、亞米利 加でも老巧の撮影技師であるさうな。そして始めて夜間撮影に成功したのは彼であり、「ユモレスク」を 始め多くの映畫を作ってゐると云ふ。 私たちが山手 ~ 引越した年の暮れに、アイリッシ = 君は監督のセラ 1 ス君等の一行と共に横濱 ~ 來た。目 的は日本を背景にして、日米の男女優を使って映畫を作らうと云ふのであった。日本人側の俳優には栗原 トーマス君の紹介で關操君と、私の妻の妹のせい子とがスタアとして採用された。せい子は葉山三千子と 云ふ名で大活の映畫に出たことがあったが、會社が潰れて遊んでゐたのを、ト 1 マス君の親切で世話して 貰ったのである。 亞米利加人は非常に女優を大切にしていたはってくれる、細かい事にもよく気をつけて、寒くはないかと か、お腹が減りはしないかとか始終心配してくれる、日本の會社よりよっぽど働きいいと云って、せい子 アイルランド 452

2. 谷崎潤一郎全集 第9巻

大正十二年十一・十二月合併號「婦人公論」 ( 原題「横濱のおもひで」 ) 、十一月號「女性」

3. 谷崎潤一郎全集 第9巻

様私はその際も一人箱根にゐたのであるが、思へばそれから丁度一年目で、横濱における私の家は二度と も破壞されたのである。 が、それだからとて私は決して横濱をいやな所だと思ふのではない。以前の通りの横濱があるならあんな 住み心地のいい街はないと思ふ。本牧の家も好かったが二度目の家は更に好かった。今は神戸にゐる筈の 英吉利人のミス・マラバアが、兄さんと、妹さんと、おせいさんと云ふコックさんと、四人暮らしで住ん でゐたのを、その年の十月から借り受けて私たちは引き移った。山手の二百六十七番のにあって、俗に 云ふ「赤マ 1 テン」の邸の高臺と、セントラル・ホテルの立ってゐる小さな丘に抱かれた、先づちょっと した谷あひにある古めかしい平家造りの洋館だった。東北を向いたゴランダから眺めると、ホテルの方へ 上って行く勾配の緩いだらだら坂に、こんもりと枝葉をひろげた大木があって、その葉の繁みの間から丘 の向うの赤い煉瓦や白壁の家の見えるのカ そしてその坂路の上を時々ちらほらと西洋人の往き來 するのが、 何だかひどく日本離れのした光景で、遠い異鄕に來てゐるやうな感じだった。左の方に は又もう一とすぢ坂路があり、登りつめた所にマンレ 1 さんの立派な二階造りが見え、西に向った崖縁へ さし出されてゐる藤棚が見えた。一帶に山手の居留地は地形が非常に入り組んでゐて樹木が多く、ところ どころに丘があったり凹地があったりする中に、思ひ思ひの西洋館がぼつりぼつりと建てられてゐた。 々 その物靜かな、變化に富んだ街の風情が。ヱランダから見渡されて、日の暮れになると、遠い高い方々 人 のの家のガラス窓がタ映をうけて眞赤に光った。 二百六十七番もつまりさう云ふ凹地の一つで、みんなそれ程大きくはない平家造りの五六軒が集まってゐ 447

4. 谷崎潤一郎全集 第9巻

「益田って云ふ人は變な人だわ。」 と、私たちに云った。 「どうしてさ ? 」 「だって、けふ元町の往來で會ったらねえ、いきなり後から肩を叩いて『おい君』なんて云ふんだもの、 ロクロク知りもしない癖に。」 益田と云ふのは横濱の獸醫の息子の、今は獨逸 ~ 行ってゐる益田甫君のことで、前に一遍私の家で彼女と 落ち合ったことがあったのである、が、それ以來子さんは益田君が嫌ひになった。 何でも冬のことだったからその年の十二月か、明くる年の正月時分だったらうか、別れるとか別れないと かそんな話が問題になってゐる最中に、ポリス君と子さんとは隣りの家を引き拂って山下町 ~ 越してし まった。そして大きなガラス罎と、猫が一匹殘ってゐるのを邪魔だからと云って捨てて行った。多分彼女 のことだから越して行ったら鐵砲玉で、もう私たちの事なんか猫同様にケロリと忘れてしまふのだらう、 わざわざ本牧まで訪ねて來ることはないだらう、と、さう思ってゐると直きにヒョッコリやって來て、大 分長いことおしゃべりをして御飯をたべて歸って行った。その後は始終、横濱で訪ねる家は私の所一軒よ 大抵一日置きぐらゐに顏を見せた。 或はさうだったのでもあらうが り外ないかのやうに、 「今日はア」 と、例のだだッ兒じみた、やんちゃな調子で玄關先から聲をかけながら這入って來る。何か欲しい物でも あると私の妻の耳もとヘロをつけて、 440

5. 谷崎潤一郎全集 第9巻

る、至極平和な谷あひだった。私の家の東隣りにはイラさんと云ふ可愛い娘のゐる露西亞人の家族、西隣 りには和蘭人の家族がゐた。びろい往來を一つ隔てた向う側には英吉利人のホ 1 レイさんの家族がゐた。 そこの娘の「ヴァーナちゃん」も私の鮎子の友達だった。 電車へ乘るには千代崎町の停留場まで五六丁ほど行かねばならず、夜はその路が淋しいと云ふので、 ーおまけに近所にお化け屋敷があると云ふので、 女たちは気味惡がった。何しろ横濱開港以來建て 直したことのないやうな古い家屋が殘ってゐて、お化け屋敷が方々にあった。それで私の家の近所は「お 化け屋敷」と云びさへすれば俥屋などには通ってゐた。家の前の路を、セント。ジョセフ・カレヂの方へ 降りて行くと、「赤マ 1 テン」の下の所に「マーテン地藏」の祠があって、そこには街燈が一つもなく、 一番淋しい場所であった。 横濱にはマ 1 テンさんが二軒あった。私の家の後ろの丘に建ってゐたマ 1 テンさんの家は眞っ赤に塗って あったから、もう一つのマ 1 テンと區別する爲め「赤マ 1 テン」と呼ばれてゐた。邸は丘の上にあったが、 丘の下にもコック部屋や、アマさんの部屋や、自動車小屋が並んでゐて、上と下とに廻廊のやうなものが 繋がってゐた。マ 1 テンさんは頤に長い髯のあるお爺さんで、そんな廣い邸の中に年を取った奥さんと二 人、多勢の奉公人を使って住んでゐた。そしていつも外へ出る時は古ばけた服に變り色の山高を被って、 どう云ふ譯か自動車がありながら、二人曳きの俥たった。その俥も特別に作らせたものであらう、幅のひ 4 「赤マ 1 テン」と「マ 1 テン地藏」のこと 448

6. 谷崎潤一郎全集 第9巻

さういふ意味で、街をぶらぶら歩くと云ふことは實に面白い。單調な田舍路や海岸などを歩くよりも遙か に面白い。僅か一丁か二丁のところにも無限の變化がある、朝とタ方でも相違がある。街に由っては一日 のうちに何遍そこを通っても飽きないやうなところがある。横濱の元町通りなども或はさういふ街通りの 一つではないかと作者は思ふ。それは小ひさく纒まった、北側に山を擦へてゐる、可愛い美しい街なので ある。路の幅は東京の仲通りぐらゐしかない、そして長さは七八丁ばかりのただ一とすぢの線ではあるが、 今もいふ北側の山から幾本もの坂路がその線へ通じてゐて、山の上にある外國人の居留地から、朝にタベ に各國の人々がいろいろな風俗をしてその坂路を降りて來る。彼等は何處へ行くのにも必ずそれらの坂路 の孰れかによって、一遍そこの徇通りへ出て來なければならないのである。坂はいづれも勾配が急で、後 押しがなければ俥が登れないぐらゐなので、それでなくても散歩好きな西洋人たちは、男も女もぞろぞろ 歩いてやって來る。坂の中途から街通りへかけて、彼等を相手に商ひをする花屋、洋服屋、婦人帽子屋、 が、そ ショップなどが一杯に並んでゐる。 西洋家具屋、。ハン屋、カフェ工、キュウリオシティ 1 れらの店はどれもこれも多くは古めかしい土藏づくりの、ただ前の方だけへガラスを篏めて飾り窓を拵へ たりしたささやかな構へで、銀座あたりの大商店とは比較にならない。寧ろ堀留か傳馬町邊の老舖の造り に似てゐるのだが、窓に飾ってある物が花でも菓子でも切れ地でも西洋向きの派手な色彩に富んでゐるか ら、落ち着きのある中にもケバケバしい趣があって、勿論堀留や傳馬町とは街の感じがまるで違ふ。さう ( オもカら、矢張り日本の横濱でなければ見られない街通りなのであ かといってこんな所が外國にある譯まよ、、

7. 谷崎潤一郎全集 第9巻

港の人々 際ではあったけれど、私はその間、横濱での有りと有らゆる歡樂を常にアイリッシュ君と共にしてゐた。 「いづれそのうち又日本 ~ やって來る。セラースのやり方は面白くないから、今度は自分たけで繪を作り に來る。子供や女房も連れて來てゆっくり仕事をやって見たい。 君等と近づきになったことを僕は 衷心から感謝する。」 その言葉を、別れる時彼は語勢に力を人れて繰り返した。出帆の際は生憎私は用事があって留守だったの で、妻とせい子とが波止場まで送った。見送りの人々がいよいよ本船から降りようとするとき、いきなり 彼はネクタイピンを拔き取ってせい子に與へた。妻の話に依ると、その折の名殘惜しさうな思ひ入れが、 さすがに映畫の技師だけあって芝居がかってゐたさうである。 461

8. 谷崎潤一郎全集 第9巻

とても分らない無限の變化が映し出される。だからさう云ふ女があれば僕は彼女の顏と性質に適當したや うな劇を作って、別にむづかしい藝と云ふものを使はないで、彼女を自然に怒らせたり微笑させたりする ゃうな風に、筋を運んで行きたいと思ふ。さうして行けばそこに自から、芝居の方とは全く違った新しい 意味での『藝』も生れて來ると思ふ。要するに自分の個性と容貌とが持ってゐるだけのものを、十分に表 現する熟練がありさへすればそれが眞實の『藝』なんだからね。」 「何にしても土曜日の晩は樂しみだね、僕等はさう云ふ、女を捜すのに絶好の機會があることを全く知ら ずに居たんだから。」 二人はちゃうど、何か獲物を射ちに行く獵師のやうな心持ちだった。 「ほんたうにい、人が見つかるとよござんすわね。」 と、民子も釣り込まれてそんな事を云った。 「あの子供がどんな假装をして來るかそれが見たいわ。ほんとにまあ、あんな優しい顏立ちをしてなんに も知らない坊っちゃんのやうだけれど、あの歳で以てそんな所へ行くのかしら ? 彼女には自分の住んでゐる横濱の町に相澤のやうな少年のゐることが、既に一つの不思議だった。それが 何だか信ぜられない事實のやうで、気味が惡いよりは可笑しな気がした。 四 柴山は亞米利加にゐる時分に拵へたタキシ 1 ドを着て、燕尾服の方を吉之助に貸してやることになってゐ

9. 谷崎潤一郎全集 第9巻

っといい顏をしてるんですけれど。 「君はその娘を知ってるのかね。」 「ええ、去年の夏本牧で泳いだ時分に知ってるんです。此の頃でも始終ダンスで一緖になりますよ。非常 に派手な裾模様を着て來るかと思ふと、今度會ふ時は夜會服を着てたりするんですが、日本人のやうな所 もあって、孰方を着てもなかなかよく似合ふんです。ダンスにはまだいろんな女がやって來ますよ。純日 本式のがよければ山手のミスタ・ワットンの妾をしてゐる花子ッていふのがあるんですが : 「ふん、その女もやって來るんだね ? 」 「ええ、やって來ます。それから此れも混血兒で、八幡橋の方の俥屋の娘があるんです。ヴィオラ・ダナ どうでせうか ? 何なら に似てるもんだから、僕等はいつもヴィオラ・ダナって呼んでますがね、 この次ぎの土曜日の晩にクリッフ・ホテルの舞踏會へいらしったらいかがでせうか ? きっとさう云ふ連 中がみんな來るだらうと思ふんですが、 吉之助は横濱の住人ではありながら、今迄嘗てそんな所へ足を踏み入れたことはなかった。さういふ花や かな社會があることは聞いてゐたけれど、皮膚の黄色い日本人の彼には近づき難いもののやうにきめてゐ たのに、話し半分はうそだとしても、兎に角相澤は彼に取っては未知の世界の消息を齎したのである。そ れも或は、この少年の容貌を以てしたら滿更出鱈目ではないかも知れない。「何をいふかあてにはならな い」と思ひながら、吉之助はだんだん好奇心を募らせて行った。 「行って御覽になって、あれはと思ふタイプがありましたら、どうにか僕が話しをつけて見ますけれ

10. 谷崎潤一郎全集 第9巻

服を着た者、藝人じみたしゃれたなりをした若日一那風の者、銀行の給仕、商館の小獪、 その大部分 は豫想のやうに二十歳前後の靑年が多く、女も二三人はやって來た。 或日吉之助が應接間へ來て見ると、そこに一人の少年が待ってゐた。白地に黒の格子縞の、ヤンキースタ イルの背廣服を着て、同じ縞柄の鳥打ち帽子の鍔のところを、兩手で恭しく持ちながら膝の上にのせて腰 かけてゐたのが、吉之助が這入って來ると、すっきりとした脊の高い體を椅子から立てて鄭寧に頭を下げ 「あの、僕は相澤といふ者ですが、新聞の廣告を拜見したもんですから、 「ああさう、歳はいくつだね ? 」 「十九です。」 さう云って、何處か、立派な家の坊っちゃんかと思はれる品のいい顏に愛嬌を作って、人なっッこい眼で にこやかに笑った。が、吉之助が煙草を吸ひ出すと、自分も默ってポケットから銀のシガレット・ケース を出して、上眼でちょっと相手を見ながらすばすばやり始めた。 「君は學校は ? 「學校ですか、 籍はあるんですがこの頃は何處へも行ってゐないんです。」 「俳優になるに就いては、兩親の許可を得て來たのかね ? 」 「僕には兩親はもうありません、横濱の兄貴の家に厄介になってゐるんです力 : 實は何です、 : 少し兄貴と喧嘩したことがあるもんですから、方々友達の家やなんかを歩いてるんです。 こ 0