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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第9巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第9巻

第七十六場屋外縁先の庭 メリ 1 さん、 0 、、左の言葉を云ふ。 夜 ( 言葉挿人 ) の 祭 『あたしね、此れからそうッとお嬢様のお部屋へ行って見ようと思ふのよ。兎さんも一緖に來ない ? 』 雛 第七十七場屋外縁先の庭 七十三場二匹の兎、箱の右側より左手に出る。 第七十四場屋外縁先の庭 メリ 1 さん 0 、、金網から中をのぞき、體をベコ / 、させ乍ら兎に話しかける。 ( 言葉挿入 ) 『もし、もし、兎さん、私たちはほんとに詰まらないわね、スッカリ見棄てられちまって。』 第七十五場屋外綠先の庭 二匹の兎 0 、、兎は金網の目から外を覗き乍ら云ふ。 ( 言葉挿人 ) 『おや、誰かと思ったらメリ 1 さんかい。僕等も貴女に同しますよ。お互様にこんな馬鹿げた事はな うさ 425

2. 谷崎潤一郎全集 第9巻

塊 肉 た。妻と一緖に泣いた晩には「きっと近いうちに切れて見せる」とあんなに誓って置きながら、もうその 明くる日グランドレンの姿を見ると、とても彼には「切れる」と云ふことが自分の今の意志のカでは考へ られなくなったのである。それは何よりむづかしい不可能事であるとしか思へなかった。彼女と切れてし まふよりは妻に赦して貰ふ方がまだ幾らかは易しい氣がした。 もう此の頃ではグランドレンも猫を被っては居なかった。撮影所の中でこそ「所長さん所長さん」と呼ん でゐるけれど、二人になれば本音を現して良くない性質をムキ出しにする。そしてぞんざいな日本語を使 ふ。 が、吉之助にはその日本語さへ忘れられない魅力の種だった。横濱に住む多くの混血兒と同じ ゃうに、中流階級の品のいい日本語を知らない彼女は片言交りで丁寧に云ふか、でなければコックやアマ の使ふ言葉をべら。へらしゃべって、それで日本語が非常に巧い積りでゐた。友達と云っては不良少年ばか りなので、 いっからともなくその連中の卑しい物の言ひ振りを覺えて、男の言葉も女の言葉も區別が分ら ないせゐでもあらうが、ひどく荒ッぽい云ひ廻しゃ妙に馴れ馴れしい淫な文句を平気でロにする。吉之助 は始めのうちこそそれをきくのが溜らなく不愉快で、その栗色にちぢれた髪や瑪瑙のやうに透き徹った滑 かな肌の持ち主を想ふと、さう云ふロの利き方が此の上もなく不調和に感ぜられたが、しかし段々その不 調和が一種の快感に變って行った。實際、それがどんなに不細工な日本語であらうとも、眞珠のやうな齒 彼女の混血兒に特有な言語は、たとへば生意 列の間から洩れて來るものに美しくないものがあらうか ? 氣な鸚鵡を見るやうに一脣彼女を愛らしく、あどけなくしないでは已まなかった。 そればかりではない、吉之助には几べて彼女の悪い所がみんな美しく見え始めた。その不正直も可愛らし 167

3. 谷崎潤一郎全集 第9巻

「でも、好い鹽梅にいくらか落ち着いたやうですれ。」 「少しは樂になったんでせう。寢られるやうだといいんですけれど、 朝子はしかし、まだ休まずに揉みつづけてゐた。 「さっきのやうにあんなに苦しがられると、あたしほんとに、どうしたらいいか分らなくなるわ。此の人 があんなに云ふんだから、よくよく辛いんだらうと思って。 さう云った彼女の眼の中に涙が宿ってゐるらしいのを、穗積はその聲でうすうす感じたが、それきり二人 は默ってゐた。暫くの間、珍しくも安らかな病入の呼吸が、すうすうと聞えた。 ・ : 穗積君はゐるのかね ? ・ 「穗積君、 病人の唇がもぐもぐと動いて、ふいとその名を呼んだのは、それから又小半時ほど立った頃だった。病人 うはい」と の言葉は皺嗄れて、微かで、譫言のやうにばんやりしてゐた。 「ええ、いらっしゃいますよ。」 と、朝子が云った。 「何處にゐる ? 」 「そこに、あなたのうしろに。」 「さうか」 と云って、再び言葉なく、何かじーいッと考へてゐる様子だったが、 「穗積君をちょっと此方へ、 らく 394

4. 谷崎潤一郎全集 第9巻

朝子の表情が俄かに固く、ぐっと緊張したやうに彼は感じた、が、何處までも靜かな口調で言葉をつづけ 「だからどうです、子供の貯金を使ふよりか、それで一時を間に合はせたら ? 僕はその金を此處に持っ て來てゐるんです。」 「でも、添田が何と云ひますか知ら ? 」 「何も云ふ譯はないだらうと思ひますがね、あとで僕から事情を話して、添田君の都合のいい時に返して 貰へば。 「だって、都合のいい時なんか決してありはしないのよ。お金があればみんな傍から使ってしまって、ど んな義理の惡い借金だって、なかなか返さうとはしないんですもの。それがあの入の癖なんだから、 「ああ、その癖は僕も知ってゐますよ、だから萬一返して貰へないだって、僕は何とも思やしません。」 いえ、すみません、そんな事までして頂いちゃ。」 さうキツ。ハリと云ひ切って彼女は強く唇を結んだが、同時にほたりと光ったものが火鉢の衣の中へ落ちた。 十三 「ぢや、僕の金を受け取る譯には行かないんですか。 穗積は、さう云ってゐる自分の聲の悲痛さに打たれでもしたやうに、言葉を句切った。朝子は片手を火鉢 こ 0 325

5. 谷崎潤一郎全集 第9巻

「僕は朝子さんの戀人としてやって來たのだよ。」 穗積の言葉は力強く、簡單であった。 「僕は朝子さんを迎ひに來た、取り返しに來たのた。いろイ \ 考へて見た結果、最も正しいと信ずる道を 執りに來たのだ。」 それは恰も死の宜告のやうな權威で添田の心を壓迫したに違ひなかった。がんと頭を擲られた人のやうに、 彼は暫く、その眞っ青な顏色のま、ふるヘてゐた。豫期してはゐたが、 恐らくこんな嚴格な態度で穗積が 自分の眼の前へ立つであらうとは、思ってゐなかったのであらう。あの人の好い、優柔不斷な穗積にもこ りんこ 添田は忌まノ \ しさうに下唇を咄んオ んな凛乎とした度胸があるのか ? あと 「けれども君、朝子は既に君をあきらめると云ってるんだよ、君に會ひたいと云ふ意味は、後に思ひが殘 らないやうにと云ふだけのつもりなんだよ。 添田はそれを出來るだけ皮肉に、而も出來るだけ相手を怒らせないやうに穩やかに云った。哀願と嘲弄と が彼の眼の中でごっちゃになってゐた。 「それは或ひはさうかも知れない。が、僕はもう君の言葉を信用することが出來ないんだ。僕自身の眼で 朝子さんを見ない間は、僕も決してあきらめることは出來ないんだ。」 「ぢや、見たらあきらめると云ふのかね ? あきらめることを誓ってくれるのかね ? 」 ミ ) 0 264

6. 谷崎潤一郎全集 第9巻

神と人との間 「ふふん」と添田が鼻先で笑ったやうだったが、穗積は構はず言葉をつづけた。 : その恨みが消えない間は、僕は公平な理解を以て君の心持ちを書くことは出來ない。だから今度 のあれにしても、事件を述べる必要上君のことにも觸れたには違ひないけれど、決して君を批難するやう : 尤もそりゃあ、君が僕を欺したとか、ペテンにかけたと な文句や態度は見せなかった積りなんだ。 か、そんな言葉が二つ三つあったかも知れないが、まあそのくらゐは我慢して貰はなくっちゃ。何しろ君 は超人だからね。」 「超人は少し分らないな。」 さう云って擽ったさうに眉をひそめた添田は、その實内心阿諛を感じたに違ひなかった。ふところ手をし はったん て、温かさうな八反の袂をぞろりと振って、彼は得意らしく身を反らした。 「あははは」 と、今度は穗積が頭を掻きながら大聲で笑った。その笑ひ聲が自分の耳にも如何にも追從らしく聞えて、 「こんなところが己は卑屈でいけないんだ」と思ひながら、やつばりどうも共の調子を變へる譯には行か なかった。 「だって超人だらうぢゃないか。君が今迄にさんざ悪い事をしたのは天下周知の事實なんだ。女を欺した り、借金を蹈み倒したり、僕のやうな弱い人間をイヂメ拔いたり、まるで世間に恐い物がないやうに傍若 無人な振舞びをして、而もそいつを堂々と小説にまで發表してゐる。その癖世間ちゃ君のことを『惡黨だ 9 惡黨だ』と云ひながら、相變らずその悪黨が大手を振って大道を濶歩するのを許してるんだから、許すど くすぐ そ

7. 谷崎潤一郎全集 第9巻

武田にさう云ふ意志がないと云ふことを仄めかす積りだから、君の方は君の方で一つ當人に中ってみたら いぢゃないか。その相談には僕も出來るだけ加勢するから。」 「君、ほんたうにさうしてくれるかね ? 大丈夫かね ? 」と、添田は二三度念を押したが、彼はその時も 「大丈夫だ」と云ってしまった。「有り難う、僕は心から君に感謝する。」と、添田の云ふ聲が涙ぐんで聞 よる えた。いつの間にかとつぶり暗くなった夜の公園のべンチに並びながら、二入は暫くセンチメンタルな気 分に浸ってゐたのだった。 いよいよ動きが取れなくなってしまってから、穗積は一脣照千代を想ひ優った。添田の爲 運惡くも、 めにいろいろ心配してやってゐる最中に、その一念が絶え間なく胸の奧で生長しつつあるのを感じた。 「朝ちゃん、どうだね、添田はあんなに君のことを思ってゐるんだが、あの男のところへ行く気はない ? 穗積は殆んど自分の聲を疑ひながら、彼女に向って二度も三度もその呪ふべき言葉を云はねばならなかっ た。そして三度目にそれを云ったのは、彼と添田の二人の名前で、照千代を自分の家の晩飯の席へ呼んだ ころあひ 折だった。添田がわざと座敷を外した頃合を見て切り出したのだが、照千代はいつものやうに顏を赧くし てうっ向いてしまふばかりだった。 の「あたしのやうな人間をそれほどに思って下さいますなら、 し J 暫く立ってから、黴かにさう云った彼女の言葉は穗積の胸にむごく響いた。 「ああ、それちゃ君は承知してくれると云ふんだね ? 」 ヾゝ、 はづ まさ あた あか 223

8. 谷崎潤一郎全集 第9巻

東京で會ってゐたときは憎いながらもまだ何處かしらに憐れみの念も感ぜられたのに、戀びしさが增して 來るにつれて、その戀人を苛むばかりか自分を散々馬鹿にし切った無賴な男の、皮肉な笑ひや殘酷な眼っ きが、譬へやうもなく腹立たしく、忌ま忌ましいものに想ひ出されて、少しの同情も寄せる値打ちはない と云ふ気になって行った。自分は既にあの男に要らざる義理立てをしたことがありながら、今度も同じ失 敗をやった。同情しないでもい、者に同情して、玩具にされて默ってゐた、自分はなぜ、彼女が眼の前で あんなに打たれたり蹴られたりしたのを、大人しく見てゐたのか ? それは彼女への海辱であるのみか、 自分に取っても侮辱ではないか ? いやそればかりかあんな事も云った、こんな事も云ったと、穗積は一 々添田の言葉を頭の中で繰り返して見て、それに對して取ったところの優柔不斷な自分の應接ぶりを考 ~ 出すと、怒りは更に倍加した。なぜあの時に、自分はニャニヤ笑ってゐたか ? なぜ憤然としなかった か ? 今考へればあの男の云った事に何一つとして理路の通ったところはないのだ。みんな口から出任せ だぼら の駄法螺なのだ。だのに自分は手もなく煙に卷かれてしまって眞面目で相手になってゐたの / 「君は朝子を妻にしてゐる權利はないのだ、僕に返してくれ給へ。」 穗積は直ぐにも東京へ引き返して、添田の面前へその言葉を叩きつけてやりたかった。汽車は明くる日の 朝早く、まだ暗いうちに長野へ着いたが、俥に搖られて驛から自宅へ走らせる途々も、彼の頭はそれで一 杯になってゐた。「自分は斯うしては居られない、何とかして此の問題を片附けてしまはなければ一日も 生きては居られない。」そんな囁きが耳もとに聞えて、彼をセカセカと急き立てるやうにするのだった。 「先生、お歸りになったら直ぐにお出で下さるやうにつて、さんのお宅から昨日たび / \ 電話でした。 おもちゃ 、 ) 0 244

9. 谷崎潤一郎全集 第9巻

あらう。眞珠は遂に無價値な石ころになってしまふ。 そんな間にも添田の不品行は依然として止まなかった。夫婦の間に子供の出來たと云ふことは、結局彼に 前より一層放蕩の餘裕を與へ、自由を增させたに過ぎなかった。そして朝子に對しては安心し切ってゐる ゃうであった。何と云ってももうあの女は自分の物だ、あれはあの通り滿足してゐる、何處へも逃げて行 く筈はない。 穗積はいつも添田の眼が、さう云ふ誇りと嘲りを帶びて自分を笑ってゐるのを感じた。 「ちっと遊びにやって來たまへ」と、用もないのに誘ひに來て、もう死んだやうに大人しく、柔順に馴ら され切った妻の様子を見せびらかしたり、さうかと思ふと情婦の幹子と手を携へて訪ねて來たり、その意 地の惡いやり口は、穗積を焦らさせ、口惜しがらせるのを仕事としてゐるやうにさへ邪推された。さう云 ふ風にされながら尚も添田と交際をつゞけてゐる事、それは明かに不自然なことだった。況んや穗積は疾 うに添田とは絶交してゐるのである。が、彼は未だに、朝子の口から聞くべき返辭のあるのを待ってゐた。 「朝子さん、 : 僕は此の戀に完全に勝っか、完全に負けるか、孰方かにきまれば安心するのです。そ の時が來るまでは何年でも待って居ますよ。」と、嘗て添田の家の二階で彼が約束した言葉に對し、いっ か一度は朝子が返辭を與へねばならない。「當分の間辛抱するのだ」と、あの時彼女は云ったのであった。 「又欺されるやうだったらその時こそ決心する、二三年の間待って見てくれ」とも云ったではないか。あ のあ、さうしてその二三年は既に過ぎようとしてゐるのだ ! 穗積は何も、彼女の言葉をとっこに取って 「決心してくれ」と云ふのではない。今となっては添田を捨てる心がないと云ふならば、彼女の口からさ うとはっきり宜告して貰ひたいのだった。「待って下すってももう無駄です」と、きつばり彼女が云って どっち 279

10. 谷崎潤一郎全集 第9巻

は片意地だもんだから、いっか約東した通り、あなたがハ ッキリ返辭を聞かして下さる時を待ってたんで す。五年の間 : あれからちゃうど此れで五年になりますからね。」 うけが 朝子は矢張り下を向いて、洟をすすってゐた。彼女は穗積の言葉のふしぶしを一々尤もだと肯ふ如く、子 供のやうに首を振って頷いてゐた。「今が別れだ、もう此の入とのほんたうの別れだ」と穗積は思った、 すでに觀念してゐたことだのに、此の眼の前に泣きしをれてゐるいちらしい人の姿から、離れじとする愛 慕の情が一層強く胸を咬むのを感じながら。 「僕はあなたが添田君に虐待されてゐる間は、始終蔭になり日向になってあなたの側を離れずに居よう。 あなたの方ではどう思っても僕の方ではあなたのことを『心の妻』と思ってゐようときめてゐました。し かしあなたのその返辭を聞いた以上、もう今日からは餘計な世話を燒く資格はないんたし、決して『心の 妻』だなどとは思ひますまい。僕はきれいに添田君に負けたんですよ。口惜しいけれどその事實を認めま すよ。 い。かうして二入が話をする時 ねえ朝子さん、どうか此れを僕の別れの言葉だと思って下さ は、もう此の後はないでせうから。」 突然朝子は机に突っ俯して、體ちゅうをふるはせながら、激しい聲でひいひいと泣いた。 長い間、穗積は默って、彼女の泣くがままにしてゐた。泣くだけ泣いてしまってから、再び彼女が語り出 すであらうのを待ってゐた。睛れ渡った、吹きすさぶ寒風に研ぎすまされた朝の室からは、日の光がばっ と明るく部屋の中を照らしてゐた。悲しみに充ちた穗積の眼には、その明るさが普通の朝の明るさとは違 った、非常に淸く、非常に透き徹った、たとへば自分と彼女とを永久に閉ち籠めんとする水品宮のやうに うなづ 328