引き離して、そっけなくいった。「ぼくはいつも自由意志を信奉し いるようです。もっとも、場合によってはーーー特に、シュテルンヴ ・フラエキニティオネマ ( ているからですよ。〈予告集〉を信じることは、それを否定す = ルツ自身の場合はーーもっとずっと未来にまで届いたようです 6 ることになるからです , が . 院長がごく当り前のこととして、あまり落着いていったので、 。しった。「ほう、それだけですか ? わたしは、約五十年スビンドリフトはひどく面喰らってしまった。そして、院長が机の 毎に、筆跡が変っているのに、あなたが気付いたからたろうと思い 上に置いた第二の本に、おずおすと手を伸ばした。だが、院長はス ましたよ。ほんのわずかですが、否定はできません」 ビンドリフトの気持を察しかねた様子で、さり気なく自分の手をそ 「ゆうべは書庫の明りが暗かったので、書き記してある草書体の文の上に置いていった。「さあ、用意がよければ、ムッシ、ー これ オクルス 字に変化があるとは気がっきませんでした」 から登っていって、〈目〉に挨拶しましようか」 院長はにつこりした。「もう一度ごらんなさい、ムッシュ ス。ヒンドリフトはうなすいた。 ビンドリフト。日の光で」かれは鍵を錠に押しつけて、小箱から修道院長はにつこりし、うれしそうな顔をした。かれは二冊の本 プラエモニティオネス 〈予告集〉を取り出し、ス。ヒンドリフトに渡した。 を小箱に入れ、びしやりと蓋を閉じた。それから、例の鍵をとりあ スビンドリフトはページをくっていき、途中でやめ、少し後戻りげ、壁の鈎に掛かっていたもう一つの鍵東をおろし、ス。ヒンドリフ し、うなすき、先へ進んだ。「おや、本当ですねえ。この一五二七 トに、ついてこいというようにうなすき、先に立って歩き出した。 年の記事、〈カール皇帝の軍、聖都を攻落す〉のところ、たしかにそして、涼しい白い歩廊を通り、石の階段を登り、傾いた日光が控 違いますねえ。どのように説明されますか ? 」 壁のように射している通路を通り、何回も曲ったり登ったりして、 「書き手が違うのです , 院長はいった。「もっとも、すべてそのべまた別の石段に出た。そこを通る時、スビンドリフトが窓からちら ンで書かれたと、わたしは推測していますが」 りと外を見ると、もうほとんど、前史時代の環状列石遺構と同じ高 ス。ヒンドリフトは小箱に手をのばし、その削って短くなった鵞さにいることがわかった。さっさと歩いていく院長の革のサンダル ペンを取り出して、しげしげと見た。指でその黄ばんた軸をつまむがその足の裏に当たって、かみそりを皮砥でといでいるような音を と、まるで、そのペン自身に不思議な意志が宿ってでもいるよう立てた。 に、指の間で、ごくかすかに身をよじるように感じられた。かれは ついに、二人は小さな樫の扉のところにきた。院長は立ち止ま あわててペンを箱に放りこみ、自分の子供つ。ほさに当惑して、赤面り、 鍵東から一個を選び、それを錠にさしこんでまわした。ちょう した。「ということは、つまり、院長様、これらの予言は過去七世つがいがうめき声を上げ、扉がキーツと鳴って内側に開いた。 オクルス 紀にわたって、別々の大勢の人の手で書き継がれてきたものた、とれが円形建築のドームに通じています」かれは説明した。「〈目〉 いわれるんですね」 は実は、北側の壁の構造の内部に位置しているのです。たしかに建 「そのとおり。どうやら、予知の限界は一般に約五十年に限られて築上の珍品ですな」
プラみそ一一ティオネス トのところに戻ってきた。「あなたは〈予告集〉をすでに読んろう」かれは拾い読みをしていった。「一九四一年、ドイツ軍はロ シャに侵入し、ソビエト軍を大敗させるであろう」さらに一ページ スビンドリフトっ・・ でいると思うが、ムッシュ めくって、「一九四五年七月、文明組織は、アメリカの砂漠におけ スビンドリフトはうなすいた。 「それならば、たぶん、予言は普仏戦争のところで終っていることる一つの爆発によって、粉々に打ち砕かれるであろう」院長は肩を を覚えておられよう。わたしの記憶に間違いがなければ、最後の記すくめると、まるで、ほっとしたような様子で、本を閉じた。 ・シュテルンヴェ 「まさか、それらの途方もない予言が、ペーター 事は、一八七〇年一〇月の、メッツにおける・ ( ゼーヌの降服。一 ルツのものだと信じろと、いわれるんじゃないでしようね ? 」スビ 七一年の。 ( リの開城。そして同年の五月十日の、フランクフルト・ ンドリフトは抗議した。 シュル・マインにおける、協定の調印、でしたね ? 」 。しナ「マイスター・、 「間接的にはそうなりますが」院長よ、つこ。 「ええ、そのとおりです」とス。ヒンドリフト。 テルンヴェルツがいなかったら、これらの予言が生れなかったのは 院長は持っていた本を開いて、何ページかべらべらとめくり、 ・スビンドリフ確かでしよう。師自身がこれらを書いたわけではないとしても」 そこの記述をちらりと見て、いった。 ッ 0 、・、 「じゃ、だれが書いたんです ? 」 あなたは、ヨーロ / カ結局、戦争の終結を見たと思いますか ? ロデリゴ整道士ですよ」 「これらの最後のものですか スビンドリフトは唖然とした。 「たって、そうじゃありませんか」スビンドリフトはいった。「国 院長は本を、机上の小箱の横に置き、鍵をとりあげて、いった。 際聯盟は禁じましたーー」 院長が引き取っていった。「一九三九年九月一日、ロシャとドイ「ロデリゴ修道士は死ぬ前に、あなたが〈目〉を調査したいとい ツは呼応してポーランドを侵略するだろう。その直接の結果としっていたと、私に話しましたが、本当ですか ? 」 「じゃ、実在するんですね ? 」 て、イギリスとフランスはドイツに戦宣布告をするだろう」 「はい、たしかに実在しています。これがその鍵です」 「そんな、ばかな ! 」スビンドリフトは叫んだ。「たって、ヴェル サイ = 条約では、いかなる状況においても、ドイツの再軍備は決し「そういうわけなら、是非とも見せていただきたいです」 「わかりました、ムッシュー」院長はいった。「私が御案内しまし て許さないと、はっきり述べているんですよ ! 」 ・フラエモニティオネス よう。だが、その前に、な・せ、あなたがそれほど〈予告集〉を これ、来年で 院長は一ページ後戻りした。「一九二四年には ( ここで、院長は偽作だときめつけるのか、理由を聞きたいものですねえ」 レーニンが死に、その後継者は」 ス。ヒンドリフトは小箱を見おろした。その蓋の渦巻の象眼は、銀 「ジョゼフ・ヴィサリオノ 明りが当るようにページを傾けた ) いわゆるン・ヒのキャサリン・ウィーレ周囲に , 〈イク型 ヴィッチーーーそうだーーースターリンになるであろう。 ) のように、ぐるぐる回っ 9 エト共和国で、前例のない専制時代が始まり、五十一年間続くであているようにおもえた。かれは吸いこまれそうになる視線をむりに
実、かれの知る限りでは、あのマイスターが最後の何年かを、十三 リフトにとって、一九一八年 ( の終戦の年 ) 四月に、砲弾に打ち砕か 0 5 世紀の修道院の賓客として過したことを知っている人間で、生きてれたアルマンチェールの司祭館の廃墟で、シュテルンヴェルツの イルルミナトウム いるのは、かれ、つまり口デリゴ修道士とフェラン院長の二人だけ〈光明録〉という古代の写本に蹴っまずいたことが、真に衝撃的 な霊的啓示となったのだった。このマイスターの思想の、わかりそ であり、かれが今この手紙を書いているこの書庫で、マイスターが 仕事をしたのは間違いないと思う。そして、かれ自身が長年にわたうでわからないもどかしい感じが、何世紀もの時の深淵を越えてか って得たマイスターに関するこれらの知識は、スビンドリフト氏のれに何事かを訴えかけてきた。かれはその時、その場で、もしも運 御要望に応じて、すべて提供することを約束する、と暖かい言葉でよくこの大虐殺から無事に戻れたら、モナリザの唇の徴笑のよう 手紙を結んでいた。 に、〈光明録〉の背後に潜んでいると感じられる不可思議な存在 ス。ヒンドリフトはこの幸運を信じることができないほどたった。 に、形と実体をえることを、ライフワークにしようと決心したの まず第一に、 ーゼルであの書簡をひっくり返すチャンスなど、よだった。 ほどの幸運がなければありえないことだった 1 ・ー・あれは、宗教裁判 にもかかわらず、ロデリゴ修道士の手紙を受け取る前には、スビ の結果、焼却されてしまった手紙の唯一の生き残りだったのたか ンドリフトは、このマイスターが実在したことを示す反駁の余地の ら。そして、今や、マイスターの残っている乏しい作品の集積を、 ない証拠の探索は、莫大な徒労という穀物の中から、唯一粒の推定 あの〈光明録〉という格言集以上に拡張する機会が、本当にやっ的事実という種を拾い出すことだと、まっ先に認めたことであろ てくるらしいのだ ! かれは折返し、遠慮がちな手紙を書いた。修う。シ = テルンヴ , ルツのなど聞いた人は一人もなかっただけで 道院を訪れて、ロデリゴ修道士に直接会って、お話を伺えればこれなく、人々は、そんな人物が実在したかどうか、まったく関心など に過ぎる喜びはない。許していただけないだろうか、と。すると、 示さなかったのである。事実、行く先々でドアは閉され、ス。ヒンド すぐさま、教団の世俗ゲストとして、滞在したいだけ滞在してよ リフトは、ワイマール共和国は暗黒時代とほとんど変らないとい 、という招待状が届いた。もうだいぶ昔になるが、当時のマーカう、情けない結論に到達しかけていたのだった。 ス・スビンドリフトに、何を信じているかと尋ねたら、かれが決し ところが、皮肉なことに、かすかな水流のような手懸りをたどっ て挙げはしなかったように思われる概念の一つに、運命予定説があていくと、それらは一つ、また一つと、次第に先細りになるか、ま たは次第に拡散しながら、すでにお・ほろげな中世の伝聞の中に消え 0 た。かれは戦争龕←次 ) で死にもせず、補給部隊の中尉にまでな って復員し、すぐさま初恋の相手、つまり中世哲学のもとに帰ってていき、ス。ヒンドリフトは、ますますシ = テルンヴェルツの実在を きたのだった。心ない殺戮を横から眺めていたために、初期のキリ信じるようになったばかりでなく、自分が、何か神秘的な方法で、そ ) れを実証するために選ばれたのだと信じるようになっていった。オ スト教の神秘家たち、特にアルビ派にこ「た反。ー「、教会の団体 の異端宗派の作品に対する興味が強まっていたのだった。スビンド ーテールの修道院への旅行の最後の行程に出発する前夜、かれは軍 、、ナトウム イルミナトウム
スビンドリフトは首をかがめてその戸口を通り抜けた。そこは狭ッシ = ー スビンドリフトは石棺を不安そうに眺めた。「それで、シ = テル い裂け目のような、カープした通路で、外側の石組みの狭い横木の ある隙間から、ぼんやりと光が射しこんでいた。石の床には塵が厚ンヴ = ルツがこれを作 0 たというのですか ? 」かれは疑わしそうに ふん くつもっており、それに、何世代もの小鳥やこうもりの糞がつもっ尋ねた。 て、硬い外皮のようにこびりついていた。床は約十度の勾配で、螺「まあ、これを作るもとにな「たのは確かですね。その点について 」院長は石棺 は疑いの余地はありません。あそこを御覧なさい 旋状に上っていた。そして、ス。ヒンドリフトが円形建築を完全に一 ェクケ・オクルス の頭を縁取っている石灰岩の持出しに彫られた文字を指さした 周したと見当をつけた頃、院長がいった。「そら、目ですよ ! 」 〈シ = テルンヴ = ルッホックフ = キット〉。「決定的な証拠に スビンドリフトが、案内してくれた院長の幅の広い肩越しに覗く ならないのは認めますが、私にはこれで充分です、院長はまたにつ と、また扉が見えた。それは、よほど苦労しなければ、人間は通り へきがん ス。ヒンドリフト。 抜けられないだろうと思われるほど狭か 0 た。院長は壁龕に自分のこり笑 0 た。「さあ、御遠慮なく、ム , シ = ー 体をねじこむようにして、ス。ヒンドリフトを前に出した。そして、試してみたくはありませんか ? 」 「シュテルシ スビンドリフトはそのラテン語の文字を見つめた。 小箱の鍵を渡しながらいった。「ここでは普通に使えばいいのです ヴ = ルツ、これを造る。かれはつぶやいた。そして、その言葉を声 よ、ムッシュ 1 」 に出していっただけで、この石棺の中に入らなければなるまい、と ′ールル、 : 十′ト 「どうも , ス。ヒンドリフトはそういって、鍵を受け取り、扉に近づ さとった。なぜなら、もしそれを断わりでもしたら、あの〈光明 、た。「内側は、一人だけ入れる部屋になっているんですか ? 」 「かろうじて、そういえるでしよう」院長はい 0 た。「扉は外側に録〉を書いた人の、高貴で勇気ある精神を否定することになるだろ 開きます、ス。ヒンドリフトは鍵を錠に差しこんでまわした。鍵穴のうと考えたからである。それにしても、気が進まないのをごまかす 冫。いかなかった。この時、かれは心からいいたいと思った。 中の突起はきしって、なかなか動かなかったが、それでも、鍵はなわけこよ んとかまわ 0 た。それから、鍵を把手がわりに使 0 てーー、事実、他「明日にでも、いや、来週。おさしつかえなか 0 たら、院長様」し につかむ所がなか「たのでーーかれはそ「と扉を手前に引いた。一かし、これを逃せばチャンスはないだろう、ということはわか 0 て いた。今か、やめるか、どちらかた。かれはうなすき、深呼吸を 瞬の後、かれは驚きの声をかろうじて抑えて、あとすさりした。開 いた扉の内側は、蓋のない石天岩の棺桶を直立させたようなものし、ぐ 0 とつばをのみこみ、意を決して進み出ると、その冷い石棺 で、から「。ほで、何もなか「た。周囲の石組の中にし「かりとはめの中に、後向きに体を押しこんた。 院長が静かに扉を閉めた。そして、ゆっくりと、考え深げに、そ 「いったい、 こんで、セメントで固めてあるのは明らかだった。 の上に十字を切った。 れ、何です ? 」かれは尋ねた。 院長はくすくす笑った。「それが、御所望の〈目〉ですよ、ム オクルス 6
うに溶けようとしないのだった。〈天使のような金髪の〉かれはひつれていった。そこには、くすんだ秋の落葉のように、二、三人の とりでつぶやきながら、窓から離れ、そそくさと書庫の奥から出て修道士が無言の行をしながら、ゆっくりと行き来していた。ジ = デ イの陽気なかささぎのような視線があちこちに飛んだ。そして、 きて、客人を迎えるために、修道院の門のところへ降りていった。 「うーん、ちょっとした場所だね」とささやいた。 子供の頃、ジ = ディはあるおかしな考えを、もてあそぶことがあ「一杯飲みますか ? 」ス。ヒンドリフトは、自分自身が初めて案内さ った。それは、人間は自分につけられた名前に似たものに成長すれた時のことを突然思い出し、同じパターンを繰り返すことによっ 波しぶきの る、ということだった。彼女は初めてスビンドリフト ) をて、ある種のしるしを与えられたいと、・ほんやり考えながら、尋ね 意味がある こ。「それは、どうも」ジ = ディはそういって、肩をつぼめてリ、 見た時、それを思い出した。かれの頭髪は、川のせきに浮かぶ泡のナ かたまりのように白く、柔らかだった。そして、かれは彼女と握手ックサックをおろし、泉の水盤の横に、どさりと置いた。一方、近 しながら、鉄縁の眼鏡越しにまばたきし、涙ぐんで彼女を見つめ目に弱いス。ヒンドリフトは、カツ。フを手探りした。 「まかせてよ、彼女はそういうとカップをすくい上げ、水盤に浸 ハーランド。とすると、た た。「とてもお若いですね、ミスター し、清水を思いきり飲んた。 ぶん、あなたにはわたしがとても老人に見えるにちがいない」 スピンドリフトは眼鏡をなおして彼女を見つめた。一粒の水滴が ーミングだと思われ、 「あんた、老人 ? 」彼女は、ある人にはチャ またある人には単に無作法だとしか思われない、持前のぶつきら棒涙のように、彼女の強情そうな四角い顎に、一瞬たれさがったが、 あっという間にそれを手の甲でふき取ってしまった。「すつごく、 な調子でいった。 「わたしはちょうどこの世紀と同い歳ですよ」かれはにつこりして冷たいね」 フォースコア・アンド・ワン ス。ヒンドリフトはにつこりしてうなすいた。「この泉は、この修 答えた。「つまり八十一歳です。どう勘定しても、相当な長さ 道院の建つ前から、ここにあったのですよ」 ではありませんか ? 」 ー・シュテルンヴェルツも、ムュほくが 「ふーん ? じゃ、マイスタ 「それで、その間じゅう、ずっとここに ? 」 「まあ、大部分はね。初めてオーテールにきたのが一九二三年でしやったのと同じことをしたかもしれないね , 「きっと、したでしよう」ス。ヒンドリフトは同意した。 「かんげき」ジュディは溜息をついた。「ねえ、サインしてもらお 「ヒャーツー うちのとうさん一九二三年生れだよ ! 」 ピオグラフィア 「不思議な年ですな、まったく」老人はくつくっ笑った。「おいでうと思って、〈伝記〉を持ってきたんだ。このポケットに人って いくにも、持ってあるいているんだよ」 、、スター ーランド。まずわたしにオーテール修道院をる。どこへ なさい、 「まあ、本当に ? 」スビンドリフトはうれしそうに、顔を赤らめ 5 紹介させてください」 そういいながら、かれは彼女を案内して外側の庭を通り、回廊にた。「光栄のいたりですよ」
んた時、ろうそくは一瞬燃え上がって、消えた。 「この本は偽作です、もちろん。院長様も御承知のはずです」 「そうお思いですか、ムッシュー 翌朝、ス。ヒンドリフトは修道院長に謁見を申請し、許可された。 「ええ、もちろんです」 かれは例の木箱と、謎の鍵を携えていった。その目蓋の縁は充血「どうして、そんなにはっきりわかるのですか ? 」 し、目は血走り、目の下には黒いくまができていて、眠れぬ夜を過「だって」スビンドリフトは叫んだ。「そうにきまってるじゃあり したことを物語っていた。 ませんか ! 」 ・スビンドリ フ = ラン院長は五十代の初め頃で , ーー目の鋭い、灰色の髪の、眉「しかし、予言者は常にいるものですよ、ムッシ、ー の濃い、頑丈な男だった。その直立した姿勢は、少なからす軍人のフト」修院長は穏やかにいい返した。「そして、かれらはみんな予 印象に似ていると、ス。ヒンドリフトは思った。院長はこの宗派の質言をします」 素な茶色の僧服をまとい、首にかけた数珠に粗末な真鍮の十字架を ス。ヒンドリフトは打ち消すように手を振った。「ノストラダムス さげているところたけが、他の修道士と違っていた。かれはスピンですか ? 玉虫色のあいまいな言葉です。解釈次第でどんな不都合 ドリフトが書斎に入っていくと、につこり笑って、机の向う側に立な状況にも当てはまってしまいます。でも、これは : : : 」 ちあがり、手を差し出した。スビンドリフトは、ちょっとまごっい 院長はうなすいた。「ぶしつけなことをお尋ねするが、ムッシ、 て、小箱を左腕の下に押しこみ、差し出された手を握った。 、それなら、な・せオーテール修道院にこられたのかな ? 」 「それで、どんな御用ですかな、ムッシュー スビンドリフト ? スビンドリフトは小箱を前に置き、鍵をその横に置いた。そうし スビンドリフトは息を止めて、小箱を両手に持って、院長の前に ながら、フェラン院長がしている質問は、容易に答えられない質問 突き出した。「フ = ラン院長、・ほくは : : : 」かれよ、 。しいかけて、絶だと ( これが初めてではないが ) 気付いた。そして、いった。「根 イルルミナトウム 句した。 本的には、ペ ・シュテルンヴェルツの〈光明録〉だと思い 院長の唇の端に、徴笑の幽霊が浮かんだ。「はい ? 」かれは穏やます。その著作について、できるだけのことを知りたいという衝動 かにうながした。 を感じたからです」 スピンドリフトはたしぬけにいった。「院長様は、その中に何が修道院長はこの返事を聞いて深く考えこんだ様子だった。やがて、 人っているか御存知ですか ? 」 サンダルをはいた足のかかとを軸に、くるりと後を向き、壁の戸棚 「はい、知っているつもりですが」 のところへ歩いていき、戸を開け、見たところス。ヒンドリフトが小 「では、な・せ、・ほくのところによこされたんですか ? 」 箱に戻したのとそっくりの上等皮紙の表紙のノートブックをもう一 「ロデリゴ修道士に頼まれたのです。あの人の最後の願いの一つで冊取り出した。そして、戸棚を閉めると、院長はしばらく立ったま したから」 ま、そのノートを指の先で叩いていた。結局、院長はスビンドリフ 8 5
なのですよ。マイスターは、東洋で十年間暮らし、学ばれたので止まって、苦しそうに呼吸をととのえなければならなかったからで す」かれはあわてて遠くの棚へかけていき、装丁した二つ折り本をある。スビンドリフトが、その小柄で親切な修道士が病気だという ことに気付いたのは、その時だった。いつでもすぐに浮かんでくる 持ち上げ、塵を吹き飛ばし、息が止まるほど咳きこみ、それから、 その本をス。ヒンドリフトの前に置いた。「証拠は全部この中にあり修道士の微笑の下には、もともと、苦痛の線が刻まれていたのだ。ス ビンドリフトはその場に腰を降ろそうか、と遠慮がちに提案した。 ます」かれは息を弾ませて、恥すかしそうに笑った。この古文書は 三十年ほど前に、わたしが自分で製本したものです。その時、これところが、ロデリゴは耳を貸さなかった。「いや、いや、スビンド しいはった。「あなたにお がフイロストラトウスの〈アポロニウス伝〉に対するすばらしい注リフトさんーかれは息を切らしながら、 見せしたいものがあるのですよ。われわれ共通の研究に、深い関係 釈書になるたろう、と考えたのを覚えています」 スビンドリフトはその本を開き、短いが、しつかりとペンで書かのあるものが」 ・フロレゴメ / ン よわい れた序文を読んだ。《齢四十九歳にして、心すこやかに、身体強約二十分後、かれらは修道院の周囲に巨大なネックレスのように いにしえ シュテルンヴェルツ並んでいる立石の倒れたものの一つのところに着いた。そこで、ロ 健なる余、古の真理の探求者、ペーター デリゴ修道士は立ち止まり、盛りあがる胸を申し訳なさそうに叩 は、味方に警告され、敵に追われつつ、ヴュルツ・フルグより古きプ ダに出発せり。ここに書き綴るは、余に起りしすべての事、およき、あえぎながらいった。「ねえ、あなた。ティアナのアポロニウ キャセイ び、遙かなる支那におけるめずらしぎ滞在の真実の記録にして、わスについて、率直な意見を聞かせて下さらんか ? 」 スビンドリフトは、言質を与えず、しかも、罪減・ほしの役をも同 れらが主の壱千弐百七拾参年にオーテールの修道院にて、余自ら書 時に果し得るような、苦しい仕草で両手を広げた。「実をいうと、 き記すものなり》 ス。ヒンドリフトはページから目を上げた。そして、満足気に深い意見を持っているなんて、とてもいえたものではないんです」かれ は正直にいった。「もちろん、フイロストラトウスがかれのために 溜息を洩らした。 ロデリゴ修道士はうなずいた。「わかっていますよ。口に出していくつか異常な主張をしていることは承知していますが」 「アポロ = ウスは自分自身で一つだけ主張しています」ロデリゴは いうには及ばない。わたしは出ていくから、師とさし向いで話しな 冫。しかない主張です。未来 いった。「しかも、それは見逃すわけこよ、 さい の予知能力があったと主張していたのです」 だが、スビンドリフトは、すでに第一ページをめくっていた。 「それで ? 」ス。ヒンドリフトは用心深くいった。 「予言が異常に正確なために、かれはネロ皇帝と衝突する羽目にな その夕方、ロデリゴ修道士の提案で、ス。ヒンドリフトはオーテー りました。ところがアポロニウスはこのことを既に予知していて、 3 ル修道院の上の山腹にぶらぶらと登っていった。登りはゆっくりと したものだった。なぜなら、約五十歩ごとにロデリゴ修道士は立ちこの怪物のような皇帝がかれに対して行動を起す前に、用心深くエ
。そして、あんたむこうへいって。今すぐ。さっきの扉のところ りに〈目〉に向かっていった。 そこに着くと、ス。ヒンドリフトはジュディに鍵を渡し、ろうそくまで退ってちょうだい。むこうで待ってて」 で彼女の手元を照らした。一分後、扉はきしりながら開き、あの石押しつけてくるス。ヒンドリフトの手がゆるんだ。ジ = ディは後に 退がり、手探りで鍵穴から鍵を抜いた。それから、少し自信ができ 棺が、過去七百年間立っていたそのままの姿で、現われた。 て、老人の方に向き直った。ちらちら揺れるろうそくの火で、その 「これに、 ジュディはびつくりし、息を飲んでそれを見つめた。 年老いた頬に涙が流れているのが、ちらりと見えた。 あんた入るの ? 」 「いってよ、スピンドリフトさん」彼女は頼んだ。「おねがい」 1 ランド」とス。ヒンドリフト。 「あなたが入るのだ、ミスター 「でも、やってくれるだろうね ? どうしても、結果を知らねばな 「さあ、急いで」 ーランド」 らぬのだよ、ミスター 「でも、なぜ ? 何の役に立つのさ ? 」ジュディは尋ねた。 ス。ヒンドリフトは彼女の肩をつかみ、その体をほとんど石棺に押「うん、うん、やるよ。約束する」 ランド ? かれは疑わしそうに、二、三歩小刻みに後退し、立ち止まって彼 しこんでしまった。「わからないのか、ミスタ 1 かれは叫んだ。「わたしの最後の幻影が間違いだったと証明するの女を見つめた。「ろうそくを、ここに置いていってもらいたいかい は、あなたなのだ ! あなたはわたしの間違いを証明しなければな 「ああ、そこの床に置いて」 らないのだ ! 」 ジ = ディはその二十二年の人生の中に、その三倍の年齢の婦人が彼女はそれが済むまで待っていて、それから、声を出して、ゆっく 、よ、うちに、円形 経験するより、もっとたくさんの異常な体験を、すでにつめこんでりと六十までかそえ始めた。ところが半分もいカオし しまっていた。だが、その中のどの一つを取ってみても、今のこの建築はすさまじい轟音を浴びた。上空を矢のように軍用機が突っ走 っていったのた。ジ = ディは激しく身震いすると、かそえ終るのを 状況の心構えに役立つようなものはなかった。狂気の八十歳の男と 二人きりで、しかも、この相手は中世の修道院のどこか壁の中に埋待たずに、後ろ向きに二歩あるいて石棺に入った。両肩が冷たい石 めこまれた石棺の中に、自分を押しこもうと、必死になっているのに押しつけられた。「どうそ、神様」彼女はささやいた。「もう、 これつきりにしてーーー」 ・こ ! おそらく、この男はいったん自分を棺に押しこんでしまった ら、外から鍵をかけて、自分が腐るまで放っておくだろう。それな彼女は落下していった。まるでエレベーターの縦坑に落ちるよう に、垂直に大地の中に落ちこんでいった。だが、ろうそくは依然と のに、自分の腕力は、最も必要な肝心の時に、体から脱けてしまっ ているのだ。石板に突っ張っている腕は、まったく神経がなくなっして、老人が置いたところに立って、黄金色の炎を静かに上げ、彼 てしまったみたいだし、足は力が脱けて、今にもへなへなと崩折れ女の胃が嘘をついているのだと告げていた。だが、目まいの感じが てしまいそうだった。「鍵を . 彼女はつぶやいた。「鍵をちょうたあまり激しかったので、彼女は懸命に両腕を石棺の側壁に突っ張っ 十クルス 3 7
フェススに引退してしまったのです」 「はい」ロデリゴは無雑作にいった。「そこです」そういって、下 ス。ヒンドリフトはにつこりした。「予知はあきらかに、大変役にに見える修道院を指さした。 立っ才芸だとわかったわけですね」 「それで、どうなりました ? 」スビンドリフトは好奇心に駆られて 「そうでもあり、そうでもないのです」ロデリゴは、その皮肉を無尋ねた。 ビオグラフィア ・フラエモ 視していった。「あなた、マイスターの〈伝記〉の中で、〈予 ロデリゴ神父は下唇を噛み、眉をしかめた。「パウルス院長を説 一一ティオネス 告集〉について語っているところまで、読み進まれましたかな得して、観測所ーーー〈目〉と師は呼んでいますがーーを作らせま した」 「そういうものが実在するのですか ? 」 「それで、そこから何を観測するつもりだったんですか ? 」 小柄な修道士は何かをいいかけたが、急に気を変えたらしかっ 「そこから、ではない。その中で、です」ロデリゴはかすかに笑っ た。「ほーら」かれは腕をぐるりとまわして、周囲をさし示してい て訂正した。「窓は一つもないのですよ」 った。「オーテール修道院が、巨石遺構の円の正確な中心に位置し「わかりませんね」スビンドリフトは首を振った。「それはまだ残 ているのに、気がっかれましたか ? 」 っているんですか ? 」 「おや、そのとおりですねえ」ス。ヒンドリフトは見まわして、いっ 「いますよ」 「ぜひとも見たいんですが、見られるでしようか ? 」 「偶然ではないと思いますよ」 「たぶんね」修道士は認めた。「院長の許可をえなければなりませ 「そうですか ? 」 ん。しかしーー」その時、激しい咳の発作の襲われ、顔は土色にな 「マイスターも、そう思っています」ロデリゴはにつこりしていつり、言葉がとぎれた。ス。ヒンドリフトはびつくりして、その背中を た。「マイスターはまる一年かけて輻射点を測定しました。マイス優しく叩いてやったが、まったく途方に暮れた思いだった。やがて ターの描いた地図がどこかにありますよ」 小柄な修道士は息ができるようになり、震える手で、青い唇からっ 「なぜそんなことをするんです ? 」 ばきをふき取った。その白いハンカチに血の跡がつくのを見て、ス ネクサス 「アポロニウスの連鎖の位置をつきとめようとしたのです」 ピンドリフトは怯えてしまった。「戻った方がよいのではありませ んか ? 」かれはむ配そうにいった。 「この概念は、予知能力の可能性を受け入れる心の準備ができてい ロデリゴは従順にうなずき、スビンドリフトがその腕を取って、 なければ、無意味です」 おれを助けるのを許した。半分ほど下ったところで、かれはまたも 「ああ」スビンドリフトは用心しながらいった。「それで、師は探や咳の発作に襲われ、青くなって、あえいだ。スビンドリフトは今 していたものを見つけたんですか ? 」 度こそ、あわてふためいて、修道院に助けを呼びにいこうとした。 オクルス 4 5
放出のス リービング・ハッグの中で、眠らず横たわりながら、その特なった山脈が、かすかな青味を帯びて、雲一つない北の空にそびえ 別な時に、その特別な場所にかれを連れてきた、不思議な偶然の連立っていた。見上げているス。ヒンドリフトの頭に、修道院の建物が 続を、知らず知らずのうちに思い返していた。まず最初に、あのおかしな石の飛行船でも繋ぐように、岩に無雑作に繋ぎとめてあ 〈光明録〉につまずいたこと。シュテルンヴェルッと・ハーゼルのる、という奇妙な考えが浮かんだ。それは妙にねじれて傾いてい キューまラ ヨハンネスとの結びつきを暗示する記述の発見。そして、とりわけて、ロマネスク式の小丸屋根を支える控壁のいくつかは、まるで後 不思議なことは、かれがたまたま ' ハーゼルで、あの一通のもっとも からの思いっきで取りつけられているように見えた。かれは目をし 重要なヨハンネス宛の手紙が、異端者の首領ミカエル・セルヴェト ばたたいた。すると視覚のねじれが直った。その巨大な建築群はい 一五五三年、ジュ かにも、千年以上もの風雪に立派に耐え抜いてきた大建築にふさわ ) の手で装丁された住所録の表紙の裏打ちの中 ネープにて火刑 しく、がっちりとまとまって見えるようになった。スビンドリフト に含まれていたのを発見したこと。重要な点にさしかかるたびに、 まるでかれは何者かの肘で小突かれては、そのおかげで迷わずにこはポケットを探ってハンケチを取り出し、額の汗をぬぐった。それ られたかのように思われるのだった。「老師様」かれは声に出してから、また自転車に乗り、。へダルを踏む足に力をこめて、旅行の最 つぶやいた。「私があなたを探しているのですか、それとも、あな後の行程に踏み出した。 たが私を探しているのですか ? 」頭上の空のずっと高い所を、星の十五分後、かれが最後の坂道に車を乗り入れた時、色あせた僧服 凍りついた窓ガラスにダイヤモンドで筋をつけるように、流星が一をまとった一人の小柄な修道士が、柱廊の陰から小鳥のように飛び 出してきた。そして、汗びっしよりの自転車乗りの方に向かって、 直線に飛んだ。スビンドリフトは苦笑いをし、眠りこんだ。 翌日の正午きっかりに、かれはふもとの道の曲り角を、疲れた足歓迎の手を差しのべながら走ってきて、叫んだ。「ようこそ、セニ ヨーレ・スヒンドリフトー・ 三十分も前から、お待ちしていました で自転車をこぎながら曲った。すると、ありがたいことに遠方に初 めて修道院が姿を現わした。かれは、ほっと溜息をついて自転車かよ」 スビンドリフトは汗とほこりにまみれた自転車旅行のために、ま ら降り、息を弾ませながらハンドルに寄りかかって谷間を見上げ どいくぶん目まいがしていた。だが、自分の到着の日をはっきり指 た。その時、かれの目に映ったものは、かれが死ぬ日まで、心の目 定しなかったことは、はっきりと覚えていた。スイスからここまで にはっきりと明瞭にとどまる運命にあった。 日中の陽光を浴びて、くつきりと影を落しているその建物の、も何日ぐらいでこられるかわかりさえすれば、知らせることもできた とは赤タイルであった屋根が、長い年月の風雨にさらされて、今でのだが、それは不可能だったのだ。かれはにつこり笑って、差し出 「ロデリゴ修道士ですね ? 」 は淡いビスケット色になって、かげろうの中にさざ波のように揺れされた手を握った。 ていた。オーテールの修道院は、その相当な大きさにもかかわら「そうです、そうです」小柄な修道士はくつくっ笑い、ス。ヒンドリ しナ「どうやら、車輪の修理は す、奇妙に実体の希薄なものに見えた。その背後には、幾重にも重フトの自転車をちらりと見て、、つこ。 イヰル ! ナトウム 5