リバイバル版「亜細亜の曙」表紙 郷はが然攻撃に転じ、というお決りの筋に、なるわけだ ・カ : 〈わが日東の剣侠児・本郷義昭は、祖国の最も重要なる 機密書類を、今や怪敵の手から奪いかえした。本郷に従 う印度の少年王子ルイカール、その従者の黒人べンガ ル、味方は三人だ。三人とも覆面し、緑の外套を着てい る。怪敵と同じ姿に、変装したのだ。しかも、今、″恐 怖鉄塔″と名付ける塔の頂きに登り、そこに高くつなが インドラ れている硬式飛行船の窓に、三人とも踊入った。吊籠の 窓だ。十三の人怪敵は、はるか下の床に立ちすくんで る。本郷の勝利か ? 見えざる怪敵総首領は、ラジオに よって堂々と宣言したのだ。 能の持主であることが発覚する。そして、その夜就寝″本郷 ! 最後の勝利は汝に無し " ・ と、勝敗は未だ終らず、怪敵総首領、いずこにか在 中、となりのべッ トの黒人少年が、本郷の腕に指で字を 書いて、通信を送ってくる。少年はインドのルイカールる ? さらば今から、わが日東剣侠児の活躍を見よう ! 王子であり、本郷の正体を知っているのだった。二人は 腕通信で、力を合わせて嶽窟城を破壊しようと誓い合 これは、大団円に掲載される前月、つまり昭和七年六 月号の少年倶楽部に載った、作者山中峯太郎氏自身の筆 だが、そこへ敵の手下が現われ、本郷を十三人の覆面になる前説である。 ( 単行本や、数年前発行されたリ・ハ の幹部の所へ連れて行く。 : ・敵は、すでに本郷の正体イ・ハル版には、これは載っていない ) を見破っていた。室内のスクリーンに天然色活動写真が ″前号までのあらすじ″なそというものは、『亜細亜の 写し出される。先刻の腕通信が、ことごとく撮影され、曙』にはなかった。読者は、すべてワクワクしながら次 判読されていたのだ。 ( この辺も、なかなかどうして 0 号を待っているのである。途中から読み始めるような不 07 的気分だが、このあとさらに、それが横溢する ) 心得者はいなかったのである。ただ、連載小説の欠点で 敵は、ルイカールの助命を条件に、ロケット実験へのある、前号との断層を補わんとする作者の親切心から、 協力を求めてくる。本郷は、ゴールドフィンガーにおけこの前説となったものであろう。 るポンドのごとく、すなおにそれを受け入れて、嶽窟城山中氏は、かくのごとく、すべてに用意周到であっ の新名誉教授に就任する。だが、敵のすきを窺って、本た。作中の小道具も、空雷 ( つまりミサイルだ ) 、ヘリ 山中峯太郎傑作集
いえる人物なのである。元祖なのた。 おお本郷義昭 ! その名を聞かざること久し ! かの : 百偉大なる侠傑は今いずくに在りや ? なんて一人で興奮してないで、若い方のために『亜細 亜の曙』のアラマシを次に記すことにしよう : にも、本郷義昭を主人公とした、山中峯太郎の小説は「 「大東の鉄人」など数篇あるが、ここでは『亜細亜の 曙』一本にし・ほることにした。やはり、これがズバ抜け ているからだ。 「惜しまれて散るを桜の誉れかな。いさぎよく散る桜の 花が、帝都東京の空に、吹雪のごとく風に舞い始めた」 という日本陸軍の軍歌のごとき書き出しで、この小説 はっ始まる。そして冒頭まず、東海道線特急列車の一等 寝台の中で、帝国陸軍高級将校とお・ほしき人物が何者か によってシビレ薬を注射され、手さげカンを盗まれ る。このカスンの中身こそ、帝国の最も重要なる機密書 類、小倉の陸軍大兵器製造所の、液体空気使用〈無限推 ツの設計図なのであった。 進機〉つまり口ケト 参謀本部では、ただちに暗号ラジオによって、本郷義 昭に指令を発する。 007 が海軍中佐なのに対し、本郷 は陸軍少佐であるが、彼は黄子満という支那人に身をや っし、南洋にある〇国の秘密拠点〈嶽窟城〉に潜入す 彼は、自ら敵の手に捕えられ、秘密工場で働かされる キャンシーシェン ことになる世界各国語に堪能な本郷は、江西省なま りの田舎言葉を自在にあやつり、見事敵をだましおわら せたかに見えたが・ : 敵は器械による身体検査を行ない、本郷が偉大なる知
「亜細亜の曙」イラスト 亜の曙 , 「大東の鉄人」の連載でも少年読者の人気を が、しかし、なんといっても、その中で山中峯太郎の さらった。また「幼年倶楽部」連載の「見えない飛行作家としての名前を一躍天下に知らしめたのは、日露戦 機」など空想科学的な小説も少なくない。 争における建川挺身隊の決死行を描いたジュヴナイル・ 戦後は三十七年「文藝春秋ーに「実録アジアの曙」ノンフィクション不朽の名作「敵中横断三百里」 ( 昭和 を連載し「文藝春秋読者賞」を受賞した。四十一年四五年・少年倶楽部連載 ) と、これからここに紹介しよう 月二十八日没。 という、ぼくや広瀬正さんが心の底からほれこんでいる パー・ヒーロー本郷義昭の活躍する、いわゆる本郷 ( 「月刊噂」昭和四十七年六月号『特集知られざる山中義昭ものと呼ばれる一連のシリーズだ。 その本郷義昭が、はじめて読者の前にその姿をあらわ 、躡一峯太郎』より ) この、かんたすのは、「少年倶楽部」昭和五年十月号から十二月号に 、んな略歴 ( 複雑連載された『日東の剣侠児』 ( 後に『わが日東の剣侠児』 。・アなのは、略歴とと改題 ) だが、これは第一次世界大戦を背景にして、英 ー・ ~ はいわない ) で軍ス。 ( イとして活躍する話で、おもしろいストーリイで もわかるよう はあるが、読者をさほどに興奮させはしなかった。 に、山中峯太郎 しかし、この作品を作者が手に汗にぎる大活劇にしな というー八は、ヒに かったのは、あくまでも本郷義昭を大スターにしあげる 常に興味深い生ための計算だったのだ。さりげなく、日本人のスパイ 涯を送った人でに、こんな人物がいて、かって外国で活躍していたので 、あるが「自分自すよ、とその活躍ぶりを紹介した作者は、この作品の最 身、いったいな後にこう書いた。 、を・ん冊あるのかわ からない」と生 世界大戦に、かくのごとき偉勲を立てた我が日本軍 。・ ( ( 前もらしていた 即ち、「本 の剣侠児、彼の本名を、ここに書こうー 、著作内容も、ユ 郷義昭」ーー・剣侠児本郷を有することは「日本」の誇 りである。 1 モア小説、家 読者よ ! 「本郷義昭」の名を記憶せ 。・ご庭小説、戦記小 説、宗教書、伝 . 記とたいへんに そして、ひき続き翌年の一月号から昭和七年七月号に 幅広い わたって本郷義昭ものの最高作と呼ばれる『亜細亜の
」第曙』が連載され・フもさることながら、満天下の少年読者をして次号の発 る。では、その売日の遅きを嘆ぜしめた所以のものは、じつに昭和六年 『亜細亜の曙』と ほとんど時を同じくして同誌誌上に登場した、今に名の は本郷義昭と残る二大スターの存在であった。 を、広瀬その二大スターとは誰々か。まず田河水泡作のごそん ( 正さんに紹介してじ " のらくろ。であり、そして他の一人こそ、ここにと もらうことにしより上げようとする。山中峯太郎作の武侠熱血小説『亜細 亜の曙』の主人公、本郷義昭氏その人なのである。 しからば、その本郷義昭とは、そもそもいかなる人物 囹日本の 0 0 7 か。それについて、私のある友人の言葉を紹介しよう。 彼は三十代のくせに、頭髪が早くも店仕舞いを開始し 本郷義昭 て、閑散たる状態になった頭の持主だが、先日あるパ むかしなかし、 で二人で飲んでいるとき、とつじよ私の顔をじっと見 少年倶楽部というて、こういったのである。 雑誌があった。 「ねえきみ、イアン・フレミングは若いころ、日本へ来 もっとも、少年て『亜細亜の曙』を読んだんじゃないかね」 倶楽部はごく最近私は思わす、うなった。それから、彼の推理をたたえ までホソボソと余て、両三度乾杯をくり返した。たしかにフレミング先生 命を永ら・えていたのだが、ここでいうのは、シャーリー は、そういわれて、霊界でクシャミが出ても仕方あるま ・テン。フルといえば、普通その少女時代を意味するのと 。考えてみると、本郷義昭は、まさに 0 0 7 の先輩と 同様、輝ける全盛時代のこの雑誌のことである。 大正三年に講談社 ( のちの大日本雄弁会講談社、そし てまた現在の講談社 ) によ 0 て創刊された少年倶楽部物 は、三百数十ページの大冊で、定価五十銭という高値で一「 あったが ( 当時五十銭あれば大福餅が百個ぐらい買え た ) 昭和の御代にはいってからグングン売れ行きが伸 び、間もなくその黄金時代を迎えた。大佛次郎、子母沢一 寛、吉川英治、野村胡堂、土師清二、佐々木邦といった 当時の大衆文壇の大所をズラリとならべたライン・アッ ー 08
「亜細亜の曙」表紙 , 押川春浪の創造したスー ハー・ヒーロー段原剣東次の直 系のヒーローたる、本郷義昭の生みの親、あるいはノン フィクションの名著『敵中横断三百里』の作者といえば、 もう、おわかりだろう。そう、山中峯太郎た。 今回は前述したように、どうも思ったように原稿が進 ヒ んでくれないから、日本古典界最大のスー ーロー本郷義昭と、その作者山中峯太郎のことなど書い て、もやもやを吹っとばすことにしようか。 というと、ちゃんと計算してみての紹介みたいだ が、舞台ウラを披露してしまうと、次のようなことがあ ったので、本郷義昭を紹介する気になったのだ。 タクシーの・ハカ運転手に腹をたてた翌日のことだ。ま はた、少々頭にきながら、それでもなんとか原稿たけは書 かなければならないと、書庫 ( というのはオモテ向き 締切日とはいえないではないか。なんというのが正しい で、ほんとうはスチール製の物置 ) に入って、紹介に価 かは、わからないけれど。 いするおもしろそうな本をさがしはじめた。 まちがいない。そのせいた。それで、・ほくをとりまくすると、デタラメに積み重ねられた本の山の中から、 空間が異常をきたしたにちがいないのだ。こりや、えらさつばり、見憶えのない変色しかかった一枚のゼロック いことになった。これじゃ、これから先も、まだ、なに ス・コ。ヒーがでてきたのだ。 4 判の雑誌の見開きペー が起こるかわかりやしないそリ ジをコビーしたもので、見出しが「日本の 0 0 7 本郷義 ″母さん、ぼくのこの「日本こてん古典」どうなる昭ーとなっている。はっきり記憶こよ、 一日冫ナしカみ、一のもカ んでしようね。ほら、あの最近落ち目のコラムですよ″ し、この記事の載った雑誌を見つけて資料にコビーして おいたもののようた。 囹「古典古典シリーズ」の発見 いったい、紹介者はたれだろう、と名前をさがしてお どろいた。そこには、広瀬正という名前があった。それ 昭和ひとけた代から終戦にかけて、海野十三とともは、あの『マイナス・ゼロ』の広瀬さんが書いた文章だ ったのだ。 に、少年科学冒険小説界の人気を二分していた作家がい る。こう書けば、読者の中には、ああ、あの人かと思わ ( あの広瀬さんが、本郷義昭を紹介した記事をちゃんと れるかたもあるたろう。ここまでではわからなくても、持っていながら、いままで気づかなかったとは : ー 04 ・
なければならそこで、今回はこの広瀬さんの本郷義昭紹介文を紹介 ないと、もうして、本郷義昭というスー ・ヒーローを理解してい かなり以前か ただこうというわけだ。 ( ややこしいなあ ) ら思っていた ちょっぴり、手抜き的要素もあるけれど、読者として のだ。 も、同じことを二度読まされるよりは、いまはもう読む ところが、 ことのできない ( 河出書房新社の「広瀬正・小説全集」 考えてみるにも入っていないのだ。あたりまえかな。小説じゃない と、本郷義昭のだから ) 広瀬さんの紹介文を読むほうがいいに決まっ については、 ているたろうと、かってに決めつけておいて先に進んで この「こてんしまう。 古典」の前身そして、その全文紹介となるのだが、その前に山中峯 ともいうべき太郎の略歴などを書いておこう。 「日本英 雄群像その 山中峯太郎明治十八年鳥取県の呉服商馬淵浅太郎 下」 ( 一九七 の次男として生まれ、大阪の一等軍医山中恒斎の養子 一年四月号 ) となる。幼年学校、陸士をともに首席で卒業。近衛連 で、すでにだ隊の見習士官を経て、陸大入学。陸士時代より士官学 いたいのとこ校の堅苦しい空気を嫌い支那大陸に夢を馳せた。清朝 ろを紹介して打倒を目指す支那の留学生と親交を深め「中国革命同 しまって 盟会」の盟約簿に血判した。この頃から、党首孫文を る。六年も前のことだから、忘れてしまった読者もいる 知るようになる。 にちがいないとは思うのだが、その後、あまり新資料も 大正二年、中国革命参加のため、陸大退学を策して 入手できていないので、どうも同じことをくり返してし成功、朝日新聞通信員の肩書きで支那大陸へ渡り、第 まうような気がして書けないでいたのだ。 二革命に参加した。さらに第三革命では、孫文の参謀 ス が、広瀬さんの紹介文を発見したとなれば、これは、 長を勤めた。帰国後、本格的な文筆生活に入る。 いささか事情が変わってくる。戦前、少年時代に雑誌連 昭和二年から、「少年倶楽部」に、 ューモア少年小 載で本郷義昭を読んで興奮した体験をもっ広瀬さんの文説、冒険小説を執筆。昭和五年「敵中横断三百里」で - - 細章と、・ほくみたいに戦後、大人になってから読んだ人間 圧倒的人気を博した。 の文章では迫力がちがう。 ついで愛国の熱血漢本郷義昭を主人公にした「亜細 2
リバイバル版「太陽の凱歌」表紙 こでふれないことにした。本郷義昭は、我々の思い出の 中の人物なのだ。彼は三十年前、私たちの偶像たった。 そして、彼は今もその地位にいるべきなのである。 結びの言葉を、私は、山中峯太郎の文体を真似て、こ う書きたい。 「本郷、未だ死せす ! 彼は人々の思い出の中に生きて いる」 というのが、広瀬さんの本郷義昭論。広瀬さんのほれ こみぶりが伝わってくる。 それにしても、ほんとうに、ほかの人が書いている紹 介文って、どうして、こうもおもしろいのだろう。これ を読んだら、ますます、本郷義昭が好きになってしまっ こ 0 及ぶところではなかったのである。 などといいつつ、ひどい尻切れとん・ほのまま、今 しかし一方、私のある若い友人は、最返リバイ・ハル版 で、はじめて『亜細亜の曙』を読んだが、ちっとも面白回はここでペンを置く。次回は、もう広瀬さんの紹介文 はないので、また別の人の紹介文をさがしてきて山中峯 くなかったと言ってきた。 : 、 カこれは、あるいは、そう 太郎の作品を追いかけてみることにするつもり。次回は かもしれない。 この小説は、日本が世界の一等国だったころの、大和ちゃんと、締切日が前方に位置する正常空間で原稿を書 くようにしなければ : 魂に燃えた少年たちの読物だったのである。いまの若い 人には、やはり大きな違和感が感じられるのであろう 、刀 少年の日に熱読した『亜細亜の曙』の思い出。それ は、古きよき時代へのノスタルジアにつながる。よき時 代、と私はあえて書く。思い出は美しいものだ。その中 の時代として、例外ではない。たとえそれが、どのよう な時代であろうと。 私は、最返出版された『実録、亜細亜の曙』には、こ ・ドサイま第第けまクイズつき 製、山中峯大郎に作集 十一月号のこのページで、ちょっとしたミスがあ りました。押川春浪原案になるマンガですが、本文 では全力ット ( 四コマ ) を紹介するように書いてあ るのに、手ちがいで第一コマだけしか載せられませ んでした。ここにおわびします。ーーー編集部
「亜細亜の曙」ロ絵ーー - 本郷義昭 れは、どうしても、一度、本や資料をきちんと整理しなや「ギャラントメン」などのメンズマガジンのはしりと ければなるまい ) もいうべき若者向き雑誌だ。 そう思いながら、さて、どんな内容だろうと読みだそ ・ほくが「こてん古典」をはじめたのは七三年のこと、 うとしたが「日本の 007 本郷義昭」の見出しの下のシ広瀬さんが急逝された翌年だ。なんにせよ、・ほくより、 リーズタイトルを見て、二度びつくり。 ずっと早く、こんなサブタイトルをつけていたなんて : な、なんと、「古典古典シリーズ」の文字が目に飛び 。それをいままで知らなかったなんて : そのころは、関係、とくに古典関係の記事であれ こんできたからた。ぼくの「日本 (-.0 こてん古典」とい うタイトルは、ずいぶん考えてつけたもので、われなが ば、ひとつも見逃がしていないというのが自慢だったは クだった。コ。ヒーで ら、うまい命名たと思っていたのに、すでに、広瀬さんずたったのに。ちょっぴり、ショッ がこんなサ・フタイトルをつけた紹介コラムをやっていた持っているということは、その雑誌が発行された時点で はなく、後から誰かに教えてもらったか、コビーを分け いつごろ、なんという雑誌に書かれた文章だろう ? てもらったかだと思うが、記憶にまったく残っていない あわてて、そのコ。ヒーを調べた。すると、端のほうに、 というのはふしぎだ。やつばり、・ほくは締切日を追い越 まちがいなく、ぼくの字で「 6 セプン」と書いてあっしたために異次元空間にまぎれこんでしまったのかも。 ファイ・・フ た。「 6 セプン」 いまから十年以上も前に恒文社ま、それはそれとして、内容を読んでみると、これが から刊行された、現在大流行している「プレイボーイ」たいへん、おもしろい。書いてあることは、いまの・ほく にはすでに知っていることばかりだが、広瀬さんがぼく 同様、もう狂わんばかりに本郷義昭にほれこんで、その 文章をつづっているのが手にとるようにわかって、実に 楽しいのだ。 ( 古典 r-o の紹介って、書いているほうよ り、読んでいるほうが、ずっと楽しいのたなあ。知らな かった。来月からだれか、この「こてん古典」書いてく れないだろうか。そうすりや、タクシーの運ちゃんにい ばられることもなく、たを本屋で買いさえすれ 。いいのだ。もっとも、そうなると原稿料もらえないか ら生活どうするか、まだ考えてないけど ) ・ほくも、この山中峯太郎と「亜細亜の曙」の活躍に代 ・ヒーローには、そう 表される本郷義昭というスー。ハー とうほれこんでいて、一度は「こてん古典」でも紹介し ー 05
コプター、空中電車、怪カ光線、音声信号によるドアの心としてアジア大陸のうちに、機密の活躍を続けていた 開閉、工場におけるックグラウンド・ミ ュージック等のだった。 ~ 百等、これが今から三十年前に書かれた小説とは思えない 日東の剣侠児、と作者は彼を呼ぶ。本郷は熱血の人、 ような物が盛り沢山にあり、『敵中横断三百里』の建川武侠の人。彼は、つねに祖国のこと、アジア同胞のこと 中美次中将、当時のロケット の権威ロく ート・ゴッダートしか考えていない。そして彼は〈覆面の敵、何をかな 博士等実在の人物を作中に登場させて現実味を持たせるす ? 〉なそと、つねに文語体で物を考える四角四面な男 ことも忘れていない。 ( この点もフレ先生、真似してるである。 よね ) ジェームズ・ポンドとの最大の相違点は、彼にはまっ さて、肝心の本郷義昭とは、どんな男か。作中の記述 たく女性関係がないことである。作者は、その代り、配 によれば、年は三十四、五歳、身のたけ高く、割ったらするに少年王子をもってしているため、本郷はホモでは はね返されそうな力に満ちてる。 ないかとの説をなす者があるが、私は帝国陸軍の名誉の 経歴はこうだ。世界大戦 ( もちろん第一次大戦のこと ために、それをとらないことにする。 だ ) のとき、彼は英国軍総司令部にあり、ドイツ大本営 に潜人して、かくれたる偉業をたてた。戦後、祖国日本私は、この一文を書くにあたり、資料として、友人か へしばらく帰り、またも姿を消した。そののち数年、なら昭和七年六月号の少年倶楽部と、数年前、普通社から んそ知らん〈黄天雄〉なる支那人に姿を変え、上海を中出たリ。 ( イバル版の『亜細亜の曙』を借用した。 だ ; 、私はその三冊を読む前に、まずできるだけ昔の 記憶をたどって書いてみることにした。その理由は、私 第を・の頭に残っている本郷義昭のイメージをそこないたくな く、また、そのイメージを、そのままここに書きたかっ ーを第たからである。 そして、原文を引用した箇所を除き、以上の文のほと ーんどを、私はソラで書くことができた。これは、私の記 憶力がいいためでは決してなく、十数年前に読んだ時の 印象が、あまりにも強烈だったからである。 私は、戦時中『亜細亜の曙』を座右の銘としていた人 いずれも、当時の二十代ーーーを二人知っている。青 少年に対する、それほどの影響力を、この小説は持って いたのだ。とても、校長先生の訓辞や、修身の教科書の
″母さん、・ほくのあの五千円札、どうしたんでしよう り敗けると気分的におもしろくない。 ね。ええ、秋、赤坂から青山へ抜ける途中のマージャン ( あのパイはいかさま。ハイだったにちがいない。中に鉛 屋に人るまで、ちゃんと財布の中におさまっていた五千が入っていたのだ。それで、役満があがれなかったの 円札ですよ。 界の愚才ョコジュンが贈る驚異のだ 大作『へタ麻省の証明』。敗けてから払うか、払ってか腹立ちまぎれに、めちやめちゃなことを考えながら、 ら敗けるか″ 駅まできて、さあ、電車に乗って家に帰ろうと思った なーんちゃって。昨日のことた。さつばり、「こてんら、なんと終電の時間をまちがえていて、電車は二分前 古典」の原稿が進まないので、気分転換にマージャンをに発車してしまっていた。 こうなると、家に帰るにはタクシーに乗るしかない。 やった。でも、原稿の書けない時はマージャンもダメな もので大敗を喫してしまった。 電車なら百六十円で帰れるところをタクシーの深夜料金 ・ほくらのマージャン、大敗を契しても五千円札との別 だと二千五百円もかかってしまう。 せつかくしし れ程度ですむから、まあ、ぼくみたいな水呑み作家 ( 水 、原稿を書こうと思ってマージャンをや 呑み百姓の類語と思われるーーー水呑み編集者註 ) でも、 ったのに、これじゃ逆効果だ。七千五百円あれば、古典 そんなに経済的には痛手をこうむらないのだけど、やは 本が一冊買えたのになあ。と、後悔先にたたぬこと 第五十一回日本の 007 本郷義昭 ー 02 : : : : 盟