スコット - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1977年7月号
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1. SFマガジン 1977年7月号

「まだだ」 私は叫び返した。 その足跡のかたちは、私の目前にあるそれとに、びったりと重な 7 「 < ポイントまではすぐた。少くともそこだけは調べる」 っていたのだ。深々と沈み込んだ踵の跡が、それを印した者のおそ 私の決断は冷静さを欠いていたかも知れない。しかし木俣への言るべき体重を示している。 葉は嘘ではなかった。ポイントまで、もう十分もかからなかった 私はほとんど恍惚とそれに見とれていたようである。スコットが ろう。ーー私たちは強引に雪煙をかいくぐって進んだ。 目を上げ、ふいに緊迫した声でいった。 覚えのある岩塊がゴーグルに・ほんやり浮かび上がった瞬間、私の 「あれを見ろ ! : やつは、よろめいている」 胸はすべての不安を忘れて高鳴った。 私は彼の視線を辿った。足跡は、五十センチほどの間隔で続いて 息と胸とをはすませながら足を運んた。スコット がびったり私に いる。五メートルほど向こうで、大きく乱れていた。よろめき、辛 尾いて来るのを感じていた。岩の間に顔を近づけ、肉塊の変化を読うじて体を立て直したかのように、横に逸れ、一部が重な 0 てい み取ろうとした。白く雪が吹き溜ろうとしている肉の山は、たしか た。目を凝らすと、その向こうの足跡も、必ずしも直線を保っては に大きくかき乱されているようである。 しないよう - ・こっこ。 ぐいと肱をつかまれた。振り向いた私に、スコットが無言で岩の 「やつは餌を食った。ーー薬が回り始めたんだ」 北側の雪面を指さした。悪化してゆくゴーグルの視野ごしに、私は スコットは喘ぐようにいった。立ち上がり、雪を蹴散らして、私 い 0 しんに目を凝らした。ーー・何かが点々と雪に刻まれている。稜たちを見守 0 ていたシ = ル。 ( たちの傍に戻 0 た。その一人の肩か 線を、北の斜面へと下って行っている。足跡に紛れもなかった。 ら、ライフルをもぎ取った。私には目もくれず、足跡を追って進み 私とスコットはもつれ合うように進み、足跡の傍に、同時に膝を始めた。 ついた。顔をすりつけるようにして、それを見つめた。 私は茫然と立ち尽していた。とっさにその行動を理解しかねたた 「こいつだ・ : : こ めである。ふいに何かが閃き、私に叫んだ。 スコット・、 , 甲、こ。 「スコット、馬鹿な真似は止せ ! やつに追いつく前に、嵐に巻か 「シ。フトンが撮ったものにそっくりだ」 れるそ ! 」 私もすぐに、あの有名な写真を脳裡に呼び起こしていた。一九五「止めてもむだだ」 エリック・シプトンとマイケル・ウォード が、メンルング叫びが戻って来た。 氷河で撮影した写真。幅三十二センチ、長さ四十五センチの巨大な「こんな機会を、見逃せるか ! 」 足跡。太い親指をふくめ、五本乃至四本の指をそれは示していた。 魔女の悲鳴に似た風の音とともに雪煙が舞い上がり、スコットの 今までに知られた猿、熊、豹、そして人間のものでないことは明白姿を白い闇の中に呑み込んた。

2. SFマガジン 1977年7月号

で考えていた。むしろわれわれにとっては僥倖かも知れぬ。 1 トルの氷河である。猫の目のように変りやすい峻烈な天候の他に 繰り返すようだが、われわれは新たな謎を欲しているわけではなも、雪と岩が織りなす罠が、至るところに仕掛けられているのだ。 いのだ。ただでさえ余裕がない仕事を、さらに混乱させることにな人間の生存と行動が、辛うして許されている環境であることに変わ る。 りはなかった。 おとり 風がおさまったのを見定めてから外へ出、出発の準備をとと囮は、稜線上、谷底、および向かいの山腹の岩場の三か所に、ほ 0 、 のえた。メンノ ・、ーよ私にスコット・ 1 カー、そして緒方だった。 ・ほ五百メートルずつの距離をおいて仕掛けられている。私たちはそ の稜線上のポイントをまず目指していた。 肉の運搬役をつとめるシェル。 ( も、三人が同行することになる。 縦列をつくって、出発した。各目が。ヒッケル、アイゼンに身をか風で、稜線上の新雪は吹きとばされ、凍った万年雪がむき出しに ため、私と緒方はカメラと双眼鏡で、スコットは麻酔弾を装填した なっている。濃いサングラスごしに、蒼みがかってぎらついた雪 ライフルで武装している。アフリカなどで大型獣捕獲用に用いられと、わすかに露出した、ナイフを東ねたような岩峰が見える。 る、即効性の注入針付きカプセルを射ち出すタイプだった。 その岩場の一つに、私たちは近づいて行った。ポイント。 氷河をよぎって、北尾根と呼んでいる右手の稜線にの・ほるまで岩のすき間に、血をまぶされたヤクの頭部と片腿が挾み込んである に、一時間を要した。稜線の向こうは比較的なたらかな斜面を経てのた。 いったん谷になり、突兀とした岩肌がところどころむき出しになっ 先頭のシェレ : 、 ノノ力。ーーーチュンビという名で、シェルバのリーター た、名もない峰の山腹につながっている。 格だーー 、肉塊の傍にひざますいた。次の瞬間、立ち上がって大声 その小さな谷こそ、かってスコットがイエティを見かけた場所たを上げた。 った。目撃時の状況はきわめて悪かったと、スコットはいった。雪「サープ ! 早く ! 」 嵐が吹き荒れ始め、視界が閉ざされつつある時、彼は偶然に、谷の 私たちは可能なかぎりの速度で、彼に近づいた。出来るものなら だが、過激な運動は肺が許さないのだ。 向かいの斜面中腹の、岩棚の一つに立っているものを目に止めたの走りたい チュンビの指し示すものに目を走らせた。腿が、岩陰から半ば引 だ。黒々とうすくまったそのもののかたちは、巨大な猿を一瞬思わ せ、彼を観察しているかのようだった。スコットは、カメラをセッきずり出されている。切り口に近い部分が大きくはじけ、骨が露出 ティングするべく俯向いた。だが三十秒後、カメラを構えつつ再びしている。 目を上げた時には、その姿は消えていた。風は急速に脅威を増し始「イエテイだ」 チュンビがしわがれ声で囁いた。不精髯におおわれた唇が震えて め、彼がその場に止まることを許さぬ状況になっていた。 好天にたすけられ、私たちの前進ははかどった。だがむろん、慎いた。 重なリズムを崩すわけには行かなかった。何といっても標高六千メ「彼が、やって来たんた」 6

3. SFマガジン 1977年7月号

「ーーーやつは、味を試したにすぎない」 るが、神秘な存在として、手をふれずにおきたい気持もはたらいて 私は、岩の回りを見回した。足跡はない。今朝の雪嵐が、埋めて いるのた。充分な報酬が彼らを私たちに協力させているが、感情は 6 しまったらしい 必ずしも承服していない筈である。 かがみ込んで肉を調・ヘていたスコット・、、 カ立ち上がりながらいっ スコット・、 カ仕事をしおえたあと、肉を可能な限り以前の状態に戻 した。すべてにイエティがーーー訪れた者が彼であるとしてーーどれ 「おそらく、肉が新らしすぎたんだ。また、やって来るそ」 ほど飢えているかにかかっている。野性の狼ほどに用心深ければ、 「だといいカ・ : : ・」 罠の気配を嗅ぎつけ、二度と口にしないだろう。私たちとしては、彼 私は呟いた。その声が震えていたとしても、それは恐怖のためでが食欲を最優先させるほどに飢えていることを願うしかなかった。 はなかった。興奮が、私を圧倒していたのである。緒方が、スチー その時、内心の声が、私に振り向けと囁いた。心が無意識に感応 ルカメラを操作し、すばやく餌の状況を撮った。スコットは雪に膝したといってもいい 。不条理な衝動にかられて、私は振り向いた。 をつき、両手からミトンをもどかしげに外してうすい革手袋一枚に 私たちの背後には、谷をへだてて山肌が迫っている。右手に、 なり、ザ〉クをほどいた。平べ「たい長方形のプラスチ , クケースの字形に低くな 0 た鞍部が見える。雪におおわれ、鯨の背のように いただき を取り出した。 のつべりとした鞍部だ。私の目はその頂に吸いつけられた。 私を見上げ、ウインクして見せた。 。こく立ョり 一つの人間がそこに立っていた。黒っ。ほい服を着た 「では、肉の味をよくしてやろう、彼のためにな。ちょいとした調前のスーツとしか思えない , ーー人影だ「た。距離は、直線にして五 味料の注射だ」 百メートルほどのものたったろう。だが私は、冷ややかにこちらを ケースを開けた。中には大型注射器と三本のアン。フルがおさめら観察しているかのような白い顔をはっきりと見たのだ。ーーー繰り返 なかみ れている。アンプルの内容は、アフリカ象ですら昏倒させられるほすが、不可解な獣のすがたではない。明らかに人間だった。それも どの強力な麻酔薬ーーーチオペンタール溶液である。 この高地ではありえない恰好をしている人間だ。 あらかじめ考えてあった作戦の一つだった。イエティを″キャッ すべての思考回路が停止し、私は呼吸をも忘れた。五百メートル チ″するためには、彼の行動の自由を奪う必要がある。むろん、殺彼方の男は、得心が行ったかのように行動を起こした。背をひるが すつもりはない。そのためにはストリキニーネを注射すればすむ。 えしたと思うと、二秒後にはその姿は鞍部の向こうに消えていた。 ちょう 狙いは、反撃される危険なしに彼に接近することだった 心ゆく「どうしたんだ、長さん」 ままに撮影出来る距離までた。 緒方の声が聞こえた。彼は、長田をもじって、時に私をそう呼ぶ スコットの作業を、シェル。 ( たちは顔をこわばらせながら見守っのである。 ていた。イエティは彼らにとって複雑な存在である。畏怖してもい 「何か、見えたのか ? 」 おさだ

4. SFマガジン 1977年7月号

私は、との話し合いが成立した直後、その友人に彼に接触たとえ一片でもいいから入手したいという願望にもえていた。 ・こ、、、、私には時間が無限に与えられているわけではなかった。日 6 してもらった。そしてチームに参加してもらう約東を取り付けたの 本出発以来、現地に入るまでに十日を要している。体力とのからみ である。 私たちは、モンスーンの終わるのを待ちかねて、インドへと飛んもあり、氷河での調査は、予め一週間と定められていたーー・・・そのう だ。チームは、四人だった。ーー隊長である私、長田治、番組制作班でちすでに三日が過ぎ去っている。 かってスコットがイエティらしきものを目撃した氷河沿いの尾根 ある緒方と新見。緒方はマネジメントもかねている。そして私のサポ ート役である木俣。彼は大学山岳部での私の二年後輩で、気ごころの筋の、三か所のポイントに、苦労して曳いてきたヤクの生肉をばら こんたん 知れた仲であり、七千メートル級の峰をいくつか征服している練達まいた。肉食するとされているイエティを引きつけようという魂胆 のアル。ヒニストだった。私がとくに望み、チームに加えたのだった。 だった。素朴にすぎる手段たったが、他に手だてはなかった。 スコット・ ーカーとはニューデリーで落ち合い、小型機をチャ彼がもし″食につけば″、撮影のための待ち伏せ作戦が展開される。 テーラドンへ飛んで、そこでたが、目下のところ、餌に手を付けられた様子はなかったのだ。 ーターして、シワリク丘陵の麓の町、・ キャラ・ハンを組織し、大ガンジス川の源流をさかの・ほって、ナンダ 「明日は、私が餌を調べに行く」 デヴィ山地へと向かったのである。 スコット・ カ . 1 ー、力し / イエティの姿をカメラにおさめる。 それが不可能であれば、 「もし手つかすのようであれば、餌を移動させよう。その場所も考 足跡や糞など、その生存の根拠を撮影する。それが私たちの目的だえてある」 ムま頁、こ。 った。一九五一年にイギリス人登山家、シ。フトンとウォードが 工↑、ー《日し / ンルング氷河で奇妙な足跡を発見して以来、多くの論争が繰り返さ 「他に、出来ることはなさそうだな」 れて来た問題に、いちおうの終止符を打つつもりたったのだ。 「一つある、サム」 しわざ ヒラリーを初めと むろん、ロでいうほど生易しい仕業ではない。 スコットよ、つこ。 「やつが現われるよう、祈ることさ」 する多くの探険家が、その正体を見きわめようと努力し、いすれも 空しい結果に終った。蓄積された情報により、およそ三種類のイエ ティが生存していることがほ・ほ確認されるに至ったが、決定的な証 3 拠は上がっていないのである。 、ツシソ . グ・リ / ク 翌日は、正午すぎから活動を開始した。午前中いつばい、雪嵐が それに、失われた環を埋める原人の生き残りなのか、あるいは食 や類人猿などの大型二足歩行獣なのか、または隠棲した僧がその姿吹き続き、テントに封じ止められたままだったのだ。例の足跡も消 えることになると、私はテントの中でノートをつけながら、頭の隅 を見誤られたものなのか : : : 私はその輪郭をつかむ具体的証拠を、 リー・ト、

5. SFマガジン 1977年7月号

ライフルの手入れに打ち込んでいた。分解した機関部に、ランプの 私は、彼を見返った。おそらく、夢から醒めた者に似た仕草だっ たろう。彼の訝しげな目をサングラスごしに見つめ、ロをひらきか熱に融かしたグリースを丹念に塗「ている。麻酔銃ではなく、ポル トアクション。大口径の狩猟ライフルだった。 けた。だが、言葉にはならなかった。 言が、私の見たものを信じるだろう。幻覚か、あるいは白日夢を隊員のテントは二つに分かれていた。私とス = ' トの二人、そし て後の三人が、それそれ一つテントに寝ていたのた。 見たと思われるに決まっている。 心に囁く声があった。あの男がつけたも「 : : : 明日は、それを持って行くつもりかね ? 」 ・こが、あの足跡よ ? : : : 、 のではないのか。私はかぶりを振「た。たしかに 1 足す 1 は 2 だろ私は声をかけた。ス「 ' トは手を休めず、無言で頷いた。 「たが、本気で射っ気じゃないだろうな。やつは、その辺にいる羚 う。だが、その計算自体が、受け入れがたいのだ。 しか 羊とは、訳がちがうんだぜ」 「何でもない : 「用心のためだ、サム」 私はにやりと笑って見せた。 銃に目を向けたまま、うっそりといった。 「何かが、動いたような気がしただけだ。気がたかぶっているせい 「イエティの兇暴性が、伝説化していることは君も知っている筈 だろうな」 だ。やつが事実、大型の熊か、あるいはギガントピチクスの生き残 「そいつはこっちも同じた」 りたとしたら、素手でもあっさりとおれたちを引き裂く力を持って 緒方は呟いた。 おれは、やつの力を自分の体で試したくはない」 いるだろう。 「世界の果てまで米た苦労が、どうやら酬われそうなんた。 私は沈黙した。十秒後、再び口を切った。 ちついていられる方が、どうかしている」 : 君にいちどに訊きたいと思っていた。なぜ君は、 「スコット。 「さて、諸君」 それほどイエティにご執心なんだ ? 」 スコット・ ーカーが私たちに肩を並べていった。 彼と行動を共にするようになってから十日以上経っており、同し 「次の餌場へ移動するとしよう」 テントに起き伏してはいるが、私はいっさい彼について詳しいとは いえなかった。 4 イギリスの上流階級の生まれであり、食うために働く必要のない ウイス身分であることは、カトマンズの友人から聞いていた。大学を出て 私は、寝袋の中でしごく窮屈な寝返りを打った。 キーの力を借りて、眠ろうとしたのだが、どうやら無理らしい。体からイギリスを飛び出し、世界の辺境を彷徨し続けたらしい。射撃 の腕もたしかたと思われるし、肝もすわっている。 は疲れ切っているが、頭の芯が異様に火照っているためである。 要するにいささか遅く生まれすぎた、典型的イギリス人冒険家の 目を上げ、スコットを眺めた。彼は下半身だけを寝袋にくるみ、 人リーどノグ・ハッゲ お 7 6

6. SFマガジン 1977年7月号

側へ新たなルートを辿って氷河へと戻る途中、尾根の稜線上の処女ね ? 」 雪の上に、これを見つけたのだという。 私は胸のうちで頷いた。たしかに私たちは、新らしい謎を発見す 彼らの心臓は一瞬おどり上がった。われわれの追い求めていた相るためにこのヒマラヤ山地に分け入ったのではない。すでにあまね イエチイ 手のそれに出くわしたのかと思ったのだ。だが、足跡のかたちを見く知られた謎ーー雪男と呼ばれる未知の動物の姿をとらえるため きわめた時、興奮は困惑と茫然たる思いに変った。イエティの足跡に、巨額の費用と厖大な準備期間を投入し、このジョシマ氷河まで であるならばよろこんで受け入れたろう。だがそれは、さらに信じゃって来たのだ。 られぬたぐいのしろものたったのである。 他人は、私を″雪男狂い″と呼ぶ。テレビ・ディレクターという ノエレ。、 ; 、 ノ / カ悪戯をしたということは考えられませんか ? 」安定し、かっ華やかな職をなげうち、退職金をはたいて。フライベー 咳払いしながら、新見がいった。やはりテレビ局派遣のカメラマトな探険隊を組織しーーー私と二人のシェルバという、小チームだっ ンで、年齢は二十五と最年少だが、タフで陽気な青年だった。 二度もヒマラヤ山地を歩き回った。 「あるいは、他の探険隊が近くで活動しており、彼らの足跡である いずれももののみごとに失敗し、帰国した。三度目の遠征の費用 という可能性は ? 」 を捻出するために、なれぬペンを持って、探険記を書き下ろそうと 「両方とも、答えはノーたな」 していた私に、 > が目をつけた。オカルトや 0 など、一連 私はきつばりといっこ。 の前衛科学ドキュメンタリー制作に意欲をもやしていたこの局は、 「シェルバたちにはそんな暇はない。それにここはエベレストやマイエティ探しが好個の素材だと踏んだのだろう。同局の番組制作ス ナスル、アンナプルナといったヒマラヤ銀座じゃない。他の登山隊タッフを加えた探険チームを組織しないかと持ちかけて来た。むろ や探険隊が人っているとすれば、麓でその噂を聞き洩らすことはなん、全費用は、負担するという。 い筈だ。 私は乗った。私は金が必要たったし、彼らには私という一種のタ : こいつはわれわれの知らない何者かの足跡た。イエティでは レントが必要たった。おたがい損な取引ではなかったのだ。 なく、靴をはいた文明人のな」 それに、今度は私にもいささかの成算があった。二度目の探険行 「私の意見をいってもいいかね ? 」 に失敗し、帰国した直後、カトマンズ在住の友人から、耳寄りな情 っ スコット・ ーカーというイギリス人のアルビニス ーカーが、火の点いていないパイプを、ゆっくりと報を人手した。スコット・ トであり冒険家でもある男が、インド北端のナンダデヴィ山麓の氷 口から離しながら日本語でいった。彼は二年ほど日本に遊学してい イエティ たことがあり、流暢な日本語を話すのた。 河で、雪男らしきものを目撃したというのである。 スコット・ 「これがイエティの足跡でないとすれば、これ以上の議論はむたと ーカーはその後カトマンズに移り、再度中部ヒマラ 3 いうものだ。われわれの真の目的に、関心を戻す・ヘきではないのかャ奥地を調査する計画を練っているという。 ふもと

7. SFマガジン 1977年7月号

んでいたのである。シェルバのうち二人だけを残し、全員がキャン プを出発した。緒方と新見は、撮影機材を負い、スコット・ ーはライフルをシェルバに持たせ、自分は麻酔銃を肩にしていた。 私は、双眼鏡とカメラという軽装で、先頭に立ち、 << ポイントに向 ・カノ だが、チェンビの予言は、出発後二時間と経たぬうちに実現しょ うとしていた。風が、氷河の南から吹き上げ、稜線をトラバ はげし つつある私たちに、雪煙が襲いかかり始めたのである。 い雪煙は私たちをしばしばよろめかせ、盲目にすらさせようとして 「ーーー引き返そうー ゴーグルをはめた顔を近寄せて、ついに木俣が叫んだ。 「これ以上進むと危険た。全員が、迷子になる」 いツ 0 0 ・ 6

8. SFマガジン 1977年7月号

一面をそなえていることは疑いない。たがそれたけで割り切れる人やつは、おれに挑戦している。おれをつかまえて見ろと、叫んで 間なのかどうか、私には自信がなかった。 いる。ヒマラヤに初めて入って以来、その叫びが耳にこびりついて 6 「そういうあんたはどうなんだ ? 」 離れないのた。 スコトが、おだやかに説ね返した。 おれは、やつを征服したいのさ、サム。この目で正体を見届ける 「おれか : : : 」 ことによってな。そいつが、おれの答えだ」 私は東の間、ためらった。私自身にとってもまともに受け止めが私は頷いた。ゆっくりと付け加えた。 たいたぐいの質問だった。 ゆっくりと、言葉を紡いだ。 「一つだけ約東してほしい、スコット。ライフルは持って行っても 「おれには、やつの孤独が気にかかる。やつが何者にせよ、ひどく かまわない。だが、発砲はひかえてもらいたいんだ。 ル一くとも 孤独にちがいないと思うんだ。やつは、群れを持たない。番いで暮おれが許可するまではな。 らしているにしても、ヒマラヤは広すぎる。雪と氷と岩と、・フリザ これは、隊長としての命令た」 ・ : そして太陽と星空だけの世界た。 「分かった」 おれたちには、とてもそんな世界で暮らせはしない。淋しさで発彼はわすかに黄ばんた歯を見せた。 狂しちまうだろう。 「隊長は君だ。そいつを忘れるつもりはないさ」 いんせい やつは生まれながらに隠棲を好むのか、それとも何かがやつを孤 独に耐えさせているのか : : : おれはそれを知りたい。 5 やつをこの目で見ることによって、そいつをつかみたいんた。た とえ後姿だけでもいい 。やつの想いが、そこから汲み取れる筈だ。 翌日は、珍しいほどの好天だった。夜間に新雪も積っていず、ラ そのために、何としてもやつを撮りたいんた」 ッセルの必要もない。 ーフェクト 「みごとな答えだ。満点をやれるな」 だが出発間際に、空を見渡しているチェンビの表情が気にかか スコットは呟いた。 、私は訓ねた。 「だが、おれの答えは少しちがう。 : 正直にいおう。おれにとっ 「どうした、チェンビ ? 今日は崩れそうもない天気じゃないか」 ては、やつは山と同じだ。やつは処女峰た。誰かに登られ、名を付チ = ンビはゆっくりかぶりを振り、南の山々のスカイライン近く けられるのを待っている未知の頂だ。 をせわしなく動いている天色の雲塊を指さした。 ヒラリーはエベレストを征服したが、やつを征服は出来なかっ 「あれが気になります、サ 1 ・フ。昼から嵐になるかも知れません あれほど熱望したにもかかわらすた。おれは、ヒラリーに 不可能だった仕事をなしとげたいのだ。 だが私はあっさりと頷いただけだった。心はすでに、餌場へと飛

9. SFマガジン 1977年7月号

かも覚束なかった。今や、立ち止まることの恐怖が、私を前へと推 私は仲間たちを振り返って、叫んだ。 し進めていた。 「君たちはキャンプに戻れ。おれは、彼を連れ戻す」 ふいに、白い壁の向こうから、鋭い硬質な音がとどろいた。銃声 返事も待たす、ザックを脱ぎすてた。。ヒッケルだけを握りしめ、 だった。一発、二発。私の意識は空白になった。それが意味するも 雪煙を衝いて、進み始めた。 誰のものとも知れぬくぐもった叫びが、背中で聞えた。だが私にのを、理性は認めたくなかったのだ。 振り向かなかった。そうすれば、二度と進む勇気を失うだろうこと彼は、タブーを犯そうとしているー スコットは、狂いつつある。 立ち止まり、私は文字通り絶叫した。 を、直観的にさとっていたのだ。 わけ その理由も、私には分かっていた。彼は、情念たけの存在に化そう「スコット だが手応えはなかった。それは、狂奔する風にとらえられてあっ としているのだ。 このさささりと引き裂かれ、むなしく空に四散したかのようである。 そして私には、彼をぶじに連れ戻す義務があった。 私の意識は煮えたぎる焦燥感で充たされた。無意識に一歩踏み出 やかなチームのリーダーとして。 ふいに足もとが揺らぎ、体があっけなく宙に投げ そうとした。 私は彼を追った。しかし狂気に高揚した彼の足どりは速く、追い出された。おそらく私は雪庇の上に近づいていたにちがいない。雪 すがることは不可能だった。ものの五十メートルも進まぬうちに、 の罠の一つに、気付かぬ間にくわえ込まれていたのだ。 たけ・フリザー それまで見え隠れしていた彼の後姿は、咆え猛る雪嵐の壁の向こう私は再び絶叫した。絶叫しつつ雪塊とともに無限の空間に雪崩れ おちて行った。・ に呑み込まれてしまった。 しかし足を止めるわけには行かなかった。私が彼を見殺せば、そ 6 の運命はあまりにも見えすいている。二度とキャン。フに戻ることは 出来ないだろう。 直感にたより、やみくもに進んた。自分が侵してはならぬ行動の私は呻いた。苦痛からではなく、心地よさからだった。母親の懐 境界を越えつつあることをさとってはいたが、自己保存本能以上のに抱かれているような甘い温もりが、凍りついた私の体を、芯から 暖めようとしている。 ものが、私を駆り立てていた。 私は再び身も心も宙に浮くのを感じた。生きることのすべての苦 筋肉の燃焼にその働きが追いっかず、肺は熱く灼け始め、心臓は しつこく はげしいドラムビートを奏で始めている。私自身が生存を賭けてい渋、桎梏を忘れ、その温もりに自分をゆだねて行った : ・ しかし甘美なたゆたいは永遠には続かなかった。自意識はおのす るその肉体の叫びは、雪嵐の咆哮をも圧していた。ーーーすでに、時 間と距離感覚とがうすれつつあった。彼の跡を正確に辿っているのから表層に向かって上昇し続け、私はついに自我をーーー現実感覚を っ せつび 7

10. SFマガジン 1977年7月号

ムよ 1 、こ。 取り戻した・ 瞼をうっすらと開いた。自分の置かれた立場が、やがて呑み込め「ありがとう。 スコットは、どうなりました ? 」 て来た。驚きはなかった。ーーすでに私はそのような生理的感覚か「あの、武器を持った男のことですか ? 」 ら無縁になっていたのである。 みごとな日本語が返って来た。 , ・ーーあな 私の下半身は、硬く凍った岩肌の上に横たえられている。そして「分かりません。あるいは彼が始末したのかも知れない。 上体は、逞ましい腕と広い胸を持っ肉体に抱きかかえられていた砂 たを救えたのも、じつは偶然なのです。 私を温め続けて来たものはその肉体だ。人間の通常の体温以上のも あなたが雪崩に巻き込まれて落ちて来た谷のすぐ近くで、私は休 のをそれは発していた。その深奥に、超小型原子炉にも比す・ヘき熱息していました。あなたの呻きを聞き、すぐに掘り起こしたので 源を秘めているかのようだった。 私はすなわち、太陽に抱かれす。あなたは、長いこと眠っていました。・ ていたのだ。 私はぎごちなく頷いた。 私のおぼろな網膜に一つの顔が映った。銀いろの光に照らされた「あなたは、いったいどなたです ? 」 顔だった。その上方には、やはり白々と輝く、低く迫る岩肌が見え 「私の名はエナリ る。 は、そう名乗り続けて来ました」 私たちのいる場所は、ごく狭い洞穴の洞ロのようだった。彼は私「なるほど : : : 」 を抱いてその洞口にうずくまっている。月光を浴びながら、茫然と私は再び微笑した。 目を外に放っているのだった。 「では、あなたは宇宙から来たのですね ? 」 ぞうさく 振り仰ぐ角度からも、彼の容貌の、不自然なまでに整った造作が 「そう」 見えた。白人ともアジア人ともっかぬ、おだやかで瞑想的な顔だっ この私を、救うためにですか ? 」 こ。ーー・胸元に白いシャツが無造作にのそいている。その体を包ん 今度は、彼が微笑したようである。 でいるのは、ごくうすい服のようである。 「そう、結果としてはそうなりました。でも、本来の目的は別にあ 畏敬の念がごく自然に湧き上がって来た。私は我知らず微笑んる。ーーー私は、この惑星を観察するために来たのです。人類と呼ば た。彼が人間を超えた存在であることを、私はためらいなく認識しれる二足歩行動物の営みを。彼らの文明の、栄光と悲惨とをつぶさ ようとしていた。 に観るために、派遣されて来ました」 私の目覚めに気付いたらしい。彼は顔を俯向けた。ふかい湖水の 「 : : : どこから ? 」 こたえ 静謐さをたたえた目が、私を見下ろした。 「その回答はおそらくあなたの理解を絶している。ただ宇宙からと 「私を、救ってくれたのですね ? 」 申し上げておきましよう」 この惑星を、訪れてから っ ~ 7