「あらなぜ、そんな ? ただ倒れただけだって、大家のおばさん ″証明します、私が星男だということを ″では、もう行って。今度からは、手ぶらでやって来ても逢ってあ 3 3 げないわよ : 「自殺でもしそうな様子だったよ、あれはーー女、ってとこか」 「いやな言い方するのね。でも確かに、前によく来てたきれいな女そういうわけで、その夜水番が巨木の根もとにやってきた時、星 の人、最近顔を見ないわ」 男はいつもの枝の先端で、天を仰いで嘆息していた。 「どうせそんなところだ、世の中ってのは」 ″星がいるんだって ? 自分が星男だというあかしに ? / 「 : : : そういう独断的な言い方って、私きらい」 話を聞いた水番は、膝を叩いて笑い転げた。 「自分だけは違うと言いたいんだな。たからいつも窓の外ばかり見″どうしても星がいるんだ。この木に、星を実らせなくてはならな ているー 枯れた繁みの先端を仰いで、星男は再び嘆息した。″星など持っ . ていかなくても私が星男であることに違いはないが、眼に見えるあ かしがなくてはあのひとは承知してくれない : ″星をひとつ、私に持ってきて″ 奈落を隔てた欄干にもたれて、女が言った。 ″確信ありげに言うけれど、おまえが本当に星男だという確証はあ ″ひとっ持ってきたら、この露台に一緒にすわらせてあげる。ふたるのか ? ″ つなら、この顔に触れてもいし 。三つなら : ・ 虚をつかれて、星男は振りむいた。水番はずるそうに眼を輝かせ ″私のものになってくれるんですねー て杖にもたれていた。 星男は叫んた。クレルンデスネ、クレルンデスネ、デスネ、デス な・せ自分が星男だと言えるんだ ? 誰がそう言った ? ″ ネーー声が幾重にも反響しながら虚空へ転がり落ちていく。 しかし、私は生まれた時から星男だった : ″そう、星を持ってきたらね 生まれた時から ? 両親は星だったとでも言うのか ? 天の上 白い三角形の顔がかすかにゆがみ、揶揄うように揺れた。″太陽で、星に囲まれて生まれ落ちたのか ? の光のような下品な色あいではない、黄銅鉱のように煌く星を持っ ″私は , ーーー私は気づいた時にはこの木の上に住んでいた てきたならば″ 星男は額に手をあてた。″その前のことは何も知らない ″きっと持ってきます、いちばん綺麗に輝く星を″ あやしいな。自分で思いこんでいただけなんじないか。 , ″何も持たすに来たのでは駄目よ。おまえが本当に星男だと証明で違うー きなくては駄目。星男ではないただの男などに、身をまかせることやみくもに星男は幹をよじ登り始めた。″私は星男た はできないわみ 薄笑いを浮かべた水番が、その背中に声をかける。 が」
中心にある星は核星 と呼ばれ、青白色に輝星をつないで、人は、星座と呼ぶ。 く小さな星である。温そうして、そのようなものは、さまざまの伝説 度はきわめて高いが、 に、いろどられている。 その割に光隻はく、 星や、星座といえば、何となく美しいロマンを 信 通 すでに老年期に入った感じられる方もあろう。しかし私は、星座を生み 白色矮星たと思われだした古代ビ。 = アの荒野や、 = ジ。フトの砂漠 る。 を思うとき、そのようなきびしい世界に生きた人 景 全環の正体は、純然た人の心の中にあ「た、酷烈なものに突き当たらざ″ 座るガス雲である。このるをえない。 と ガス雲は自ら発光するそうしていま、私が思うのは、なぜ星々が数十 力はもたず、中心にあ億年にもわたって生き続けるのに、この美しい惑″ る核星の、強力な紫外星上に生を受けた私たち人間が、たかだか百年に″ 線を反射して輝いていも充たぬ束の間の生涯を終らなければならない るものだ。 か、 A 」い、つこレ」 ~ 。 おそらく、かって、核星はもっと大きく、強烈 なのである。 窓ガラスの向こうに、ついこの間まで、 ( ダカ″ そうしてまた、大朝」遠鏡の力を借りるなら、こな光を四方の空間に放「ていたことだろう。星のも同然だ「た柿の木が、つややかな緑の葉を広 ″と座随一の眺めは、なんとい「ても、ガン「星と内部での核反応が進んで、この星は、一大爆発をげ、何かをささやきかけている。その上には、竹 ペータ星の中間あたりにある環状星雲五ヒの姿起こしたにちがいない。 の葉が広がっている。 ″である。 そのとき、凄まじい勢いで飛び散「たガス体日が暮れれば、それらのさらに上方の、手のと″ さながら、気まぐれな人間が吹き上げたタ、、 ( 「が、いまも、このような姿で、宇宙の空間に広がどかぬところに、星がまたたくのであろう。そう の輪よろしく、ふわふわと、宇宙を漂っている。 りつつあるというわけである。 してそのはるか下の、地球という惑星の家々の中″ 真ん中に星が一つあ「て、その周りを、光の雲 一方、中心の星は、小さくし・ほんで、徴かな残では、人々が今宵も、愛し、憎しみ : ・ : ・自らの連 光を放ちながら、空間に余影を留めているのだ。命の先も知らずに、暮らしている。 ″が、リング状に取りまいている。 写真では、環の中に星が二つ姿を見せている この五七の直径は、ほぼ七万天文単位。つま これは、どういうことであろうかー ″が、この星雲と関わりがあるのは、中心に位置すり地球・太陽間の七万倍という途方もないもの ″る青い星だ。環の近くにある星は、黄色の光を放だ。そして分光分析によると、中心星から四方八 ″ち、たまたまこの位置に人ってきた別な系の星に方へ、秒速およそ一九キロメートルの速度で、膨 すぎない。 張していることが分かっている。 224
いまの北極星のそれよりもかなり大きい 織女星のことを、西洋ではヴ = ガという。アラれは、 遠鏡を操作していた吉村公一氏が、 が、何しろ、全大で第一二位の明るさだから、天の″ ビア語で「落ちゅくワシ」という意味である。 ″「ガリレオ衛星が、ばっちり見えますよ」 という。それで、私は安心した。東京から、わ古代ギリシアの人々は、このヴ = ガと、そのや北極付近にあ「て、ひときわ鮃やかに輝き、り 0 ″ ″ざわざ大勢の人たちを連れてきたかいがあ「たとや下にあ 0 て平行四辺形を描いている四つの星とばに北極星としての役目を果すだろう。 このヴェガを初めとして、こと座には、興味深 を、楽人ォルフエウスが愛し、常にかぎならして ″思ったからだ。 、うま いた、たて琴に見たて、こと座と名づけたわけでい天体が幾つかある。 上星の環が、素晴らしく見えたことは、し たとえば、眼のいい人なら、ヴ = ガの隣にある ある。 でもない。 ( その夜は、一一次会、 = 一次会と宴が進み、寝たの夏の宵、涼やかな風の下で、青白く輝くその光二 0 の五等星イプシ一 1 と同じく 2 を見 0 ける ~ を見詰めていると、実際、まるで天上からオルフことができよう。この二つの星は、お互いの共通 は午前一一時過ぎであった。 そうして次の朝、眼をさました私は、窓の外 = ウスのかきならす妙なる調べが響いてくるようの重心のまわりを公転している二亜星系である。 ところがととを、望遠鏡で見ると、なんと″ に、一面の銀世界を見た。粉雪が舞い、それは吹な、そんな気がしないこともない。 この二つの星の各々がまた、二重星を形成してい ヴェガの光度は〇・〇等で、シリウスやカノー 雪となり、ホテルの外の空間を、斜めに通り過ぎ 。フスについで、全天で三番目にあかるい星であるのだ。つまりこと座のイプシロン星は四重星系 て行った。 そこは霧ガ峰とはいうが、標高一九〇〇メートる。 青白い輝きが物語っている ″ルをこえる車山の山頂たったのである : けれども春の雪は、淡く、うっすらと野山をおように、この星の表面温度は おっただけで、昼近く、私たちが帰る頃には、すきわめて高く、一万度くらい とみられている。 ″つかり空も晴れ上がっていた。 ″そうして、春は、またたくまに過ぎ、桜は散直径は私たちの太陽の二倍 ″り、私の庭では、ニョキ = ョキと生えたモウソウ半、真の明るさは、太陽のそ ″の竹の子が、空に向かって、一気に伸びていつれの四〇倍にも達する大きな 星で、私たちからは二六光年 の距離にある。かなり近い星 やがて、夏がくる。 ″その夏の初めの夜空に、まっさきに姿を現わすである。 ーしまカ のは、天の川をはさんで向かいあった織女星と牽それに、この星よ、、 ″牛星、それから川の中ほどに輝くデネプの、三つらおよそ一万二千年後には、 天の北極に近づき、北極星に ″の輝星である。 これらは、すぐ眼につき、夜空に大きな三角形なることが知られている。 天の北極点からの位置のず ″をつくるので、「夏の三角」と呼ばれている。 こと座の環状星雲 M57 い S 通信 ) 2 2 3
「数学的に特異な面の存在については、むろんシュヴァルッシルト 「で、なにがきっかけでシ = ヴァルッシルトの障壁と・フラックホー も気づいていた。中心の質量が小さくて重いと、脱出速度が光速と ルとが物理的に結びつけられるようになったの ? 」 じになってしまう球面ーーこの球面の存在は相対論とは関係なし ヒノは、立体スクリーンの中に、なにやら怪しげな地表を見せて にラブラスが十八世紀末に指摘しているわけだが ができてしま いる《プラックホール惑星》をにらみながら、じれた声をだした。 その内側に入ると、式の上で、時間と空間が入れかわる。ま シオダはゆっくりとブラックのコーヒーをすすった。 に、外部から物体をその面にむけて投げつけると、面に近づくほど「それは、天文学の発達によって、重い高密度の星が次々と発見さ 吋間が遅くなり、その面では時間が停止し、外部にいる人からは、 れるようになったからた。つまり、重い星の新発見と星の進化論の 水遠にその面に到達しないように見える。この面が有名なシ = ヴァ発展がきっかけだったんだ」 ルッシルトの障壁球面であり、その半径がシ = ヴァルッシルトの半「ふうん。分かるような気もするな」 住とのちに呼ばれるようになったものた。シ = ヴァルッシルトはし「最初見つかったのは、白色矮星た。主系列の星と全然別の所にプ かし、このふしぎな面を物理的に存在し得ないものと考え、シ、ヴロットされる、この小さくて超高密度の星が発見された時、多くの アルッシルトの球面ができない程度の重さの星しかこの世にあり得天文学者や物理学者は困惑し、そして猛然と研究をはじめた。量子 いとして、簡単な計算をし、それで一応満足した。シ、ヴァルッカ学の知識が星の解明に動員された。なにしろ、直径が月と同じく ゾルトの半径は太陽の場合、約三キロメートルとなる。これは実際らいで、太陽の百万倍も高密度の星だからね。大変なさわぎだった の太陽の半径の二十万分の一以下でしかない。したがって、シ = ヴらしい。太陽くらいの大きさの星のなれの果てだろうってことで、 アルッシルトの球面を存在させるためには、太陽を二十万分の一以落ち着いたらしいんだが : : : 」 「に圧縮しなければならない。これはもう、べらぼうな高密度た。 「それから中性子星やパルサーが出てきたんだな。思い出してきた ソュヴァルッシルトが長生きしていたら、その後どんな考察を発表ぞ」 したか分からないが、当時の彼が、この問題を物理的に避けて通っ 「そういうことだ」シオダはにつこりした。「一九六〇年代に、パ にのは、あたりまえのことと言えるね。それから、アインシュタイ ルス的な電波を出すふしぎな星が発見された。はじめの頃は、宇宙 / 自身も、この特異な球面については、たいして興味を示さなかつ人からの信号ではないかと騒がれたが、研究の結果、自転する中性 にらしい。重力波の計算なんかは、やっていたがね。しかし、この子星だということが分かってきた。これは、重い星が超新星となっ 坏面の発見こそ、・フラックホール研究の歴史の第一歩だったのだ。 て爆発した際の芯にあたる部分が残ったもので、あんまり高密度な ) まり、星が自分の重力でどんどん収縮して、半径が小さくなり、 ので、内部が中性子ばっかりになってしまっている。半径がたかた いにこの障壁の内部に入りこんでしまったとき、これすなわちプか十キロメートル程度で、密度が太陽の百万倍のそのまた百万倍以 ノックホールの誕生ということになるからだ」 上もあるというんたからすごい。さて、この白色矮星や中性子星が 8 9
・カ それが、あらゆる力に打ちかち、中心に向かっ ( て働くとき、丸い球体としての星が生まれる。し かし、私たちは、現実に、ひとたび生まれた星 連載に が、長い進化のあとに爆発し、そのエネルギー が、万有引力をしのいで、いまも外方へ向かって″ ・・それは、夏の夜空に光る七夕の星、ーー織女星の ある、こと座の環状星雲であり、あるいは、晩秋″ ←の東の空に昇る、おうし座のかに星雲などだ。 内方と外方と そこにまた、天体の連命も分かれる。 一方は、あくまでも集積して、高密度の丸い星 高温、高圧を背景に、核融合反応を起こし、自らとなり、他方は、どんどん宇宙に拡散して、ます ます薄いガス雲となる。 四方の空間へ熱と光を放っ恒星となった。 そうでないものは、光を放射する力のない惑星 このガス雲とは、銀河星雲と呼ばれているもの ″星とは、何であろうか。 そんな、阿呆のようなことを、この頃は、しみや、衛星にとどまったわけである。木星のほとんで、アンドロメダ星雲のような、千億の恒星の大 どは、太陽と同しように、水素からできている。集団である銀河系外星雲とは、別の存在である。 ″じみと考える。 星は、丸い。球体である。 もし、木星が恒星となっていたら、太陽系は二 太陽のような恒星も、地球のような惑星も、そ重星系として、宇宙に輝いたわけで、そのような 春の末に、「星を見る会」というのを催し、 ″のことに変りはない。だが、な・せ、丸いのだろう場合、地球や人間が、いまのような形で存在しえ信州の霧ガ峰へ行った。 たという保証は、まったくない。 薄雲がかかり、それに赤いタ陽が映えたりし たぶん、太陽系は、いまとは、全然、違った姿て、それはそれなりに美しかったが、私は、天気 一昔前の私なら、 で、この虚空を運動していたことだろう。木星がを気にしていた。 「それは、万有引力のせいさ」 ″と、簡単に片づけたであろう。確かに、私たち恒星となりうるためによ、、 。しまの一〇〇倍以上も参会者およそ五十人。そのほとんどの人たち″ の太陽や地球が生まれたのは、おびただしい星間の、物質を集めることが必要だったのである。 は、望遠鏡で、惑星を見ることを期待していたか 物質が集積し、万有引力によって収縮したためでそこに太陽系の連命が分かれ、その一つの帰結らである。 として、私たち人間の存在がある。 午後八時すぎ、月のあたりには、雲がかかって ある。 いったい、何であろう だが、万有引力とは、 いたが、木星や上星の付近は、奇跡的に晴れ、望 集積した物質の量の多いものは、内部に生じた こと座の環状星雲 星座の歳時記 日下実男 フォト / 佐治嘉隆 2 2 2
・フラックホール発見へとつながるわけなんだが、この時期に明らか輻射によって物質を吹き飛ばすとかいった影響で星の質量が必ず太 にされた重要な物理的事実は、こういった超高密度星には、質量に陽質量程度以下に減少するのでなければ、この重力収縮は無限につ 上限があるってことだ」 づくであろう。この論文では、この過程を記述する重力方程式の解 について調べる。第一節では、収縮がすすむにつれて計量テンソル 「つまり、ある質量より大きな質量だと、白色矮星や中性子星とし がどう振舞うかについて一般的かっ定性的議論をする。星の半径は て存在しつづけることが不可能だってわけさ」 漸近的に重力半径 ( シュヴァルッシルト半径 ) に近づく。星の表面 「・フラックホールだな ! 」 から出る光はしだいに赤くなり、たぶん狭い角度方向に出た光のみ ヒノが嬉しそうな声で叫んだ。 が外に出られるようになる。第二節では、星の内部での圧力が無視 「まあ、そういうことになる」 できる場合について、上のような結果を示す重力方程式の解析的解 シオダは、実に悠々とした態度でうなずいた。 を見出す。星の物質といっしょに運動している観測者にとっては崩 「一九七〇年代に入って、電波天文学と線天文学の威力によっいの時間い有限であるが、外部にいる観測者は星の半径がその重力 て、・フラックホールが間接的に発見され、一九八〇年代になって直半径まで漸近的に近づいていくように観測する』 ( 佐藤文隆・訳 ) 接的に確認されたってわけだ。おれも勉強したことあるそ」 : どうだい。すばらしいだろう ? 」 ヒノが得意そうに言った。 「実にすばらしい ! 」 「発見の歴史はそういうことだが、″理論″の歴史も、われわれ調 ヒノはやけくそな声であいづちをうった。シオダは楽しそうに、 査員にとっては重要なことだ」 ファイルをめくった。 シオダの講義調に、ヒノは首をすくめた。シオダは委細かまわ「このオッペン ( イマーたちの理論は一九三〇年代のものだが、こ ず、メモを読み上げた。 の影響をうけて、・ほくの見方によれば、一九六〇年前後に三種類の ゲラヴィ 「重い星が自分の重力でつぶれてプラックホールになる現象を重・フラックホール理論の花がひらいた」 ティショナル・コラ・フス カ崩壊というが、これについて一般相対論的に研究して、プラ「見えない花だな : : : 」 ックホールを理論的に予言したのは、原爆の父として、また平和運ヒ / の皮肉はシオダには通じないようだった。 動の推進者として有名なオッペンハイマ 1 とスナイダーだ。このふ「ひとつは、ホイラーやクラスカルによる幾何学的考察で、これ たりの論文のア・フストラクトは、今だに引用されるほど有名なものは、現在では常識になっている回転する・フラックホールによるワー だ。読み上げてみよう。 。フ・タイムトラベルの基礎となったものだ。クラークの啓蒙書など 『すべての熱核エネルギー源が使い果たされたあとでは、十分に重でも有名な宇宙の虫くい穴 つまりある時空から別の時空への近 9 道ーーの、・フラックホールによる形成法だね。二番めは、準星 ( ク い星は崩壊する。もしも回転による分裂あるいは物質の放出とか、
巨木は、根もとまで真二つに裂けていた。黒焦げの枝々が炎を吹 き、その先端で数個の球雷が転げまわっている。一瞬後、根の周囲 の地面が陥没しはじめ、樹齢一千年の巨木は崩壊した巨大な空洞に 水番はひとり眼をあけて、湧水のほとりで水を守っていた。 垂直にすり落ちていった。奈落の底を逆落としに落ちていく女の白世界は再び沈黙を取り戻していた。星々の狂乱もようやくおさま り、それそれの軌道に乗って静かな運行を始めている。湧水の周囲 その時、水番は見た。沈んでいく巨木の他裂が大音響と共に大きでは、疲れはてた人々が打ち重なるように倒れて眠りこんでいた。 く裂け、その中から太い光の滝が噴水のように天頂めがけて吹き出最後の松明もしばらく前に消え、音のない世界の底で、水番は杖を していくのを。そして、地面に投げ出された星男が仁王立ちになっ かかえてじっと何かを待ち続けている : て、腕を広けて叫んでいるのを。 その時、夜の中に変化の気配が起きた。 オレノ意志ジャナイ 東の暗い地平の起伏がわすかに震え、やがてゆったりと隆起し始 光の滝は暈音と共に天頂にぶつかって粉々に砕け、八方にむかつめた。大地から生えたような黒い影は、地平線を踏んで音もなく立 て天球を流れ落ちはしめた。それは数億の星だった。星は、ばらまちあがり、星空を背景に天まで届く巨人の姿になった。 かれたビーズ玉のように天球を転げまわり、互いにぶつかりあって筋肉の隆起をくつきり見せて、巨人の影絵は両腕を天にさしのべ は忙しくはしけ飛んた。その音は数万の落雷に似て世界を覆いつく た。顔の輪郭が天頂をあおぎ、顎の線がゆっくり引き伸ばされる。 し、砕け散って火箭のように落下してくる星々の光芒が、しばし夜 ・ : 声のない咆哮・ : を明るませた。 一瞬後、巨人の影絵が天球の湾曲面に沿って背を伸ばし始めるの オレノ意志ジャナイ : を水番は見た。天を切りとった巨人の影は、身の内に絶対の暗黒を 気づいた時、星男の後ろ姿は東の地平線めがけていっさんに駆け封じこめたままみるみる膨張して、西の地平に手を届かせた。影は ていくところたった。叫びつづけながら逃げていくその行く手にさらに成長し続け、またたくまに満天の星の光を喰いあらしてい も、星は白熱しながら次々に流れつづけ、白い焔を噴いてあざやか 。無感動に膨張し続ける星男の影と、それを見あげながら荒野の に燃えあがり 中央で花のように微笑する白い顔 : ・やがて、最後に残った数個の星の姿も消えた。再び暗黒を取 アパートの中の十数人が叫び声を聞き、さらにその内の数人り戻した天の下には、動くものの気配もない。 が窓の外を落ちていく人影を見た。 静かな闇を映したす湧水の水面には、若木の杖が浮かんで波紋を 男は落ちた。落ちながら一瞬の間眠りに落ち、その一瞬の間に無繰りひろげていた。主をなくした水は尽きることなく湧き続け、あ 限に長い夢の中を生き、一瞬の後に覚醒した。そして ふれたした細い流れが、眠っている人々の頭髪をわずかに濡らして ひや 334
「千万無量星世界旅行ー名世界蔵」表紙 とおびただしいがかんたんに説明すると、平賀源内 『風流志道軒伝』に源を発する漫遊譚で、主人公がこの 宇宙に存在する数々の星を精神旅行で訪ねては、そこで ふしぎな体験をし、見聞をひろめるというもの。 このあたり、前号に紹介した井上圓了『星界想遊記』 第、第などと似ているが、『星界 : : : 』が、哲学的・観念的な 内容の哲学啓蒙書であるのに比して、この作品はあくま ~ 第でもセンス・オ・フ・ワンダーに支えられた = ンターティ ンメント作品になっている点で、手段としてのの域 を脱している。 手元にある第一篇 ( おそらく、巻頭のことばなどから 察するに三冊本と思われるが、第二篇以降が刊行されて いるかどうかは不明 ) で、主人公は地球の太古を思わせ ル表紙の、そうとうに痛みのはけしい本が混っていた。 る星〈腕カ世界〉、科学技術の極度に発達した〈智カ世 しかし、この本を読んで、・ほくは狂喜した。というの界〉、福祉のゆき届いた共産主義星〈文明世界〉の三つ は、この本はこれまでジール・ヴ = ルヌ作品の翻案とを訪ねるが、このそれそれの世界の描写のおもしろさ して名種文献に記載されていたが、読んでみるとまちが は、当時の的政治小説の描写などとは比較にならな いなく創作であることがわかったからだ。 。その中でも、群を抜いておもしろい〈智カ世界〉と ということは、日本史にどういう影響をもたらす いう星を紹介してみよう。といっても、 ことになるか ? 安政四年の『西征快心篇』 ( 巌垣月洲 ) 以後、的政治小説を除くと明治二十年代までは国産 夜半人定り霊魂安着妄動セサルノ時脳門再ビ鎖ス忽 はないとされていたこれまでの調べが訂正され、一 チ見ル紅雲深ク篭メテ香風徐ロニ来ル 挙に五年以上もその登場が早まることになるのだ。 そして、この無名の作者貫名駿一は、明治に入 0 て最という原文引用では、とうてい読んではもらえそうに 初の作家の栄誉をになうことになる。古典に興ないから、現代語訳のア・フリッヂで紹介しよう。 味のなしカナ冫 : 、、ここよ、あんまりビンとこないかもしれない が、古典を研究している人間にと「ては、狂喜せず次にやってきた星は、まるで天国のような星だった。 にはいられない一大発見だ。 陽気は三月のようで、美しい花がそこここに吹き、気持 漢字と片カナ混り句読点なし文語文で、読みにくいこちのよい風が吹いている。私の到着したところは公園 ・ 298
「何が ? 広い世間の移り変わりが見渡せますかね ? 」 ちに、奔流のような秒針の音が再びとぎれると、彼は時間の概念さ 「駐車場で子供が遊んでるわ。鴉の死骸よ、あれは。みんなで棒のえ知らない星男になっている。そこは地の果ての荒野、西の邑の上 3 先でつついてる。一人だけ、離れたところにアノラックを来た男の空を炎が焼き、遠い叫喚が風に乗って流れてくる。 子が立ってるわーーあら、むこうから隣りの人がやってくる。男の深い絶望の果てに、星男は地下聖堂へ降りていったが、かの女は 子の後ろを通りすぎた : : : 急いでるみたい」 顔さえ見せようとはしなかった。″星の光が見えないわ。私をだま 「あの男、まだ生きてたのか」 すつもりね、贋者の星男 ! ″声だけが空洞に響き、罅割れた石の破 「大家のおばさんに聞いたの、妙な病気なんですって。怒ったり悲片が乾いた音をたてて奈落へ落ちこんでいく。 しんだりすると急に身体の力が抜けたり、それに突然所かまわすコ ″どうした星男、星は実りそうか ? ″ トンと眠りこんだりする病気だってーーーナルコ・ : ・ : ナルコレ。フシー 数日後の夕方、水番が巨木の下にやってきこ。 ナ″今夜は祭りの最 後の晩だ。松明行列が荒野を越えて、湧水まで来ることになってい 「要するに眠り病だ。便利な病気もあったもんだ」 「違うの、いわゆる嗜眠症とは別のものですって。どう違うのかし 鳥の巣のような枯枝の間に、星男はうずくまっていた。何も聞い ら」 てはいなかった。 「君の話は何だか要領を得ないね。そら、何かの集金人が玄関に来 " 今夜がいい見せ場た。祭りの最高潮に星を実らせれば、女たけで てるよ なく邑の人間たちも、おまえが星男たと認めるだろうよ。おい、聞 「あなた、出てくれない ? 私、他人と顔をあわせたくないの : いてるのか ? ″あっちへ行け。顔を見せるな ! 水番は嘲るように笑った。 眠りは空白の落とし穴だ。それは行く手に待ちかまえる罠、一歩 ″なるほど、物思いにふけっているわけか。考えることが多いんだ 踏みこむなりすべてを呑みこんでしまう。男はその瞬間を意識するろうな、大きな図体していいざまたよ、まったく″ ことができない。 水番の声が遠ざかって聞こえなくなったころ、西の炎の列が崩 椅子に腰かけて時計の文字盤を凝視しているうちこ、、 冫しつのまにれ、一カ所に集まり始めた。外壁の大門をあけ、行列をつくって湧 か男は地上数百メートルの巨木の上で、天になかって叫んでいる。 水に向かってくるのだろう。すでに陽は落ち、再び空白の天球を暗 声は風に吹き散らされ、天まで届くことはない。暗黒の天球を濃藍黒が押し包み始めていた。どよめく大枝の群の中で星男は の雲が流れる。喉の痛みと深い絶望ーー。眼をあけると、時計の針 がコマ落としのように二十分か三十分の経過を示している。そのう だしぬけに、街の空が眼前に現れた。窓ぎわに立ったまま眠
まち 西の地平線上にうねうねと広がる邑の外壁が灰色にかすんでいるに通じる穴の人口は、その根かたの一角、裂けた幹の奥に暗い口を あけている。亀裂をすりぬけて奥に進むと、したいに通路が下り坂 昼さがり、 になり、やがて左右の壁が途切れて唐突に視野がひらける。そこに ″何をしている、星男″ あるのはーー果てしなく地の深みへと増築されていきながらついに 邑と巨木の中間にある湧水の水番の少年が、星男を訪れた。 完成されることのなかった石の地下聖堂、未完のまま放擲された、 おまえか″ いつも木の上に瘤のようにとりついているくせに、今日は下に降祭壇のない大聖堂の廃墟だ。 巨木の根によってたれた頭上の亀裂から、数十条の光線が射し りているな。また女のところへ行くのか″ こんで星男の行く手を薄く照らしだす。女のところまで、あと幾つ ″子供のくせに生意気なことを言う″ 星男は自分の腰のあたりにある水番の顔を見おろした。 " おまえもの階段を降りていかねばならない。今日こそあの人は、自分のも は湧水だけを見ていればいいのた。脇見ばかりしていると、水を涸のになってくれるだろうか。いやせめて、その顔を間近で見ること 。星男は溜息をつき、重い脚を連び始 を許してくれるだろうか らしてしまうそ″ ここからでも湧水の様子くらい見とおせる。反めた。 ″おれは眼がいし この地下聖堂には、壁も床もない。地面を穿って創られたのでは 対に、夜も眠らないこの眼で水を守り続けている時など、おまえが 木を降りては女のところへ通っているところがみんな見えてしまなく、垂直にどこまでも続く空洞の中空に創られたのだ。無数の吊 り橋と廻廊、空中に組まれた石の足場や林立する円柱とアーチ、円 ″地上のことは見えても、地の底のことまでは見とおせまい。な・せ蓋、そして夥しい浮彫りの巨人像ーーそれらの間を、複雑に入り組 んだ階段の群がつないでいる。彫刻された欄干からのりだしてその 女だなどと言いだすんだ ? ″ 顔を赤らめた星男を見あげると、水番は肩にかついだ若木の杖を底を見おろすと、冥府まで続くかと思われる暗黒がうかがわれるば ゆすって嘲笑した。 一度そこから飛びおりてみせてよ。噂どおり、その底が虚空 ″地下の廃墟に残っているのがあの女一人だということは、誰でも 知っている。疾病の巣窟に住む女のところへ通うとは、おまえも物に続く奈落なのかどうか、知りたいわ″ ふいに声がして顔をあけると、奈落に隔てられたはるかな廻廊の 好きなやつだ″ むこうに、女の気配があった。 ″おまえに何が分るものか″ ″顔を見せてください。あなたに逢いに今日も来たのです″ 笑い続ける水番をやっとのことで追いはらった後、星男はやはり ″本当にうるさい人だこと。私がこの闇と静けさを愛しているのが 2 女に逢いに行かすにはいられなかった。 巨木の幹のめぐりは、星男の足でちょうど二百歩分あった。地底分らないの ? こま