思っ - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1978年1月号
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1. SFマガジン 1978年1月号

ろうて : : : どこのどいつが、なんのために《魔女のジェリー 》が要がしよっちゅう言ってるが、びよっとすると、本当に悪魔のものは るのか知らんが、思っただけでもキンタマが縮みあがらあ : : : 」 悪魔のためにそのままにしとくべきかもしれんぞ : ・ 「そうた、あんたの言うとおりた。だが、分ってくれ、俺の気持ち そのとき派手な襟巻をした青二才がディックの席に腰掛けた。 も。気分爽快なある朝へ 、・ツトの上で自殺してる俺の死にザマを人「シ ( ルトさんですか ? 」 に見られたくないんだ、俺は。あんたの言うとおり俺はストーカー 「それがどうかしたのか ? 」と俺。 じゃない。しかし、これでも荒つ。ほいことにかけちゃそう人にひけ「クレョンと言います、マルタから来ました」 をとらんし、俺は事務屋だ、分ってくれ、俺たって生きたいんた。 「そうかい、それでマルタじやどんな具合だ ? 」 ずいぶん生きてきたが、もう慣れつこになっていて : : : 」 「マルタは悪くありませんよ。でも、そんなことはどうでもいいん そのときアーネストが突然カウンターのむこうから怒鳴った。 です。アーネストがあなたのところへ行ってみろと言ってくれたん 「ヌ 1 ナンさん、あんたに電話だ」 「畜生 ! 」ディックが毒づく なるほどそういうことか、と俺は腹の中でつぶやく。クソ、アー 「また苦情か、どこにいても見つけだしやがる。すまん、レッド ネストの野郎、どうしようもないド畜生だ。俺がこの野郎に同情し 立ち上って電話のところへ去る。俺はグターリンとポトル一本とてやる筋合いはない。ところが現にこうしてはなたれ小僧が目の前 一緒に残された。グターリンが相手にならん以上、もつばらポトル こざっぱりとめかしこんでい にでんと構えているーー、顔の浅黒い にかかりきることになる。ゾーンの畜生め、クソくらえだ、絶対ある、おそらくまだ一度もひげなどあたったこともないんたろう、女 れから助かりつこないんた , どこでどいっと話をしても、ゾー とキスしたこともないような若僧だ。アーネストの野郎にしてみり ン、ゾーン、ゾーンた : : : そりやむろん、ゾーンから将来、恒久平や、そんなことはどうだっていいんた、一人でも多くゾーンに追い 和ときれいな空気が生れると考えるのはキリールの勝手た、キリ こめたらそれでいい、三人のうち一人、・フツを持って戻ってくりや ルか、あいつはいい男た。あの男を馬鹿呼ばわりするやつはいな ほい一丁あがり、てなもんた : 逆に才人たと言われてるくらいだからな。だが、人生ってこと「ところで、アーネスト爺さんの暮しをどう思う ? 」と詛いてみ になるとあの男もなにも分っちゃいない。ありとあらゆる山師どもる。 がゾーンをめぐってひしめきあってるということがやつには想像も 小僧はカウンターのほうを振り返って言う。 できんときてるんだから。そら、現に今だってそうだ、《魔女のジ 「悪くない暮したと思いますが、できたら代りたいくらいです」 ー》を欲しがっているやつがいる。いやいや、グターリンは飲「俺たったら願いさげだ」と俺。 んだくれで、宗教的なことで頭がちょっといかれているが、こいっ 「飲むか ? 」 のほうがまともた、ときにはまっとうなことを考えている。こいっ 「ありがとう、でも、・ほくはやりません」 ー 08

2. SFマガジン 1978年1月号

も出てこないし、本当のインテリも出てこないと思うんです、・ほ筒井帰ってきてすぐに、 た見つけてきたとかいって・ やつ。はりインテリというのは、そういうところから出てくるん ーー笛を ? ですかなあ。大インテリというのは、行動が金を必要とするんで筒井笛じゃないの、 リズム楽器みたいなもので、早くいえ。はエレ しようかね、最初から : : : それで筒井さん、作家とのつぎあいと クトーンですか、あれの横で勝手にリズムをかなでる箱があるで しよ。 いうのはどう ? あなたが青山にいたとき、あなたの家は梁山伯 かなんかみたい に、わいわい人が集まって面白おかしくやってい ああ、リズム・ポックス。 たけど、それから離れてしまったわなあ。作家といわんまで筒井あれの原始的なものを見つけて来たらしいですね。一回また も、ほかの作家とかそういう連中というのは ? 集まろうといってますけどね。 筒井もうほとんど、ないです。 そうすると、あんまり東京の作家と集まらないということは、 淋しくないのつ・ 神戸の文化人と集まるということ ? それとも、たれとも集まら 筒井。せん・せん淋しくないですわ、なんというか 9 なくなったの ? 東京へ行くことは必要しゃない ? ーポン・クラブというのがあっ 筒井神戸は、ひと月に一回、 筒井え、それはだから、たまに会うから面白いわけで。ジャズマ て、それはあのロータリー・ クラ。フの真似をして、一業種ひとり ンなんかの友達にしても、結局そうですからね。むしろいまは、 制なんですよ。だから作家は・ほくひとり、 服飾デザイナー、絵描 ジャズマンの友達のほうが : 作家の仲間というのは、また きさん、彫刻家の新谷さん、それからほら、音楽家で最近売り出 ちょっと違いますわね。ふつうのいわゆる文壇の作家づきあいと した荒井満とか、そういうのがひとりすっ集まって二十人ぐらい いうのとは違いますから。 いますかね。わあわあ飲むんです。今月はうちでやるんですよ、 どう違うの ? ここで。そういうのがあります。やつばり面白いですね、みんな 筒井そう、文士らしさがぜんぜんない。だから面白くつきあえる業種が違うから。 ってことがあるわね。 ど、ぶ、餌になるね。 もともと文士と思ってなかったからかなあ。それで、河野典正筒井ええ。餌になるという意味では、むしろ本当はロータリー なんかは、ときどき来るわけ ? クラ・フのほうが面白いですね。 筒井いや、ここへは二回か三回来たことがあります。 あ、そう、な。せ ? この前の、インドへトランペット探がしに行く話は、よかった筒井俗物図鑑です : : : こんな面白いものはないです。まあ、だい なあ。 たい垂水の人たちはたいていわかってしもたわけで、まあみんな こないた電話があって、新しい楽器をま 田 0

3. SFマガジン 1978年1月号

筒井珍妙な風景ですなあ。 それは高校大学のときでしよう ? しかし、そうなるとコックというのは階級社会ですなあ。 筒井大学卒業後もありましたね。で、大学時代ちょっと戯曲の真 筒井明らかにそうですね。 似事を書いてみたり、名作をちょっと戯曲化してみたり。 劇作をフ 作家のほうは、もちろんそれに似たものはあっても、そんなに 筒井いや、戯曲化ですね。つまり、原作のあるやつを。あるいは はっきりとはしていないわなあ。 自分でちょっと一幕物を書いてみたりしたわけですね。そういう 筒井だって、それはでも、どこでもそうでしよ。例えば「海軍め たかはしもう ことをしとっても、結局、芝居をあきらめないと仕方ないように したき物語」なんて高橋孟さんが書いてるけど、最初はやつばり なってきて。 ジャガイモの皮むきから始まるわけで。ただ明らかにあれは、男 な・せ ? のほうがのびる素質があると思うし、うまいと思いますね。 そこがわからん。確かに、女の料理人でりつばな人もいると思筒井卒業して勤めたら、それしている時間がない、で : 帰ってからやればいい。 うわなあ。作家たって、女の作家にりつばな人はいるけど、男の 筒井うん、まあそういう劇団もありましたけどね。でもそういう 作家のほうが数が多いし。 ところはますます ' ほくと肌が合わんですねえ。つまり、一生懸命 筒井女の料理というと、日本料理しか思いっかんけれども、味よ やろうという気がないんですからね。結局そしたらこんどは、ひ りもむしろマナーみたいなとこへいくとちゃいますか ? まあ、そりやわからんけども。子供の場合は、実際に作り出すとりでやれる作業というわけで、シナリオをやりだしたわけです よ。シナリオを書きだして、そのころはまだ考えが甘いから、 のは女だよなあ。男のほうはどちらかというと仕込みだけですわ なあ。 それ、舞台の ? ものでありさえすれば映画化され 筒井映画です。で、まだ、いい 筒井それは料理とは比較にならんでしよう ( 笑い ) 。 るはずだというような甘い考えを持っとったわけですわな。その さてそれでは小説のほうへ。どういうふうに尋ねたらいいのか うち映画の世界というのは、そういうところと違うというのがわ わからんけれど、昔から小説て書きたかったわけ ? かってきて。 筒井いやいや、とんでもない。・ほくはもう、芝居をやりとうてや りとうて。 そうすると、それを書いとったころというのは黒沢明が華かな りしころ ? しかし、どこかに何かがあったわけでしよ。・ほくだっていっか 筒井黒沢明はもっと前ですねえ。確か「羅生門 , なんかが出るの らか翻訳やるように。ほろりとなったけど。 筒井だから・ほくは、芝居やって、どうも近頃の芝居は何もかも兼は、・ほくの中学時代やと思うし、 ああそうた。・ほくの年代と同じと考えて・はいかん ( 大笑い ) 。 ね備えた面白いものがないという、ね。

4. SFマガジン 1978年1月号

天皇の場合は ? ばおるほどいいやつは、お妄さんを本妻と同居させるのがいいだ 筒井天皇の場合は、いてもいいというのが大多数なわけだから、 ろうけれど、勝海舟みたいに。あなたは作品の上ではいくら反社 天皇を : : : それはまあ : 会的なことを書いても、実生活ではひとりの大事な奥さんをしー っと大切にしているいい父ちゃんで : これはオフレコにしておいたほうがいし力なフ 筒井いやあ、 いいですよ。そういうことではなくて、なんという筒井いや、それは条件さえ許せば、お妄さんを持ってもいいです か、子供はいじめたほうがいいとかね、ぶち殺せとか、女房は家よ。ただしその場合、女房と家の中で喧嘩したりして絶対に執筆 の邪魔をしないということ。なら、いくら女はいてもいいわけだ から追い出せとかね。あるいは、女房子供をほっといて、家から し、それに金で片がつくことであればね、しし 、わけだし、金で片 飛び出して、また別に妄を持っとかね。それはまあ、昔の作家が がついて、しかもあと執筆の邪魔にならないということであれ よくやったようだけども。実際の実社会での生活が、その作家は ま、 いくらでも亜いことはしますよ、そら、 どうであれ、書くことは何からも東縛されてはいかんということ 実際にはしないでしよう。 ですわね。つまり法律からも。 筒井度胸の問題ですわね。 それはそうた。 頭の中ではそう思っとっても。 筒井そうでしよう。つまり小説というものは、原則的には何をど う書いてもいいということでしよ。そうでなければ、なぜ書いた筒井だけどもね、もしもね、なん・ほ悪いことをしても金さえ出せ かの意味がないわけですよ。要するに、いま世間の人がやってい る常識とか知識とかをですね、ひけらかした小説を書いたって、 本当にこれ、意味がないと思う。文学にもなんにもならんですね 刊 作家は作品の上では、何をやってもいいというのはわかるけれ 潮 ど、たた、実生活の上ではちょっと違うわな。 筒井そら違いますわ。 そうすると、あなたにとって、作家にとっての、最上の生活環 境というのは、どうなるの ? 筒井最上の生活環境というのは、それはもう、最上の生活環境と いうのであればあるほどいいわけでね、 それも考えかたがいくつもあって、例えば、女がたくさんおれ

5. SFマガジン 1978年1月号

筒井そりやそうや、さてと : : : 生活態度の問題にもどると、とに筒井と、ますます書かなくなる ( 笑い当 かくぼくは貧困というのは絶対嫌いですからね ( 笑い ) 。 強盗が入ればいいわけ。 そらだれでもそうや。 筒井いや最近は、強盗が人ってきてもあきませんわね : ら、こういうでかい家ですから本当はね、女房をあまりああいう 筒井だれでもやけど、みすから貧困の中に飛びこむ人もいるじゃ ないですか。いまではそういう人は、あまりおらんけど。 ふうにばたばたさせたくないので、女中をおきたいんだけど、女 中というのは近頃おらんわけで。 さんなんかは、ロではそういうことをいうわな。 七瀬さんがおればねえ。 筒井要するに怠け者なんでしょ ? うん、そう。・ほくは怠け者が嫌いでね。ぼくも貧困は嫌いです筒井七瀬さんみたいのがおればいいけど。あんなんがおったらこ わいけども ( 笑い ) 。あんまり昔みたいな貴族的なね、 わ ( 笑い ) 。でも、 いくら金 いくらやったって貧困の場合もあるわなあ。 が入ってきてもね、プルジョア社会の貴族的な生活はできんよう しかし、われわれのように働いとれば、翻訳やろうが何しとろう になってますわね、いまの日本では・ が、飢えに泣くということはないわな。 筒井もうないですわね、この世の中では。だから、そうですね、 しくら筒井また血液型の話にもどるけれども、能見さんの話によると、 ・ほくはそれほどの働き者ではないけれども、まあそれは、、 働いてもだめとなれば、・ 型というのは、あまり名声欲・名誉欲はないんやそうで。だか とんどん怠けて怠け者になってしまう。 らまあ、そうなってくるんかもしれんけど。 その恐れは充分にあるんですけれどね。だけど、そんなに馬力を あなた、名声欲ない ? かけて書かなくても、そこそこの生活ができるというわけですか ら。 筒井そら作家たから、それは生活の必要条件としてある程度ね、 うーん、そこそこのねえ。 なければ仕方がないと思いますけどもね。あの、逆に、ある程度 筒井むしろ、ある程度こう、なんというか、生活が安定してくる流行作家であってもね、注文に応じて何百枚何千枚と書く人がい と、そんなにあの一生懸命書こうという気をなくするほうでするというでしよ。結局あの日本人というのは、みなそういうのと ちゃうんやないかと思いますわ。そういう人が多すぎるんやない 安定しすぎたら ? かと思うわ 9 筒井しすぎたて、するとこんどは逆効果で。書かないでいるもん それこそ、なんですか、吉川英治の大閣記ではないけれども、 だから、前の、昔に書いたものが売れたりする。そういうことが 吉川英治が書いてますわね : : : 書きながら、その、なんでこんな ある。 に、ふつうの生活で安住していれば穏かな平和な一生を送れたは 7 ああ・ ずなのに、みんな野心を出して敵国へ攻め入っては、逆に亡ぼさ

6. SFマガジン 1978年1月号

といふうに思ってますからね。だからむしろ、出てくる人間は類筒井そうですね、類型といっても要するに、芝居やった人間とい 型的なもので、その類型的な人間の面白さというのをむしろ書い うのは、類型のストックが多いわけです。・ほくが類型と思って書 7 ていく・・ : だから、その新しい性格をひとっ創造しようとか、そ いてるのをですね、読者はそう思っていないかもしれませんです うう気持は、あまり持ってないですね。みごとにこの主人公は わね、それがまた面白いところで。・ほくの考えたとおりの類型 生きているとかね。そういう批評をよく見かけるけれども、別 を、読者が想像しているかどうかもまた疑問だし : に、・ほくはそれをやったとて。 はあ ( すこしまわってきているらしい ) 。 七瀬さんをあがめているーテンなんて、よく書けてると思う筒井「マスコミひょうろん」というのがあって、それに・ほくのこと けど、あれも : が書いてあって、・ほくの日記を見ると、毎日の執筆ペースがね、 筒井あれも類型的ですわなあ、結局、みな類型ですわ、みな類遅々としたマイ。ヘースであって、とても流行作家であるとは思え 型。それでいいという気はしますけどねえ。 ん、と書いてあるわけですわ。しかしそれにしては、飲み気喰い ーー・類型ねえ。 気は人一倍、いや人なみと書いてありますね : いや、飲み気喰 筒井つまり、ひとりだけ主人公だけ、わーっと人間を創造した い気は一人前か : : : 一人前やったりあたり前や ( 笑い ) 、半人前 ら、あと端役か、みな類型になってしまうわね。それやったら、 やったら病気ですからね ( 笑い ) 。流行作家といわれたのは、ち みな同じことであって、むしろ、あの、なんというかな、主人公 よっとあれでしたねえ、ぼくは流行作家ではないつもりだから・ が類型でね、逆に端役がね、なんというか非常に個性的な人物で つまり、そんだけ何枚も何枚も枚数を書いてないわけだから。 あったほうが面白い場合があるし、事実そのほうが面白い場合が 自分の辞典の定義になると違うわけ ? ( 注・筒井康隆・乱調文 多いんですね。だがそれはその、なんというかな、ストーリイを 学大辞典によるとーー現存スル日本 / 商業誌ニシテ発行部数十万 面白くしたり、 いくらでも気違いじみたり、気違いしみたことを 以上ノ中間小説誌二月平均一・五篇以上 / 短篇小説ヲ六カ月以上 させるために、むしろぜんぶを類型にしてるということにありま継続的ニ執筆シナガラモ死亡ニイタラザル者ハ、コレヲ流行作家 すわね。 トヨプーーーと、ある ) 五郎八航空の小母さんもそうなんやな。 筒井というより : いや、そこですね、そのとおりですね、ある 筒井あれこそ類型ですわ。ああいう鈍感な、鈍感なくせに、神経程度の枚数が必要なわけで。・ほくが、いま、なんというか、そう のこまかいやつがおろおろする、こわがったりしてると、意地悪 いうふうに思われるのは、本が売れているからで。そやけど、十 く面白がったりしてね。 五年間ぐらいにですね、書きためたものが、い ま文庫になって売 1 ーーこれから書こうとしている・ほくとしては、・ すいぶん勉強になり れてるわけなんで。要するに、流行しとるのは・ほくの文章であっ ましたわ。類型の面白さをきわ立たせないかんちゅうわけやな。 て、・ほく自身ではないわけですね。そやから、その、いままでの

7. SFマガジン 1978年1月号

いけないともいい切れない点があるかもしれないけれど、まあ小 説の翻訳には、文化の輸人という面があるから、明らかに自分よ筒井ある程度、ル・クレジオの真似ということいわれても仕方が 7 ないというところがありますね。最近まで知らなかったんですか り下のものは輸入することはないんでね。翻訳するからには、自 らね。最初にいいたしたのが、宇野鴻一郎だったらしいですよ。 分より上のものでないとね。直したいところがあったら、それは 小説現代の人に、筒井康隆というのはル・クレジオみたいな作家 自分が理解できないせいじゃないかと思わないとね。 だといったらしい。で、その人が・ほくのところへ来て、こういっ 筒井なるほど : : : でもそれは科学用語とか、そういった意味じゃ てました、と。そのころ、ル・クレジオというのを忘れてて、ど ないですか ? んな人だったかなあと。 いや、そういう意味じゃなくて、書きかた。 ・ ( 省略 ) : : : それと同しように、日 宇野鴻一郎というのは : 筒井書きかたですか ? それはちょっと思い上がりですな。 本の作家となると ? 好きとか影響を受けたというのは ? まあ、ヘミングウェイだって、日本について語ったら、間違っ 筒井個々の作品から影響を受けて、なんというか、こういうもの とるところはたくさんあるでしようなあ ( 笑い ) 。 を書きたいなあと思って発奮したことはあるんですけどね、ある 筒井それからやつばり最近は : : : ヘミングウェイとかカフカから 特定の作家とか、そういうことはないです。それはやつばり、ど 影響を受けたことは、何度もいったんたけど、最近はやつばり、 の作家にも駄作が必すありますからね。その点、日本で翻訳され ル・クレジオというやつですな ) 十年前に『大洪水』というのを るものは必す大先生が選ばれてやってるから ( 笑い ) 。 読んたんですよ、河出から出たやつを。それそのまま本をどこか そうか、日本の作家が海外の作家に影響を受けることが多いと へやってしもて、ものすごく面白いなと思ったことだけお・ほえて いうのは、翻訳作品というのには、あまり屑がないということか るんです。で、『大洪水』が復刻されたんですね。ほんでそれ見 筒井そうだと思いますね。それにその、変なインタビ、ウ記事で たら、・ほくが最近やっとることをみなやっとるん、十年も前に。 あるとか、そういうことがあまり出ないでしよ、だからよけい読 ・ほくがやっとるというのは、『メタモルフォセス』みたいな ? 筒井めちゃくちやを。『大洪水』どこへ行ったかな ? ( と、立ち者にとっては神格化してしまうということがありますね。だか ら、ほんとはこういうのに出ないほうがいいんですよ ( 笑い ) 。 上がって本を取り ) ああ、ここや。例えばこういうふうな ( 本を この程度のやっかと思われるとえらい損ゃ。テレビやラジオにあ あけて示しながら ) ものを文章の中に入れたりね。こんなことを したりね。こういう実験的なことをしたりね、もう十何年も前まり出なくなったのも、結局それですね。どんなに偉い作家で、 どんなにいい作品を書いとる作家であってもね、テレビで見てた に、これをやってるんですよ。 読みなおそ、じゃない、読もう。失礼いたしました : : : そうすらみんないちおう馬鹿になってしまうんですね。自分も、こうい うもんたろうと思うと、それでこわくなってしもうて、出るのが 、、レ・クレジオがフランスの筒井 ると、日本のル・クレジオカノ

8. SFマガジン 1978年1月号

いた。それに対してむこうがどんな脅迫をしたかは、覚えちゃいな カーニ・ハルが不機嫌な目つきをした。・ほくと争っている間、外部 、。ぼくはひどく頭にきていた。 からの干渉に対してはきびしくなる。誰にもでしやばられたくな というわけ。でも、・ほくやアダージョの前じゃ、何もいうま テーブルにつき、思い出したように食べ物を口に運びながら、・ほ くは心の傷口をなめていた。理屈の上では、議論の決着はまだつい ちゃいなかったが、実際的な見地からすれば、母が勝ったのだ。疑「あたしね、フォックスに〈変身〉させてあげたほうがいいと思 イン・フット・シート につこりしてみせた。アダ 問の余地なく。頭にくるのは、母が個人インデックスを入力用紙のう」アダージョがそういって、・ほくに、 末尾に記人するまで、・ほくが〈変身処置〉を受けられないっていう ージョはいい子だ。乳きようだいとしては。いつでも応援をたよれ こと、それに母は、そんなことに同意するくらいなら、脳みそを冷たし、・ほくもできるかぎりお返ししてやったものだ。 凍保存に入れるほうがましよ、といっていることだ。母ならそうし「おまえはひっこんでなさい , トが注意した。それから、カー たたろう、本当に。 ニバルにむかって、「おまえとフォックスがこの問題に片をつける 「わたしはいつでも〈変身処置〉を受ける準備がでぎたわ、カーニ まで、おれたちはこの場を離れていたほうがよさそうだな」 バルが、みんなにそういっこ。 「一年間そうしてなけりゃならないわよ」とカーニ・ハル。「ここに 「そんなの、フェアじゃないよ ! 」・ほくは叫んた。 よおしまい。もしフォックスがそうじゃない 「・ほくに意地悪 いてちょうだい。議論冫 したくって、そんなこと言うんたろう。ぼくにや何でもダメで、自って思うんなら、自分の部屋にお帰んなさいな」 それこそ・ほくの思うところ。そこで立ち上がり、テープルから走 分は何でも好ぎなようにできるんだってことを、わざと見せつけた いんだ」 り去った。われながらばかなことをしてると思ったけれど、涙は本 「もうそのことはいわないんでしよ」母が鋭く、つこ。 しオ「この問題物だった。それはただ、・ほくの中に、どんな状況でも常にうまく立 は話し尽くしたわ。それに、わたしの心は変わらない。あなたはち回ってやろうと、クールにかまえている部分がある、というだけ の話。 〈変身〉にや若すぎるの」 「ナーンセンス」と・ほく。「もうじき大人なんだ・せ。ほんの一年カーニバルが少し後で様子を見に来たが、彼女が歓迎されていな いことを思い知らせてやろうと、・ほくは最善を尽くした。・ほくはこ で。本当に一年でそんなに変わると思うの ? 」 「予言しようなんて思わないわ。分別がついてほしいとは思うけれが得意、少なくとも、母に対してなら。母は、全然何もよくなら ど。でも、もしたった一年だっていうんなら、どうしてそんなに急ないことが明白となって、出て行った。母が傷つき、ドアが閉まっ ぐの ? 」 た時、・ほくは本当にみじめな気分となり、狂おしい怒りを感じた。 「それにおれは、きみにそんな言葉づかいをしてほしくないな」と母に。そして・ほく自身に。数年前と同じように愛することは難しい んだとわかってきて、そのことが恥かしかった。 9 3

9. SFマガジン 1978年1月号

えるわけで。こちょこちょこまいかい字で書いてるのは、あれは筒井矢野さんは型じゃないかなんていってましたけどね ( 笑 い ) 。つまり、推理作家では夏樹静子さんとか都筑道夫氏とか、 要するに下書きです。あれを原稿用紙に書きうっすというだけな すい - 」う これは割と・ほくに資質の似た人なんですけどね。ま、その程度し んですけれどね。その下書きの段階で、多少推敲する。それから かほかにおるんかもしらんけれど、能見さんの知ってる限りでは 原稿用紙に書きうっす段階でも、もうちょっと推敲するという程 それぐらいしかおらん。型がね : : : で、つまり、こまかいとこ 度です。だから。フロットそのものはある程度頭の中にあるし、そ ろにこだわってしまうんですよ。と、推理小説では、こまかいこ れはまた面白くなってきたら、つまりどうにでも変えられる。こ とにこだわりだしたら、きりがないでしよ。その、穴をほじくら こで脱線してめちゃくちややってやろうというときには、そのい れんかと思うてね。 くらでもはずせるように。 ところが 0 型の作家の場合は、ある部分のこまかいところをば 枚数の制限があるとぎは、ちょっとしたコンポジションを書い ておかないと、それが難しくない ? さーっと切り捨てることができるわけでね。・ほくなんかの場合 は、こまかいところにこだわってですね、そこんところがだらた 筒井ところがぼくは前からそうなんですけれども、枚数が上まわ ると編集者は困りますわね。しかし枚数が下まわると、あまり困 らと叙述的になるもんだから、ここを面白く読まさないといかん と、そこにまた話をひとっくつつけたり、エビソードを。で、ど らない。・ほくの場合、以前から枚数がいつも下まわっていたんで す。 んどん長くなるということがあるんですね。 平井さんと逆ゃな。 ところが TJ というのは、そうじゃないんですよ。アイデアが 筒井それは、物によってはふえる場合があります。最近、ものすひとっ・ほかんとあったら、それを効果的に見せるために、まわり ごく枚数がふえたやつがあったんです。それは有難いもので、や にこちょこちよくつつけるわけで、それは少なければ少ないほど つばりもはや新人ではないので、ある程度の無理はきいてくれる いいわけですよ。しかもその、自分の思っているイメージのほう わけなんで、その点は有難いですな。その、枚数がふえたという へ読者を引っぱっていく、早く引っぱっていったほうがいいわけ のは、ミステリーとか推理小説の系統なんですよ。必らすふえて でしよ。自然とそういう操作が、無意識的に働いて短くなってし しまうんです : : : で、このあいだ能見正比古がやってきて、 まう。ミステリーの場合は長くなるというパターンがあります。 ここへ ? それがまあ小説作法になってるかどうかは知らんのですけどね 筒井ええ。それでちょっと話したんですよ。そうすると、その ( 笑い ) 。 型というのは、推理小説にはむいてないらしいですね。で、事 まあ、どうやったら作れるかという小説作法は、みな知ってる 実、型の推理作家というのは、あんまりおらんらしいです。 わな、読者は。あなたしか出てこないというやつを、こっちは聞 6 きたいわけだけど。要するに、小説はだれにでも書けるたろうけ ・ほくはどうも型か型からしいけどね。

10. SFマガジン 1978年1月号

れど、立派なものを書き上げるということは難しいわな。それ で、うつかりしているとつまらんものになるという、どこかに ターニング・ポイントみたいなものがあると思うけど : : : どうし たら立派なものに仕上げられるか ? 最初にじっくり、よく考え ス るというところにある ? 筒井うーん。あのねえ、このごろはねえ、読後感というのを自 群 分で想像できるんですよ。以前からもその傾向はあったんですけ 薹 ( 巻簽第オ どね、芝居を見たり映画を見たりしてたから、タイトル見たり、 スチール写真を見たら、これはだいたいどういう筋の話で、これ ) は見終ったらだいたいこういった感しなんたろうな、ということ メ が自分でわかるわけなんですね。と、小説を書き出す前に、自分 の読後感というものを ( 笑い ) 、できるたけ目標の高いところに おくわけですよ。例えば、これの最後の感動は、アンチゴーネ的思っていちいち買ってきたら、どんどんどんどん積み上がってふ なやつだとか ( 笑い ) 。 えるばっかりで、それを見ているといらいらしてきて、をぶち それに合わせて書けばいいわけだな。 殺しそうになるからね。 筒井目標はできるだけ高いところへおいたほうがいしし ハインラインの『悪徳なんかこわくない』は、 そういわんと、 面白いから読んで。 ひょっとすると、別の言葉のいいかたを変えただけかもしれな筒井そうらしいね。第一巻たけやけど、それは読もうと思ってま いけれど、浅学にして知らん : : : 実にいい言葉を聞かせてもらっ す。 たなあ。 下巻はいま印刷中ですから。 筒井結局それではないかと思うんですよ、ほかの人もね。 筒井ああそうですか、どうせ、読書ノートをやってるわけで、何 どこも、そう、う、 ししいかたは知らなかった。 かをやらなければいかんので、そのときにでも。『異星の客』と どっちが面白いですかフ 筒井ぼくもいま初めていった ( 笑い ) 。 『異星の客』というところではね、まだ本音が出ていない。 実に、そくそくとして胸をうつ名文句で : 筒井何をいうてる ( 笑い ) 。このごろね、小説とか、出版物が多筒井ああそうですか。 ハインラインというのは、本当のところは助平ゃないかと思い いでしよ。そうするとぜんぶ読んでられんわけですわ。読もうと と、うこと 8