裕帆は、外見何等世間一般の女性と変ることはありません。ただ か。勿論、私が裕帆に対して詩帆のクセについて教えたことなそ一 違う点と言えば彼女が詩帆に間違いないということだけです。 度もなかったのです。 姿かたちは言うまでもありません。彼女の性格までも詩帆そのま 私は興奮し、裕帆に尋ねました。 ・「だあめねえ」っていうのを」まだったのです。持ちまえの純真さと、それでいて滲みでてくるよ 「思い出したのか。その、その : うな立居ふるまいの格調の高さ。裕帆の近くにいるたけで灯りがっ よほど、私は殺気走って見えたのでしよう。裕帆は恐怖を感じた いたような気分になれるのです。 へそをかきながら、私にしがみついて言いました。 かのようこ、、、 「パパ知ってると思ったわ」 しかし、まだ裕帆は、彼女が詩帆であった時代の記憶を取り戻し てはいませんでした。 裕帆はテレビを指さしていたのです。 「今、流行っているのよ。ほら、あれ。近所の子みんなやってるの 突然この相談を裕帆から受けた時の驚きたるや筆舌に尽くしがた いものがあります。まるで闇打ちにでもあったようなものです。 テレビではコマーシャルが写し出されていました。まず、数人の裕帆は数カ月前からある青年と交際していたのです。それだけで 奇天烈な格好をしたポードビリアンらしい男達が商品の洗剤を使っはありません。その男性は裕帆に結婚を申しこんだというのです。 て新品同様のワイシャツに洗いあげます。それから見るからに薄汚どんな気持か問い詰めてみると、裕帆も万更ではないらしく、近 れた貧相な男が登場し、他社の洗剤を使って洗濯するのですが、出近、我が家へ遊びにきてもらうことにしているというのです。お父 てきたのはヨレョレの汚れ模様だらけのワイシャツです。そこでそさんにも紹介しておかなくっちゃ : : : と裕帆は顔を紅く染めてそう の男は他の男達に裕帆のあのアクションで「だあめねえ」と激しく言いました。真面目で誠実な男だそうです。一途にまた真剣に裕帆 のことを思っていてくれるのだそうです。 攻撃されるのです。ああ、何という早とちりだったのでしよう。 それを裕帆から聞いた時、瞬間的に私は眩暈に似たものを感じて そんなこともありましたが、私は総ての余暇の時間を裕帆と共に いました。思わず、背後の壁に寄りかかってしまったほどです。 過ごしていたと言えるでしよう。必す裕帆という幼虫が脱皮して、 詩帆という蝶へ変る日が来る筈なのです。そして本当は裕帆にとっ嫉妬ではありません。それは戸惑いに近いものでしようか。 私は裕帆が詩帆の意識を取り戻す日のために、意識的に裕帆には ての私が誰なのか、彼女が知る日がくるに違いないのです。 異性との交際を避けさせていました。もし、裕帆が他の男を愛し、 全く、早いものです。月日の移り変わりを河の流れにたとえる人その後で詩帆の記憶が蘇ってしまったとすれば、その状況は詩帆に がいますが、私も同感です。もがき、流され、気がついた時は二十とっては地獄でしかないのです。 真実を今、総て裕帆に話してしまうべき時ではないのか : 年の歳月が経っていたのですから。 。今なら裕帆を思い止どめさせることができるのではないのか。 裕帆も、もうすぐ二十歳なのです。 8
「マジな話だって言ってんだろ」とパースキーは答えた。 は、綺麗な女性がこちらに背を向けて、ひとり立ってリンネル布を クーゲルマスは、まだ信じられない様子で、「あんたの言ってるたたんでいる。とても信じられんな、とク 1 ゲルマスは思いなが 話だと この安つ。ほい手造りの箱で、今言ったみたいな遊びが出ら、医者の豪勢な奥方を見つめていた。薄気味悪いな。俺はここに 来るってかい」 いて、あれはあの女だ。 「お代は二十ドル」 エマがびつくりして振り向いた。「あら、びつくりしましたわ」 ー ' ハックの英訳と同じ、ちゃんと 「どちら様」ペ 1 クーゲルマスは札入れに手をやった。「この眼で見たら信じてやと女は言い、 るよ」 した英語で喋っている。 ースキーは札をズボンのポケットに突っ込み、本棚の方を向い 気が狂うな、まったく、と彼は思った。と、相手が自分に話しか た。「さて、誰に会したし シスター・キャリイか。へスター・プけているのに気付いて、答えた。「失礼。私、シドニー・クーゲル リンか。オフェリアか。ひょっとしてソール・べロウの書いた誰かマスと言います。市立大の。古典文学の教授で。 O ・ O ・ Z ・ いやはや」 かな。おい、テン。フル・ドレイクはどうだい。もっとも、あんたのの。アップ・タウンの。私 年だと、あの娘は持て余すかもしれんな」 エマ・ポヴァリ 1 は媚びるように微笑んで言った。「何かお飲み 「フランス女だ。フランス人の愛人との情事がいい」 物でもさし上げましようか。ワインを一杯いかが」 「ナナは」 綺麗な女だなあ、とクーゲルマスは思った。いつも・ヘッドの隣り に寝ている、あの化けペソとは雲泥の差た。この幻を抱きしめて、 「それじゃ、金を払う気になれん」 あんたこそ、俺がずっと夢に見てきた女だと言ってやりたい、そん 「『戦争と平和』のナターシャってのはどうだ」 な衝動にかられた。 「フランス女だって言ったろ。そうだ ! エマ・ポヴァリーはどう だい。それなら完璧って感じだな」 「ええ、ワインを少々」という声はかすれていて、「白ワイン。 「合点だよ、クーゲルマス。飽きたら呶鳴れよ」とパースキーは、 や赤で。いや、白です。白ワインをひとっ」 フローベールの小説のペ 1 ー、、ハックをほおって寄越した。 「シャルル、今日は出てますの」と言うエマの声には、悪つ。ほい 「絶対に、こいつは安全なんたろうな」とクーゲルマスは、パ ース含みがあった。 キ 1 が箱の扉を閉め始めた時、尋ねた。 ワインを飲んでから、二人は、美しいフランスの片田舎を散歩し 「安全か。この狂った世の中で、安全な物があるかよ」パースキー た。「いっか見知らぬ謎の殿方が現れて、こんな死んだような田舎 は箱を三度叩き、扉を開いた。 暮らしの単調さから、救い出してくれるのを、夢見ておりました ク 1 ゲルマスは消えていた。と同時に、彼は、シャルルとエマのわ」とエマは言いながら、ク 1 ゲルマスの手をぎゅっと握った。二け ポヴァリー夫妻のヨンヴィルの邸宅の寝室に現れていた。眼の前に人は小さな教会の前を通り過ぎた。「あなたのお召し物、素敵です
りなのか、邪魔するつもりなのか、いったいどういうつもりなの「何よりも、自分が成功することが大切なのね。そのためには、何 を犠牲にしてもかまわないと考えているんだわ、あの男は」 「思ったよりも、若いのね」 「それでも、妹を心配する気持だけは、強そうでしたがーーー」 彼女のしなやかな歩き振りを見つめていたおれは、その言葉を耳 門「冗談じゃないわ ! 」 き逃がし、尋き返した。彼女は笑みを残したまま、ロを開く。 レディは、突然、爆発した。髪の毛が逆立ったように見えた。眼 「ジュリー の話では、もっと年を取った人のように思えたのよ」 の輝きが変っている。そのとき気がついたのだが、彼女の眼は暗い 身長は百七十センチを越えているたろう。しかも裸足た。おれ赤だった。コンタクト・レンズか。 は、床に散らばったクッションの上に腰を落ち着けると、彼女を見「あの男は、セリを自分に縛りつけておこうとしたのよ。セリが自 上けた。 分の世界を造り出そうとしても、あの男は、それを打ちこわそうと 「彼女には、人を見る目がないんでしよう」 したのよ。私が、彼女の立場だったら、やつばり、去っているわ」 それが、面白い冗談であったかのように、レディは、声を上げて「セリさんの居所をご存知なのですか ? 」 笑った。おれは馬鹿のような笑顔をつくる。レディの笑う姿をもっ 我ながら、下らない質問だった。思考力が低下してしまったよう と見ていたいと思いはじめた。 だ。そして彼女の回答は、その愚かな問いにふさわしいものだっ 「セリのことね ? 」 た。たた笑い飛ばしただけたった。そして付け加える。 おれはうなずいた。レディは、無造作にあぐらをかいて、おれの「彼女とは、もう一カ月近く、会ってないわ」 向いのクッションにすわる。濃いグリーンのガウンの前が割れ、日 おれは、相手に気付かれぬ程度に、部屋の中を見回した。ジュリ 焼けした脚がむき出しになった。 1 が先に連絡しているのなら、もう無駄だろうが、この部屋に誰 「タケルって、 いい名前ね」 か、もう一人の人間がいることを示すような手がかりが欲しかった おれは、少々、まごっいていた。どうやら、彼女のペースに完全のだ。しかし何も見つからす、レディが再び笑みを含んだ声で言っ に巻き込まれているようだ。 「何か見つかって ? 」 「ユウなんて、馬鹿げた名前よりも、すっと素敵たわ」 おれは、頭を振った。顔が赤らんでいるのがわかる。まったく、 レディのその言葉には、象を殺すにも十分なほどの毒が含まれて いた。それまでの、どちらかといえば、クールな話し方とは、ショ何てドヂばかり繰り返しているのた。 ッキングなほどの差があった。 「彼女と最後に会ったのは ? 「あの男は、セリを徹底的にスポイルするつもりなのよ」 「ハープのところでの。ハーティのときだったわね、たしか」 今度は一人言のように、ぼつりという。おれは黙ってうなすいた。 「そのときには、彼女は姿を消すような様子は , ーー」 門 2
の意向を伝えようとする人間がいれば、当然司政庁にいってくるで全くないのであった。が・ ・ : ともあれ、彼は少しずつ稿を重ね、そ あろう。彼の所在はそれ迄は一般にはあかされていず、となれば、 ろそろあの緊急指揮権確立のくだりにさしかかるところ迄来ていた 2 司政庁内のどこかにいるか、でなければ司政庁がその消息を知ってのである。彼はそのことに、おのれの関心をそそぎ込んでいた。 いると思うのが当然である ) のうち、カデットとが差支えな実をいえば、彼が関心を抱き知りたいことは、たくさんあるの いと認めた相手のリストをマセに廻し、マセが希望すれば面会出来だ。 るようになったのである。面会希望者はおそらく彼と会ったこと退避計画はどうなっている ? や、どこで会ったかということについて緘ロ令をしかれるであろう彼が組みあげた路線をそのまま踏襲しているのか ? それとも、 が : : : それでもいずれは洩れずにはいないと覚悟しなければならなどこかで大幅な改変がなされたのか ? そんな措置を司政庁側が許したというのは、ひょっとすると、 あく迄も乗船を拒否しようとする連中はまだいるのか ? いると 植民者たちの司政庁側の人々への敵意が、以前よりはずっと弱くなすれば、どう処遇しているのだ ? ったのを意味しているのかも分らなかった。 それに : : : 連邦直轄事業体の成員の、乗船の順番が来ても姿をあ しかし、そうしたおのれの身辺の安全については、マセはもはやらわさなかった人間は : : : あれはどうなっている ? また、司政庁 あまり気をつかってはいなかった。それはカデットやや司政と連邦直轄事業体との緊張した関係は、その後どう変化したのだ ? 機構が責任を負うべき問題であり、彼は許された範囲内で生活し、 変化といえば、連邦軍と司政庁のつながりはたしかに変わったは 自分の仕事ーーラクザーンへ来てからの記録づくりを続けるだけでずだが : : : それはどう変質したのだ ? 完全に密着の状態になって 良かったのである。 いるのか ? たいたい、あの大規模な反乱における連邦軍の役割り は何だったのだ ? ハイヤツリットに来る迄に、彼はだいぶ記録のロ述を進めてい た。忘れている事柄や記憶違いのありそうなものについては、 rna そして、ラックスのインフレはどうなったのだ ? おそらくはも を経て、からデータを貰うようにしながら、である。欲はや収拾不能となっているに違いないラックスの下落は、どんな波 しいデータはいつも手に入るとは限らなかった。何日に何があった及効果をもたらしつつあるのだ ? かとか、その日の死傷者は何人かという、要するに待命司政官には先住者たちはその後、態度を変えたのか ? 教えても構わない事項については比較的容易にデータを得られるも それから : : : 彼が貯えておいた保存加工した海藻や、海藻を売却 のの、担当司政官レベルの内容になると、聞き出せないようなのでして入手したクレジットは、現在どうなっている ? 処分されたの あった。それがのル 1 ルというものである。そこには、質問か ? そのままなのか ? しているのがかっての担当司政官であり、が返答しなくても海藻といえば : : : あのトド巡察官、彼を告発した巡察官は、まだ そのことに詳細な知識を有しているかも分らないマセたとの顧慮はラクザーンにいるのだろうか ? いるとしたら何をしているのだろ
で、おそろしく細かい迷路が作られている。進路の選び方次第でど ラリーマンや学生、それに地下ショッ。ヒング・センターの店員たち れたけ時間をくうか予想できない一角に人る訳だ。おれは基本的な が主たった。 コースを、地下鉄梅田駅の方向に定めていた。 明るい照明はいつもと変らす、空調にも異常はない。ただ、周囲 ″南″へ通じる経路は二通りある。正確には、国鉄ガードの南側へ の防火扉とシャッターがすべて閉ざされているのたった。 マンが力なく呟いた。 つづく地下道は、ゾチ・シャンゼリゼから梅田地下センターへ抜け「逃げ遅れたな : : : 」中年のサラリー る東側と、地下鉄御堂筋線、梅田駅の構内を抜ける西側通路だ。基誰も答えなかった。手分けして全部の扉を当たり、どれひとっ開 本的に西側のコースを目指したのは、腕の中の子の不機嫌なうなり かないことを確認したばかりなのた。 声のせいだった。西側を選ぶかぎり、この迷路を抜けなければなら「故障が直るまで待っしか仕様がないね」大学生らしい男がいっ ないのた。 た。「前にもエレベーターの故障で三時間ゴンドラに閉じ込められ 通路が多岐になるほど失敗の可能性は大きくなゑ梅田駅通路ま たことがある。あの時は電気は消えるし、そら怖しかったけど・ : でドア一枚のところまで達しても、そこが閉ざされていれば、再び もとの位置から出直さなければならないかもしれない。、 しや、出発 エレ・ヘーターの故障とは違うそ。誰もがそう思っていた。事故が 直後から、すでに誤った分岐に入り込んでいる可能性もある。 起ったことは何千人が知っているんだ、助けが来ないのはおかしい さらに、あの″開閉周期″が巡ってくれば迷路の様相はたちまちじゃよ オいか。他の連中は逃げてしまったまま、なぜ戻って来ない。 一変してしまうのだ。その恐ろしさを、おれはあの異変の直後から大切な商品たって置きつばなしなんだそ。警官も見ていたはすだ。 知っている。 それに : ( それに ) おれは思わすその言葉を口に出しかけた。 ( 地下街には 地下街に取り残された人間が何人いたのかおれは知らない。誰も自動管理システムがあるじゃないか ) 知らないだろう。今、何人生きているのかは見当もっかない。大量だが、同じ思いっきをおれより先にいったのは別の男だった。 に死者が出たし、新しい生命がどこか他にも生れているかもしれな「チカコンが故障したのかもしれない」 眼光の鋭い、ジーンズ姿の青年がいった。 最初、梅田地下センターの中央で逃げ遅れたのは、そう多い人数「何ですねん、それは」中年のサラリー マンがねた。 ではない。百人もいなかったように思う。だが、それが本当に逃げ「梅田の地下街全域を制御しているコン。ヒュータ・システムです 遅れた人数なのか、意図的に残された人数なのか、今でもわからなよ。知りませんか」青年は周囲を見廻した。 「何かパンフレットを見たことがありますけれど」女店員が答えた 静まりかえった地下コンコースに十数人が立ちつくしていた。サだけだった。 4 っ 4
・前回までのあらすじ・ 司政官マセ・・ユキオは初の担当惑星ラクザーンに赴 ( 承前 ) いた。ラクザーンの太陽が近い将来新星化するため、惑星における 連邦直轄事業体の利益を守りつつ、速やかに住民を退避させるのが もちろん、これ迄マセが司政官というものについて、一度も考え その使命であった。かっての司政官の栄光に憧れる彼は、敢然とこ なかったというわけではない。折につけて、むしろ必要以上にたび の使命に立ち向う。そして、緊急指揮権を確立するや、次々に退避 作業を押し進め、遂に惑星ノジランへ順調に退避者を送り込むまで たび思いをめぐらせたものであった。司政官とはこうあるべきでは にこぎつけた。一方、予知能力を有し、移住を拒み続ける先住者説 と ないか、司政官として自分は的確に判断し行動しているのか 得のための調査は、かって宇宙へ進出したがために減亡した古代文 いった思考を、ずっと続けて来たといえる。訓練所の時代から今の 明の存在を明らかにした。また、強引なマセの退避作業に反発する ラクザーンでの生活を通じて、それは彼の主要な自己確認であり省 植民者の暴動は次第に激化し、遂には大規模な反乱へと発展して、 察であり目標なのであった。 司政庁は銃火器による攻撃にさらされた。司政協力官を人質にとら れ、止むなく彼らとの談判に応じたマセは、連邦軍が彼らを援助し が : : : そうした考えかたというものは、いずれの場合において つづけてきたことを知った。しかし、その時降下してきた連邦軍の も、司政官サイドから出た司政官のありようの域を出てはいなかっ 兵士達は、うむをいわさず反乱者達を殺戮していき、同様にして全 たのだ。おのれがいすれなるはすの司政官、周囲に司政官コ】スを 惑星を武力によって鎮圧してしまったのである。植民者を巧みにあ たどり司政官になって行く人々を持ち、目標にべテランの司政官を やつった連邦軍の陰謀としか思えない出来事であった。この事件に 置き、自分自身も司政官であるという人間の、内側から、あるいは 呼応するかのように、その二日後、マセはトド巡察官の告発による 職務凍結の処分を受けた。そして、マセに代ってその職務を兼任す 命令を下す側からの発想でしかなかったといえる。そしてそのこと るため、ノジランの司政官ライデンが来着したとき、告発の内容が に彼自身はいっこうに矛盾を感じてはいなかったのだ。いや、感じ 明かされた。それは身にお・ほえのない公金横領の嫌疑であった。そ ていたとしても、それはあまり突きつめて追求すべき事柄ではなか の憤りも、待命司政官として辺境へ送られてから日がたつにつれ薄 ったのである。 れていき、今、マセは初めて司政官とは何か、と考え始めていた。 それに、彼みずからが意識していたか否かにかかわらす、司政官 としての彼には、ちゃんとしたいいわけもあった。独裁者とののしう気持が、彼のうちにあったのだった。 られ権力者といわれようと、その実司政官というものは、連邦と担おそらくこれは、司政官の大半、それとも全員に共通した感覚な 当世界との間に立たされた弱い存在であり、種々の状況に振りまわのではあるまいか ? されつつ・ハランスを取って行く調整者に過ぎない との認識が、 という想念のもとに、彼もまた、それで事足れりとしていた 彼を支えていたともいえるのである。外見的にはいかに強権を行使傾向がある。 しているように映ろうとも、内実はとてもそんなものではないとい しかし。 幻 8
目に入ったのは足元の血溜りだった。それは、ソフアにだらしなが吹き出していた。誰かが、ドアのキーを焼き切ろうとしているの く寄りかかった男の胸から吹き出したものであった。おれは、思わだ。それはおれを追ってきた男にちがいない。だらしがないが、お 5 ず数歩、あとじさった。そして、その男は、ラーキンではないことれは一歩も動けず、壁に背を押しつけ、目を見開いて、ゆっくりと に気付いた。もちろん、おれはラーキンという男をまったく知らな焼き切られていくドアを見つめた。何か武器を持ってくれば良かっ た。そう思って、・ハス・ルームにナイフを取りに戻ろうとしたと それでも、目の前の死体は、ラーキンのものではあるまいと思 ったのた。その理由は簡単た。男は純粋の白人だったからだ。そんき、ドアは凄まじい音をたてて、開かれた。最初にレーザー・ガン な人間が、まだいるとは考えられなかったし、その上、その男には日が視界に入ってきた。 おれは居間の方に、あとじさりする。続いて、男の身体が現われ 焼けのあとがまったくなかったからだ。それは異常に白く思えた。 どこかで水がこ・ほれている。おれは、その音の原因を探した。そる。その上に乗っている顔は、またあのコーカソイドの顔であっ して、・ハス・ルームにたどりついた。水が流れている床にはナイフた。やけに白い 男は表情をまったく変えずに、威嚇するようにレーザー・ガンを が落ちている。何ともクラシックな形のナイフだ。それは天井のラ イトの光を浴びて鈍い光沢を放っている。そのナイフの周囲には何おれに向けたまま、歩み寄ってくる。そしてソファーの上の死体に 十冊という。 ( ル。フ・マガジンが散乱している。すっかり水を吸っ気付いた。 はじめて表情が変った。何かわめく。それは聴いたことのあるよ て、ぶよぶよになっていた。おれは吐気を覚えた。 吐気の原因は、もう一つあった。その雑誌の上に転がっている男うな、ないような奇妙なアクセントと発音だった。だが、それが、 といっているように思え、おれは必死に頭 の死体のおかげた。それはラーキンという名の芸術家であるのは確おまえがやったのかー 実と思えた。だが何という死体であったことか、腹部は切り開かを振った。男は唇を噛み、おれにレーザー・ガンを向ける。全身か ら血が引いていく。 れ、黄色つぼい脂肪がすっかり見えている。それは水でさらされ、 血の色は失っていた。死体の傷はそれだけではなかった。おそらく「やめなさい ! 」 女の声が飛んだ。男の注意が、一瞬、それる。おれの身体は、無 は拷問に会ったように思えた。致命傷とはなりえない傷が全身につ ・ガンに向かってダイヴした。あわ 意識の内に、男の手のレーザー けられていたのだ。 おれはついにもどした。誰がやったか知らないが、そのときの様てて、男は向き直ろうとしたが、おれの身体は見事に、男のレーザ ・ガンを握っている手にぶつかり、銃は床に転がった。おれはそ 、ふら 子を考えたたけで、我慢ができなくなったのだ。口をぬぐい れを擱みとろうと、手を伸ばしたが、その前に、態勢をたてなおし つきながら居間に戻り、床の上にすわり込んだ。 た男が、おれの足にタックルしてきた。おれは、顔から床に突っ込 微かな音と共に、何かが焦げるにおいがする。おれは、言うこと をきかない身体を、無理やり立ち上がらせる。ドアの局囲から、煙んだ。激痛に全身の力が抜ける。男は、おれを床から持ち上げる
「信しようと信じまいと、かまわないわ、それより、ハマダを止めは、叩きつけてきた爆風と、ビルの破片に、道路に打ちつけられ なければ ! あの男は、セリを追って過去へ行くつもりなのよ、そた。 うにちがいないわ ! 」 「遅かったわ ! 」 「セリが過去へ ? 」 レディの悲鳴を聞いたように思えた。おれは頭をかかえて、路上 ここを脱出しなければ。それたけ 「そこよ、あの娘は、過去の人間を連れてくるのでは飽き足らなくを転げ回った。警察が采る前に、 を考えていた。タイム・マシンかどうか知らないが、ここで何か異 て、自分で過去の住人になろうとしたのよ。 「それをハマダが追っていくのか ? 常な爆発が起きたことだけは確実た。警察にまき込まれたら、おれ 「あの男が、ラーキンからタイム・マシンが、リョウのところにあのこの仕事のこともばれてしまう。そいつだけは避けねばならな ることをきき出していたら、絶対そうするわ」 もう一度、爆発が起こり、立ち上がりかけたおれは、道路に激突 「妹思いなんだな」 する。左腕がいやな音をたて曲がり、痛みが走る。それが、おれに 「馬鹿なことを ! セリはあの男の妻よ ! 」 力を吹き込んだ。爆風が納まるのを待たずに、おれは跳ね起き、サ 何が何たか、おれは混乱しはじめていた。 「危険なのよ、あのマシンは、セリを送り込むというひどい負荷過プ・ウェイの入口に向って駆けた。 重で、オー ・ホールしなければ、今度、使うと爆発しかねない オフィス・ルームにたどり着くまでは、地獄の苦しみだった。全 一歩、足を踏み出すたけで、苦痛が全身 身が言うことをきかない。 おれは彼女の気魄に押されて、ラーキンの部屋から出た。 を支配する。そして、やっとの思いで、オフィス・ルームのドアを 「そのタイム・マシンとやらの動力は、どうしたんだ ? 」 押し開けたおれは、呻き声をもらして、そのまま床にすわり込ん シティのメイン・ラインからもらったわ」 レディは気もそそろに答える。おれは思わずうなすいた。 部屋の壁のパネルに、赤いランプが無数に点減しているのだ。そ 「西南の二十一・フロックあたりからじゃないか ? 」 の一つ一つが、処理システムの故障を示している。何てことだ。あ 「そんなようなところたったわ」 の数からして、来月は、おれがおごることになるのは確実だ。おれ にやつい 吉田の奴、故障の原因がわかって喜ぶそ。おれはつい は頭をかかえようとしたが、右手だけしか動かない。左手の痛みが 道路に出て、数十メ 1 トルも走ったとき、凄まじい光と音が、二やけに重かった。 百メートルほど先の・フロックで起きた。両脇のビルとビルの壁に音 がこたまし、光が縦横に闇を切り裂く。次の瞬間、おれとレディ ◆、」 0 9
とがあっただろう。あの時点では、・ほくはそう信じていた。だが、す。左側へ進めば助かりません。早く出口へ急ぎなさい』 「駅前ビルの通路を進もう。危険でもわれわれの経路を進むんだ。 阪神の地トで生活をはじめてから、考えは変った。過密化した人間 の行動を実験材料にするなら、何も小人数だけを残す必要はなかっ失敗してもいい。試行錯誤こそ人間の特権なんだ」 たからだ。 ・ : 結局、地下街環境でしか生きられない人間に対する チカコンの挑戦だと、ばくは受けとめた。だが、いっか地下から、 おれは立ちすくんだままだった。 出口を発見する能力を持つ者が生まれるだろう。そう信じていた」 右側に桜橋の出口が開いており、左側に駅前第一ビルの入口がロ 「この子がそうだというのか」 を開けていた。 「そうだ。・ほくはもともと地下人種を軽侮していた人間だ。だが、 おれが結局生活できなかった地上の社会と、地下に蠢いている無 今はちがう。一年間地下に閉じ込められた人間だ。だから、この子力な人間たちが、奇妙に頭の中で重なった。おれは腕の中に小さな を地上に渡す訳にはいかない」 肉塊を抱えたまま、自分の置かれた奇妙な位置に戸惑った。 「この子が私の子といったのは、・ とういうことなんだ」 おれは駄目な男だった。何ひとつ自分で決断を下すことが出来な おれは男に訊ねた。 かった。だが今、おれはひとつの通路を選ばねばならなかった。 「地下を封鎖したのは、ラブラスの鬼を誕生させるために必要だっ 「よし」 たということだろう。つまり、地ド街は、地上の社会が必要として おれは断言した。 いるひとりの超能力者を生むための子宮だったことになる」 「おれが決める。この子が地下街という子宮から生れたのか、おれ 男は吐きすてるようにいった。 の子なのかは知らない。ただ、この子の意志を感じられるのはおれ 『その通りです。地上は待っているのです。早く、出口へ急いで下だけだ。だから、おれがこの子にく。おれは、この子の決断に従 って進路を決める」 声は地下道に響きわたった。 男は何も言わず、地下街は沈黙したままだった。 おれは両手でその子を抱えて、二つの通路の中間に立った。 「だまされるな」 青年はおれに叫んだ。 ( さあ、行こう ) おれはゴローに呼びかけた。 「おれたちは何のために地下街に生きのびてきたんだ。おれたちは 腕の中で確実に体が動いた。おれはその方向に歩き出した。 やっとおれたちを地下に閉じ込めた存在に勝とうとしているのだ。 信じろ。今開いた出口を出てはいけない。イメージに描いた通りの 経路を進むんだ」 『もう、その進路は通行不能です。噴流が地下二階まできていま 4
ておけば、一日でも観察を続けているにちがいない。 ソネ博士が悪態をついているうちに、二台の・ ( ギーは、ジャング 立ち去りがたい想いの古生物学者を、引きするようにギーに乗ルを出ぬけた。行手に、小灌木の生えた草原が拡がっている。 せこみ、エベレットは、出発を命じた。 グロン。フテリス植物相ーーベルム紀の寒冷地の典型的な植物相で ソネ博士は、アンテオサウルスを運ぶよう、哀願にちかい口調である。羊歯類のグロソプテリスが、さまざまな大きさに適応放散 頼みこんできたが、 = べレットは、拒否した。・ ( ギーには、六百キし、あたり一面をカ・ ( ーしてしまっている。 ロの巨獣を積みこむスペースがなかったからである。 工ペレットは、そこで、・ハギーを止めた。ここは、白亜紀末の世 鱗木、封印木など、石炭紀の特徴をとどめているジャングルを行界とは別な意味で、太古の楽園といえた。 きすぎるあいだ、古生物学者は、新発見についての専門談義に花を草食動物の群が、のどかに草を食んでいる。牛ほどの大きさの四 さかせていた。 肢の短い動物である。斜め上方に頸が伸び、その上に頭部がある。 「体温が、二十九度しかありません。射殺直後ですから、実体温とその頭部を支えるため、上半身は発達しているが、背は後肢にかけ みてまちがいないでしよう」 て傾斜している。その後肢には、アンテオサウルスと同じように、 サエキが、眼を輝かせた。現存哺乳類の体温は、三十六度から三 「地を這うもの」の特徴が、まだ残っている。がにまたなのであ 十九度のあいだである。 る。 「単孔類のハリモグラや、もっとも原始的な食虫類ーーたとえば、 「モスコプス ! 」 マダガスカル・テンレックなどでは、体温は、三十度前後しかな ソネ博士が叫んだ。一目で見分けられたのは、職業的な修練のせ 。獣窩類は、獲得したばかりの内温性という形質が、まだ完成さ いである。これも、従来の復元図を否定する形をしていた。ヨーロ れていないとみるべきだろう」 ツ。 ( 野牛のような、長い体毛で覆われていたのである。 「すると、アンテオサウルスは、冬眠しますか ? 」 獣窩類モスコプスは、化石の産出例も多く、復元も正確に行なわ 「いや、あの巨体だ。ヤマネのような小型哺乳類とちがって、完全れていた。ただし、体毛の有無を除いてはーーである。 な冬眠はできんだろう。だが、熊と同じように、穴ごもりをして、 体長三メートル以上、体重七百キロ以上。この太古の世界に、適 新陳代謝をセープすることはできたろう」 応しきっている。モスコプスの群は、およそ二、三十頭ばかりい ソネ博士は、そう言「てから、 = べレットのほうを見や 0 て、吐る。かれらは、明らかに仔を生み育て守「ている。草を食む円陣の きすてるように言った。 内側に、小さな個体が囲いこまれている。 「あの判らす屋めが、アンテオサウルスを運んではならんと、ぬか 見まもっているうちに、別な動物が現われた。モスコプスより、 しおった。あれが、ダイヤモンドにもまさる貴重なものだというこひとまわり体が大きい。胴の長さに比べて、四肢が短いが、頸は立 とを、理解せんからだ」 っている。体重は、一トンを越えるようである。 ー 3 2