オ - フィス・ルームはやけに冷房が効いていた。思ったとおりだ。 ひどい寒さのわけがわかった。おれは思わずにやりとした。西南の おれはドアからカードを抜き取ると、ますェアコンのスイツ第二十一・フロックというのは、おれたちにとっては鬼門にあたる。 チを切った。次に壁のヴィジホーンのスイッチを入れる。相棒の吉 なにしろ、そこで処理システムが異常を起こすと、どういうわけか 田からの伝言があるかないかを確かめるためた。毎週木曜日からはその地区のコン。ヒューターの処理システムにも異常をきたすのた。 じまるおれの勤務の、ますはこいつが手はじめの儀式だ。 それはもう一カ月以上も続いているのだが、どうやら電圧が極度に 月曜から水曜まで、このオフィス・ルームに詰めている吉田は、落ち込むことが原因らしいとはいうものの、はっきりとした原因が ひどい暑がりで、室温を二十度以上に上げたことなどない。何度、まだめないでいる。で、おれたちが、あたふたと出かけていくと ェアコンを切っておけと伝言を残しても、この有様た。今日は特に いうわけだ。 ひどい。寒暖計を見て、おれは震え上がった。十度を割っている。 たいていは近くのコントール・ターミナルをいじれば、元に戻 壁のスクリーンに映し出された吉田の顔に向かって、おれは悪態をることになるのだが、何しろ、一回の出動について、一回の食事を ついた。 この数 賭けている。吉田が口惜しそうな顔をするのも無理はない。 いつも吉田の出動回数は、おれを何度かオー この仕事に就いてから、五年近くになるが、吉田の作業を引き継カ月というもの、 いだのは数えるほどしかない。通常は、三日間の労働日の範囲内でしており、おれはおごられつばなしなのだ。ついてないと思って、 処理できるものばかりということになる。もちろん、おれの方からあきらめろよ ! おれはスクリーンの吉田に向かって、言ってやっ た。それと同時に、ヴィジホーンは暗くなった。どうやら伝言は、 仕事を残したこともほとんどない。 おれたちの仕事は、ニュー ・シティのメンテナンスた。もっとはそれで終りらしい。おれはデスクの前に腰をおろし、一つ大きく伸 つぎり一 = ロっちまえば、このニュ ・シティの廃物処理システムの管びをした。 理要員ということになる。とはいっても、コンビ、ーターが大部分その途端、ドアの前に誰かが立った。外から中は見えないが、こ の故障や事故は自分で処置してしまうから、実際におれたちが出向ちらからは、丸見えという例のドアだ。男だ。それもおれの知って いる男たもっとも、向うはおれの事を知っているってわけじゃな いて処理しなければならないというケースは、月に一度か二度、あ 二十七、八歳といったところだろう。整形手術の発達した現 れば多い方ということになる。 「西南の第二十一・フロック、地下四十八階で、いつもの奴た。それ在、見かけの年齢はあてにはならないのだが、その男に関しては、 が、今度の奴はかなりのひどさで、一度に二十五個所で、いかれやおれは自信を持ってそう言い切れる。 なぜならその男は、このところ異常な人気を集めているコズミッ がった。今月は、これでおれの負けということになりそうだな、畜 ク・ダンサ 1 のハマダ・ユウだったからだ。たいして興味はないお スクリーンの中の吉田の顔が、口惜しそうに歪んた。それでこのれですら、名前と顔を知っているのだから、まあ、相当のものたと
「光瀬の年代記に、無数にちりばめられているこういったいわゆる光瀬それもないよね : : : あのね、ある種の物語を書くときに、意 光瀬節は、たんなるレトリックではない。ムードを盛りあげるため識せずにそういう作業をしているということはありますね。とい うのはね、ジ、ニアものじゃあね、子供に合わせて、子供の読解 の修辞ではない。無に惚れこんたがため自すから彼のロをついて出 力とか国語力に合わせて書くでしよ。自分のわがままだけでは書 るエレジーなのだ。時の魔力に捉われてしまったため歌わなければ けないですよね。だから、自分の文章の形が違ってきますよ。 ならない彼自身の歌なのである」 ) ふーん、制約があるためにねえ、子供には光瀬節は与えられな 光瀬あのねえ、だれかが朗読すると調子がいいといいましたよ : ・ : ところで、ぼくはあなたの「落陽二二一七年」を英 いわけか : 訳するために何度も読んだんでしよ。そのとき、あなたが日本語 何もなさそうだけれど、声を出してみるとすごく調子がいい で出しているふしを、英語で出せたらなあと思いましたね : : : や そのうち、読んでいるうちに、何か大きなものがあるんじゃない つばり、あれは、あなたのいわれるリズムなんでしようかねえ : そう かというような気がしてくる。そういって欲しいでしょフ : さてと、ほかの人の作品を何度も読みなおすこともある ? 例 いうものじゃないの ? えば、星さんのにしろ、だれのにしろ : 調子だとかロあたりのよさというのには、な 光瀬光瀬節という、 光瀬そりゃある、ある。 んにも意味はないのよ。 どんな傾向のものを読みなおすことが多いですか ? はん ? ( 驚いたてい ) あるよ : : : 意識はしているの ? 例え 光瀬どんなものといっても、それは自分の楽しみで読むわけだか ば、五、七、五でいこうとか ? ら、自分の気に入ったものとか、印象の深いものとかね : : : っ 光瀬いや、それはぜん。せん、それはない ( とんでもないといった 、四、五日前に読んだのは、あの星さんのエッセイだったな、 口調で ) 。 ひとこま漫画に関する : しかし、・ほくが読んでいても、すいぶん浪花節をうなっとるな あれはいいもんだわなあ。あれでまた尊敬の心がもうひとっふ あというところがあるもの。 えたものねえ。それで、あなたの読書というのは、どういうもの 光瀬そりややつ。はり慣れたおしゃべりというだけでしようね。文 をお読みになりますかと尋ねられると ? 章の持っているリズムみたいなもの : いまごろ、小説を読むということがなくな 光瀬好きなのはね : 自分で意識しては書いておられないってこと ? っちゃってねえ ( 笑い ) 。 光瀬意識して、できるできない、書けるというものじゃあないん うん、わかるわかる。忙しいもんなあ。参考書しか読めなくな じゃないですか ? その人の持っ文章のリズムなんだから。 るわね。翻訳の場合は、翻訳するものたけを読むという、ちょ 0 ぼくはあなたの文章を読みながら、あれは意識して書いとられ と不純な : るんじゃないかと思っとったがなあ。
きの地蔵遊園地にも一カ月くらい前に彼と一緒に行ったの。楽しか た。私は、その光景に絶叫し、目を醒まします。その繰り返しでし ったわあ」 た。そんなことから、私は無意識のうちに水子岬へ近付くことを躊 「で、裕帆は、その青年と結婚してもいいと思っているんだな。気躇っていたのかもしれません。 私は水子岬の最先端のカーゾで車を停止させました。左車線の縁 にいってるんだろ」 の外に車を寄せ、私は車を降りました。特有の潮とオゾンの匂いが その質問に、裕帆がゆっくり頷くのがわかりました。 鼻をつき、しとど湿気を含んだ風が横なぐりに吹きつけてくるのを 「 : ・ : ・でも、不安なの」 感じるのです。 私はその一言で、ほっと溜息をつきたい気分でした。 「彼、私を愛してくれているのは、わかるわ。実感として感じる我々以外の誰も岬には見えません。あの事件のあとに設けられた の。私には、とても優しくしてくれて : でも言葉ではうまく言のでしよう。頑丈そうな腰の高さほどの白塗りの鉄柵がこれみよが い表わせないんだけれど、余り優しいので、言いようのないこわさしに立ち並んでいました。 を感じてしまうことがあるの。お父さん、こんな気持わかんないで「情緒も打ち消したな。昔はこんなものはなかった」 鉄柵を蹴りながら、感慨深げにもらすと、裕帆が笑い声をあげま しよう。私も確実に、彼を愛しているのがわかるのに : 遠景として前方に拡がった水子岬は相変らす、強い潮風とまともした。 に闘っていました。道路際に背丈の低い赤松林が果てしなく続いて「ふふ。でないと、お父さん達みたいに事故を起す人を防げないし ゃない」 います。 それもそうです。裕帆は車内から花東をとり出し、私にさし出し 「初めてきたわ。水子岬に」 そうなのです。私自身、水子岬へやって来たのはあれ以来のことました。 なのです。岬の先端への道路までは何度もカー・フを通らねばなり「献花はお父さんがやるべきよ」 ません。 夏の花々でした。ダリヤ、ケイトウ、フョウ、コスモス : れに名も知らぬ色とりどりの花々。私は裕帆から花東を黙って受取 「もう、岬の先端だ」 赤松林が切れると、絶壁になった道路の下はすぐに海が眺められり、岬際の道路の端に置きました。花粉が風に吹かれ、不規則に舞 いました。横を向くと、裕帆は瞳を閉し両手を合わせていたので るのです。白い潮の飛沫が、海面から突出した岩礁の上で砕けて踊 っていました。私にとっても水子岬は二十年ぶりのことでした。あす。 れ以来、眠りの中で、何度もこの水子岬に立たされていたのです。 裕帆が顔を上げるのを待って私は尋ねてみました。 詩帆とも、裕帆とも、数知れす夢の中で、共にここへ来ていまし「何、お祈りしていたの」 た。その度に、彼女達は私を一人残し、岬から身を踊らせていまし「二十年経って初めてここへ来たでしよ。ここまで成長したことの 99
るでしよう ? そのあいだに書き下ろしの依頼を、どれぐらいっ ほとんどが、見るのもいや ? ( 驚いた口調で ) ぶしてしまったか、わかんないよね。 光瀬なんかいやだねえ、書いたときの気分をまたありありと思い ふーん、もったいない。 出すわけねえ。苦心惨憺書いたとかさ。 光瀬まったく。 欠点が多いということで ? フレーフレ 光瀬いまだったら、もうちょっと書きようがあったのにとかさ。 ー・ミッセー ( と、さけび ) 、さて、と : 何度もいったことだけど、あなたの作品にはいわく不可解なと あなたの文章はいい文章だと思うんだけど : : : そういう文章を書 ころが、わけのわからんところがあるわな。そこなのかなあ : く訓練というのは、何かでしたわけ ? それで、いままでに何冊書かれました ? オいかな、あのう、ほら : : : もちろん、矢野さんの 光瀬あれじゃよ 光瀬そんなに何冊もないんですよ ( 指を折って勘定しはじめる ) 。 世代もそうでしようけど、。ほくらの場合、漢文ねえ、学校のとき、 ああいうことってのが、文章 三十五冊から四十冊のあいだと思いますがねえ。 漢文の時間が多かったじゃない ? を書くうえで、役に立っていませんか ? そういう気がするんだ 書いた枚数は何万枚ぐらい ? けどねえ : : : なんやかんやとおぼえさせられたりしたじゃない ? 光瀬一冊五百枚として、二万枚ぐらいかな ? よっ。ほどいい先生にあたったんだなあ。ぼくの場合は、英語だ それで、一冊書き上げるのに、何時間ぐらいかかるもんです ? ったのかなあ ? 光瀬何時間なんて、そんな ! ( 大笑い ) 光瀬なんか、ああいうことがねえ、どこかに、あの、あれです では、何日ぐらい ? 何か月といってもかまいませんがね。 よ、下地というか、肥やしというか、あったんじゃないかという 光瀬書き下ろしの場合ですかフ 気がしますねえ。われわれ漢文世代でしょ ? うん。 はあーっ、それほどのことでもないよ ( と、反抗している ) 。 光瀬一年以上かかってますよ。 ・ほくは。せをせん漢文の世代じゃないと思うがなあ。 みんなそういうこというけれど、本当はもうすこし早いような 、、ほら、ああいうものをよくお・ほえたもんです 気もするけれどなあ ( と、 いって翻訳でも『愛に時間を』などは光瀬赤壁の賦とカ 一年以上かかっているのですが ) わかるわかる、いおうとされていることは。だいたいの感じと 光瀬第一ね、・ほく、書き下ろしは一冊しかないのよ。『たそがれ に帰る』ただ一冊よ。あとはみな、連載したのをあとで本にした してね。 だけでね。 光瀬形容の仕方とかねえ、それから叙述の仕方とかねえ、なん ちゃんと聞かせてちょうだい : : それ、ほんとのこと ? か、言葉の選びかたとかねえ : : : そういうのがすいぶん役に立っ 光瀬ほんとほんと ( 笑い ) 。だから、いかに遊んでいるかがわか たような気がしますよ : : : 唐詩選なんかいまでも好きたしね。
の入口目ざして、駆けた。もちろん、何度も、方向を変えて駆け 「いや、そこに男物のーーー」 レディの反応はおそろしく早かった。居間の方を振り返り、おれる。何条ものレ 1 ザー光線が、道の上で異様な模様を描いて、交錯 が何を見つけたのか、探そうとした。そんなものは、あるわけがなする。そこここで、人の悲鳴が上がった。その悲鳴と共に、何条、 の赤い線は、生命を失って消える。 すぐに彼女は、自分がかまをかけられていることに気付いて、 全身から汗が吹き出る。今度は冷汗だ。一度などは、耳をかすめ 無言のまま、向きなおり、手を振り上げておれを打とうとした。お ・ハランスを崩した彼女の身体た光が、目の前の壁に反射し、今度は逆の耳をかすめて、飛び散っ れはその手を途中で、受けとめる。 は、おれの胸に飛びこんできた。離れようとしてもがく。おれは一たことすらあった。膝ががたっきはじめる。何百メートルも走った と思えた頃になって、ようやくおれは、一つのビルの中に飛び込ん 層強く、そのしなやかな身体を抱き締めた。 だ。む臓が途方もない・ヒートを繰り返している。もちろん、・これで 外へ出たときには、あたりはすっかり暗くなっていた。月でも出安全というわけではない。荒い息を整えながら、ホールの中を見回 ていれば、ムーンライト・シティということになったのだろうが、す。 ーヴ・ラーキンの住んでいるビルであった。おれは、 あいにく、曇っているらしく、道路は、・ほんやりとしか見えない。 ・ビラーの中に飛び込んだ。地下二十三階まで降り エレヴェーター 今さら、オフィスへ戻る気もしなかったが、どうしたものかと考え ながら、一・フロックほども歩いたとき、右肩のあたりに凄まじい熱る。そして廊下を駆けて、ラーキンの部屋を探した。それは、廊下 さを感じ、明るいものが、飛びすさるのを見た。それは真紅の光のの突き当りにあった。 思いきりドアを叩く。すると、ドアが、おれのこぶしの下で動い 線であった。おれの視界を水平に横切り、あっという間に数十メー たように思えた。思いきって、押してみると、それは内側に開い トル先のビルの壁に当ると反射し、エネルギ 1 を失うまで、道路の た。ラーキンがキーをかけ忘れていたのか。おれは、安堵のため息 両脇の壁の間をジグザグ状の線を描きながら、遠去かっていく。 レーザー・ガンだ ! おれは、道路に身を投げた。もう一度、光をもらして、中に飛び込み、ドアをロックする。全身からカが抜け が走り、数メ 1 トル先を歩いていた男が悲鳴をあげた。おれは、転た。おれは、ドアに背中をもたせかける。 ? ラーキン ? 」 がりながら、射手を探そうとした。また赤い光が闇の中から、ほと「誰かいないのか おれはあえぎながら、声をかけた。返事はない。おれはふらっく ばしる。そのときだ、おれは、その闇の中に、ほの白い人間の顔を 見たように思った。それはサンライト・シティの住民たちの日焼け足を踏んばって、部屋の中を探しはじめた。居間のソファ 1 の背か ら、頭が半分見えている。おれはもう一度、声をかけた。返事はな した肌を見慣れた眼には、おそろしく不健康に、白く見えた。 ソファーの前に回ったおれは、心臓が二つ三つ、脈を飛ばすの 2 腹から数十センチの道路に、レーザ 1 光線があたり、コンクリー トが焦げるにおいが鼻孔を襲った。おれは、跳ね起き、近くのビルを覚えた。
丁に怯えているのだった。 やっと観察する余裕ができた。痩せた女たった。それも一目で栄 養失調とわかる。眼だけが異様に大きく飛び出していた。おれは庖 丁でハムを厚く切り取り、女の前に差し出した。カウポーイが言葉 の通じないインディアン娘にする仕種じみていた。女は毛皮の中か ら両手を出してそれを取った。警戒心はもう失せたようだった。な さぼり食った。何度もおれは肉塊を切り取ってやった。 。 - キスギスした体つきで、皮膚は荒れていた。 女の上半身は裸た。・ 細い指に指輪を何個も付けているのが気味悪かった。親指以外のす べてに指輪が光っている。よく見ると女のくるまっている毛皮は恐 ろしく高級なものだった。。フルーフォックスのコ】トを敷物代りに し、 ( ステルミンクのコートを胸あたりまで引き上げている。床 の周辺には引き裂かれた衣類と血が染みた下着が散乱していた。何 があったのか、想像はついた。 女はちらっとおれの表情を見て、咀嚼を一瞬やめた。 「ごめんね。さっき四人来たやつらの仲間かと思ったんよ」 かすれた声を出した。 「狐みたいな男はいたか」 「いたわよ , 女はいっこ。 「最初のやつやわ」 一キロ近くの肉を食べたのではないかとおれは思った。女は食べ 終ると、当然のように身の上話をした。毛皮や宝石が好きやからこ の店に勤めてたんよ、皆逃げたけど、毛皮着てみたかったし、火事 か水浸しになるんやったら持って行こう思て、結局、店に閉じ込め られてしもたんよ : ひとしきりしゃべった後、女はおれの顔を見て、「あんたも、か これも実験なのだろうか。おれの行動 まへんのよ」といった。 の様式は、性的ライバルとの闘争に勝ったことになるのだろうかー ーそんな思考が頭をかすめた。 おれは痩せた女の肩に手を回し、・フルーフォックスの毛皮の上に 押し倒した。 春になっても女は毛皮を手放したがらなかった。ひどいつわりで 苦しみ、吐いた食物でいくら汚れても、毛皮にくるまって寝た。お 」へ移動した。狐に似た板前が刺身 れは曾根崎から逃げるように、ヒ 庖丁を振りかざして追ってくる悪夢に苛まれながら、何度も寝ぐら を変え、最終的には地下街の北端に住みついた。三番街から地下通 路をさらに北に抜け、小さい人工滝の裏側のレストランに、小動物 が隠れ棲むように居ついた。女は長年住みなれた長屋にいるかのよ うに、レストランの隅に汚れた毛皮を敷き、ほとんど動くことがな くなった。 食料は、三番街〈トレビの広場〉に行けば手に入った。 中央の螺旋階段が北の食料搬入点になっていて、下には阪急デパ を印づけている ートの食品売場から移動してきた集団がテリトリー のだが、食料を貰って立ち去る分には、攻撃されることはなかっ 夏になって、女の腹は異様に膨らんだ。体が衰弱し痩せているだ けに、腹部たけが目立った。 女は空腹を訴える以外にはロをきかなくなって、汗で汚れた毛皮 の上で寝返りをうつくらいしか動くことはなかった。地下街の夏は 短く、空調の停止する夜間も汗をかかなくなり、多分地上は秋なの こ。
ば、おれのところに来るということはそれだけで、裏に何か事情が 「美人だな。だが、あなたとは、あまり似ていないようだ」 ハマダが緊張するのがわかった。真白いプラ・スーツの胸元からあるということを意味する。 見える見事に日焼けした肌から血の気が失せていくのがわかる。 「それに、今、届け出たら、セリの経歴に傷がつく。ただ一人の肉 「あなたとは関係のないことた。探せるか ? 」 親として、それはさけたいのだ」 「警察には、届けたのか ? 」 もちろん、おれはそんな言葉を信じるわけもない。それにしても 「届けるくらいならば、こんなところまで来るわけもない。まだ カードを持たすに出ていくというのは、常識からして、信じら れないことだ。幼い頃から、習慣づけられたことを捨てるというの 「で、いっからいなくなった ? 」 は、おそろしく大変なことだ。現に、おれが手がけた数十件のケー 「三日前た。あなたの勤務日が来るまで待っていたのた」 スで、カードを使わない例はあったにしろ、最初からそれを捨 日本中の人降カ ゴ ; 、ほとんどコン。ヒューターに登録され、カー てて出た人間は一人もいない。 ほんのちょっとしたきっかけで、こんなことに足を踏み込むこと ドがなければ、食事もできなくなっている今、行方不明になるとい うのは十中八九、死を意味する。なぜなら、生きている限り、になったおれだが、こいつは少々やっかいなことになりそうだとい カードを使用せざるを得ないのだし、もしも使えば、すぐさま足取う予感を感じた。予感を馬鹿にしてはいけない。こいつで、危ない りがめるということになるからだ。つまり、行方不明という人間目から逃がれたことは何度もある。 は、根本的にありえないことになる。 「しかし妙だな」 たが、それでも行方不明になる人間は、年に何人かは出る。もち「何が ? 」 「その妹さんがカードを置いていったってことが、だ」 ろん死体となって発見された者は除いての話だ。彼らがどうなった 「それはそうだ。だが、わたしには見当もっかない」 のかは、誰にもわからないことた。そういった人間が集まってユー トビアを築いているという噂が流れたこともあったが、それもあく「で、失踪した理由は ? 」 「わからない」 までも噂でしかない。 「そうか、じゃ、おれも、こいつを断わる」 「妹さんは、—カードを持っていったのか ? 」 「何だって ! 」 「いや、彼女の部屋の机の上に置き去りになっていた。それもあっ 無理やり、おれは自分の手に言うことをきかせて、。フラスチック て、警察に届けても仕方がないと思った」 ・ヂックスの中のウィアード・テールズの創刊号、創刊号た・せー 通常の失踪者なら、警察のコン。ヒューターがしきに発見する。そ そいつをハマダの方に押しやった。 れでも、中には、警察に届け出ることのできない事情がある場合、 「いいかげんな話を聞かされて、危ない橋を渡るってのは、おれの おれのような人間のところに依頼に来るというわけだ。逆に言え 7
間以上経過している。また沈黙が戻ってきた。 い出すまましゃべりますが : ・ : ・ほくは阪神沿線の医大に勤務してい その時、どこかでモーターの回り出す音がした。皆は一様に顔を る。家は地下鉄西田辺だから、梅田で阪神から地下鉄に乗り替える ことになる。昨夜は当直だったので、今、帰宅の途中だった。いつ見合わせた。 防火シャッターが上がり始めた。同時に二枚のシャッターが動い もならすぐ乗り替えるのだが、今日は娘の誕生日なので、。フレゼン トを買うために地下センターまで出てきた訳だ。そしたら、シャッていた。閉じ込められていた区画の東西両側の通路が開き始めてい ターが閉り始めた。ともかく帰りたい 一心で、地下鉄の方向へ走っるのだった。 二つの通路は開ききった。一方は阪神・地下鉄のターミナルにつ た訳だ。そして例の減茶苦茶なシャッターと防火扉の開閉に巻き込 まれた。ともかく通路の開いている方向へ走った。逃げ遅れたつもづき、他方は富国生命ビルの方向へ向う通路だ。どちらの通路にも りはないんだ。それに地下鉄ののりばたけを目指した。一旦地下へ人影はなく、通路両側のシャッターはすべて閉ざされていた。 地下街のどこかから声が聞えるような気がした。 逃げようとは考えっかなかった」 「さあ、どちらへ進むか選びなさい」と。 周囲がすこしざわっいた。 「 : : : 店の方が気になって : : : 」「ロッカーの荷物をとりに : 「子供を待たせていたのが : : : 」 ( おれは : : : ) おれは別に逃げようとはしなかった。 ( 地下街から 出たいとは思わなかったからなあ ) 三番街地下一層「よそおいのまち」は予想以上に荒れ果ててい 「追い込まれたといったのはそのことなんです」医大助手は言葉をた。 強めた。「チカコンは狂っていない。規則正しく通路を開閉して、 照明は地下二階よりも暗い。通路が細く、入り組んでいる上、破 われわれだけを残したような気がする。箱の中に豆粒をいつばい入損の状況もひどかった。毀された螢光灯と寿命の尽きたランプが多 れる。それに仕切りを立てて開閉する。残った分を外に出して、まく場所によっては暗闇に近いところもある。商品の散乱ぶりも、以 た仕切りを立て直す。これをくり返したようなものだ。逃げ遅れた前一度通った時に想像した荒れ方以上だった。まともに並べられた 商品は皆無といってよかった。 人間の方が、すんなり地上へ出られたのかもしれない」 一刻も早く迷 おれには差し当り漁らねばならぬものはなかった。 青年の言葉は説得力を持っていた。管理システムが狂ったのな ら、防火シャッターだけの混乱で済むはずはないからだ。照明も空路を抜けたいだけだった。通路には ( ンド・ハッグや靴がいたるとこ だろに散乱していて、何度も転びかけた。片手で倒れかけたマネキン 調も正常だった。静かで、いつもより気分がいいほどだ。 ュんュ / を起こしたり、棚を持ち上げたりして進んだ。腕がしびれ、何度か 防火扉とシャッタ】で囲まれた空間に閉じ込められて、もう五時腕の中の塊を持ち替えなければならなかったが、声をあげることは
世界大衆小説全集「魔法医師ニコラ・大のキャンプ他」表紙 をひらいて、アズニッグ街 AZNIG やオルゲム町 もちろん、こんな発見があると、うれしいのはうれし いが、このごろはやたらにむなしくなる。もし、・ほくが ORUGEM オグノー街 OGUNOH 或はアドナック 「こてん古典」などやっていなければ、もっと、いい研街 ADNAK などの名を見るたびに、幸せにつつまれ 究をしてくれた人がたくさんいたのではないかと たオイコット市の思い出のかずかすが、しみじみとよ みがえって来て、やるせない郷愁に、胸の底をかきむ しられるような思いさえするのである。 囹オイコット市の物語 なっかしのオイコットよ。アズニッグ街に出るたび に立寄った喫茶店ニラッカス NIRAKKAS のエクレ どうも不思議でならないから。手許にある一九九七 年版のフィリツ。フ世界地図を開いてみても、やはり太アの味よ。部分縫いが出来なくて、居残ってボタン穴 平洋諸島の中には、ちゃんとノッ。ヒン島 NOPPIN と を三十もあけさせられたオルゲム町の洋裁学校のタ焼 いう島は出ているし、東経百三十九度四十五北緯三十けの色よ。夕飯のお菜を何にしようかと考えながら歩 いたオグノー街の煉瓦道よ。 五度二十九の地点には、あのなっかしいオイコット市 いまも、心の中には、まるで明日のようにありあり OYKOT の名が首府の記号の二重丸の上に、 リとゴチック体で記してある。それどころでなく、 と刻まれていながら、夢のような、あのオイコットで 九九四年版の有名なポスウエル・ジョンソン編世界市の明け暮れが、一体来年のことだったのか、それと 街地図大集現代篇第六巻 (OK—PE) には、オイコッ も、もう二十年も三十年も遠い未来のことたったの か、それをどうしても何としても思い出せないのが、 ト市の精細な地図も収録されてあって、私はこの地図 自分自身でいら立たしく悲しく、あまりに不思議でな らないのである。 という、とてもシャレたでだしのがある。昭和二 十一年五月に創刊した「 Z 」という漫画・文芸誌の 二十三年新年特別号に掲載された作品た。 タイトルは『スカートえの不思議な郷愁ーーー或はオイ コット市民の羨むべき風俗について』目次には、エッセ イとして紹介されているが、まぎれもない小説だ。 作者の名はーーーあとにして、少しストーリイを追って みよう。話は独白体で進められる。 2 日
レディは、一瞬、考え込んだ。 「わかるわけないわね、私は読心術者しゃないのよ」 「それ以来、一度も連絡はないのですか ? 」 「そうね、たぶんあなたにもわかるような、具象的なもの、たとえ 5 「そうよ、でも、わかってるのよ、あの娘は、出てくるつもりになば人物像なんかを良く制作していたわ」 れば、きっとここに戻ってくるって」 「かなり、細かなものもっくれるんでしたか ? 」 レディは、けげんそうな顔をして、・おれの顔と手にした雑誌を見 他人が信じていることには、さからっても無駄た。それに、この 女は、普通のもっていき方では、手に負えそうもない。作戦をたて比べていたが、何を思ったのか、笑い出した。 なおして、出直したほうが良さそうだ。おれは、勢いをつけて立ち「まさか、あなた、まさか、セリがその雑誌の複製をつくっていた なんてこと、考えていたんじゃないでしようね」 上がった。そのときだった。おれの目の端に、何か見慣れた色彩が 飛び込んできた。 そのまさかは、まさに図星だった。おれは動揺を見せまいと、こ アメ 1 ジング・ストー 丿ーズの表紙た。その雑誌は、クッションとさら身を固くした。 の一つの下から、半分、顔を出していた。おれは、身を屈めて、そ「ごめんなさいね、笑ったりして。でも、あなたがそう考えている としたら、そんな馬鹿なことはないわよ。だって、何も彼女がそん のクッションをどけた。一九二七年の八月号だった。 な手間をかけなくても、写真製版というものがあるんですからね、 「これは ? 」 レディの顔は興味なさげに、おれの手にまれた雑誌に向けられ紙さえあれば、すぐにでもそんな複製、つくることができるわ」 言われてみれば、そのとおりだった。だがそいつを認めるのは、 「前にセリが持ってきて、置いていったのよ。ちょっと読んでみたますます自分の間抜けさをさらけ出すようで、我慢ができなかっ けれど、下らない代物ね。欲しければ、持っていってもいいわよ。 あなた、それのコレクターなの ? 」 「とにかく、こいつは、あずからせて下さい」 「いや」おれは答えた。別に隠しても仕方のないことなのかもしれ「どうそ」 ないが、初対面の人間に、自分の弱点を教えるのは、ためらわれた レディは立ち上がって、言った。ドアの戸口に立って、おれは考 のた。それにしても、とおれは思う。今日はいったい何て日た。減えた。このまま去るというのも、やられつばなしで、気分が悪い。 多なことでは、見ることもできないパルプ・マガジンが、どこにで 「それはそうと、あなたといっしょに住んでいる幸運な男性は誰方 も転がっている。そして、手に持ったその雑誌が、やはり新本のよですか ? 」 うであることに気付いた。そのことと、セリが彫刻家であること レディは身を硬くした。おれの顔をにらみつける。 が、突然、心の中で結びついた。 「どういう意味 ? 」 「セリさんは、どんな彫刻をつくっていたのですか ? 」 押し殺した声で尋ねる。