100 万円積立預金 0 い 思う、飛ほリ % 春は、わが子がいちだんと飛躍する季節。大きく伸びて欲しい、伸ばし 積立コースと積立額 てやりたい、と思うのが親心てすね。元気に飛び立っ子どもたちのために 積立金額 満期日まで の期 問 毎月増額月 サンワ 100 万円積立預金をお始めください。月づき、決まった額の積立て 10 , 0 円 ( 28 回 ) 113 , 80 円 ( 6 回 ) 3 年コ ース て、 100 万円が達成て、きる・・・教育資金のご計画にびったりの預金てす。 18. 0 円 ( 28 回 ) 78.80 円 ( 5 回 ) 20. 開 0 円 ( 18 回 ) 153. 圓 0 円 ( 4 回 ) 1 年後、 2 年後、 3 年後・・・みなさまのお役に立つ 2 年コース 25. 0 円 ( 18 回 ) 130. 闃 0 円 ( 4 回 ) 三和銀行 おたくのご予定にあわせて、 30. 0 円 ( 18 回 ) 108 , 0 円 ( 4 回 ) コースをお選びいただけます。 1 年コース 39. 開 0 円 ( 8 回 ) 339 , 0 円 ( 2 回 )
光瀬いいや、いったことはあるって ! 東洋哲学科へ入ったわけ光瀬そら、おたがいさまよ。あのころは、そんなこと普通たった んじゃないの ? いまでこそ、みんな : よ : : : そこをやめちゃってさ。明治の農学部へ行ってんのよ。そ こもやめちゃってさ : ・ : ・これがね、やめるときに、納めた入学金 金かえせなんて ( 大笑い ) 、普通の人はいえないよ。それをま と月謝をちゃんと取りもどしてやめてんのよ ( 大笑い ) 。 た返してよこしたほうも立派だけど、実に、立派なもんだなあ ! おまえんとこは怪しからんとかいって ? 光瀬だって、私がいるのに値いしないんだから。 光瀬いやいや、そうじゃなくて、もう二十年も二十五年も前のこ それはいったら可哀想だなあ : : : まあ、それでこんどは動物学 とだけどね、学校の悪口いったって仕方がないけれど、やつばり 科に四年間ちゃんとかよったというのは、そこがいるに値いした 気にくわない部分があったわけね。それでやめちゃってさ : : : そ わけだな。 れで、高校へもどったわけよ。高校ってのは、東京のね : : : それ光瀬そう。 から教育大へ行ったわけよ。 だいたい、そこへ入るときに、動物学科に入りたいと思った 東京の高校には、一年ぐらいいたの ? 光瀬だからね、正味七か月ぐらいしかいないはすですね : : : 半年光瀬うん。あのねえ、昔からあったんですよ、理科系へ進みたい き、《りし、刀↓は ? というのとね。もうひとつは哲学でもやりたいというのと、相反 それで、教育大学理学部の動物学科か : : : それを三年間ちゃんする希望がふたつあったのね : : : 最初から動物へ入っていればよ : なんというんだろうね : かったと思うんだ。それをちょっと : 光瀬いや、四年。 ・ : 当時の文学青年というかねえ、哲学青年というのか、一足飛び 四年か、それをちゃんと行ったの ? に東洋哲学なんかに行ったんで : : : 反動が来たんじゃないか : 光瀬ええ。 こんなはすじゃあなかったというような : : : ですからね、動物を : これはなんかねえ、わりと : 1 一一 1 ロ 出てからの哲学というのは : あそこもほかと同じで、前後二年ずつに分かれているんでしょ 容できたんですよ。動物をやってから入った哲学というのは、な んというか大したもんじゃあなかった。こりやもう、すでに : 光瀬二年が教養で、あと二年は専門と、建前はね。 中学を出たばっかしの少年にとっては、哲学というのは大変な勉 ふしぎだなあ、そのへんのところ。 強たと思ったわけよ。人生の深遠をきわめると思ったわけだよ 光瀬要するに、そのころは妥協がなかったのね。 ね。 びつくりするなあ、もう。 光瀬なんで ? ( 不思議そうに ) すると、その前の動物学というのは、大したものであると思っ ていたわけ ? なんでって、ほかの人がやらんことをするから。 2
光瀬龍 ( みっせりゅう ) 昭和三年生まれ 昭和ニ十八年東京教育大学卒業
る。 囹明治版「魔法医師ニコラ」 作品としては、一八九四年に出た処女作「うろっ き」をはじめとし五十五篇の小説がある。どれも、多 入手したのは、明治三十二年文武堂刊行の『魔法医少エキゾティックで、冒険譚的匂いの濃いものであ 者』。ガイ・・フースビーの『ドクタ ー・ニコラ』の翻案る。「美しく白い悪魔」「妻を尋ねて世界の果へ」 で、訳者は水田南陽外史。新訳は昭和三十年に、小山書 「エジプト人、フェーロス」「船乗の花嫁」等々。そ 店より刊行された〈世界大衆小説全集〉 ( 全十二巻 ) の の中でも、わたしが今度訳した「ドクタ ー・ニコラ」 は、一番の傑作と言われている。 第七巻に、『魔法医師ニコラ』のタイトルで、 << ・プラ ックウッドの『犬のキャンプ』ほかの短篇と一緒に収録 ということだ。 されているから、ごそんじのかたも多いだろう。 ごそんじなしカナ。 、、こよ、この本はいまでも比較的古書店その数多い作品のうち、ニコラ博士を主人公にしたも で安価で見かけるので探してみると いいだろう。とのは四作。『魔法医師ニコラ』は第二作にあたるが、こ れのみが傑作で、他はとるにたらないという。 いうより、怪奇小説的なムードをもった冒険小説たが、 さて、そのストーリイだが、これはたいして複雑では 読んで損はない。 ( この全集には、ほかにドイル『失わ よい。・フルースというイギリスの青年が中国の上海で失 れた世界』、ハッガ 1 ド『ソロモン王の宝窟』、・フノワ 『アトランティ 1 ド』、カミ『エッフェル塔の潜水夫』業中、ドイツの医者ニコラにやとわれ、一緒にチベ のラマ僧院に蘇生術、不老不死術の秘密を盗みにいくと などが入っており、史上注目に価いする ) いう冒険小説た。 ガイ・プースビーについて、・ほくは詳しくは知らない これだけでは、未読の読者に、どこが傑作なのだ、と が、小山書店版の訳者、西条八十の解説によれば、 いわれそうだが、実にニコラという医者が魅力的な人物 「魔法医師ニコラ」原名 "Doctor Nicola" の作家、なのだ。いかに魅力的な人物か ? ふたたび、西条八十 ーエル・プースビ 1 は、一八六七年 ( 慶応のことばを借りよう。 三年 ) の十月三日、南オ 1 ストラリヤのアデレード市 ( ニコラは ) 催眠術の名人で、鉄のような意志と、狐 で生れている。くわしい経歴はわからないが、一八九 一年すなわち、かれが二十四歳の頃、濠州大陸を北か狸のような狡智とを併せ持ち、欲するものを手に入れ ら南へ横断旅行をしたことがあり、その後東洋へも旅るためには、千変万化の変貌を行い、あらゆる死生の 行したことが記録に残っている。そして、一九〇五年境を平然と踏みこえてゆく一種奇怪な英雄を創造した ことによって、この小説は、かれの作品中で、もっと ( 明治三十八年 ) の二月二十七日に、英国のポスコー もポビュラ 1 なものになった。たしかに、 ニコラは悪 ムで没している。三十八歳の若さで死んだわけであ : ・ 207 ま
The Wings of A Bat コウモリの翼 ポール・アッシュ 言尺 = 舒ロ局夫 ポール・アッシュは、円 58 年にア スタウンディング誌から "Un Willing to School" でデビューした。この 作品はデーモン・ナイトに激賞さ れたが、その後沈黙し、 60 年に 第 2 作を発表。それもポーリーヌ ・アッシュという女性の名であっ た。その後も ' 66 年にこの「コウモ リの翼」と他に一篇を発表したに とどまっている。最初の 2 作はヒ ューゴー賞候悄にもなっておリ、 作品の質が低いわけでもないのに 超寡作、そして性別不明と、ミス テリアスな作家てある。 イラストレーション = 岩淵慶造 74
昭和 35 年 4 月 12 日第 3 種郵便物認可昭和 34 年 12 月 1 日国鉄東局特別扱承認准誌第 682 号昭和 53 年 5 月 1 日印刷・発行 ( 毎月 1 回・ 1 日発行 ) 第 19 巻第 5 号 アメリカ・ファンタジイ & SF 誌特約 くハードの新鋭巻頭 100 枚〉 堀晃 く豪華連載〉 眉村卓 豊田有恒 光瀬龍十萩尾望者 く矢野徹インタビュウ〉洋、ミ , ゴ 第七回光瀬龍 ロ 00 ロ
「南陽外史訳述魔法医者」表紙 が日本人の三芳野文吾という青年に置きかえられ、原作読んでから読んだのだけどもーー妙な読書のしかたもあ にはない妹などを設定しているのに狂喜した。そう、明ったものだ。 水田南陽外史 ( 本名、栄雄 ) は、明治二年兵庫県生ま 治の翻訳はこれでなければいけないのだ。 読みはじめてみると、これがおもしろいのなんの。主れ、立教大学に学び、卒業後「中央新聞」に入社。当時 人公を日本人にしてしまったため、かなり話にむりが生は黒岩涙香の翻案新聞小説が大好評を博していたので、 じているのだが、それでもおもしろい。明治三十二年と涙香の友人でもあり、在学中から「中央新聞」に関係し いう時代では、悪人を主人公にした小説は受けいれられていた縁もあって、経営者が翻案小説連載のために勧誘 したという。 ないのか、ニコラ博士が、妙に善人になってしまってい て、なんともニコラらしくないのだが、やはりおもしろ その期待に応えて、南陽外史はガポリオの『ルコック 。最後の部分で、原作にない = コラの恋人や海戦場面探偵』やボマゴべの作品を次々と訳出した。明治二十九 が長々とでてくるのだが、どうしてもおもしろかった。年から三十二年にかけて洋行。 押川春浪が、処女作『海底軍艦』を書いたのは、この イギリスに渡ったが、その滞在中、日本人留学生ら 翌年のこと。どこにも、春浪はブースビイの影響を受け たなどとは書いていないが、この作品あたりに相当影響 に対して、近ごろなにか面白い小説はないかと訊く と、ドイルのものに限るといわれた。そこで『シャー を受けているような気がする。 ロック・ホームズの冒険』と『ニコラ博士』の二部を 急ぎ、原作と異なる点を探すため小山書店版を読んだ が、これもおもしろかった。見てから読むか、ならぬ、 読んだが、従来のフランス物とはちがった興味を覚え たので、帰朝早々の三十二年五月から、『魔法医者』 と題して『ニコラ博士』を、同年七月から、『不思議 の探偵』の総題目で、『ホームズの冒険』のほとんど 全部を訳載し、好評を博した。 ( 中島河太郎「日本推理小説史」より ) 中央新聞に五十七回にわたって連載された『魔法医 者』は同年、文武堂で一冊にまとめられる。 ( これが、 ぼくの入手したものだ ) ドイルのホームズものは、これが初訳らしいが、それ にしては、涙香などにくらべて、南陽外史は評価されて いないようだ。訳文も涙香に負けないほど読みやすい : 209 :
世界大衆小説全集「魔法医師ニコラ・大のキャンプ他」表紙 をひらいて、アズニッグ街 AZNIG やオルゲム町 もちろん、こんな発見があると、うれしいのはうれし いが、このごろはやたらにむなしくなる。もし、・ほくが ORUGEM オグノー街 OGUNOH 或はアドナック 「こてん古典」などやっていなければ、もっと、いい研街 ADNAK などの名を見るたびに、幸せにつつまれ 究をしてくれた人がたくさんいたのではないかと たオイコット市の思い出のかずかすが、しみじみとよ みがえって来て、やるせない郷愁に、胸の底をかきむ しられるような思いさえするのである。 囹オイコット市の物語 なっかしのオイコットよ。アズニッグ街に出るたび に立寄った喫茶店ニラッカス NIRAKKAS のエクレ どうも不思議でならないから。手許にある一九九七 年版のフィリツ。フ世界地図を開いてみても、やはり太アの味よ。部分縫いが出来なくて、居残ってボタン穴 平洋諸島の中には、ちゃんとノッ。ヒン島 NOPPIN と を三十もあけさせられたオルゲム町の洋裁学校のタ焼 いう島は出ているし、東経百三十九度四十五北緯三十けの色よ。夕飯のお菜を何にしようかと考えながら歩 いたオグノー街の煉瓦道よ。 五度二十九の地点には、あのなっかしいオイコット市 いまも、心の中には、まるで明日のようにありあり OYKOT の名が首府の記号の二重丸の上に、 リとゴチック体で記してある。それどころでなく、 と刻まれていながら、夢のような、あのオイコットで 九九四年版の有名なポスウエル・ジョンソン編世界市の明け暮れが、一体来年のことだったのか、それと 街地図大集現代篇第六巻 (OK—PE) には、オイコッ も、もう二十年も三十年も遠い未来のことたったの か、それをどうしても何としても思い出せないのが、 ト市の精細な地図も収録されてあって、私はこの地図 自分自身でいら立たしく悲しく、あまりに不思議でな らないのである。 という、とてもシャレたでだしのがある。昭和二 十一年五月に創刊した「 Z 」という漫画・文芸誌の 二十三年新年特別号に掲載された作品た。 タイトルは『スカートえの不思議な郷愁ーーー或はオイ コット市民の羨むべき風俗について』目次には、エッセ イとして紹介されているが、まぎれもない小説だ。 作者の名はーーーあとにして、少しストーリイを追って みよう。話は独白体で進められる。 2 日
していた。時計は箱形で四面に文字盤がある。 取れた。 ( あの箱の中には四個の時計が入っているのだろうか、ひとつの機 梅田地下街の北端だった。 今は停止したままの = スカレーターを登れば、大滝と称する十メ械で四面の文字盤を動かしているのだろうか : : : ) おれは地下街の支柱にもたれて、そんなことを考えた。 ートルほどのシャワーがあり、遊園地の乗物のようなゴンドラが吊 り下げてある。そこが地下街の北の行き止まりだ。階段を登れば地 ( ひとつの機械で四面表示 : : : 何かに使えないかな。自動織機の稼 カエスカレーターの上側で、 動率表示装置。工場のどこにいても運転状態が一目でわかります ) 上への出口につながるはすたった。 : 、 通路には厚いシャッターが下され、開く気配はなかった。この広場おれは頭の中で漠然と装置をレイアウトし、カタログの文案を考 にたどり着いてから、一度も開いたことはない。明日は開くかもしえた。そして、三週間前から、もうそんなことを考える必要のない れない、という期待だけで居つづけただけだ。やがて、期待は薄ら身分になっていることを思い出して、気が減入った。 おれは駄目な男だった。二年浪人して地方大の工学部に入り、目 ぎ、偶然を夢想するだけで、出口を求めて移動することをやめた。 立たぬ成績で、「軸受の摩耗についてーというありふれた卒論を提 飢える心配がなかったからだ。 出してどうにか卒業し、大阪近郊にある繊維機械のメーカーに就職 この場所には長く居すぎた。おれは不意にそう思った。 従業員が百人に満たない会社だった。構造不況の最たる会社 した。 / 南へ行こう。おれは衝動に近いものを感じた。南には必ず出口が ある。それは確信に似た予感だった。な・せ急にそんな衝動に駟られに細々と機械部品を納入していた。「繊維相手ではもうあかん。き たのか、自分でも不思議だ「た。生れつき怠惰なおれが、追いたてみには脱繊維を目指して新しい商品を開発してほしい」油で汚れた こく自然ジャン。 ( ー姿の″設計部長″はそういった。それは会社の方針とし られることなく動くなど、信じ難いことだった。だが、・ カ五年あまり勤めて、おれは何ひとっ て正しいとおれはった。・、、 に、おれは決意した。 自分の意志で行動するのは、地下街に住みついて以来、初めての期待に応えることができなかった。ヒット商品が作れなかったので はない。何ひとつ新しい製品を思いつけなかったのだ。従来の製品 ことではないだろうか。いや、正確には、地下街に住みついたこと すら自分の意志からではなかったはすだ。おれは浮浪者が流れつくのデザインを変えてみる程度の発想しかおれにはできなかった。職 ように地下街に入り込んだ。あれはいつのことだったか。秋だった人肌の″設計部長″は二年でおれに愛想を尽かした。三年目からお はずだ。街の風が冷たくなりはじめた頃だ。もう一年になる。 れは営業部に配置替えされた。「この時勢やから大きな売り上げは あの異変が起こったのはいつだったか、日付けは思い出せない。 期待せん。むしろきみは技術屋の眼で、新しいニーズを把んできて ほしいー営業部長はそういった。それも正論だったが、おれはやは だが時刻は正確に覚えている。午前十一時だった りまともな企画も出せず、新しい客先も開拓できなかった。四年目円 から現場に廻された。若い旋盤工が会社に見切りをつけて次々とや 天井から一本のパイプで吊り下げられた時計が十一時を指そうと
・フテログクティル わたしは翼竜がきらいだ。たしかにやつらにも長所はある。体を移動したとき、それは二十四時間過去に行っただけだが、その レイク・シプル 〈可能〉湖の上空をタ方に舞う姿は、白亜紀の日没に絵のような趣実験には動力だけで二百七十二クレジットという金がかかった。白 きをくわえるし、若いプテラノドンの胸肉は、適当な漬け汁さえっ亜紀鉱石の技術者はそれよりうまくやるが、それでも、職員ひとり かえば、けっこうな口】ストになる。だが、運悪くも個人的な経験を移動する動力には、平均してだいたい五十万クレジットか、それ の結果、わたしはやつらがきらいになり、そう公言するのを聞いたに十万クレジット前後するくらいの費用がかかるのである。問題に ことのない者はひとりもいないはずだ。つまりこの〈第一時点〉でなるのは移動時間の長さではないーーー移動は瞬間効果たから、中白 はひとりも、ということだ。そしてそれは、現在における、全人口亜紀に行くのも、先週のなかばに行くのも動力は変わらないーー重 量が問題なのだ。人事のだれかが、医師免状や紹介状を読んだとは 全人類人口とおなじ意味になる。 わたしは、白亜紀鉱石株式会社の採鉱加工部門にやとわれている思うが、もっとも重要な選考基準は、体重計によっていたはずだ。 専属医師だーー・ー契約書にそう書いてある。もちろん、全惑星の人口わたしの体重は四十一キロで、職を得た。ここでわたしは、ヘンリ が二十八人では、診療の仕事などそうたくさんはない。そもそもイのつぎに身が小さい。 ャーロウ・ランドは、五フィ 1 ト七インチともっとも大きく、ま 〈第一時点〉の当初の職員リストには、医師ははいっていなかった という。〈委員会〉は、部門の全員に看護法の催眠学習を受けさたすんぐりしている。〈委員会〉としては、海底鉱山の一流の知識 に、多岐にわたる技術的な経験と、管理能力をあわせもち、なお、 せ、必要な場合にはそれそれがたがいの面倒を見るようにさせるつ が、そんな考えを自分が海中にいるかも知れすあるいはテイラノザウルスの真正面に もりだった。採鉱の親方であるヤーロウ・ランド はねつけた。自分の部下がたがい同士でまにあわせの看護をしあう出るかもしれない最初の移動をおこなえるだけの、本当の根性を持 った者は、これより小さな容量の人間ではみつけることができなか ことなどゆるすつもりはないし、適切な治療看護が欠けているとこ ろでひとりでも怪我をしあるいは病気にかかったら、即座に二〇七つたにちがいない。 一年におくりかえすと、明言したのである。 実際問題として、わたしの資格をこまかくしらべることなど、そ 〈委員会〉は計算を修正し、募集広告をだした。医師資格者を求れほど必要ではなかった。免状をもつもたないはべつにして、仲間 のだれかが同じようにできないことでわたしができることなど、あ む。扶養家族なく、旅行に応じられる者。小柄な者優先。 時間移動は、現在でもひじように高くつくーーーあるいは、当時でまりたくさんはないのだ。皆、小指の捻挫から頭蓋骨骨折にいたる つまり、わたしがこの職についたあらゆる傷害に対して、一流の治療をくわえられるように訓練され も、というべきだろうか、 年、わたしが生まれてから五十三年目、今これを書いているときのていた。手にいはるかぎり最新で、安全、もっとも効力のある抗生 一億年から一億一千万年のちの年においても、という意味である。物質 = ニマイシンの十億単位が、自動注射用のアンプル入りで、極 ミリグラムの物低温貯蔵してある。そしてもし大手術や、入念な看護が必要な場合 ウイントン・ポートレース博士が、はじめて、一