ない魂たけの世界で永遠に結ばれようと : ます。 まさに、第三者が聞けば照れ臭くなるような飛躍だらけの理屈で詩帆は医師の話どおり、なす術もなく数時間後に死んでいきまし 8 した。死こそ最高なりというやつです。 式は、私と詩帆の二人たけの簡単なものでした。役所で戸籍上の 私は、その夜、霊安室に忍びこみました。卵細胞の一部を切り取 り、自分の研究室へ運びこみました。 手続きを済ませ、私のアパート の六畳間で、カティサークの三、 三、九度の盃を交わしました。 先にお話ししたかと思いますが、私はその時期、霊長類のクロー ン培養研究に従事していたのです。 それから、レンタカーを借り、私たちはそのまま水子岬にむかっ たのです。詩帆が景色の良い場所を望んだからです。 私がその行動をとった時点での思考経路は次のようなものだった 私に、もう躊躇いはありませんでした。水子岬でしばらく私と詩と思います。私が、 ″死″という短絡的結論を選んたのは、詩帆の 帆は景観を楽しみ、それからアクセルを精一杯踏みこんで、崖から現在の身体が物理的に汚されていたということが、私の利己的な倫 車ごと身を投げて : 理感から許すことができなかったからです。だとすれば、詩帆の肉 生き恥とはこういう状況を指して言うのでしよう。私は軽い打ち体が、完全な新生を迎えるとすれば、私の迷い、その問題点は総て 身の他、傷もなく奇跡的に助かってしまったのです。気がついたの解決されることになるのではないでしようか。研究中のクローン培 は病院のペッドの中でした。白一色の視野の中で暫く何も思い出せ養で、詩帆の肉体が生まれ変ったとすれば、私と詩帆は何の憂いも ず、・ほんやりとしていたようです。何時までも続く静寂が不安感をなく愛し合うことができる : : : だとすれば、私がそれを試みること は、私の倫理感に対する一つの義務ではないのでしようか。そう考 与え、突然、詩帆のことが頭に浮かびました。私はべッドからパネ のように飛び出すと、医師を探しまわり、詩帆の安否を尋ねましえたのです。 た。しかし、その答は : : : 絶望的なものでした。詩帆は頭蓋骨陥没 クローンは、卵細胞に精子を与えることなく成体へ培養する生化 による脳死を迎えていました。肉体的死が訪れるのも時間の問題だ学の一分野です。遺伝子は、その母体となった成体と同一ですか というのです。私は詩帆の枕元で後悔し、自分の愚かさを呪い号泣ら、理論の上では総ての点で母体と同じ個体が誕生することになる しました。 わけです。母体の複製と呼んで差しつかえないでしよう。 私は詩帆を失いたくありませんでした。 つまり、私は詩帆の複製を作ろうと考えたのです。 もう、方法はなかったのです。 その時点で、私の研究はニホンザルのクローン培養までの実験は 悪魔が、詩帆を生き返らせてやると言えば、私は自分の魂を売り成功していました。優生種の純血保護が研究の目的だったのです。 渡していたに違いありません。その時、私は発作的に最後の可能性表向きは、食糧危機に対応するための蛋白源の開発ということにな を思いついたのです。それこそ、悪魔の考えそうな事だったと思い っていたと思いますが、資金を援助している財団が思想的に偏向し
す。詩帆が物心ついてからというもの、彼女は一人で生きてきた筈 に奇妙な魅力を与えていたのです。 です。孤独の生活で、これは初めてんだ幸福だったのでしよう。 明日が休日というある日、私は思いきって彼女を誘ったのです。 それを喪う事への不安だったのかも P れません。「私は幸福には縁 それは、内気な私にとっては一大事業とも言えるものでした。 のない人間でした」と、詩帆はある時ふと漏らしたこともあるので 彼女は頑なでした。私の誘いに詩帆は意外さに口を大きく開き、 首を振って断わりました。彼女は、からかわれていると思ったといす。 うのです。私は強引に誘い、やっと了承をとりつけました。詩帆楽しい日々でした。 は、自分自身の輝きにまだ気付いていなかったのです。 ある時は、地蔵遊園でジェット・コースターの上から詩帆のハン 翌日、私達はあてもなく街の中を彷徨いました。一緒にお茶を飲 ド。ハッグを落してしまい、私が登坂線から芝生の上に慌てて飛び降 んだかもしれません。公園の噴水の前で水をかけあってはしゃぎあ 、係員にこっぴどく叱られ二人で苦笑いしたこともありました。 ったかもしれません。遊歩道でソフトクリームを舐めながらそそろそう言えば、あのメダルはどうしてしまったのでしよう。詩帆が、 歩いたかもしれません。まるで″群集の人″の一人のように。少な一寸待っているようにと私をベンチに置きざりにして買ってきた私 いえ、そんなに高価なものではありません。子供 くともそれは、雑踏の中で感じる私にとっての初めての至福だったへのプレゼント。 のです。 達への来園記念用に売られている。フラスチック製自動刻印式のもの です。詩帆が悪戯つぼい笑顔で私の首にかけたメダルには日付と彼 詩帆は夕暮れまで歩き続け、私についてきてくれました。たわい のない会話の中で、詩帆が孤独である事を知り、私もまた同じ身の女のイニシャル、それにローマ字で "DORIYOKU SHIMASU!" とありましたつけ。何を「努力」するのか聞いた答がどういったも 上である事を彼女にさりげなく告げました。 その初めてのデートの日から、周囲から見た我々は睦まじい恋人のだったかは、もう忘れてしまったのですけれど。 同士に見えたはずです。それほど、私と詩帆は一日でお互いを理解詩帆とレンタカーを借りて、遠くへ出掛けた事もありました。一 しあったと感じたのです。 本の道を無作為に選び出し、その道を何処までも何処までも真直ぐ 彼女は身違に走らせました。国道をはすれ、山道を越え、名も知らぬ土地を過 それから、休日の度毎に私は詩帆と会っていました。 , えるほどに変っていきました。逢う度に脱皮でもするように美しくぎ、林の中で道が途絶えるまで。 なっていったのです。私の好みを敏感に感じとって気に入られるよ そして、そこで私は詩帆に結婚を申しこんだのです。 うにと懸命に努力していたような気もします。そんな詩帆が私にと彼女の返事を貰ったのは次の日曜日でした。その日は、何故か二 って可愛くてたまらなかったのです。 人共ロ数が少なく、時折、交わす会話も妙にぎごちなく感じられま ある日、別れしなに詩帆が泣き出したこともありました。何か得した。変な比喩ですが、お互い壊れやすいガラス細工を掌中に握っ 体のしれないものが、ロで言い表わせないものが恐いというのでたままデートにやってきたといった状態を連想してしまいました。 8
裕帆は、外見何等世間一般の女性と変ることはありません。ただ か。勿論、私が裕帆に対して詩帆のクセについて教えたことなそ一 違う点と言えば彼女が詩帆に間違いないということだけです。 度もなかったのです。 姿かたちは言うまでもありません。彼女の性格までも詩帆そのま 私は興奮し、裕帆に尋ねました。 ・「だあめねえ」っていうのを」まだったのです。持ちまえの純真さと、それでいて滲みでてくるよ 「思い出したのか。その、その : うな立居ふるまいの格調の高さ。裕帆の近くにいるたけで灯りがっ よほど、私は殺気走って見えたのでしよう。裕帆は恐怖を感じた いたような気分になれるのです。 へそをかきながら、私にしがみついて言いました。 かのようこ、、、 「パパ知ってると思ったわ」 しかし、まだ裕帆は、彼女が詩帆であった時代の記憶を取り戻し てはいませんでした。 裕帆はテレビを指さしていたのです。 「今、流行っているのよ。ほら、あれ。近所の子みんなやってるの 突然この相談を裕帆から受けた時の驚きたるや筆舌に尽くしがた いものがあります。まるで闇打ちにでもあったようなものです。 テレビではコマーシャルが写し出されていました。まず、数人の裕帆は数カ月前からある青年と交際していたのです。それだけで 奇天烈な格好をしたポードビリアンらしい男達が商品の洗剤を使っはありません。その男性は裕帆に結婚を申しこんだというのです。 て新品同様のワイシャツに洗いあげます。それから見るからに薄汚どんな気持か問い詰めてみると、裕帆も万更ではないらしく、近 れた貧相な男が登場し、他社の洗剤を使って洗濯するのですが、出近、我が家へ遊びにきてもらうことにしているというのです。お父 てきたのはヨレョレの汚れ模様だらけのワイシャツです。そこでそさんにも紹介しておかなくっちゃ : : : と裕帆は顔を紅く染めてそう の男は他の男達に裕帆のあのアクションで「だあめねえ」と激しく言いました。真面目で誠実な男だそうです。一途にまた真剣に裕帆 のことを思っていてくれるのだそうです。 攻撃されるのです。ああ、何という早とちりだったのでしよう。 それを裕帆から聞いた時、瞬間的に私は眩暈に似たものを感じて そんなこともありましたが、私は総ての余暇の時間を裕帆と共に いました。思わず、背後の壁に寄りかかってしまったほどです。 過ごしていたと言えるでしよう。必す裕帆という幼虫が脱皮して、 詩帆という蝶へ変る日が来る筈なのです。そして本当は裕帆にとっ嫉妬ではありません。それは戸惑いに近いものでしようか。 私は裕帆が詩帆の意識を取り戻す日のために、意識的に裕帆には ての私が誰なのか、彼女が知る日がくるに違いないのです。 異性との交際を避けさせていました。もし、裕帆が他の男を愛し、 全く、早いものです。月日の移り変わりを河の流れにたとえる人その後で詩帆の記憶が蘇ってしまったとすれば、その状況は詩帆に がいますが、私も同感です。もがき、流され、気がついた時は二十とっては地獄でしかないのです。 真実を今、総て裕帆に話してしまうべき時ではないのか : 年の歳月が経っていたのですから。 。今なら裕帆を思い止どめさせることができるのではないのか。 裕帆も、もうすぐ二十歳なのです。 8
帰り際まで、結婚については一言も触れず、さよならの挨拶のあと備えていたのですから。 で詩帆は、もののついでのように付け加えたのです。 詩帆を慰めようという感情と、徹底的に罵倒してやりたい衝動が 私のプロポーズを受人れることを。 激しく葛藤していました。 まったくさりげないものでした。その時期が私の人生の一番幸福これは運命づけられた詩帆との愛の試練なのかもしれない、耐え な季節だったと言えるのではないでしようか。彼女と別れた後、そるべきハードルの一つなのだ : : : そう思いこもうと努力したのです のまま短距離疾走のスビードで飛んで帰り、家に辿りついても、じ が、人間の弱さというものでしよう、自分を騙し続ける自信はとう っとしていることができず、大声で喉も裂けよと流行歌など怒鳴り とう湧かなかったのです。今、詩帆を許し、総てを水に流したとし たてたほどの興奮ぶりでした。眼に映る世の中が総て平面化して見ても、心の片隅にしこりを残してお互い暮らしていくことになるの え、きらびやかに彩られているような感じを受けました。 でしよう。数十年後、そのしこりがふとしたロのはずみから思わぬ 私はもう詩帆に夢中になっていたのです。 形で噴き出すことにより、傷つけあう事になるのは眼に見えていま 詩帆は私に対して、何か不安を抱いているような気がしないでもした。その結果、私と詩帆が憎み合って暮らしていくことになると なかったのですが、杞憂に過ぎないと決めつけていました。しかすれば : し、その予感は不幸にも適中してしまったのです。 私自身の性格のエゴイスティックな部分については私が一番よく 希望という言葉が反転し、絶望というネガが浮き出してきたよう 心得ているつもりでした。ですから、その光景が今にも眼に浮かぶ なものです。幸福なそ霞よりも薄いものたという事を身をもって確ような気がしたものです。それは地獄に堕ちるよりもひどい苦しみ 認したことになります。世の中には永続する幸福なそありえないのでしよう。 でしよう。 かといって詩帆と別れて彼女を完全に忘れた新生活をスタートさ 式の数日前のことです。詩帆は私に、過去のあやまちを告白したせる自信も私にはありませんでした。それほど詩帆は私の魂の中で のです。黙っていて悪かったと泣いて謝りました。どうしても話し重要な部分を占めていたのです。詩帆と別れたとしても、それはそ ておかねばならなかったと言うのです。彼女に責任はなかったのでれで煉獄のような暮らしになるのだと思いました。 す。巷にはよくある、世間知らずの娘がだまされた : : : そんな話冫 こ詩帆は私の心の中の言いようのない痛みをつらいほど理解してい すぎなかったのです。 たようです。 他人事であれば、世間話として二、三の相槌と見せかけの同情を その結論にたどりついたのは、どちらからということもなく暗黙 示す仕草だけで聞き流せたのでしよう。ですが、この場合だけは、 のうちの合意といったものでした。私と詩帆が考えついた唯一の解 そういう受け取り方をするには衝撃が大きすぎたのです。そのう決法。二人の愛を永遠に持続させるステロタイプで伝統的な方法。 え、その頃の私は、若さが持つ一種の異常な潔癖性と悲愴感を兼ね 結婚式を挙げたら二人で死を迎えよう。肉体を離れ、汚れの
遺書などなかったことから、警察では好意的に、単なる ( ンドル落ちた時期を詩帆の生存期間中であった : : : というふうに証明して 操作ミスによる転落事故として扱ってくれ、遺体を引きとった私貰いました。つまり、戸籍上、裕帆は私の実子ということになった 0 わけです。それは、私の手で裕帆を育てていく上で世間の注意を避 は、その夜、詩帆を弔ったのです。 ですが、研究所の実験室では、詩帆の卵細胞が着実に一つの独立ける最低の条件だったのではないでしようか。 した生命体としての成長を開始していました。ガラス管の人工羊水それからは無我夢中の毎日でした。ひとり身の私は、裕帆の食事 の中で一人の胎児として詩帆は生まれ変っていたのです。誰の汚れの世話、おむつの取替えを含め育児の総てにかかりきりになってし まいました。当然ながら生計の収入をも得なければなりません。ど た手もまだ触れたことのない私だけの : : : 純潔なままの詩帆が。 目まぐるしさだけが思い 人工的な細胞核を与えることにより、卵細胞は無限とも思われるうやってあの時期を切り抜けたのか : 分裂を繰り返し、胚の形状をとるまでに至ったのです。詩帆である出として残っています。その心の支えとなっていたのが赤ん坊の裕 筈ですが、胚の状態では一一ホンザルも人間も区別はっきません。た 帆です。在りし日の詩帆の面影がそのまま裕帆に残っていることが だ、脊椎動物だろうと推測できる程度のものでした。しかし、ヒト私の眼にもはっきりと判別できるようになったからです。クローン かケモノか見分けのつかない、それであっても、クロ】ニングの目人として当然のことなのですけれども。 途がついた段階では私は感無量たったのです。 事情を熟知した人がもしいたとすれば、その人の眼に映った私の 数カ月の後、詩 4 。 凡よ再びこの世に生を受けました。神ならぬ私の努力は、やや狂気じみたものに見えたかもしれません。裕帆がこの 手によって : まま無事、成長を遂げ成人となった時、裕帆は詩帆へと変わり、私 私は詩帆であるその新生児を、世間の手前、裕帆と名付け、詩帆を一人の男性として愛してくれる筈だと確信していたのです。 と私との間にできた娘として育てていくことにしました。 実は、その頃クローン研究者の間では〈レヴィン伝説〉と呼ばれ 見切りの時期だったと思います。同時に私は研究室勤務を辞職しる俗説が存在していたという事をお話しておいたほうがいいでしょ ました。クローン開発が人体への応用へ辿りつくのは時間の問題でう。クローン有機体として分化成長した個体は、母体のの遺 したし、クローン人は非人間的で無個性の画一化した自然の理を逆伝子だけでなく、その細胞の中には、後天的な記億さえも伝えられ レヴィンの非公認の実験でこ 撫でするような人格を創造すると信じられていたりしていたためているというのです。ローズマリー・ ード犬が食事を摂るたびにイ に、クローン人間製造の禁止をうたう法まで作られようとしていたんな事例が伝えられています。シェパ ヌ笛を吹いて聞かせます。すると、食事を与えなくてもイヌ笛を吹 時代だったのですから。やはり、世論はその方向で拡がっていき、 数カ月後には明文化された法令として制定されてしまったのですいて聞かせるだけで唾液を分泌しはじめる : : : ここまではパヴロフ の条件反射の実験と何等変わる事はありません。このシェパー ・カ : ーニングした時のことです。そのクローン 私は知人の医師をやっている男に無理に頼みこみ、裕帆が産まれの卵細胞を使用してクロ
景色と風圧。若さを持つものだけの楽しみの道具でしよう。私は胃の。あの日のことを思い出したんでしよう : : : 。無神経な事、言っ てごめんなさい。お父さん。変なこと言っちゃったわ」 に圧迫感が拡がるのを感じただけでした。 そうだ。あの日の事を私は無意識のうちに思い出していたので パラソルのついたべンチで裕帆に私は腰を下し、ホット・ドッグ す。裕帆にもある程度はあの時の状況を詳しく話してやるのもいい とコーラに取組みました。 「裕帆が子供の頃、こうやって一緒にホット・ドッグを噛ったのを方法かもしれません。うまくいけば、詩帆の記憶が戻るための起爆 。そう考えたのです。 剤になるかもしれないではありませんか : 憶えているかい」 「あの日も、今日と同じで西陽が厳しくってね。ひぐらしが車の中 「雨が降っていたわね。お父さん」 にまで鳴声を響かせていたんだ : : : 。詩帆も、今の裕帆みたいに助 「ああ、そうだ。どしゃ降りだったつけ」 「私、あの頃、本気で大きくな 0 たら、お父さんのお嫁さんになる手席に坐っていた : : : 。櫛で髪を何度もとかしていた「け」 裕帆は私の話に興味を示そうとせす車窓の景色に見とれているよ 気でいたのよ」 うに見えました。しかし、裕帆は突然私の話を遮りました。 裕帆はそこで、声を挙げて笑い出しました。私も、そのジョーク 「どうして、お父さんとお母さんは私を連れて行かなかったの」 に一緒になって笑おうとしたのですが、妙な生々しさに、現実には その質問は予想外のものでした。瞬時、絶句してしまったので 苦笑いが精一杯だったようです。 「そろそろ、お母さんの水子岬へ行ってみようか」 私と裕帆は再び熱気に満ちた車へと戻りました。それから、先程「さあ : : : 。誰かに裕帆の子守りを頼んでいたのかなア。くわしい ことは忘れてしまったけれど」 迄の会話の糸はふつつり途切れてしまい、私も暫く口を開くことが とぼけてみせるのが一番たと思いました。裕帆自身が、真実を思 なかったのです。 い出さなくてはいけないのです。私は裕帆が詩帆自身であることな 「今日のお父さん、何だか変よ」 裕帆に言われるまでもなく、私はステアリングをとりながらも物そ決して口にはできないのですから。憶い出すのを助ける各種の条 件を与えることはいいのです。しかし、私自身の口から言ってしま 想いに耽っていたのです。死の手段を決行したあの時の事を : アクセルを踏みこむ前に垣間みた詩帆の表情です。唇をかみしっては無意味になります。私から " 父″という仮面をとることは私 め、瞳を閉じた詩帆。長い睫が印象的でした。それから、浮遊感がの精神機構からは不可能なのです。私はそういう性格の弱さを持っ た人間なのですから。 私を襲い、詩帆のあの癖のない豊かな黒髪が眼の前でたゆたうよう 「そうだね。詩帆も : : : お母さんも、今の裕帆みたいに風景に見と に踊り : れていてね。あまり、話らしい話をしなかったような気がするよ」 詩帆の表情からは何の悔いもうかがうことはできませんでした。 ムは、ドライプ・インに車を停めました。 「そうね。当然だわ。事故を起した場所へ近づいていくんですも す。 ・ヘルソナ
眼を伏せ、私は裕帆に心底済まない気持で一杯でした。裕帆は大「お父さん帰りましようか」 きく首を振りました。 私の背に裕帆が声を掛けました。 私はしばらく崖を凝視していました。 「何も思い出せるはすがないわ。お父さんは、若い頃のお母さんの 今なら死ねるかも知れない。崖から身を踊らせるのにたいし イメージを私に投影しているに過ぎないのよ。私は私よ。もう、お た努力もかからないだろう。 母さんはいないのよ」 私は興奮のあまり、何を言ってしまったのでしよう。これだけ数瞬のためらいでした。それから、踵を返し、裕帆の後を追って 。弓し人間だったのです。 は、はっきりと悟りました。〈レヴィン伝説〉は裕帆の場合には当車へと帰りました。私はやより、 車のイグニッションを回しながら、私は裕帆に話しかけました。 てはまらなかったのです。 「今週、彼の暇な日はいつだろう」 「すまない。お父さんはどうかしていたらしいよ」 「さあ、何故」 何故、再び私はここへ来てしまったのでしよう。私には二十年前 から解っていたはすたったのです。未練が断ちきれなかったのでし「会ってみたいんだ。裕帆が選んた人なら、きっと素晴しい男とは 思うんだが」 「まあ、彼、喜ぶと思うわ。明日でも素飛んでやってくるわ。ほか 裕帆は私に気づかいつつ、そっと肩から私の腕をおろしました。 私の内部で、二十年前のあの惨めな記憶が蘇ってくるのを感じたの用事をキャンセルしても」 のです。私は救いようのない愚者です。それは、二十年前に、詩帆私はカ一杯、アクセルを踏みこみました。窓を閉めた車内にはも のクロ ーニングのために、遺体に執刀した時点でわかっていたはすう風の音も聞こえてきませんでした。 なのです。詩帆の卵細胞を子宮から摘出しようとした時、私はそれ「このあいだ、彼と遊園地に行った時のことなんたけど」 を知ったのです。 裕帆は思い出したように言いました。 「すごく、彼がなっかしく思えたの。私、お父さんの若い頃に彼が 詩帆があやまちなどおかしていなかったことを。 何故、詩帆があのような嘘をつかねばならなかったのか、私には似てるって言ったけれど、それ以前に、彼といると、何か遠い遠い どうしても理解できなかったのです。ましてや、詩帆は私との死ま昔の暖かさみたいなものを感じちゃうの」 私の体内を直観的にびくんと電流みたいなものが走ったのです。 で決意してくれたのです : ・ まさか : 私は詩帆を真に愛していたとは言えなかったかもしれません。詩まさか : 帆を愛する資格さえなかったに違いないのです。ましてや、そのよ「それで」 うな私には、はなから裕帆に過去を思い出させる権利なそ持ち合わ「それだけよ。彼があんまりやさしいもので、ペンダントを。フレゼ ントしちゃった。ううん、高価なものじゃないの。地蔵遊園地のプ せていなかったと言えます。
あれから幾度目かの夏が訪れ、うつろい、去っていきました。そ いた事だからです。それはある意味では真実でした。 して今、私は新しい夏を戸惑いと共に迎えていたのです。 ですが、総てを裕帆に話していたわけではありません。また話せ ゅうほ 裕帆はキッチンでタ食の準備に腕をふるい、私は熱気の残った暮るはすもなかったのです。 れなすむべランダで無意味な回想に時を費やします。 裕帆は、もう二十歳なのです。 詩帆と知りあったのは二十一年も昔の事になります。過去は夢と 「晩御飯できたわよ。今日はお父さんの好きなフランクフルト・オ同じようなものです。思い出そうとしても、その記冫ー 意こよ常に曖昧 ムレツツ」 さが付いてまわるのです。だから、詩帆と知り合った時の状況につ トラマチックさなど そう言って背後からロッキング・チェアを悪戯つぼく揺する裕帆いても幾つかの偶然が存在したのでしようが、。 に私はさりげなく提案しました。 徴塵もなく、天涯孤独だった若い二人が小さな出来事の積み重ねで 「今度の日曜日、水子岬へドライ・フに行かないか。詩帆の : : : お母寄り添い合うように親しくなっていった : : としか一一一一口いようがあり ません。 さんの二十周忌に当るから、花東を持っていきたいんだ。そうだ、 裕帆と子供の頃よく行った地蔵遊園地に寄っていくという。フランは勤務先が近くでした。通勤時によく顔をあわせていました。その 程度のことだったのです。 どうだい。ちょうど、水子岬へのコースの途中にあるし」 裕帆はエ。フロンを外しながら笑顔で頷きました。それは詩帆と寸私はその頃、現在は閉鎖されている、ある私学の研究室に勤務し 分変らない清純な表情でした。 ていました。クローンの霊長類への応用について取組んでいた頃の 「いいわ。お父さん。日曜日はあけておくから。さあ、でもその前事だったと思います。ただ、これたけは確実に言えるでしよう。私 に私の料理をほめてくれなくっちゃ。お風呂もちょうど良い湯加減は初めて詩帆を見た時から天啓を受けたように彼女を意識していた たから・ そうね、どちらを先にする」 のです。その後も通勤電車の中でよく見かけていましたが、昼食を 「ああ、それじゃあ、ちょいとお湯を浴びてくることにしよう」 とる近所の食堂で偶然出合った時に、さりげない軽い冗談で話しか 「じゃあ、まだビールはあけずにおきますから」 けたことで、それが決定づけられたといえるでしよう。それから、 風呂に取付けられた鏡に写った私の頭には白いものが幾筋も走っ電車の中でも会えば挨拶を交し、世間話をするようになったので ていました。時の重圧感を振り払い、浴槽に浸りこみながらも自然す。 と二十一年前の事を想い出してしまうのです。 詩帆のタイミングを逸しないユーモア、上品な会話、控え目な態 裕帆は、自分の母が詩帆であることに疑いを持ちませんでした。度。私はその時、彼女に好感以上のものを抱いていました。幼児の そして、詩帆は私と同乗中に自動車事故により水子岬で死んだのだ ような大きな瞳とま。はらなそばかす、あどけなさの残った顔、それ と信じていました。私が、裕帆の幼ない頃からそう話してぎかせてに毀れてしまいそうな痩せつぼちの身体。その総ての組合せが詩帆
「ああ、このドライ・フ・インだったつけ 裕帆から子供の頃よく受けていたこの種の質問でしたが、裕帆も 外装は二十年前と殆んど変っていませんでした。あの日、詩帆は今は一人の成長した女なのです。それは裕帆に対して逃げのない解 9 答でなければなりません。 髪をとかす為の櫛をここで買ったのです。 最近、塗装をやり直したのでしようか。全体のイメージが少々、 「お父さんは、そう : : : 詩帆に初めて出会うずっと前から、理想の 青つぼい感じに変ってしまったような気がしました。 女性のイメージを描いていたんだ。具体的にはっきりと型どされた 「お母さんは、髪をとかしたいと言ってね、ここで五分ばかり、買ものではなかったのだけれど、裕帆のお母さんを初めて見た時に直 い物に行ったんだ」 観的にわかったんだ。ああ、お父さんの理想の女性だなって。それ 詩帆は死装東を整えておきたかったのでしよう。裕帆にとってまで、お父さんが理想の女性について語る際に用いる比喩の総てを 備えていたのが : は、ここは初めての場所の筈でした。 ・ : 詩帆だったんだ」 「ここは、色々と珍しい土産品とかアクセサリイが揃ってるという「結婚しても、理想の女性像は変らなかったの」 話だよ」 「そのとおりだよ。明るくて、優しくて、細やかで。そして美しく 私の言葉に促されたように裕帆は車を降りました。 「中へ入ってみてくるわ」 「まあ、お母さんって私と全然違ってたのね」 オしか。顔立ち ドライプ・インに向って歩き始めた裕帆の後ろ姿は、あの日の決「いや、裕帆はまったくお母さんとそっくりじゃよ、 心した詩帆のそれと何等変ることがありませんでした。私は車を降も、いやあ、一寸した仕草まで恐ろしいほど似ている時があるよ。 りることもせず、ドライプ・インから裕帆が戻ってくるのを待ちまあたりまえだろうな。同じ血が流れているのだものな」 した。五分も経たなかったでしようか。 そう言い切ってしまった自分に我ながら驚いてしまいました。 再び水子岬へ向かう連中で、裕帆は額に手をあて、もの想いに沈「ところで、今度は裕帆の番だ。交際している青年って、どんな感 じなんだ。詳しく聞きたいな」 んでいるように見えました。 「どうだった」 意図的に話題を変えたわけではありません。会話の流れといった ものです。裕帆は少々唇を突き出し、困ったような表情してみせま 他に話しかけようもなく、そう言ったのです。 裕帆はゆっくり首を振りました。 「ん : : : 。凄く真面目で、一途な人よ。ューモアがあるのが取柄な 「裕帆は、お母さんが欲しかったのかい」 「さあ : : : 。欲しかった頃もあったような気もするけれど、ずっとんだけれど : : : 。何だか、感じが若い頃のお父さんに似ている気が 。お母さんってどんするわ。電子工学の応用面の研究やってるらしいんだけれど、話を お母さんなしで通してきたからわかんない 。内緒にしてたけれど、さっ してると全然そんな感じがないの : な人たったの。お父さんから見た一人の女性として」
ラスチック製のメダルなの」 文句が刻んである。偶然だろう。私から裕帆へプレゼントしよう」 裕帆の言葉に私は、あの日詩帆が私をベンチに置き去りにして買「まあ、お母さんが : : : 」 ってきたメダルの事を思い出していたのです。 その古・ほけたメダルに裕帆は眼を輝かせました。 「刻印式のやつだろう。知ってるよ。自分の好きな文句がダイヤル 「今まで、お母さんってすごく遠い存在に思えてたけれど、何だか で刻めるやつだな。 ″努力します″とでも打ったのかい , 急に身近に感じたわ。やはり、血というのは恐いわね。同じ文句を 自嘲的な冗談のつもりでした。しかし、その時、裕帆が大きく眼考えつくなんて。大事にするわ。私のお守りにします」 を見開いたのがわかりました。明らかに驚いていたのです。 大切に持っていたメダルを裕帆に与えたことに寂しさはありませ 「まあ、どうしてわかるの」 んでした。むしろ何か、私の胸に溜っていたものが消え去ったよう 「いや : : : それより″努力します″ってどんな意味たね」 な気分でした。でも、裕帆の選んだ彼とはどんな人物なのでしょ その意味を知ったところで、今の私には仕方のない事だったのでう。願わくば私と違って、真に裕帆を愛し抜くことのできる力強い すが。そんなことは、どうでもよいことなのです。 タイプの青年であってくれれば良いのですが。 裕帆には、やはり〈レヴィン伝説〉が発現していたのでしよう永かったな。 : : : 老いの自覚がふと吹き抜けていきました。 、刀 私は、半ば一人言のように思わず言ったのです。 しかし、その意識下にある詩帆の記憶の中の、私としての特性の「裕帆は、お父さんと彼がいい友人同士になれると思うかい」 一つである″若さ〃は、私からはすでに失われていたのです。そし裕帆は髪を掻きあげて、まぶしそうに笑いました。 て私がなくしたものを備えた私そっくりの彼のところへ、裕帆は 「もちろんよ。きっと素晴らしい友人同士になれると思うわ。私、 〈レヴィン伝説〉に従って戻ろうとしていたのでしよう。 保証する」 裕帆のせいではないのです。私自身が、詩帆に愛された頃の私と 私は裕帆に微笑を返し、エアコンを切ると外気を取人れるために は変ってしまっていたのです。心も、肉体も。 窓を開けました。思いがけず肌寒い風が車の中へ流れこんできたの 「彼に会うのが楽しみだな。″努力″しろよ。絶対に彼を離すんじです。 ゃない」 「もう、夏も終りね」 「ありがとう。 : ・もう、絶対離さない。お父さんの言葉でふんぎ裕帆が呟きました。 りがついたわ」 私の中で、今度こそ本当に詩帆が去っていくのを感じました。 「ああ : : : 夏も終りだ」 私は車を止め、胸のポケットから、あの古・ほけてしまったペンダ ントをとり出し、裕帆の首にかけました。 さようなら裕帆。わが娘よ。おまえの出発に心よりの祝福を 「これは、お母さんから貰った。ヘンダントた。″努力します″って与えよう。おまえの前途に幸多からんことを : 、 0