感じ - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1978年9月号
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1. SFマガジン 1978年9月号

ばはいれないことを若者に知らせてしまうから、あるいは・ ( ツの悪あかるいグレイの朝空の下、表地区はがらんとしてだだっぴろ い破目になるところだった。・ : カそうはならなかった。 く、うごく車の影もほとんどなかった。・は説明して、ここは 「へえ ! 」トレヴィスは感嘆した。「こんなところに通行証一枚見ビジネス関係のおこなわれるところだといった。きよう日、ビジネ スなんかあればの話だがね。ともあれフロント・オフィス部門だか せて、すーっとはいって行けるなんて」 「まず車ですこしまわってみよう」・はいった。「それで撮影ら、いかにも退屈なところさ。裏地区へ行ってみよう、うごきのあ るところへ。うごきなんてものがあればだが。 所の感じがわかる。そのあと電話をかける」 ー 55

2. SFマガジン 1978年9月号

あと噂していたら、何かやつばり違うもんであったらしいという稿を送ったあとで、審査員の人がゲラゲラ笑ってくれるか、そう のか、いまごろわかってきたわなあ。 でなければ、こいつ、なんでこんなものを送ってきたんか、なん かんべうーん、そうですね。これはなんていうか、非常に強引な か勘違いしてるのと違うかと思って、ばっとほかされるのか、ど アナロジーをしますとねえ、はなし家といっしょでねえ、こうい っちかやと思ってましたねえ。 う師匠が好きだといってそこに行って口うっしで教えてもらいま 堀さん、どんどんしゃべって。あなたのほうがかれを、ずっと すわねえ。そして、たとえば円生師匠の弟子の円楽さんが円生師よく知っているからなあ。 匠に同じ話を教わって同じ話をやっても、自然と、そもそもまず堀・ほくはまあちょっと知りすぎてる面があって、いや、つねづね 第一に、声が違いますから、もうすでに違うものになっています思うんですけどね。・ほくがいちばん不思議なのは、筒井さんが好 よね。それで、修業積んでいったらだんだん自分のものが出てき きで、それから野坂昭如が好きで、開高健が好きで、お笑いの作 ますよねえ。そういうふうなものだと・ほく思いますけどねえ。 家ではあるわけなんですけどね、なぜ ()0 なのかというところ だからなんていうんですかねえ、逆にいえば百パーセント真似 が、まだちょっとわからない面があるんです。なぜの型式を るほうが難しいんでねえ、百。 ( ーセント真似られたらこれ天才や取ったのかということですね。それで「決戦・日本シリーズ」な と思うんですね。百パ 1 セント真似られたらその人と同じレ・ヘル んか読むと、どう考えてもあれは破格ではあるけど、・ほくは いうことに、外から見ればそういうふうに見えますからねえ、そ の構成きちんとおさえているように思うんですよ。 ういうのは不可能なんでね。無理して真似ようとしたって半分も 星、小松とか、昔の、最初のころに出た人のときには、翻訳の 真似られないんじゃないかと思いますけどね。 が非常に大きな影響源だったけど、あなたの場合はどうだっ そうすると、一番最初は、筒井さんを非常に大きく意識してお たの ? かんべこのあいだちょっとほかの原稿を書くことがあって調べた かんべ意識というか、読んですごく面白かったんで、ばらばらと んですけどねえ、さっきいいましたように、いろいろなのを手当 こう、ぜんぶ出ているものを次から次へと : りしだい、そんな感じで読んでおりましたんで当然そん中に と称されるものも入ってたわけですね。こちらそんなのを意識せ 最初は、あれと同じものを書こうとしていたわけですか ? かんべいや、同じもんとか、違うもんとかいう意識は。せんぜんなずにこれ面白そうだ、つぎこれおもしろそうだと読んでいたわけ くて、とにかくこういう話書いたら面白いなと思って、ぶつつけ ですけどねえ : : : そうすると、なんというんですかねえ、たとえ 本番で、わからすに書いたという感じですねえ。だから、いまで ば「山椒魚戦争」とかねえ、カレル・チャベックの。あれだと 、カ ヴェルヌとか、ウエルズとか、いわゆるまあ古典というか も覚えてますけども、その原稿をコンテストに送ったときに、も ちろん必す落ちると思って送る人はいませんけどねえ、自分の原だれでも読むようなもんですねえ、そういうものはある程度読ん 5

3. SFマガジン 1978年9月号

ーツともう、ほんとびつくりしたんですよ。もちろんね、 っていくから : これが作品になったときのそのすごさというのがある程度想像でかんべええ、・ほくもそう思いますけどね。とにかくそういうふう きて全体の一目見てこれが : : : 一目かな一分ぐらいはかカったか に考えといたほうが、こっちが自由にいろいろなことができるか な、読むのに。これはすごいという感じで、だからそれが本当に らという感じですよねえ。 小説になったときに、やつばりものすごい反響あったわけですけ 自分でもマーケット作っていくわけだものなあ。 どね。小説読んでの反響なのか、いや・ほくがその、だから、シノ かんべそうですね。だから、たとえば自分でこの話ならいますぐ プシスの用紙をひと目見たときの感動なのか、同質かどうか、分書けるとか、これにあと二、三冊本を読んだら書けるとかいう、 らないんですよ。 だいたい見当っきますよねえ。いろいろと、自分の中にある書き O やっていてスポンサーのとこへ持っていくときに、その段 たいものの中で。これはあと五年くらい勉強せんと、いま書いた 階で見せることがあるの ? ら絶対失敗するなあと分っているのもあるわけですよねえ。そう かんべもちろん、あります。 いうものはつまりまだ・せんぜん自分から手つかずで置いています そうすると、企画書用紙に書く段階で買ってもらうかどうか決ので、ひろげることはできると思うんです。非常に楽観的なあれ 定する : ですけど。 かんべそうです。勝負は企画書で決まりますからね。 さて、そうすると、実際問題にあなたが作品を書くときに、短 そこだな。 いものも長いものも、どういうふうに書いていくわけ ? 堀だから企画書が面白かったのか、作品が面白かったのか、・ほく かんべいちおうですねえ順を追っていいますと、普段思いついた は読んだ順序が企画書読んだら判定できないのですけどね。最近 ことなり、アイデアなり、あるいは、ちょっとやってみたいこと のほら、マガジンにのった「カートウーンミッ クス」とか、あ なり、まあ頭に浮かぶとしますね。これはどういうときに浮かぶ あいうのは一種そこまで行っているような気がするわけですよ。 かというと、人としゃべっているとぎとか、あるいは本読んでい そこまでとは ? ・ るときとか、あるいはポーツとしているときとか、何かいろいろ 堀小説にやるんじゃなしに、一種企画書そのものをぶつけてしま な刺激が入ってきますね、自分の中に。そこで触発されて、あッ うような感じがして : : いま話聞いてて、ちょっとそんな気がっ こんなのやったらおもしろいなあとか、こういうことをやろかと いたわけだけど、だからこれはもう小説じゃないかもしれないし いうのが浮かびますね。それは書いておかないと忘れるので、名 刺ぐらいのカードにちょっと一行ぐらい書いとくわけです。で、 そんなようなことじゃなくて、世の中変わっていくようにね、 そのカードを一応ストックしておくわけですね。で、こんどいよ 読物とかなんとか : : : エンタ 1 ティンメントの質と形は常に変わ いよ土冖くときには、そのカードをくって、さっきいいましたよう

4. SFマガジン 1978年9月号

だったですからね。フィクションというのは、それまで書いたこ とはなかったという感じですねえ。コンテストがきっかけです 5 矢野徹インタビュウ〈一六頁より続く〉 ね。 そして書いたらすっと書けたわけ ? 要するに、あなたがどういうふうにしてを書くようになっ たかということですが、ね、阪上さん ( 笑 ) ・ : : ・的なことをかんべすっとというか、もちろん、つつかえつつかえでしようけ どね。 考えるとか、書き出すとか、子供のときからその萌芽はあったわ 小説を書くという勉強はしたわけ ? け ? なんでいまみたいになったかですわ。 かんべどうでしようねえ、あったといえば、ま、結果論で、いまかんべいや、しませんでした。しませんていうか、だからもちろ んいろいろ本を、それまでにわりに本読むのが好きでしたからね からの思い出でねえ、あれもそうか、これもそうかというのはい え。大学のときなんかでも、わりに読んでおりましたけども。な えるかもしれませんけども、実際に書き出したのは、あの g-k コ んというかもちろん雑学趣味なんでねえ、いろいろな本をあっち ンテストのあれがとつばなですからね、その、フィクションとい 読みこっち読みしているわけで、そうするとその中で当然確率と うのを書いたのも。 して小説なんかもちろん入ってくるし、たとえば「私の小説」な 四、五年前たった ? んていう本がありますね。毎日新聞の学芸部が編集して、雪華社 かんべ四十八年のマガジン十五周年記念コンテストですか : かどっか出していますねえ。あんなんなんか、そういう意識なし にたまたま読んで、ああこういう人はこういうふうに書いている どうして書くようになったの ? のか、読んだりしてましたし、それを実際に書くという、こうい かんべ文章というか、書くこと自体は、もともと好きでしたんで うふうにすれば小説になるのだとか、そういうのは。せんぜん知ら ねえ。だから、高校の二年か三年ぐらいから広告のねえ、コビ】 なかったんで、コンテストの「決戦・日本シリーズ」の場合は本 ライターになりたいなあというふうに思っておりましてね。大学 当にぼく、ぶつつけ本番でね。 では広告研究会にすっとおって、で、就職も代理店しか受けな どんな筋だった ? 、他の業種にはまあ見向きもせん、みたいな感じで、で、一応 なれたわけです : : : たからラジオのとか、あるいは、テレビ堀あの : : : 阪神・阪急が優勝して、阪神沿線の阪神ファンと阪急 沿線の阪急ファンがちょうど、今津線でつながれた甲子園と西宮 のコマーシャルのコンテとか、あるいはね、オートスライドの台 本とか、新聞広告の原稿とか、やれ誌の提灯記事とか、いろ球場、両方で日本シリーズ : : : それでもう地区全体が大騒ぎにな るという無茶苦茶な : いろまあそういうものは書いておりましたからね。原稿用紙に字 を書くというのは別に、なんの抵抗もなかったし、もともと好き 最初のころはみんな、筒井さんと同じような方向に行くのかな

5. SFマガジン 1978年9月号

たのがまたすごいおっさんだったからな。 ふざけすぎるので注意するようにと書かれてますから : ・ ・ほくが想像しとったよりもどういうのかな、非常にこまやか かんべ小松さんとくらべてもらうと困りますよ。 ( 笑 ) 堀何か、すごい原体験みたいなのがあったら純文書くのか、ない な、女性的でもないだろうけども、非常に神経質な : から書くのかというと、これはむ十・かしいことになる。 かんべ神経質は神経質ですね。すごく気にしいですし、気を使い ますし、そういうところはあります。 かんべでも、そういう意味ではないですけどね。そういう意味じ ゃなくって : いや、何でそういうことになったのかというか いや、これは反省するなあ。こっちはたいぶ抜けてるみたいだ らそういうのであって、そういう意味じゃないですよ。 もの ( 笑 ) 。 あなたは、いやに神経が繊細で、何となく非常におとなしいん かんべそれでまあ、さっきの話でいいますと、正紀との対談でい だなあ。 うてるときに、そういう原体験みたいなことがあっての話で : かんべそうですよ。・ほくはかなり神経過敏というか、なんという あれがたまたま正紀と・ほくと一致したんですけども、その : : : 自 んですか、神経症っていうんですか、メランコリー後発性といし 分というものをもろに出して小説を書こうとすればですねえ、戦 ますか、そういう感じのとこありますね。ちょっとだから割に強中派とか戦後派とかの人には、そんなもん頭から負けることが決 まっているんやという感じがするんだと。・ほくもそうやというふ 迫観念にとらわれたりねえ、そういうことはよくありますよ。 堀お笑いに目覚めたのはまたなんか : うにまあいってる。 かんべそれはぼく、昔からおっちょこちょいのね、イチビリだっ それで、だからといって逆に考えたら昭和二十年以降に生まれ たから、これはまあ、もともとのものですよねえ。 たのは、われわれの責任ではないんやと : : : そういうのが終って そのイチビリという関西弁を東京の人にいうとしたら、なんて から生まれたのは、これは仕方がないといえば仕方がないことで いうの ? ねえ、それをぐるりから、戦後だから何もないだろう、どうだ楽 かんべう 1 ん、なんちゅうですかねえ、人を笑わすことによって だろう、ワーワーといわれたって、これは・ほくらの知ったことじ 目立ちたがるちゅうんですかね。そんな感じが・ほくはありますね ゃないという、開きなおりの気持も若干はありますねえ。 え。イチビリという意味はもっと範囲広いでしようけども、・ほく いや、戦争の原体験のほうが、いまの何もない、非常に平和な の場合は、笑わすことで目立とうという感じですね。 世の中で育っていった人の原体験よりも、下だとか、上だとか、 ふっさ そういうことは・ほく、ぜん・せんないと思うよ。たとえば福生あた 小学校ぐらいのときから ? りで麻薬遊びをやってなんとか、ああいうものはこっちはしたく かんべそうですね。小学校の通知簿にすでにもう書かれてますか らね。ときどきふざけすぎるので注意してくださいちゅうて。ふ たってできなかった時代だから、こっち、うらやましいわなあ。 たんは何か真面目でよくやってくれますが、ときどき度をこしてかんべうーん、それとちょっと意味が違いますわね。それはやめ

6. SFマガジン 1978年9月号

しい、何でもしますよという側にいく制作マンと、それから絶対 いやたということで、まったく業種がえしてしまって・せんぜん普 通のいわゆる堅気の会社の宣伝課へ行ってしまう奴とか、あるい は独立して、自分が好きなことだけしかやらんとか、スタジオ開 くとか、制作の面にはかなりそういう感じがあるんですよね。 あなたの場合には好きなことをやって、 : かんべそうですねえ。結果的にはそういうことになりましたね あなたの性質そのものについてはあっち向いておじぎし、こっ ち向いておじぎし、四方八方におじぎしとるというのはいま残っ ているわけ ? かんべ後遺症はやつばり残ってますよね。 いつも下向いてる姿勢ですか ? かんべえ、何がですか、実際の体が ? いやいや、心理的には。 かんべじゃなくって、心理的には当時でも別に下向いていなかっ たわけで、商売上やむを得ずやっていた面もありますよ、もちろ んそれは。ただ、商売というか、 ぼく個人じゃなくて、会社の企 画部の一員としていっているだけですから、こっちの勝手なこと いえませんからねえ。 明らかにこれのほうが得だいうことが分ってても、向うがこう だといえばせないかんことがありますよねえ。そうすると向うの て金が損すること分っているんですよねえ。それをいったって向う 判怒るだけですからね、じゃあいいやという感じで、やることなん 自 かありますけどねえ。でも一応表情なり、言葉使いなり、丁寧 に、常に上機嫌でやっているように見せますよね、仕事の潤滑油 6

7. SFマガジン 1978年9月号

を、ほとんど苦労なしに書けましたんでね、あれは昔、プラモデ知らんけど航空母艦は昔から好きだったんですよ。なんか平・ヘっ ル作ったり : : : あの程度は知っているんです。 たくてねえ、形おもしろいでしよう。航空母艦てのは、昔から好 掘あれは面白いですよ。あの、それこそ、野次馬性が一番発揮さ きたったんで、なんか航空母艦の話、書きたいなあと思って、二 れた感じですね。 年前、今岡さんに話したことがあるんですよね、航空母艦を書き かんべあれもさっきの小説家とかの話になってきたら、本人をね たいと思っているけどなあと。たた航空母艦の話だけ書いたって え、わざわざ出す必要ないんでね。本当の小説でいえばね。 もおもしろくないし、書けないし、じゃあ、原子力空母で。 ( ロテ イに仕立ててしまえば、やりやすいと思って : 架空ルポルタージュになってくる。 アメリカの航空母艦の中で喧嘩して、すい分日本の新聞にも出 かんべそうですね。 たことがある、ああいうものも : ーーー読物だな。 かんべ . だから、本当に最初の感じでは別な主人公作っていたんでかんべいや、そういうのは。せんぜん記憶ないですね。はい。ど、 らあの話の中身は、本当に話として勝手に進んでいった感じで すけどもね、結局やってったって自分がナマで出てくることがわ ね。 かり切っているんで、あの構成ではね。じゃあ別に無理に別の主 人公作って、無理に架空の別の職業ぶつけて、無理にその、そい 横須賀に入ったやつで、フォレスタルが、スト起したわけ。 つが航空母艦に乗る必然性作らなくても、いっそナマで出したっ かんべそうですか : : だからわりにそういう軍艦の雑誌とか本読 てかまわんじゃないかと思って、ナマに切り換えたわけですよ んでいたんで、そういう点はむしろ喜び勇んで書く部分ですんで ね。 ね。専門用語とか : せつかくあすこまで航空母艦利用するなら、最後の大どたん場 最初からしまいまで、喜び勇んで書いとるわな ( 笑い ) 。 ですりかえて、 しいほう使えばよかったな。 堀長篇と短篇の区別みたいなものは、最初に発想の段階でつける しし冫うっていいますと - ~ ・ わけ ? かんべ 片方の欠陥船のほうをあいつら使っているけれどもどたん場でかんべそれが本当に困っているのはね。これは本当に・ほくがこん しいほうのエンタープライズを自分らもらったら、もっとよかっ なことをいったら悪いかもしれませんけど、出たとたんに長篇の たよ、正規の海軍のほうはいいわいいわといって走っとるんだ。 注文なんかきましたでしよう。・ほく、出たのは短篇で出ている訳 堀ありそうな話ですね、それは。 ですよねえ。そうすると、短篇で出たこの男が、長篇書けるかど かんべだからあれは本当にさっきの話にもどりますと、発想の根 うかはまだ本当はよく分らないわけですよねえ、ほんといえば。 本は、航空母艦そのものが好きだったんですよね。その。フラモデ それが注文きたし、ぼくは初めてなんでもありがたいと思ってお ルの中でも船のプラモデルたくさん作りますよね、軍艦で。何か 受けしますよね。そうすると雜誌のほうの注文はショートショー

8. SFマガジン 1978年9月号

ちのカードとこっちのカードくつつける場合もありますからね。 しますけどね : ・ 。そういう感じですね。 だから、・ほくとしては百はあるだろうという気はしますけども堀わりと会社での出世と似ているね、ずっと : ね。二百五十ぐらいのうちの百五十ぐらいはエ。ヒソードとしてし 会社の延長にあるな。 か使えんものとか、あるいは形式のアイデアの場合もありますかかんべそれと、これ変な癖なんですけど、最近だんだんなくなっ らね。形式のアイデアだけでは小説できませんから、それに何が てきましたけれども、会社におる頃に新聞なり雑誌なりのコ。ヒー 一番びったりか、こっちのネタとっていかなければいけませんか を文章書いてますとね、字詰めとか、ああいうのが非常にきびし ら : ・ : 。だから二百五十は数というか、目の子勘定であって、実 いでしよう、広告の文章は。そうするとマス目が大きい、さっき 際には百ぐらいだと思いますけどね。 いいました企画書用紙みたいなのに原稿書いていたわけです、当 で、それでひとっ選び出して、だいたい見当っいたらさっきい った企画書用紙っていうんですか。碁盤の目みたいになった紙が そうすると雑誌一ページの広告のコ。ヒーなんて、三百字とか二 あるんですけどね、これは会社時代に企画書用紙だったんで、使百五十字ですね。ひと目で見渡せるわけですね。そうすると十五 いなれているのでやりやすいと思って、自分でも作ったんですけ字詰めの何行と決まっているわけですね。十五字詰めの仮に二十 ど、それで構成立ててメモしていって、だいたいの見当っけるわ 五でしたら三百ですか、十五字詰三十行で、それなら最初からそ けですね、それでイントロから最後まで、枚数の見当もつけて。 の枠切ってしまうわけです、自分で。この中に納まるように書か ま、それがだいたい二、三回書き直ししますね、最初すっとした にゃあいかんと思って。それで一応書いたとしますよね、三百 メモですから、それを順番に整理してったらだいたいびちっと決字。こう見ると中身を見なくとも、その段数たけで・ ( ランスがわ まってくるまで、二、三回書き直して : かるわけですよね、段数で最初の五段でまだこんなあいてるから 書き直して作るというのは企画書 : まだイントロに重過ぎるなという感じが量でわかるわけですね。 かんべシノ。フシスみたいなものですね、シノブシスを作るわけで あの段数の量で、物差でわかる感じですね。その癖がなかなか抜 す、構成表ですね。台本みたいなものです、ラフ台本を作るわけ けなくって、原稿用紙、あれ四百字めくって書いてはやっていっ です。ラフ台本でだいたい整理できたと分るということは、自分 たら、ひと目で見えないでしよう。量の見当、・ハランスの見当が の頭の中でだいたい決まっているわけですから、それができたら 一時つかなくて困ったことがあったんですよ。それをなくすため 書き出すということですね。 に、そのラフ用紙のそれを作って・ハランスの見当をつけているわ だから、それを机の前にセロテー。フでとめてそれを見ながら書けです。 いてって、ただし、途中でどうしても話の都合上、ラフ台本と、 ここで十五枚、ここで二十枚というふうに書いていくと。 こっちずれてくれば、当然原稿のほうを優先さして、こっち没に かんべそうです、だからイントロなんかの場合は、ラフ用紙の五 6 6

9. SFマガジン 1978年9月号

ところが学問が進んできて、いや、これはこういうふうなその ればね、それで・ほくはそれでいいと思いますけども : 堀これはではないというよりはさ。これでもだというふ肺呼吸なら肺呼吸という機能で分けるからこれはこうなんだよと か、翼があるから必ず鳥じゃないよということが分ってきたから うな開き直りみたいな : ・ 分類ができたわけですよねえ。そうするとこんどその中にもおさ かんべそこまではないですね。 まり切らん、たとえばカモノハシみたいなのがいきなり発見され 堀そこまでやる気は ? たら、分類表がっちりできあがっているから、このカモノハシを かんべやる気しゃなくって、勇気はないですね。というのは、こ れは、なんというか分類というか、そういうのは必す現物のあと抹殺するかといったらそれはできませんよね。そうすると、こん どはこっちの分類表を訂正せないかんわけですよね。小説とそう にくるものであってねえ。その、たとえば文学ジャンルの中で (-n う分類なり、ジャンル分けの関係もそれといっしょだと思うん とか何文学とかどうとかいう分類も、これは現物の小説なり物 でねえ。 語なりが無数にあったのを誰かがエ合よく整理するために、そう : もとのつ 、、ジャンルのとかはちょっと : いう分類をしたんであって、分類が最初にあって、それに合わせ堀かどうかとカ まり、小説そのものを否定する方向にいくんじゃないかというこ て、小説家が小説書き出したわけじゃないですからね。だから書 しっていたでしよう、横順と : とを最初に、 き手としては、自分がこうだと思ったものをどんどん広げていく なり、深くするなりしていけばいいんであ 0 て、その時点でそれかんべいや、否定しようというんじゃなくて : が明らかにではないとなるかもしれないし、あるいは、これ堀越えてしまう。 かんべひょっとしたら他人が見てね、これは小説ではないという もこれから以後はに含められることになるかもしれないし、 かもしれないものが出るかもしれないということです。 書き手にとっては分類というのは、必すあとに来るもんですか それがカモノハシか。 ら、そういうものを気にしているとだめだと思うんですけどね : ・ : 分類のことで、これから先のことですけども、前にもちょっと崛ちょっと解説的な感しになるんですけど、「決戦・日本シリー ズ」が出て、そのつぎの「背で泣いてる」が出世作というか、な いったことがあるんですけど、動物の分類学のアナロジーで考え ったわけですよね。あれが一種ファンタジーなんですけどね。・ほ れば、リンネが分類してから動物が出てきたわけじゃなくって、 くはあのときのつき合いの特権みたいなんで、あのシノ。フシス見 世界中にいろいろなけったいな動物がいつばいおって、それをあ あもあろう、こうもあろうと分類していくにいまの分類表ができせてもらったことがあるんですよ。で、これはちょっとすごいも のでしてね。あれ、広告の企画書用紙二枚合わせて、丁度新聞を あがったわけで、それ以前ではたとえば蝙蝠を鳥やと分類してい こうひろげたくらいにびっしり構成が書きこんであって、ひろげ 3 たかもしれませんし、鯨を魚の範疇に入れたかもしれませんわね てみたら小説が、感動そのものが一挙にぐらっとくる感じだっ

10. SFマガジン 1978年9月号

としては。そういうのんの後遺症がやつばり未だに残ってて、ち ども、そういわれてもかまいませんと、でもおもしろいでしよう よっとたとえば初めて会う編集者の方なんかで、初めにしてはち といいたいと。おもしろくないかもしれませんよ。でも一応おも 6 よっと、なんというのかなあ、あまり失礼なこといい過ぎちゃう しろければですよ、その場合ね、おっしやるとおり小説しゃあり かなと思うときがあっても、その場は別に怒りもせんと、はあは ません。でも、おもしろいでしようといえればそれでいいんじゃ あという感じでおさめてしまうところがありますよね。これはや ないかと、ドタ。ハタやる限りにおいてはね。それと、ぼくがもう つばり後遺症が残っているのと、明らかに自分で分るんで、あと ひとっ考えているのは、その、よくマニアみたいな人の作品の判 からすごく腹が立ちますねえ。 定の仕方として、何か知らんけど、これはではないとかいう こういう舌、聞きましたか、いままで ? ・ ことをよくいいますわね。たとえばの批評をするコラムに、 その作品名をあげて、これはではないといったりする。これ 掘いやあ、サラリーマンとしてのそういう心情はあまり出さない はおかしいんしゃないかと思って。 n でないものはそのの ですねえ、かれ。ぼくは非常にもう、かれのデビュー当時から親 しいからいろいろなことをよく知っているんで、それで落語好コラムからはすしておけばいいんであってねえ、作家が書い たのだからといってわざわざそれを取上げてでないというこ ぎ、広告テクニック、それから経験体験もろもろのことから類推 とはないんでね、その人に作品の選択権があるんだから、ないと できることはあったんです。それがときどきやつばり違うものが 出てくるんですよね。それでこれから、どうなるのかというふう見なすものははずしておけばいいんだけども、わざわざ取上げて ではないといったりするのは、これはおかしいんじゃないか なところの : : : どこから何をア、、 ー・ハみたいに触手をひろげるの と。それから考えますと・ほくの場合ももちろんを中心点とし かというあたりが予測っかないところがあるので : てやっていくという気はありますけども、それはもちろんそうい これからどうなりますか、という質問ですな。 う予定もしてますし、あれもありますけども、そういうような仮 かんべそれと関連するかどうかわかりませんけどね、前に東京に にではないというのが仮に増えてきたにしても、それは・ほく いたとき横順やら正紀やら鏡明と会ってかなり長いことしゃべっ はかまわないと思いますし、だから最終的にはその、英語でいえ たことなんですけど、そのときたまたま出た話で、その、なんて ばオーサーであればいいんだと・ほくは思っているわけです。だか のかな、結局ドタ・ハタを書く場合にどんどん極端にしていけば、 ら、そのはもちろん書いていきますし、たとえばなんてのか たとえば小説ではないといわれる時点が必すくるわけですねえ。 これは小説じゃないやないかと。あるいは、横順のハチャハチャ物なあ戯文みたいなものを書くかもしれませんし、あるいはテザイ でもそうですね。これは小説じゃないといわれる時点が必ずくる ナーなり、マンガ家なりと共同してなんか馬鹿なことをやるかも と。もうすでにきているというみたいなこともありますと。その しれませんし、そういうわりにやりたいことというのはいろいろ ときに期せずしてばくと横順と同じ回答を用意していたんですけありますんでねえ。最終的にオーサーという言葉でくくられてお