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検索対象: SFマガジン 1983年1月号
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1. SFマガジン 1983年1月号

昭和 35 年 4 月 12 日第三神郵便物認可昭和 34 年 12 月 1 日国鉄東局特別扱承認誌第 682 号昭和 58 年 1 月 1 日印刷・発行 ( 毎月 1 回・ 1 日発行 ) 第 24 巻第 1 アメリカ・ファンタッイ & SF 誌特約 く本誌独占取材 / ) 。 , ) イ ハインライン来日レポート シマック 火浦功 神林長平一 光瀬龍 = 、 く読切 > 難波 大野安之 特別企画 SF 工ンサイクロペティア

2. SFマガジン 1983年1月号

から『愛しき人類』 C ん c ん尾んな〃 za れ ( 1976 ) に至るまで高い質を保ち続け、決 してアメリカ流の手本を真似ることがなか った。その他に名前を挙げておくべき作家 としては、『不安定な時間』んん川 切 c げ / al ツ ( 1973 ) で執筆を再開したミシェ ル・ジュリと、唯一の長篇 S Ⅲゾ“ビ ながの e 〔惑星の地表〕 ( 1959 ) で知ら れるダニエル・ドロードがいる。主流文学 の作家も折に触れて SF に挑戦しており一 S F は再び時流に乗ったが、主に翻訳も のだった。ノレ・レョン・ファンタスティ ク叢書は 1951 年から 1964 年の間に 119 冊出 版し、大部分がアメリカ SFO 1954 年から これを追ったフ。レザンス・デュ・ フュフーユ ーノし叢書は現在も続いている。 10 年ほど後 にはフランス名前もリストに載るようにな った。レョンで一よ、フランシス・カルサッ ク、フィリップ・キュルヴァル、アルペー ル・イゴン ( ミシェル・ジュリの筆名 ) 。 フ。レザンスでは、ジャック・ステルンべー ル、ジャン・ウグロン。しかしほとんどの 場合、フランス人の作品は、 1951 年発刊さ れた、あまり格の高くないフレーヴ・ノワ ール叢書から ( それもしばしば筆名で ) 刊 行された。こうした中で優れているのは、 ステファン・ヴュル、 B ・ R ・フ・リュス ( ロジェ・フ・ロンデル ) 、クルト・シュタ イナー ( アンドレ・リュエラン ) 、ジル・ ダルジール ( ジェラール・クラン ) であ る。 1953 年、エディション・オフ。夕社が、ギ ャラクシイ誌と F & S F 誌のフランス版ー ーそれそれギャラクシイ ( G 記五の、フィ クション ( け / 。のというが、内容はア メリカ版とかなり違うーーーの刊行に踏みき った。両誌は 25 年間にわたって、アメリカ 産短篇 SF の主な供給源となり、批評家も 含めた新しいフランスの才能の登龍門とも こういう人たちは数が少 なってきた。が、 なく、まばらだった。国内作家に大きなス ペースを与えたサテリート ( & 〃″の誌 は短命だった。新しく出てきた作家たちの ト、アラン・ 中でも、 シェノレ・トミュ ジェラール・クランは、じき ドレミ に編集の仕事にとりこまれ、その結果、作 品の発表は不規則になった。 過去 20 年間に現われた最も個性的な声は フィリッフ。・キュルヴァルである。 な 5 c I ' い c に〔宇宙の大波〕 ( 1962 ) 259 『イルカの日』 ービエール・フ・一ルの『猿の惑星』ん 4 の des ツ g ぉ ( 1963 ) 、ロペール・メ ルルには『イルカの日』 Un れ / 襯記 ra な 0 れ ( 1967 ) と『マレヴィル』ん / れ , ″ ( 1972 ) 、そしてヌーヴォー・ロマンの名 手クロード・オリエによるん 0 て . , だ 厚司。れ〔ェフ。シロン星の生活〕 ( 1972 ) がある。 こ 10 年間で状況は再び変化したよう だ。これにもまた、はっきりした影響の源 がある。英国のニュー・ウェープ S F と、 XII I

3. SFマガジン 1983年1月号

明。対立候補はニューヨークにフィ ン」 ( 留守宅のクリスタル夫人が印刷し ラデルフィアという強敵だが、この発送していた ) でにつとめ、こうし 8 氿南北戦争はぜひ南軍に勝ってほしい て日本ファンダムの存在が世界に知られ 気がする。ひとつには、彼女が一日ることになったのである。 人 がかりで案内してくれた近郊の戦跡その数年後、前出の トリン・フル夫妻ら の そ 公園の展示館などで、わたし自身何の発起でワールドコンに招かれ、さっそ となく当時の南部十三州に感情移入 くアル・フカーキへ表敬訪問を果たしたわ 簽ま第をい第ッ 3 ・ネ・、 ) させられてしまった、そのせいもあたしたちを、タケット夫妻は近郊の。フェ 次月るだろう。 ・フロ・インデアンの村やロスアラモスの 博物館へ案内してくれた。今年のニュー ト前・一家とメキシ「行きは従「て二度目の訪問にな ツの「」のことるわけで、本当に何もかもがなっかしか ケ宅 っこ 0 よケ ニューメキシコ州アルブカーキの年次大会「 0 z — 0 0 z 」は一 左タ ファンダムの顔役ロイ・タケット氏九六九年にアル・フカーキを訪れたドナル の人がらをひとロで表現するなら、 ド・ウォルハイム氏を、ロイをはじめ、 健全なるアメリカ市民の典型といっ最初の「ファンサイクロペディア」を出 彼女に電話したフォーリイが、「初対面たところだろうか。わたしよりひとっ年したジャック・ス。ヒア氏や、いまは故人 でも見つけるのは簡単、いちばんきれい長で、ふたりの娘さんがともにうちの娘となった大コレクターのウィリー な人をさがせばいい」と教えてくれたのたちより一歳ずつ上で、しかも一、二年フ氏など同地のがかこんで会食し も、半分は本気だったかもしれない。 ずつ早く結婚している。いわばわが家と たのを第一回としてスタートしたもの 夫君のラマー・ウォードロン氏といっ は相似形の家庭である。 で、毎年ワールドコンの一週間前の週末 しょに「ヴィジョンズ」というコミックス そしてこのロイが、ほかならぬ日本フに開かれ、世界大会へいくオ 1 ストラリ のファンジンを出しており、この七月に アンダムの「発見者」なのだ。二十一年アのファンが立ち寄るのが慣例になって 彼を委員長として同地で開催された「コ 前、岩国基地に駐留していたタケット曹いる。今年も ( 米豪交流ファン ミックス & ファンタジイ・フ = ア」は四長のお便りが本誌の「てれ。ほーと」欄に基金 ) で招かれた・ヒーター 千人をあつめる大成功をおさめた。同市載り、数人の日本人ファンがそれに答氏はじめ三人が出席、・ ( ネルやスライド は八六年のワールドコンにも立候補を表え、彼が自分のファンジン「ダイナトロ ・ショウや宿舎のウインロック・インで

4. SFマガジン 1983年1月号

! トド洋と 氏の分析によると、『竜の卵』は最初未明までの二十数時間についてである。 える超大作であるが、そこに描写されて 言葉で説明するよりも図に描いてしま から最後まで一種のパロディである。っ いる″・フルームの日〃は六月一六日 ( 木 ) 7 まり人類の歴史についての文学作品をもったほうが簡単でわかりやすいだろう。 を中心とする一日間である。しかも、こ しっているのだ。だから、チーラ人の歴氏の意味を正確に表わしているかどうの一日は人間の数千年の歴史の凝縮とも いわれている。 史や習性が人類のそれと酷似しているのかはわからないが、私なりの図解を図 1 もはやだれの眼にも明らかである。 、第はあたりまえであって、そのことこそ、 フォワード氏はジョイスに敬意を表し 作者フォワード が意図したことである。 左がわが″神〃と″旅″の章の歴史年 たとえば″。フロローグ″はキップリン表である。六月一四日 ( 火 ) に神が出現て、この記念すべき一日 ( チ ] ラ人の精 - グだし、″神″と″旅は子ども向けのし、六月一五日 ( 水 ) に文字が発明され神文明史にとってもっとも重要な数千年 る。 長老会派の『聖書物語』である。 相当の一日 ) を『ュリシーズ』にゆすっ たのである。 ところが、文字が発明されてのちのほ そしてハイライトである″接触んと 空欄部分と『ュリシーズ』とが間隔か ″相互作用″の章はジェイムズ・ジョイ ・ほ一日間は『竜の卵』ではまったくの空 スの『ュリシーズ』なのである。 欄となっているのだ。すなわち、一五日ら曜日まで一致していることから、これ 請都氏は″接触んの章の冒頭から″相 ( 水 ) から一六日 ( 木 ) をとびこして一が偶然とはとても言えない。まさしく清 互作用″の章のおわりまでを『ュリシー 七日 ( 金 ) にすすみ、工業技術らしきも都氏の看破されたとおりであろう。 ズ』の一日と対応させ、さらにいくつかのの芽生えなどの記述が再開されている清都氏は『竜の卵』の後半が一貫して のである。 の謎解きをしておられる。 『ュリシーズ』や『ダ・フリン市民』のト 私には理解しにくい部分もあるのだ チーラ人にとっては一日は数千年に 1 ンであることを指摘し、さらに数多く が、たしかに言われてみればそういう気相当しているので、文字の発明以後数千の″暗合んを発見している。 がする。 そしてフォワード氏が『ュリシーズ』 年の文明史が省略されてしまっているこ チーラ人の歴史が人間の歴史をなそっとになるのだ。 にいたった道を、図 1 の右端のように想 像している。 たものであることはすぐにわかるし、そ これは奇妙なことだ。 れは読んだほとんどの人が感じているこ人類の歴史でも、文字が発明されて以 清都氏の推理によれば、チーラ人の諸 性質や歴史スケジュールは『ュリシー とだが、『ュリシーズ』とかくも対応し後の数千年がいちばんおもしろいという ているとは思わなかった。 ズ』から逆算して決められたものだとい うことである。 意表をつかれてしまった。 さて一方、右がわがジョイスの『ュリ シーズ』である。 そういうこともありうるかもしれな 清都氏の分析でさらに面白いのは、六 月一六日 ( 木 ) の朝から六月一七日 ( 金 ) 『ュリシーズ』は現代文学の出発点とい

5. SFマガジン 1983年1月号

六百円〈第八回「ハヤカワ・ T, コンテスト」発表〉 ・の・ハックナン・ハー在庫一覧を掲載しま四月号 す。ここに掲載されていないものは全て品切れ栗本薫、鏡明、神林長平、・ジョン・ハリス / 栗本薫、神林長平、殿谷みな子、草上仁、レ ム、〈翻訳ショート・ショート傑作選〉、山田 です。なお、☆印は残部少数につきお早めに御ン、ポプ・レマン、ゾラン・ジフコヴィッチ、 ミネコ、エンサイクロペディア 3 注文ください。 萩尾望都、エンサイクロ・ヘディア⑩ 一一九八 0 年 五月号 六百円十一月号 六百円 六月号 ( 五百円 ) 、七月号 ( 七百三十円 ) 、☆八光瀬龍、栗本薫、鏡明、亀和田武、ラリイ・ニ光瀬龍、岬兄悟、火浦功、水見稜、ヴァーナー ーヴン、キャサリン・マクレイン、ジョン・ス・ヴィンジ、・ディヴィッドスン、山田ミネ 月号 ( 六百円 ) 、☆十月号 ( 六百円 ) コ、エンサイクロペディア@ ラデック、萩尾望都、エンサイクロペディ ア⑩ 一九八一年 十ニ月号 六百円 ☆ニ月特大号 ( 八百円 ) 、三月号 ( 六百円 ) 、四六月号 六百円谷甲州、岬兄悟、草上仁、鈴木秀明、オールデ ーグ、イス、・・ポーン、スヴェトスラフ・スラ 月号 ( 六百円 ) 、五月号 ( 六百円 ) 、☆八月号栗本薫、鏡明、・シルヴァしハ ( 六百円 ) 、十ニ月号 ( 六百円 ) 、十ニ月臨時増・ストルガッキー、・・ジェフリーズ、萩フチェフ、山田ミネコ、 r-n エンサイクロペテ 尾望都、エンサイクロペディア⑩ ィアの 刊号 ( 九百円 ) マガジン・ ・、ソクナンバ 七月号 六百円 一九八ニ年 入手方法 〈・・ディック追悼特集〉ディック、プラ 六百円ット、 川又千秋、萩尾望都、森下一仁、水鏡子・本欄に掲載していないパックナイハーは品 、ノ一月号 栗本薰、鏡明、鈴木いづみ、森下一仁、亀和田 / 矢野徹、栗本薫、田中文雄、山田ミネコ、切れですので御注意下さい ①最寄りの書店に月号指定のうえ注文する。 ナ 武、大原まり子、火浦功、高井信、飛浩隆、キエンサイクロペディア⑦ ②小社の通信販売係へ直接注文する。 ングズリー・ ェイミス、萩尾望都、エンサ ク 田現金書留、切手、 3 郵便振替を御利用 イクロペディア⑩ 八月号 六百円 下さい。郵便振替の振替番号は《東京 6 ー ッ 〈年ヒューゴー / ネビ、ラ賞特集〉シマッ 47799 》送料は次の通りです。 ニ月号 九百五十円ク、ヴァーリイ、マーティン / 栗本薫、火浦 〈普通号〉一冊日 ( 八〇年六、八月号 ) 六 ン〈海外特集〉アイザック・アシモフ、・功、草上仁、山田ミネコ、エンサイクロペ 十五円・ ( 八〇年七月号 ) 七十五円・ - ン・・ハズビイ、ギョルゲ・ササルマン、 O ・シディア⑩ ( 八一年二月号 ) 八十五円、他は七十円。 エフィールド、ボ・フ・レマン、ヨゼフ・ネスヴ マ 二冊日百円、三冊日百三十五円 アドバ / 栗本薫、鏡明、神林長平、水見稜、岬九月号 六百円〈増刊号〉一冊Ⅱ八十五円 兄悟、萩尾望都、エンサイクロペディア⑩〈年ヒューゴー / ネビュラ賞特集〉マ 1 ティ ☆ここに示した以上の冊数の場合の送料は ン、ウォルドロツ・フ / 光瀬龍、栗本薫、神林長 小社までお問合せ下さい なお、送料の残金は切手でお返しします。 三月号 六百円平、岬兄悟、大原まり子、ホーガン、山田ミネ また、図書券の代用は不可。 ・ポールインタビュウ / 栗本薫、鏡明、夢枕コ、エンサイクロペディア⑩ 御注文の際は、住所、氏名を忘れずに必ず 獏、神林長平、・ポール、・セイ・ハーへー 御記入下さい ゲン、萩尾望都、エンサイクロべディア⑩十月号 六百円 8 2

6. SFマガジン 1983年1月号

・ー淦争旧 : / 当和こ斗中 「竜の卵』の歴史 ( 神と旅の章 : 聖書物語のパロディ ) 「ジョイス』の歴史 ( オデッセイより ) 2050 年 円 04 年 6 月図日火原初の神プライト人類より 物理学 クオーク フィネガンズ 人類数千年の歴史をウェイク、 一日に凝縮したとい歴史の凝縮 われるユリシーズの ↓・ 一日 ( プルームの日 ) ーユリシーズ ー竜の卵 : * 素粒子の中 : の素粒子と ーいうべきク ーオークはジ ーヨイスのこ ーの作品から 名づけられ ている . 6 月日困占星術 - 〉文字の発明 この間のみ書かれ 6 月日困ていないが , チー ラ人の一日は人類 の数千年とされる . 6 月ロ日囹工業の芽生え 6 月日困 6 月日木 Ⅱダブリン市民 ) 6 月ロ日囹 6 月絽日田神の多様化 人類より 6 月円日 ( 日 ) 天文学への道 神の使い , 遠征 , 6 月 20 日月 交信 , 文明 ( 接触と相互作用 ) 超文明 ( 対応 ) 人類へ 『竜の卵』はユリシ 1 ズフ さあいよいよ″お便り″への御返事コ 1 ナーである。 回のお便りコーナー以後も、熱心な 読者から各種各様なお便りをいただきま した。ありがとうございました。 私に理解できそうな話題 ( そしてこの ズ コラムにふさわしいテーマ ) を列挙して シゆきたいと思います。 ( 載せられなかったものについては、直 ュ 接ご返事するつもりですが、ひょっとし てどこかにまぎれてしまったものがある のかもしれません。そのときは御叱正のお ハガキを : : : ) 図 まず最初は、北海道の清都浩平氏の一一 通のお便りの中のサインスでない部 分。 の話題作『竜の 清都氏はフォワード 卵』を中心にプラックホールからの放射 の計算をしておられるのだが、それはあ とまわしとして、付録としてつけられた 『竜の卵』のストーリー の″謎解きみの 7 方をご紹介しておこう。

7. SFマガジン 1983年1月号

が、富までは伴わなかった ( 描法に時間が かかったからだ ) 。 にもかかわらず、多作 でもあった。最初の作品は 1935 年ウィアー ド・テールズ誌に描いたものだが一一一結 局、同誌の表紙で総数点、のちにフェイ ・ストーリー ック・ノヴェル ミステリーズ ズ、ファンタスティック マガジン、ファンタスティ た雑誌は、 A ・メリツツ・ファンタジイ・ 誌の表紙で 24 点を描いている。作品を寄せ マス・ファンタスティック イシュタルの船 部を覆う意味もあった。ヒューゴー賞の候 通例隠すことになっていた女性の身体の各 もあったが、当時の商業美術の傾向では、 ラした泡を描き加えた。飾りとしての意味 おり、フィンレイはしばしば作品にキラキ である。多くのファンが、、泡男″と呼ぶと ワンダー・ストーリー・アニュアルその他 ーリーズ、スタートリング・ストーリーズ、 クション、ギャラクシイ、スペース・スト ァース、フューチャー・サイエンス・フィ ファンタスティック・ユニヴ ォータリー 『イシュタルの船』カバー = V ・フィンレイ 、 ~ おをゞをドをドをゞゞぎ 補に 7 回のぼったが、受賞は 1953 年のただ 1 度、雑誌イラストに対するものだった。 S F よりはファンタジイを得意とし、とりわ け優れている題材は ( よくあるパラドック スだが ) 艶麗なものと奇怪なものを描くの に秀で、どちらも入念な仕上げを誇った。 初期の作品は後のものにくらべてより抽象 的に様式化されていて、芯の強さをうかが わせるが、これがのちには見事な商業主義 の覆いをかぶせられて目立たなくなった。 SF イラストの歴史上、最高の画工と呼べ そうなフィンレイには、今も愛着を覚える 人が多い。作品集は 1941 年に最初に刊行さ れて以来、数が多く、ふたつだけ挙げる と、ドナルド・ M ・グラントの編集による Virgil 切 " ( 1971 ) とジェリー・デ・ラ ・リーの編集になる T 召 0 研 Virgil 窺 ( 1975 ) とがある。〔 JG/PN 〕 フィニイ、チャールズ・ G FINNEY, CHARLES G(RANDISON) ( 1 5 ー ) アメリカの新聞記者、作家。アリゾナに 居を定めているが 19 年から 29 年まで合衆 国歩兵部隊の一員として中国の天津ですご し、大部分の作品には東洋的な雰囲気がた だよう。長短篇ともに、 S F よりはファン タジイ寄りだが、とりわけ有名な『ラーオ 博士のサーカス』 T んに C / 尾 Dr. ん 40 ( 1935 ) は S F 界全体に及ばした影響は大 この作品は T ん & 膨れお Dr. ん 4 。 ( 1963 ) として無神経な映画化も されている。また、レイ・フ・ラッドベリの アンソロジー The C / な D だ . ん 20 4 れ d 0 〃 2r064 みん & 0 お ( 乞 1956 ) の表 題作ともなっており、フィニイの影響はフ・ ラッドベリにとりわけ濃厚である。ラーオ 博士のサーカスには神話的な獣や半神半人 がたくさんいて、テントの中で実際に生き ている。この小説は、アリゾナ州のとある 270

8. SFマガジン 1983年1月号

と・・ヴァン・ヴォート夫妻が訪れン』の原作権請求訴訟で何万ドルかの示も来たし、一昨年は大会開催地のポスト ンからワシントン O まで東海岸縦断の た。わたしたちとは実に十四年ぶりの再談金を手にした一件はもうご存じのかた 会だ 0 た。氏は七年ほど前にやはりが多いだろう。お宅はア , カー「ンシ ' 旅にさそわれ、ジ「ンの運転する車で一 ( ル女史ンからほど近く、やはり ( リウッド丘陵週間あまり行をともにした。ケリー・ 作家だった夫人のß-Ä・メイン・ リース氏や、『エルフクエスト』で有名 に先立たれて以来がつくり落ちこんでほ南斜面の高級住宅地にある。 よウエンディ・ビニ夫人や、 Z のポ とんど鳴かず飛ばずだ 0 たが、昨年いま世間話をしているうちに、ふと思いっオ ・フ & ペギイ・。ハヴレット夫妻と知り合え いて十八番の意味論の話に水を向けた のリディア夫人 ( すばらしい美人だ ) と たのは、このときの収穫だった。 、つしょになってすっかり元気をとりもら、同氏にわかに活気づいてとうとうと あねご どしたという。 = ージ = ントであるフ , 所論を述べはしめ、ア ' カー「ン夫妻と気さくな姐御肌というのか、今年ふた ーリイの尽力により、映画『 = ィリアの歓談がちょ 0 ととぎれてしまい、申し晩泊ま「た折にもイギリスから女性ファ一 ンがふたりたずねてきていた。大会のあ わけない思いをした。なにしろわた 四しにはその議論の内容など半分もわとわたしたちがディズ = 1 ワールドを訪 月からない。が、懸案だった〈非〉れると、 m—O のお声がかりとあって、そ ー・トレいク シリーズの第三作も、勝ち気な夫人こに勤務している若いスタ ・ファンが—扱いの案内をしてくれ にの励ましのおかげで来年早々に完成 ン できる由。そう語る氏の表情は、七た。いろんな人の話から推すと、三十数 ョ シ十歳という年齢が嘘に思えるほど漫年前の彼女は、きれいな絵を描くかわい い少 - 女ファンということで、アメリカ (-O マ剌として明るかった。 界のマスコット的存在だったらしい カ のこと ア ロサンゼルスの—•O ・トリン・フ・ いつ。ほう現在のアメリカ界最高の ー・トレック」 ~ ( ( トル夫人は現在「スタ オファンダムの第一人者として知られ美女なのではないかと思われるのが、 ( る。十四年前わたしたちがはじめて『風と共に去りぬ』で有名なジョージア ン ウォードロン アトランタのエイミー・ 渡米したときはひと月近くこのジョ ヴン & 夫妻のところで世話にな夫人 ( 大会レポートでも触れた ) であ田 った。四年ほど前には夫婦で日本へる。わたしたちを空港へ迎えに出るよう セマンティクス

9. SFマガジン 1983年1月号

っ 橋 め 頼 橋 がた し い リ ん 実無 と 諦 に あ 第 す ) つけ さ んを て江 し そ と サ し真考 も 路 め さ と し間 ま てた は理 の し か の の い 尸 て違軽た剣え見下 、て川 いな 、声 。上て め た し 力、 フ 、薄が 声 し で車凝 と 現 も 乱 だ て て オよ ん ア ま ん ち を に い潜 い実信 は ・そ - っ 話に っ み 力、 り か し よ 力、 な う 相た る な っ 風 し戻 の てす け な シ う じ に の の こ存 路かな手 。と い込 が 男 と ろ ぎ ら小 よ た の っ て っ 顔 キ 結 と 在れ説 、失 で は 」 1 旦 う がそ い う は の ん み た ヤ構をナ 立 と の 何礼 た と 性す ぐ し な し 忽を る ら た 冫こ 石寉 然曲 ラ滑 し こ徹相 し : 質あ ら な ゃ し シ 2 し、 や 、あノ く稽カ 。あ が 年 と底手 と おま た ョ い い つ ン な め っ す に 自勺 の と て は る の 光て 追 妙 な に男 き さ ま 見た し し し、 ク い な や先 調カ 、そ 尿 か た 力、 て マ の と を でだ か 顔 路 で し た ら し べ週 し し て刊地 ま 立 て す そー、 ま も か け を 目リ っ確 しナ った も む逃を そ は た し ち の し ろ停 れを角 話げ騙 た話 た の て ん たか ん のだ ち 光 う ま な つを だ じ の る オよ と ち す を け さ り は て や なすあ 目 あて フ れ 読屋 ち け 一見 と し、 と ど が た て う は り み い の し 店 かな得 目 そ い 気 現 の る ち カ : の車 て先 見 も いな 実 に っ方 と な 失 いで の 確 と と る さ 、や仕 起 り 度僕 も 確あ事 はを ち て か 4 ) 甲、を き 忘も や か の る れ に ご依 だ れ な キ い も り た し し ス - ー 1 - ー 1 - ー 1 が の今 ど適ナ あ ま と あ く 人あ ああ ど ま 又た ん レ 4 ) 哽年 コ年て っ当 の あた し 佐 っ めな の う フ ん が い男 ど店 はす て返 、し て山人 し た で 力、 は に っ い事 が っ 黙 ド じ た にそ て も さ ま ち いは 0 よ 、ナこ ど や 青は う も だ っ会 イれた の ま ん や し、 や 、年 で 違 、で 青 。て 社 う なた ま橋 よ か よ が かす く し う ます山 さ わ いん い 行た名 、妙ん て あ 、な で年る あ新 も のだ 突 た よ 然 よ の 雑なオ る 宿 じ . し の の つ 目リ つ と た 誌顔 回 る たけ て ウ 目 の び 横 ど んね仕 う 追 ひ 社をた ね よ も イ は で事ナ あ 断 う い出 う の し か ン し 歩 ド あ 人たな り く の か い の た 丿 尋 か 持 で 好 き だ け で の を 店 間 き 奇 と り オュ サ ら た し 渡 た 沼 はた て て や ん 力、 力、 は き まだ ま へ と さ て り フ 冫こ れ旦よ か 層 ィ れけ っ 甲 で た る ん は ン所そて 白 だ も 男 ま ど っ く し ル す ょ見 マ わ た け た つを 見が ネ け て ど か な て 力、 ど ち う 目 り シ は リ 火 ま ヤ つ や が ス 力、 っ に っ が の な も た やた お な て ま て か

10. SFマガジン 1983年1月号

板石敷きのテラスでロッキングチ = アに彼が揺られていると、自「ときどきお会いになりますか。つまり、顔を見せに帰っていらっ 動車が道を曲がってきて門の前に止まった。見知らぬ男が車から降しやるかということですが」 り、門の掛け金をあけて通路をやってくる。歩いて来るその男は老「ときおりですね。三度か四度、それだけです。けれど最近は絶え 人だったーーー自分ほどではないにしてもかなりの年だと、ロッキンてない。最後に帰ってきたのは二十年前でした。いつもいそがしが っていてね。一日二日しかいられない。みやげ話がたくさんありま グチェアの男は思った。白髪を風になびかせ、ゆっくりと、かすか した」 に足を引きずってくる。 ートさん 「けれどあなたご自身は家をはなれなかったわけだ。二十マイル行 男は彼のところで立ちどまった。「エドワード・ラン・ハ ったのがいちばん遠くだという話でしたね」 ートはうなずいた。「シオドア・アン ですね」とたずねる。ラン・ハ 「いっしょに行きたいと思ったときもあります。けれど、それはで ダースンと申します。マディスンから来ました。大学の者です」 ラン・ハ ートは、テラスの別のロッキングチェアをすすめた。「おきませんでした。わたしたちふたりは、両親が年をいってからの子 なのです。私たちが若いころ、両親はもう老人だった。家に誰かが 掛けください。はるばると来たものですね」 ついていてやらなければならなかったんです。そして、両親に死な アンダースンは笑いをもらした。「そんなに遠くはありません。 れたあと、わたしはもうこの土地を去ることはできなくなってい 百マイルかそこらです」 た。あの丘や森や小川の流れと、わかれがたくなっていたんです」 「私にとっては、ずいぶん遠い距離だ。生まれてから、二十マイル 以上遠くに出かけたことがありません。河向こうの宇宙空港より遠アンダースンはうなずいた。「それは理解できます。あなたの作 品に反映されていますから。あなたは、今世紀の田園を代弁する作 くに行ったことはないんです」 家になられた。孫引きの引用ですが、もちろんおわかりですよね」 「空港にはしよっちゅう行かれるんですか」 ラン・ハ ートは鼻先でわらった。「自然写生文学ですか。昔は、大 「一度たずねただけです。若いころに。最近のことじゃない。 いなるアメリカ文化の伝統の一部だったものです。わたしがはじめ にすわっていても、発着する宇宙船が見られます」 て手を染めた五十年前には、もう流行遅れになっていた。理解ある 「ここにすわって、宇宙船を見つめるんですか」 読者も、読みたがる者もいなかった。必要性なんかだれもみとめな 「昔一度そうしたことがあります。今はちがう。今も宇宙船はしょ っちゅう目に入ります。だが、もうわざわざ見つめたりはしませか「たんです。それが今にな 0 て復活してきた。ねこもしやくし も、文章をつづりあわせさえできる者ならだれもがあらたに書きは ん」 じめている」 「宇宙に出ているご兄弟がおありだと聞いているんですが」 「けれど、あなたほどの書き手はいません」 「ええ、フィルと言います。フィルは我が家の放浪者なんです。二 「わたしのほうが長いことたずさわっていますから。人より書きな 人兄弟でした。一卵性のふたごです」 5 3