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検索対象: SFマガジン 1983年3月号
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1. SFマガジン 1983年3月号

がる障害を除き、人類に幸福をもたらすも のであることを教えてくれる。そして、こ れを読んだ人に、科学を学び、科学を愛 し、科学を用いようという意志をかきたて るのである″ 日本の女流作家夏樹静子の『風の 扉』は、一九八一年「上海科技報」に連載 された。訳者は蘇徳成、鶤雲表。蘇徳成は 上海の著名な数学教授蘇歩青の子息。母親 が日本人であるため、日本語には堪能であ る。この翻訳はのちに北京の雑誌「科学大 観園」に転載された。 日本の小説『ソ連軍日本上陸・第三 次世界大戦日本編』『ミンスク出撃す・第 三次世界大戦日本編』 ( 久名島竜夫と軍事 研究グループ ) は新華出版より一九七九年載 九月、一九八〇年三月の二回に分けて翻訳 出版されている 0 翻訳出版の早かったこと 「西湖」 1982 年 6 月号 は注目に値すると言えよう。『ミンスク出る逃亡』が、浙江省杭州の文学月刊誌「西 撃す』の如きは一九七九年七月に日本で出湖」に連載中。訳者は杭州の陳浩という たばかりだから、わずか九か月で中訳本が人。日本語を教えて三十年あまりという人 である。 出たことになる。 知る所では、北京、天津、遼寧の三つの 一九八一一年からは田中光一一氏の『大いな 出版社で、それぞれ『日本選』が出版 準備中。出版準備は早くから開始されてい たのだが、いつごろ出るかについては、ま だ確実な情報はない。私がかって日本 選を編むために人に頼んで訳してもらった - イ タ作品は次の通り。 回 松本清張『神と野獣の日』 第 琮載 筒井康隆『佇むひと』『おれに関する導』 連 星新一『作品集』 ( ? ) 亡 逃 眉村卓『信じていたい』 ( ? ) 、『あの銀 る 色の朝を : : : 』 ( ? ) な 田中光二『メトセトラの谷』 ( ? ) 大 山野浩一『電車で行こう』 河野典生『機関車、草原に』 豊田有恒『渡り廊下』 田 の 広瀬正『もの』 / 〔掲 平井和正『レオノーラ』 石原藤夫『ハイウェイ惑星』 湖 西 荒巻義雄『柔らかい時計』 小松左京『終りなき負債』 ( 一九八二年九月三日上海にて ) 0

2. SFマガジン 1983年3月号

イクション〃特集であり、翌年にはサイエ ンティフィクション誌なる新雑誌の予約購 読をつのった。しかし創刊はおくれ、 1926 年 4 月号づけで、英語圏における初めての 本格的 S F 専門誌アメージング・ストーリ ーズが誕生する。ガーンズスックはその発 行者であり、編集長も兼ねたが、実際の編 集業務は、彼より年長の副編集長 T ・オコ ナー・スローンが受け持った。アメージン グ誌はたちまち商業的成功をおさめ、 19 年にはアメージング・ストーリーズ・アニ ュアル ( 年刊 ) 誌が現われ、翌年同誌はア メージング・ストーリーズ・クオータリー ( 季刊 ) となる。 1929 年、ガーンズノくック のェクスペリメンター出版社は破産を宣告 された。彼はただちに別の出版社を設立し てカンパックし、新たに 4 誌を創刊した。 2 誌は翌年には、ワンダー・ストーリーズの マンスリー誌である。 サイエンティフィック・ディテクティヴ・ ンス・ワンダー ンス・ワンダー・ストーリーズサイエ ェア・ワンダー・ストーリーズ誌、サイエ このうち、はじめの ・クオータリー誌、そして ルじ、、 ン・フ。ラスを創刊した。ガーンズ / くックは 後の S F 専門誌、サイエンス・フィクショ 行している。そして 1953 年、彼としては最 スーパーワールド・コミックス誌を 3 号発 ズバックは初期 S F コミックスのひとつ、 ストーリーズ誌となった。 1939 年、ガーン 年売りに出され、スリリング・ワンダー に終刊、ワンダー・ストーリーズ誌は 1936 クオータリーと誌名を変えたのち ) 1933 年 ォータリー誌も ( サイエンス・ワンダー しか続かず、ワンダー・ストーリーズ・ク ルズと誌名が変わったものの ) 1 年足らず は ( アメージング・ディテクティヴ・テー フィック・ティテクティヴ・マンスリー誌と とも他の事業は繁栄した ) 、サイエンティ 1930 年代を通じて衰退の道をたどり ( もっ 名のもとに合併している。彼の出版帝国は 265 その名目だけの編集長で、サム・モスコウ ィッツが編集主任となった。同誌は 7 号つ づいた。彼の雑誌の中でいちばん長続きし たのは、やや毛色の異なるセクソロジー畆 である。ガーンズバックが S F に果たした 貢献については、さまざまな意見がある。 モスコウィッツは彼を、、 S F の父〃と呼び ( E あ尾ォんれ , 1963 所載 "Hugo Gernsback : 'Father 0f Science Fiction"' 参照 ) 、フ・ライアン・オールディ スは彼にある科学的正確さへのこだわりを 取りあげ、 S F に、、生彩を失わせる直解主 義〃を持ちこんだと批判している ( 『十億 年の宴』襯 0 だ SP ら 1973 参照 ) 。 ヒューゴー賞は彼の業績を称えて名付けら れたものであり、 1960 年にはガーンズバッ ク自身、特別ヒューゴー賞を授与されてい 〔 M J E 〕 GERROLD, DAVID ジェロルド、ディヴィッド 歴史を語ったもの。ジェロルドの最初の長 マスメディアの世界における番組の苦闘の 番組の長所と短所を的確に分析しながら、 The WorId Star T 尾ん ( 1973 ) は、 て 1973 ) にまとめられている。もう 1 作 年の脚本にノンフィクション記事を加え とつ、 T ん T ル″わん , ″ん Tr 訪房ぉ ( 1967 ・トレック』関係の著作 2 冊のうちのひ の執筆と撮影にからむ裏話は、彼の『スタ ( 1967 ) がデビュー作となった。この脚本 ール」 "The Trouble with Tribbles ” の有名なェビソード「新種クアドリテイケ ・トレック宇宙大作戦』 & “ T た した。 T V 脚本家として売りたし、『スタ ち、舞台芸術の学士号をとって大学を卒業 に使う変形名。ロサンジェルスに生まれ育 ) が、すべての著作 Friedman ( 1944 ー イヴィッド・フリードマン Jerrold David アメリカの作家、脚本家ジェロルド・デ VII

3. SFマガジン 1983年3月号

SF レヒッウ ″妄想を解き放ったようなパワーに対する フォルニアへと届けられる。八〇年から数え 驚きであり、喜びの部分は、それが文句なく て十八年後の未来から、十八年前の過去へ。 面白いことだ。 二十一歳のペンフォ 1 ドが大学生活を送って それにしても、いまさらながら、七三年か いたカリフォルニアへと。九八年という年は ら七四年にかけて書かれ、本誌に連載された 明らかに六一一年の相手役として選ばれたもの 評論『夢の言葉・言葉の夢』が、現在の作家 である。たとえば『マイナス・ゼロ』やジャ 川又千秋の登場を告げているのに気づかさ ック・フィニイを持ち出すまでもなく、過去 れる。処女作にその作家の全ての萌芽がある への帰遠にこめられた熱つぼいノスタルジイ と言われるが、それと同じことが実質上の はそれだけで読まずにいられない共感を誘 高橋良平 界デビューのこの評論にもあてはまる。内 う。ペンフォードは懐旧の思いをこめながら 容的な面については、別のレヴュウになって も、のめりこむことなくべたっかないで、そ 『狂走団』は、川又千秋の十六冊目の著書にしまうのでさしひかえておく。しかし、川又 の夢のような時代をつづっていく。 して、初めての短篇集である。念のため、刊千秋にとっての作家宣言といえる『夢の言葉 タイム・パラドックスの処理に新味はな、 ・言葉の夢』は、・幻想小説の核心につ と書いたけれども、新味はないけどぎやっと行順に著書をあげておくと、『夢の戦士』 コマンド・タンガロア ・テビル・カビラ 飛びあがったところがあるのだ。とにかくあ『海神の逆襲』『反在士の鏡』『赤道の魔界』いての優れた構造分析として、″少年を まりのことに読んでない人の前でしゃ・ヘりた『天界の狂戦士』『蜃気楼の少女』『火星人には貴重なものだ。再読、三読をすすめる。 エンポイ・カピアンゴ くてしかたがない。 ートという人のこと先史』『亜人戦士 1 』『幻獣の密使』『夢のそのうえで、自らの言葉でをとらえ直し なのだけど。 言葉・言葉の夢』『妖姫のいけにえ』『対島て欲しい。必ずなにかが見えてくるはずだ。 アクチューイリ サザンク 0 ス それと宇宙創生の仮説が凄絶。どちらも本沖ソ連艦に突入せよ』『南十字星パイレーツ』話が横道に入ってしまった。 とんな作家なの 筋とはあまり関係ないのだけど、こういう細『星々の声』『夢幻惑星』となり、そして既では、川又千秋とは、・ 部への凝りがこの小説をいっそう値打ちのあに十七冊目の『林彪の罠』も出ている。自分か ? るものにしていることはたしかだ。 なりに分類すれば、ジュヴナイル三冊、 傑作。 秘境冒険三冊、メタ五冊、評論一 八二年の最大の収穫である。 冊、伝奇一冊、冒険小説三冊。これがわ ( 大野万紀氏の解説がポイントをみごとにすずか四年の間に出されたことに、驚きと喜び くいあげていて、絶賛もの。おかげで書評がを感じる。驚きの部分は、ただ単に量的な意 やりにくくて困ってしまった ) ( 『タイムス味ではなく ( 日本の作家として、流行作家と ケー。フ』 / 著者Ⅱグレゴリイ・ペンフォード 呼ばれる人は、信じられないような量を生み / 訳者Ⅱ山高昭 / 四三〇頁 / \ 一八〇〇 / 四出しているのだから ) 、かっての″少年 六判上製 / 早川書房 ) 団″、つまりあの六〇年代後半にファン活動 に参加した人間のひとりが、物語を造る側に 身を置き、いまやそれまで飼い馴していた 川又千秋著 『狂走団』

4. SFマガジン 1983年3月号

昭和 35 年 4 月 12 日第三種郵便物認可昭和 34 年 12 月 1 日国鉄東局特別扱承認雑誌第 682 号昭和 58 年 3 月 1 日印刷・発行 ( 毎月 1 回・ 1 日発行 ) 24 巻第 アメリカ・ファンタジイ & SF 誌特約 く映画誌上公開〉 マガジン スター・トレック′ 130 レ 《コミック》 19 を 特別企画 SF 工ンサイクロべティア

5. SFマガジン 1983年3月号

る交流、協力関係がいかに密接であったか もし根源にまでさかの・ほって言うなら本の横浜にあった新民社活版部から出版さ ば、中国と日本のの交流は、早くも今れている。同年、進化社から出版された魯がわかるであろう。 その後、周知のような原因によって、中 迅訳のヴェルヌ『月世界旅行』も、日本の 世紀初めには開始されていたことになる。 日関係は疎遠になってしまい、日本の 初期における著名な作家押川春浪の『海底井上勤の日本語訳によっているのだ。 ちょっと面白いのは、清の光緒三一年すが中国で訳されることもほとんどなくなっ 軍艦』、『空中大飛行艇』、『武侠の日本』、 なわち一九〇五年、上海の小説林社から出ていた。 『千年後の世界』、『銀山王』、『大魔窟』 だが、まるで奇跡のように、中国人に などは、一九〇三ー一九〇六年の間に、あ版された『新ほら男爵の冒険』なる一 書である。この本には三篇が収録され〈十年内乱〉と呼ばれている、中国で いついで中国語に訳されて出版されてい る。これが中国の読者の眼に最も早く触れている。『ほら男爵の冒険』『続ほら男爵 の冒険』そして『新ほら男爵の冒険』であ た日本と言えるであろう。 もう一つ指摘しておきたいのは、中国でる。前の二篇は翻訳で、日本の岩谷小波の ・没 訳による重訳。原作者はドイツ人らしいが 初期のころ訳されたイギリス、アメリカ、 ドイツ等のは、みな日本語からの重訳姓名不詳。残る一篇には〈昭文東海覚我戯 だったことである。たとえば、新会飲冰子撰〉とあるが、東海覚我とは中国の著名な ( 梁啓超 ) と順徳披髪生との共訳による— 作家、徐念慈氏のことである。これは前二 ・ヴェルヌの『十五少年漂流記』は森田思篇の続きという形をとっている。こうした ことから見ても、中日界の初期におけ 軒の日本語訳からの重訳で、一九〇三年日 ・特別読物 0 ( 供内鮮・考》 林葉 久永 訳烈 小に左第 「日本沈没」表紙 26

6. SFマガジン 1983年3月号

tll ⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢ工ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢ ミックス、ラジオ脚本の分野へと転身し た。 1950 年、ギャラクシイ・サイエンス・ フィクション誌を創刊、いきなり同誌を代 表的な S F 専門誌の地位にのしあげた。戦 時体験がもとで強度の広場恐怖症にかかっ たため、アパートの自室から編集の指揮を とり、仕事の大半は電話を通じて行なっ た。ギャラクシイ誌の特色は、彼の興味を 反映して心理学や社会学方面にあり、また ューモア S F も数多く掲載した。ジョン・ W ・キャンベルと同様、彼もさまざまなア イデアを作家たちに与え、有名な作品を送 りたしたことで知られる。また作品に手を 入れることでも悪名が高かった。興味深い 姉妹誌にビョンド・ファンタジイ・フィク ションがあり、これはゴールドの編集によ って 1953 年から 55 年まで 10 号つづいた。ほ かにギャラクシイ誌と同じ判型のギャラク シイ・サイエンス・フィクション・ノヴェ ルズも編集ーーこれは S F やファンタジイ 長篇の再刊シリーズだが、内容は玉石混淆 である。さらにその後、ギャラクシイの発 行主がイフ誌を買いとると、その編集長に も就任した。彼には、 Galaxy Reader Science c 0 れ ( 乞 1952 ) 、 Second Ga な y ea だイ Sc 〃化 0 ( 乞 1954 ) をは じめ、ギャラクシイ誌の / くックナンノく一か ら精選したアンソロジイが 9 点ある。また 別に The Weird 0 れぉ ( 1962 ) も編ん でいる。ゴールドは 1961 年、健康の衰えを 理由に引退した。小説の一部は The 0 D 訪 ( 集 1955 ) にまとめられている。 Ⅳ辺 T ん T んんんのに ( 集 ェデイトリアー 1976 ) は、ギャラクシイにのせた論説を 選んでまとめたもので、自伝的あとがきが 添えられている。 S F の黄金時代 〔 M J E 〕 GOLDEN AGE OF SF S F の黄金時代は、読者が 14 歳であった XIV 時分であるというシニカルな説がある。そ ういわれてみれば、たしかにある時代の S F が、他の時代のものと比べて、明らかに 優れていることを証明する客観的な物差し は存在しない。にもかかわらず一般に ( 少 なくともファンダムにおいては ) 、年配の 読者は 1938 年から 46 年にかけてを、はっき り S F の黄金時代と呼びならわしており、 若い読者は必ずしも納得はしていないのだ が、これを完全には否定できないでいる。 黄金時代がいつ始まったかについては、 ほとんど論議の余地はない。ただし、それ が終わった時期については諸説ある。この 用語は、ほとんど例外なくジャンル雑誌 S F に対して使われ、ジョン・ W ・キャンベル がアスタウンディング・ストーリーズ誌の 編集長に就任した 1937 年 10 月をもって始ま るとするのが通説である。わずか 2 、 3 年 のうちにキャンベルは、そのころ売りだし 中だった最良の ( しかも、いちばん若い世 代に属する ) 作家たち一一たとえばクリフ ォード・ D ・シマック、ジャック・ウィリ アムスン L ・ロン・ノ、 / 、 ド、 L ・スフ。 レイグ・ディ・キャンフ。、ヘンリイ・カッ トナー、 C ・ L ・ムーア ( あとの 3 人は姉 妹誌アンノウンの常連 ) ーーーをおさえたば かりでなく、新しい作家たちも育てはじめ た。レスター・デル・レイ、エリック・フ ランク・ラッセル ( 彼はキャンベル以前の A S F 誌に 2 、 3 の短篇を発表している が ) 、シオドア・スタージョンなど、そし て特にビッグ 3 、ロ / く一ト・ A ・ハインラ イン、アイザック・アジモフ、 A ・ E ・ヴ ァン・ヴォートである。彼らは 40 年代を通 じてジャンル S F に君臨し、やがてもっと 若い作家たちが長かった修業時代を終え、 50 年代の新しい勢力として台頭することに なる。すなわち、アルフレッド・ベスタ C ・ M ・コ ジェイムズ・フ・リッシュ、 ンプノレース、レイ・フ・ラッドベリ、フレ 256

7. SFマガジン 1983年3月号

〇年夏の映画版「スター・トレック」からニ年の古い宇宙船を発見するところから始まるその中おうとしていた には一九九〇年代に優生学的な実験によって産み出 半、エンタープライズが帰ってきた 八ニ年夏に全米で公開されるや、最初のされ、一時は地球の四分の一を支配したカーンという 回のストーリーは、発端が十五年前に放送 三日間の収入合計が一四、三四七、一三一ドルという男と、彼の部下達がコールドスリーフの状態で乗っ されたエヒソードによっているだから放 新記録を樹立 ( あの「・」にも破られなかった ) していた彼らはその後起った戦乱を逃れ、宇宙の別 送を見た人にとってはボタニー・ペイの名、 : た「スター・トレック 2 / カーンの逆襲」かいよいよ天地を求めて飛ひ立ったものの、船の故障でニ〇〇 が出ただけでカーンの人物設定まですべて判るわけ 年問慓流していたのだ最初に甦生したカーンは、 日本でも公開されるのだ だか、見ていない人には正直いって多少キツイのだ Ⅱ東素晴しい生命力とスホック顔負けの鋭い洞察力を発 宇宙暦八一三〇、エンターフライスに新しい だから見ていない人には、ノベライゼーションの第ニ 生達が乗り込んできた彼らはミスター・スポックや揮、カーク達を出し抜いてエンターフライズの乗取り スコット機関主任の下で厳しい実地トレーニングにを計ったしかしカークとの一騎打に敗れたカーン巻に収められている元のエヒソードのストーリ 臨むのだその中には艦長候補でバルカンとロムランは捕えられ、査問会の結果、未開の惑星セティ・アル事前に読んでおかれることをお勧めするなお、完 ファ 5 に部下と宇宙船と共に降されたのだその璧を期するなら、「宇宙大作戦謎の精神寄生体 混血の若い女性サービックも含まれていた ( ハヤカワ文庫 (L) に収録されたカ、ーンのエヒソー 一方、リライアントに乗り組むチェコフは、宇宙船の名かボタニー・ペイだった 宇宙船の名を見て顔色を変えるチェコスあわてド「宇宙種」をお読みになることだ レギュラー ー宇宙研究所の行う″ジェネシス計画。の カーク以下のオリジナル・クルーは全員が再び顔 実験予定地調査のため、テレル艦長と共に無人惑星て船に戻ろうとした彼の前に、カーンが現われた セティ・アルファ 6 の地表に降り立 0 た。事前の調査でカーンはチコフ等の行動を支配し、リライアントをを揃えている対するカーン役は十五年前のテレビ 乗取るそれと同時に極秘の " ジェネシス計画。の内でも同し役をしたリカルド・モンタルバン、彼は 無生物だったはすのこの惑星にエネルギー反応が ・アイランド」のホスト 最近はテレビの「ファンタジー あったのだそして激しい砂嵐の中でチェコフか発容を知ってしまった ー東生サービック " ジェネシス計画。それは無から生命を作り出す役でも人気を集めているまた訓睾 ・ペイの 見したものは、地球の古い宇宙船ボタニー という驚くべき実験だった。これによって人間の住めにはこれがスクリーン・デビューの新人力ースティ・ 残かいたった ここで話は十五年前に戻らなくてはならない当る世界を大幅に広けることかできるしかしそれはアリーか扮している他にカークの息子デ ビッドにテレヒ出身のメリット・バト 時放送中の「スター・下レック」第一シースンの中で、同時に、既にそこにいる生命体を絶減させ、兵器と リック、元恋人のキャロルにプロー しても使用できるのだこの実験の責任者はカーク 一九六七年ニ月十六日に放送された第ニ十二話 = S をー ドウェー出身で、「メテオ」など ceseed = ( 邦題・宇宙の帝王 ) というエヒソードがの昔の恋人キャロルとその息子だった ーシュ等 カーンはこれらを利用して、カークへの復讐を行のビヒ・ あった。このエヒソードはエンターフライズが漂流中 八 ミスタて・スホック 1

8. SFマガジン 1983年3月号

レヒ三ウ 者と共有させるところにあるんじゃないかと 心ひそかに思「ている。『火星の砂』や『銀 ' 。。・磯、。 ( ・籤。。 ( ( ( ・ ~ 巖 ( ( ( ( 第・ 河帝国の崩壊』のラスト・シーンはそんな少 年の夢想が実現していく心地良さだ。 ( もし かしてすべてそういうところがあるのか もしれない ) そして呪文のように唱えられて いたのは、自分が正しければ、世界は正しさ を支持してくれるという信念である。そし て、自分と世界はよりよき未来へ手をたずさ 水鏡子 えて歩いていくのだ。 けれどもやがてクラークもいつまでもそん ただ、『タイムスケープ』は破局をむかえ ペンフォードはまちがいなくクラークの正な子供っぽい夢を抱えつづけていけなくな 嫡である。一人として継ぐことのできなかつる。自分と世界の蜜月時代が終わった時かた未来から過去へと歴史を変えようとして通 たクラークの作風が、七〇年代の時代風潮のら、クラークの誇大妄想は影をひそめ、世界信を送るという地味な話であ「て、邦訳のあ は小さくなり、主人公は子供つぼく開けゆくる前二作にくらべ主人公の個性は強烈でな なかでみごとに甦った。 。未来からの通信という馬鹿げた仮説を信 クラークの時代、世界は夢を追う少年にや未来に胸をふくらませなくなった。そうしてい じこんだばっかりに、まわりの科学者から疎 さしかった。世界の安定した流れを、一見妨クラークは老いた。 外されてイジイジといじけるゴードンをはじ けれども真理の前では科学者はアナキスト げるように思える行為も、それが真理を求め めいかにもどこにでもいそうな人間ばかりで てのものであるなら、ただひたすら追いつづであっていいのだ。世界と、社会と折り合い けていくうちに、世界は隠されていたもうひをつけられないなら、世界を社会を捨て去れある。少なくともこのじ 0 くり書き込まれた とつの相をあらわにし、少年の夢の実現を助ばよい。所詮それらは地位や名誉というよう小説の中では『夜の大海の中で』のような主 人公はむしろ妨げにしかならないだろう。 けようとする。一つの夢を追い求めてきた少な世俗の泥濘にすぎないのだから。 ラドックスの処理は この小説のタイム・。ハ 年は、いつのまにか、もっと大きなもっとすかくしてペンフォードの主人公たちは折り 合いをつけようとしない世界に果敢に戦いをきわめてオーソドックスなものである。その ばらしい新しい時代の幕あきに関与していた 意味では新味はないといっていいかもしれな リードし挑んでいく。だから『夜の大海の中で』は、 ことに気がつく。その新しい時代を いが、微妙に変化していく未来社会の描写が ていくのは彼自身なのである。象徴的な夜明夢を追い求める男の話であるけれど、同時に 。そしてなにより、この小説で一九九八 けの光の中で、彼は決意をあらたにし、新し自らの信じた道に立ちふさがった障害物をひ 年という時点がどうやって設定されたかとい とつまたひとっと打ち倒していくヒーロー い時代にむけて第一歩を踏み出していく。 ストーリーでもあるのである。 ( あとでよくう点に着目してほしい。 実はクラークの魅力というのは、自己中心 この本はアメリカで一九八〇年に刊行され 的な誇大妄想、世界は自分中心に回っているよく考えると、実はマッド・サイエンティス トという種族も同じ弭屈を唱える権利があるた。この年ペンフォード三十九歳。 のだ、自分は世界になくてはならない人間な 一九九八年からの通信は一九六一一年のカリ のだ、というような子供つばい世界認識を読はずなのだ ) グレゴリイ・・ヘンフォード著 『タイムスケープ』 時を超えるメッセージ 駝のをきた、 : 9 すい : をうこ心は可か ? イ - おー′くラ 、二ドッツみに物も学せをリアルく をキ物登三。 : 第寧みツ気 : ! 田 6

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だ & 2 イの″〔パッサウ市の減亡〕 ( 1975 ) が発表されたことだろう。作者 は、その時期 "Verband Deutscher Schriftsteller" 〔ドイツ作家協会〕の会長 であったカール・アメリー。大破壊とその 後を扱った作品であり、相対する視点から 将来の人間社会を築く最良の道が探られて ドイツには、 ハックスリーやオーウェル に相当する作家はいない。 S F 界が擁する 力量ある作家の数も、英米と比べればわず かなものだ。しかし注目すべき S F 作家た ちをながめるとき、彼らが英米の先輩たち に追従するだけの存在でないことは、すで に明らかなように思われる。ドイツ S F は、独自性と独創性をそなえはじめている Munchausen and the AIIies Took Berlin" ( 191 の、「月世界の、 ミュンヒノ、ウ ゼン」 "Munchausen on the Moon' ( 1915 ) 、「月から見た地球の景観」 "The Earth as Viewed from the Moon ” ( 1915 ) 上記 4 作はわが国では「ミュンヒハウゼン男爵の科学 的冒険」の題名で、ひとつの作品として訳出されてい る ) 、 'Munchausen Departs for the Planet Mars" ( 1915 ) 、 "Munchausen Lands on Mars" ( 1915 ) 、 "Munchausen is Taught Martian ” ( 1915 ) 、 "Thought Transmission on Mars" ( 1916 ) 、 "Cities のである。 ガーンズバック、ヒューゴー 〔 HWF 〕 GERNSBACK, HUGO ( 1884 ー 1967 ) アメリカの作家、編集者。ルクセンフ・ル クに生まれ、 1904 年アメリカに移住。電気 とラジオに非常な興味を持ち、種々の電池 を考案、 1906 年には家庭用ラジオを売りた した。 1908 年、最初の雑誌モダン・エレク トリックスを創刊、同誌に長篇小説『ラル フ 124C41 十』 4 ゅんノ 24C 4 ノ十 ( 1911 ー 12 モダン・エレクトリックス誌 ; 統 1925 ) を連載した。小説のできばえには問題があ るものの、予言の手段として彼が S F に抱 いた関心はいかんなく発揮されており、 27 世紀における壮麗なテクノロジーのカタロ グとなっている。モダン・エレクトリック ス誌は後にエレクトリカル・エクスペリメ ンターと改称され、同誌にも彼は、 ミュンヒ ハウゼン男爵の科学的冒険をつづったパロ ディ風のシリーズを発表している。「無線 を通じてお近づきに」 "How to Make a WireIess Acquaintance ” (1915) 、「ミュン ヒハウゼン軍団ベルリンを攻略す」 "How VI ヒュ ーゴー・ガーンズバック "The Planets at Close of Mars ” ( 1916 ) 、 けるところの、、サイエンティフィック・フ た。 1923 年 8 月号は、その全体が彼の名付 ズバックは同誌にはたびたび S F を掲載し ・インヴェンション誌が生まれる。ガーン またも誌名が変わり、サイエンス・アンド メージング誌に再録された。 1920 年には、 Plants ” ( 1917 ) 。このシリーズは 1928 年ア Built ” ( 1916 ) 、 "Martian Atmosphere ( 1916 ) 、 "How the Martian CanaIs are Range ” ( 1916 ) 、 "Martian Amusements ” 266

10. SFマガジン 1983年3月号

るのでしようが、以前ジーン・ヴァントロイヤ で、が二十冊になったので、最近の 投稿歓迎 ーが書いていた「五〇年代の作家には、あについての二十冊分の雑感で誌面を汚させ 6 宛先は本誌てれぽーと係 ( 奧付参照 ) る種のさわやかな謙虚さが見られる」という言て頂く。 ( オジンみたいな文だなあ ) 掲載分には文庫最新刊一冊進呈 葉が、な・せかオーヴァーラツ・フして想起されて最近、また「てれぼーと」がミー ハーのお使 くるのです。 り欄めいて退屈になってきた。の定義につ ペダンチックな誘惑にも陥らず、ファンダム いて論争してた頃は、活気があって面白かった 前略世に、俗に云われる〈知識人〉というの贏擾を横目で見やって、ひたすら我が道を行のだが、またつまらなくなってきたので、ここ 語句が、何を意味するにせよ〈知識人的フく。並大底の意志ではありません。僕自身、十らで拙者が思いきった過激なことを書いて、 アン〉と密かに呼ばれる方々は、単なる知識の数年を読み続けてきて、高波低波いろいろ「てればーと」を蜂の巣つついた騒ぎにしてや 人では決してあるはずがない。むしろ、より以とありましたから、この方達の持続力の源泉のろうかとすら思っている。実際、八一年十一月 上に〈情熱の人〉であるだろう、とこの頃考え深さは、ある程度実感として理解出来るつもり号の中江氏の文を読んだときは、よっぽど反論 です。ただ敬服あるのみ ! ております。おそらく、これまで幾度となく、 しようかと思ったが三カ月の遅れがあるのでや その燃ゆる魂をセンス・オ・フ・ワンダーの風に 石原氏も提案しておられる様に、願わくば、 めた。 さらして、を読み継いできたのではなかっを愛する世のなべてのファンのためにも、 結局、論争はロ火を切った井手氏本人が八 たのでしようか ? その必然的な結果として厖生涯をただ〈独覚者〉たるのみには終らぬこと二年二月号で自ら終止符を打ち、騒ぎを治めて 大な知識を身につけていたとしても、それは決を、我れ人と共に欲す。 しまったが、あんな「狂もミーハ ーも皆な してペダントリではない。と考えるのが本当で ( 岩手県一関市末広二ー一 ー六千葉達郎 ) 仲良くしましよう」的なゴマカシ、或いはおめ ある様な気がします。を残せるのは、僕 でたい理想主義的意見で結着をつけようなどと ら、文才になど恵まれない〈ただのファ十二月十九日、いつもは三カ月遅れてせず、徹底的に論争させとけばよかったんだ。 ン〉にとっては、自分の胸の中だけであって、 が着くのだが、ここのとこ四カ月遅れて来る。 ( 騒ぎを鎮めるのは西武の救援投手だけでよ 外部に表現可能なものは、多くの場合〈知識と 日本では八三年二月号が出る頃というのに、 い。ライオンズ日本一 ! 万歳 ! 八三年も優 なった〉のみですからね。 拙者は南米の密林の中で、着いたばかりの八二勝ライオンズ ! ) もし、ファン一人一人が、魂のふるえを年十月号を読んでるんです。 ( 泣けてくる・せ ) たとえ、理に適ってない無茶苦茶な論で 見事に表現できる才能を持てたなら〈〉は という訳で、最初に断わっておくが、この文も、本屋でとを間違えられたなん 〈文学〉は、今頃どんなにか豊かなものになっは四カ月前に書かれたものと思って頂きたい。 て話 ( 未だにこの笑い話を書いて来る人がいる ていたことでしよう。 七九年二月末に日本を去り、偶然八〇のには呆れた。今更こんな話が載ると白けるだ だからこの頃、石原藤夫さんが連載している年十一月号 ( 「楽園の泉」最終回に涙 ) を手にけです・せ ) やミ ーの戯言、 ー日記の ェッセイに、ぞくそく登場する本物ファン。中入れるまで ( 「てれぼーと」に今でも入類よりは、読む気になるだけまだマシである。 でも〈超弩級知識人的ファン〉の隠れた存在に手の苦労話が載るけど、緑の魔境でを入井手氏は結局、別なことを云ってたのだが、 共感さえ覚えてしまうのです。あれ程の熱情の手する困難さに比べれば遙かに楽ですぜ ) 、彼は自分の文が論争の引金になることに気付い 持続は、大変なことだと思う。イフの論理で、 にはすっかり御無沙汰していた。 てたのだから、論争が始まり、せつかく熱を帯 彼らが作家になっていたならば : : : と思うと、 いくら愛銃コルト 357 ・ ( イソンがあってびてきたのに水を差し、曖昧なところではぐら 凡百の ( 相変らず九〇 % はクズだ ! とはも、中毒の拙者が無縁の生活で正気をかして、論争をぶち壊すのはやり過ぎである。 言わないが ) など吹っとんでしまっていた保てたのは奇蹟に等しい。 ( それだけに この論争は井手氏の云っている事に定 かもしれないなと、チョッ・ヒリ反体制的な空想との再会は感激ものでした ) 義は必要か否か ) とは、もはや全然別の周題に をしてみるのも罪とは思えなくなるくらいで 以後、八一年四月号から毎号 ( 増刊号は手にまで発展しかけてたんだから、芽を摘まずに論 す。〈隠れ〉は、まだまだ何人もおられ入らず ) なんとかを購読している。 争の余地たけは残しておくべきだった。