作家 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1983年5月号

・ドイツ tDLL 情報 四百八十八冊という数字がその質の良形態に慣れなければならない″ し悪しはともかく、一応全ての関係私もこの意見には同感である。一般的 7 続・ドイツ U)LL 事情 の出版物を意味していることを考えるに若手作家はその表面的な安易さから、 と、たしかに一見二十一冊という数字は長篇よりもショート・ショートや短篇を 少ないものに思われる。しかし、ドイツ書き始める傾向がある。加えて、出版社 を長い間見つめてきた者にとって自体もこれまで g-r«をアメリカ文学の一 ジャンルとしてしか考えず、なかなかド は、決してこの数字は少ないものではな ヴェルナー・ツィリッヒ い。つまり、ドイツの出版社はこれまでイツ作家のを取り上げようとはしな 大蔵買・島田信吾訳 ごく特殊な例を除いて、アメリカのかった。ますドイツ作家は売れないので 作家の名にしか興味を示さなかったからはという危惧が先にたち、翻訳料を払っ ( 八二年九月号掲載 ) である。アメリカ作家以外で名が知られてまで外国人作家のばかりを出版し 前回のレポート で、私はドイツの概要を、主にそのていたのは、スタニスワフ・レムや・フリ続けてきたのである。 この傾向に変化が見え始めた。出版が 歴史を追う形で日本のファンの皆様、ーダー・ストルガッキイなどごく少数 の人々で、この時期ドイツの作家と若手作家にも、長篇や作品集の出版の機 に紹介した。 今回は、ここ数年に発表された作品紹しては、わすかにヘルベルト・・フラ会を与え始めたのである。しかし、こう いった動きはようやくここ数年出てきた 介を中心に、新しいドイツの動きをンケがただ一人いたにすぎない。 こうした状況はここ数年変わりつつあばかりであり、ドイツの若い作家の 報告してみたい。 る。多くの若い作家たちがへと目をほとんどは、まだまだ一つ一つ短篇をア さて、私はこの原稿を書くにあたり、 ンソロジーへ発表しているのが現状であ ちょっとした調査を行ってみた。四大出向け始めたのである。 ドイツでは著名なアンソロジストの一る。 版社より図書目録を取り寄せ、。ヘー このような事情から、出版物全体 ーパックの作家うちわけを調べてみた人ヨルグ・ヴァイガンド (Jörg Weigand) の五。ハーセント、 二十一冊という数字 のである。つまり、何冊がドイツ人作家は、一九八二年に『見通しは暗くない』 で、何冊が翻訳物であるかを数えてみゝ , ・ c と題した評論が、実は注目に値するものであることが を発表し、次のように述べている。 お解りいただけたと思う。 ″ドイツはその大部分がショート・ 今、新しいドイツ r--0 が育ち始めてい 結果は現在出版されている四百八十八 パックのうち、ドイツ ショートもしくは短篇の形で書かれ、長ることを私は確信する。 冊のペー このような状況をふまえながら、以下 人作家によって書かれたものは二十一冊篇は数えるほどしかない。ハイレベルな を志向する作家は、ます長篇という最近のドイツを、その問題点も交え であった。

2. SFマガジン 1983年5月号

ごく当たりまえの風景に見せかけることが できた。長い叙述文章と説明とを避け、会 話と行動描写で情報を示唆した。達者で控 え目めな文章、一見してわかる気取りのな さ、小道具よりは人物に重点をおく記述な どにより、彼の作品は他のどんなジャンル S F 作家のものよりもリアスティックにな った。たちまち、多くの雑誌作家たちは彼 の方法を模倣しはじめた。 ハインラインの初期の作品はすべてが 、、未来史 / / を構成しているわけではなく、 シリーズ外作品の大半は最初アンスン・マ クドナルド、ライル・モンロー、ケイレフ・ ソーンダーズ、ジョン・リヴァーサイド といった筆名で発表された。これらには、 長篇 & Co ん襯 ( 1941 AS F 誌アン スン・マクドナルド名義 ; 1949 ; T んに Da3' T 。襯。冖 , ) 、『未知の地平 線』おの T んな〃 0 ぇ 0 ( 1942 A S F 誌アンスン・マクドナルド名義 ; 1948 ) も 含まれる。 & 靦ん Co ん襯れではアジア人 によるアメリカ侵略が、宗教を装った抵抗 運動 ( 超科学兵器が、、奇蹟〃をなしとげる ) に敗れるさまを描いている。これはジョン ・ W ・キャンベル・ジュニアのアイデア に基いており、キャンベルもそれを当時未 発表のノヴェラ“ A11 ” ( キャンベルの The “召。 d 1976 を見よ ) に採り入 れていた。『未知の地平線』は、人々が人 生の意味を探っている未来社会を描いたも の ( 遺伝子工学 ) 。ハインラインの最良 の短篇のいくっかは、この時期に属してい る。「歪んだ家」 "And He Built a Crooked House ” ( 1941 ) は、うつかり別 次元につながる家を建てた建築家の話であ り、「時の門」 "By His Bootstraps ” ( 1941 アンスン・マクドナルド名義 ) は、 卓越したタイム・パラドックス幻想譚、 「かれら」 "They" ( 1941 ) は唯我論に ついてのファンタジイである。「ウォルド VI ウ」・。 raldo " ( 1942 アンスン・マクドナ ルド名義 ) は、衛星に住む不具の発明家を 描いたものだが、重要な S F 用語をひとっ 生んだ。主人公の使う遠隔操作のリフト装 置は現実に作られ、それがウォルドウと呼 ばれるようになったのである。これらの作 品、および後のシリーズ外作品は何冊かに わけて単行本に収録されている。『魔法株 式会社』記れイ Ma ら c. ( 1950 ; 図記イ 0 : Ge 襯・ Or 房の、 『失われた遺産』なれ刃化 rn 〃ッ ( 集 1953 ) 、『地球の脅威』 The Menace 工襯ん ( 1959 ) 、『輪廻の蛇』 The U れ第 I こ ~ r お 0 れイれ 〃。 ag ( 第 1959 ; 圜 6 x 米 ) 、 The WorIds 研 0 な . 夜ツ / れ ( 璽 1966 ) である。 1943 ー 6 年の間、 ハインラインは小説を 発表しなかったが、 1947 年に新たな 2 方面 に作品の幅を広げる。いくつかの短篇をサ タディ・イヴニング・ポスト誌他のスリッ ク雑誌に売ったことと、ジュヴナイル S F 長篇『宇宙船ガリレオ号』癶。 S んゆ G 記。 ( 1947 ) を発表したこ・とである。 後者は特筆すべきできばえではないが ( 月 にナチスが現われる ) 、この作品を皮切り にハインラインが発表した一連の作品は、 児童 SF の分野でひとりの作家がなしとげ た業績としては最大のものといえる ( 『宇 宙船ガリレオ号』はまた、 ハインラインの 脚本による映画『月世界征服』ⅵ na 〃 Moon 1950 の原作ともなっている ) 。この 分野の第 2 作 4 化 C ( 1948 ) は彼 自身のアナポリスでの体験を S F 化したも のである。二人の植民地の少年と火星産の 、、ペット″の冒険を描いた第 3 作『赤い惑 星の少年』召 4 〃 ( 1949 ) で、ハイ ンラインはティーンエージャー向き S F 作 家としての地歩を築いた。骨太なストーリ 、注意ふかく計算された技術的ディテー 266

3. SFマガジン 1983年5月号

立レヒ三ウ もしれない、と僕は思った。僕が岬兄悟をス ハー・ドリーマ】と呼んだ所以である。 彼のそうしたイメージは、多くは夢 ( ない しはそれ以外の意識の統制をはねかえして顔一 を出した無意識 ) の産物である。僕など自我 の検閲が厳しいらしくて、夢の内容を覚醒後 に覚えていることはまれなのだが、岬兄悟は かなり夢の内容を作品に反映させることに成 ( ( 伊沢昭功しているようだ。彼のスラツ・フスティック ( 作品に漂う違和感というのは、意識の表層だ物 けで作りだしたのではない、深く、暗い、 ーの方が 岬兄悟の小説を前にしたとき、僕はいつも″未明のイメージ〃とでも言うべきものであ面、それを表現する小説のストーリ ろう。 逆に紋切り型になってしまう怖れがある。本 不思議な期待感にとらわれゑその期待は、 いつも一〇〇パーセント満たされる性質のも 岬兄悟は、何作かそうしたドをハタを書い書もその弊をまぬがれたとは必ずしも言えな 登場人物の動かし方を、分析的整合性 のではなく、必ずどこか違うな、といった違た後、作風を変えた。作品集『瞑想者の肖い。 ( つまり夢分析の代表例にあったパターン ) 和感がはさまってくるのだが、その奇妙に未像』には、そのターニング・ポイントがはっ ーを追わせてしまっ 消化な感じが彼の作品の魅力になっていてまきりと刻まれていて非常に興味深い。彼はそを優先させて、ストーリ た次の作品に期待を抱かせるのである。 の内省的 ( だろうな、多分 ) な性格も手伝ったところもないとは言えない。しかし、それ 岬兄悟がマガジンに最初に書き出したて、自分の想像力の源泉であるが夢 4 にずつは作者が承知の上で書いたことなのだろうか ら、それをあげつらうのはおカド違いという スラップスティック作品群にも、そういったと関心を寄せていたようだ。そして、それが 割り切れなさがあった。というのは、彼の作っいにメイン・モチ 1 フとなった。「瞑想者ことになろう。 品におけるドタ・ハタのし方が、今は幾十万との肖像』でも素朴な形で表われていたが、本なによりもこれは、辛い作業であったろう も幾百万とも知れぬ学生ツツイスト、ヨコジ書『風に・フギ』では本格的に自分の夢を探査と僕は思う。このひょうひょうと現代風俗を 描写したような作品の裏で、岬兄悟は一度自 ュニストの書くものとは決定的に異なったかするという冒険を始めたのだ。 らだ。岬兄悟の書くスラツ。フスティックに 本書では、彼の個人的無意識のみならず、分の腹をかっさばいてみせなければならなか は、そうしたテクニックの模倣だけは一流の ュングの言う普遍的無意識にまで探査艇を降ったのだ。無論カッコつけてるところも多い 凡百学生ドタ・ハタにつきものの人工臭がなかろしている。もちろん、そんなものは簡単にが、それはむしろ作家的良心と言うべきだ。 った。そのかわり、彼の描き出す異形の世界文章になるわけはなく、彼はそれを捉えよう普通の読者は二八の男のはらわたなんて見た には、眺めるのが怖いような、恥ずかしいよと、〈影〉や〈アニマ〉や〈老賢者〉の力をくない。″進″の方の世界にあふれるグロテ うな、袁しいような不思議な迫力があったの借りながら、分析の試行錯誤を重ねてゆくのスクで色彩感豊かなイメージーーこれは彼の だ。岬兄悟本人は意識していないかもしれなだ。彼の使ったこうした武器は、実は両刃の心像と作家的意識がうまく協力して産み出し いが、彼は本当にこんな世界を見ているのか 剣で、分析的に夢を見つめることができる反たものなのだろう。心優しい作者はさらにそ 岬兄悟著 『風にプギ』 風にプギ 4

4. SFマガジン 1983年5月号

・ローダン・シリーズを耐火性の金属 のである。作家が登場人物や物語を考えたちを取り巻く社会や環境の問題点を読 出すのではなく、登場人物たちはすでにみ取ったとしても、それをなかば作り話箱につめて洞窟の奥深く隠していたので 8 ある。 客観的に存在しており、作家はそれ自体の世界として納得してしまわないかとい 核戦争後この箱は発見され、薄っぺら 登場人物とその運命を表現する手段、コう危惧である。 先にアンソロジストとして紹介しい本が聖書として崇め奉られることにな ン。ヒューター用語に置き換えると″ディ ・ローダンというの一英 たヨルグ・ヴァイガンドは、その作品のる。ペリー ス。フレイ″にしかすぎないのである。 科学技術の時代ともいえる今日、夢と中で諷刺的に低級批判を行ってい雄が、神がかりな人物として真実性を持 もの 現実との関係はますます複雑となり、たる。『崇める象』 0 窰 der す窰たされてしまうのである。 ( 1981 ) と題されたこの作品は、核戦争 だ単に空想という言葉では片付けられな によって荒廃してしまった北ヨーロッパ くなりつつある。電気的刺激を脳に与え 作家やファンは現実や人間本 ることで幻覚を呼び起し人間の感情の操に住む一種族が舞台の物語である。彼ら 作がある程度可能になった現代、決しては石器時代さながらの単純な生活をおく来の問題からテクニカルな世界へと逃避 この問題が絵空事ではないことをフランりながらも、すでに新しい宗教を創り出している、という批難がに対して向 している。その崇拝の対象 (Objektder けられたのはそう昔の話ではない。異星 ケの作品『薔薇色の宇宙』は指摘してい るのである。 Verehrung) は「偉大なる」と呼ばれ人は常に怪物であり、最後にはやつつけ る伝説上の人物である。言い伝えによるられるといったワンパターンから、 とこの「偉大なる」は、核戦争が起っは人間本来の問題をなんら扱っていない と、その逃避傾向が問題視されてきた。 フランケのこの作品は来たるべき科学たずっと以前に″人類を統一し、遙かか 技術社会において、どこまで人間がそれなたの世界までその手に治めた〃人物と愛や性の問題が書かれないという点も、 いうことになっている。 批評家たちの格好の批判材料となった。 に操られるのか、という問題のみを扱っ ているのではない。彼は今日の全般種族の若者タラリが「偉大なる」のこうした指摘に対して、作家やイラ ストレイターが非常に過敏に、また極端 に共通する問題をも投げかけている。そ存在を疑問視すると、司祭の長であるべ れは、自身がーー・・これは未来の科学ルナーは彼に「偉大なる」の実在を証ともいえる反応を示した時期があった。 つまり一時期、を性的な事柄を表現 技術社会の諸問題と真剣に取り組んだ作拠づける一冊の書物を見せるのである。 品についても同様に言えることなのであ物語の終りでようやく読者には、誰がするための手段としてしか考えていない るがーー読者に対して大きな危険性を孕「偉大なる」なのかが解き明かされような小説またイラストが氾濫したので ローダンの熱ある。 んでいるのではないかという疑問である。一九八〇年にペリー・ しかし、このところドイツのは賢 る。つまり、読者が作品の中に自分狂的ファンである少年が、五十冊のペリ

5. SFマガジン 1983年5月号

かが、何重もの断想や回想によって読者 きとした人物なのである。 に伝えられる。そしてある入江で、妻と この短篇集の題ともなっている作品 『タイムストツ。フ』では、男が「スタト共通の思い出に出会った瞬間、彼の知覚「あるテーマのが欲しいと思った クロナート」という名の麻薬によ「てそは一匹の ( = の羽が " まるでポートの櫂時、話の持「ていける作家が、ドイツ語 の妻を失う。この麻薬には、人間の主観のようにゆ「くりと動く。と感じられる圏にはいま六十人ほどいる」 の冒頭で紹 的時間感覚を速める作用がある。つまほど高まるのである。飛ぶ鳥も彼には空これはすでにこのレポート り、人はこの麻薬を服用することによ 0 に張りついたままに感じられる。彼はっ介した、アンソロジストとして最近のド いにもとの世界には戻れなくなってしまィッの事情に詳しいヨルグ・ヴァイ て、例えば一秒間に二十も三十ものこと ガンドの言葉である。 てラ を知覚できるようになるわけ しク作 また一九八二年に出版された本をめく 念 , である。 記フが ってみると、アンソロジーなどにその処 をモ訳 彼の妻はこの麻薬を一度に 年シ翻女作を発表した新人作家の数は月を追っ 周アのき 多量に服用してしまい、あま 加 . 等驚て増えていることが解る。 版一ムも りに高められた知覚に自我を ・出ジレジ ドイツの展望は、作家の数を見る 失ってしまう。男が妻を病院 ソンペ限り明るいものと一一日えよう。 のンイ に運ぶと、医者は彼女を助け 社アラト しかしながらドイツのはようやく ン華ンス るためには彼女と多くの記憶 . 、 , 豪イラ ここ数年その発展の基盤を築いたばかり ドたハイ を共有している男自身が同量 ルれ , 一 であり、その成り行きはいましばらく時 の薬を服用し、彼女の知覚世 、、一さクラ ゴ出一カ 日 間をおいてみないと解りそうにない。 界に入り込まねばならないと 告げる。しかし医者は、これによ「て男うのである。 " 世界は溶けた。しかし、本や他の国々に比べ、ドイツでは一般に 自身も妻と同様の状態となり、取り返しものはそのまま残「ている。これが止ま名の知れた作家ははるかに少なく、 自己の作品集や長篇を発表できる作家も った時間の秘密だ″ のつかぬことになる危険性が高いことは 一見対立するとも思われるファンタジほんのひとにぎりに過ぎない。 語らない。 しかし未来のドイツの城を築くの 男が薬を服用し、妻の失われた意識をー的要素と現実的要素を、文学的手法に 捜しに同じ知覚世界〈と入り込んだ時、よ「てこのようにうまく調和させ、複雑は、今回ここに紹介したような、その作 品を一作一作アンソロジーに投稿、発表 現実世界の溶解を彼がどのように感じるな心理描写として表現できる彼シャッテ ンシ、ナイダーの才能は、ドイツのしている多くの若い作家たちに間違いな いのである。 発展に欠かせないものになるであろう。 ・ドイツ (f)LL 情報

6. SFマガジン 1983年5月号

と見わけがつかないが、道徳的には数段す ぐれている。彼らは地球に漂着した身で、 心身ともにできるかぎり十全に生きのび なければならない。あと 1 篇、 "The lndelible Kind ” ( 1968 ) があるが、これ は。 g Ⅳ 0 れ「 ( 集 1971 ) に入っ ている。この短篇集ともう 1 冊 The ス型訪 g 召 0 ェ ( 1965 ) には、ヘンダ ースンの《ヒ。ープル》シリーズとは別の作 品の大半が収められている。端正な暖かさ が彼女の作品すべてにみなぎっており、と きとしてそれが緊張感や対照効果を鈍らせ ることがあるものの、一般的に言って人情 味という長所にもなっている。ただ、彼女 の作品にある健全さは、感傷過多で少々宗 教くさすぎると批判されることもある。 〔 J C 〕 工ンヌべール、シャルル HENNEBERG, CHARLES ドイツ = フランス系の作家シャルル・エ ンヌペーノレ・ツ・イルメルスハウゼン・ヴ アズンゲン Charles Henneberg zu lrmelshausen Wasungen ( 1899 ー 1959 ) と彼のロシア = フランス系の妻ナタリー ( 1917 ー 77 ) が、夫の死まで使用した名。 夫が死んだ時点で、彼女は自分の作品にナ シャノレル・エンヌべールと署・名し タリー はじめた ( 事実そのうちの何篇かは夫の死 後発表の共作である。彼女の夫はいくっか の原稿を残していた ) 。夫と共に、また単 独で、彼女はん 4 れ 4 なれ化 des 市工 〔神々の誕生〕 ( 1954 ) に始まる 10 冊の長 篇をフランスで発表した。彼らの短篇はい くつかデーモン・ナイトによって、まず F &S F 誌に、後には彼の T ん・れお劭訪 & れ化窺 / 0 れ & 0 お ( ⅵ 1965 ) に翻訳 された。彼女が単独で書くときは特に、洗 練されたゴシック趣味と奔放さとが見受 ャクボウスャーがフランス小説を集めた Travelling To て 0 のゞ刃か″ 0 〃 ( 1976 ) で自ら英訳した "Des ailes, dans la nuit 〔翼は夜・・・〕がある。ェンヌべールの 作品の多くは、ヒロイック・ファンタジイ と S F の境界線上にある。批評家ビエール ・ヴェルサンは、その度外れた悪趣味と概 して見られるあでやかさとを高く評価して 〔 JC/PN 〕 ハーバート、フランク HERBERT, FRANK ( 1920 ー アメリカの作家。ワシントン州タコマの 生まれ。シアトルのワシントン大学に学 ぶ。西海岸のいくっかの新聞の記者および 編集員をつとめてから、専業作家に転じ た。現在ワシントン州に住んでいる。 ートが S F を発表しはじめたの はスタートリング誌の "L00king for けられる。代表的な例に 263 マクシム・ジ Something ? ” ( 1952 ) からである。つづ く 10 年ほどの間、彼は SF 雑誌にたまにし か寄稿せず、短篇の数も 20 にみたない ( そ れでも、現在までの彼の短篇の大半をそれ らが占める。長篇より短い分野では、彼は 重要な作家ではない ) 。この時期には長篇 『 21 世紀潜水艦』 The Dragon 切〃 & ( 1956 ; 図 21 立 C ど厩 40 Su み米 ; Under ~ 4 米 ) がある。未来の潜水 艦内を舞台に複雑な心理探究を行なった S F スリラーで、高い評価を得ている。しか し、彼が巨匠として認められるのは、 1 3 ー 4 年にアナログ誌に発表した《デューン》 シリーズの第 1 部 "Dune World ”からで ある。この作品には続篇 "The Prophet of Dune ” ( 196 のがあり、 2 作は合わさ って『デューン砂の惑星』 Du ( 1 3 ー 5 A S F 誌 ; 1965 ) となった。同書 は第 1 回ネビュラ賞最優秀長篇部門を勝ち とり、ヒューゴー賞も受賞して、あらゆる SF 小説の中でももっとも有名な作品のひ IX

7. SFマガジン 1983年5月号

一ョークにあった S F フ。ロの組 織、ハイドラ・クラフ・の会員として多くの 作家と知りあっている。その中にはデーモ ン・ナイトがおり、彼はハリスンにワール ズ・ビョンド誌の挿絵を依頼し、また後 にはその雜誌用にハリスンの短篇第 1 作 "Rock Diver" ( 1951 ) を買いとった。 1953 ー 4 年にかけ、彼は短期間、次の雑誌 の編集を手がけている。ファンタジイ・フ イクション誌 ( キャメロン・ホール名義 ) 、 ノ、リイ・ハリスン 集者・雑誌との長く深い関係が始まった。 イング誌に初めて作品を売り、以後この編 ンベル・ジュニアの編集するアスタウンデ 1957 年にハリスンは、ジョン・ W ・キャ ・デンプシーがある。 筆名には、フェリックス・ポイドとハンク ストーリーズ誌も含めてよいだろう。他の ケンフ。ファート名義でおそらく口ケット・ ーズ誌、そしてハウスネームのウェイド・ サイエンス・フィクション・アドベンチャ これは、、星間犯罪者転じて法の味方〃する りのジム・ディグリツツが登場するシリー ズの第 1 作で、俗つぼいユーモアに満ち た、テンボの速い冒険譚である。この『ス テンレス・スチール・ラット』 T ん & 4 んお Steel ( 1957 ー 60A S F 社・ ルじ、 第 1961 ) には、続篇『ステンレス・スチー ル・ラットの復讐』 T ん e & のツんお Steel 火 ' s eve れ ( 1970 ) 、『ステンレス ・スチール・ラット世界を救う』 The & 4 切ん Steel Saves 〃尾 % ( 1972 ) 、『ステンレス・スチール・ラッ ト諸君を求む』 T ん & 砒ツん Steel Ⅳな You ( 1978 ) があり、ハリスンは 第 2 作と第 3 作のイギリス版ハードカ / 270 0 ( 1965 ) はユーモアにみちたー作で、 『宇宙兵フ・ルース』召″ I , The G 記 4 け と、 "Rescue Operation ” ( 1964 ) がある。 "The Streets of Ashkelon ” ( 1962 ) として、宗教テーマの「異星の十字架」 1970 ) で扱っている。他に注目すべき短篇 を同じく 0 & ゆ襯 Ea ん ( 訪。お ( 集 1962 ) を書き、後に物質瞬送 作品集『ロポット戦争』 VVar Ⅳ″ん the ハリスンはロポット・テーマを探究した ある。 "The Mothballed Spaceship ” ( 1973 ) が 『死の世界 3 』 D 訪てこ , 。 d 3 ( 1968 ) 、 ( 1964 ; 圜 The 五な記れ英 ) 、 た。続篇に『死の世界 2 』 Dea 30r 2 力的に生みだす作家としての地位を確立し 民 ) を語り、知的冒険アクションものを精 ちた生命で一杯の星への植民 ( 宇宙植 世界 1 』 D , 0 d ( 1960 ) は敵意にみ はダフ・リンに落ちついた。彼の長篇『死の デンマーク、カリフォルニアを経て、近頃 り、ついでその旅はイギリス、イタリー とともに一ユーヨークからメキシコへと移 転居魔として悪名高いハリスンは、一家 のジャケット・イラストを手がけた。

8. SFマガジン 1983年5月号

・作家ニュース ・フィリップ・・ディック記念賞ノミネー・マック・レナルズ逝く ション ーラン・エリスンが、ノーマン・スビン レナルズは酒好き女好きな、威勢のい ・、ロン』の脚 当欄で既にお知らせした新しい賞、フィリ いざっくばらんな男で、彼がもし地球を離れラッドの『・ハッグ・ジャック・ / ツ。フ・・ディック記念賞の第一回候補作がるとしたら、その理由は火星の政治情勢を取本を完成した。 ート・ンルヴ . アーく ーグの四月に出版 発表された。顔ぶれは次の通り。 材すること ( そして、彼が旅行欄を担当して いる〈ローグ〉誌に原稿を書き送ること ) ぐされる新作はではなく、十六世紀のアフ / まミ・、 ~ ・、 ~ g for ミ・ ba こミ・・コ ーツィー (Coetzee) らいしか思いつけない。 ( 中略 ) しかし、彼リカを舞台にした歴史小説だとのこと。タイ に、・ミ・ << ・ラフアティ もわたしのいう自由な人間である。そして、 トルはトミミ 0 、・し、 * 、ミである。 The P きミミ h ミ冫ン I ミ ~ レイ・ファラデ彼は世界中のビールと政治情勢にくわしい ・ホールドマンが何者かに銃で撃た イ・ネルスン ( ジュディス・メリル「年刊傑作選れ、負した。彼がフロリダの自宅近くで自 Sof 、ミ、 e ル一アイ・ラッカ】 5 』より ) 転車に乗っていたところ、車の窓から何者か Ro ミ、 c ジョン・スラデック アメリカの作家マック・レナルズ ( 本に二二口径のビストルで撃たれたのである。 The Umbral ミ h 。 ~ 。。ト、 ~ 名ダラス・マッコード・レナルズ ) が、一月弾丸は大臀筋に命中したが、貫通はしなかっ F ご・ 0 、、 PO ミ、スティ 1 ヴ・ラスニック・ 三十日ガンのためテキサスの病院でこの世をた。医師の判断で弾は摘出しなかったため、 テム編 去った。六十五歳。昨年の十一月に食道ガンホールドマンはベトナムの傷のうえにもう一 以上六作品だが、ラフアティとネルスンのの手術をして、術後の経過は良好だったが、 つ新たな傷をふやしたことになる。 0 、 ラリイ・ニ 1 ヴンは、ジェリー しハックである。また今年の一月に再び悪化したため入院し、まも スラデックの作品とラッカーのものは本誌 なく亡くなったわけである。 との共作長篇 F 。。ミミ、を完成した。また スキャナ 1 で紹介されているのでそちらも ダグラス・マッコード・レナルズは一九一この二人はディヴィッド・ジェロルドと共作 参照願いたい。最後の詩アンソロジーは七年十一月十二日にアメリカのカリフォルニで F ミ、、 ~ をという長篇を執筆する / 編者の自費出版である。 ア州で生まれた。ハイスクールを卒業後、編予定である。この長篇は「ファンダムが非合 候補作の選考委員は既報の通り、アーシュ集者を経て、第二次大戦中は海兵隊に入り、 法化され、地下組織になっている」時代、二 ラ・・ル・グイン、トマス・・ディッシ終戦後一九四六年にフルタイム作家となる。〇一〇年の話だそうだ ( 何のことやら ) 。ニ ュ、ノーマン・スピンラッドの三人で受賞作最初は r.n を書いていなかったが、フレデリ ーヴン単独の新作 The 7 ミき、 T 、ミ もこの三人が決定し、四月のネ・ヒュラ賞授賞ック・・フラウンの勧めでを書き始めた。 は一九八四年に出版予定。また、彼の『リン 式までには発表される。現在スポンサーにな彼の作品は六十冊以上も出版されており、グワールド』は、ケイオシアム社の手によっ ってくれる出版社を捜しているもようであのほかにゴシック物やポルノ、ロマンスなてゲーム化が進行中で、同時に長篇アニメー ート・マンデルによ ション映画の製作もロ・ハ / / る。選考委員の顔ぶれにふさわしいなかなかどを執筆して収入の足しにしていた。また、 味のあるノミネーションとなったようで、な冒頭のメリルの言にもあるように〈ローグ〉り行なわれている。なお、この製作には日本 じみのない名前もあればスラデックやラファ 誌の旅行欄を十年間にわたって担当し、七五のアニメプロが使われているそうである。 ティといった「通好み」の作家もあり、おまカ国を訪問した。なお、長篇の邦訳作品はな ・フライアン・オールディスが、自分の短篇 けに詩まである。どの作品が受賞作に選 く、短篇が翻訳されているのみで、わが国で "Supertoys Last AII Summer Long" の キュ 1 ・フリックと共に ばれるのかが注目されるところである。 はなじみの薄い作家だったようだ。 映画化にスタンリー・ ( 島田武 ) 取り組んでいる。 3

9. SFマガジン 1983年5月号

きとして機知に富んだ部分はあるものの、 長すぎる。これはハインラインのもっとも ポヒ。ュラーな作品となり、特に 1960 年代後 半に学生たちの間ではカルト的な本となっ た ( おそらく彼らは、そこにある偶像破壊 性と、ハインラインが一見謳いあげる自由 恋愛と神秘主義に魅きつけられたのだろ その後には二つのマイナーな作品が続い 『ポディの宇宙旅行』物研 ユね ( 1963 ) は質の落ちたジュヴナイル であり、『栄光の道』 Glory d ( 1963 ) は剣と魔法ものを試みた失敗例である。 『自由未来』おんの〃なお r ん。 ( 1964 ) はまたも長い独断的な観念小説で、一部に 人種問題を扱っている。この作品は『宇宙 の戦士』と並んで、ハインラインの政治面 を嫌う人間に激しい反発をひき起こした。 しかし、『月は無慈悲な夜の女王』 The % 0 な 4 丑år 訪 M / 立尾ぉ ( 1966 ) は 元の作風に戻ったところがあり、 1 7 年の ーゴー賞を受けた。月植民地人たちの 叛乱を描き、アメリカ独立戦争と多くの歴 史的相似がはっきり見られるこの作品は、 ハインラインの政治観をきわめて明瞭に示 したという点でも価値がある。鵞ファシス ト〃というよりも、彼は社会ダーウイン説 の影響を多大に受けた右翼アナーキスト、 もしくは自由意志論者なのである。しか し、彼が後期の長篇で政治を関心の中心と し、議論をすべてそこに注ぎこんだ結果、 S F の小説効果の質が低下したのは悲しむ べき事実だろう。明敏なハインライン批評 家、アレクセイ ・パンシンが指摘している ハインラインはかって、、事実 / / を ように 扱っていた ( 彼は長い間ハード SF の第一 人者と考えられていた ) が、現在は、、事実 を装った説教〃をしているのである。彼の 近作長篇は膨大な論文といった様相を呈し ている。『悪徳なんかこわくない』 / Ⅳ / 〃 VIII だ。 E て , ″ ( 1970 ) は、百歳を越える 富裕な老人が精神を若い秘書の肉体に移植 するといった内容が長々と描かれる。この 作品はハインラインの近年のセックスへの 関心を表わしている ( が、彼はこのテーマ を説得力ある形で扱っていない ) 。『愛に 時間を』 Time E 0 ″ g んア 0 ん 0 膨 , or に んれ , お研ん 4 ぇ ar おん 0 々 g ( 1973 ) は《未来 史》シリーズの新しい終章だが、初期の作 品群の長所はもうない。 ハインラインは、 1941 、 1961 、 1976 年と 世界 S F 大会で 3 度ゲスト・オフ・・オナー になっている。彼はたとえばローカス誌で 1973 、 1977 年と行なわれた読者投票など で、何度もベスト・オールタイム作家〃 に選ばれてきた。また 1975 年にはネビュラ 賞の第 1 回グランド・マスターの称号を受 けた。後期の長篇群でひき起こした波紋に もかかわらず、彼が現代アメリカ S F でも っとも影響力をもつ作家であったことは否 定できない。 ヘンダースン、ゼナ 〔 D P 〕 HENDERSON, ZENNA ( 1917 ー アメリカの作家、学校教師。作品の素材 に、アリゾナや他の地での教師体験を使う ことがきわめて多い。最初の作品は 1951 年 F & S F 誌に載った「おいでワゴン ! 」 、℃ ome on, Wagon ! ”だが、現在もいち ばん関係の深い雑誌 F & SF に、 1952 年か ら「アララテ」 "Ararat" に始まる《ヒ。ー フ。ル》シリーズを書きはじめ、それが代表 作となった。これらは、『果しなき旅路』 乃 / g 襯 4 部 . ・ The 召 00 ん研ど第ん ( 1952 ー 9F & SF 誌 ; 1961 ) 、『血は 異ならず』 The れん . ・。 D ど尾厩 窺いん ( 1961 ー 5 F & S F 誌 ; 1966 ) に 収録されている。このシリーズは、サイ能 力を持っ異星人グルーフ。の長い年月にわた る苦闘を語ったもので、彼らは外見は人類 264

10. SFマガジン 1983年5月号

る。 ながら紹介していくことにする。 セビン ってしまう。本当にアルベルト・ スキーが、その中では自らがベルト・ このパラレルワールドに入り込み、ペ ・セ・ヘリンは様々な冒険を行う。未ペリンであるコン・ヒューター世界を創り 前回のレポートでも述べたように、現来の作家像とも言うべきこのセビンスキ出したのか、あるいは捕われの身である 代ドイツは戦前の″未来小説″の系ーは、ある日ふと、完全に空想の産物にベルト・セべリンが、その絶望の淵でア ルベルト・ 譜からは隔絶したものである。科学技術しかすぎず現実とはなんら関連のない セビンスキ 1 として逃げ込め の夢をただ楽観的にユ 】ト。ヒアの中に描「ファンタジーワールド」をプログラムる世界を創造したのか、ーーー解答は提示 いたそれとは異なり、現代はまず科してしまう。と、突然物語の中には、巨されることなく物語は閉じられる。 学や技術に対して批判的立場をかまえて大な怪鳥、城、行方不明の宇宙飛行士な この小説はテーマ的には決して目新し いる。今日のドイツはただ単に いものではない。例えば、「自分が蝶に 術文明の可能性また結果に批判的であ なった夢をみた哲学者が、目をさまし、 るというだけでなく、のこれまで なぜ自分が蝶になった夢をみた哲学者と の傾向、そしてまたみずからが担 解ったのか、もしかしたら自分は哲学者 うべき役割に対しても批判の目を投げ だと夢をみていた蝶ではなかったか」と かけている。 いう老子の話が思い出されるし、ヨーロ 科学技術の持っ錯覚の危険性を、ヘ ツ・ハ文学においても同様に、現実と文学 ルベルト・・フランケは一九八一 との真実性の差異を疑問視した作品はみ 年に『薔薇色の宇宙』しきき つけることができる。 U ぎ e こミという題で発表した。こ イタリアの作家ルイギ・ビランデロ セビ の物語の中で、主人公アルベルト・ どが出現するのである。 Luigi Pirandello ( もちろん彼は作 ンスキーはベルト・ セ・ヘリンという偽名 この作品の恐しさは、パラレルワール 家ではない ) は、一九二一年に発表した を使って″一人称小説 (Geschichten in ドでの英雄ベルト・セペリンが捕われの戯曲『作者を捜す六人』 Sei ) 。 2 ミ ~ der lch ・ Formh を書くのであるが、今身となり、もとの世界で行っていたのと c きミ。 r 曳で、現実社会の諸問 日の作家とは異なり、セビンスキー全く同じ仕事をさせられる点にある。彼題が本当に文学や演劇で表現できるのだ はただ単に物語を紙の上に書くだけでは はふたたびコン。ヒューターのために。フロろうか、という疑問を投げかけている。 ない。彼はさらにそれをコンビュ 1 ター グラムを書き、人工の世界を創り出さねこの作品の劇中劇には、自分たちは文学 にプログラミングし、彼の書こうと望むばならなくなるのである。そしてしまい的表現であると主張する人々が登場し、 パラレルワールドを創り上げるのであに読者には、何が真実なのか解らなくな自らの運命を決定する作者を捜し求める ヨルグ・ヴァイガンド