ネロン - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1983年6月号
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1. SFマガジン 1983年6月号

はいつもエクレシアの法廷に立って自分の心情を説明しようとしてではない。 いた。そして常に殺人の真の意味を口にしようとするところで僕は流刑者は正しく流刑されたそのことによって死ぬのである。 ネロンは今、「我々」から隔絶された。社会の中でしか生きられ 絶句してしまうんだ。理知神が夢に干渉していた。僕は辛抱づよく 奴らが安心するまで、別宮の日と夜を温和しく過した。僕が、法廷ない人間的存在としてこれは単なる不帰の漂流ではないのだ。おそ らくまだ少年は刑の意味を知らない。 でもう叛逆的なことを喋らないだろうと理知神が見究めるまで : ネロンがそれに気づいたとき、彼は静かに発狂してゆくだろう。 しかし、僕の言葉なんか要らないんだ。僕は、行為によって彼らテッサラクトには判っていた。 に小したのだから。彼らは行為によって僕のメッセージを受けとれ外在する社会の構造が、個人の心の中で通底しており、社会的規 ばよかった。でも理知神には、それはわからないことだっただろ範は各人の超自我という水準で保たれているのだというネロンの洞 う。僕はあらゆる検察的な聴取に肩すかしをくらわせ、最後の法廷察は正しかった。 に立ったときでさえ嫌疑や推測に対してはぐらかした。直観しうる現実の社会を失った今、ネロンの心の側にだけ幻想の社会が残っ 者だけには、僕の、未明の真実が聞きとれたはずだ。僕は沈黙によている。少年の精神がこの危うい破局に長く耐えられないのは確か って語り、拒絶によって彼らに別れを告げた。僕は、僕の行為と結だ。やがて「我々」の王国は、ネロンの内部で「彼ら」の王国とな るだろう。そのときネロンは人間として崩壊をはじめるのだ。 果を後悔していない。 彼の必死な意思が、「我々」の王国のだれを目醒めさせたのだろ テッサラクトは追放された王が住む、たった一人の王国の真昼をう。テッサラクトは少しの間、想像してみた。少年は自分の行為と 彼の思いと引きかえ 結果としての流刑を悔いていないといったが、 , 領して光りかがやく。 自らの行為によってその行為の意味を完了させたとネロンがいし にするだけの覚醒が果してあったのだろうか。たぶん、ネロンには 切った以上、もはや言葉は不要だった。 すでに明確な同意を受けとっていて、だからそうまで言い切ること 社会とか国家とかとは全く無縁の知性体であるテッサラクトにと ができたのだろう。 テッサラクトは彼の大いなる正午を照らしつづけた。今はただこ り、ネロンの苦悩は遠い事象でしかない。そして、今やネロンにと の王国の真昼だけがネロンの政りを祝福していた。 ってさえ、ネロン自身の苦悩は遠いものだ。 ネロンは王であり、人間であり、そして国家であった。 「我々」の王国とやらがネロンに処した刑ー - ー流刑は血を流さない だけで、それは死刑である。古代の都市国家が荒れ野へ罪人を追い やったように、ネロンは流された。しかし、荒れ野がかって罪人を 殺したのではないように、ネロンも宇宙の荒涼によって殺されるの 247

2. SFマガジン 1983年6月号

けている。 やがて空の一画が淡くトキ色に明るみはじめた。 流刑地に、最初の夜明けが訪れようとしている。 空が薔薇いろの朝やけに染まり、円い地平線に日輪 の出現を予告して光りの指先がのびてゆく。ネロンは 砂地に坐ったまま黎明の光景が刻々とニ = アンスを変 えるこのパノラマをながめていた。 太陽が姿を現わした。しかしそれは真円の眸をもっ 恒星ではなかった。透明な、光輝につつまれた多面体 テッサラクト であった。ネロンは一暼してそれが有りえない立体で あることを知った。 輝く立体は、その明瞭なりんかくが見分けられるの を見ても、大変に地表と接近した位置にあるに違いな 。あるいはその飛行体は恒星ではなく、この小遊星 に周回戦道をもつ人工の衛星なのだろうか。 そのときネロンは彼の心に呼びかける声をきいた。」 ーーー君は、何者だ ? 少年は、あたりを見回した。薔薇いろに染められた 砂地がいちめんに拡がっているだけだった。誰もいな お前はだれだ、とネロンは声にだしていった。 どこにいる。 ここだ、と心に響く声は方位の概念を彼に示し 5 ネロンは顔をあおのいて、火の色をした輝く多面体 を見た。肯定の概念がかるく送られてきた。ネロンは

3. SFマガジン 1983年6月号

く動かない時の平均数の約八十倍を我々は一分と呼び、その二千倍 珍らしい化石でも観察するような表情になり、その眩しい対話者を の時間で我々の惑星は自転していました。それが一日です。その星 3 見上げた。 っ△ 僕はネロン、と彼はまた肉声で応えた。「我々」の国の王では三百日を要して主星の周囲を公転します。それが一年です。 私は、君たちの時間でここに一万年ほど過している。ついで した。今朝、彼らは僕を裁き、追放の刑に処して、だから僕はここ だが私はこの星を君たちの七百分ほどで周回している。ここは孤立 にいるんです。あなたの名は ? ここは何て所ですか。 ようこそ、ネロン。私には固有な名前がない。 この星も呼ばした天体だ。一番近い恒星系から、光りがとどくのに君たちの時間 れたことはないのだ。「我々」の国とは何だね。彼らとは何者かで三十年はかかる。私は宇宙空間を漂泊している途中にこの星をみ つけたのだ。 ね、ネロン ? なぜここにとどまったのですか。空気を合成し、それを弱 少年は礼儀正しく起立して、高位の人間を迎えるように、輝く多 面体に対した。自分がどこにいるのかよくわからなかったが、知性重力にもかかわらず封じこめたのはあなたなのでしよう ? ほら、あそこにある。 そうだ、ネロン。その答えが、 を示した相手にはそれなりの敬意を払うべきだった。ネロンはまだ ようやく明けきった朝の群青のホリゾンを背に、一本の糸杉がす ここでは客であった。 不可能な立体よ、と彼は相手をよんだ。僕は自分の追放されらりと伸びていた。周囲の土はそこだけが黒い。ネロンが見ると、 る先を選ぶことができなかったのです。この星があなたの領土であ少しはなれた所に白い砂をしきつめた円形の場所があり、キラキラ るなら、断わりもなく立ち入ったことを許して下さい。僕には他に光る立体が置かれている。 行くべき場所も手段もありません。でも、ここには僕が呼吸できる あれは ? とネロンが訊いた。 空気があります。今しばらく僕がここに留まることをあなたが受け 君の答えだ、と頭上にもえる多面体は応えゑ一万年前、私 いれてくれたなら、僕が追放された訳をお話しできると思います。はこの天体の地表にあの植物の種子を発見した。私は必要な環境を しいとも、ネロン。心話の声があたたかく彼の胸に響いた。 ととのえ、彼を目覚めさせたんだ。私と彼は、弱い心話によ 君は直接エナジーを摂取できない構造のようだね。私は、この小さ万年の会話を交してきた。今日から、ネロン、君もその仲間になっ な星にくるまで、君のような構造の生き物を別な場所で見たことが たわけだ。 ある。少し先に私が作った変換器があるんだが、歩きながら話して あの立体が、とネロンは心の中で指差していった。あなたの くれないだろうか。 いった変換器ですか。あれで大気を作ったのですか ? ありがとう、よろこんで。ネロンは輝く多面体が心話で送っ その通り。あれは私の意思を形にかえるための道具だ。私が てきた方角を差して歩き出した。あなたはここは長いのですか。僕直接に制御しなくても、あの器械が憶えておいて、やってくれるの の国では : : : 僕の体内を循環する液体の搏数がわかります ? 激し だ。ちょっと待ってくれたまえ。君の組織に有効なものを作るか

4. SFマガジン 1983年6月号

す。 って下さい 今度は議場は紛糾した。しかし、圧倒的多数で司法官の要求は可現知神を祀るその純白の構築は神智を象徴した七柱に支えられ、 っ ~ 決された。長老たちもこの緊急な事態には対応する術がなかった。短い雨期の間をのぞいては無蓋である。まだふもとの広場に残った 司法官は満足そうにチャイムを鳴らした。 人々は、青く澄みきった空を背景に、すらりと気高い姿勢で立っ少 静粛に ! これより判決を宣告いたします、と彼は急に沈黙年の華奢な白い背中と輝くおしりを見ることができた。 の落ちてゆく広場を見下していった。以下は本法廷の最終的な判断たとえ称号と衣服を剥ぎとられても、ネロンは王としての品位を であり宣告であります。被告ネロンは、エクレシアが召集した議員崩していなかった。彼は生れながらにして王者であり、その尊厳は の評決によって、殺人の犯罪により有罪と認められた。よって法の華美な装飾などで保ってきたのではない。臣下に裸身をさらすこと 定めに従って被告ネロンに極刑を課し、「我々」の市と王国の王と にも羞恥することはなかった。平然と生まれたままの姿で理知神殿 いう称号ならびに地位を剥奪し、この王国の領土から永久に追放さの冷たい石の床に立ち、自分の運命を待っていた。 れることを、申し渡すものである。理知の神の年、五六三年の収穫元老院議長が、打ちのめされたような顔で彼に近づいた。涙をう 月、第九日。司法官セジェスト。以上です。 かべて老人は少年をみつめた。 裁きは終った。 無念でございます、陛下。彼は囁くように王にいった。 ネロンは思いやりのある表情で相手をみた。彼は腕をのばし、カ ェクレシアは最高の司法機関であり、そこで王もしくは王に準じ た権限によって下された決定は最終のものであった。上告はない。 づけるように老人の肩に触れていった。 ネロンの有罪とその刑は確定したのである。 議長、お前の気持ちは判る。その好意には感謝している。し 少年は、しかし無関心な容子で栄誉の椅子に坐ったままであっ かし、やはりお前たちの採った方法は誤りだった。ェクレシアの中 た。手の中でノーチラス類の化石を楽しそうにいじっていた。 であのような明らさまな謀議を行なってはいけないよ。たとえ僕を ェクレシアを衛視する視床警察はいつのまにか十六人に増えてい救うためであってもだ。僕の生命と身体は一つのものだ。しかし王 た。彼らのうち二人が、真直ぐネロンのもとに歩いてその前で立ち制は僕だけのものじゃない。僕ひとりのために王政をないがしろに 止った。 することは許されないよ。ェクレシアとはその中で討議すべき場だ ネロンは彼らをチラとみて、立ち上った。 といったはずだ。ェクレシアの外で成された決定をその中で再現す 陛下、と服を着た機械がいった。刑場にご同行いたしまるようなことは今後、絶対にしないでくれたまえ。わかったね、議 長。 人々はネロンの前に幼い少年を連れてきた。おどろくほどネロン ェクレシアの広場を見下す丘に建つ神殿で彼らはネロンの服を剥に似た、もっと小さな少年だった。顔かたちのどの部分が似ている

5. SFマガジン 1983年6月号

というのではなかったが、理知的な額や、ととのった鼻すじ、そしン。 君に理知の神の加護があらんことを希っているよ、ヘリオガ て何よりも人の心を見抜いてしまうように深く澄んた眸が、ネロン ・ ( ルス。多分、君には僕が成した行為の意味が理解できるだろう。 と共通する特質を示していた。 僕はこれだけの事しか「我々」の王国のために成しとげることが出 老議長はすばやく涙を拭って彼にいった。 陛下。最後の、これが元老院からあなたへの奏上でございま来なかった。君には、僕の到達した地点を君の出発点として、これ す。あなたの継承者にどうか祝福をお与え下さい。なにとそ、陛以上の事を達成してくれることを僕は希「ているし、また君を信し ている。 下。 あなたに会えたことを、と新しい王位を継ぐ少年はいった。 ネロンはその子を眺めた。意識成育器のカプセルから今朝、ぬけ 出たばかりのような頼りない未成の骨格と、幼い年齢に相応しくな嬉しく思います。あなたの希望と信頼が僕をカづけてくれます。ど うか、元気で。ネロン。 い理性を宿した相貌とは、かっての自分自身の姿であった。 ありがとう。さ、もう行きたまえ。刑の執行を見ることが、 その代の王は自分の王位継承者を見ることも知ることも許されて いない。しかしその治政の終焉に際しては、可能な限り、権力の禅君の輝かしい治政の最初の仕事とな 0 てはいけない。 はい、ネロン。僕はここまで見送らせてもらいます。さよう 譲という形式に従って、彼は彼の次代の王を祝福する慣習であっ なら。 さようなら。 議長、とネロンは少年を見つめたままいった。僕はエクレシ 新王の少年が立ち去って、ひとときの静けさが神殿に落ちた。あ アの法廷が予断をもって僕を裁いたことを今でも不当だと信じてい るし、その判断には異議を持っている。それによって僕は王の地位たかも夏の陽光が雲に翳るように、なにか不吉でうす暗い、それは を追われ、今またこの王国からも追放されようとしているわけだ沈黙だった。 が、すでこの決定が覆しえないという理由からではなく、僕はこの彼らはネロンを神殿の最奥部におかれた聖壇の前に案内した。一 般の祭儀には決して使われることのない禁じられた区画だった。二 継承者を心からの祝福をもって承認しようと思う。君、名前は ? 彼よりは数歳、年下のその少年は、キラキラ光る眼差しでネロン枚貝の形をしたその大きな白い器械が、追放機であった。 なんの儀式もなかった。 を見あげた。 ヘリオガ・ハルスといいます、と彼は応えた。法の定めに従っ彼らは、雪の色した寛衣をネロンに着せた。地位や身分を示す装 て、もうネロンに敬称を使わなかったが、たった今、目の前でネロ飾が全く付いていない服だった。不在の色が追放者の印だった。ネ 3 ンがした発言によって生れた満ちあふれんばかりの敬意がその一語 ロンは軽く会釈すると二枚の貝の扉を開いて、その中にすべり込ん にこめられているのがわかった。あなたの祝福に感謝します、ネロ こ 0

6. SFマガジン 1983年6月号

よい日を、陛下。議員の身分を示す礼装を着た老人は気まじ広場に急設された木組みの法廷が見えた。その周囲を元老院の議 めな表情で慇懃に挨拶した。お待ち申しあげておりました。ご機嫌員がとりまき、さらに階段状の席には市民の代表が数十人ほど集ま 2 っていた。 うるわしいご容子でなによりです。 ネロンの到着を知って、彼らはいっせいに起立した。たとえ公訴 ネロンは可笑しそうに相手をみた。 よい日を、議長。今日は僕にとってどういうことになるか判されたといっても、まだ彼らは「我々」の市の王であった。 らないけれどね。でもお前は顏色がすぐれないようだ。躰には気を つけなければいけないよ。 司法官が片手を伸して一同を着席させた。 私共は、と老議長はますます真面目な顔になって沈痛にいっ ネロンは当然のように広場を横切り、上座に唯一つ用意された栄 た。自分のことなぞを心配しておりません。私が案じておりまする誉の椅子に坐った。視床警察はいつの間にかもう二人増えていて、 それそれ広場の四つの出入口に立哨した。ェクレシアは通常は市の のは、陛下、あなたの事でございます。 ありがとう。ネロンは明るく微笑った。だけど、僕なら心配立法機関であり、これは彼らが議場を警務するときの態勢だった。 はいらない。僕はいつも元気だよ。みんなはエクレシアだね ? 待司法官は議員と傍聴人が席についたのを見定め、また四人の衛視 がその所定の位置にあることを確認して、満足そうな顔をうかべ たせちゃあ悪い。来たまえ。 た。彼は右手を壇上のクリスタルに触れた。錏い透明なチャイムが 少年王はまた先に立って白磁の色した走路に滑るように軽やかに 移った。元老院議長と政務随員があわててその後を追う。視床警察鳴って裁判の開始をしらせた。 の二人は影のように彼らに従っている。 元老院ならびに市民諸君、と司法官は金属的な声を張りあげ 活動のはじまりかけた街のそこここで彼らと行き交う市民は、なていった。当法廷は、しかり、これは正しく法廷であります。当法 んと挨拶していいのか判断のつかない戸惑った表情で一行を見送っ廷は「我々」の市と国家を支え、それに支えらるべき我が王、ネロ た。一人二人、「今上万歳 ! 」と叫んだ者もあったが、なんとなくンに対してなされた告発を審議するために開かれるものである。 浮き上った気まずさが残った。「我々」の王が問われた罪状は非道ささやかな拍手が法廷への敬意を示して小波のように広がる。司 なもので、市民たちは自分たちの戴く首長がなぜそのような挙にで法官が肯いて、右手でチャイムを短く鳴らし、拍手を抑えた。 これは「我々」の市で起きた単純な犯罪を裁くために行なわ たのか知らず、当惑するしかなかったのだ。 丘のふもとに空間がひらけていた。 れるのではない。王、ネロンは個人を超えた存在であり、公人とし 卵色の大理石を敷きつめた矩形の広場と、それを囲む浅い階段状ての重責をになっていたし、現在もそうであります。しかし当件が の席が設けられて、座席の部分には夏の陽差しを遮るための天蓋を重大な意味をもつのは、そればかりが理由ではない。 支える石柱が列んでいる。それがエクレシアだった。 司法官はネロンに視線を向けた。ネロンは優雅に会釈して微笑ん

7. SFマガジン 1983年6月号

せるつもりはない。行こう。 少年はすいぶん爽やかに目醒めた。 白い石造りの室には六月の朝の光りが、透きとおった音楽のよう 同行いたします。お許しを、陛下。 に満ちている。 少年王ネロンは肯いて、視床警察の先に立って歩いた。白いドア 彼は初夏の光りに照らされた草地に踏み出していた。こ 彼は、やわらかい寝台に横向きに寝そべったまま、大きく開いたをくぐり、 まち 窓をみていた。窓は青い自由な空に向かって、いつばいに開いてい の別宮と市を結ぶ走路が輝く架橋のように、緑の草原を截ってい る。清々しい徴風が白いカーテンを静かにゆらしている。平和な朝る。彼らはその白い虹をわたった。 の情景だった。 今日が、彼の最後の日なのだということを、だから少年はしばら 政りの岡にて くの間、忘れたままでいた。 まるで何事もなく、また明るい日々がはじまるような気がする。 視床警察の二人は道すがら一言も口をきかなかった。 しかし、見せかけの平和とは異なり、今日は特別な、非常の日な分を心得ているというのではなく、必要でない行為は予め切りす のであり、少年はそれをよく知っていた。 てている風であった。ネロンは彼らの制服となめらかな皮膚の下に 彼は、そのことについてもうあまり心をわずらわせてはいなかっ 詰っている冷たい機械を思った。彼らは特定の個人にも勢力にも属 たが、自分が今日、避けることのできない裁きを受けて、恐らくは していない。「我々」の市に一つの機構として備わっているのでも 有罪の判決が下されるだろうことを充分に理解していたのだ。 ない。彼らは、市を支え、それを象徴する理念に対して責任を負っ 窓は青い自由な空に向かって開いている。そこに鉄格子はなく、 ているのだ。 室の反対側にある白いドアにだって鍵はかけられてはいない。 にも視床警察は「我々」の市のあらゆる機能を調節し、チェックして かかわらず、この室は独房なのであり、少年は一箇の未決囚であっ いる。だから奴らは、ふだんは誰にも見えない。しかし必要とされ る場面には常に、しナ いつものように朝食が、すでに白いテーブルの上に用意されてい 今、ネロンがその場面を用意したのだ。少年王は、涼やかな風を る。いつものように一人で、彼は軽く口をすすいでから、簡素な食うけて走路に運ばれながら、微笑んでいた。 事をとった。そして素肌に寛衣をまとった。 やがて草原の上に市が白く輝くように現われた。 ドアが鳴って、青い制服を着た視床警察が二人、入ってきた。 一面になだらかに続く緑の海原に、 小高い砂色の丘が浮んでい ネロン陛下。彼らは機械の声で告げた。ご準備はいかがでしる。そこに集積回路を寄せ集めたようにキラキラと街々は建てられ ようか。元老院の方々がお待ちになっております。 ている。 準備は出来ている。ネロンは澄んだ声で応えた。彼らを待た 元老院の議長みずからがネロンを出迎えた。 こ 0 225

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が倒れてゆく勢いで杖剣を引き抜くことができた。そのとき青年が 恐しい響きから過度の装飾を剥ぎとり、いわば裸のことばとして、 我々にもう一度その語と行為がもつ意味合いを極めて身近かに取り何か叫んだ。驚きのために言葉にならない悲鳴のような叫びだっ た。僕はその程度の傷では娘が蘇生する可能性のあることを考えて 戻してくれたのであります。純粋な意識成育と王者の教育をうけた とはいえ少年の身で今日が日まで「我々」の市を司り、王国を運営 いたので彼にかまってはいなかった。 僕は石だたみの上に仰向きに倒れた娘の額をもう一度、刺しつら してきた陛下ならではの英明により、我々はこの我々自身につきっ けられた罪体そのものを再び検証すべき機会を与えられたのです。ぬいた。僕は解剖学とそして生理学を知っている。彼女がこれでも しかし今回の王の英明は我々の市を照らす今朝の陽光ほども明るう蘇生したとしても高等感情と知性活動を二度ともっことがないこ い、かってのそれではなく、人間的存在の暗い奥底に潜む闇の色しとを僕は確認した。靴を彼女の顔にかけて全体重で杖剣を引き抜い た古代の英知なのであります。 た。青年はその場に坐りこんでいた。僕は娘の衣服で刃の血を拭き 殺人 ! そう、かって我々の祖先が行なっていたように、人間のとり、鞘におさめると、歩いて寝殿に帰った。翌朝、視床警察が僕 歴史にはこの暗黒の行為が近しい時代もあったのです。彼らは生きを起して、僕は逮捕され、今日まで別宮に軟禁されていた。 るために殺しました。殺されないために殺しました。自らの種を保広場は静まりかえっていた。 なぜです、と司法官が息をあえがせていった。 存するために、そして自身・一箇の安全のために、家族の防衛のため なぜって何が ? ネロンは落着いた笑みをうかべて聞いた。 に、彼らは殺しました。我々の古い記憶にはそのことがまだ浅くな なぜ、殺したんです。司法官はかすれた声で重ねた。被害者 い溝のように刻みこまれています。我々はその語を聞いただけで深 い意味さえ思い出すことが出来るのも、この種族的記憶がためであはあなたに何の害をなしたというんです。彼女の死があなたにどん な利益をもたらすというのです。殺人の理由は何なのです、ネ ります。ではどのようにして彼はそれを成したのでしよう。 ン ? それは僕が応えよう、とネロンが透明な声でいった。 広場に集う人々はいっせいに彼らの王を仰ぎみた。チャイム。 殺人に理由などあってはならないよ、司法官。ネロンは真面 葡萄の月も終る日のことだった、とネロンは平穏な調子で語目な声で応えた。ちがうかね。 りだした。僕はその一日の政務をディスクに記録し、頭脳宮を出 も、もちろんです ! 司法官は周章てていった。殺人に、人 た。夜はまだ若く、空気が甘かった。東の翼から一組の恋人たちがを殺害することに正当な理由などあっていいはずがない。しかし : ・ : 問題はそういうことではなく、あなたが彼女を殺すにいたった、 歩いてきて僕に挨拶した。僕は彼らを知っていた。侍従長官の娘と その婚約者の青年だ。僕は挨拶を返すと儀礼用の杖剣を抜いて娘のその、動機です。それは何だったのですか。 喉を抉った。 動機などないよ。ネロンは道理の判らぬ相手と話しているよ 彼女は声を立てなかった。その暇もなかったのだろう。僕は彼女 うな表情で面倒くさそうに応えた。彼女は善良な市民だった。僕は 228

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「我々」の国には、ゆるやかな規制しかないように見えた。それは星の真昼であった。 人々が抑圧によって、あまり逸脱というものをしないからだ。しか彼は、変換器を操作して、冷たい水をのんだ。そのまま白い砂の し、目に見えない規制は厳しく存在していた。視床警察がその具現上に腰を下すと、彼は彼の最終の陳述をつづけた。 彼らは用意していたように現われた。気がつくと祭壇のある たった。いつもはエクレシアという議会の衛視としてくらいしか目 につかない。けれど市民のだれもが、彼らが理知神の命によって国室の四方に十六人の視床警察が立っていた。僕の殺戮は念入りで沈 着に行なわれたが、その間、おどろきのあまり声ひとつ上げなかっ 家の理念と体制を守る最終的な権力であることを了解していた。 僕は、頭脳宮で祭器をくだいたときに、僕の行為に対して視床警た。 ( ーティの連中は、次の瞬間パニックにかられて一斉に動いた。 察が発動されることを予期したんだ。でも理知神は王たる僕の犯行しかし視床警察が何か青い光線を発して彼らをうっと、一人残らず とその意思を見のがした。この二年間、僕は暗い悦楽にふけり、漬床に崩れてしまった。おそらく彼らの誰も、僕の犯行を次の日に憶 聖のかぎりをつくしたが、それでも視床警察は僕を押えようとはしえてはいなかっただろう。しかし、それでも死体が一つ残ったの だ。視床警察といえどもこれを隠匿することはできないはずだ。僕 なかった。だから、だからこそ僕は視床警察を発動させなければな は冷静な勝利の表情で彼らをみつめた。彼らは僕を逮捕した。 らなかったんだ。何としてでも : 君の目当ては、とテッサラクトがいった。なんだったんた。 だから、とテッサラクトが続けた。彼女を殺したのだね。 それ以外にもう僕に手だてはなかった。その夜、十数人の若ネロン ? 者たちを集めて僕は淫らなパーティを開いていた。頭脳宮の内に設少年は彼の流刑地を見わたした。 けられた祭壇の周囲で。やがて宴が高潮したとき、僕は邪悪な祭儀正午の世界に糸杉が青くそびえ、空には有りえない立体が燃えて を提案した。神聖な理知神への祭りをすべて転倒させ、聖らかな供いる。彼は、たったひとりの人間だった。彼を王に推戴し、そして 物のかわりに汚物を、ワインのかわりに血と精液を献げる遊びだっ追放した王国は時空をはるかに超えた遠いところにあって、もう帰 ここが彼の領土だった。自分ひとりを統べる王国であ 、それはしない。 た。古代の祭りのように犠牲獣を燔祭に付すべきだと僕はいし っこ 0 の娘を汚れた裸のまま祭壇にのせた。なにを喋ったかもう憶えてい 。しいかけて泣きだした。変換器のスウィッ 僕は、とネロンま、 ない。濵聖的な言葉だったことは確かだ。彼らはそれを諧謔だと思 って笑った。娘も裸身であおのいたまま僕を見上げて笑っていた。 チが傾いて、水盤からあふれた冷たい水が砂地にしみていった。水 僕は儀礼用の杖剣を抜いて、彼女の笑みを突き刺した。 はネロン自身の悲傷のように、白い砂地に暗く湿って広がってゆ ネロンは、鈍い動作で立ち上がった。糸杉の木陰から出て、円形 5 4 の白い砂地に立った。燃える多面体は今や頭上にあった。この小遊やがて彼は水盤に手を差し入れ、ひとすくいの水で涙を洗った。 2 僕は、今では正しい理由をいうことができない。ネロンはし 星は、彼が追われた世界の三分の一しか日がないのだ。今が、この

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だ。相手は再び議員たちを向いて続けた。 りをたたえた眼で広場の人々をゆっくりと見た。 彼、ネロンが成した犯罪は、その忌わしい犯罪は、単に「我 元老院ならびに市民諸君、と彼は声をふるわせた。私はこの 我」の市を規制する法に違犯したばかりではないのであります。そ言葉を発音するのに非常な困難を覚えていることを申し上げたい。 の恐るべき行為は、「我々」の法を根底からくつがえし、「我々」その理由は : : この最も怖るべき犯罪が、ロにするのさえ忌わしい の国家を形成する理念に背き、それを根こそぎにする類いの叛逆、というだけではありません。 いえ、反乱に他ならないのであります ! あの、書物の中にだけ知られている陰惨で暗黒な時代をようやく ェクレシア 拍手。そのとき、議場 ( いや法廷 ) の上座に近く一人の議員が立乗りこえて、その闇を一条の光芒がさくように、「我々」の市と国 ち上っていった。 家が成って以来、不幸な事故によるほかに我々は人間的存在が悪意 司法官、異議があります。彼はネロンの弁護人を務めること によって殺害されたなどという事例をかって一度たりとも持ったこ を示す青い礼装をしていた。彼は広場を見わたしていった。法の下とはなかったのでありますー で「我々」は全て平等であり、それは王でさえ例外でありません。 我々は殆どこの : : : 殺人という単語を久しく忘れてさえいたので 正しくそれがために今日、彼はこの法廷に立っているのです。そしした。おお、理知の神に我々は感謝いたします。 : : : もちろん、我 て法廷は誰に対しても公正でなければならない。そう、この立法府我はその意味を知ってはおります。我々の祖先が犯した暗い罪の時 にあって我々が厳正に法を定めるように、今日、我々はこの司法の代は、全くそれを忘れてしまえるほど遠い記憶ではないのです。し 庭にあって彼に、「我々」に、そしてなによりも自らに公正であらかしながら我々は今日、その表面の語義を知ってはいても、この語 が持っている深い意味をろくに考えてもいないほど、この語は、そ ねばなりません。 私は、弁護人として、また一個人として、ただ今の司法官の言葉してその行為は「我々」から、有難いことに、離れたものであった にはいちじるしい予断が含まれていることを指摘するとともに、 このであります 1 こに集った議員諸君には、自らこの法廷の判断となるに当っていか人々はざわっき始めた。畏敬の精神を不安にかえた不作法な視線 なる予断もなく審議にたずさわらんことを要望する次第でありま がチラチラと少年王に向けられた。 す ! ネロンはしかし平気な顔で栄誉の椅子に屈託なげに坐り、退屈な 拍手が高まって、チャイムに途切れた。司法官は一礼して、何事議案でも聞くように彼自身への告発を聞いていた。司法官は自分の もなかったように陳述をつづけた。 大仰な言葉の弾雨が大して効果を上げていないことを悟り、そのこ では、「我々」の王の犯罪とは何か ? それは : : : 殺人であとをェクレシアの聴衆、いや法廷の人々が気づく前にもう一度、注 意を彼にひきつけるべく声を高めた。チャイム。 りますー 「我々」の王、ネロンがそれを近づけました。殺人 ! その 怯えたような騒めきが低く傍聴席を伝わった。司法官は異様な光 227