うんぬんかんぬん。 「人の秘めたる悩みをよく知ってるんだから」 「あんたみたいなタイ。フは必ず痔になるんだよ」 マスターがどうして音楽をやめ、カレーの道に入ったのかは、 ヘルダは言いながら、木杓子でカレーを口の中へ流しこんだ。 まだに大きな謎だ。ただひとつだけ言えるのは、偉大なる芸術家の ぼくはゲップをした。 つくるカレーはやはり芸術であるということだけ。 そのとき、ポーンという柔らかな粒たった音が、あたりの空間を「ねえ、 い。ヒアニストになるにはどうすればいいの ? 」 ふるわせた。ドラマチックに、ひとっきりの螢光灯のシャンデリア子どもみたいな質問だけれど、それはぼくも知りたい。 がついた。静かに。ヒアニストの指が動きはじめた。 答えはちゃんと用意してあったようだ。 ショパンワルツロ短調作品六九の二遺作。 マスターは広い額を撫でながら言った。 なんというやるせない、感傷に満ちた曲なのだろう。そういえば 、。ヒアニストになるにはね テレビドラマの挿入曲になっていたような気がするーーーだが、こん 一、なるべく練習しないこと。 なに甘美な、背筋がふるえだすような、音だったろうか。 二、なるべく他の人の。ヒアノをきかないこと。 やがてワルツは、最後のひとつの音だけを耳に残して、終わっ これだけだね」 た。いつもそうなのだが、 ' ほくらは拍手をしなかった。耳の奥にひ「天才の理屈だな、そりや」と・ほく。 マスターは愛想よく答えた。 とつだけ残った音を消すのがこわくて、音を立てないのだ。 マスターはふたを閉じて、立ちあがった。 「天才なんてありやしないよ。せい・せいがサルとヒトのちがいくら 「この曲はね」彼ははじめて口をきいた。「一八二九年ーー地球ー いのもんさ」 ーポーランドで作曲されたんだ」 「えらく違わない ? 」と口をとんがらかしてサチコ。 マスターのもの静かなパリトンだけが、音楽的な空間をくずさな「たいしたことない。脳ミソの量のちがいだけさ。質の差じゃあな ーでいびきをかき 一八二九年がどんな時代だったのか、ぼくは知らない。ヘルダな ラジェンドラ人が、可聴音域ぎりぎりのウー ら知ってるかもしれない。 はじめた。彼女は、たらふく食うとねなくなる。 「このビア / はスタインウェイ 、ハン・フルグでね」 「ところで」マスターは言った。「三人おそろいとは、どこか遠く またビアノ自慢がはじまったようだ。 へお出かけかな ? 」 「製造番号は四七一五一〇。スタインウェイ社はシュタインヴ一一】 「ほんと、おいしいわ、カレ 1 。筆舌もおよばないくらい」とサチ クがニューヨークへやって来て一八五三年に創立した。ハン・フルグコ。 「筆舌もおよばないなら、ほめないでくれよ」 は一八八〇年に : : : 」 い」 3 6
ていねいにもこんな立て札までそえられていたーー「無謀な若者たしても。 ちの暴走が、このような無残な結果をまねきました」 ほっとけ、ばかやろうー 世間から見れば、良家の不良少女と、ただの不良少年がいい気に なって心中してしまったってところだろう。ぼくらはこの世界へや「いやあ、お帰り、お三人さん ! 」 マスターが愛想よく言った。この上機嫌がいつまでつづくかは疑 って来てから、結婚した。そしてぼくは、一年前に他界したおふく ろと再会し、ーー同居生活がはじまったというわけ。 問だけど。 ・ほくらはカレーを盛りつけはじめた。 サチコはこちらに来て、急に生き生きしはじめた。すべての規制 「どうだった、仕事 ? 」 がなくなってしまったせいだ。そしてその時点で、自らが規制をつ くることもおぼえたのだ。サチコもぼくも、たぶん、すぐれた生活マスターはえらく陽気にたすねた。 ・ほくらは、もちろん黙りこんでいた。 をおくっているのだと思う。なぜなら、幸福を感じるときがあるか ら : ああ、マスター。ポーランドへ行ったよ。あんたの好きな一八二 今度のコンーロッドの仕事は、サチコにも ' ほくにもきっかった。九年じゃなくって、その一世紀と十三年後だけどさ。きっと、あの 戦争という巨大な鉄製の規制のなかで、誰もが″いやだ″と言う国は美しい国なんだろなあ : : : ショ。 ( ンが恋をして、ワルツをつく っていた時代は、夢のように美しかったんだろなあ : ・ ことを許されなかった。美しいものは破壊され、美しく見えるもの マスターは楽しそうに、最愛の。ヒアノに近づいた。 でさえ悪く利用されていた。そして始末のわるいことには、それが 誰のせいでもなく、目に見えない何かのせいだったことだ。それ曲は、ショパンの「雨たれの前奏曲」。 ・ほくらは、静かに食べつづけた。きっと、食事のマナーというの は、政治や経済のシステムかもしれないし、人間の本性のせいか は、こういうふうにしてできあがってきたんだろうな。スプーンと も、しれなかった。 人間は秩序 ( 規制 ) を愛すると同時に、無秩序 ( 規制への反発 ) 皿がカチャリと音をたてたら、この崇高で濃密な空間の雰囲気がく ずれてしまうから。 をも愛するらしいのだ。 曲がおわってから、・ほくらはカレーのおかわりをした。 サチコに言わせれば、「あたし、エントロビーを減少させるため マスターがぼくらのテー。フルへやってきて、言った。 に働くわ。それから、仕事をつくるために、ときどきはエントロ。ヒ 「どうだい、・ トイツ人のつくるビ・アノってのはまったく。比類なき ーを増大させるわね」ということになる。 人類の歴史がすべて、戦争とそのあとかたづけに終始しているの音を出してくれるだろう ? 」 「ああ」・ほくはこたえた。「マスタ - ーの指と同じくらいすごいよ」 も、うなすける話なのかもしれない。その振幅が少し大きすぎるに 9 8
やれやれ、芸術家をほめるのはむつかしい。絶妙のタイミングと ぼくがつけ加えた。 真珠のような言葉が必要なのだ。おまけに、三日もほめないでいる「自分の喰った皿の数、忘れないでね、お嬢さんがた」 と、水の枯れた植木鉢のようにしなびてしまう。 女の子たちはキャアといって笑いはじめた。 「ちょ , っと遠くへ、ね」と・ほく。 ラジェンドラ人の小さな三角耳がビクリと動いた。 「遠くってどこへ ? 」とマスター 女の子たちはようやくへルダに気がついたらしい。しんとなっ 「うん。仕事でね。心配しないでよ。明日には帰ってくるだろうて、それからクスクス笑いをはじめた。ヘルダはテープルの上に上 半身を伏せ、フウフウいいながら眠っていた。深く息を吹いこむた 「そうかい」マスターは繊細な指でテー・フルの端をトントンとやっぴに、鼻孔が直径三センチにもなった。 た。「きようは無料でいいよ。明日、払ってくれや」 女の子たちはキャアキャアいいながら、カレーを入れはじめた。 「ありがと」 まるで学生食堂だ。 行きつけの店というのよ 。いい。なぜなら、その町を親しく感じさ「若いわね」 せてくれるから。帰ってきたとき、何事もなく自分を受けいれてく頬づえをつきながら、サチコ。 れるから。留守のあいだじゅう、ずっと町はそこにあって、何ひと「気にいらないの ? 」と・ほく。 っ変わらなかったのだと思わせてくれるから。それは、自分という サチコはちょっとため息をついた。 存在への自信につながっている。″浮かれ小島″に住む人間にとっ 「ちがうのよ。年代の差って、あるのよね。出会うと肌ざわりがザ てそれは、何より必要なことなのだ。 ラつくの」 「マスター、紅茶いれてよ」とぼく。 たぶん、ぼくの母親のことを言っているんだと思う。言い忘れて 「いいとも」 いたような気がするが、サチコは・ほくの奥さんなのだ。つまり、。ほ マスターはテー・フルからお尻を離して、カウンターの中に入っくの母とは嫁姑の間柄で、それなりの確執があるわけだ。 マスターがお茶を運んできた。 そのときドアがチャリンと勢いよく鳴って、三人組の太めの女の「今日はウェッジ・ウッドね。このまえは」 子たちがドャドャ入ってきた。どう見ても顏なじみではない。テー 「ノリタケだったのに」とサチコの言葉を引きついでぼく。 ・フルについて、水が出てくるのを待っている。マシンガンのよう「紅茶は器の魅力が半分なんだ」とマスター に、大きなつばをとばし合いながら、間断なくしゃべっている。 二つのティカツ。フからは、適度に湯気が立ちの・ほっている。なん サチコが苛々して、テープルをげんこつでカンカンたたいた。 とも上品な透みきつ、た色をしている。 「あんたたち、ここ、セルフサーヴィスよ」 「ああ : : : 把つ手まで、あったかいわ」 し」 こ 0 4 6
わが意を得たりと、マスターはニッコリした。 「一番大切なことは、ティカツ。フもポットもあっためることでね」 「ねえ、これ、どういう・フレンドなわけ ? 」 サチコは顔全体で紅茶の味を賞賛している。・ほくだって同し気持郊外へむかう電車に乗って、十七「めの駅 ( 各停しかとまらな い ) でおり、約十六分歩く ちだ。 そこに、・ほくらの家がある。 マスターは、シャワーをあびたタンポポのように笑った。そして 家じゃない、土地だ。土地を買ったら、家まで手がまわらなくな 何ともこたえなかった。 ったのだ。 「まあ、秘密主義ねえ : : : 半分はダージリンの香りなんだけど」 しようがないから、買った土地に、官給品の宇宙船をとめてあ 「インド系だとすると、ニルギリ、アッサム ? : : : 」 る。この宇宙船というのが典型的なアダムスキータイ。フの円盤で 「なんでもいいけれど、あなたって、ほんとに天才的」 、、どっこ。・まくはすぐさま訂正した。 ( 恥すかしい ) 、まわりの小じんまりした住宅街にそぐわないこと 不用意なことばづ力しナナー おびただしい。 「ほんとに天才だ、うん」 それでもいちおう二階建て、広めのなんだけど。当然なが ちょっとアクセントが軽薄だったかな。 マスターはビアノを磨きに行ってしまった。自我が傷つくとビアら、サチコは満足していない。 「ただいま。お客さんだよ」 ノに逃避するのだ。 おふくろはラジェンドラ人を見て、もろにいやそうな顔をした。 三人の女の子たちはカレーを口に運びながら、たいそうにぎやか 古いタイ。フの人間だから、差別意識がむきだしになってるのにも気 だった。どういう舌をしてるんだろう。 づかない。 「さよなら ! 」 おふくろはひごろ敵同士のサチコに救いをもとめた。 やがて・ほくは立ちあがって手をふった。 「佐智子さん、なにか臭いませんか」 サチコはラジェンドラ人をゆすり起こした。 、え」サチコはこたえ、「あたし、お茶でも入れますわー 「またな」 おふくろは困ったように・ほくを見・つめた。 マスターはウインクを返してよこす。 「その人、大きすぎないかい ? 」 「紅茶 : : : 飲みそこねた」 しいかげんに名まえ、おぼえてよ」とぼく。「す 「彼女はヘルダ。 ラジェンドラ人が、ほてったロで言った。 わるよ」 八畳ばかりのダイニングには、四人掛けのムク材のテーゾルがひ 5 6
まったく、自分の語彙の豊かさに、あきれかえるよ。 てね。それが卵を生むの。クラスの子はみんなもらえるんだけれ 0 9 それでもマスターはうれしそうだった。そして彼は、ついにそのど、その順番が男の子からなのね、しかも、生年月日の早い順から 理由を口走ってしまった。 なの。あたし、女の子で、三月生まれでしよ、一年がおわるまでに 「きいてくれ、順番がきたんだ ! 」 卵がもらえるかどうか、不安で不安でしようがなかった : : : 」 順番というのはもちろん・・・ーー自分が入るべき肉体がまわってきた ぼくは心配になってたずねた。 「で、もらえたの ? 」 って意味だ。つまり、あちらの世界に誕生できるってことだ ! 「ヤッホー いつだい ! 」 サチコは素敵な笑みをうかべた。 : ええ」 「ね、いつなの ? 」 サチコと・ほくが同時にさけんだ。 ヘルダは眠りをさまたげられて、うっすら目をひらく。 「あした、さ」 ・ほくたち二人はヘルダと勘定を残して″ハン・フルグ〃をあとにし マスターがこたえた。 た。どうしてもサチコとふたりで散歩をしたくなったから。 「そうか、おめでとさん」 それにマスターとは自然な感じで別れたかったから。 「よかったわね : : : 」 ヘルダに店の勘定をまかしたのは、彼女が高橋家の一カ月分の食 ・ほくらは口々にお祝いをいし ちょっぴりうらやんだ。べつに今糧を、たった三回で喰いつくしたせいでーーー正しいことをしたと思 がいやだっていうわけじゃない。 コンーロッドの仕事をしているっている。 サチコは黙って、・ほくの左側を歩いている。 と、あんなところに生まれたらどうしようとか思ったりする。だけ れども、新しく生まれることは、やはり、喜びであり、楽しみでも人間は一度くたばると、ちょっとは利口になるものらしい。ぼく ある。 もサチコもそうだった。こうやって人間は何度も何度もくたばり、 「そうか、じゃあ、今日で、このカレーともお別れか」 生き返り、だんだん階段をの・ほってゆくのだ。階段をの・ほりつづ ・ほくの口調には心底残念そうなひびきがあったんだろう、マスタけ、の・ほりつめ、あるとき、こっぜんと、この両方の世界から姿を ーは満足そうにため息をついた。 けす。きっとテストに合格して、もっと上の世界に入るんだろうー 「おれたちは、いったいいつごろになるのかねえ ? 」 ーと・ほくらは噂している。 ・ほくはサチコの顔をのそきこんだ。 ばくらのあずかり知らぬ何かの偶然で、不具の肉体をもらうこと サチコは言った。 もあるだろう。あるいは苛酷な運命のもとで、生命以外のすべてを 「昔ね、幼稚園のころね、クラスのみんなでニワトリを二羽かって失うこともあるたろう。けれども、最後まで生き抜いた人間の魂は
も。 サチコは地球人の子どものカゾセルを指差した。 「みたい、 というのは修辞的な言いまわしです」 「まるでおサルさん」 サチコがきっちり答えた。だいたいサチコの性格の基本路線とい うのま、 ぼくものそきこんだ。 ーしいかげんで事なかれ主義でウソつきでかっこわるいこと したくない というところなのだが、ときおり、気が狂ったみた「まあ、生まれたばっかなんだし」 マスターはもっと崇高なことを言ったような気がするのだけれ いに自己主張をはじめる。ものすごくカッコワルイのに。 赤ん坊たちは小さな卵型のカプセルに入っていた。外からはよくど。まあいいだろう。 見えるが、内側からは暗くて何も見えないはずだ。それに、連中は赤ん坊は、まだ赤ん坊というより、胎児という感じだった。グニ ョグニョしていて、しわだらけで、濡れていて、大きな眼球がまぶ 生まれたばかりの時のままに冷凍 ( ことばが悪いな、時間凍結 ? ) されているから、静かなもんである。 たの上からもはっきりわかった。 「そこのサラダとイチゴ、ちゃんとさらえてちょうだいね」 ラジェンドラ人は、うがいを終えた水割りをそのまんまグビグビ サチコがダンポールをたたみながら、命令する。 飲みほした。 ラジェンドラ人が、ぼんやりした目つきで、木をくり抜いただけ おふくろの眉間に深いたてしわが二本入る。ゴルゴみたいに。 のサラダボールを見つめ、突然、中身をぜんぶ、ロの中へ流し込ん 「やれやれー ぼくはため息をつき、みんなのへやのわりふりを発表した。 結局、・ほくとサチコが二階のひとへや、ラジェンドラ人も二階、 「まるでパキューム・カーだね」 こおふくろが一階のダイニングのとなりのへやを使うことになった。 おふくろが腰に手をあててうなった。おそろしく姿勢がいし 「出発はあしたの朝だからね」 の世代の女の人がこういうポーズをとると、おそろしくたくましい ぼくは宣言して、ヘルダといっしょにらせん階段をのぼっていっ 感じがする。たしか、ウルトラマンが空へ飛びたっ寸前のポーズな んだ、これは。 ・ほくはあわててイチゴの皿を確保した。 ・ほくが最後にふり返ったとき、ダンポールをすてるかどうかで、 ヘルダなら、鼻息だけでイチゴをぼんぼん吸いこんでしまうかサチコとおふくろが口論をはじめた。・ほくは能面のような顏をつく 階段をのぼるという作業に没頭した。 彼女は水割りでうがいをはじめた。 その雷鳴のような音のあい間に、サチコが言った。 「マスターの言ったとおりね」 「なにが ? 」とぼく。 こ 0 次の日の朝、ラジェンドラ人のあくびの震動で目がさめた。 8 6
う古いコビーの古い看板がかかげてある。これはどうやらポルノ 映画館の方角を差しているらしい。が、すでに劇場はなくなってし まっている。人に教えるときは必ず、この腐った看板を使う。 駅からは十五分ばかりかかる。たぶん、不動産屋なら、徒歩八分ぼくたちは、その道を右へ入った。よくあることだが、わき道は メイン・ストリート なんて書くだろう。 の七分の一くらいの幅しかない。けれども、わ ゆるやかな広い坂道をのぼる。両端にけっこうゆったりした歩道き道の方が歩くにはうんと楽しいのだ。タめし時の住宅街なんて、 があって、青い若芽をつけた街路樹と赤いジュラルミン製の電話ポ最高だ。 ックスが、二十対一の割合で並んでいる。 しばらく行くと、カレーの匂いがただよいはじめる。胃液をしぼ 自転車で駆け抜けるには少しきつい坂を、ぼくたちはゆっくり歩 りだすようなその匂いは、しだいに濃厚になる。ときどきは涼やか いていった。 なビアノの音色が混じっていたりする。今日は純粋にカレーの香り 今日はずいぶん暖かくなって、人出も多い。昼間はショッビング だけだ。それでも、・ほくらはフェロモンにひかれる雄・ハチみたい に頭がくらくらし、理性を失う。 とケーキ十コーヒーの町だから、家族連れが多い。休みの日は特に カレーが一種類、紅 ″ハン・フルグ〃は、ドイツ料理の店ではない。 そうだ。 ぼくは満足していた。少しばかり、道行く人々の注目を集めてい茶が二種類だけの店だ。そしてこの三つのメニ = ウというのが、絶 たから。ぼくは、ラジェンドラ人の女の子を連れて歩いているの品なのだ。 マスターは、グランドビアノを拭いていた。気やすく″。ヒアノ″ ト・グランド 。しオし。スタインウェイ製コンサー などと言ってよ、けよ、 背丈はだいたいに まくの四割増し、体重は四倍。しつぼがある。な である。それも製造番号が四十万代という時代もので、マスターに ・せ、目立つか、なんとなく、わかるはずだ。 水素自動車の軽快な群れが、どっと走り出す。スクライフル交差よると″由緒正しい令嬢″なのだそうだ。今、彼は、彼女のまっ里 いだいこん足に抱きつくようにして、一心不乱にそうじをして 点で、ぼくたちは立ち止まった。ほんとに色とりどりのオモチャみ る。ビアノ・フェチだから、日に三回は儀式にのっとって全身磨き たいな車が、・フン・フンいいながら駆けまわるのをながめた。 信号が青に変わり、ぼくらは再び歩き出す。ラジ = ンドラ人の女たてなければ気がすまないのだ。 カレーは白いごはんで食うのが、一番うまい まくの二・五倍。歩くたびにグ の子ーーーヘルダの歩幅は、だいたいに ・ほくはごはんを装い、その上にしゃぶしゃぶのカレーをかけた。 レイの毛皮が、波打つようにうねる。そのうねり方がどれほど芸術 それを二人前。小麦粉を使わないから、粘りがないのだ。そして舌 的なものか、いちど・ほくは高速度撮影してみようと思っている。 、つも・ほくは、あふあふいいながら、 がしびれるくらい、うまい。し 坂をの・ほりき「たとこら〈んに、 " あなたの夜のお友だち。と ピア / ・レッグ 6
ているーー″城″は、地上から二メートルばかり離れた空間で静止 「ここは、わたしたちの、土地なんだよ ! 」おふくろが言った、 していた。そして、突然、外側の漆喰がパラバラくずれはじめたー 「ちゃんと不動産屋さんを通して、買ったんだよ」 「はっー いや、くずれているのではない、空中に溶けはじめているのだ : ・ : ・城の鋭い尖塔はねしれ、たちまち蒸発していった。 女の方が鼻先で笑った。 城はすでに巨大な岩のかたまりにしか見えなかったーー・そして、 「そんなもん、どこにあんのよ ! 」 あるさ。ぼくらの頭の中に。銀行も、不動産屋も、町も。・ほくらそれがぜんぶ溶けきってしまうには、もう二分もかからないように は仕事をして、金をためて、信用をつくって、金を借りて、この土思われた。熱と轟音が渦巻いていた。 「シャーロット」 地をやっと手に入れた。 人間は、何か、規制をもうけて生きなければ、精神がふやけてしすべてが終わってから、ぼくはサチコに呼びかけた。 まうから。くたばるまで、どうしようもないわがまま娘だったサチ サチコはこたえた。 コは、こちらへきてから、世代も考え方もちがうおふくろと同居で「好きなのよ。あなた、こっちのほうがいい そう言って、彼女は自分の顔をエリザベス・テイラーに変えて見 きるようになった。 ここ , ーー死後の世界は、豊かだ。考えるだけで顔やスタイルを変せたが、うろお・ほえだったらしく、芸能時評の一コママンガよりひ どい出来だった。 えることも、無からものを取りだすこともできる。だから : ぼくらは、宇宙船家を、ばくらの土地の上にそっと置いた。そ 「そら、消えうせな ! 」 して大そうじをはじめた。おふくろはお隣りにあずけた貝割れ大根 女が、千年の恋も醒めるような悪声でわめいた。 次の瞬間、男がラジェンドラ人の姿を見つけた。男の表情が凍りつをとりもどしてきた。太った猫みたいに満足げだった。 それから、みんなでタめしをつくった。 いた ( やれやれ、表情が凍りついてたほうが、うんとハンサムたよ ) 。 友だちや家族といっしょにメシを喰うことほど、楽しいことはな 「行こう」 男が女の腕をひつばった。女は信じられないくらい素直にうなす ・ほくは何をつくったと思う ? いて、玄関 ( 城門 ? ) からとびだした。 豆腐とアポガドのサラダを山ほど。ェビをすりつぶし、わさびを 規制のない世界では、守るべきものすらなくなってしまう。そし てなにが美しくて、なにが美しくないのか、という価値基準すら失きかしたソースをどちゃとぶつかける。死ぬほどうまい。マスタ】 のカレーとくらべたって、遜色ないほど。 われてしまう。それはとても寂しいことだと思う。 サチコは、醜悪な″城〃を、思念のかたまりで、土地から持ち上「でも、早くうちがほしいわねえ」 おふくろがナ。フキンをたたみながら、言った。 げたーーーあの、ひかりにつつまれたオーラが、全身からたちの・ほっ 7 8
づかないようなコンクリート製の電信柱。その足元のアスファルト とつ。『強力ネ・ハネ。ハちゃん』で足を床に接着してしまっている。 が盛りあが「てひび割れているのは、去年の夏、雑草が突きやぶつ なにしろ空飛ぶ家だからしかたがない。接着一秒、二度と離れない わンというコビーのとおりで、どんなアクロバット飛行にも吹っとたせいだ。どこかの大が放っていったフンがひからびている。 んでいったりしない。 気がつくと、ヘルダは何も食べていなかった。ずいぶん長い間 おふくろは怪物から家を守るのをあきらめ、今度は主婦の座を守 ( ここんとこ一カ月ばかり ) 躁状態だったから、ついに鬱に転落し ″ハンプルグ″のカレーを たのかもしれない。たぶんそうだろう。 るために台所へ突進した。不機嫌そうな会話がはしまった。 五杯しか食べなかったのもおかしいし。 「お塩かげん、きっすぎますよ」 まあ、ヘルダの鬱状態というのは、最盛期の躁にくらべれば、百 「あら、そうですか」 倍くらい扱いやすい。だいたいが繊細さに少し不自由している性格 「脳卒中で、あの世ゆきですよ」 だから。テイラノザウルスのようなしつばの先まで気がまわらない 「おかあさん、死にやしませんよ」 のだ。特にこういう狭い家では、それは致命的な欠陥なのであるー サチコはおかしそうに笑った。 キ / ツアイ やがて出てきたのは、イチゴが山盛り、サチコお得意の芹菜と中 国ラディッシ、のサラダ、そしてウーロン茶か水割り。いったい何おふくろは鼻にしわをよせると、立ちあがり、換気扇をまわしに 行った。 に塩を入れすぎたのかな。 まあ、ヘルダがちょっとにおうことはぼくも認めるけれどさ。 四人はそれそれの席に着いた。 それにしても、あの気の強さはどうだ。そういえばおふくろは 「″ハン・フルグ〃の唯一の難点は、生野菜不足ね」 「広明や、おまえは橋の下だよ」なんて、根源的な恐怖を五歳のぼ サチコは言って、しんとした中でパリバ丿 ー食べつづけた。 くにふきこむのが趣味だったな。 太めに切ったチーズケーキのような形のダイニング・ルームの壁 はシャッターが開いていて、春の終わり、夏のはじめのタ陽の発し「仕事なんだよ、かあさん」 ・ほくは、なかなか帰ってこないおふくろに言った。 ている色が見える。その色は空気の分子ひとつひとつまで染めあげ 「そうかい」おふくろは遠くから返事をした。「また、家ごと翔ん て、あたりに充満していた。それは、きわめて彩度のすぐれた、だ でくわけだね ! 」 いだいビンクだった。 あきらかに機嫌の悪い声だった。ぼくはためしに言ってみた。 誰がつくったのか知らないけれど、まったくーー芸術家はマスタ 「かあさんは居残っていいんだよ」 , ーだけじゃないんだなあ。 ・ほくは空気の色と、肩をよせあうようにして建ちならんでいる家おふくろは顔をのぞかせた。眉間にしわがよっている。 家の風景に心が疼いた。″通学路″と書かれた黄色い標識。誰も気「家ごと翔んでくんだろ ! 」
「そんなこたあ、あんたが心配しなくてもいいんだよ、とつつあ便器に座った。両手を行儀よくひざの上に置いて、かしこまってい る。レイクは思わず苦笑した。 ん」 相手を落ち着かせるための、営業用の徴笑を満面に浮かべて、レ 「なあ、とつつあん。二つばかり約東してくれないか ? 大声を出 イクが話しかける。その間に、・ シムがさっそく管理人室を調べはじさない。逃げ出さない。 そうしてくれるんなら、おれも、あん めた。レイクは言った。 たを縛ったりする手間を、かけなくてもすむんでね」 「おとなしくしてれば、何もしやしないよ。年寄りを痛めつける趣「あ、ああ。ああ、もちろん、約東するとも。マリヤ様に誓って」 味はないんだ。あんたも、もう英雄になりたがるって年でもないだ男は、首がおっこちそうな勢いで、がくがくとうなずいた。 「じゃ、ちょっとの間のしんぼうだからな。まあ、退屈だろうか 「ああ。もちろんさ。もうじき下の娘に孫が生れるんだ。馬鹿な真ら、これでも読んでるこった。一服してる間にや、片づいてる」 似はしねえよ。約東する」 レイクは、テー・フルの上にあった朝刊を男に手渡して、トイレの 男は熱心にうけあった。 ドアを閉めた。強力な粘着テー。フで、外側から戸じまりする。配電 盤をいじくっているジムに、 「オーケイ。いい心がけだ。長生きできるぜ、とつつあん」 「あったそ、レイク」 「旦那。ここはまかせたぜ」 ジムが、部屋の角から声をかけてきた。 「オーケイ」 「まちがいない。事務棟の配電盤だ。火災報知器のマスター・スイ ジムが親指を立てた。同じ合図を返して、管理人室を出た。 ッチも一緒だぜ」 スタジアム開場までは、まだ一時間近くあった。事務所の職員た 「そ、つよ、 じゃあ、とつつあん、年寄りにこんなことちは、チケットの手配などに出払っていて、事務棟は無人に近い状 をするのは、気がすすまないんだが、おれたちの立場もわかってく態だった。もちろん、現金が持ちこまれる前の集計室を見張ろうと れるだろ ? 」 いう、仕事熱心なガードマンなど、一人もいない。 「な、なにをしようって言うんで : ・ : ・」 レイクは、誰にも見られることなく、楽々と事務所に入りこん 男は、一瞬、おびえをみせてあとずさった。 だ。二階の集計室には、ジェーンが先に来て、両手を腰に、室内を 「たいしてむずかしいことじゃない。おれたちの用事がすむまで、見回していた、レイクの気配にふり返って、片手をあげる。 ちょっとの間、・ とこかでのんびり休んでてくれればいいんだ。そう「ハイ」 だな、うん、あのトイレン中がいい」 「やあ。どんな具合いだい ? 」 「わ、わかった。わかったよ、若いの」 ジェーンのとなりに立って、レイクも集計室を見回した。さして 男は、レイクが強制するまでもなく、自分からトイレに入って、広くもない部屋の中央に、大きなテー・フルが置かれている。この上 ー 50