作家 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1983年8月号

5 判変型 / 国書刊行会 ) ビル・。フロンジーニ & リー・マレッ、、、 ヒ『 1 ダースの未来』 レ アンダースン夫妻の「マーフィーの広間」 は、おそらくカレン・アンダースンのものと 思えるさわやかな文体が印象的。〈失敗する 可能性のあることは、かならず失敗する〉と いうマーフィーの法則を題材にした、皮肉で ちょっと悲しいお話。本篇中、最高の作品と このアンソロジーの編者でもあるプロンジ ニとマルツ。ハーグによる「。フローズ・ボウ ミステリ作家の。フロンジーニが、どこ までにせまれるか、と醒めた目で読みは 佐藤文男 じめたが、これがなかなかの傑作。なんと本 誌八一年十月号に掲載された作品だった。小 ののユーモアの波長が合わないので、何も伝 合作アンソロジ ー。なかなか読みごた説家が竸技場で、小説書き競争をするというわってこない。 えがあった。 ナンセンスな話だが、笑いよりも、もっと切 ジェイムズ・プリッシュとデーモン・ナイ 前半を読み終えた時点で、なるほど個性の実な共感を誘う。タイプライターに向かっト の「虎に乗る」。これも、まあなんだろ 強い作家が共同で一つの物に取り組むと、アて、快調なペースで三流を打ち出し続けうな、と変な読後感を味わった普通の作品。 マック・レナルズとフレドリック・・フラウ クの抜けた、都会的センスの、軽い作品になていた一方の競技者が、勝利の寸前、クズだ るのだな、と感じた。いかにも仲のいい友人クズだを連打して敗北してしまう。作家の悲ンは、人種問題をしゃれた感覚で扱った「暗 同士が、・フランデー・グラス片手にしゃれた哀が伝わってくるような話。 い間奏曲」。おもわずニャリとさせられる。 冗談を言い合っている、そんな印象だった。 ミリアム・アレン・ディフォードとアンン おなじみポールとコーイフルースの「模擬 ところが、後半のページを開くと、がらり砲」は、国家につくすために、国家を裏切らニー ・ハウチャー「宇宙のマリー・セレスト と雰囲気が変わってしまう。テ , ーマが重くなざるを得なかった男の物語。胸を打つ。 号」は、普通のでき。 り、その切り口が複雑化するのである。 ロレンス・・ジャニファーとマイクル・ ランドル・ギャレットと・シルヴァー・、 たとえば、ジャック・ダンとジョージ・ゼカーランドの「初歩」。作家の本音をぶちま ーグは、人間の生命の重さをどう割り切るか ・フロウスキーの「うしろをふりむくな」。極けた、夢オチ、クローンオチ、楽屋オチが入という問題を扱った「決断」。本篇中、唯一 端に切りつめられた文体と、かんなで削り取りまじった不思議な作品。軽いことこの上なの ( ード られたような経済的な描写のために、何が起 く、しかも笑えた。 一九四八年から一九七九年までの作品が集 こったのか良くわからないながら、奇怪で醜何がおもしろいのか良くわからなかったのめられているので、歴史的変化もなんとなく 悪な現代社会の様相を鮮烈に表現している。 は、・プレットナーとクリス・ネヴィルのわかる。 ( 個性の差が激しいので、はっきり いわば詩とでも言いたいような作品で、 「感謝、保証つき」。ルース・アリスンとジとは言い切れない ) かなり贅沢なアンソロジ 何度も読み返すうちに、だんだん感動が深ま = イン・ライスの女性コンビによる「ここに ーだと思うが、副題の「合作ゲーム傑作 レ ってくるという不思議な体験をした。合作に ー丿ーが」。»-a ・ス。フレイグ・ディ・キャ展」はいただけないな。ささいなことだけ よって第三のヴィジョンが発生した好例なのンプとフレッチャー・。フラットの「酒は涙かど。 ( 『 1 ダースの未来』 / 編者日ビル・。フ ・ころう。 幻か」。いずれも、言いたいことはわかるもロンジーニ & 。ハリー ・マルツーグ / 訳者日 物軽展 ! 日 ED ー OMOR 日 0 円 0

2. SFマガジン 1983年8月号

さにあり、まるで巨大な風車に立ち向うドン・ キホーテが近代人のアイロニカルな存在性の象 徴として実に滑稽であるのと共通している。 カート・ヴォネガットは作家に対し、エ ・・ホ 1 ガンについて語る事には、ある リオット・ローズウォ 1 ーター氏を通して次のよ 種のためらいがっきまとう。それは ホーガンが自らの主題を自覚するのは『創世うに語っている。 記機械』からだ。その主題とは″科学″であ わたしはくそったれなきみたちが大好き 細かくいえば科学技術を包含した″科学″ と″われわれⅡ人類″との関係を探究すること だ。わたしはもうきみらの書く本しか読ま ない。無限の時間と距離、決して亡びるこ である。これは、現在のわれわれにとって切実 とのない神秘、これから十億年間ほどの宇 な主題であり、しかも一人の作家が扱うには途 しかし、何かを語らねばならない。 宙の旅が天国行きになるか地獄行きになる 方もなく巨大な主題といえる。僕はホーガンの ・・ホ 1 ガンの作品を前にして、批評家 作品を愛読する者だが、時々、読書中にある種 かをわれわれがいま決定しつつあるという の滑稽感あるいは気恥ずかしさを感じてしま 事実、そうしたことに心をすりへらすほどは無力のようである。たとえば、処女作『星を おっちょこちょいな連中は、きみらだけだ継ぐもの』に続いて二年連続星雲賞受賞作とな う。それはホーガンの取り扱う主題の荒唐無稽 0 連載セミナー⑥ 也者としての科学第 : ゞ 1 あるいは・・ホーガンと 読むことの夢幻 志賀隆生 イラストレーション左治嘉隆 からだ。 ( カ , ート・ヴォネガット『ローズ ウォーターさん、あなたに神のお恵みを』 浅倉久志訳 ) このような地点で、・・ホ 1 ガンは確か に作家である。僕にしても、できることな ら次のように述べるだけですませたい。 ・ほくもくそったれなきみたちが大好きだ。 96

3. SFマガジン 1983年8月号

, 弋てれほーと、ー まず、頭にきたのは、映画、イラスト、アニ草上さんにもっともっとおもしろいものを書い メをかなり馬鹿にしていらっしやるところでてもらいたいだけなんです。草上仁さん、これ 告知板 す。そりゃあ、今のアニメは、しょーもない話からも、がんばって書き続けて下さい。 ( がきんちょ ) ばかりです。一言居士さんのおっしやるとお り、ロポット。フロレスや、設定だけは未来的 で、人間関係はチャイハラ映画の域を越えない お子様ランチ C ハルディオスなんかこれです 8 、原稿の返却はしません。 福島正実記念第一回童話賞 ね ) が、大半を占めています。でも、それだけ 9 、お問いあわせは選考委員会まで。 未刊原稿 ( 四十枚 ) 公募のお知らせ にこれからの可能性が、残されていると思いま 川、選考は選考委員会が責任を持って行いま せんか。 す。選考中、選考についてのお問いあわせ 主催少年文芸作家クラ・フ には応じません。 さらに、映画、イラスト、アニメを消化のよ協力岩崎書店 、発表は一九八四年三月末までに選考経過 いお菓子としながら、コミックをその中に加え選考委員内田庶 / 北川幸比古 / 久米穰 / 中 ていないのはどういうわけでしようか。ひょっ を付して直接通知します。賞の贈呈は四月 尾明 / 光瀬龍 としたら、手塚治虫氏や、萩尾望都氏などに敬 福島正実を記念し、有力な童話作家の九日、未踏忌席上で行ないます。 意を表していらっしやるのでしようか。 、賞は、賞状と賞金十五万円 ( 総額 ) 。受 出現を期待して童話賞を新設しました。 あと一つは、正統辛口ファンの復権を図 賞作は″新どうわ″ ( 少年文芸作家ク ろうではなく、正統辛口ファンを育てよう ラブ編・岩崎書店刊 ) シリーズほかの単行 1 、今までこのジャンルの作品を単行本とし とはいえなかったのでしようか。正統辛口 て出版していない人による、他の作品募集本として岩崎書店が出版し、規定の印税を ファンを、大きな目標としている私としては、 に応じていない作品。同人誌、非商業出版支払います。受賞者は少年文芸作家クラ。フ すごく淋しいことなのです。 員としてむかえます。 で発表した場合はそのむね添記。 いろいろ書きましたが、一言居士さんのおっ 2 、ジャンルは童話。長篇の一部や短篇選考委員より しやる他のことについては、賛成です。②のワ でなく、一作で単行本になりうる内容であ〇というとすぐ連想するような素材を超 タシ、愛読者でえ ~ すでは痛いところをつかれ ること。 えた問題作がこの機会に生まれて欲しいと思 たな、と思いました。とそれ以外の読書の 内田庶 3 、グレード ( 読者対象 ) は、小学一一・三年います。 少なさ、一人の作者へののめりこみ。私にも、 〇子どもにとっては楽しい読物であり、作者 生以上の子ども。 少し共通するところがあって、びくっとしまし 4 、原稿分量は四百字詰用紙で四十枚程度、にとっては作者の思想の個性的表現であれ。 た。こんなミー ハーなんかになりたくありませ 」川幸比古 現実を痛撃すること ! ひとり一篇に限る。 ん。 5 、執筆は、必らず縦書き。はしめに〈福島〇子どもがただ登場するだけでなく、主人公 ・私、草上仁さんの作品が大好きなの 賞応募〉と朱記、次にタイトル、筆名またとして活躍する、夢にあふれた作品を望みま ですが、最近、ちょっと気になることがありま 久米穰 は氏名、本文の順で、末尾に住所電話本す。 す。それは「道化の釘」をのそいた全ての作品 〇おもしろくて 名、性別年齢職業を明記。 が、「ある惑星にいき、そこで奇妙な生物に出 そっとするような発想の作品を 6 、応募受付しめきり一九八三年十月末 会い : ・ : ・」といった展開であることです。七月 中尾明 読みたいものです。 ( 消印有効 ) 号の「サルガッソーの虫」はちょっと違うかな 7 、原稿送り先〒出東京都文京区水道一ー〇新人らしい と思ったのですが、惑星というのを、サルガッ いきいきした作品を 九ー一一岩崎書店気付福島正実記念 ソーに置きかえれば、、 しつもと同しです : ・ 光瀬龍 期待します。 童話賞選考委員会 少しばかり、きびしいことをいいましたが、 円 7

4. SFマガジン 1983年8月号

llllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll 篇は、イメージとライトモチーフを反復さ せながら、薬品による知能増進実験が、脱 走兵や良心的兵役拒否者に対して行われる 経過を物語る。その文章は、語り手の知能 の高まりにつれて、ますます味わい深く、 難解なものになってゆく。ファウスト・テ ーマのありとあらゆるパリエーションを彷 彿させるこの作品は、感動的であり、かっ トルール・ド・フォルス 皮肉なカわざである。 今日まで、そのキャリアのすべてを、知 能とその進化のあらゆる方向に関する考察 についやしている S F 作家がいる。フラン トとイアン・ワトスンの二人 で、どちらも超絶的知能形態の可能性に深 い関心を示している。 トの作品の 中では《デューン》三部作と『ドサディ実 験星』 The Do 市石 / 襯厩 ( 1977 ) とに、その主題が最も明確にあらわれてい るが、他の作品にも例外なく見受けられ る。しかしながら、ヴァン・ヴォートと同 様、彼の場合もまた異なる″知能がどの ように機能するか、常に明晰に語っている わけではない。 ートの場合は、述べ ている以上のことを作者が知っているとい わんばかりに、謎めいたヒントや手がかり を多用する。それは彼のフ。ロットにも反映 し、難解な形而上学的思弁とっかみどころ のないスパイ小説もどきの手法とが、時に 困惑するようなかたちで組み合わされる。 にもかかわらず、 ートは発達した知 能の異質さを、時おりきわめて説得力ゆた かに描写している。 ートがほのめかすところを、イア ン・ワトスンは忍耐強く分析し、削りだし ていく。 1978 年現在までの各長篇で、ワト スンは同一テーマをくりかえし取りあげな がら、わずかずっ異なる角度からアプロー チを試みている。超絶的思考という概念に おびえているように思える SF 作家たちと は異なり、彼はそのような発達した知能が XVIII 現在のわれわれ自身にとってどんなに異質 なものか認識したうえで、それを渇望して いる。他の S F 作家の誰にも増して、ワト スンは、精神がどのように働くか、またど のようにその能率をあげ、あるいは方向転 換させるかに興味を持っており、その分析 の道具として、サイバネティックス、人類 学、言語学、心理学、記号論、神経学など から抽出した印象的な知識を披瀝する。 ート同様、彼も野心的な実験に取りく む意気さかんで、なかでも、昔ながらの人 間の論理系統が連鎖的であるのにくらべ、 並列的、側面的、類推的、総合的な過程を たどる超頭脳の思考を描写する試みをな かば成功させている。好例として The E 襯イツ g ( 1973 ) 、 T んに」れれ ( 1977 ) 、 E 襯み 4 ぉ y ( 1977 ) があ る。 多くのユートピアやディストピアでは、 知能検査の問題が持ちあがるが、そのあた りを興味深く分析した評論にキャロライ ン・ H ・ローズの "lntelligence Testing in Utopia ( ェクストラボレーション、 1971 年 12 月号 ) がある。この問題を主眼と した小説として彼女が言及している作品の 中には、ヴィクター ルソーの T ん M ぉ 4 ん可、〃 Cy んツだ ( 1917 ; The 第 0 立ん研 6 C. 詭わ、カート・ヴォ ネガット・ジュニアの『プレイヤー・ビア ノ』刊 r の ( 1952 ; 圜 0 が。 1 イ ) 、 マイクル・ヤングの『メリトクラシーの法 則』 T ん 6 火な the 」左 c ( 1958 ) 、ジョン・ハーシーの The C ん お r ( 1960 ) 、 J ・ T ・マッキントッシ ュのⅣ 0 0 曜 Mind ( 1953 ) があ る。 〔 PN 〕 254 〔次号につづく〕

5. SFマガジン 1983年8月号

ll ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ 作家たちの技巧そのものなのである。とい うのも、 S F では作家の特殊技術が許すか ぎりのまことしやかな説明をつけて不可能 なことを読者に納得させるのが通例なのだ から。ジェイムズ・フ。リッシュはその方法 を使い、《宇宙都市》シリーズの中で、主 に量子力学から借用したいいかげんな科学 を、 S F 読者は反重力は可能だと信じてい るにちがいないという、堂々たる確信のも とに提出した。同じ作品の中でブリッシュ は、一種の味つけとして、それほど説得力 があるわけでもない不死の理論も展開して いる。同じように、 H ・ G ・ウェルズも 『透明人間』 The , ⅳろん Ma れ ( 1897 ) の中で、実に多弁にまじめくさって、光の 屈折作用を論じている。ブリッシュは反重 力を確信していたわけではないし、ウェル ズも不可視を信じていなかったが、彼らの 意図は読者を惑わせ、虚偽によって無知を 助長することではなかった。ブリッシュは 宇宙空間を飛行する都市というイメージに 魅せられていただけだし、ウェルズは服と マスクをとると下にはなにも存在しないと いうイメージが気にいったのだ。中心にあ るイメージを迫真的なものにするために その突破口となる空想的趣向を創案する必 要があったのである。 もっともはっきりした例は、時間旅行だ ろう。時間旅行を扱うサフ・ジャンルは、 S F の中でも昔からとりわけ創造性をかきた てる特性をそなえていた。時間旅行を応用 して、歴史や進化や形而上学に関して多く の真剣な考察がなされてきたーーその 3 点 とも、偉大な始祖、 H ・ G ・ウェルズの 「タイム・マシン」 The T / 〃尾 M c んわ肥 ( 1895 ) の中で扱われている。 S F は科学 啓蒙の役割に固執し、可能性を逸脱したも のに目を向けるべきではない、と主張する 純粋派は、ある面では、 SF のジャンルで 最も緻密な知的作品を排除せざるをえなく XII なる。 もっとはるかに論議の余地の多い空想科 学の例として、 S F にまといついているの は、 ESP やサイ能力である。この能力に 関する真実の情報を隠そうとする科学者た ちの陰謀が存在すると信じるかどうかで、 個々人の反応は大いに異なってくる。この テーマは空想科学ではなく擬似科学に属す ると考える者も多い。アルフレッド・ベス ターやジェイムズ・フ・リッシュのような作 家は、空想科学を扱うのとまったく同様 に、効果的かっ便利なプロット上の便法と して使っている。また、その能力の宣伝布 教をしているように見える作家もいる。と りわけ超人テーマにおいては、そこで扱わ れる科学は空想的というよりも擬似的にな る傾向があり、その意味でははるかに批判 の対象になりやすい。といっても、違いは 紙一重のものにすぎないのだが。 S F 作家は常に、ポプ・ショウの感動的 な「去りにし日々の光」 "Light of Other Days ” ( 1966 ) における嶬スロー・ ガラ ス〃のような空想科学的素材を創案する才 を発揮しているし、時には新しい科学をも 創造する。後者の初期の、しかも今でも最 上のもののひとつは、アルフレッド・ジャ リの、、パタフィジックス〃で、これは空想 的解法の科学である。 アイザック・アジモフは新しい科学を創 造することにかけてはとりわけ精力的で、 ポジトロニクス ( 陽電子ロポット ) や心 理歴史学を考え出した。彼はまた昔ながら の空想科学の人気アイデア、人体縮小化 ( 大と小 ) を『ミクロの決死圏』おⅵじ Voyage ( 1966 ) で使っている。『神々自 身』 T ん Go 7 ' / 尾襯ん ( 1972 ) で は反宇宙へ供給する陽子の見返りに無限 の電力 ( 電子 ) を引き出す、、エレクトロ ン・ポンフ。〃を登場させた。彼の空想科 学の中でも最も奇抜な成功作は "The 2

6. SFマガジン 1983年8月号

川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ聞 な情景が描かれている。もし究極のユート ピアの存在を信じないで、絶え間ない改革 に専念するなら、循環する歴史の車輪に結 びつけられている自分に気付くことになら ないのだろうか ? 他の多くの分野と同じ く、 S F も、既成の価値感を確信的に述べ るよりも、現在の正統的信仰を破壊するほ うがたやすいことに気づいている。とらえ どころのない切望感が偶像破壊小説にはし ばしばっきまとうものだ。 そんなわけで、きわめて独得の連作 7 ' 厖 フイヤー・ピアノ 泳爾トト影を第を三 %PL?AV•ER 要 AN を 0 にすぎず、道徳はいかさまであり、社会は 便宜上のものだということだ。以後の作家 でウェルズほどの極論を説いた者はほとん どいないが、伝道師に対する暴露攻撃は珍 しいわけではない。ハリイ・ハリスンの「異 星の十字架」 "The Streets 0f Ashkelon" ( 1962 ) がその一例である。 ( 宗教 ) しかしながら、宗教的信念に対する攻撃 は、多くの SF が描く痛烈な懐疑論のほん の小部分にすぎない。たとえば、ある人々 がキリストを、、信じる″のとまったく同し ようにして科学を、、信じる″人々がいるこ とも、 SF 作家の目を逃れられない。後者 が新しい知識を受け入れないという態度を とるかぎりでは、彼らも、、偶像破壊″的小 説の目標になるのである。 1953 年から 57 年 にかけて、マーク・クリフトン ( と、その 共作者たち ) は ASF 誌上に、科学とオカ ルトとをないまぜた方法 ( サイ能力 ) で 反重力、テレバシー、不死その他を発見する という一連の作品を発表した。その作品群 の基本的想定のひとつは、そのような発見 はまず熟練した科学者たちから攻撃され、 宗教裁判とはまた別の異端者弾圧があると いう点だ。現代の信仰の中で最も強固に違 いないこの科学への攻撃は、それなりに大 胆だが、時として、ひどく単純化されたも のに思える。これらの作品では真実がどこ にあるかということについて、まったく懐 疑の念が伝わってこないからである。作者 たちは、分別のある人間は常に変化に味方 する側に立つはずだ、と思いこんでいる。 それは単に技術的問題においては真実だろ うが、正常な人々が、たえまのない文化の 変動にどこまで耐えられるか、という疑問 が浮かんでくる。カート・ヴォネガットの 『ブレイヤー・ヒ・アノ』 PI 宅だ乃の zo ( 1952 ) では、反体制の革命がすんで改革 者たちがまずやったことのひとつは、機械 をいしくりまわすことだったという印象的 『フ・レイヤー・ピアノ』 Shrouded ~ la ( 1956 ASF; 1957 ) お よび The のれ g んなん ( 1957 ASF; 1959 ) において、ロノく一ト・ランドル ( ラ ンドル・ギャレットとロスート・シルヴァ グ ) はナイドール星に地球人類の技 術と思想を制限っきで持ちこむことによっ て、異星人たちの安定した神政政治が崩壊 するさまを詳細に描いている。地球人類の 技術と思想をとりいれていくナイドール人 たちは、そのありがたさを認識していな い。物語は緻密で、善意による対立ど、短 期的に見た破壊的結果とを描いて説得力が 268 IV

7. SFマガジン 1983年8月号

ス・フィクションを定義しえようか」 ( 三浦雅わが国の・・ホーガンの人気は凄まし 化した羊類を飼う素朴な牧夫たちの心に非 、。前述したように「星を継ぐもの』と『創世 合理的な陶酔感の傾向を生み出す。 士「私という現象』中「サイエンス・フィクシ ョンまたは隠れたる神」 ) 。 記機械』が第十一「十三回星雲賞海外長篇部門 フィクションはともかく、サイエンスですらを受賞、一九八〇年以来三年間に六冊の長篇が ホ 1 ガンが従来のに対して持っているイ 邦訳されている。星雲賞受賞作の一一作を読む限メージが露骨に出た瞬間といえる。通俗的なセ 究極的中心的定義が存在し得ない。 たとえば、精力的に近代科学の起源を問い続りでは、五〇年代、なかでもハードとンチメンタリズムを右のような科学的形容で表 けている科学史家村上陽一郎は、ケ・フラーやニ名付けられる傾向の作品と共通する部分も多現すること自体の面白さは確かにあるが、この ュートンが活躍した「科学革命」の世紀を詳細く、「かっては非常に繁栄したが、現代ではほような文章表現にはホーガンのように苦笑せざ に検討した後、次のように結論づけている。 ぼ絶減したと信じられている、あの偉大な古代るを得ない。そして、自作は違うという自負が 種族の直系の子孫」 ( 大野万紀『創世記機械』ホーガンにはある。 一枚岩として近代科学、もしくはその延解説 ) として読まれていたことも理解できる。 長としての一枚岩としての現代科学などとしかし、ホーガンのを単に先祖返りの特異 いうものは一種の虚構にすぎないのであつな現象としてとらえ、最終的に正統な史の て、それは非合理なもの、非論理的なもの中に位置づけることにさほど意味があるとは思 「星を継ぐもの』 ( 他に「ガニメデの優しい巨 えない。 の複合体として存在している。 ( 「近代科学 人』と『巨人たちの星』で三部作をなすが、最 と聖俗革命』 ) ・・ホーガンは一九七〇年代後半に活動後の作品は本稿執筆中に刊行されたもので未 を始めた作家であり、そこには自ずと差異が存読。この三部作については別の機会に論じてみ 在する。われわれはそれを読みとらねばならな たい ) の頃のホーガンには主題としての「科学」 。玉ねぎの皮をむいていくのである。 がそれほど顕著に表われてはいない。科学技術 もちろん、というジャンルがとりとめも 用語はうんざりする程頻出するが、主要な関心 なく錯綜しているといおうとしているのではな は人間ドラマにある。しかし、主題への志向が これまで、そこに実体として、あるいは遠 明確でない分、ホーガンのオリジナルな観念性 近法空間の消失点のようなものとして語られて ・・ホーガンは挑発的な作家である。知が表われている。この点は後で触れることにな きた〉を拒否したいのである。 能コン・ヒュータの開発というシチュエーションるだろう。 とは、・ハルトのいう統一的表面の無限のの中で人類と科学技術の関係の検討を試みた前述したようにホーガンが自分の主題を自覚 連続体、村上のいう複合体にも似た在り方とし「未来の二つの顔』の一節に、助手の書いた文するのは「創世記機械』においてである。科学 ての複数のシステムの統合した場なのである。章を見て主人公が「徴やかな笑み」を浮かべると人類。現在、もっとも切実で、しかも一人の シーンがある。文章とは次のようなものだ。 作家が取扱うには途方もなく巨大な、滑稽でさ えある主題である。 ム陽の連続的な高度低下に伴った大気に 冒頭でも触れたが、ここでいう科学とはテク 旅行の準備はこれくらいでいいだろう ( 僕は よる短波長の顕著な散乱は、六五〇ナノメ ノロジーをも含めた〈科学〉である。かって、 いつも荷物を多くしすぎるという悪癖がある ) 。 , ートル以下の選択的伝達をもたらし、家畜対立する一一項としてとらえられてきた″科学“ ー 03

8. SFマガジン 1983年8月号

立レヒ三ウ 化に隠された思いもかけない ( こともない ) リントン・・べィリーなのだね、と堪能し 真実が露わにされることになる。 てしまうのだけれど、あの長篇がヴァン・ヴ インフラサウンド 可聴下音惑星にはじまって、宇宙での日露オートを ( よくもわるくも ) さらにおかしく 戦争の末裔たちとか、繩の惑星、衣裳を中心したような読後感であったのに、本書の場 とした社会イメージの様々な変奏、エトセト 合、まっさきに頭に浮かんできたのはジャッ ラと、ほうりこまれた魅力的なイメージとアク・ヴァンスのイメージだった。 イデアの数々は、並ののたぶん数倍に及・ほくの持ち前の分類癖を刺激するうえで、 ぶだろう。それにしてはペイリーと思えない連想する作家イメージのこの差はかなり大き くらいよくできた話で、たとえば『時間帝国なものがある。ワイドスクリーン・・ハ の崩壊』だとか先々月号の本誌に載った「シというエタイのしれないシロモノを代表する ティ 5 からの脱出」なんかがいい例だけど、 作家のはずのペイリーだけど、『カエアンの パリントン・ペイリーのに対しては、ア聖衣』でぼくが受けとったのは、おそろしく イデアもものすごい ( これはもちろんホメ言まっとうで、と呼ばれる以上、この程度メルヴィルの中短篇 ? 葉 ) けれども、小説としてもものすごい ( このことはやってもらいたいものだなあ、とこ 聞いただけで首をかしげる方もおられよ れが実はケナシ言葉であるという ) そんな評ころひそかに願っている、けれどもたいてい 判みたいなものができつつあるのだ。アイデ裏切られつづけてきた、こうあるべきだと思 しばしば『白鯨』を的観点よりみる捉 アの奔流、氾温のなか、話が先行きを見失っうけどめったに出会うことのない、そういうえ方はあったにせよ、常識的な史として て立ち往生をしてしまったり、いわくありげ類のだった。ワイドスクリーン・・ハ はやはり十九世紀といえばメアリ・シェリ に登場してきたキャラクターがなんにもしなクだとは思わないけど、今年になって手にし ボウ、ヴェルヌ、ウエルズ。メルヴィル いでいつのまにやら引っこんでしまったりと たなかで、いまのところ最大の収穫であると などはむしろ主流文学史上の人物とかたづけ いったことが往々にある。登場人物の反応の ためらうことなく言いきれる。「オリヴァー てしまうのが当然だった。 ギクシャクとした感触や、古めかしくておど ・ネイラーの内世界」マガジン八〇年 ただし、お断わりしておくが本書をここに ろおどろしい状況設定もそんな評価に輪をか一月号 ) 、「災厄の船」一四号 ) 、そ扱うのは決して「あえて」でも「として けている。そしてそういうことをどうでもいれに前述の一一作品と本書で既訳は全てというも読めるから」でもない。全十五篇中十一一篇 いんだと、言ってのけられるだけの迫力、すことになる。まだまだ全貌がっかみきれなはたしかに非だが、それでも残り三篇は さまじさがある。それがいわゆるワイドスク 。今後の訳出される作品に過大な期待をもまさしく「そのもの」なのである。 リーン・・ハロックということなのだろう、と ってのそんでも、たぶん肩すかしをくわされ最もオーソドックスなパタ . ーンは「鐘塔」 そんな気でいた。 ることはなさそうな、そんなたしかな手ごた ( 一八五五年 ) だろうか。時あたかもルネッ だから二つの事件がうまくからみあったりえを感じさせてくれる作家である。 ( 『カエサンス期。偉大なる機械師、棄児としての過 するなんて、ほとんど期待していなかったとアンの聖衣』 / 著者当ハリントン・ *--. ・ペイ去をもつ、、ハンナドンナは、イタリア随一の鐘 ころがある。リアルト・ マストやアレクセイリー / 訳者日冬川亘 / 三四一一頁 / \ 四〇〇 / 塔設計者に選出され、時計じかけの鐘を造る のにいそしむ。その過程で、彼の企てに怖れ ・ヴェレドニエフといった人間がに よくの感じ文庫 / 早川書房 ) をなした職人を一人、殺害さえするのだが、 ていた以上に重い役割を果していて、ストー リーはほんとに気もちよく収東していく。た 機械師の天才を讃えてやまぬ国家はそれさえ しかに『時間帝国の崩壊』同様に、うん、パ 「審美的情熱から突発的に生じた忘我状態に マン・メルヴィル著 『乙女たちの地獄』エ・Ⅱ 巽孝之 8

9. SFマガジン 1983年8月号

第 10 回 多くの SF 作家を輩出した伝統あるコンテ ストです。 SF の未来を切り拓く意欲ある 新人を求めま魂ふるって御応募ください。 ハヤカワ・ SF コンテスト ・入選第一席規 賞品および募 賞金一一〇万円応 ・入選第一一席 賞品および 賞金一〇万円 ・入選第三席 賞品および 賞金五万円 賞 ■未発表の小説にかぎります。 ■枚数四百字詰原稿用紙四十枚以上 百枚まで。 ( 必ず三枚程度の梗概を つけること ) ・締切昭和五十九年三月末日。 ( 当 日消印有効 ) ■発表本誌昭和五十九年十月号誌上 ■宛先〒皿東京都千代田区神田多町 二ー二早川書房第十回「ハヤカ ワ・コンテスト」募集係。 ■原稿は縦書きとし、鉛筆は不可。必 ず右側の二カ所を紐で綴じ、住所、 氏名 ( 本名 ) 、年齢、職業、電話番 号を明記してください。 第該当作のない場合、佳作を何篇か選 ぶこともあります。当該作品には賞 品を進呈します。 ■入選作の著作権および上演、上映権 等、ならびにこの作品から生ずる一 切の権利は早川書房に帰属します。 ■原稿はたとえ返送料が添えてあって も一切返却しません。 ■募集要項および選定結果などについ てのお間合せには一切応じません。 田 0

10. SFマガジン 1983年8月号

〈短篇部門〉 た。題名は『夜明けのロ求ット』 T/ ミえ。・ ・ネビュラ賞発表 『凧揚げ師』 "Kitemaster" キース・ロ・ハ ミ・を 3 % それと同時に新たな 一九八二年度ネビ、ラ賞の受賞作が四月一一 小説を書く契約をも交わした。『ファウンデ 三日ニューヨークで発表された。次の通りで〈メディア部門〉 ーションのはずれ』の売れ行きに気を良くし ある。 「プレードランナー」 たのかすっかりづいているようだ。 〈アーティスト〉 〈ノヴェル〉 めでたくネビュラ賞受賞を果たしたマイク テ - イム・ホワイト / / 『時とのたたかい』ン「。 ~ 。ミ它 B ミゴ、、ミ ル・ビショッ・フの次の単行本は 0 、ミ W ・ マイクル・・ヒショッ。フ ミ・ in E 、 ~ という短篇集で、今年の秋に 〈ノヴェラ〉 ちなみに候補作をあげてみると、長篇部門アーカム・ハウスから出版される。新作長篇 「もう一人の孤児」 "Another Orphan" ジではーー『 リトル、ビッグ』ジョン・クロウもアーカムから来年に出版の予定。タイトル ョン・ケッセル 『聖なる侵入』フィリツ。フ・・ディ は、 Who ン 7 C こミまた、ビ 〈ノヴェレット〉 ック、『リクトルの剣』ジーン・ウルフ。短ショッ。フは一九六〇年から七七年までの間に 「火まもり」 "Fire Watch" コニー・ウィ篇部門ではーー「近未来の神話」・・バ を書き始めた作家のアンソロジーを編集 ラード、「真夏の夜のための序曲」 "Over ・する契約をパ 1 クレーと交わした。このアン 〈ショート・ ture fO 月 a Mid-summer Night's Dream ストーリイ〉 ソロジーには再録とオリジナルの両方が入 「クリアリスからの手紙」 "A LetterFrom アンジェラ・カーター、「偽善者ども」 "The り、『コスミコビア』 C 日、ミ・ co トという Dissemblers" ギャリー コニー・ウィリス the CIearys" ・キルワース、「第仮題がつけられている。 3 のテスト」 "The Third Test" アンドリ アーシュラ・・ル・グインは、現在「マ ュ ・ワイナー。続いてメディア部門ではー ビショップは、オールディスやアシモフ、 ルチ・メディア」小説に取り組んでいる。こ ハインラインといった巨匠を押えて見事受賞 「・」、「マッドマックス 2 」 ( ここれは、詩や散文、イラストなどもろもろのも した。コニー・ウィリスはご覧のように二部でヒューゴー賞のノミネーションについて補のを組み合わせた作品で、『谷』 7 、ミ 門で受賞。一人が二部門で受賞するのは、ネ足。メディア部門にノミネートされていたまミ ley という仮題がつけられている。作品 ビュラ賞が始まって以来六度目である。今年 Road Warrior というのはこの映画のことの舞台となるのは破減的災害にみまわれたカ 「トロン」、それに制作のテ リフォルニアだという。 あたりはヒューゴー賞とのダ・フリが少ないのでした ) 、 レイ・プラッドベリは現在探偵小説、オペ ' / ではないかという気がするのだが、はたしてレビ映画、 ~ ミ、 ~ ミ・ F 、号 For om ~ ・、 ~ 。 どうなるだろうか。 ラ、そして「リトル・ニモ」の映画化の脚本 というわけで今回は全くイギリス独自の結を執筆中。 ・イギリス協会賞 ーマンⅢ」のノヴェライゼーション 果となった。イギリスで大ベストセラーとな「スー。ハ こちらイギリスでも一九八二年度イギリス ったオールディスの作品の受賞はまあ当然とを「・」に引き続いてウィリアム・コッ 協会賞が発表されている。受賞作は次の一一一口えるだろう。 ツインクルが書くことになった。六月の映画 通り。 公開にあわせて出版される。 ・作家ニュース 〈長篇部門〉 ( 島田武 ) 『ヘリコニアの春』 II. ミ ~ ~ ・ 3 、 ~ S トこ・、 ~ g プ アイザック・アシモフが、「ロ・ホット刑事 ライアン・オールディス もの」の新作を完成し、出版社にひき渡し 8 2