年 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1983年9月号
264件見つかりました。

1. SFマガジン 1983年9月号

ゲームへの招待 連載・おもちゃの兵隊の宇宙創造 安田均 第 2 回キャラクター・ケームの世界 いや何がって、したけれども、このコラムみたいに二色刷ペ ついに出ましたねえー ージ連載なんてことは当分ないだろう ( 純粋 マガジン臨時増刊号「キャプテン・フュー ・ハンドブック」のこと。雑誌自体ハマニアの方、どうそ石を投げないでくだ ミルトン大好き人間の・ほくには嬉しいのだけさい ) 。 だけど、今回のゲームに限らず、驚くのは れど ( 山本さん、川合さん、「ソラリス」で またハミルトンの話でもしましよう ) 、何とここ二年ほどに現われた、わが国オリジナル のゲームの多さ ! まったく今昔の感っ ってもビックリしたのは、中にゲームがっ ていうのは、こういうことをさすのだろう いていたこと。それも、よくあるスゴロク・ タイ。フじゃなく、いちおう入門型にはしてあか。たしか二年前 ( 一九八一年 ) の秋には、 シリ オリジナルのゲームと呼べるようなもの るけれどキャプテン・フューチャー ズの『謎の宇宙船強奪団』をシミュレートしは、ちょうどそのころから出はじめたンダ イ社のウォーゲーム・シリーズで『日本列 た立派なゲームなのだ。 アメリカでも ( 先月号で述べたように ) 島沈没』があったくらいである。そのとき ・ルームに ゲームは盛んだが、そこはそれ五〇年以上に、世界大会のハックスター 並んだゲーム・雑誌類の大群を目の当り の雑誌の歴史がある国だけに、中心にい にした・ほくは、少なくともこういう状態が来 るマニアはなかなか頭が固くて「アナログ」 や「」にゲームがはさまることるのに後五年以上はかかるだろうと思ったの など絶対にない。最近こそゲームが無視だが、何のことはない、少し傾向はちがうけ できない影響を小説に与えはじめたこともあれど、わずか二年ほどでわが国も結構それに って、各誌ともレビュー欄や紹介欄を載せだ近い状況になってしまった。ックダホビー カンダム、サ、フングル、マクロス・ この数年のうちに続々とあらわれた わか国オリジナル U)LL ゲームの多さは 目をみはるばかり。今回は、これら、 キャラクター中心につくられた シュミレーションケームをどっさり紹介ー

2. SFマガジン 1983年9月号

ない国のひとつだった。これは日本人が新 しいものの考え方一一一つまり、とてつもな く混沌とした宇宙に科学的合理主義の光を あてようとする態度一一を受けつけなかっ たからではない。じっさい日本 S F の歴史 は、ジュール・ヴェルヌが翻訳紹介される 1870 年代以降、日本が猛烈な近代化をすす めていた時期に早くも幕をあけている。押 川春浪 ( 1876 ー 1914 ) をはじめとする最初 期の国産 SF 作家たちには、ヴェルヌの強 い影響がうかがえる。押川の代表作のひと っ『海底軍艦』 ( 1900 ) は、日本とロシア の対立を取りあげた未来軍事小説 ( 戦 争 ) で、 184 年から 05 年にかけての現実の 日露戦争を事実上予言していた。 2 つの世界大戦にはさまれた時代にも、 本格 S F とファンタジイの書き手がいくた りか登場した。その中で人気・カ量ともに 群を抜いていたのは海野十三 ( 1897 ー 1949 ) この読者層をもとに、売れゆきのよい S F 叢書がまもなく誕生する。早川書房発 行のハヤカワ・ S F ・シリーズ ( 1957 ー 74 ) で、 20 年足らずのうちに こから で、ヒュ ・ガーンズノくックのアメー ジング・ストーリーズ誌に影響され、未来 テクノロジーの驚異を描きだした。海野の 数多い著作のうち、特に有名なのは『地球 盗難』 ( 1936 ) と『四次元漂流』 ( 1946 ) だが、文学的には高い評価を受けてはいな しかし SF が真の意味で広く人気を得る のは、第 2 次世界大戦のあとからである。 これは駐留アメリカ軍が捨てた SF べ ーパックの氾濫によるところが大きく、大 都市古書店の棚を埋める本に刺激され、翻 訳叢書の刊行に乗りだす意欲的な出版社が ちらほら現われた。こうした試みのほとん どは、売れゆきも伸びず失敗に終わった が、その中で特筆してよいのは、アメージ ング誌からのアンソロジー 7 点 ( すべて 195 のと、元々社《最新科学小説全集》 20 点 ( 1956 ー 57 ) である。この 2 つの叢書を きっかけに、日本にも少なからぬ SF 読者 が育ちはじめた。 XII 318 点の S F が刊行された。その大半は翻 訳だが、中には約 50 点のオリジナル作品も 含まれていた。姉妹シリーズ、ハヤカワ S F 文庫もすでに 200 点に達している。 1963 年には早川書房に対抗して、東京創元社が 翻訳ものの刊行に乗りだした。創元推理文 庫の SF 部門がそれで、エドガー・ライス ・パローズ ( 《火星》シリーズ ) や E ・ E 、、ドック″スミスを呼び物に 200 点を数え ている。最近では、ほかにも翻訳叢書を刊 行する出版社がふえている。 また 1957 年には、同人誌《宇宙塵》が創 刊され、日本人のオリジナル作品を掲載し はじめた。現在活躍する日本人 SF 作家の 半数以上は、同誌からスタートしている。 1960 年になると、日本で商業的にはじめて 成功した S F 専門誌が、早川書房から発行 される。《 S F マガジン》は F & S F 誌の 日本語版として始まったが、まもなくオリ ジナル作品ものせるようになった。 1960 年 代末においては、若手作家が《宇宙塵》に 小説を発表し、やがて《 S F マガジン》へ と卒業するのが通例のコースであった。同 誌の成功は、 1977 年 9 月の時点で 226 号に 達していることからも明らかだろう。 2 番 目の S F 専門誌《奇想天外》は 1975 年にス タート、 10 号で休刊の憂き目にあったが、 1976 年に復刊された。 再刊とジュヴナイル ( たとえばハヤカワ S F 文庫のドイツ製《ペリー・ローダン》 シリーズ ) を除けば、現在日本では、毎年 200 点前後の S F 単行本が発行されている。 ただしこの数字は、 S F とノン S F の境界 をどこにとるかによって、多少の変動があ る。 ドカバーとべーパーパックは、日 本の出版形態では区別がつけがたいが、年 260

3. SFマガジン 1983年9月号

「どうして、私たちを射つんです ? 私たちの、何がいけないんで尼だった、とあんたはいった、婆さんーーー俺だって、俺でさえ、 八百比丘尼の伝説ぐらいはきいたことがある。そしてーーーそして、 5 2 「それは こっちのいうことだ。どうしてだ どうしてなんあんたは、オランダ人だ、といったな、爺さん : : : 俺は、あまりに ばかばかしくて、どうしても信じる気になれなかったさーーだがど トウルは肩で息をしながらいった。 うしてもそうとしか思えない。そうでなくちゃ、辻つまがあわない 「もう、しらばっくれるのはごめんだ。婆さん、あんた、あの二十からだ 年前のとき何といったーーー尼だったから、子どもはできなかった。 さまよえるオランダ人。さまよえるオランダ人と、人魚の肉をく そしてーーそのあと、ヒロシマにゆきあたって、神仏に見切りをつ った八百比丘尼が、二十一世紀の日本で夫婦になって、峠の茶屋の けて還俗したーーーそういったな。ヒロシマだって ? ヒロシマ おやじとおかみをやってるなんざ、あよっとした三題噺だがーーし そいつは、あのときでさえ四十年、いまからは、六十年も昔の話かし考えてみりゃあ、そんな同じような長命伝説、メトセラの子ら だ。そのときもう子供の生める年じゃなかったっていうんなら の云いったえが、各国に別々に存在していることじたいが何かおか 婆さん、云ってみろ。あんたは、いま、何歳なんだ。百か。二百歳しいんだ。人魚の肉をくったの、神を冒濱したのと思わず、この地 か。三百歳ーーそれとももっとか。それにあんたはあのとき何とい球には、もとからいたのか、それともよその星からとんできたのか った ? お爺さんは、私よりもっとずっと年をとってる、そういっ知らないが、長命族とでもいうべき不老不死の連中が、ごく少数で たなーーーもしそうなら、あんたはーーあんたたちは人間じゃない。 もいたんだと思ゃーーーこれでぜんぶの平仄があうじゃないか。長い 人間はそんなに長くは生きられない。それにーー、そうだ、俺だって長い、何千年、何百年という年月を、別々にさまよってきた長命族 自分のいってることがどんなにばかばかしいかわかってるさ。だの男と長命族の女とが、その気のとおくなるような年月のはてにや が、いろいろ考えれば考えるほどそうとしか思えない。俺は郷土史っとめぐりあい、夫婦になるーーそう考えりや、何ひとつ、おかし を調べてみた ここにこの、峠の茶屋ができたのは、明治のこと いことはない。同じ種族を伴侶にもとめるのは、まして長命という だった。オランダ人のじいさんと、よそものの素性のしれぬばあさ特別な条件があってみりゃあ当然のことだ。そして地上のあちこち んが住みついた、と明治初年の項に書いてある。外人のやる茶屋をにのこってる長命伝説ーーメトラセ、ノア、日本書紀の天皇たち、 珍しがって、はじめのうちたいそう繁昌したが、そのうち老夫婦はそれが人間のあいだに入りこんでくらし、長命なるがゆえにそのう どう どこかへいってしまった、とな。ーー・家はだがのこってた。あんたち長老として遇されるようになった長命族だと考えれば らは、そのあとまた戻ってきて住みついた。それはーーー同じところだ、何もかも、それで説明がつくのじゃないか。 にずっといると、いつまでも いつまでも年をとらず、かわりも それでも、知らんと、 しいはるなら、かまわんさ、射つまで しない姿を見られて、おかしく思われるからじゃないのか。 だ。俺はどうせもうこの峠をおりてゆけない。行けたところでもう

4. SFマガジン 1983年9月号

いたとぎである。 この山の中では時は止まっているのだろうか・ーーあやしい物思い 裏の戸があいた。 につきあげられながら、彼は招じ入れられるまま、二十年まえに朝 3 2 「おやまあ」 食をよばれた座敷へ入っていった。白髪と青い目の、 いっかの老人 穏かな声がいった が、柱時計の下で、うつらうつらと居眠りをしていたが、彼をみて 「お客さまでしたか。これは失礼ーー水を出していたもんで、きこ ッと目をさまし、おだやかにほおえみかけた。 えなくて」 「ほんとに、よくいらして下さいましたねえ」 トウルは、あっと云った。 ちんまりと座った老婆がいう。 「お婆さん。生きてたんですか」 「そうですか。以前一度いらしたのを、覚えて下さってーーわざわ ざ ? 」 老婆は、びつくりしたように、こちらをすかしみるようなしぐさ気がついていまさらびつくりしたように、切れの長いびとえの目 をした。小さな小さな、時のはざまにほしかためられてしまったよが見開かれる。しだいに、二十年という月日は、なかったことのよ うに思われてくる。 うな、しかし品のよい色白の婆さんだ。」 「あなたは ? 」 「覚えてないでしよう。僕は、一ペん、ここへ来たことがあるんで トウルは、つぶやくように云った。 す。朝めしを食わせてもらいました。 もう、二十年も昔のこと「まさか、元気でやっておいでとは思わなくてーーーしかし、少し になりますが」 も、お変りないですね。まるでーーまるで寒山拾得だ」 どこにも、あのときの凶暴なライダー少年の面影を見出すことは おれには二十年の月日は恐しく長く波乱にとんでいたのだ、トウ できぬだろう トウルは苦く笑った。 ルは思う。それは、十九の、無知で激しいだけの不良少年を、教養 「ええ ? ーーーまあ、そういえばそんなことが : : : そりや、よく寄っゆたかな、しかしやはり激しい四十の男にかえるだけの月日だった。 て下さいました。さ、上って下さいな」 「山河大地をわが子にもてば こちは変わらでいつまでも、です か」 「お爺さんは ? 」 老婆は云った。 「あの人も、達者でおりますよ。さ、上へ」 「へえ 「とんでもない。もう、おじいさんも私もすっかり年をとりました 何をもとめてここへやってきたのか、まさか老夫婦が二人とも元よ。おじいさんもこのごろは、コーラの箱もよう持ちあげません 気で生きながらえて、少しも二十年まえとかわらぬ高砂の尉と姥とよ」 してこの茶屋を営んでいるとは、思いもよらぬことだった。 いらっしやらないでしようね。突 「僕を覚えておいでですかフ

5. SFマガジン 1983年9月号

サイエンス・ファンタジイと呼ばれる華次と生まれました。そこで、これまでは年宇宙の旅』や『スターウォーズ』に接し 麗な冒険を得意とする七〇年代作家のの専門家 ( 作家、アンソロジストなど ) て、はじめてを書きだした作家も多く 人気が爆発した一九八〇年と、アシモフ、 主導のマニア向け企画だった出版も、 登場するようになりました。こうした作家 クラーラ 、 ( インラインらの長老の新作が一般向け主力企画の一つに昇格したので たちは、作品が売れるというのであれば、 ベストセラーを記録した一九八二年との間す。編集者もヒット作を出すよう。フレ喜んで編集者、エージ = ントの助言をいれ にあって、一九八一年のアメリカ TJ には ッシャーをかけられ、作品の質に商品性をたのです。 これといって顕著な特徴的傾向はうかがえ・フラスすること、すなわちプロデ、ース感 こうして、映画やポビュラー音楽と同し ませんでした。けれど、最近の界のさ覚を要求されるようになりました。 ように、近年のはよく。フロデュースさ まざまな動きが適度にパランスよく現れた 一方、作家もまた、作家協会や著作れた、多様性のなかの均質性を保っている 一年だったといえるようです。 権代理人の指導・助言で、よりよい契約のようです。 『スターウォーズ』以後のアメリカ結び方、より売れる本の書き方を覚えるよ 例えば、界の主な賞も、作家、 は、不況下の出版界から格好の新市場と目うになっていました。また、根っからの編集者が集まって選ぶネビラ賞は、品の され、新雑誌や大手出版社の進出が失敗すファンではなく、ある時期に『異星のよい芸術性を意識した作品に与えられ、中 るかたわらで、商業的に成功する作品も次客』や『デ、ーン』、あるいは『 2001 堅から若手に積極的に目を向けています。 ヒューゴー ネビュラ賞 0 4 5

6. SFマガジン 1983年9月号

『日本沈没』 The S 襯 e ・。れ第 の題名で映画化もされた。 ) は、 1974 年、権威あ 半村良 ( 1933 ー る直木賞を SF 作家でははじめて受賞し た。優れたストーリーテラーとして知られ、 その力量は代表作『産霊山秘録』 ( 1973 ) ) に如何なく発揮 と『妖星伝』 ( 1975 ー されている。後者は未完の長篇シリーズ。 2 作とも、古代日本の虚構の歴史を語った ものである。 筒井康隆 ( 1934 ー ) は、ジャーナリズ ムやメディアの暴力を扱った鋭い諷刺作品 で知られ、『ベトナム観光公社』 ( 1967 ) や『俗物図鑑』 ( 1972 ) がある。 眉村卓 ( 1934 ー ) は、未来史 ( S F における歴史 ) を創るシリアスな試みで知 られる。代表作『司政官』 ( 連作集 1974 ) は、銀河政府の興亡を描く中篇シリーズ。 〔 TSh 〕 ジョン・ W ・キャンベル賞 JOHN W. CAMPBELL AWARD 年間の最も優れた新人 SF 作家に与えら れる賞。 S F ファンの投票で選ばれ、世界 SF 大会の会場で授与される。アナログ誌 1980 年以降は の出版元コンデ・ナスト社 ( ディヴィス社 スポンサーになり、 1971 年物故したジョン ・ W ・キャンベル・ジュニアを追悼して、 1972 年に創設された。各年の受賞者は、つ ネル ( 1973 ) 、 ぎのとおり。ジェリ リサ・タトルとスパイダ ー・ロビンスン ( 1974 ) 、 P ・ J ・フ。ロージャー ( 1975 ) 、 ミイ ( 1976 ) 、 C ・ J ・チェリ トム・リ ( 1977 ) 、 オースン・スコット・カード 〔 PR 〕 ( 1978 ) 。 ・ R ・ド 以後の受賞者一一一スティーヴン ナルドスン ( 1979 ) 、パリイ・ B ・ロングイ ャー ( 198 の、ソムトウ・スチャリトクル ( 1981 ) 、アレクシス・ギリランド ( 1982 ) 。 ション・ W ・キャンベル記念賞 JOHN 、 M. CAMPBELL MEMORIAL AWARD 英文で出版された年間の最優秀長篇 S F に対して与えられ、アカデミックな批評家 と SF 作家から成る委員会で選定される。 同賞を創設したのは、 ハリイ ・ハリスン レオン・ストーヴァーをはじめとするアメ リカ人だが、発足後、選考委員会の構成メ ンノく一にわずかな異動があり、 1975 年以降 はイギリスで管理されている。委員会がお かれるのは常に大学で ( 2 年つづけてアメ リカ、その翌年はイギリス ) 、選考結果は ときにはあまりにもアカデミックすぎると 批判されている。ことに最初の年の受賞作 は、キャンベルの意にそむくと激しく非難 された。これに対し、ひとりの審査員はこ キャンベルが生きていたら う答えた。 何を選んだかを当て推量しても意味はな 256 ジュリ、ミシェル JEURY, MICHEL ( 1934 ー フランスの作家。フランス S F 界を代表 する作家と、一般に見なされている。その 作品は、英米 SF の伝統と旧来のテーマへ の新鮮なアプローチをみごとに融合させた ものである。アルペール・イゴン名義の ん襯 ac ん加肌 , 。〔万能機械〕 ( 1960 ) でジュール・ヴェルヌ賞を受賞。 代表作は、多国籍企業間の抗争に時間旅行 をからませた、印象あざやかな 3 部作 『不安定な時間』ん襯切化 4 切 ( 1973 ; フランス S F 最優秀作品賞受賞 ) 、 んおれ g イ 4 襯か〔時の猿たち〕 ( 1974 ) 、『熱い太陽、深海魚』 Soleil 訪側 d 第 0 な 50 〃イお第だ 0 れ″” ( 1976 ) である。 ジュリにはほかに 20 篇ほどの短篇小説があ り、その一部は 3 部作と関連している。 〔 M J 〕 XIV

7. SFマガジン 1983年9月号

昭和 35 年一月に日第三種郵便物認可 昭和引年に月一日国鉄東局特別扱承認 雑誌第 682 号昭和年 ( ) 月一日印刷・発行 ( 毎月一回日発行 ) 第幻巻第旧号 〃クカ・ファンタジイ & S んま持約 ヒューゴ ネビュラ賞特集 英米 SF の最高傑作を結集 ! ′ロ 神林長平 新 000 麕 新 00 新 ・司政官シリー 、眉村卓 第 9 回「ハヤカワ・ SF コンテ冫 第ニ次選考発表 イ特別企画 [ SF 工ンサイクロべディ 0 読切コミック = 湯田偈

8. SFマガジン 1983年9月号

響力は、西側ョーロッパの多くの国々には 逆効果を与え、自国作家を育ちにくくさせ るが、イタリア S F もまた同じパターンを 踏襲した。しかし同じ時期、イタリアでは 多くの主流文学者が、 S F のテーマやイメ ージを取り入れた優れた作品を発表した。 ただし当然のことながら、ジャンル S F の 典型的な形式に従ったものは少ない。ディ ーノ・フ・ツアーティは「タタール人の砂 漠」尨 0 / Ta だれ・ ( 1940 ) と 『偉大なる幻影』ガ grande 7 ″ 0 ( 1960 ) 。イタロ・カルヴィーノは『まっ ぶたつの子爵』物 5C0 れ市襯健 ( 1952 ) 、『木のぼり男爵』ガおの℃怩 襯第れ ( 1957 ) 、「不在の騎士」 Ca ておなれ ( 1959 ) の 3 部作 ( のちにガれ 0 立 4 飛劭 i ・〔われら の祖先〕集 1960 として 1 冊にまとめられ る ) 。そして『レ・コスミコミケ』ル Cos 襯な 0 襯な厖 ( 連作墾 1965 ) 、『マルコ・ ポーロの見えない都市』 Le ロ 7 瓰て / 房″ ( 1972 ) 。 トマーゾ・ランドルフィの C れ 0 g 4 ( 1950 ) 、マリオ・ソルダー ティのん 4 て r ″ 5 な I caso 入ー可〔モッ タ事件〕 ( 1941 ) 、ロベルト・ヴァッカの ガみ 0 と〃 i ツ 0 uro 〔ロポットとミノ タウロス〕 ( 1959 ) 、ジョルジョ・シェル パネンコの丑 c 砒観〃 0 眦血ね〔売られ た馬〕 ( 1959 ) 等々。さらに作家名だけを あげれば、エンニオ・フライアーノ、ジョ ヴァンニ ヒ。ーノなどがいる。 ジョヴァンニ・アノレ いわゆる黄金時代のアメリカ・バルプ S F がイタリアに普及するのは 1950 年ごろ で、これには 1943 年から 45 年にかけての連 合軍の上陸も大きくあずかっている。現代 イタリアの最初の S F 作家、サンドロ・サ ) の登場もこの時期 ンドレツリ ( 1926 ー にあたる。デビュー作はヴェネッィアの新 聞に掲載された短篇 "Le ultime 36 ore 263 di Charlie MaIgol" 〔チャーリー・マル ゴルの最後の 36 時間〕 ( 1949 ) 。それから 30 年近い歳月が流れた現在、サンドレツリ が ( 同年生まれのリーノ・アルダーニとと もに ) いまだにイタリア S F 界の第一線で 活躍しているという事実は、彼の衰えを知 らぬ想像力のたまものであると同時に、 イタリア S F 界の層の薄さを示唆するも のだろう。イタリアの最初の S F 専門誌 シェンツア・ファンタスティカ SC れ応 4 れⅵ ca は、 1952 年に創刊された。編 集長のリオネッロ・トロッシは、自身マッ シモ・ゼーノのペンネームを持っていた作 家である。これはわずか 7 号の短命な企画 に終わったが、以後 10 年あまりのあいだに つぎつぎと送りだされる、同様に短命な雑 誌や単行本シリーズの先駆けとなるものだ った。これらはほとんど英語からの翻訳が 主体となっていた ( ただしモンディ・アス トラーリイ 0 れ市ス立ん・誌には、イタリ ア作家たちが異国風のペンネームを使って 執筆した ) 。 1957 年になると、雑誌 ( おもにコズモ Cos 川 0 誌とオルトレ・イル・チェロ 0 〃尾 〃 Cielo 誌 ) に数多くの作家が登場しはじ める。ジャンフランコ・フ・リアトーレ、ロ ベルタ・ランペッリ、ピエロ・プロスペー ・ヤコーノ、 2 冊の リ、マッシモ・ロ 《アラン・ハーディ》もの ( 1968 ) および 〃加 0 nel ロ。〔空の宮殿〕 ( 1970 ) で 入門書ん 4 / 4 厩の c 〃 4 〔ファンタシェン ニは、やや皮相的ながら興味深い S F ンソロジー・シリーズである。同じ年アル 1962 年にスタートしたゆなるア うした作家たちに発表の場を与えたのは、 りの頻度で読めるようになった。さらに たりが特に著名であり、彼らの作品はかな オーラ、それにイーヴォ・プランディンあ ランコ・デ・トゥーリス、ジュリオ・ライ 知られるウーゴ・マラグーティ、ジャンフ IX

9. SFマガジン 1983年9月号

期登り覚昭 , 初をは ! 起ン号 本も」やる縁ジ刊 日と一はあガ増 例の・・ホーガン 、 . 、、代っ ( ので朝月 現も一た京西の作品がほ・ほ出そろって でミせ左東年 0 きたので、私なりの感想 1 家「さ松邦」 4 真作に場小本書和 ( 要するにアメリカ こてん古典論 ) を述べよ うと思って下書きはしたのだが、とてもペ である。 その結果、ついに発見したリ ード研究 ジが足りそうにない。 ( 写真 1 や 2 の調査研究は「ミーハ 昭和二十年代のにあったのだ " 】 所』の公報にでものせようかと思ってい ー』を「ハ ているのではなく、『 それが写真である。 そのころ活躍したミステリー作家としてド」しているのであります。誤解しないでる。 ただ、以下のことだけはどうしても言っ は異例といっていいほどに近い作品を下さい ておきたい。 多く書いている大坪砂男が昭和二十九年の 一月に発表 ( 厳密には二十八年の末 ) した 『幻術自来也』という短篇の中にあったの ミ幻号 写真でおわかりのように″ミイ子″ ア子″という表現をしている。これは『ミー け砂年 ー』の語源と用法の歴史をさぐるうえで ・お坪幻 きわめて興味ぶかい事例なのであるが、こ れ以上説明をつづけるのはやめておこう。 朝代す楽 の 3 いずれ実現するであろう " ミ】 ( 集″にゆずることとしたい。 和に探 博究なお念のために付記しておくと、大坪砂、 ' ( ア 原研男 ( ホフンからつけられたペンネーム ) ・真一来 石は、アシモフの例の 0 ポ ' ト三原則を意識 したロポットを日本で最初に書いたこ とで界で古くから評価されている作家 け 9

10. SFマガジン 1983年9月号

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIWUUUUUUÅULUIIIIIIIIIIIIIIIII , 箭号よ , り続、き リア N F 『宇宙の探検』 The E ェが。 ra れ・。れ S 第 4 化アーサー・ C ・クラーク 1953 F 『都市』 0 ・クリフォード・ D ・シマ N F んれみ召 00 れウィリー・レイ & L ・スフ。レイグ・ディ・キャンフ・ 1954 『人間以上』 More T ん 4 れ〃 4 襯 4 れシオト : ア・スタージョン 1955 『観察者の鏡』 A 方 " の・エ 0 0 房の・” 工ドガー・パングボーン 1957 『指輪物語』 The ん。 the Rings J ・ R ・ R ・トールキン 国際幻想文学賞 INTERNATIONAL FANTASY AWARDS 1951 年から 57 年まで ( 56 年を除き ) 毎年 授与されたイギリスの文学賞。ジョン・ペ イ / ン・ハリス ( ジョン・ウインダム ) を はじめとするイギリスの 4 人の有志の発案 になり、各年度の最も優れたファンタジイ または S F 単行本の作者に贈られた。ほか に SF 読者の興味をひきそうな最も優れ たノンフ→クシ , , の部門もけられた が、こちらは 1953 年を最後に消えた。受賞 作は SF 界著名人の選考パネルで決定さ れ、 1952 年以降、パネルは国際的なものと なった。賞はトロフィの形をとった。ヒュ ーゴー賞が順調にスタートすると、国際幻 想文学賞の存在意義はいくらか薄れたが、 廃止になるまで、いくつかの優れた作品が 広い視野のもとに選ばれた。その大半は、 アメリカではまず大きな賞の受賞対象には なりえなかった作品である。第 1 回目は、 1951 年のイギリス S F 大会会場で授与され 〔 PN/CL 〕 受賞作リスト ( ただし、 F はフィクショ ン、 N F はノンフィクション ) 1951 F 『大地は永遠に』 Ea ん房イおジョー ジ・ R ・スチュワート N F 『宇宙の征服』 The C 。叫“立イ S. ゑ化ウィリ ・レイ & チェズリー ンステ / レ 1952 F の 4 れ d G00 みなんおジョ コ 侵略 INVAS ION SF における侵略ものは史的体験と対応 する傾向があり、しばしば現実の事件や民 間に浸透した恐怖が歪んだ形で投影され る。ドイツのイギリス侵略を扱った、 G ・ T ・チェズニーの T ん e 召 t ん Do g ( 1871 ) をはじめ、これを模倣した多くの 未来戦争ものは、普仏戦争の体験と、アフ リカその他における、、帝国拡大竸争〃を発 想の源においている。 19 世紀末になると、 地球をマルサス的人口圧に支配される有限 の土地と見る新しい感覚が普及し、中国の 西欧侵略を描く M ・ P ・シールの The 〃。て。の 4 g ( 1898 ) のような神話が多 数生まれた。こうした警世的軍事ファンタ ジイは 20 世紀を通じて書き継がれている。 ウィリアム・ル・キューの The て観豆 0 れ ノ 9 ノ 0 ( 1906 ) 、 H ・ H ・マンロー キ ) の e ル / 盟 4 襯 Came ( 1913 ) は、 またしてもドイツのイギリス侵略。ロノく一 ト・ A ・ハインラインの & 靦ん Co ん襯れ 270