問題 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1984年10月号
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1. SFマガジン 1984年10月号

サリイは茫然とテー・フルの向こうの中国娘を見る。彼女は指でテ わたしは頭をかかえて、 ープルをたたきながら、 「自分で自分を穴に埋めたというのが、始まりなんでしょ ? 」 「違う」 「『あなたがスルをハックさ』って、どういうことかしら ? 」 「何が始まりなんですか ? 」 「意味があるのかないのか」彼は荒つぼく言った。「仮に説明をた のんだとしても駄目だったろうーーー説明されてもわかるはずがない 「それは計画の一部にすぎない」 「どんな計画です ? 」 のだから。複雑すぎるのか単純すぎるのか、いずれにしてもわたし たちには理解できない」 「あなたはあまりにも愚かだ。あなたにはわからないのではない 「だけどきっと」彼女はそこまで言って言いよどんだ。 か ? われわれがその計画を計画したのは、問題を解決しようとい う全員一致の決意の結果、問題になった問題を解決するためです」 「フヌケたちは抽象語でしか考えられないのだと思う。おそらく例 わたしにはわから 「どんな問題ですか ? 」 の失敗にはそのこともからんでいるのだろう 「あの問題です」彼はうんざりしていた。「その件を解決しようとないが。なにしろ、言語は文化の最も本質的な産物なのだ。文化を して生まれた問題が失敗の始まりなのです。仮りにすべての問題が理解するまで言語はわかるはずがない。しかし言語がわかりもしな 同じものなら、解決をどうやりとげようと問題にはなりません。し いで、どうして文化が理解できる ? 」 サリイは彼女がもつ、棹に独自の装飾のほどこされた小さなリュ かし、問題の種類によっては、解決の始め方が問題を決定する場合 ートをふがいなく見つめた。不意に夜の熱い静寂は半マイル彼方の があり、結末しだいで問題の始まりが決定的に決定してしまうので す。しかし、決定的な要因というものは、問題の始めの時点から内巨大な衝撃音によって破られた。 在しているものであって、問題そのものと言ってもいいくらいで「神経のいかれた連中がまた船いつばい、帰ってきた」彼は憂鬱そ す。したがって、われわれの問題も同様に問題なのであって、解決うに言った。「君のニワトリを見てきた方がいいな」 にとりかかったからこそ失敗したわけで、解決にとりかかるという ことでわれわれは結末をつけたのです」 らちがあかない。 「あなたは本当に説明してくれる気があるので すか ? 」わたしは弱々しく訊いた。 「ないよ、トンマな若い人。わたしは失敗について語っているん だ。あなたがストル・ハックさ」 彼は去っていった。 9 6

2. SFマガジン 1984年10月号

川ⅢⅢⅢⅢ ll 川ⅢⅢ ll ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ『 然淘汰と適者生存の名のもとに方向転換を して終わる。 この人口問題に真正面から一一一しかも初 めて - ーー取り組んだ迫力ある長篇小説は、 書かれてからまだわずか十年余りしかたっ ていない。それはハリイ・ハリスンの『人 間がいつばい』 00 襯 ! 」 火。。襯 ! ( 1966 ) であるが、この小説の慎 重にして入念な設定は、しかし『ソイレン ト・グリーン』 & y ん厩 G 尾ど〃 ( 1973 ) と して映画化された際にはまったく失われて しまった。翌年、このテーマの主要な作品 がまたひとつ、今度はインドで誕生した。 トウンの T ん Wind 0 と eys ん襯 4 To ( 1967 ) である。 人口問題には三種の主な要素があって、 それそれ別個の解決法が必要とされるだろ う。それらは、資源の枯渇、環境の破壊、 それに過密状態で暮らすことの社会的問 題、である。はじめのふたつの側面は、早 くから注目を集め、以下のような作品の 基礎となった。ジェイムズ・プリッシュ とノーマン・ L ・ナイトの共作による T の・尾〃ま 0 工åc い ( 1968 ) 、ジョン・ブラ ナーの & d 0 れ Z れあだ ( 1969 ) と The S ゅ。。ん Up ( 1972 ) などであ る。またフ・ラック・コメディとしてはロバ ート・シェクリイの「人類の罠」 "The People Trap" ( 1968 ) やカート・ヴォネ ガットの「ザ・ビッグ・スペース・ファッ ク」 "The Big Space Fuck" ( 1972 ) のよ うな作品がある。しかしながら第三の要素 に焦点を当てた作品として、ロバート グの T ん WorId lnside ノレウ・アー / 、一 ( 1972 ) と、トマス・・ディッシュの 『 334 』 334 ( 1972 ) がある。この問題に 関連のある SF の大半は、恐ろしい警告の 書か、避けがたい破減の予言であり フ・ ラック・コメディの要素がそれを強調して いる。人口問題が差し迫ってくるまで S F 257 作家たちがそれを考えようとしなかったた め、仮説的解答の追及はむずかしいものに なった。宇宙に脱出するというような伝統 的 S F 神話は、 ( ジェイムズ・フ・リッシュ の「われわれはみな裸で死ぬ」 "We AII Die Naked ”、 1969 にきわめて明白に描か れているように ) 問題が切迫していること から考えて説得性がない。道徳的抑制に対 する信頼度は、 ( マルサスも提言を控え た ) 出産抑制の助けを借りてすら、きわめ て低い。解決の可能性を探る S F は、ほと んど常に禁制や、さまざまな形での摘みと り手段の設定を扱い、ほとんど常に、その ような手段の実行不可能性、そしてあるい は非人間性、を述べて事足れりとしてい る。その例として次に挙げる二作がある。 ヒ。アズ・アンソニイの T だゅんのれ ( 1974 ) においては異星人の侵略による信 じがたい人口の摘みとりを説き、チェルシ ・クイン・ヤーフ・ロの T あイ the を 0 ″ん丑 or 襯 4 〃 ( 1976 ) では疾病によ る摘みとりが暴走をはじめる。カート・ヴ オネガットの「モンキー・ハウスへよう そ」 "WeIcome to the Monkey House" ( 1 8 ) は、性衝動を除去する薬品の使用 によって、生殖を抑制する未来が描かれて いるが、この方向のほとんどの思索は、選 別原則ーー救われる者と見捨てられる者と を選択する習わし に関心を示してい る。ウィリアム・ F ・ノーランとジョージ ・クレイトン・ジョンスンの『 2300 年未来 への旅』 Logan's ″れ ( 1967 ) は、 21 歳に なると安楽死を強制されるという極端な世 界を想像している。より穏やかな形態の大 量殺人は、アリス・グレイザーの "The Tunnel Ahead ” ( 1961 ) 、 D ・ G ・コンブ トンの The Q40 〃り研」 rcy ( 1965 ) や、レナード・ C ・ルーインの T だ g ど ( 1972 ) や、フィリップ・ K ・ディックの "The Pre-Persons ” ( 1974 ) の主題であ XV

3. SFマガジン 1984年10月号

・ : しかし、一番の問題た、虐殺、殺戮、戦闘、ーー画面、あるめられることなそありえない。 画、ストーリー もし戦争の悲惨さを訴えたいなら、被爆 8 いは映画のスクリーンの中のそれ。華やか はアニメで何を見せたいのか、という内 の現実を記録した映画『人間を返せ』で にパッと宇宙空間にとびちる敵の宇宙船、 容、つまり発想、シナリオ、演出といった 点である。『なぜあんなア = メを作るの血も、死も、苦痛もない一瞬の閃光、そしも、ナチスの強制収容所や、日本軍の南京 て暗黒。それをもたらすのはボタンを押す大虐殺の写真でも見た方がはるかに有意義 か』とイタリアからやってきた記者に問い 詰められたこともあ 0 た」。 ( 四月十六日指であ「て、そのために少しでも彼の手がだ。戦争ア = メをもしの中に含めるな 問い詰めら血にぬれるというわけではない。きれいなら、この点でも現実はを粉砕してい 付朝日新聞「子ども新時代」 ) れた人は手塚治虫氏だ。手塚氏は、さらにものだ。決して死なない主人公たち、あのる。しかし、現実をいかに鋭くとらえる この記事の中でこう語っている。「おもち連中は、まったくのところ、主人公はおれか、という点において、は文学や他の メディアと竸わなければならないわけでは やや菓子メーカーがスポンサ 1 になって自自身である、と信じきっているにちがいな 苦難にあい、勇ましくたたかい、何ない。むごたらしい戦争のために、回復不 分たちの売り出したいキャラクターを登場 とか切りぬけて英雄になるのだーー敵はっ可能なまでにずたずたにひきさかれた子供 させるようなアニメは、私は三十分間のコ マーシャルだと思っている。金と時間をかねに侵略者であり、『宇宙の平和を乱すもの心を訴えたいなら、我々は何も『わたし は″無″』・・ラッセル ) を読む必 けても、質のいいコマーシャルができるだの』ーーーだから宇宙の平和を守るために戦 え、というわけだ」 ( 『ゲル = カ 1984 要はない。タルコフスキイ監督の『僕の村 けじゃないだろうか」 は戦場だった』を一度見る方がどれほど強 スポンサーのおもちやメーカーから見れ年』 ) 烈なメッセージを受けることか。 ばたしかに合体ロポットもののテレビアニ しかし、だからといって戦争を限りなく メなどコマーシャヤルそのものに違いな想像力こそが身上のはずのにおい しかしさらに問題なのは、そのなかみて、少なくともそのメディアの一つにおい美化し、真の悲惨から目をそむけさせる昨 て、まず何よりも想像力の衰退が促されて今のテレビマンガが免罪されるわけではな なりアニメなりが、文学や いるという、この現実。そこではぐくまれ ていくのは、状況の決定者としての武器『はだしのゲン』と競ってばかりいる必要 「想像力の欠如ーー ( ⅱ合体ロポット ) という思想であり、組はないとしても、少なくとも地球の現実の そうーー問題はそれなのだ、と修平は思 織や国家といったものへの忠誠心であり、総体を踏まえない作品が著しく弱々しいも というよりもむしろ、想像したくないも殉死の美しさである。つけたりのようにのになってしまうのは事実なのだ。 さて、大量に繰り出される戦争アニメに のから目をそらす特異な能力、というべき「戦うことの空しさ」をつぶやく場面があ っても、そんなものが十代の観衆にとつどっぷり浸った世代がいかに想像力を失い 、刀 イメージの中の戦争。イメージ化されて、作品の主たるメッセージとしてうけとつつあるか、考えてみたい。 っこ 0

4. SFマガジン 1984年10月号

売りまがいのことまでしたのだが、とにかするが、結局、日、中、オーストラリアの年以来の大恐慌が近づいているらしいこと は全くの事実である。国際金融の関係者の くこの莫大な借金を返すメドが立っていな仲介で、対立解消への方策が練られる いのだ。一昨年のメキシ = 債務危機、最近とい 0 た筋書きだ。現実がクラークの考え一部では、数年後に資本主義経済が崩壊す るように動くとは思われないが、一九二九るというのはもはや常識であり、「あまり のポリビアの公的債務の一部支払い停止、 に恐ろしい事実であるために、だれもこの それらとくに南米諸国の″不良債権〃を背 事実に気付かないふりをしている」とい 景に、アメリカの大手コンチネンタル・イ リノイ銀行は倒産、チェース・マンハッ 全くの偶然だが、これら三作品はそれぞ ン銀行の経営危機も話題にの・ほっている。 れ戦争・環境破壊・経済恐慌という三つの 債務諸国は、利子の支払いにさえ四苦八 現実を描いている。 苦しており、国によっては輸出収入のすべ さて、この袋小路のような八〇年代にあ てを利払いにあてなければならないほど。 っての状況はどうか。若いファン 元本返済は不可能といってよく、しかも債 の変質といった問題を中心に考えてみた 務総額は一九九〇年には現在のさらに二倍 彼らには、たとえば『ゲルニカ 19 8 にふくれあがるだろう、といわれている。 4 年』を自分の問題としてうけとめること 突然国際経済の話で恐縮だが、これがい ができるかどうか。ことばをかえれば、ま かに恐るべき意味をもっているか、次の二 さに的状況 ( 最悪の意味で ) を見せて 点をよく考えれば、直ちにわかるはずだ。 いる現実と対峙できるのかどうか。 一、もしこれらの債権がこげつきになった 大会に参加する千人を超すファンの 場合、西側全体が未曽有の金融恐慌に陥 うち、今では半分くらいが宇宙戦争ものテ ることは間違いない。 レビマンガの ( 多くの場合は、それだけ 二、第三世界が債務を返済できる可能性は の ) ファンになっているようだ。この手の ほとんどない。 番組は同工異曲のものが無数にあるが、僕 以上は正真正銘の現実である。 考 のとばしい経験からしても大人の鑑賞に耐 に『大変動』は、こうした現実を背景に、南 える作品はまずないといっていいだろう。 側諸国が債務支払いを集団で拒否するとこ 「いま、日本のロポットアニメは、外国で ろから始まる。これに対して北側は南側と も子どもたちの人気を集めている。しか 9 絶縁、南側も先進国の資産凍結などで応 し、専門家からは。ハ力にされている。企 じ、これをきっかけに世界中で動乱が続発

5. SFマガジン 1984年10月号

石原士の SF 研究室 4 の ( 太陽系 ) 加速 lg 加速開始 減速終了 P__4 減速 lg 100 Ly 光年 往路加速終了 〔往路〕 往路減速開始 減速ー lg 減速終了 帰路加速終了 Q' 加速開始 〔帰路〕 加速ー lg 100 Ly 光年 lLy 一定速度 帰路減速開始 ードにかんしては、こういう種献を熟読玩味してからにしなくっちゃ。 類の評論がファンジンに出るのは初めてと 〈銀河旅行〉中の『星虹号』 いってよいのではないだろうか。第三号に ード v-æファンはぜひ からの観測結果は : 載っているので、 読んでください。 さて、本題にはいることにしよう。 という変な雑誌は創刊号からず っと読んでいるけれども、その最近の号前回は太陽系から見た恒星船の就跡の ト算結果だったが、今回は〈銀河旅行〉中 デ で、柄谷行人氏が「サイエンスはいつもニ ・サイエンスなの恒星船、わが『星虹号』から見た太陽系 ューなのであって、ニュ ーにや目的地の星の軌跡の計算である。 んてものはないんです」とインタビュ 行 これは特殊相対論の範疇をこえる問題 旅答えて述べていて、素朴に同感してしまっ 河 5 た。サイエンスの意味が石原博士とはすこで、計算はすべて一般相対論の基本式をも とにして行っている。 し違うのかもしれないが : 度年般 1 一般相対論の基本式というのは、書いて は柄谷という人の書くものも本当に難しく 速。光一 7 ~ 疋 た度てわからないけれども、直観的に感想を述みればじつに簡単で短かなものなのだが、 べると、最近話題になる論客としては、柄そこから出てくる現象はまことにもって多 を だ谷氏と浅田氏のものが一番抵抗がない。分種多様で、めくるめくばかり。 やはり一般相対論は近代科学のチャン。ヒ からないなりに抵抗なく読めるのだ。 的 それにしても浅田彰氏って気の毒ですオンであろう。 具 ね。受け売りにすぎないなどはまだ良い方科学技術 ( 理学・工学 ) というものは、 で、中には、あの身体で逃走できる筈がなある意味では情け無いほど貧弱な思想、限 図 いとか、あの貧弱な顔つきの若者に二一世定された方法しか持ちあわせていないのだ ぐしいかないとか、赤んが、そこから出てくる結果は、信じられな 紀をまかせるわけこよ いほど豊富・強大であり、その成果を生む 坊がイヤイヤをしているような書評がある みたい。そりや石原博士だってあの人に恒力は、なんのかんのと言われながらも、今 星間戦争の指揮ができるとは思わないけもなお加速を続けている。 ど、書物に対してちゃんとした批評をしよそれも、科学技術に携わっている人がけ うと思ったら、作者が丁寧に挙げている文「科学技術とは何ぞや」といった思念には ニ = ロ

6. SFマガジン 1984年10月号

CD ・ウ = ーヴ作家時代だったとするチャールズ・。フラットらうことは、それだけ六〇年代の抗議行動が いったアメリカン・ニュ たちが好んでこの問題をとりあげていまに対し、これらの作家は六〇年代に勝ちと成果をおさめていたことを物語っていると えましよう。 った成果をなんとか掘りさげ、守っていこ す。ガードナー・ドゾワ、マイクル・ビシ もっとも、時の経過とともに直接的に六 ・フライアント、アレうと考えているようです。 ョッ。フ、エドワード・ こうした動きがあれば、一方でそれと反〇年代を扱ったは減っています。ホラ クセイ・パンシン、ジョン . シャ 1 リイ、 対にいまなお六〇年代の運動を批判する勢ーやックといった形式の中でジャニ グレゴリイ・・ヘンフォード、ス。ハイダー ス・ジョブリン、ドアーズ、ジョン・レノ ーネルやラリ ロビンソンといった七〇年代の主要作家も力もあります。ジェリー・ いちょうにこのテーマにとりくんでいまイ・ = ーヴンら、いわゆる " 右翼。の作家ンといった六〇年代の悲劇のヒーロ 1 たち たちで、たとえばこの二人の共著『忠誠のがとりあげられることはあっても、過去の す。・フルース・スターリング、ハワード・ 夢に対するこだわりをひきずった現在の人 ウォルドロツ。フ、ルデ - イ・ラ ッ カー、マイクル・スワニッ 一間の問題がとりあげられることはまれにな タ ってきました。むしろ、その現実を忘れさ ク、クレイグ・ストリート、 』ポせてくれるような逃避的ファンタジイ、ス 時 デ . イヴィッド・ビショフ、ウ ペースオペラ、ユーモア / ファンタジ ィリアム・ギ・フスンといっこま 再けイがふえだしたのです。その一方で、 今後の活躍を期待されている ・ウェ 1 ヴ運動や六〇年代の影響を 作家たちも、六〇年代の体験」 ~ 0 たちきった新しい近未来の方向も模索 を踏まえた現在の空虚さを作 ア されはじめています。 ビ 品の中に描きこんでいます。 ム また目を界の外にむけてみましょ ロ 六〇年代にとりくまれたさ コ 。六〇年代に″宇宙船地球号〃というこ まざまな問題を一貫して自分 とばと″シナージェティクス″という理論 のテ 1 マとしている作家たち もいます。女性黒人作家のオクティヴィア誓い』では六〇年代のイツビー的演劇的一小で教祖的存在にまつりあげられた天才発明 クミンスタ ( トラーは差別と支配の問題を追求しつ威行動が痛烈に戯画化されています。やは家・建築家・科学者・ ・フラーは昨年死を前にいくつか新作を発 り二人の共作である『悪魔のハンマ 1 』で づけていますし、ジョン・ヴァーリイにと も、エコロジストの反原発連動へのはげし表して新たな注目をあびました。誌 って抑圧機構としての家 / 婚姻をはなれた 新しい関係の模索は重要なテーマです。 = い抗議が展開されています。後者は現実のの投書欄を見ると、彼の影響がひろく サへス・リンやヴォンダ・マッキンタイ問題ですが、前者の中で批判されている抗読者の中にまで浸透していることがわかり アは自然と人間との関係への関心をつよく議行動はすでに過去の遣物となっていまます ( ちなみに、こうした科学哲学や擬似田 科学理論を多数とりいれることで有名なイ 表現しています。六〇年代を空しい悪夢のす。にも関らす、いまなお批判されるとい

7. SFマガジン 1984年10月号

いたことを思えば、ここ数年の日本大 まず一つは、他者〈の共感の衰退た。た我々「北側」の豊かな ( その質はここでは 会が、半ば″大会。フと化した一種の興 とえば冒頭にあげた第三世界の債務問題と論じない ) 消費社会が成り立 0 ている。 飢え。それらの問題が万一日本と全く関係 ( この消費という言葉こそ八〇年代日本の業ファンがシ = ー的な企画を見せ、残りの キーワードだろう。界においても。た参加者は見せられるだけ、という消費的な なく存在していたとしても、何千万という 構造になっていることは象徴的だ。六〇年 人間が今この瞬間も飢餓の果てに 代はじめは、国内の構造にいかに問題があ 死につつあること、債務支払いの っても、ともかく経済規模自体は、日本と ための政府の超緊縮政策のもと いう国の身の丈にあっていた、つまり、他 で、国民の半数以上が失業し、 国から利益を吸い上げるという民族的犯罪 ( メキシコ ) うまくいっても、麻 は犯していなかった、という小田実の言葉 薬工場くらいしか就職先がない を思い出す。それ以後の日本は、身の丈を ( ポリビア ) 状況においやられて はるかに超える消費大国へと転落してきた いるといったことに、日本人の一 わけだ。ファンダムの変質もこれに対応し 体何 % が心を動かされているか。 ているかのように見える。そんな中で、今 ところが、これらの問題は日本と 回のエゾコンⅡが、ファンの対話と交流の 関係ないどころか。現実には、わ 場をたつぶり保障する、いわば生産的な大 が国は、主要食糧の栽培から、金 会として企画されたことは画期的であり、 のための輸出作物の生産へと、第 これが来年以降のガタコン、ダイコンに 三世界の農業構造をかえさせて、 も基本的に受け継がれていくことを願って 現在の飢えの原因を作った「西側 いる ) 同盟の一員」であり、第三世界の 他者への共感といったものが、 支配層に無理に金を貸して、今度 ン・アズ・ナン・ハーワン症候群″の中で、 はその国民の犠牲のうえに、サラ ファンの心からも消えていったのだろ 考金よろしく、まさに暴力的なとり うか。実際、デーモン・ナイトの『黄金 たてを続けて、金利という甘い汁 とえば六〇年代から七〇年代はじめのファ律』や、キリル・フルイチョーフの『苦し を吸い続けている、世界金融の中 ンダムが、ふざけたり、真剣になったりしみをわかちあえ』の世界が、数の上では大 心の一つなのだ。 てワイワイガャガヤの中で、ともかくも何量の非共感型戦争アニメに圧倒され、前者 9 そして、こういった南北構造の中で、 かを生み出し、あるいは生み出そうとしては若いファンの頭の中に住みつくスペース 「南側」の人々の死と血の犠牲のうえに、

8. SFマガジン 1984年10月号

を見ていることは、眠の様子でわかった。彼らは薄暗い午後、敷地れば、問題は言語学的なものだ」 「翻訳機では駄目ですね」わたしは決めつけるように言った。「機 6 をうろうろ歩きまわっている。 彼はわたしに向きなお 0 て、「このサナトリウムはフヌケのため械にまかせるには、デリケートすぎる仕事です。人間の通訳をつけ に造ったのに、逆に、救援に来たスタッフでいつばいだ。みんな考ていただけないでしようか ? 」 結局、彼自身が来てくれることになった。彼としては一枚かみた えすぎて、頭をかかえている」 この原因くもあり、かみたくもなしというところだった。おっと、こんな言 「わかります。わたしだって仲間入りするかもしれない。 い方をしたら、機械はついてこれるだろうか ? 君とわたしの間で がっかめなければ、みんなのお荷物になりかねない」 なら、まったくわかりやすい言い方だが。 彼は手を上げて、 「みんな、そんな風に言うよ。しかし、つきとめることのできるよ うな原因なんかありはしないんだ。あるいは、われわれに理解でき外へ出ると、ちょうどフスケの女性が一人、ゆるゆると中庭を歩 いていた。彼女がさっき話した老女と同一人物だったのかどうか、 ないのか、われわれ自身が原因に一枚かんでいたかのどっちかだ。 フヌケの失敗を分類できさえしたら、宗教的とか、精神的とか、経わたしにはわからない。彼女の顔におぼえはなかったし、彼女の方 でもわたしに気づいたそぶりはなかった。とにかく、わたしたちは 済的とか何とかに落ちつくんだろうが : : : 」 彼女を呼びとめて、一か八かやってみることにした。 「あなただって御同病じゃないですか」とわたしは言った。 「そうだ」わたしは唐突に言った。「航時船があるじゃないです「まず、なぜ自分で自分を埋葬したのか、訊いてみてください」 ポ 1 ルルが通訳すると、彼女はか細い声で短く答えた。 か。時代をすこしさかのぼって、何が問題だったのか、見て来れば 「彼女によれば、そうすることが必要だと考えられていたのだそう いいんですよ」 あんまり簡単な解決法だったので、いままで、な・せ見のがされてだ。計画の開始にあたり、融合の助けになるのだと言っている」 きたのか、わからないくらいだった。しかし、もちろん、見のがさ「どんな融合か訊いてください」 陰気な声の応酬。 れていたわけではなかった。 「彼らが計画していた融合のための融合だ。よくわからないが」 「やったさ」指揮官はあっさりと言った。「しかし、心の問題はー ー精神上の問題だとすればだがーー外からはうかがいしれないもの「最初の″融合″と後の″融合″は、原語では同じに聞こえます だ。われわれにわかったのは、六百万人のフヌケたちが例の浅い墓か ? 」 穴の中に、自分で自分を埋めたということだけだよ。全員がすむま「一方が語尾変化しているみたいだな。所有格だろうか。その点を でには百年かかっている。救出するまで、三百年間埋っていた者ものそけばどっちも同じようでもある」 「では -—ーそう、こう訊いてください。その計画というのは、人間 いるわけさ。時間を後戻りしただけじゃ駄目だ。われわれに言わせ

9. SFマガジン 1984年10月号

「そういうことも含めてお聞きしたいのですが」 た。限界があるとすれば、それはわたしたちの言語の限界だった。 もし、フヌケが″太陽″にあたる言葉を言ったなら、翻訳機は「太「どんなことをお知りになりたいの ? 何なりとお答えしますわ」 6 すくなくとも、見込みはあるわけだ。すすんで協力してくれたの 陽」と言い、わたしたちはフヌケの言おうとした通りを理解する。 しかし、数少ない具体的な共有経験以外となると、そんなに簡単にでないとしても、それは彼らがとうの昔から″協力″という概念を よ : いかない。同意語は減り、曖昧さが増える。昔から言われていた忘れてしまっているからだ。 言語学上の問題だが、彼我の間に横たわる年月のために、困難は何「わたしが遠い過去から、みなさんのお力になるために来たことは 層倍にもなった。 御存知ですね ? 」翻訳機はわたしの言葉を味も素気もなく訳してい わたしは最初のセンター勤務のおりに話した、一人の老女のことることだろう。 を思いだす。老女と言ったが、それでも彼女は芳紀十六歳だった。 「ええ。わたくしたちのために生活を投げうって来てくだすったな 外見が老けて見えるというだけのことである。 んて、いたみいります」 「勝手に掘りだした いえ、救出したこと、御迷惑ではなかった「いえ、とんでもない。わたしたちは人類がもう一度正しい道に戻 でしようね ? 」わたしは丁重に尋ねた。 るのを見たかっただけなんです。まだ駄目ではないと信じていまし 「迷惑だなんて。喜んでいます」翻訳機が彼女に代って答えた。あた。お力になれれば嬉しいですし、みなさんが間違った道をとられ りきたりの社交辞令である。どんな言語でも実質的な内容をもたなるのは悲しいのです」 「わたしたちは、過去の人々ーーーみなさんも含めてですよーーーの歩 い表現だけに、世界最高の機械を通すと、よけい馬鹿げて聞こえ る。 んできた道に沿って、はじめたのですが」これは挑戦ではなく、単 に事実を述べただけのことだ。 「こうした点全般について話しあいたいのですが、よろしいでしょ 「しかし、その道をずらしたのはあなた方ですよ。あなた方は自由 意志でなさった。別に責めているのではありません。しかし、仮り 「どこにある点ですの ? 」翻訳機が彼女に代って尋ねた。 まずい聞き方をした。わたしが言おうとしたのは幾何学上の点でに失敗に終ることがわかっていたのだとしたら、はたしてあの道を はなく、問題点という意味での点なのだ。議論の間中、こうしたっとっていたでしようか」 まずきはしよっちゅうだった。翻訳機はわたしより上等な英語を話彼女は答えた。いろいろな徴候からして、彼女はかすかながら怒 したが。 っていたのではないか。おそらく、自分の中に残っていた感情を総 「あなたの直面している問題について話していただけないでしよう動員して、怒りを燃やしたのだと思う。彼女のうつろな声は激した か ? 」わたしは気を取りなおして尋ねた。 かと思うと、破減を予感させるようにか細くなったが、翻訳機はそ 「わたしに問題などございませんわ。もう解決しましたもの」 れを流暢な英語に変換した。ただし、意味は通らなかったが。

10. SFマガジン 1984年10月号

にこたえて、、、道徳的抑制″というもうび とつの仮説的な歯止めを導入している。マ ルサスはダーウインに重大な影響を与えた が、社会一般には直接的な影響力をあまり 持たなかった。彼の説が論理的に非の打ち どころのないものであったにもかかわら ず、大多数の思弁小説作家は、人口爆発が 現実に起こりつつある時ですら彼の意見を 無視した。この盲目さについては容易には 説明がっかないが、 1950 年代から 60 年代に かけて、 S F とポビュラー・サイエンスの 分野において人口過剰テーマが急速に広ま ったことは、未来におけるディストピア・ イメージがユートビアのそれを凌駕した ととおそらく関係があるだろう。人口問題 の認識は多分、この悲観主義 ( 楽観主義 と悲覦主義 ) の結果であって原因ではなか 1951 年 11 月号のマーヴェル・サイエンス ・ストーリーズ誌に、世界の人口を意図的 に抑えるべきか否かについての、、シンポジ ウム″が掲載されたが、 SF 界では、その 時点まで問題に手を着けた者はいなかっ た。 C ・ M ・コーンブルースの "The Marching Morons ” ( 1951 ) では、知識 階級が慎重に出産制限を順守し、ルンペン ゾロレタリアートが野放図に増加していく 未来を活写したが、人口過剰そのものとい うより優生学をテーマにしたプラック・コ メディであった。カート・ヴォネガットの フ・ラック・コメデイ「明日も明日もその明 日も」 "The Big Trip Up Yonder" ( 1954 ) では、人口過剰が明確なテーマで あるが、それは正統なマルサス風の増加で はなく、医学による極端な長寿の達成が原 因となっている。 1950 年代の S F では人口 過剰におちいった環境がますます一般的に 使われるようになってきた。人口問題につ いて懸念を抱いた最初の S F 作家の一人ア イザック・アジモフは、『鋼鉄都市』 The XIV Ca 。ぉ Steel ( 1954 ) においてその状況 を描いている。純粋にマルサス型の人口過 剰問題が実際に S F に現われたのは 1950 年 代の後半になってからだった。コーンプル ースは最初の重要な人口過剰の恐怖物語 「暗い潮を刈れ」 "Shark Ship ” ( 1958 ) を発表した。のちに彼の共作者フレデリ ック・ポールも皮肉な "The Census Takers ” ( 1956 ) を書いた。ロバート グの『生と死の支配者』 シノレヴァー / 、一 人間がいつばい 258 は、出産過剰に対する反論にはじまり、自 Co 襯襯れ d 〃厩 ( 1962 ) がある。この作品 レスター・デル・レイの The 刃 0 翩 テーマに関して妙に意図の曖昧な長篇に 一兆」 "Billenium" ( 1961 ) である。この な図式で描いた、 J ・ G ・ノくラードの「至福 のスペースのゆっくりした縮小という単純 マの処理でもっとも効果的な作品は、個人 初期の試みである。初期におけるそのテー 制度化された人口抑制法を真面目に扱った Ma 立ん d の ( 1957 ) は、 ・ / 、リスン 『人間がいつばい』ハリイ