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検索対象: SFマガジン 1984年10月号
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1. SFマガジン 1984年10月号

V ・ G ・ボゴラスは T ん Ma 襯襯砒ん ( 英訳 19 四 ) の中で、神話、伝 説、迷信をきわめて辛辣に扱っている。 アメリカのパルプ雑誌においては、原始 生活を賛美するかなり口マンチックな先史 小説の系統が育った。なかでももっとも多 産な支持者ェドガー ライス・バローズは 《ベルシダー》シリーズおよび『石器時代 から来た男』 The E 記工 0 て , ( 1914 ; 1925 ; T んど刃翔記 ag のと『石 器時代へ行った男』 The Ca 眦 Girl ( 1913 ー 17 ; 1925 ) において、きわめてはっきり した形で描いている。このロマンチック派 では、他に、 H ・ライダー・ハガードの み I 4 れ d the Ice-Gods ( 1927 ) と、レ スター・デル・レイのかりそめのノスタル ジーに満ちた短篇小説 "When Day is Done" ( 1939 ) が有名である。しかしなが ら、先史時代を描いた小説においては、 のようなロマンチックな要素にいささかで も触れなかったものは珍しいくらいである この要素はジャック・ロンドンの先史 時代小説に色濃く出ているし、表面的な口 マンチック小説ではないのだが、チャール ズ・ G ・ D ・ロバーツの the MO g Time ( 1919 ) と、リチャード・ トゥカ ーの T んの the 召れ ord ど ( 1929 ) にも見られる。先史ロマンス映画 は、時代錯誤をほとんど気にもしないこと で名高いが、 D ・ G ・グリフィスの Ma れな G おな ( 1911 ) をはじめとして、この派 の代表的な例と言っていいだろう。 ーゴー・ガーンズバックは H ・ G ・ ヒュ ウェルズの "A Story 0f the Stone Age ” を採録したし、フェイマス・ファンタステ ィック・ミステリーズ誌にはいくつかの先 史ロマンスが掲載されたが、パルプ SF は 先史小説を同化せず、境界線上のものとみ なして放置してきた。雑誌掲載のほんの一 握りの小説だけが、、、人間性″の起源とい 263 う問題に関心を向けている。なかでもっと も重要なのがジャック・ウィリアムスンの "The Greatest lnvention ” ( 1951 ) で、 彼はこの作品において新しい思考法の進化 という問題に取り組んでいる。人類学者の チャド・オリヴァーはジュヴナイルの『地 球の夜あけ』 M ななのれ ( 1952 ) を 書いているが、彼の他の人類学的 SF にく らべるとがっかりするような出来である。 ジャンル S F における先史テーマの、おそ れ・イ 0 ・こ ・海昇を F 第身ルズ、 IX ( 関連作品 1965 ) や『柔かい月』 Ti con ノの『レ・コスミコミケ』 CO れ・ co なん e な例外としては他に、イタロ・カルヴィー 現代小説において事実上姿を消した。重要 ングの小説を別にすれば、この種の概念は う。一般的には、ウィリアム・ゴールディ マスの短篇 "The Doctor ” ( 1967 ) であろ 生きていこうとする、シオドア・ L ・トー 類の祖先たちの社会で医師の倫理を守って に帰れなくなったタイム・トラベラーが人 らくもっとも効果的な扱いは、自分の時代 『レ・コスミコミケ』イタロ・カルヴィーノ 0 ・イタカルヴ→の レ・コスミコミケ

2. SFマガジン 1984年10月号

ⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢ する J ・レスリー・ミッチェルは、われわ れの先祖が、野蛮なネアンデルタールに比 べ、平和で穏やかに暮らしていることを時 間旅行者が発見するという『 3 万年のタイ ム・スリッフ。』 T んだ記 Go お ( 1932 ) の中で、ハックスリー派の説を全面的に否 定している。しかしながら、彼の意見に説 得力があると考えた作家は他にはあまりお らず、ミッチェルの描いたものとは正反対 の情景がウィリアム・ゴールディングの 『後継者たち』 The ん加 ( 1955 ) に見受けられる。原始的な人類の祖先に現 代社会の展望の雛形を造ろうというもっと も洗練された試みは、このゴールディング に負うものである。彼の同系統の作品には 他に "Clonk Clonk" ( 1971 ) がある。今 まで挙げてきた作品のほとんどは、部分的 に、教訓的な寓話であり、当然の誇張ゆえ に、アンドルー・ラングの "The Romance of the First RadicaI ( 1886 ) や、 W ・ D ・ロックの "The Story of 00-00 ” ( 1926 ) 、ロイ・ルイスの研幵々 のんだ ( 1960 ; 圜 The 刃。。ん〃。 Ma のなどは、諷刺にもなっ ている。 先史ファンタジイのもっとも多産な作家 は J ・ H ・ロニー兄であろう。彼の『人類 創世』 4 g ″・イ″を″ ( 1909 ) は、 の分野の古典と広くみなされている。他の 作品にはの襯・ん ( 1892 ) 、 E. ッ襯 4 ん ( 1893 ) 、に爽 I 切 g 厩 ( 1918 ) 、 Helgvor ん″て召ん″ ( 1930 ) がある。他にフ ランスで著名な作品には、マックス・べグ ーアンのろな 0 れ s d ' 4 〃 e ( 1925 ) が ある。先史と有史以後とを結び、、、人間の 精神″について、、総合的 / / な考察をする壮 大なスケールの小説を書く試みがいくつか ある。なかでもっとも印象的なものはデン マークのノーベル賞作家ヨハネス・ V ・イ ェンセンの T んにん 0 れ g 面 4 ( 1908 ー VIII 22 デンマーク ) である。英訳における最初 の二分冊窺尾 4 d / 化 ( 1922 ) と The C / 襯ろれ s ( 1923 ) は、先史ファンタジイ になっており、最後の一冊 C ん立ん C 。ん襯ろ ( 1924 ) は歴史小説である。さら に広大なスケールの小説はヴァーディス・ フィッシャーの手になる《人間の誓約》シ リーズであろう。全 12 巻からなるシリーズ で、最初の 4 冊が先史時代を扱っている。 のの・ん 4 〃 d どのビゆ ( 1943 ) は火をわ がものとする以前の人類の祖先の生活を考 察し、 The Go 00 襯 s ( 1944 ) は火 の発見を扱い、た・襯 4 〃 0 刃て ( 1946 ) では原始的な女家長制度が成立 し、ス d の〃れ d the & r, 厩 ( 1947 ) で はその社会の崩壊と、父長制度の確立を描 いている。この分野における第三の壮大 盟ツ c 訪んス d 配襯 ( 1932 ) や、 F ・ブリト レックとポール・エルドリッジの では劣るが他にはジョージ・ S ・ ( 1925 ) である。 e れ C ん 4 ーれ〃れ / S な作品は、アンリ・ノくルビュスの T ん ヴィー 重要性 説は激しい反論を招いた。ン連の人類学者 さらに単純化した神話の説明である。この フィッシャーよりも を追われたという は氷河の進出によって自分らのエデンの園 M 。 Ma れ ( 1894 ) は、人類の先祖 た。オースティン・ビア / くウアーのの〃 のみならず、人類学の学説にも影響を与え 魅力的であったために、思弁ファンタジイ れたものであった。この考え方があまりに つけだそうという試みは、きわめてありふ 世記神話を生み出す基となった出来事を見 いるように、人類の進化の歴史の中で、創 フィッシャーの作品に大規模に扱われて も発表している。 盟た切 d 確の Young ( 関連作品 1927 ) 時代が舞台の短篇小説を集めたⅣ” 品集 1930 ) がある。オースティンは先史 ン・オースティンの To 襯のフ℃ ( 関連作 264

3. SFマガジン 1984年10月号

川ⅢⅢⅢⅢ ll 川ⅢⅢ ll ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ『 然淘汰と適者生存の名のもとに方向転換を して終わる。 この人口問題に真正面から一一一しかも初 めて - ーー取り組んだ迫力ある長篇小説は、 書かれてからまだわずか十年余りしかたっ ていない。それはハリイ・ハリスンの『人 間がいつばい』 00 襯 ! 」 火。。襯 ! ( 1966 ) であるが、この小説の慎 重にして入念な設定は、しかし『ソイレン ト・グリーン』 & y ん厩 G 尾ど〃 ( 1973 ) と して映画化された際にはまったく失われて しまった。翌年、このテーマの主要な作品 がまたひとつ、今度はインドで誕生した。 トウンの T ん Wind 0 と eys ん襯 4 To ( 1967 ) である。 人口問題には三種の主な要素があって、 それそれ別個の解決法が必要とされるだろ う。それらは、資源の枯渇、環境の破壊、 それに過密状態で暮らすことの社会的問 題、である。はじめのふたつの側面は、早 くから注目を集め、以下のような作品の 基礎となった。ジェイムズ・プリッシュ とノーマン・ L ・ナイトの共作による T の・尾〃ま 0 工åc い ( 1968 ) 、ジョン・ブラ ナーの & d 0 れ Z れあだ ( 1969 ) と The S ゅ。。ん Up ( 1972 ) などであ る。またフ・ラック・コメディとしてはロバ ート・シェクリイの「人類の罠」 "The People Trap" ( 1968 ) やカート・ヴォネ ガットの「ザ・ビッグ・スペース・ファッ ク」 "The Big Space Fuck" ( 1972 ) のよ うな作品がある。しかしながら第三の要素 に焦点を当てた作品として、ロバート グの T ん WorId lnside ノレウ・アー / 、一 ( 1972 ) と、トマス・・ディッシュの 『 334 』 334 ( 1972 ) がある。この問題に 関連のある SF の大半は、恐ろしい警告の 書か、避けがたい破減の予言であり フ・ ラック・コメディの要素がそれを強調して いる。人口問題が差し迫ってくるまで S F 257 作家たちがそれを考えようとしなかったた め、仮説的解答の追及はむずかしいものに なった。宇宙に脱出するというような伝統 的 S F 神話は、 ( ジェイムズ・フ・リッシュ の「われわれはみな裸で死ぬ」 "We AII Die Naked ”、 1969 にきわめて明白に描か れているように ) 問題が切迫していること から考えて説得性がない。道徳的抑制に対 する信頼度は、 ( マルサスも提言を控え た ) 出産抑制の助けを借りてすら、きわめ て低い。解決の可能性を探る S F は、ほと んど常に禁制や、さまざまな形での摘みと り手段の設定を扱い、ほとんど常に、その ような手段の実行不可能性、そしてあるい は非人間性、を述べて事足れりとしてい る。その例として次に挙げる二作がある。 ヒ。アズ・アンソニイの T だゅんのれ ( 1974 ) においては異星人の侵略による信 じがたい人口の摘みとりを説き、チェルシ ・クイン・ヤーフ・ロの T あイ the を 0 ″ん丑 or 襯 4 〃 ( 1976 ) では疾病によ る摘みとりが暴走をはじめる。カート・ヴ オネガットの「モンキー・ハウスへよう そ」 "WeIcome to the Monkey House" ( 1 8 ) は、性衝動を除去する薬品の使用 によって、生殖を抑制する未来が描かれて いるが、この方向のほとんどの思索は、選 別原則ーー救われる者と見捨てられる者と を選択する習わし に関心を示してい る。ウィリアム・ F ・ノーランとジョージ ・クレイトン・ジョンスンの『 2300 年未来 への旅』 Logan's ″れ ( 1967 ) は、 21 歳に なると安楽死を強制されるという極端な世 界を想像している。より穏やかな形態の大 量殺人は、アリス・グレイザーの "The Tunnel Ahead ” ( 1961 ) 、 D ・ G ・コンブ トンの The Q40 〃り研」 rcy ( 1965 ) や、レナード・ C ・ルーインの T だ g ど ( 1972 ) や、フィリップ・ K ・ディックの "The Pre-Persons ” ( 1974 ) の主題であ XV

4. SFマガジン 1984年10月号

キサスを舞台にした『太陽の影』 S ん 4 , s 切 the & れ ( 1954 ) は、小さな町の住民 すべてが異星人だと主人公が発見するま でを生き生きと描いている。彼の短篇は スれ 0 Kind ( 團 195 のと The Edge 五。 r れ , 催 ( 1971 ) とに収録されてい る。後者にはウィリアム・ F ・ / ーランに よる伝記風解説とチェックリストが収録さ れている。 The S ん or おみれ 0 舫催 & 4 ( 1971 ) は、アフリカを舞台にして、作者 IV Monitor" が収録されている。 MiddIe Man ” "Caravans Unlimited: "Caravans Unlimitéd: StabiIity ” "The がいに関連する四篇の中篇 "Shaka!" C 。厩 4 ″襯 ( 1 ー 4 ) ( 1974 ー 5 ) にた われている。ロジャー・エルウッド編の に人間を根なし草にしたという主題が扱 であり、その状態からの進化は、基本的 ( 1976 ) は、人間の本質は狩猟をする獣 明確に表われている。 G ”な切 the Du 立 自身の自然界、特にエコロジーへの関心が 『太陽の影』 彼は S F に有能な人類学的考察を導入し た先駆者であり、初期の作品においては、 ぎこちない構成によって時として本来の暖 かみが損なわれる結果になったとはいえ、 彼は綿密な作家であり、その思索的な作風 はもっと広く知られ、賞賛されてしかるべ きである。 その他の既訳作品 〔 J C 〕 『異星の隣人た ち』 U 0 ん 'g んみ 0 ( 1960 ) 。 楽観主義と悲観主義 OPTIMISM AND PESSIMISM SF 史についてのもっとも単純化した見 方に、 S F は ( 本来は ) 常に楽観的な文学 であったが、 1960 年代のニュー・ウェープ の台頭がすべてを駄目にしてしまった、と いうのがある。これは、ファンダムの中で もより保守的なメンバーの間ではいまだに 主流であるが、よく言ってもかたよった真 実であり、ジャンル S F にもあまり当ては まらないし、主流文学の SF にいたっては まったく的外れである。 主流文学の SF は、たとえ個々の作家に ついてさえ、単純に楽観的、悲観的と分類 できるものではない。たとえば、ジュール ・ヴェルヌと H ・ G ・ウェルズとは、二人 とも晩年になるにつれて未来に対して暗い 展望を持ちはじめた。実際、ウェルズの活 動は放物線的と形容することができるほど だ。進化の無益さを描く「タイム・マシ ン」 The 7 ' あイ訪わ ( 1895 ) にはじ まり、ユ石ツイ砒〃尾 End / な T ん ( 1945 ) を最後とするが、 1905 年から 1920 年代にかけては彼の未来への展望はおおむ ねユートピア的であった。ジャンル雑誌以 外の SF で常に好まれる主題は、ディスト ピアや、侵略や、未来の戦争や、大破壊と その後などで、その物語は恐怖に満ちた警 告や、争いを起こさすにはいられない人類 の本性を描き出す目的の一般的な陰気な哲 266

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ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川 所在地となり、グレゴリイ・ペンフォード とゴードン・エクランドの『もし星が神な らば』 the & 4 G0ds ( 統 1977 ) ではクライマックスを盛りあげる奇妙な生 命体の故郷にもなる。 冥王星はアルジス・パドリスの〃 E 。ん ( 1958 ) に現われるし、ウイルスン ・タッカーの TO 住 TO 襯″ g ん S 地た・ 0 れ ( 1960 ) における登場人物たちの目的地で あるが、これは例外であって、誰もがこの 惑星をまったく退屈で、きわめて低温の岩 の塊としか見ていない。海王星の衛星トリ トンは、マーガレット・セント・クレアの ふしぎな小説「枕」 "The Pillows ” ( 195 のとサミュエル・ディレイニーの 、、両義的へテロトビア″ T だ″ 0 れ ( 1976 ) などで舞台になっているが、天王星と海王 星が登場する小説はほとんどない。アルフ レッド・ベスターの『虎よ、虎よ ! 』 The & の・ s 3' の立 4 〃 0 ( 1956 ; 図 T な ! Tiger! 英 ) では、、、外衛星同盟″が内惑 星連合と交戦するが、読者はその地を訪れ るどころか、それに含まれている衛星のリ ストすら見ることもない。同様な、しかし もっと克明に描写される紛争が、セシリア ・ホランドの窺 0 切 g Worlds ( 1976 ) においても発生する。この物語では、題名 にもなっている浮かぶ都市群が土星と天王 星の上空を根拠地にしている。 何十年にもわたって、天王星の軌道上の 摂動を説明するために、十番目の惑星が求 められてきた。それは海王星と冥王星の存 在が知られたあとですら続いた。 SF 作家 たちは折にふれその可能性に取り組んでき た。ジョン・ W ・キャンベル・ジュニアの T ん ~ la の・ 5 ( 1936 ー 8 ; 関連作品團 1966 ) では、主人公たちは最終的に第十番 クの『偶然世界』 & だ ( 1955 ; 圜ル。 r C ん 4 れ c のでは、小規模な宗 教団体が、第十番惑星が存在することを願 って、地球を逃れる。ェドマンド・クーハ ーの The T 厩ん ~ れ ( 1973 ) では、 そこは高度な文明の故郷になっている。ラ リイ・ ーヴンとジェリー ーネル共作 の『悪魔のハンマー』 ' s 丑の〃加 ( 1977 ) では、第十番惑星は、他の惑星の 戦道面から 90 度傾斜した軟道を回るガス・ ジャイアントとして描かれている。その重 力が彗星の軌道を歪ませ、そのため彗星が 遂には地球と衝突することになる。 冥王星の外側になにが存在するかという 考えで、もう少し興味深い仮説はおそら く、惑星ではなくなにか別のもの一一第二 のアステロイド・ベルトではないか、とい うものだろう。この種の発想のひとつを途 方もなく発展させたものには、フレデリッ ク・ポールとジャック・ウィリアムスンの The ルイ 5 S 化 ( 1964 ) があり、そ こでは宇宙礁脈の生命システムがきわめて 想像力ゆたかに描きだされている。クラー クの『地球帝国』でも、冥王星以遠での生 命の可能性が重視されるが、問題は推測の 域を出ないものだ。 人口過剰 OVERPOPULATION 〔 B S 〕 惑星に向かう。 カットナーの "We Guard the Black Planet" ( 1942 ) もそこが舞台た。フィリッフ。・ K ・ディッ 259 1798 年に T ・ R ・マルサスは、平和で物 資が豊富なユートピア状況は達成不可能だ という点を論理的に証明しようと、『人 口論』刃 0 〃 the ~ 加ゆ ~ 02 ″ I の〃 4 5 お〃尾 〃第襯劭ま & の第一版を出版 した。その論拠は、戦争や、飢餓や、疫病 などによる歯止めがなくなると人口は加速 度的に増える傾向があり、そのため社会は 絶えず資源を追いこすかたちで成長すると いうものである。第二版 ( 1803 ) では批判 XIII

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う、いささか風変りなイメージを広めた。 アンノウン誌の創刊された年には同誌に三 篇の小説を寄稿している。『炎の塔の剣 士』襯 e 科ツ ds ( 1939 アンノウン誌 ; 1969 ) と『熊神の王国の剣士』 & れ 5 the Bear-God ( 1939 アンノウン誌 ; 1969 ) の二作は、ともにプレスター・ジョンの伝 説に材を取った剣と魔法小説である。 "But Without Horns ” ( 194 のでは、テレバシ ー能力を使って、出会った人間に宗教的崇 拝の念を呼び起こすミュータントを描いて いる。第二次大戦中、彼は政府の報告書を 書く職に就き、その後は原子力委員会の仕 事をした。 〔 MJ E 〕 ペイジ、トマス PAGE, THOMAS ( ? ー アメリカの作家。長篇『へパイストスの 劫火』 T んゅん〃おれぉ ~ / ag ( 1973 ) は、地底から侵略してきた、火を吐く新し い種類の昆虫にまつわる物語だ。一種の集 団知性を所有するように見えるこの昆虫に 一人の科学者が ( やや形而上的に ) 魅了さ れる。この作品は『燃える昆虫軍団』召な g ( 1975 ) と題して映画化された。〔 J C 〕 PAL , GEORGE ( 1908 ー 8 の ハンガリー生まれの映画製作者、 1940 年 よりアメリカに移って活躍し、 S F および ファンタジイ映画で名高い。フ・ダベストで イラストレーターとしての教育を受けた彼 は、アニメーションの道に進むことを決 意、 1931 年にドイツに渡って UFA スタジ オで働く。ヒトラーが台頭してくると、彼 は人形アニメ映画製作の計画を携えてパリ に移った。ある煙草製造会社がその計画に 投資し、彼は間もなく、自ら ′、ヘトゥ ン″と名付けた技術を使った一連のコマー シャル映画と、純粋な娯楽映画とで非常な 255 成功を収めた。アメリカに移民したのち、 パラマウント映画会社に新たなパベトゥー ン部門を設立し、人間を使った最初の映画 を 1949 年に製作した。 The G 4 れ ( アーヴィング・ビシェル監督 ) というタ イトルのその映画はジミ T ュランラ・ トという名のアニメのリスが主 と、ノレ′く一 役だった。そのあと、 1950 年代の SF 映画 ブームのきっかけになった『月世界征服』 のに立 / れ / 0 〃」 0 れ ( 1950 、アーヴィング ・ビシェル監督 ) に着手した。この映画が 成功したので、彼は次の作品に早速また S F の題材を選んだ。『地球最後の日』 XV Ⅱ 〔 J B 〕 な、強烈なイメージを提供してくれる。 うな効果がある。また時として、印象的 あふれ、それらの欠点に関心が向かないよ あるが、その作品の大部分は華麗な趣向に といった他の側面がおろそかになりがちで 殊効果に向いているため、脚本や演技の質 ダースン監督 ) である。彼の関心は主に特 ユ〃召 ( 1974 、マイクル・アン ク・サべージの大冒険』 Doc S , ag ら 作した。 1977 年の時点での最新作は、『ド 含む、多くの純粋なファンタジイ映画も製 The & 認れおåc に s Dr. ん〃 0 ( 1964 ) を 『親指トム』 T の〃 T ん″〃 ( 1958 ) や、 などを製作した。またこの期間に、彼は 。て“お ( 1967 、ノくイロン・ハスキン監督 ) ( 1960 、ジョージ・パル監督 ) や、 Thc タイムマシン』 The T あ尾 Mac ん・ ョージ・パル監督 ) 、『 80 万年後の世界へ・ 〃 4 厩な , 〃尾ん 0 立 CO 厩 / 厩 ( 1959 、ジ キン監督 ) 、『謎の大陸アトランティス』 CO 叫“立 S. カ 4 化 ( 1955 、ともにハス N 記れ g と『宇宙征服』 The ロン・ハスキン監督 ) 、『黒い絨氈』 The 戦争』Ⅳの・ the Ⅳの・ I ( 1953 、 ・マテ監督 ) がそれである。続いて『宇宙 ー仏ん e 〃 Worlds Co 〃 / ( 1951 、ルドルフ

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にこたえて、、、道徳的抑制″というもうび とつの仮説的な歯止めを導入している。マ ルサスはダーウインに重大な影響を与えた が、社会一般には直接的な影響力をあまり 持たなかった。彼の説が論理的に非の打ち どころのないものであったにもかかわら ず、大多数の思弁小説作家は、人口爆発が 現実に起こりつつある時ですら彼の意見を 無視した。この盲目さについては容易には 説明がっかないが、 1950 年代から 60 年代に かけて、 S F とポビュラー・サイエンスの 分野において人口過剰テーマが急速に広ま ったことは、未来におけるディストピア・ イメージがユートビアのそれを凌駕した ととおそらく関係があるだろう。人口問題 の認識は多分、この悲観主義 ( 楽観主義 と悲覦主義 ) の結果であって原因ではなか 1951 年 11 月号のマーヴェル・サイエンス ・ストーリーズ誌に、世界の人口を意図的 に抑えるべきか否かについての、、シンポジ ウム″が掲載されたが、 SF 界では、その 時点まで問題に手を着けた者はいなかっ た。 C ・ M ・コーンブルースの "The Marching Morons ” ( 1951 ) では、知識 階級が慎重に出産制限を順守し、ルンペン ゾロレタリアートが野放図に増加していく 未来を活写したが、人口過剰そのものとい うより優生学をテーマにしたプラック・コ メディであった。カート・ヴォネガットの フ・ラック・コメデイ「明日も明日もその明 日も」 "The Big Trip Up Yonder" ( 1954 ) では、人口過剰が明確なテーマで あるが、それは正統なマルサス風の増加で はなく、医学による極端な長寿の達成が原 因となっている。 1950 年代の S F では人口 過剰におちいった環境がますます一般的に 使われるようになってきた。人口問題につ いて懸念を抱いた最初の S F 作家の一人ア イザック・アジモフは、『鋼鉄都市』 The XIV Ca 。ぉ Steel ( 1954 ) においてその状況 を描いている。純粋にマルサス型の人口過 剰問題が実際に S F に現われたのは 1950 年 代の後半になってからだった。コーンプル ースは最初の重要な人口過剰の恐怖物語 「暗い潮を刈れ」 "Shark Ship ” ( 1958 ) を発表した。のちに彼の共作者フレデリ ック・ポールも皮肉な "The Census Takers ” ( 1956 ) を書いた。ロバート グの『生と死の支配者』 シノレヴァー / 、一 人間がいつばい 258 は、出産過剰に対する反論にはじまり、自 Co 襯襯れ d 〃厩 ( 1962 ) がある。この作品 レスター・デル・レイの The 刃 0 翩 テーマに関して妙に意図の曖昧な長篇に 一兆」 "Billenium" ( 1961 ) である。この な図式で描いた、 J ・ G ・ノくラードの「至福 のスペースのゆっくりした縮小という単純 マの処理でもっとも効果的な作品は、個人 初期の試みである。初期におけるそのテー 制度化された人口抑制法を真面目に扱った Ma 立ん d の ( 1957 ) は、 ・ / 、リスン 『人間がいつばい』ハリイ

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ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ & のア 4 れ d 〃尾 Rings 可・ S ″ ( ポー ル・フレンチ名義 1958 ; 圜 T ん Rings 可、 英 ) でも同じ場所に還ってきてい る。もうひとつの注目すべき児童 S F は、 土星には生命が存在するのではないかとい う大胆な仮説に基づいたフィリッフ。・レイ ザムの石切 g れ 0 ア S 4 ( 1953 ) である。しかしながら、主舞台として扱わ れることでは、母惑星よりタイタンのほう がはるかに回数が多い。アラン・ E ・ナー わたって木星の外まで遠征する。ただし彼 女は並外れて豪胆な女性であった。外惑星 まで手を広げたパルフ。作家たちの中で多少 とも重きを占めているただひとりの存在は スタンリー・ G ・ワインポームである。彼 はまず "Flight on Titan" ( 1935 ) におい てタイタンを扱い、続いては天王星を舞台 にした数少ない小説の一つ "The Planet of Doubt ” ( 1935 ) を発表、舞台の一部とし て冥王星を扱ったスペース・オペラ "The Red Peri ” ( 1935 ) も発表した。辺境に舞 台を取った他のパルフ。小説には、 J ・ M ・ ウォルシュの "The Vanguard tO Neptune ” ( 1932 ) やウオレス・ウェスト の「冥王星への道」 "En Route to Pluto" ( 1936 ) やレイモンド・ Z ・ギャランの "Raiders of Saturn's Rings" ( 1941 ) 、 マレイ・ラインスターの "Pipeline to PIuto ” ( 1945 ) などがある。スタントン・ A ・コフ・レンツの諷刺 S F のひとつ ん知襯・ 4 Depths ( 1931 ; 1950 ) は、題 名通り冥王星の奥深くに舞台を設定してい る。クリフォード・ D ・シマックの『大宇 宙の守護者』 Co ”な E れ g ( 1939 ; 國 1950 ) は、冥王星の近くから物語がはじ まる。しかしながら、戦前の思弁小説にお いて、外惑星に与えられたもっとも重要な 役割というのは、オラフ・ステーブルドン のん 4 立 4 れ d 窺 r 立〃 ( 1930 ) とん 4 立 れ切切れ〃 ( 1932 ) における海王星 にとどめをさす。その中では、遙かな未 来、人類の究極の子孫が、太陽の膨張にと もなって新しい住み家を海王星に求めなけ ればならなくなる。 戦後は、もっとシリアスな思弁小説に外 惑星がひんばんに登場するようになる。ア イザック・アジモフの中篇「火星人の方 法」 "The Martian Way" ( 1952 ) では、 土星の輪が重要な役割を演じる。彼はまた 児童 S F の『太陽系の侵入者』加 y 煢の亠ま 短篇集『火星人の方法』アイザック・アジモフ スの『タイタンの反乱』 7 ' 4 みん 0 れ T / 地〃 ( 1954 ) は、この衛星の植民を扱った児童 S F である ( 宇宙植民 ) 。カート・ヴォ ネガットの『タイタンの妖女』 T ん & ・ T / 〃 ( 1959 ) はクライマックスをこ の地で迎える。もっと最近の例を挙げるな ら、タイタンは、べン・ポーヴァの As 0 〃 “ D の・んツ g ~ / の・れ ( 1972 ) では巨大な異 星人の装置のありかとなり、アーサー・ C ・クラークの『地球帝国』わゆ夜・ / 記 Ea ん ( 1976 ) では優雅に描き出された植民地の 260 XII

9. SFマガジン 1984年10月号

川ⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ! ! ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ財 は、本名や、ジョン・クリーヴ、ジェフ・ ダグラス、あるいはハウスネームの J ・ X ・ウィリアムズ等を含むべンネームを使っ て、いくつものジャンルで精力的に活動し ている。ペンネームを使ったものはセック ス小説で、中には SF 的テーマの作品も含 まれている。本名で発表した最初の SF 長 篇は、 E て , 〃なんんど S, 〃記召 4 の・イ s ( 1970 ) で、 21 世紀の宗教的独裁政治に対 し、性革命で反抗する地下運動の闘いを描 いている。 The Ca 立ん Keeps ( 1972 ) は、 西欧文明の暴力的崩壊を、より意欲的に描 いている。ジュヴナイルの The G 記 4 けな 火 c お ( 1973 ) は、侵略の危険にさらされ たユートピア世界における、サイ能力を持 つ三人の若い友達同士の物語である。オフ アット名義の作品の大部分は、 M ぉ〃 g Z ん 4 4 立 04 ( 1973 ) やユ 0 お 4 ( 1977 ) を代表作とするファン タジイであり、おおむね剣と魔法小説であ る。彼の文体はテンポが早く、時に性急に すぎる。ジュヴナイルからポルノグラフィ まで、あらゆる分野を守備範囲にしている かに見えるが、どうやら騒がしい都市社会 を描いた SF 小説において、もっとも実力 を発揮できるようだ。アメリカ S F 作家協 会の会長 ( 1976 ー 8 、 1973 ー 6 は経理と入会 委員長 ) として、 1975 年のスタニスワフ・ レム除名にからんでの弁明と和解文 ( サイ ェンス・フィクション・スタディーズ誌 1977 年 7 月号収録 "How it Happened: One Bad Decision Leading to Another") を発表した。 オリヴァー、チャド OLIVER, CHAD 〔 J C 〕 アメリカの作家で人類学者でもあるシム ズ・チャドウィック・オリヴァー Symmes Chadwick Oliver ( 1928 ー ) が S F の 長短篇を発表する際に使う名義。オハイオ 269 州生まれだが、その後はほとんどテキサス 州で暮らし、文学士号と文学修士号 ( 1952 年の彼の修士論文 "They Builded a Tower" は、 S F についての理論的な研究 の初期のものである ) はテキサス大学で修 得した。人類学の博士号は、カリフォルニ ア大学ロサンゼルス校で修得した。彼はテ キサス大学オースチン校の教授であり、そ の S F 作品には常に、彼の専門領域と生活 圏とが反映されている。彼の小説にはアメ リカ南西部の戸外が広く扱われている。大 部分の登場人物は、戸外の生活に深くかか わっているし、オリヴァー自身は絶えずア メリカ・インディアンの暮らしや問題を描 くことに心を配っている。好意的に描かれ たインディアンの主人公を登場させた唯一 の非 S F 小説 7 ' Ⅳ。な My 召 ( 1967 ) は、アメリカ西部作家連盟から 1967 年度の最優秀西部歴史小説賞を受け ーー 0 彼の S F の大部分も、大地とそこに生き る人々を誉めたたえる類の西部小説と考え ていい。何百世紀にもわたる冷凍睡眠から 覚めた異星人を扱った『時の風』 The アッ T わ ( 1957 ) のように、彼が 明確に S F テーマを作品にとりいれた時 は、その異星人や人間の主人公の運命が、 作者や、人間の主人公や、異星人の持つ、 自然と深くかかわりあう生活への心の底か らの渇望が報われるという形で解決され る。ただし、適切なプロットで自分のもっ とも好む情景を盛りあげることができない 欠点と、 ( 初期の作品に見られた ) 中篇の 長さを長篇に引き伸ばす傾向によって、劇 的効果のいくぶんかは減じられている。 彼のデビュー作は、 1950 年のスーパー・ サイエンス・ストーリーズ誌に掲載された "The Land of Lost Content ”である。 最初の長篇はジュヴナイルの『地球の夜あ け』 Mists 可、れ ( 1952 ) である。テ III

10. SFマガジン 1984年10月号

ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢ ll ⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ごとく、ヒトという種の遠い祖先を扱った おびただしい小説が生まれてきた。英国に おけるダーウイン学説の主なる擁護者トマ ー・ハックスリーは、『自然界 ス・ヘンリ における人間の地位』 "Man's Place ⅲ Nature" ( 1863 ) と題する古典的なェッセ イを出版し、ダーウイン自身もその後まも なく『人類の起源』 The D お化厩 Man ( 1871 ) を著した。重要な論点は、ディズ レーリの言葉を借りると「問題は、人間が 中にあってヒトをヒトたらしめ、野獣と区 これに付随する主要な疑問として、人類の とをやめ、人類の祖先になったかである。 はなく、いつどのように野蛮な獣であるこ 猿のような先祖から進化したのかどうかで 野の思弁小説が扱う主要な問題は、人類が 立場に立った ( アダムとイプ ) 。この分 基礎を置く思弁小説は・一一それと対立する しながら科学は一一一ひいては科学的発想に ディズレーリ自身は天使派だったが、しか 猿なのか天使なのか」ということだった。 『 2g1 年宇宙の旅』アーサー・ C ・クラーク 265 別しているのはなにかということがある。 この疑問に関しては、多くの適切なアプロ ーチ ( 人類学 ) がなされているが、なか でも真正面から取り組んだのが先史ファン タジイである。 T H ・ハックスリーは自然淘汰の過程 にかなり厳しく、強硬に固執していた。そ の継承者である H ・ G ・ウェルズも "A Story of the Stone Age ” ( 1897 ) におい て、人類の進化の重要な瞬間を、、新しい棍 棒〃ー一切ったり殺したりする、より良い 手段ーーの発明というふうに想定した。 の考え方は以後絶えず繰り返し使われ、最 近でも 1968 年のスタンリー・クープリック の映画『 2001 年宇宙の旅』 200 ノ : Space 0 において、骨を使って他 の骨を砕くことができると気づいた猿が、 自分の群をひきいてはじめての武器を使っ た戦いに臨むという形で、知性の曙が描か れている。ダーウイン自身はそれとはいさ さか異なる考察をして、生存闘争の中での 協力と相互防衛の積極的意義を強調してい る。武器の重要性は認めながらも、生命維 持の面で貢献する手段の開発を力説したの だ。物理的発明に劣らない精神的発達は、 ジャック・ロンドンの『アダム以前』新 召尾み靃襯 ( 1906 ) でも強調されてい る。それまでも、もっと宗教的傾向を持っ 作家たちは一一たとえば T ん 4g4 が 7 ℃ g 尾ぉ ( 1904 ) におけるガヴァヌアー モリスのように、人間性の起源は純粋に精 神的なものだと述べてきた。人類史上の重 要な発明のもうひとつの筆頭候補は、言う までもなく火である。その重要性はスタン リー・ウォータールーの T ん Story ( 1897 ) とチャールズ・ヘンリ - ー・ロヒン スンのん 0 れ g ん d : 〃尾 & 0 the ツ立 ( 1913 ) において、あますとこ ろなく描写されている。人間の本質につい てのハックスリー派の説に対して強く反対 VII