ソールヴァルト - みる会図書館


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1. SFマガジン 1984年11月号

ソールフィンの声が大きくなった。 きには、白々とした光が礼拝堂にみちていたのだ。焔は消えはてて ドイツ語でノ いた。そして、誰かがラーデグンデを揺さぶっていた。彼女は椅子「彼に言ってやってください」ラーデグンデ院長が、 ールヴァルトに言った。「私は彼がまったくべつの人間になるま に坐って、頭を一方に傾けてまだ眠っていた。それはソールヴァル ト・アイナルソンだった。彼は興奮して、おかしなドイツ語で叫びで、彼に洗礼を授けることも、罪の告白を聞くこともいたしませ 立てていた。「女、どうやったのだ ? どうやってやったのだ ? 」ん。いまのその子が欲しがっているのは、こんどまた難儀にあった 「なにをですか ? 」と院長が眠たそうな声で言った。「彼が死んだときに、あなたがたのオーデン神やトール神に代わって、そこから 自分を救い出してくれるもっとカの強い誰かなのです。こう彼に尋 のですか ? 」 「死んだだと ? 」ノルド人がわめいた。「治ったんだ ! やつは治ねてください。あなたはシビードを自分の妹としていつくしみます か ? 彼女がからだを汚したときにはその身を清め、食べものを食 ったんだ ! 肺が元通りになってる、心臓のまわりの肉が盛りあが って、ばらばらに折れた肋骨もくっ付いてる ! 胸の筋肉さえ治りべさせ、彼女を抱きかかえてやさしく愛をこめて語りかけ、そうや って彼女を治してやるつもりがありますか ? キリストの神が私た かけてるんだ ! 」 「それはよかった」院長が相かわらず半分眠ったまま言った。「私ちの罪をぬぐい消すのは、それらの罪をまたふたたび私たちに犯さ せるためでしかありませんが、彼が望んでいるのは、そしてあなた をほっておいてくださいな」 ソールヴァルトがまた彼女を揺すった。彼女がまた言った。「おがたみなが望んでいるのは与えてくれる神、与えて与えて与え尽し お、眠らせてください」こんどはノルド人が院長をつかみあげるよてくれる神なのです。しかし、神はお与えになりません。彼は奪い うに立たせ、彼女が金切り声をあげた。「ああ、背中が、私の背中に奪い、奪い尽すのです。神でないすべてを彼は奪い去り、残るの が ! おお、聖者たちょ、私のリ、ーマチが ! 」同時に、青い毛織はもはや神のみという所まで奪い尽します。あなたがたには、けっ 物の下から病み疲れた声がーー病み疲れてはいたが亡霊の声ではなしてこれは理解できますまい ! 罪の許しなどというものは存在し ません。ただあるのは変化のみであって、ソールフィンは神のもの ノルド語でなにかを言った。 、人間の声が 「ええ、聞こえていますとも」と院長。「あなたは急いで、いますとなる以前に、変化しなくてはなりません」 ぐに〈白きキリスト〉の信者になりたいのですね。しかし、ドミヌ「院長、あんたは雄弁だ」ソールヴァルトが笑いながら言「た。 「しかし、どうしていまの言葉を自分で彼に言わんのかね ? 」 ス・ノステル、どうかおねがいですから、あそこの頑丈そうな頭の なかに私にはめぐさはつかを入れた桶いつばいの熱い湯が必要なの「痛くて仕方がないからですよ ! 」ラーデグンデが言った。「お だという考えを吹きこんでくださいませ。私のような老人には、一お、私を早く熱い湯に浸けてください ! 」そして、ソールヴァルト 晩椅子で眠るのは無理なのです。頭から足のさきまで痛くて仕方がに半ば導かれ半ば支えられるようにして、彼女はよろよろと部屋を 出ていった。その朝、風呂を浴びた後ーー・私が泣きわめいたので、 ありません」 7

2. SFマガジン 1984年11月号

を描かれた木、そして、ページには金箔を張り表紙には宝石を嵌め ラーデグンデ院長がロ火を切った。「取引に応じますか ? 」 男たちがうなずいた。まあ一応聞いてみるか、といった顔つきた多くの書物があります。このすべてを差しあげましよう。しか し、私たちはさらにいっそう高価なものを持っています。さまざま な薬草や薬、そして食物が腐らないようにする方法です。これも差 「で、そちらの代表として話をするかたは ? 」 びとりの男が前に出てきた。それはソールヴァルト・アイナルソしあげましよう。しかし、私たちはそれよりもっと高価なものを持 っています。それはキリストについての知識と、魂についての完全 ンその人だった。 かしら いつでも差しあげましょ 「ほほう、なるほど、院長がそっけなく言った。「頭を持たぬ舟人のな理解です。これも、お望みのときに、 寄り集まり。みなさんはそう決めて、舟に乗り組んだのではなかつう。あなたがたは、ただ受け取るだけでよいのです」 ソールヴァルト・アイナルソンが手をあげて制した。「俺たちは たのですか ? それが約東を守るという保証がどこにありますか ? 悪企みをするもの、約東をやぶるもの、私はそんな人たちを相手に最初のやつだけで沢山だ」彼は言った。「それと、第二のものの一 部ももらっておこうか。そのほうが実際的と言うものだ」 したくありません ! 」 ざわめきが広がった。しかし、ソールヴァレト・、 ノカ ( 近くで見る「ええ、そして馬鹿げていますよ」院長が平然と言いはなった。 と、もの凄い大男だった ) 穏やかに言った。「俺はそんなやつらと「いつものことですがね」そしてまた、私は二人がほかのものたち が気づきさえしない、なにかの冗談を話しているような奇妙な印象 航海はしない。さあ、始めよう」 に打たれたのだった。彼女がつけ加えた。「たった一つ、あなたが 私たちはみんな地面に坐りこんだ。 「さて」ソールヴァルト・アイナルソンが眉をあげて言「た。「俺たに差しあげられないものがあります。そして、これがすべての内 のほうのしきたりでは、こういった場合、あんたのほうが話を切りで、もっとも貴重なものです」 ソールヴァルト・アイナルソンがもの問いたげに顔をしかめた。 出すことになっている。そしてまた、しきたりではその話はまずあ 「わが信徒たちです。私にとって、かれらの安全は私のこの身より んたがたがとても貧しいという所から始まるのが決まりだ」 も大切です。かれらには、どんな理由があろうと、たとえ髪の毛一 「ですが、実際は」と院長。「私たちは豊かな民です」フアザー しいですか、あなた ケアプルがうめいた。そして、修道院の石垣の裏手からも、すぐに本であろうと、手をかけることはなりません。 うめき声が聞こえてきた。院長とソールヴァルト・アイナルソンのがたは力を用いて楽々と修道院に立ち入ることがおできになるでし 二人だけが、まったく動じた気配もなかった。それはまるで、二人ようが、しかし、院内の人びとはあなたがたをとても恐れており、 がほかのものには理解できないやり方で、冗談を交わしているとでしかも男たちの一部は武器を持っております。たとえ良い戦士で もいった様子だった。院長が言葉をついだ。「私たちはとても裕福も、人ごみにもまれれば自由を失うもの。あなたたちは足をすべら いえわかっていても同士 です。院内には多くの黄金や銀、真珠や刺をほどこされた布、絵せるかもしれないし、それと気づかずに、 で。 6

3. SFマガジン 1984年11月号

そして、相変らず不思議な純心さのこもった声で言った。「私を れば、欺そうとしているのさ」 「それはちがいます、ソールヴァルト」と彼女。「どうして私にあ打ってはなりません。私を押してはなりません。私はあなたの友な なたが欺せるのですか ? 私はあなたの友です。それに、あなたはのです ! 」 きっと三日間待ってくださいます、あなたもまた私の友なのですか相手が言った。「つまり、鳶鳥のように俺の首にひもを付けて、 引っぱりまわそうと言うのか。へつ、そんなことはもう沢山だ ! 」 、え、私にはもうそんなことはできません」院長は鋭く呟い 「おまえは気ちがいだ」ノルド人が吐き捨てるように言い、書斎の ドアへ向かって歩きかけたが、彼女が行手に立ちふさがり、倒れ伏た。「あの扉が開いてからはもう。いまの私には、そんな力はあり すように膝をついた。この姿からはいっさいのさかしらが失せていません」ノルド人が腕を振りあげて打とうとすると、彼女が身をす くめて、哀れつぼく叫んだ。「私を打たないで ! 私を押さない たが、たぶんそれまで小ざかしくあったのはラーデグンデであった いけません、ソールヴァルト のだ。その人はまるで子どものようだった。彼女は手をにぎり合でー せ、その眼からは涙があふれた。そして、彼女は懇願した。 「それならばそこをどけ、老いぼれの魔女 ! 」 「こんなにささいな事でありませんか、ソールヴァルト、たった三彼女が喉を鳴らし肩をふるわせて泣きはじめた。そして言った。 日間です ! もし、かれらがやって来なかったら、どこへなりとお「ひとりはここ、でももうひとりがまもなくやって来るのですー 好きな所へ私をお連れください。それに、かれらがもしやって来たひとりは埋められていますが、もうひとりが立ちあがります ! 彼 ! 」そして、それから低い早ロの としても、けっしてあなたが後悔なさることはありません、それは女が来るのです、ソールヴァルト お約東します。かれらはここの人びととは違います。また、あちら声で、「この最後の扉を、押し開けてはなりません。このうしろに の場所もこことはまったく違います。それは魂の希求してやまぬもは邪悪なものがいて、どんな凶事がーー」しかし、怒りと失望でン ールヴァルトが・せんぜん聞いていないのは明らかだった。そして、 のなのです、ソールヴァルト 彼はふたたび彼女を打ち、ふたたび彼女は倒れて、絶望の声をあげ 彼が言った。「立て、女、後生だから立て ! 」 ながら両手で顔をおおった。大男がドアのかんぬきを外し、彼女の 彼女が涙にぬれた顔に、怯えたようなずるい徴笑を浮べて言っ た。「私をここにいさせてくれたら、遠い昔に修道院長がうずめた上をまたぎこえた。そして、廊下を遠ざかっていく足音がきこえ た。私には院長の姿がはっきりと見えたーー・ーあのとき、獣脂ろうそ 財宝の所へご案内しましよう、ソールヴァルト」 大男が怒気もあらわに一歩後退した。「なるほど、死などものとくの火影が酔っぱらったように揺れてすべてをぼんやり隠していた も思わん、勇敢な老ぼれの魔女という訳か ? 」彼は言った。それかのに、私はそれをまったく不思議とは思わなかったのだがーー彼女 ら、またドアへ向かって歩きかけたが、彼女がまた蛇のように素早の顔のしわの一本一本までが、まるで真昼間のようにはっきりと見 え、その光のなかで私はとうとうラーデグンデがわれらのもとを去 く立ちあがり、その行手に身を投げだした。

4. SFマガジン 1984年11月号

うとか。海からはねあがる鯨のことや、オットセイのことも考え は素面だったが。 「ソールヴァルト」と院長。「あなたがこの古びたからだでなにをた。吠えると言うのだから、それはきっと大きな犬みたいなものな したいのか私には想像もっきませんが、私のしわや垂れさがった乳のだろう。暫くすると、オットセイたちが陸に飛びあがって、私の 房や、やせてしぼんだ腿に欲望を覚えると言うなら、さっさと好き寝床のほうへ走ってきた。そして、大きな、冷たい水みたいな舌で なようにして、おねがいですから早く私を眠らせてください。私は私のことをなめたので、私はそくっとして飛びあがり、気がつくと 目が覚めていた。 もう死にそうに疲れているのです」 ラーデグンデ院長が寝床を出てーー彼女のぬくもりが失せたの 大男が低い声で言った。「俺はあんたを意のままにしたいんだ」 ラーデグンデが弱々しく両手をひろげた。「おお、ソールヴァル で、私は目を覚したのだーー部屋のなかを歩きまわっていた。い ト、ソールヴァルト、私は四十を過ぎたか弱い、 ちつぼけな女なのや、歩いては立ちどまり、歩いては立ちどまりして、そのたびに彼 ですよ ! いったい、どこに意のままにならぬ所があると言うので女のスカートが低い音をさせていた。彼女は眠っているンールヴァ すか ? 私には、ただ喋る力しかありません ! 」 ルトにさわらないように用心していた。暖炉の灰のなかでまだ熾火 彼が言った。「そいっさ。それがあんたのやり方なんだ。おまえがかがやいて、あたりはぼんやり明るかったが、夜の寒さふさぎに は喋りに喋って、喋りまくって、誰もかれもと思い通りにしちまうもう閉じられるようになっていた書斎の窓の板戸のすきまからは、 んだ。この眼で俺はそいつを見てきたのさ ! 」 まったく光が射していなかった。やがて、ラーデグンデは壁にかか 院長が鋭く相手を見すえながら言った。「そうですか。いいでしった素朴な木の十字架の下にひざまずき、二こと三ことラテン語を よう、どうしてもと言うなら。でも、私がもしあなただったら、ノ呟いた。私はきっと祈っているのだろうと思った。しかし、それか ルド人、自分の母親と寝たほうがましだと思うでしようね。私のスら彼女は低い声でこう言ったのだ。 カートをたくし上げながら、それを思い出してごらんなさい」 「アポロやミューズに祈ってはならない。なにも聞く耳など持た この言葉が、ソールヴァルトを打ちくだいた。低く悪態をついてぬ、むなしい存在にすぎぬからだ。しかし、あなたも同じだ、釘を 彼はごろりと私たちに背を向けた。そして幾度か、寝床のヘりにナ打たれた人よ、聞く耳もなく、むなしい」 イフをつき刺した。そして、やがて枕にしていたまるめた服の下それから彼女は立ちあがり、また歩きはじめた。あのときのこと に、ナイフを押しこんだ。それを見て、私たちの寝床には枕がなかを思い出すと、いまでも私は怖くなる。真夜中のことで、そばで聞 いや、私はいたが、彼女は私が眠 いているものも誰もなかった ったので、私はマントのヘりをまるめて枕を作ろうと思ったが、う にも拘らず、低い落着いた声で、ま っているものと思っていた まくいかなかった。私は暫くいろいろなことを考えていた。あのノ ルド人はきっと、ラーデグンデにやどっている神が怖いのだろうとるで真昼間に誰かになにかを説明しているかのように、長年考えて か。シスター ・ヘドウイクが何度も赤くなったのは、どうしてだろきたことをいまこそ言わずにおられんとでもいったふうに、彼女は

5. SFマガジン 1984年11月号

彼が手を差しだし、彼女がその手をとった。彼が感嘆のおももち呟いていた。「あのかたは聖女だわ、私たちの院長は。信徒のため で頭を振りながら言った。「俺があんたをコンスタンチノープルでにわが身を犠牲になさって、聖女さま」その間ずっと、私たちの背 シビー 売り飛ばしたら、あんたはまちがいなく一年以内に、あそこの女王後からまるで記憶のように、とりとめもなく低いシスター になってるぜ ! 」 トのすすり泣きの声がきこえていた。彼女は地獄にいたのだ。 院長がほがらかに笑った。私は恐怖に打たれて、思わず叫んだも のだ。「ぼくもだー ぼくも連れてって ! 」すると彼女は「ええ、 勿論ですとも、私たちが可愛いポーイ・ニューズを忘れる訳があり 戻ってみると、ソールフィンはさらに回復し、ノルド人たちはっ ません」と言って、私を抱きあげてくれた。 ぎの朝出立する準備をととのえていた。その夜、ソールヴァルトは 恐ろしげな大男は私に顔を近づけて、あの奇妙なうたうようなド院長の書斎にもう一つ藁のマットを持ちこみ、私たちといっしょに ィッ語でこう言った。 床で眠った。院長が老いた女だという理由で、諸君はこの振舞が部 「ポーイ、広い海で鯨がはねるところや、岩の上で吠えたてるオッ下たちの嘲笑をかったとお考えになるかもしれないが、おそらくソ トセイを見たくないかね ? それとか、巨人が腕を伸しても、てつ ールヴァルトは若い女のひとりを相手にした後で、我々の所に来た ペんに手が届かないほど高い崖や、真夜中に輝く太陽を ? 」 のだと思う。なんとなくそんな様子があった。寝具といっても院長 「見たい ! 」と私は答えた。 には穴のあいた古い茶色のマントが一つあるきりで、彼女と私がそ ットレス 「しかし、おまえは奴隷になるんだそ」ソールヴァルトが言った。れにくるまって寝ていると、彼が入ってきてもう一つのマ 「ふたれたり、ひどい目に会わされるかもしれんし、いつだって命にどさりと横になり、ロ笛を吹いた。そして、暫くして言った。 令されたことをしなけりゃならんのだ。それでもいいのか ? 」 「明日だ、出帆の前に、古くから伝わる修道院長の財宝というやっ 「いやだよ ! 」私は安全なラーデグンデの腕のなかから、夢中になを見せてもらおう」 「お断りします」とラーデグンデが言った。「あの協約は破られた って言ったものだ。「ぼくは逃げてやる ! 」 大男は吠えるような大声で笑いだし、それから私の髪をくしやくのですから」 ノルド人はナイフを手でもてあそんでいたのだが、それを聞いて しやにしながらー、ーーちょっと荒つぼすぎると私は思ったーーー言っ た。「俺は悪い主人にはならんさ。俺の名は赤髯の神トールにちな親指の腹を刃に沿って動かした。「無理じいもできん訳じゃない」 んでいるんだ。彼は強くて喧嘩早いが、性格はいいやつなんだ。俺「お断りします」じっと我慢して彼女が言った。「私はもう休みま もそうさ」院長が私を下におろした。そして、我々はまた村へと歩す」 きだした。ソールヴァルトとラーデグンデ院長は、この世界のさま「それほど、あんたは死をなんとも思わんのか ? 」彼が言った。 ざまな栄光について話していた。シスター・ヘドウイクが低い声で「たいしたものだ ! それでこそ勇敢な女というものだ。スカルド 8

6. SFマガジン 1984年11月号

ようどかれらを包む光のように、春の光のように穏やかではあるの援助なくしては、なに一つなし得ないのだ。 が、春になり冬がすっかり去ってしまった場所のように力強い歓ば さあ、これが私の復讐だ」と院長が言った。そして、彼女の指さ しさがあったからだった。 きに触れられて、ほんのかすかに触れられただけだったが、ノルド 「こちらへ来なさい、ソールヴァルト」と院長が言った。その表情人はまるでもだえ苦しむように見えたものだ。「今後は、そなたは からは、彼女が相手を愛しているのか憎んでいるのか見分けはつか農夫ソールヴァルトではなく、また舟人ソールヴァルトでもなく、 なかった。彼が近づいた がくん ! がくん ! ーー彼女が手を差平和の作り手ソールヴァルト、 反戦者ソールヴァルトとなって、流 しのばして、指さきで相手の額にさわった。すると、ノルド人の唇血に苦悩し、暴虐に苦悶することになろう。そなたの命を長くする のはたが、大がうなるときにするようにめくれ返った。 ことはできないがーーー私にはそんな力はない しかし、そなたに 「そなたも承知の通り」院長が静かに言った。「私はそなたを憎んこれを与えよう。命が長かろうと短かろうと。命の最後の日々に至 でおり、そなたへの復讐を望んでいる。そして三日前、私は自らに って、そなたはいまの私と同様、つねに身辺に〈存在〉を感得し、一 それを誓った。そのような誓約は、軽々に破られるものではない」そしていまの私と同様それが善でも悪でもないと気づいて、その知 大男がまた歯をむき、彼女から視線をそらせた。 識につねに悩み恐れるであろう、いまの私と同様に。したがって、一 「私はまもなく行かねばならぬ」院長が動じる気配もなく言葉をつ この一事についても、また他の多くの事柄についても、平和の作り 、だ。「と言うのは、私はただラーデグンデとしてのみ、この長い手ソールヴァルトはけっして平和に出会うことはかなわぬであろ 年月ここにとどまることが可能であったのだが、もはやラーデグンう。 デは存在しない。われらは固有の自己として、いやわれらの真の肉 さて、ソールヴァルト、村へ戻ってそなたの仲間たちにこう告げ 体にあってさえ、ここに長くとどまることはできないのだ。と言うるがよい。私はどうやら聖者たちの一団に加わって、まっすぐ天の のは、そんなことをすれば、我々はシビ 1 ドのように気がくるう楽園へ昇っていったようだと。もし、そうしたければ、そなたもこ か、河のなかに歩み入って溺れ死ぬか、あるいは自らの心臓をとめれを信ずるがよい。これが私の復讐のすべてだ」 ずにはおられない。そなたたちの世界があまりにも悲惨で、邪悪彼女がすうっと手を引くと、大男は背を向け、まるで夢のなかの で、また残虐なように私たちには思われるのだ。また、われらは大人物のように我々から去っていった。まるで雨に触ろうとでもする ヴィジョン きな集団でやって来ることもできない。われらの数は少なく、またように両手を前方につきだし、幾度もつまずきながら、まるで天啓 われらの力は大きくはなく、しかもわれらの無知によってすべてをから目覚めた人物のようにして。 損壊することなく教化しまた援助するためには、われらはそなたらそして、不意に私は深い悲しみに打たれた。その不思議な人びと についてまだまだ多くのことを習い、学ばねばならぬ。さらに言えとともに彼女が行ってしまうと気づいたからであり、それは私には ば、無知であるにせよ深い知識があるにせよ、われらはそなたたち全世界のすべての愛と気づかいと光とが去っていくのも同じことで

7. SFマガジン 1984年11月号

彩はあざやかで、大舟の舳先から生えあがった妖怪は、わくわくす来られたのですか ? 」 ( 諸君はきっと、私がノルド語などまったく るほど凄みがあった。と言っても、それがただの絵姿で、院長の書解さなかったあの当時、どうして彼女の言ったことがわかったのか 5 物にある絵と変りがないのは一眼でわかったのだが。 不思議に思われることであろう。じつを言うと、これもまた結局地 私は、私に大いなる知恵の光を与えたもうた神が、いまこそあの下室へは行かなかったフアザー・ケアプルが、私が背伸びして辛う じて取りついていた窓の上部から顔をつき出し、語られるすべてを 不信むな異国人たちを打ち倒すだろうと堅く信じた。 広間の人びとに説明して聞かせていたのだ。人びとはみな、とても ところが、神はなにもなされなかった。 予期に反して、ラーデグンデ院長はただひとりそれらの猛々しい静かにしていた ) 男たちに向かって歩いていった。岩たらけの河岸を越え、まるで修さて、自分たちの言葉で語りかけられ、さらにはなかのひとりを 道女たちとピクニックに出るときのように平静に。彼女は歌を口ず彼女が名前で呼んだのを聞いて、お察しのとおり海賊どもはあっけ さんでいた。その美しい歌を何十年か後になっても、私はよく歌っに取られて黙りこんでしまった。あと退りするものがあり、空中に たものだ。或る知恵のある旅人の話では、それは西スカンジナビア奇妙なまじないの印を描くものがあり、また剣や斧を引き抜いて院 の子守歌だそうだ。私は当時それを知らなかったが、ただその恐ろ長に駆け寄ろうとするものもあった。しかし、そのソールヴァルト しげな金髪碧眼の男たちが、修道院からたったひとり女が出て来た ・アイナルソンなる男は手をあげてかれらを制すると、からからと のを見て驚いて顔をあげ ( 大扉は彼女が出るとすぐに閉じられ、か笑いだした。 んぬきを掛けられた。私はそれをはっきりと見た ) 、何事かを呟き「頭を使え ! 」と彼は言った。「これは魔術ではない、ただのかし 交しはじめるのがわかった。院長が素早い視線を男たちの顔に走らこさだーーー耳の二つあるものならば、あれだけ散々おまえたちが俺 せていたーーー彼女には、一目相手の顔を見ただけで、魂の奥底に隠の名を吠えたてた声を聞きのがす訳があるまい。ソールヴァルト・ されているものを見抜く力があると、われらはよく噂しあっていたアイナルソン、このオールに手を貸してくれ。ソールヴァルト・ア ものだーーそれから院長は修道衣のスカートを片手でつまみ上げるイナルソン、俺の脚絆は膝までびしょ濡れだ。ソールヴァルト・ア と、器用に岩の間を抜けて男たちのひとりに近づいていった。それイナルソン、ここの流れはまるでフィンプルの冬みたいに冷たいそ はいちばん年嵩の男だということが後にわかったが、そのときには 私にはそこまでは見分けられなかったーーそして、相手の男に、か ラーデグンデ院長はうなずいて微笑した。そして、河岸の小高く れらの言葉でこう話しかけたのだ。 なった所に腰を下した。そして一方の耳のうしろを掻いた。これは 「ようこそ、ソールヴァルト・アイナルソン、あなたのような良き深くものを考えているとき、彼女がよくやる仕草だ。そしてやがて 農夫が、なぜに穀物が豊かに稔り、秋の大嵐が海のかなたからやっ彼女はこう言った ( よほど大きな声で言ったのだろう。その言葉は て来ようとしているいま、故郷を離れてこんな遠くにまで出かけて広間のなかまでかすかに聞こえてきた ) 。

8. SFマガジン 1984年11月号

「良き友ソールヴァルト、あなたはやはりかしこい。私があなたの「祖母さん、恥しくはないのかい ? 」 「なぜですか、良き友よ、何をいったい ? 」と彼女は穏やかに尋ね 姉の息子ラナルフから聞いていた話の通りでした。私はローマにい こ 0 た頃、彼からノルド語をならったのです。それがラナルフだったと いうことを証明しましよう。彼は誓いを立てるときにはいつも、彼「そなたはキリストとか言うやっと連れ添うている身ではないか」 の灰色の馬レイムフットにかけて誓いました。また、彼は言葉が少若者は頭被りを背中に隠したまま言「た。「それなのに、そなたの し不自由でした。私たちと同じような声が出せなくて、あなたの名婿どのは、髪を人前にさらすという恥から、そなたを守ることもで だがもし、そなたがこの俺と添うてくれた をいつも〃トールヴァルト″と言っていました。そうではありませきなんだではないかー んか ? 」 どっと笑い声があがった。ラーデグンデ院長は、声がやむのをし 私は当時まだほんの子どもだったので気づかなかったが、院長は この発言によってーーー相手の男から親しみを引き出そうとしてっと待っていた。それから、むき出しになった髪をちょっと掻き、 いたのだ。そしてまた、偶然だったのか、あるいは天啓によったも若者に背を向けるような素振りを見せておいて、不意にまたくるり と向き直った。まるでマントでも脱ぎ捨てたように、その姿からは のか、彼女が選んだのは盗賊のなかでもっともかしこい男だった。 と言うのは、彼はこう答えたからだ。 老いや覚東なさがかき消え、背丈もぐんと高く、なにか偉大な烙に かしら かしら よって内側から照らされているように彼女は堂々として見えたもの 「俺は頭ではない。我々の間には、頭などおらんー だ。ラーデグンデが若者の顔をひたと見すえた。彼女のこの所作は つまり彼ば、他の男たちが自分の部下ではなく、みんな気ままに 振舞うだろうと彼女に警告したのだ。そこで、彼女はまた耳のうし無論我々みなが見慣れたものであったが、ノルド人たちはそうでは なく、またかれらはあのように大きく凜とした声も聞いたことがな ろを掻いて立ちあがった。そして、まるで途方に暮れたとでもいっ と言うのは、あるものはまじないの指印を た風情で、不安げなーーー かった。それは彼女が我々に聖書を読み聞かせるときの声であり、 向けたまま飛び退り、あるものはナイフを引き抜いたからだが 神の怒りについて語るときの声であった。相手の若者は、たいそう な向う意気にも拘らず、たぶん竦みあがったのだと私は思う。ま 男たちひとりひとりの前をゆっくりと歩きまわり、先程のやさしい 歌をまた口ずさんだ。ゆっくりと歩くその姿は、普段よりもっと背た、当時は知らなかったことも、いまの私にはわかっている。スカ が屈まり、老いてそして自信なげに見えたものだ。あの大勢の猛々ンジナビアの人びとはこの世のなによりも勇気を讃美する民であ り、またーー忌憚なく言わせてもらえばーーー誰もがよくできた話 しい男たちの前に、小柄な、頼りなげな黒衣の女がたったひとりだ が、とくにそれが眼の前で演じられる場合は大好きな人びとなの った。乱暴な若い海賊のひとりが、通りかかったラーデグンデの頭 衣をむしり取り、真白い断髪を風にむき出しにした。男たちが笑い 「孫息子よ ! 」ーー・彼女の声は神の偉大な鐘の音のように響きわた 声をあげ、それをした若者が叫んだ。 7 5

9. SFマガジン 1984年11月号

とても恥しい。あなたには立派に腹を立てる権利があります、トー 、え、生きている男たちや女たちの話です。ソールヴァルト、 ルヴァルト。あんなふうに私が喋りつづけると、誰も我慢できるもあなたたち男が、私たち女になにを求めているか、あなたはごぞん 7 のなどありません、とりわけこの私自身が。とても苛々しますかじですか ? 」 ら。と言っても、私にはどうやらやめられそうにありません。ラー 「死ぬまで喋りまくられることさ」彼は言った。表情にはまだ怒り デグンデ院長であることに、私がもう慣れきってしまっているのは があったが、私はノルド人がなんとなく事のしだいを楽しみはじめ 確かなようですから。二度とあなたを苦しめないと、お約東はしまているらしいのに気づいた。 せんが、しかしソールヴァルト、あなたはもう二度は私を打っては 院長が楽しそうに笑いだした。「なんて気のきいたお返事でしょ いけません。そんなことをしても、あなたはとてもみじめな気持にう ! 」彼女がかろやかに立ちあがり、スカートから木の葉をはらい なるだけです」 トールヴァル 落した。「あなたは、とてもかしこいかたですね、 大男が一歩まえへ踏みだした。 え失礼、ソールヴァルト。私のうつかり屋さんは直りません 、え、そうではありません、私の大切な人」院長の声はほがらわ。男たちが女たちに求めるものはなにか、若い男たちにこの質問 かだった。「脅しのつもりはありませんーーどうやったら私にあなをすると、かれらは片目をつむって、肘でお互いの胸のあたりをつ たが脅せるのですか ? ーーー私が言いたいのは、ただ私がもう二度とつつき合うだけですが、あれはただああして自分をあざむいている あなたに冗談は言わない、これからは私ももっと打ちしおれて、ほだけのことです。あれは肉体が肉体に呼びかけているにすぎませ かの女たちのように退屈な女になるつもりだと言うことです。念のん。本当にかれらが求めているのは、まったくべつのもので、その ために、、 しま告白をしておきますが、私はこの何年かにあなたが出希求があまりに強いので、じつはかれらは怖いのですよ。そこで、一 会ったうちで、いちばん興味ぶかい女なのですよ。鋭い言葉やなに かれらはそれがなにか他のものであるような振りをするのです。快 やらかにやらで、私ほどあなたを楽しませたものはありません、ノ楽とか、快適さとか、家つきの召使いであるような振りをね。かれ ルウェイ王宮のスカルドをみんな合せたより、もっと楽しませてあらがなにを求めているか、あなたはごぞんじですか ? 」 げましたからね。かれらより いえ、全世界の誰よりも、私はた「なんだ ? 」とソールヴァルト。 くさんの物語や伝説を知っていますーー古い物語がくたびれたとき「母です」ラーデグンデが答えた。「女たちもまた同じことです には、自分で新しいのを作ってしまいますから。 わ。私たちはみな母を求めているのです。きのう河岸で、あなたが どうですか、あなたにこれからお話を一つしてあげましようか たの前を歩いてみせたとき、私は母親を演していました。確かに、一 あなたはなんの反応もお示しになりませんでしたが、それはあなた 「キリストの話か ? 」大男が尋ねた。その顔にはまだ怒りの表情がが若くも愚かでもないからです。しかし、私には遅かれ早かれ、あ あった。 なたがたのひとりが希求の苦しさのあまり私に憎しみを抱き、その

10. SFマガジン 1984年11月号

傷者はいなかったが、或る農夫の斧でソールフィンの胸はたたき潰ソールフィンは礼拝堂に横たえられていた。その小さな石造りの されていた。朝まではとうてい持つまいと思われていた。院長が言部屋には、・ とこへ持って行ってもなんの値打ちもない、粗末な木造 っこ 0 りの十字架しか残されていなかった。若者は石の祭壇に毛皮を敷い 「私が行ってかまわないのでしようかね ? 」それから彼女はつけ加て、その上に眼をつむって横たわっていた。顔は灰色だった。息を えた。「いえつまり、彼は私を憎んでいます。私を見て腹を立てたっくたびにひゆるひゆると、か細くかすかな葦笛のような音がし た。そっとそばへ寄ってみて、私はその理由に気づいた。若者の胸 りしたら、からだに障るのではありませんか ? 」 には大きな赤い穴がひらき、薄赤い尖ったものがいくつもそこから ソールヴァルトがゆっくりと言った。「ここの連中の話では、あ んたには病人のそばに坐って治してしまう力があるそうだ。あんた突き出していた。みんな潰れていた。そして、穴の底でなにかがび にはそういう力があるんだろう ? 」 くびく、くり返し上下していた。心臓が脈打っていたのだ。唇の間 「私は自分にそんな力があるとは思っていません」とラーデグンデから、血が泡になって流れつづけていた。二人がノルド語を用いた 院長。「しかし、かれらがそう信じているなら、たぶんそれがかれので、私には勿論話の内容はわからなかったが、かれらのすること らの気分を鎮め、元気を取り戻す役に立っこともあるでしよう。キは良く見ていたし、また後に院長とソールヴァルト・アイナルソン リスト信徒も、まったく他の民と変ることなく愚かなのです。あなの間で、この件について話しあいのあったときの話を聞いてもい たがお望みなら、私は参りましよう」彼女の顔は疲労で青ざめてい た。だから、これから私はその場ですべてを理解したといったふう たが、それでも立ちあがった。つけ加えると、彼女はひとりの農婦に語ろうと思う。 から借りた質素な、茶色いガウンを着ていた。修道衣は洗濯中だっ 院長がまずしたのは、扉ロで突然立ちどまり、まるで恐怖に打た たのだ。しかし、私にはいつもと同しように、その姿は堂々としてれたとでも言ったふうに両手を口に持っていったことだった。それ 見えた。たぶんノルド人にとっても、そうであったろうと思う。 から彼女は荒々しく二人の見張り番を叱りつけた。 ソールヴァルトが言った。「あんたは彼のために祈るのか、それ「あなたたちはこの冷気と湿気で、仲間を殺すつもりですかっ・ とも呪うのか ? 」 れがあなたがたの治療なんですか ? すぐに火をたきなさい、そし 彼女が言った。「私は祈祷はしません、ソールヴァルト。また、 て羊毛の布で彼のからだを被いなさい ! 馬鹿な、毛皮なんてもう 私は人を呪ったことはありません。いつもただ、病人に付き添うだ沢山、毛織物でびったりからだを包んで、湿り気を取るのです。さ けです」彼女がつけ加えた。「おお、彼の好きにさせてください。 あ、早く ! 」 さもないと、彼はあなたの耳が千切れるくらいに泣きわめきますひとりがふてくされて言った。「俺たちはあんたに命令されるい よ」これは私のことを言ったのだ。なぜなら私は、もし彼女から引われはないぜ、祖母さん」 き離されたら、命のかぎり泣きわめく決意を固めていたのだから。 「あら、そう ? 」とラーデグンデ。「それならば私がこの老いたか