い銭かせぎに、気の毒な兵士をちょっと足りない従弟と称して、農 園に世話したというしだいだ。ファロンのばあいはきっとこうだ。 シカゴ大学で現代版マンハッタン計画にたずさわっていた物理学者 映画では、よく似たような状況に出くわす。記憶喪失の兵士がウが、うつかり途方もない強大な重力の場をつくってしまい、そこか 工】ルズの農場へやってくる。だが、そういう兵士はかならず、自ら浮動性の渦が遊離して、市内を猛ス。ヒードで抜けて消減に向かう 分の当惑狼狽を表にあらわし、農場主に説明をもとめ、仲間にここ途中、郊外のべッドからファロンを吸いあげて時空の裂け目をくぐ はどこなのか、どうして自分はここへきたのかとしつこくたすね、 らせ、十九世紀中期の帆船のハンモックに持ってきたのだ。それし 白い服を着た金髪の女の消え去らぬ記憶を話してきかせる。ふしぎかない ーリング ファロン自身にとってさえふしぎなことにーーーそういう気持その日いちにちで、ファロンは十回恥をかいた。淡水セ ちは起きなかった。狼狽、不安、好奇心はむろんある。だが、人のに多少の経験はあるものの、この船で自分にあたえられているらし 注意をうながそうという気はなく、いま自分がおかれている状況のい仕事にかんしては、無知同然だった。甲板と甲板設備の掃除のほ たしかな現実性のかわりに、記憶のあやふやな現実性を持「てこよか、男たちは索具装置と円材から頑固な黒いをこすりと 0 た。フ うという気はなかった。もとよりそれが性格の強さのせいだとも、 アロンは索具にはの・ほらなかった。高いところはこわいから、もっ 卓抜な環境適応力のせいだとも思えない。それどころか、その最初ばら甲板で仕事をみつけるようにした。油と煤がどこからくるのか の日、なにをやっても、自分がこの船で知らねばならぬこと、せねは、きいてみるまでもなかった。いまは木製の蓋がきっちりかぶせ かまど ばならぬことについて、たた無知をさらけだすだけだった。泰然自てあるが、発生源が煉瓦の竈であることは明らかだった。甲板の板 若なんてものはこれつぼっちもなかった。何分か仕事の手をとめの隙間に、ひからびた血のようなものが詰まっていたが、だれかが て、目の前の出来事のあまりの異様さに、不安と威圧感で茫然としなにげなく口にした言葉ではじめて、彼はこの船が捕鯨船であるこ ていることがあった。夢ならば、あまりになまなましい夢だった。 とを知り、自分の迂闊さにあきれた。 なにが夢かといえば、キャロンとシカゴ穀物取引所こそ夢だった。 乗組員はさまざまな人種とタイ。フの奇妙な混淆であった。白人と 映画の兵士は、記憶喪失にまつわる障害があっても、周囲がみな黒人がおり、後部甲板にはなれてすわったきり仕事をしない六人の 未知の人ばかりであっても、最後にはなんとか謎のこたえを見いだ東洋人グルー。フがあり、イギリス訛り、ドイツ訛りの男たち、ほか すものと決まっている。かならず合理的な解答が出てくるのた。兵 にもいろんなのがいた。ポリネシア人、インディアン、頭をつるつ 士はノルマンディで頭に砲弾の破片を受けて、ウ = セックスの療養るに剃った真黒な巨漢のアフリカ人、全裸に近いからだに頭から足 所に送還され、そこから空襲騒ぎのあいだにふらふらと出て行っの先まで紫色の彫り物をした男もいた。輪、雲形、渦、紋様、図 て、トラックでラネリーへ向かう土地の男にひろわれ、男はこづか形、どれひとっとして身近な物や人には見えぬものばかりだった。 3 幻 8
1 ーの一回目か二回目に『空像としての世界』 レコードと本と雑誌で、本当に自分の部屋けることによって、重要な存在になってい 日がい 0 ばいになってきてしまった。で、仕方る、要するにそれだけのことですがね、もしというやつを取り上げたけれども、あれもま かしたら、・ほくの好きなの基本的なパタた、世界の新しい見方を扱っていたわけで、 なく、整理をはじめているところなのだが、 ばくの読書のパターンが、一つ、見えてきた ーンなのかもしれない、突如、そのように思 の文庫本が並んでいるあたりでひっかか ようにう。あるいはまた、・ほくがコリン ってしまった。 鏡 ってしまった。何しろ、在庫量を半分にしょ まだ誰も気付いていないけれども、世界をウイルスンをやけに好きなのも、同じ理由か うと必死なので、そういうところでひっかか っている場合ではないのだけれども、『非見る新たな方向が、あるのかもしれない。そらなのだという気がしている。今さら、自分 の世界』『異星の客』『ドルセイ ! 』と、これを知ることができたら、世界がわかってしの趣味を発見するというのも妙なものだが、 単純に、世界を新しく見直すことができると まう、そういうものがあるのかもしれない。 うくると、何か気付きませんかね。 いう気分は、楽観的でいいじゃないか。 三冊とも・ほくが大好きな作品であるわけ現実に、複雑に見えるものが、取り組む方向 を変えると、単純になってし講談社現代新書から、高木隆司の『かたち まうことが、たまにあるものの不思議』という本が出たけれども、何とな 』談だけれども、我々の見ているく散慢な印象の本であるにもかかわらず、ば くがけっこう面白く読んでしまったのは「か 議講世界そのものにも、そのよう な切り口が存在しているのでたち」、世の中に存在する「かたち」のすべ 著書はないか。カバラをはじめとてを分析してしまおう、そこにパターンを見 の隆するオカルトというものの根ることによ「て、世界を別な「かたち」に読 み変えるという可能性が、強く感じられたか ち木円底には、そういう考え方とい 高 0 うか、願望があるし、そらだ。 / のものにも、しばしば、それもちろん、著者は、「かたち」を学問にす カ ることによって、現在の科学の中に含めよう が出てくる。 にとっての世界の認識としているわけで、そこには飛躍が感じられ の方法は、最初は科学であつないけれども、結果というか、この研究の行 で、この三冊がまとまっていたのは、単なるたわけで、それを知っていることが武器でもきつく先は、もっとファンタスティックなも 偶然でしかない。けれども、この偶然の中かあった。ところが、科学がオールマイティでのになるように思えたわけだ。無機物から有 もなければ、すべての未知を照らす光でもな機物、そして、風景から、人間の社会的な構 ら、ばくは共通点を見つけてしまった。 ことが、わかってくるにつれて、科学の匂造に至るまで、それを「かたち」としてとら 創元推理文庫のである、などというもい のではない。いくらぼくでも、この雑誌が早いを残しながらも、科学以外の認識の方法をえることによって、一度に撼みとる法則を見 川書房のものであるくらいは充分に承知して手に入れようと、がしはじめたのではな出すことができたら、これはまさにだ いる。そういうことで、こんなものを書く筈いか、そして、それが科学の持っカ以上の魅ぜ。『かたちの不思議』は、そうした認識法 ほくはそうに至る最初の入口のような気がしているんで 力を発揮しているのではないか、・ がない。 すがね。おっと、早く、部屋の整理をしなく 何が共通しているかというと、この三冊、感じたわけだ。 っちゃ。 主人公が、世界の新たな認識の方法を身に付そう思ってみると、たとえば、このレヴュ
を知らぬ。されば万物は殺されるのだ」 後にやり合ったときも、そうやってはじまったのだった。 ・、ツクはいいすてて、そこをはなれて行き ェイハ・フは船を台風のまっただなかに突っ込ませていた。帆はず 「仕事にもどれ」スターノ たずたに裂け、男たちは風に負けぬ大声でわめきながら甲板を走 かけた。 ファロンはその肩に手をかけた。「なんとかーー」 り、ポートが流されたり、たたきつぶされたりせぬよう、固く締め スタバックはびつくりするほど乱暴にふり向いて、ファロンをつけにかかっていた。スタブは左手をポートと手すりのあいだには 突きとばしたから、ファロンはあやうくひっくり返るところだっさんでしまい、右手でおさえて顔をしかめていた。檣頭にはセント ・エルモの火が光った。ェイハプは右手に避雷針をにぎり、右足を た。舵手がこちらを見ていた。 「仕事にもどれ ! おれがなにを考えてるか、おまえにわかってたひざまずいたフェダラアの首にかけて立ち、稲妻に向って語気激し まるか。これ以上うるさくいうと、ただはおかんそ。三百番配当のく呼びかけていた。ファロンは足をすくわれぬよう、支索にしつか 男が、おれにいうことなどない。さあ行け」 りつかまっていた。滑稽な光景だった。おそろしくもあった。 しれもの 「いまやいかなる怖れを知らぬ痴者も、おぬしに立ち向かおうとは ファロンは逆上した。「ええもう。ばかにもほどがーーー」 「いい加減にしろ ! 」スター / 。、ツクは手の甲でファロンをひつばたせぬ ! 」ェイハ・フは嵐に向かって叫んだ。「おれはおぬしの言葉な ふる とど いたーーースタインがやろうとしたように。スタインの手はあたらな く止まるところなき威力を認めるが、さりとておれのとどろき震う ・、ツクのほうが、スタイン・ジュニアより腕がいし かった。スター / 生涯の最後の息を吐ききるまで、おぬしの力が無条件無原則におれ ようだ。頬がひりひりした。なによりも屈辱的たったのは、そのとを支配することには敵対するそ。この人格化せられた非人格の肉塊 きの自分の姿で、分際を知らされたみじめな反逆者といったところの呼奥に、頂天立地、ここに一個の人格がある」 サイコ だった。ファロンがと・ほと・ほ歩きだすと、スター、 / 、、ツクは冷静をとすさまじいな、とファロンは思った。心理療法陰語だ。メルヴィ りもどした声でいった。「おまえは自分の良心に従え。おれはおれルは嵐を書き込むことによってエイ ( ・フに、自分をくつきりきわだ の良心に従う」 たせるための背景をあたえているのだ。メルヴィルの時代には、あ まりリアリズムは好まれなかったのだろう。彼は向きをかえ、後甲 0 板のポートを締めつけにかかった。ポートの艫はすでに波でつぶさ れていた。その波はファロンも入れて三人の男を、すんでに舷外へ また稲妻が走った。 連れ去るところだったのだ。稲光りがし、一瞬遅れて雷鳴がとどろ あが いた。ファロンは五秒かそえたら雷が一マイル先であることを思い 「まことのおぬしを崇める途は、おぬしに向かって挑むほかにない 9 ことを、いまこそおれは知ったのだ。も尊敬もおぬしには気に染だした。それでいくと、いまのはみんなの尻の下で光ったのにちが さっ いない。乗組員の大半の者が、エイハブと、檣頭にぼーっと燃える むまい。憎しみのためとても、おぬしはただ殺をもって報いるほか
ロシイは、この効果が計算ずくのものであることを知っていたが、 ・はさっ エレヴェ、ーターのドアが開き、菩薩の誓願は途切れた。ドロシイ 効果を超越することはできなかった。そのことに彼女は苛立ち、苛 だが、少なくと 彼女は超然とした気分になろうはエレヴェーターが止まったのを感じなかった 立ったということにまた苛立った。 , とした。 も百メートルは降ドしたことを知っていた。ドロシイはエレヴ = ターを出た。 終わりのなさそうな通廊の終わりにエレヴェーターがあった。フ ィリツ。フは彼女をそのなかに押しこんで、ある階のボタンを押し部屋は予想していたより大きかった。それにもかかわらず、動力 た。それが何階であったのか見るチャンスはなかった。そして、通っきの大きな椅子が部屋を支配しているように見えた。椅子はまた 少なくとも、視覚的にはーーそこに座った人をも支配している 廊に戻った。 ように見えた。その印象は間違っている。老人はこの大きな邸を、 「幸運を、ドロシイ 邸のなかのすべてを、邸の建っている国のほとんどを支配している 「ありがとう、フィリツ。フ。確実なこと、避けるべきことについ て、なにか情報は ? 」 のだから。だが、そのようにはまったく見えなかった。 香りの交響曲が演奏されていた。・フラシ = フスキーの″幼年期″ 「そうだな : : : 痔の話はするな」 のシナモンの楽節である。それはたまたま彼女の好きな曲だった。 「そんな話をする人がいるもんですか」 フィリツ。フは徴笑した。 それが彼女を勇気づけた。 「こんにちは、上院議員」 「木曜に昼食をいっしょにどう ? 」 「タ食をいっしょにしてくれるなら」 「やあ、ミセス・マーティン。わが家にようこそ。座ったままで失 彼は片方の眉をあげた。 「もちろんですとも。お会いくださって、ありがとうございます」 「朝食は ? 」 「こちらこそ。わしぐらい年になると、あなたのような知的で美し 彼女は考えるふりをした。 「ブランチにしましよう」 い女性と時をすごせるのが楽しみになりますのじゃ」 彼女がそう言うと、フィリツ。フはちょっとお辞儀をして、一歩さ「議員、いつになったら、お話を始めることができますの ? 」 っこ 0 、刀ュ / 老人はかっては眉のあった部分をグイと上げた。 エレヴェ 1 ターのドアが閉まり、彼女はフィリツ。フの存在を忘れ「わたしたちはまだ真実をなにひとっ口にしておりませんわ。あな たが座ったままなのは、立てないからです。あなたが寛大にも会っ しゅじよう むへん ″是れ苦諦の衆生を縁じて無邊の衆生を度せんと願ふなり。是れ集てくださることになったのは、わたしが三通もお手紙をさしあげ、 うて、 むじんぼんのう 相場より高いお金をお払いしたからです。あなたは渋々とわたしと 諦を縁じて無盡の煩悩を断ぜんと願ふなり。是れ道諦を縁じてー 礼」
fTJ 海 くなる。地球が、光とあらゆる燃焼現象を妨が、よく書き込んであり、十分に読ませ《 Science Fiction 》 ( 一九六八 ) の著者 る。一九六三年に出た、カルネイロの短篇としても知られる。・フラジルの代表者 げるガスの中にでも突入したのだろうか。 主人公ウラダスは、アパート住まいの独集『失われた船の日誌』 Diari0 da nave といってもいいようだ。 身男で、たくわえの食糧といえば粉ミルク perdida に収められた一篇だが、この作品 この『暗闇』以後、少なくとも英米での は当初から注目され、アメリカでは映画化 くらい。それとたまたまパスタ・フいつばい にはってあった水だ。彼は、二人の小さなされてヒットしたという。何という映画のラテンアメリカの作品紹介はとだえて 、、ル原作になったのか僕は知らないが、話の九いるようだ。しかし、情報としては、一九 子供を抱えた隣室の家族と一緒に、粉、 クを水にといて飲みながら、光のもどるの九 % は、完全な闇の中で進行するのだから、七八年、コリン・レスター編の『国際 年鑑』 The lnternational Science Fiction を待つが、そうかんたんに Yearbook に、」リ 目々回このコラムで紹介し このまま ″夜 / は明けない。 た、ベルギーの国際資料センター主宰 では皆飢えて死んでしまう。 者ベルナール・ゴールデンのラテンアメリ そう考えたウラダスは、カナ ョカ概論「新たな作品、新たな世界」 テコをもち出すと、食料品店、 年 New Works, New Worlds が収録され、 の略奪に出かけるが、店内の この地域でジャンルが大いに発展して 食料はあとかたもなく奪われ 際 いることを世界中に知らしめた。また同書 た後。しかも帰りの道がわか 国 には「雑誌」の項に、『アナログ』や『 らなくなり、万事休すとな マガジン』と並んで、アルゼンチンの専 る。そんな彼を助けてくれた 門誌二誌がとりあげられており、頭の中の のが、盲人の・ハスコだった。 地図″からラテンアメリカをほとん ウラダスは、盲人たちが拠点 ど欠落させていた大方の読者にちょっとし にしている盲学校に連れてい かれるが、そこにはすでにかなりの " 難原作に忠実たらんとすれば、一体どういた衝撃を与えたはずだ。もっともフランス 語では、例えば一九七三年スイスで出た、 民″が保護されていた。今や、もともと闇映画ができるものか、考えてみると面白い ビエ】ル・ヴェルサン編の『ュ 1 ト。ヒアと カルネイロは、六〇年代初めにデビュー には慣れている盲人たちが頼みの綱なの した、・フラジル第一の黄金時代に属すの百科事典』 Encyclopedie de だ。しかし、日照が全くなくなったため、 農場の野菜も成長をやめ、腐敗を待つばかる作家で、他にいくつかの短篇集や長篇を l'utopie 。 ( de la science Fiction にも 書いている。ポルトガル語で書かれた TJC-Q 「・フラジル」と「アルゼンチン」の項があ り。本当の危機が迫っていた : ・ 論としては今も古典的評価を得ている『り、その後も欧州ではラテンアメリカ の紹介が徐々に進んでおり、この点でもョ 設定は、そこらの大破局ものと似ている研究入門』 lntroduqäo ao estudio da 0
「きみのいうとおりだ」ファロンはいった。「すくなくとも、きみある朝、船底のビルジを吸み出していると、だれかが水といっし を口説くのはそうむすかしくないという気がする。ェイ ( プが正気 ょにかなりの鯨油があがってくるのに気づいた。スター / 、クカ - 呼一 3 じゃないことは、きみにはわかってるだろう ばれ、すぐ自分で船倉を見に行った彼は、出てくると後部の船長室 とうしたのかとき 「おれはなんともいわんよ。きっとエイハ・フには、おまえが考えるヘ知らせに行った。ファロンは船員のひとりに、・ 以上の理由があるんだ」彼はひとつ大きく息を吸ってから、空をふ り仰ぎ、ついで船の陰で泳ぐ男たちを見おろした。そして笑みをう「樽が漏ってるんた。停船して船倉をひらくそ。でないと、だいし かべた。「あいつら、もっとサメに気をつけないといかん」と、彼な油をごっそりなくしてしまう」 よ、つこ。 すこしして、スターノ ・、ツクはもどってきた。いまにも卒中を起こ 「きよう、世界はたしかにのどかに見えるがな、ファロン。だ ; 、 しそうな真っ赤な顔をして、手をうしろで組んで、後甲板を行った あの老人の目は、おれたちの目よりいいのかもしれん」 り来たりしはじめた。みんな指示が出るのを待った。彼は乗組員を 「あの男が狂っていることを知りながら、なにもしないのか」 にらみ、立ちどまり、仕事をつづけろと、つこ。 しナ「ポンプの手を体 「そういう問題は、あまり深く突っ込まないことだ」 / / ・、レキントンめるな」と、これはほかの者に。「見張りをつづけろ」それから鯨 はちょっと黙ってから、「へそに銀のネジをつけて生まれた男の話骨舵柄をにぎる舵手になにかひと言いったあと、後甲板の隅へ行っ し / し を知ってるだろう。ずいぶん気にしていたのを、ある日、 て船の航跡を見ていた。しばらくすると、エイハプが甲板に不自由 なんのためだろうと思ってゆるめてみた」 な足であがってきて、スター・ハックをみつけてなにかいった。そし ファロンはそのジョークを、サウス・サイドの小学校時代にきい て甲板の男たちに向きなおった。 たことがあった。「尻がすつ。ほ抜けたんだろう」 「上檣帆巻け」と、彼は大声で命じた。「中桁横帆縮め、前後とも 「おまえもエイハ・フも、その男にじつによく似てるよ」 に。大檣下桁を後へ、軽滑車をあげて船倉をひらけ」 ふたりは声をあげて笑った。「わたしはヘそのネジをゆるめるま ファロンはみんなといっしょに船倉へおりた。作業がはじまる でもない」と、ファロノよ、つこ。 、。しナ「どうせわれわれは全員、尻をと、彼は持ちあげること、引っぱること、そして背骨を痛めないこ なくすんだから」 とに神経を集中した。マン島人が、船長室の外で立ち聞いたエイハ ふたりはまた笑った。・ ( ルキントンが彼の肩に手をまわし、ふた ・フとスター・ハックの話をみんなにおしえた。一等航海士が鯨を追う , なはモービイ ・ティックに乾杯した。 のを中断して船倉をひらくことを要求したら、エイハ・フは彼をその くックがもど 場で撃ち殺すといったのだという。ファロンはスター / ってきたとき顔にみなぎっていた、あの怒色を思い起こした。そう えば、メルヴィルの作中のスター バックは、あまり有能な男では 9
青い惑星の昼の側、高高度に、きらりと輝く点としてあらわれた かったから、 ードウェアをそっくりコビーして造ることはできな それは、見るまに大きくなる。灰色の機体。双垂直尾翼。ア。フロは 。人間の脳を造るというわけこよ、 冫冫しかない。それでラジェンドラ 7 ここでを左に向ける。戦闘機は側方五キロをすれちが は、素材は無視して、情報の流れる回路を模倣する。ラジェンドラ う。その後、戦闘機は急旋回、一発のミサイルを発射。 の能力では再現できない回路もあり、そんなときは、等価の回路を 〈重力制御をしない、空力だけを制御している航空機です。航宙機複雑な手順で組むのだが、等価とはいえ、同じというわけにはいか ではありません〉 なかった。ラジェンドラには、このおれの、人間の悲しみという感 「あんなものが飛ぶなんて奇跡だな。・ハ ランスを崩したらあっとい情は理解できないだろうとラテルは思う。感情という複雑な現象を うまに堕ちる。だけど、きれいだな。危うい美しさがある」 ラジェンドラはシミュレートできるが、ラジェンドラがそれを実現 〈機体制御とは別のコンピ、ータを搭載しています。情報分析用かするには実に冗長な回路を組まなければならない。回路は等価でも と判断できます〉 組まれた回路の種類の違いによって、理解しやすい思念とそうでな いものがある。ラジェンドラのハ ードウェアは、悲しみというソフ 「解析できるか。できれば、この戦いの内容もわかりそうだ」 トウェアを走らすのは苦手だ。ラジェンドラはだから、泣かない。 〈構造がわたしたちのものと異なっています。わたしの仲間のよう , イロットとコンタクトし海賊課刑事などをやっていると、とラテルは思った。自分の脳の なのですが、コンタクト不能。ラテル、。、 構造そのものが変化していって、泣くことのできない人間になるか てみますか ? 〉 もしれない : 「なんて言うんだ ? 言葉が伝わったとしても、彼はおれの言うこ となど信じないだろう。彼を知るには、彼の脳を解析しないといけ「おれはマシンじゃない」ラテルはつぶやいた。「たぶん、あの。 ( イロットも人間なら、おれの気持ちがわかるだろうな」 ない」 異星体とコンタクトするには、その考え方を知る必要がある。人〈それはどうでしようか〉ラジ = ンドラが言った。〈気持ち、とい うのはソフトウェアに関わるものが多い。 ードに依存しないソフ 間には理解できないような思考でも、その思考を生む源である脳な カ人間だとしても、マシンではない どの ( ードウェアを知ると、なるほどと納得できることがある。宇トもあります。あの。 ( イロット : という証拠はどこにもありませんよ、ラテル〉 宙警察刑事のラテルは未知の異星体に対処する教育を受けていた。 たとえば未知の脳、それが有機系であろうとコンピュータであろう「やってみるか」 そのハ と、に出会ったとき、ラジェンドラにその構造を解析してもらい ードウェア構造体がどんなタイ。フかを知るには、ある問題 ラジ = ンドラの空いたメモリ空間に、似たような構造体を実際に組に対してそれがどのような行動をとるかを観察して予測する方法が んでやると、対象となる思考の流れをシミ、レートすることができある。考え方を、構造から知るのとは逆の手順だった。 ( ー ドの違 た。誤差がでるのはしかたがなかった。ラジェンドラは万能ではな いによって扱いやすいものとそうでないソフトがあるなら、あるソ
甲板が磨かれて見違えるほど白くなったあと、フラスクという航海脱出を何度夢見たことだろう。いまこうして、二十五年たって、夢 がかなえられたのだ。帰って、だれか信頼して打ち明けられる相手 士が、ファロンを人の邪魔にならぬ船の前部へ連れて行き、ひとり で太いロープにタールを塗る仕事をさせた。男たちは彼がどこか変がみつかったら、すごい体験談になる。帰れたら。 だと気づいたようだったが、なにもいわず、どうやら仲間のひとり もうひとつ、あまり考えたくない可能性があった。自分は眠って いる間にここへきて、たしかにこの現実感には、狂気めいたものこ が奇妙なふるまいを見せはじめたからといって、なんとも思わない らしかった。 そあれ夢の徴候はないのだが、それでも翌朝目覚めたら、いつもの 手になまぬるいタールをくつつけた彼が突きあたったのは、したべッドに寝ているのではなかろうか。理屈ではその可能性もあるの がってつぎの疑問だった。彼らはどうして自分のことを知っているだ。だが、理屈にはあまり信をおかぬことにしている。一九八〇年 のか。彼らにとって、彼はファロンなのだ。あきらかに彼は、目がの大豆相場で大損をしたのは、理屈がろくなはたらきをしてくれな 覚める前から船に乗っていたのだ。ひとつの個性と役どころを持つかったからだ。 た、以前からの正規の乗組員なのだ。知らぬは自分ばかりだ。鏡が長い熱帯の一日がおわりに近づいた。タ焼けは旅行代理業者の願 ほしかった。自分がいまつけている顔と、前夜シカゴでつけていた望の実現であった。落日の位置からすると、船は東へ向かってい た。ファロンは巻いたロー。フに腰かけて、船尾の舵手が舵をにぎつ 顔が、ほんとにおなじものかどうか、見たくてならなかった。から だはおなしだ。九つのときからつけている盲腸の跡もある。手足もてとろとろ居眠りしているのをながめた。この船では、エロール・ かわらない。全身の疲労と、赤く焼けた肌は、こんな仕事を長らくフリンの映画でおなじみの、あのにぎり棒つきの舵輪ではなく、長 やっていない人間であることをものがたる。するとこれはまさしくい象牙の舵柄を使っていた。いや、むかし仕止めた鯨の骨にちがい 自分、シカゴの自分、正真正銘のファロンということになる。いまない。だれがこの船をつくったのか、これまたヤンキーの残酷なる ごろヴァン・ビ、ーレン・ストリートの仲買商社で、十九世紀の船実利感覚のあらわれであった。妙に無邪気でおそましい芸術品であ 乗りがひとり、まごまごしているのだろうか。この考えは彼の頼をつた。昼間ファロンは、手すきの船員たちが塩漬けの豚肉と堅い ナしふ分が悪かろう。 ゆるませた。穀物取引所の船乗りのほうが、。こ : ンを食べながら、骨片を彫っているのを飽かずながめた。 「ファロン、こんなところで寝られんぞ。老爺に寝てるところをみ 彼自身はついぞこんなところにきた覚えはないのに、みんな彼の つかってもよけりや いいが」声の主は、ファロンと同年配の長身の ことを知っているのだ。きっとこの船にパトリック・ファロンとい う男がいて、なぜか自分が、その役どころにおさまるため連れてこ水夫だった。彼はファロンがタール塗りの仕事をあたえられたと られたのだ。理由はわからない。方法もわからない。なんとも奇怪き、まもなくマストからおりてきて、しばらく黙って見ていたが、 よ : 仕事のやりかたをなにかと助言してくれた男だ。タ闇の落ちかかる なかで表情はよくわからなかったが、声には親切気をかくしている 冒険と考えてみてはどうか。少年のころ、日常世界からのこんな おやじ 幻 9
ハプは、索具と帆布で視野がさえぎられるので、それらの隙間から 白い鯨は海面をなめらかに、測り知れぬ力を感じさせて突き進ん みなあと のぞかなくてはならなかった。 だ。あとにのこす水跡は、スクーナーの航跡のように乱れがなかっ 三分の二もあがらぬうちに、エイハ・フは大声をあげはじめた。 た。幅広い、つるりとした頭部が、水を分け進んでつくる波は、ま 「噴いとるぞ ! 噴いとるそ ! 雪丘のような瘤だ ! モービイ・ っすぐな二本の線となって扇形にひろがり、その線と巨驅のなす角 ディックだ ! 」 度は瞬時もかわらなかった。三艘のポートは、連続する波を切っ みなあと ファロンもとっさにゆびさして叫びはじめた。他の二本のマスト て、小さく揺れながら近づいた。もうモービイ・ディックの水跡の でも、おなじようにはじめた。たちまち、甲板の男たちもひとりの泡が横に見える。ファロンの目の前で泡はたちまちに消えて、海は こらず、自分たちが何カ月も追いもとめてきた、半数はその存在すまたなめらかな水面をとりもどし、いま通って行った生き物のこと ら疑っていた、問題の鯨をひと目見ようと、索具にとりついた。 などまるで知らぬげだった。つき従う白い鳥の群れが頭上を旋回 ファロンは舵手のほうを見おろした。舵手は鯨骨の舵柄を腋の下し、ときおり翼と不格好なくちばしを忙しくうごかしては、水面に 舞いおり、また舞いあがる。一羽が、真っ白な鯨の瘤に突き刺さっ にはさんで爪先立ち、鯨を見ようと首をぐっとそらしていた。 索具のあちこちで男たちが、だれがモービイ・ディックを最初にた銛の柄にとまっていた。長い力強い体軅で水を押し分けて行く鯨 見つけたかの議論をはじめ、結局 = イ ( ・フが勝者に落ち着いた。やのかすかな揺れにつれて、鳥はこきざみに上下した。無心。奇妙な マジック・サークル つを最初にみつけるのは自分の運命だったのだ、と彼はいった。こ静寂。ファロンはふと、魔法の円にはいり込んだような気がした。 彼はエイハ・フのポートが、妙ちきりんなフィリビン人ばかり乗せ れにはファロンも反駁できなかった。 ェイ ( ・フは甲板におりてくるまで命令をとばしつづけ、ただちにて、自分たちの先へ行き、第一撃の用意にかかっているのを知って ポート三艘がおろされて追跡用意にかかった。スター・ ( ックはのこいた。彼は目を閉じ、オールをうごかしながら、そうならぬことを 念じた。いますぐやめるか、このまま何事もなくつづいてくれるこ って本船をあずかるよう命じられた。 追跡がはじまるころ波はしずまって、漕ぐのも容易になりーーそとを祈った。なんだかいくらでも漕ぎつづけられるような気がし た。もう疲れも恐れもなかった。ただただこの労働のリズムをから いまはもう農業用水のように穏やかな れでもまだ背骨は軋んだ 水面を、ポートはついぞないスビードで切り進んだ。自分たちの立だで味わい、気合いを入れろというスタ・フの低い切れ間のない声を てる水音のほかに、ファロンは近づきつつあるらしい巨鯨の水音をききながら、どこまでも漕ぎつづけたかった。鯨の水跡の白く泡立 っ音をききたかった。自分たちはならんで進んでいるだけで、その ききとった。腕を、背を、足を、彼は懸命に突っぱらせ、スタしハ ックのなだめすかしに合わせ、なおも力をこめた。水音がぐんぐんうち疲れてちょっと背後をふり向いたら、モービイ・ディックはい 7 近づく。ちらっと肩ごしにふり返り、また前を見て漕ぎ、それからぜんそこにいるのだ、と思いたかった。あの偏執狂は自分のポート 4 へさぎ そこに立つのが定めであるのなら、 の融先に立っているがいし またふり返った。 こぶ
れた。そして、私が窓から身を乗りだしたちょうどそのとき、ラー が、彼女はひとこと「なにが起きても、私のそばを離れてはなりませ デグンデ院長も修道院の塔を見あげたのだ。彼女は、はっとした様ん」と言ったきり、すぐに私から注意をほかへ転じてしまった。そ 子でロに手をあてた。それから門に駆け寄ってきて、声を張りあげして、暫くしてフアザー・ケアブルがようやく石垣の外へ下り立っ た ( それは私に言うことを聞かせようとするときの声、腹の底までた頃には、長身の異国人たちも相談を終え、そろぞろとーーー全部で 二、三十人だったのだがーー修道院のほうへ、ラーデグンデ院長に ずしんと響く声だった ) 「ポーイ・ニューズ、おりて来なさいー 向かって、いやなにより私めがけて戻り始めていたのだ。私はファ すぐにここへ、私の所へおりて来なさい。フアザー・ケア・フルもい ザー・ケアプルが慄えているのに気づいた。近くで見ると、男たち っしょにお連れして」 私は有頂点になった。なにか凶事を予期して、彼女が私を守るつは長い乱れた髪や、あざやかな色の奇妙な服装にも拘らず、さほど もりだなどとは露ほども考えなかった。頭のなかはただ、素晴しく恐ろしそうには見えなかった。私たちと違うにおいがしたのを憶え 近い所で、すべてをじっくりながめられるという思いでいつばいだているが、もう遙か昔のことなので、どんなにおいだったかは思い った。そこで私は半分息をつまらせながら、大広間の人ごみを押し出すことができない。やがて院長があのかれらの風変りな言葉で、 わけ掻きわけ通り抜けた。足やスカートを踏みつけながら、二、 一一一かれらに話しかけた。かれらの髯だらけの唇から出ると、奇妙にあ 秒ごとに「だって、仕方ないんだよ。院長が呼んでいるんだもの」やふやな歌のように聞こえるあの言葉だ。それから、彼女がラテン と言い訳しながら。その間ずっと、外からは女帝のように凜とした語でフアザー・ケア・フルになにか言うと、老司祭が慄える声で喋り 彼女の声が響いていた。「その子を通してやりなさいー その子に だした。 道をあけてやりなさいー アイルランドの司祭さまにもです ! 」こ「私は司祭のフアザー・ケアプルである。私はこれからわが民にも うしてようやく、ときには這ったり大声でわめいたりして、私は石よくわかるように、われらの言葉で双方のやりとりを声に出して述 垣の所までたどりついたがーー勿論、私たちのために大扉を開けよべることにする。私にはかれらの知らぬ所で、こそこそと取引する うとするものはなくーーーそこでまた一騒動あって、結局、誰かがハ ことはできない。また、これは私の養い子なのであるが、この子は シゴを持ち出してきた。こうして私はすぐに垣を乗りこえたが、老私にとてもなついており、なおかっ彼の好奇心はいまだあまり満た いた司祭にはもっと手間がかかった。と言っても、前にも言ったとされておらんようなのである」 ( 私はなるべく背伸びして一人前の おり、それは低い石垣だった。たぶん、修道院を建てた人びとに男に見えるように努力していたのだが、一方の手でこっそり院長の は、修道院というものを真の砦にしてしまって良いものかどうか、 スカートをつかんでいた。そのためになんと異国の男たちは、くす いくらかの迷いがあったのだと思う。 くす笑っていたのだ ! ) こうして談判が始まったのだが、同じこと いったん外に出てしまうと、群衆からも離れて気分は爽快だつを二度ずつくり返すのは面倒なので、この先は当時の私がノルド語 た。そこで私はとてつもない有頂点のまま、院長に駆け寄ったのだを解したものとして語ることにしよう。