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1. SFマガジン 1984年12月号

1 ヴ・マーチン主演の映画『死人は。フレード ているのだ。アイディアも含めた表現のオリテールも充分書き込まれているハードの ノードボイルド映画のスプー ジナリティをひとまず置けば、漫画作法の、秀作といっていいだろう。タイム・・ハラドッを着ない』 ( 、 む例えばはるか昔に出版された石森章太郎のクスの罠も、斬新といえぬまでもうまくのがフ ) や『二つの脳を持っ男』っ , ド・サイ れている。そしてキャラクターも上手に書けエンティストもののス【。フ】フ ) といった映画 『まんが家入門』の解説通りといってもいし くらい、キチンと定石を踏んでいる。つまているし、アドヴ = ンチャー小説的要素もあで共同脚本を書いている人で、実力は充分な り、基本を押えながら、そのうえで自分の描る。なにせ科学的に納得させるアイディアでのだが、こうしたヤング・アダルト向きのス トーリイには肌が合わなかったのかもしれな きたいものを描いているからこそ、面白さが人類と恐竜が並存する、インチキな先史時代 伝わってくるのだ。多くの大友の亜流タッチ映画でしか成立しなかったような惑星を生み 出してしまったのだ。読み応え充分な作品。 の漫画家たちの作品が読むに値しないのは、 日本作家のものは、シリ 1 ・ズものが二点。 基本も握んでいず、描きたい世界があるのでただ、構成をタイム・トラベル・テーマのた 川又千秋・永井豪によるイラストレイテッド はなく、テクニックを模倣しようとしているめに考えすぎて作ったためか、・フロットそれ だけだからだ。アメリカ映画を羨望し、そのそれの持つ。 ( ワ 1 を少しそいでいるような気・ノヴ = ル『魔獣大陸』の第二部「氷の下の 魔人」と、田中文雄の〈大魔界〉シリーズ第 がした。 のテクニックだけを使おうとするよう 四巻『白蓮都市ネフェルタ』で、どちらも口 なものだ。基本を知ること、それはハウ・ト マンティシズムあふれ、想像力の飛翔感を覚 ウ本を読むことよりも、より多くの作品を体映画が大作化するにつれ、そのノヴェ えさせてくれる上質のシリ 1 ズだ。 ライゼーションも増えてきた。ウィリアム・ 験として重ねていけばわかる。それだけだ。 コツウインクルの『・』のように、良い ール・プロイスの長篇第二作目『地獄へ出来のものには、そうそうお目にかかれな・『の書き方』一 3 ・ ~ ・、叫ゝ、ミ S ミ、 ~ ・、 0 Science F 、まも / アメリカ作家協会編 い。ジョージ・ガイ。フの『グレムリン』も、 の門』が出た。・フラックホールを利用したタ O イム・トラベルが基本アイディアで、それ以映画から独立して楽しめる作品にはなってい著 / 小隅黎監訳 / 二五〇頁 / 八八〇円 / 新書 ない。ノヴェライゼーションの難しさは、映判 / 講談社 外の近未来の設定や科学的アイディアのディ ・『』 / 大友克洋著 / 三六一一頁 / 画と活字というメディアの違いに 由来している。映画は映像の論理一〇〇〇円 / 判並製 / 講談社 でもって組み立てられているの・『地獄への門』え e トミこ / ポール・プロ イス著 / 小隅黎・久志本克己訳 / 三六二頁 / で、映像では納得していても、い ざ文章にしようとするとッジツマ四一一〇円 / 文庫 / 早川書房 0 の合わないところが出てきてしま・『グレムリン』 G ミミこ / ジョージ・ガ イ・フ著 / 浅倉久志訳 / 三七四頁 / 五一一〇円 / う。そこにノヴェライゼーション 文庫 / 新潮社 作家の腕の見せ所がある。 本書でも、モグワイ宇宙人説を・『魔獣大陸第二部氷の下の魔人』 / 川又 千秋・永井豪著 / 一七九頁 / 八八〇円 / 四六 含めて、物語を膨ませるエ。ヒソ】 ドが随所にみられる。映画を観て判並製 / 角川書店 ・『白蓮都市ネフェルタ』 / 田中文雄著 / 一一一 3 から読むには最適だろう。 9 三一頁 / 四〇〇円 / 文庫 / 早川書房 尚、作者ジョージ・ガイ・フは、 ル・ライトマン監督、スティ ポール , 1 なイス ・物手第第

2. SFマガジン 1984年12月号

ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 一種の数学と一種の神秘主義が一体となり ・・・」ポーが、、確率の徴積分学″と名づけ たもの、彼と彼の創造した名探偵デュバン が卓越していた種類の外挿法には、数学者 と詩人とが結びついた才能を必要とされる のだ。 ポーの全著作はきわめて首尾一貫してお り、そこから S F だけを孤立させるのは、 全体をも部分をも大きく歪めることにな る。事実、どの作品をとっても、慣習的な 意味で SF として満足に分類できるものは ない ( ーっには、大半の作品に見られるほ ら話的な性質が、迫真性という必要なイリ ュージョンを損なうからでもある ) 。しか し、その根底にある理念は SF と近接した ものであり、おなじ理由から、ポーのすべ ての作品は周辺的 SF であるともいえる。 ポーは、、現実″の枠組が、時間と空間の 制限を受けて、、グロテスク″な偽瞞を作り 上げていると考え、そうした個人的障害こ そ人間の理性である、と考えた。この啓示 と、それに付随した、統一現実の真のア ラベスク″な性質の認識は、想像力もしく は直観の、、なかば閉ざされた目″が見てと る展望によってのみ得られる。ポーは、 「催眠術の啓示」 "Mesmeric Revelation" ( 1844 ; 國 1845 ) の中で、この幻想的でア ラベスクな現実は、精神的性質のものでな く物質的性質のものであることを明らかに している。それは SF でいう別の次元、あ るいは付加次元に相当するものであり、ポ 一流の時空間ウォープを構成する戦法を使 えば、それを理解することができる。不気 味な照明と、万華鏡のように流動するアラ ベスクな内装を凝らしたポーの部屋へ足を 踏み入れたときの、目くるめくような感 覚、あるいは「メェルシュトレエムに呑ま れて」 "A Descent into the Maelström" ( 1841 ) のような物語での文字による落下 過程が、転移をひきおこすだろう。大半の 255 幻想文学または神秘主義文学の場合、超絶 的現実の経験は、個人の意志 ( 断食や祈り などの当てにならないプログラム ) か、神 の介入に依存している。ポーの場合は、 S F の場合とおなじく、自然現象が偶然に転 移をひきおこすことができるし、そうした 現象の条件を機械的に複製することもでき る。 ポーの全作品を周辺的 S F と見なすこ とができる、もうーっの理由がある。後 期の総決算ともいえる論文「ユリイカ」 4 ( 1848 ) に結実した宇宙論ーーそ の驚くべき ( プラック・ホールの説明にい たるまでの ) 先見性は、オラフ・ステープ ルドン、ショージ・パーナード・ショウ、 ァーサー・ C ・クラークといった作家たち の思弁の中にも、ある程度の共通点、ない しは意識的な発展が見出せる一一は、直接 的に、あるいは律動的、または象徴的に ポーが書いたあらゆる作品の中に、さまざ まな形で先取りされていた。したがって、 もし「ユリイカ」を ( ポーはそれをロマ ンス / / または、、詩″と呼んだ ) 一種の文学 的 S F の変わり種と名づけられるなら、 「アッシャー家の崩壊」 "The Fall of the House of Usher ” ( 1839 ) や、何篇かの 海洋物もそう呼ぶことができるだろう。 「ユリイカ」では、グロテスクで偽瞞的な 、、現実″からアラベスクな現実への移行 が、宇宙の歴史、すなわち、現在の放射に よる拡散状態から、原始の単一 一個の オーパーマインド″へと求心的に復帰す る未来の聖なる状態への移行と関連づけら れている。 ポーの詩は、どれにも全面的に S F のラ ベルを貼ることができないが、中には特殊 な SF 的要素を含んでいるために、比較的 SF に近いものがある。 3 篇の詩が、その 点で考慮に値するたろう。「アル・アーラ フ」 "AI Aaraaf ” ( 1829 ; 國 1831 ; 國 1845 ) XVII

3. SFマガジン 1984年12月号

1 ェイリアン創造法、Ⅱ作家とし 基本を押えながら自分の描きたい ての税金対策、のうち、やはり重 要なのは、 1 の作家としての資質 良ものを描いているからこそ、面白 であろう。作家というのは結果で さが伝わってくるーーー『アキラ』 あって、目標ではない。小説が、 小説が書きたくて、でし ″アメリカ作家協会の十一名の作家がこ か自分の書きたいものが描けない れからを目指す人が陥りやすい各種の誤から書いて、作家と呼ばれるので ちを懇切に指摘して指導″してくれる『ある。作家と呼ばれるため、名声 の書き方』が″ ( ウ・トウ・ライト・ブックと金銭を得るために小説を書くの ス″の第三弾として出た。既刊のディーン・ ではない。 ・クーンツ ( 『ビーストチャイルド』の著 だから逆に、本末顛倒して、 者 ) の『ベストセラー小説の書き方』や『ミ かにもアメリカ的な″作家と ステリーの書き方』に較べると、いささか面して成功する本と本書を考えれ 白味に欠ける。本書の中でも″道具といつばいいのかもしれない。 友克洋が初期から持っていたもので、映画に ている実用書に面白味を求めるのは御門違い それにしても、こうした禁じ手を守って生よってさらに。フッシ = されたといったほうが かもしれないが、あまりにも当り前のことばまれる可もなく不可もないスタンダードな正しいだろう。こうしたディテールは″絵″ かり書かれているからだ。小説を少しでも読が大量生産されているのが、アメリカでしか表現できない。その″絵″に支えられ んだことのある人間、そして小説を読ん界の現状なのだろうか。日本とて対岸の火事て骨太いストーリイがある。 でいてしかも書こうとする人間にとっては、 のように見てはいられないのだが : 一九八一一年十一一月六日 ( 連載第一回掲載号 各章とも言わずもがなのことばかり指摘され 発売日 ) 、関東地区で使用扣新型爆弾を ている。序章のチャールズ・・グラントの さて、今月の一番のオススメは、小説では契機に第一一一次大戦が勃発、その三十八年後、 部分を読んで、ヤル気を出したなら、本を閉ない。大友克洋の『』である。現翌年にオリンピック開催をひかえたネオ , ト じてしまっても、 しし、とさえ思う。 在も「ヤング・マガジン」に連載中で、全体ウキョウが舞台である。建設にむかう荒廃し 小説作法を教える " 文章読本。の類で、参の約半分くらいまでストーリイがすすめられた都市。ここに " アキラ。をめぐり様々な人 考になると思われるのは谷崎潤一郎のものぐている途中の作品なので、第一巻だけで内容物が入り乱れていくのだが、三五〇頁を超す らいで、およそが " べからず集。や " 禁じを云々するのは早計だろうが、これは傑作第一巻鉄雄の章が終わっても、いやそれに増 手″を並べているのが現状だ。いかに書くの だ。『エイリアン』『マッドマックス 2 』そすアキラの章が連載で終わりに近づいている か、ではなくて、こう書いてはいけない、として『プレードランナー』とい 0 た映像メデ今も、未だに物語の先が見えてこない。質の いうことである。 ィアの影響なしでは生まれなかったかもしれ低下してきている漫画界にあって、これは近 本書で触れられた十一のポイント、ないと思わせる作品。チリひとつなくクリー 来稀にみる作品だ。次の展開が楽しみな連載 作家の資質 ( ライト・スタッフですな ) 、 2 ンなものと誰もが考えていた宇宙や未来に、漫画といえば、他に楳図かずおの『わたしは マーケット、 3 登場人物、 4 会話、 5 ア生活感あふれるディテールを″映像〃でそれ真悟』くらいしかない。だが、大友にしろ楳 イディアとプロット、 6 造語法、 7 未来社会らの映画は見せてくれた。といっても、そう図にしろ、手塚治虫からスタートしたといわ 構築法、 8 未来生活感、 9 未来の政治力学、 した生活の臭いを正確に描写する資質は、大れるストーリイ漫画の定石にのっとってやっ 円 2

4. SFマガジン 1984年12月号

ー特別企画・連載⑩ー THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION SF 工ンサイクロべディア ピーターニコルズ編 浅倉久志・伊藤典夫監修 浅倉久志訳 COPyright ◎ Roxby Press Limited 1979 凡 1 . 邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 (" ” ) でかこんで あるものは短篇。ただし、単行本としては 未刊の長篇や、単行本に他の作品とともに 収められている長篇は、短篇とおなじ扱 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は「』で、 短篇ならびにそれに準ずる作品は「」で 0 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作者名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のゴチック書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品には邦題を『』でかこ んで添え、原題をイタリック体で示した。 未公開作品は原題のみを示した。ポールド 書体の年号は、本国での製作年。 8 . コミックは《》でかこんだ。 P N : ビーター ニコノレス・ J C : ジョン・クルート TSu : トニ ・サドベリー 2 刀 例 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ誌 F&S F : ファンタジイ・アンド・サイ 工ンス・フィクションじ、 TWS : スリリング・ワンダー・ストー リーズ誌 NW : ・ワールズ誌 : アンンロジー 圜 : 版による題名の異同 : 加筆 國 : 改訂版 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニバス版 統 : 複数の短篇を加筆改訂し、長篇のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 : 抄訳 国 : 原作はおとな向きだが、わが国への 紹介にあたってジュヴナイルに翻案さ れたもの。いわゆる、、再話 / / 。はじめ からジュヴナイルとして書かれた作品 DK : ディヴィッド・ケッタラー ・エドワーズ MJ E : マルカム・ J : 参照 は①指定されていない。

5. SFマガジン 1984年12月号

川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ S F の典型である。表紙は極端にけばけば しく、掲載作品の題名は、波瀾万丈の宇宙 冒険メロドラマを約束していた ( そして、 作品そのものは、しばしばそれを供給して きた ) 。読切り長編 ( 1947 ー 48 年 ) の典型的 な題名をつぎに掲げると、「赤い世界の地 底で」「ヴァルダの黒い尼僧」「ソーラー Ⅲの追放者」「水品洞のワーウイル」「虚 空のヴァルキュリア」「火星の野獣宝石」 となる。こうした叙事詩の作者には、エリ ック・フェネル、ガードナー・ F ・フォッ ある寄稿家で、同誌の魅力を最もよくその レッド・コッペルが含まれる。最も人気の 作家には、ポール・アンダースンとアルフ 後期の同誌にしばしば登場したその他の ロストである。 画家で最も個性的だったのは、ライドンフ 絵は、大半がお粗末で俗悪だった。定連の んど同誌のみに限られていた。同誌のさし なじく常連寄稿家で、雑誌への登場はほと ェルは、ウイルバー・ S ・ヒ。ーコックとお 誌の常連が含まれる。フェネルとマクダウ クス、エメット・マクダウェルのような同 フ・ラネット・ストーリーズ誌 1953 年 11 月号 257 作品に体現していたのは、火星や金星を舞 台に色彩ゆたかな恋と冒険の物語を書いた リイ・フ・ラケットである。同誌の短篇は、 もっとヴァラエティに富み、簡単には分類 できない。先の作品題名を選んだいくつか の号には、 1 冊だけを除いて、レイ・フ・ラ ッドベリの短篇が掲載されており、その中 には「ゼロ・アワー」 "Zero l-lour ” ( 1947 秋 ) や「第 3 探険隊」 "Mars is Heaven ! ” ( 1948 秋 ) が含まれている。のちの同誌 は、フィリップ・ K ・ディックの処女作 「輪廻の豚」 "Beyond Lies the Wub" ( 1952 年 7 月 ) を掲載した。 1940 年前後に 出現した数多い S F 雑誌の一つであるプラ ネット・ストーリーズ誌は、最も長く生き 残った雑誌の一つであり、最後までその判 型をたもった S F パルプ雑誌の一つだっ リイ・フ・ラケット編の The おど立 0 Stories 1 ( 図 1975 ) は同誌の典型 的作品の選集である。 プラット、チャールズ PLATT, CHARLES ( 1945 ー 〔 MJE 〕 イギリスの作家、編集者。現在はアメリ 力に住む。 19 年、サイエンス・ファンタ ジイ誌に "One 0f Those Days ”を始め とする短篇を発表、まもなくニ 便学的ューモアが、時として S F 的設定 た Garbage 幵 % だ ( 1967 ) だが、作者の糞 最初の長篇は、その前年に NW に連載され ー・ペイリーと共同編集した。フ。ラットの をムアコックと、第 7 巻 ( 197 のをヒラリ ロジー・シリーズのうち、第 6 巻 ( 1973 ) は編集長の座につき、また、 NW のアンソ のち、 1970 年にムアコックが退陣したあと 数年間いろいろな編集業務にたずさわった を集めた時期のことである。プラットは、 ギリスのニュー・ウェープ雑誌として注目 マイクル・ムアコック編集長のもとで、イ ルズ誌と関係するようになった。 NW が、 XV

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読者のつくるべージ リータス 6 ストーリイ 選・評星敬 リーダーズ・ストーリイ、今月のレッテルを貼られた少年の物ろ地球で見たオーいラを再現する ことだったのだ。老人の郷愁が伝 の結果の発表です。今回は、先月語。 の五割増、およそ七〇篇の作品を船の中では、命令されたことをわってくる素敵な一篇といえま 守ることがエリートの資格だっす。 読ませていただきました。 今月は、中学生からの作品が多た。だが少年は、あまりにも好奇東京都の斉藤聡さんの「生かさ かったといえましよう。夏休みの心が旺盛だったのだ。船内植物園れる男」、医学技術の進歩によっ 間に書いた作品を送ってくれたので火を起こしたり、ターザンごって、死というものが遠ざかった未 こをしたり、だが目的地のパミル来、何度も何度も自殺を試みるの かな。でも一つだけ注意しとくこ だが、その度に蘇生させられてし とがあります。封筒に入れて送る星に着いた時 : : : 、その船内一の とき、封筒の大きさに合わせて原問題児は、本当のエリートになるまう男の物語。人工臓器、サイボ 稿を切りきざむのはやめましよといったお話。少年と艦長の関係ーグ化、果てはクローン再生とど うしても死なせてくれないという が徴笑ましい作品でした。 う。大きめの封筒に入れること。 それから辞書を使うこと。これは和歌山県の藪内彰さんの「無思恐いお話です。この作品の場合、 原稿を書く上での基本ですよ。 考変化」は気味悪くなる作品でもう少しドタタ調にして、スト ーリイのテンボアツ。フを計ってみ さて、いつものように短評です。世界各地で起きる不思議な病 ーセントもの人々てはいかがでしようか、より面白 す。先ずは、常連、栃木県の鈴木気、人類の一。、 くなると思うのですが。 恵美子さんの作品から。 の脳が・フョブョになってしまった 今月鈴木さんは十一篇の作品をのだ。何故か、それは人間がもの今月最後は、東京都の砂田紀之 送ってくれました。その中からを考えなくなったために起きた退さんの「手足のびのび」と「コン ・フレックス」の二篇。 「ジェネラル」と「フロンティ行現象だったのだ、というもの。 ア」の二篇について触れておきま脳がズルズル流れ出すシーンは不両作品ともアイデア・ストーリ イの典型です。「手足のびのび」 す。 気味です。 「ジェネラル」は、殺人マシンと東京都の松田佳子さんの「老デは、ある朝おもいきり伸びをした ら、手が足が、首までもが果しな ザイナ】」、この作品、心優しい なるべく訓練を受ける男の物語。 人口増加による食糧問題の解決策きれいな物語でした。恒星リムをく伸びてしまった男の話。アイデ は、多すぎる人間を殺すこと、そ巡る人工都市、六十年にわたる人アは面白いし文章もよいのです のためには、良心に左右されない類の努力によって作られた都市をが、オチが今一つ判りにくいとい うものでした。もう一篇の「コン 殺人マシンが必要だったというお捨てなければならなくなった時、 話。もう一捻りして、この男の悲第一次移民であった老人がとった。フレックス」、これは面白い。他 しさが描けていればよかったので行動は : : : 。子供や孫たちと分か人のおしゃべりを気にしすぎるコ すが。もう一篇の「フロンティ れ一人都市に残った老人は、旅立ン。フレックス人間が増えすぎた世 ア」は、かわいらしい物語です。っ宇宙船に一つのメッセージを送の中を描く一篇、今月はこの「コ ン。フレックス」を入選とします。 恒星間移民船の中で、落ちこ・ほれったのだった。それは、子供のこ 209

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ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ( コフ。ラという名のアステロイドがごみ捨 て場に使われる ) の影を薄くしている。 れ the 0 ん 5 ( 1971 ) は混乱したス ペース・オペラだが、 The City Dw ん ( 1970 ; 國圜 Tw 〃なん the Ci ・り, 1977 米 ) は、大幅に書きかえられた改訂版から するかぎり、ニューヨークの死と、それを とりかこむ危機に瀕したアメリカを描いた 重要な近未来小説である。ほかにフ。レイボ ーイ・プレスから、フ・レイクリー・セント ・ジェイムズ名義で、一冊の長篇 & for C ん立切 4 ( 1976 ) を出している。そ の他の何冊かの長篇は性愛小説で、これに は純然たる S F 的設定の The Gas ( 1970 ) も含まれる。 The 1 襯 age 面ろ ( 1971 ) と The 03 4 ” d the ぞ砒ツ ( 1971 ) は、 どちらも多少の SF 的要素を備えたポルノ グラフィである。時にけばけばしく粗雑な 嫌いはあるが、彼の最高の作品は強烈な信 念をうかがわせる。フ。ラットは、アメリカ のいくっかの出版社で、編集者として働い 〔 J C 〕 ている。 ポー、エドガー・アラン POE, EDGAR ALLAN ( 1809 ー 49 ) アメリカの大作家にして SF の先駆者。 「、、サイエンティフィクション″という名 称でわたしが意味するのは、ジュール・ヴ ェルヌや、 H ・ G ・ウェルズや、エドガー ・アラン・ポーのようなタイプの小説であ る」とヒューコー・ガーンズバックは書い ている。そのキャリアの大半を、生き馬の 目を抜く雑誌出版界でついやしながらも、 ポーが詩人、短篇作家、評論家として世界 文学に与えた影響は、はかり知れないほど 大きい。通常、ポーは探偵小説と恐怖小説 の始祖、心理的リアリズムと詩形式の分野 の革新者、さらには新批評の創始者であ り、フランス象徴派運動にも多大の感化を およぼしたと見なされている。 フランスでのポーの心酔者の一人、ジュ ール・ヴェルヌは、ポーの一部の作品の中 に、彼自身の「実際的な」 SF の土台を見 たとえば、「軽気球夢譚」 "The 出した Ba1100n Hoax ” ( 1844 ) は、『気球に乗っ て 5 週間』 C 切 9 記襯ツお en 6 記あ〃 ( 1863 ) と『 80 日間世界一周』″ぉ イ 4 襯 0 ” en 94 - て , g お″ ( 1873 ) の両方に影響を与えている。しかし、ポー の文脈の中では、科学的論証の大部分が、 故意に真実めかしたほら話の性質を帯びて 工ドガー・アラン・ポー いることを、強調しておかなくてはならな 。ハード S F の作家の一人、アイザック ・アジモフは、ポーの作品が予告したよう な、一種の S F と探偵小説の混合物を創造 した。しかし、ポーの著作の中でもっと主 要な地位を占める形而上学的、幻想的な側 面をうけついだのは、別の二人の弟子 H ・ P ・ラヴクラフトとレイ・プラッドベ リである。ポール・ヴァレリーはポーの S F を定義してこう述べている 「ポーは ーっの道を開き、きわめて厳密で深い魅惑 を持った原理を教えたのである。そこでは 256 XV I

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ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢ日Ⅲ日ⅢⅢⅢⅢ 前号まの続く 知覚 PERCEPTION おもに感覚器官を通して外界に関する情 報を認知し、受けとめる働きを、知覚とい う。外界に関するわれわれの知覚が現実と 一致するのか、それとも、われわれの知覚 はたんなる仮定または知的構成概念にすぎ ず、外界の現実の不確実または部分的な情 況を伝えているのか、それとも、さらに 歩を進めて、外界の現実そのものが心の作 なふうに現実を知覚するか、また、われわ れがどんなふうに四次元の世界を知覚する かについての考察である。 J ・ H ・ロニ ー兄の「もうーっの世界」 "I-Jn autre monde ” ( 189 のは、普通の人間には見え ない紫色から先のスペクトル ( と、新しい 生物 ) が見える、非常に迅速な代謝作用を 備えた、 ータントの物語である。ディヴ りだしたものなのか この問題につい て、哲学者たちの意見は大きく分れてい る。 一次元や二次元の世界からきた生物がどん の『二次元の世界』窺 4 〃 d ( 1884 ) は、 初の本である。工ドウイン・ A ・アポット ・フィクション″のお墨付きをもらった最 アム・ウイルスンによって ) 、、サイエンス 部を費しており、当時 ( 同時代人のウィリ 覚した世界のありさまを描くのに小説の一 ス / 立 ( 1871 ) は、動物の五官を通して知 している。 R ・ H ・ホーンの The ~ 00 異常な知覚様式は、早くから S F に登場 も多い。 く、一つ以上のカテゴリーにまたがる作品 のグループは相互を排除するものではな 覚、 ( 4 ) 共感覚、⑤時間知覚の変化。これら 外見と現実、③ドラッグで改変された知 5 つに大別する一一 ( 1 ) 異常な知覚様式、② の項目では、便宜上、知覚を扱った S F を ただしい作品の中で傍役を演じてきた。 マで、いくつかの作品で主役を演じ、おび 知覚は、昔から S F の中では重要なテー ド・リンゼイは『アルクトゥールスへ の旅』 0 ) ag ビみな s ( 1920 ) で これに似たアイデアを発展させている。 こでは、別の惑星へ神秘的な方法で運ばれ た主人公が、未知の色彩を見ることにはじ まり、感情を感知したり、意志を強化する ことまで、さまざまな機能を果たす新しい 感覚器官を、つぎつぎに生やしては、また 失っていく。 多くの S F 作家がロニー兄の先例を追っ て、 I F の世界や異次元を直接に感知する ことのできる知覚様式を空想した。 アイデアが普及したのは、同年に発表され た H ・ G ・ウェルズの「ダヴィドソンの眼の 異常な体験」 "The Story 0f Davidson's , 1895 の影響と推測するほうが、 Eyes ” おそらく正確だろうが、 S F としてはロニ ー兄の作品に軍配を上げたい ) 。以後の多 くの作品は、超感覚的知覚 C#E S P) と 現在呼ばれているものに関係している。 A ・ E ・ヴァン・ヴォートのメロドラマ的な 「見えざる攻防」 Siege U れ e ( 1946 "The ChronicIer" として発表 ; 1959 ) のヒーローは第三の目を持ち、それ によって異次元の世界を感知し、のちには そこへ旅することができる。リチャード・ マッケナの「秘密の遊び場」 "The Secret Place" ( 1966 ) では、特殊な感覚器官は必 要とされない。遠い過去の地質年代の世界 が、ヒロイン、の心に直接に知覚される。 ( マッケナの作品の大半が、別の現実の知 覚そして / あるいは構築を扱っている ) 。 270

9. SFマガジン 1984年12月号

マッケナのもうーっの短篇 "Hunter, Come Home ” ( 1963 ) には、瞬間的な分 子分析によって知覚する異星生物が登場す る。これは、異星人の項目で列挙した多く の作品に使われている、風変わりな知覚形 態の一例である。ジェイムズ・テイプトリ ー・ジュニアもしばしば知覚テーマを取り 上げる。中でも、ほとんどシュールレアリ スム的な「苦痛指向」 "Painwise ” ( 1971 ) では、苦痛を感じないように外科的改変を 受けた地球人の探険家が、味覚への執着を 他の作品とおなじように、外部の現実と、 その現実が観察者の思考フ。ログラムによっ て知覚され、修正される過程との関係にロ 及している。これらの問題は、第 2 のグル ーフ。、外見と現実を扱った S F で、つねに 現われてくるものである。 外見と現実は、 S F の基本テーマの一つ である。それは知覚そのものだけでなく、 形而上学や認識の変革とも同程度に関係し ており、この問題はこれら二つの項目の中 でも ( やや違う角度から ) 論じられてい る。認識の変革の項目でより詳しく論じら れている作品には、ログ・フィリッフ。スの 「黄色い錠剤」 "The Yellow Pill ” ( 1958 ) や、ダニエル・ F ・ギャルイの & 記 4 げ 0 ル 3 ( 1964 ; 異 C04 厩夜ゾビ″ World 英 ) や、アルジス・ノくドリスの 「無頼の月」。 g Moon ( 1960 ) が ある。最後の長篇は、主人公が殺されるた びに、物質瞬送機を使ってつぎつぎに新し い肉体が複製されるというアイデアで、人 間の現実に対する知覚だけでなく、死に対 する知覚をも扱っている。 現実と幻影の違いを知覚する上での困難 は、超現実主義文学全体にとっていえるよ うに、不条理 S F の中心テーマである。ジ ョゼフィン・サクストンの作品にはしばし ばこのテーマが見られるし、また、実質 的には、アンジェラ・カーターの T ん / れ / れ記 D ぉ / 」イ ac んツぉ Doc 地 襯 4 〃 ( 1972 ; 圜 The Ⅳ“ の 4 襯 s 米 ) や、サーマン・ラシュディ の G 滝・襯 ( 1975 ) の主題でもある。これ ら 3 人の作家は、しばしば探索の旅の形式 を使う。人生は不可解な幻影の中を進む旅 であり、旅の行きつく先は理解なのだ。ェ ド・フ・ライアントの C 切れ 4 ろ 4 だ ( 関連作品 集 197 のは、ある謎の都市を舞台にしてい る。その都市では、欲望がさまざまな方法 で肉体化され、現実そのものも、たえす一 『マーシャン・インカ』イアン・ワトスン 持つ享楽的な異星人たちと親しくなる。そ して苦痛が再発見される。イアン・ワトス ンの長篇のいくつかは、知覚の問題をより 真剣に扱っている。たとえば、 T ん面れ 4 ん Kit ( 1975 ) では、クジラの知覚が人間の 知能を通して仲介 ( そして補正 ) される。 『マーシャン・インカ』 T んど」一 4 〃 ca ( 1977 ) では、二人のインディオが偶 然に火星生物を体内にとりこんだことによ って、知覚の変化を受ける。その結果、彼 らの世界に対するヴィジョンは、はるかに 複雑なものになる。ワトスンは、 269 III

10. SFマガジン 1984年12月号

言わないが、一難去ってまた一難という形の大山 けではなく、このあたりの考えようで君の作品のた。他の連中に聞いてみると、「ばアか、ヒロ をもうひとっ作るのはサービス精神としてよく分 個性とでもいうものが出てくるのだから、自分でインをそんなにあっさり殺す訳がないじゃない か ! 」とか、「当然よ ! きっとどこかで生きてる るが、現実の問題として、これを文章でとっちら 精々苦しんで、いろいろと工夫すべき部分だろう 、パックリ向うのに手にひっか と思ったわ ! 」と と思う。 からずにやるのは至難のわざのようだ。いずれく もういちど書かせて貰うけれど、この〔山 1 〕の部かった私は甘っちょろさを笑われたが、私はこれわしく話す。 〈山〉と〈大山〉の定義に多少の問題はあるし、 分、現地人と地酒の飲みつくらをしている娘、あもあたらしい手だとばかり思ってしまったのだ。 この山 1 と山 2 、Ⅳ とⅣに対して、いよいよ砂この通りにやって貰っても困るのだが、たとえば そこをヴィデオ・ディスクで繰り返し見ると、酒 ーズをこの手 漠での櫃捜しの大山は平、それに飛行機のからみ ハミルトンの〈スターウルフ〉シリ を煽るとき、彼女は実に苦しげな表情を浮かべる んだね、それがまたいいのなんの : ・ がとカーチェースが & 、合せてという堂々たで分解してみると、見事に るクライマックスを形成し、目出度く櫃はアメリ 山↓山↓大山 そこでもう私みたいなおっちょこちょいはすっ の形式を守っており、そのページ配分は山 + 山Ⅱ かり彼女に取り込まれてしまって、つづく〔山力の貨物船に積み込まれ、船室で、もうポロポロ になったインディー 2 〕のカイロ、Ⅳ という長丁場がちっとも気にな ・ジョーンズの傷の手当てを大山の関係になっていることがわかる。 する彼女の白いドレスがいかにも色ッぼくて、二 らぬ壮烈な乱闘に継ぐ乱闘を大いに楽しむのはい なかには解釈次第で ( 小山十小山 ) ↓山↓大山 いのだが、最後にトラックの爆発で彼女は本当に人のやりとりも実によくって、このまンま月夜のとか、小山↓中山↓小山↓大山などという形式も 死んでしまったのだと思いこんで、私は本当に悲海の貨物船のズームアウトでエンドマークが出てあるにはあるが、どっちにしろ、小・中山のト も、こっちはもう充分に堪能して、あア、面白か タルのページ配分を大山と等価にすることを原則 しくて、いくらなんでもこれはやり過ぎだと思っ ったなア ! と叫びながら席を立った筈だが、そとして、ハミルトンはスターウルフを書いたらし こにキミ、事もあろうにドイツの潜水艦がポー ン ! と浮上してきたとき、私の心に去来したの 大山というのは、要するに大団円につながる大 は、ウウム ! よくそやってくれた ! これこそ詰めな訳だが、惑星なら惑星、宇宙戦闘なら宇宙 。フロの仕事であるぞ ! という胸もふるえる思い 戦闘、舞台は原則として変化していない。その長 ・こっこ 0 丁場をもたせられるか否かが勝負となってくる。 といって、これはべつに『レイダース』独自の ハミルトンはやつばり偉いなあなどと感心するの お家芸という訳ではない。むしろこれは東映時代はこんな時である。 こっちも負けじとばかりに構成表が真ッ黒にな 劇の神髄とも言うべきもので、たとえば大友柳太 るくらい、ああでもない、 こうでもないと七転八 朗だったと思うが、『港祭に来た男』という作品 では、この潜水艦が鳥追笠をかぶったあだな門付倒の思いをくりかえすわけだが・ : けの女で、もう筋は忘れてしまったが、ムフゥー ところで、今の『レイダース』のシーン割り表 やってくれたわい ! という、もうどうしようも なく面白かった記憶しかないけれど、いってみれのことだが、各シーケンスの時間をとったのは、 ば『レイダース』は大山をふたっ持っているわけまだ作業の序のロなのである。 である。 これからその紙をもとにして、苦しくも楽しい 作業が始まるわけだが、請うご期待ー 潜水艦をいわばテコにして、ドンデンとまでは SENSE 〇 F W 〇 NDERLAND