通信士は送信を中止して、キャイ ( スとアルミの椅子の背にもた・フをジグザグを描いて下り、支脈をつく「ている山脈の尾根を避け れかかった。さりげない振りをしているものの、その茫洋としたメて通ったあと、そのあたりで二番目に大きいクレーター、アリステ キシコ人の風貌に、気遣わしげなようすが隠しようもなくにじみでイルスとアウトリクスの北側の広い湾曲にまで伸び、気紛れに〈霧 ている。 の沼地〉と異名がついた〈雨の海〉の小さな一角に入りこんでい 通信室の外で、廊下をやってくる足音がした。それは、月の重力た。そのあと青い軌跡は、おそらく通り抜けられる峠があるのだろ のせいでかろやかに聞こえたけれど、切迫した感じをつたえる気忙う、月のアベン = ン山脈を抜けて〈晴れの海〉のほうへ続いていた。 しい歩きかただった。二人の男が部屋へ入ってきた。通信士もそう「一号の場合は、このタワーがあっても見失う可能性がありまし だったが、彼らも・フルーデニムと厚手のジャケツを身に着けておた。しかし二号には、障害になりそうなものはさしあたりなにもな かったはずなんです」通信士がばやいた。 り、白髪の男のほうは横柄な態度をしていた。 ーニイがじかにきみから聞きたいそうだ」 「マイク、ドクター 赤い線のほうが直線に近かった。アルキメデスの環の青い北壁か ら分かれて、それは孤立した山の尾根と、七マイルあるキルヒとピ っしょにやってきた若いほうがいた、 アツツア・スマイスのクレーターを避けて、平坦な土地へ進出して 通信士が肩をすくめる。 いた。三百マイルほど進んだところで、・ほっんとそびえている。ヒコ 「一号トラクターは問題ありません、ドクター」彼は報告した。 が何本も通 「しかし、ジョーイから聞かれたはずですが、二号とは連絡が途絶山を通過し、おそらくプラトンの環状壁に登れるルート じていそうな点模様の三角地帯へ入りこんでいる。こちらのルート えています」 ーニイが訊には、ビコ山のすぐ手前に x 印が書き込まれていた。 「連中が最後に連絡を入れてきたのはいつなんだ ? 」・ ニイは考 「下りに入るまえに報告をいれることになっていた」・ハー 「たぶん〈睛れの海〉の低地が、われわれの見込みとま マイクが脇の壁にはってある地図を仕種でしめすと、年配の男はえこんだ。 歩みよって、じっと見入った。それには、差し渡し五十マイルのアるで違っているんだろう。だとすると、われわれとの間には正常に 湾曲しているところでもたつぶりと岩があることになる。おそろし ルキメデス・クレーターを取り囲んでいる地域が示されていた。 「青い線が一号で、赤いのが二号です」マイクがいった。「予定のくたくさんの岩がな」 ル ! トは承知しておられると思いますが。ええと、小さな x 印が報「きっと彼らは急いで環を越えたんだ」ジョーイがさりげなくいっ こ 0 告してきた場所と時間を示しているんです」 ーニイはしばし沈黙して、その点について考えた。彼は禿かか ーニイは青い線にざっと目を走らせた。クレータ 1 の北側のそ っ 0 ば、黒い正方形で示された月の最重要基地から出発して、その線は環っているこめかみのあたりにぼんやりと手をやった。そのほっそり とした顔は、目を細めて考えこむと、しわを刻んだ仮面となった。 状の岩壁を斜めに登っていた。つぎに外側のでこばこの多いスロー
つかりの・ほせあがって、地球にじっとしていられなかったからな「もうあの連中には会えんような気がする」 の。彼はくるのに乗り気じゃなかったわ。それなのに、彼はいまあ「でなきゃいいんですが」ジョーイがいった。「このへんで穴を掘 るのはたいへんですからねえ。一「三インチ下からはやけに固く そこへでかけているのよ : : : 」 マイクは立ち上がると、足で椅子を押し退けた。この女は気を失て」 いかけているそ、と思った。つぶさに彼女の様子を見守りながら、 手をのばして彼女の腕を支えた。 ハンセンは、右手に広がっている熔岩の海の急な湾曲の中にそび の山のそばを着々と進んでいた。峰が三 外でジョーイのロ笛がするのが聞こえたので、ほっとした。ルイえている高さ四千フィート ーズは体をしゃんと伸ばして、若い通信士が入ってくるとマイクのつあることははっきりわかっていた。だが、彼のいるところから 手から離れた。 は、それが縦に一直線に走っているので、全体が屹立した一つの山 「どうして。ハーニイに会いにいかないんだ」マイクがさり気なくい 塊のように見えた。その位置からでは、大部分が、濃い影のせい・で った。「どんな可能性があると思っているか、彼なら説明してくれ真黒だった。しかし、責め苛まれた岩に降り注いでいる地光の斑点 るはずだ。それとも、やりあいたいというのなら、おれじゃなくてが見えるところへ徐々に近づいていた。 彼を相手にしたほうが意味がある。おれがやりあってもらちがあか「もうすぐ本物の平地へでるそ。そしたら、小さなクレーターが点 なかったがね」 在しているだけで、ほかにはなんの目印もない」彼は思案した。 ルイーズは、目にみえて元気を取り戻した。 「立ち止まりたくないとしたら、さて、どちらへむかったもんだろ 「わかったわ、マイク。とにかく話を聞いてもらえて、ありがとう」 う」 万一、そんな問題がおきた場合を考えて、彼はとるべき方向と、 ーニイの部屋まで彼女についていってやれ」 そこにどんな地形が見つかるかを考えはじめた。 「けっこうよ」ルイーズがいった。「自分でいけるわ」 最初にやるべきことは、やや左手に方向をとって、もう一度トラ 二人は彼女がでていくのを見守った。 クターの轍が見つかるまで進むことであった。しかるのちに、かな そこから、さ り小クレーターが多い地域へでられると思っていし ふたたびジョーイは通信装置にむかった。二人ともむつつりと黙 りこんだまま座っていた。空調システムが活気づき、基地内の大気ほど目立たないが、直径がゆうに七マイルはあるキルヒ・クレータ を均質にする機能が働きはじめ、その溜息が無線機の騒音をときお ーへ通じている。キルヒの右手を通れば、あてもなくさまよい歩い りかき消した。 て山岳地帯のそばの〈雨の海〉に入りこむようなことにはならない 9 だろう。キルヒの左手を通って先へ進むと道に迷ってしまうかもし 3 「わかってるんだろ、ジョーイ」マイクがぼそっといった。 「なにをですか」 れないが、たぶんそちらのほうが歩きやすいはずだった。 きつりつ
に出るのは、あまり意味がなさそうだった。そのクレーターは、彼 きは、ほんの数分、スーツのタンクに酸素を補給したにすぎなかっ こ 0 の旅に一区切っけさせるための当然のゴールだ。。フラトンとアルキ 「だが、こんどはたつぶり半時間は足を休めよう」彼は心に決めメデスのほぼ中間にあるそこは、 ( ンセンが自分の足で歩けるとは こ 0 夢にも思わなかったほど遠くだった。重力が軽いために、じつに早 気がついてみると、足に少し活力がなくなっていたので、跳びなく歩くことができることがわかったいまでも、これほどの距離を踏 がら走っていてもあまり勢いがなかった。ところが反面、そのおか破できたことがほとんど信じられず、びつくりしていた。百五十マ げで、歩幅をいくらかコントロールしやすくなった。高く跳び上がイル近い距離だ。 だが、まちがいなくそこまできている。しかも、体の調子は悪く りすぎて、走るリズムを失うようなことはもうなくなった。いちば んの悩みの種は、腰のあたりに感じていた痛みが徐々に激しくなっ ない。右手の環状壁の外側の斜面を一瞥した。そして、さまざまな ていることだった。 苛立ちの種を心に思い浮かべて、それを数え挙げてみた。スペース ・スーツを着て何時間も過ごしたために、体中がべとべとしている 一連の小さなクレーターがつづいたあと、最後の小クレーターの 環状壁を迂回すると、七マイルの壁が影をつくっている側が見えのは当然だったが、それに加えて、膀胱が彼を悩ませはじめた。し かし、それをどうすることもできないのも事実であった。もちろ た。それが左へカー・フしているほうへ接近していくところだった。 というのは、ふたたびトラクターの轍に遭遇しても、その跡をたどん、体を動かせば体温が上昇する。だが、それをあるていど調整で ー容器 きるようになったのは、最後に休息をとったとき、 るのはやめようと、一時間前に決心したばかりだったからだ。 「右の壁を駆け上がり、キルヒ山脈に入りこんでみてもしかたがなの小さなダイヤルで暖房ュ = ットを調節できることがわかってから 。そんなことをしたら、山脈をジグザグに進んで通り抜けなきやだった。そうはいっても、スペース・スーツの管理と取扱の徴妙な ならんだろうが、それまでに、もう余計な遠回りができるほど力が点を余すところなく説明してくれなかったことには、かすかに不満 が残った。 残っているとは思えん」そのとき、そう考えたのだ。 「しかし考えてみれば、おれは、予備のカメラマンとしてほとんど 星空に浮かぶ地球の角度から推測すると、彼がいま進んでいるル ートは、だいたいのところ南を向いており、左手に見える影を目指暗室で時間を過ごすことになっていたんだ」 していた。キルヒを迂回したあと、進む方角を変えなくてはならな腹が空いているとはいえなかった。だが、早晩、体力の衰えを感 いことを思いだした。 ずるようになるだろうなと思った。スーツは、あのときの跳躍で、 「通りすぎるまで歩きつづけよう」彼は自分に約東した。「そのあ右膝のところでなにかが壊れたことを除けば、予想どおり順調に働 7 いているように思えた。スプリングが伸びきって用をなさなくなっ 4 とで、腰を下ろして、しばらく休めばいい」 さらに数マイル進んで、キルヒの裏側に広がるなにもない荒れ地たのたろうか。
はいつでも見つけられるさ」 と見えている弧状の線にぼんやりと目を走らせた。〈雨の海〉のは ようやく前方に山地が見えてきたとき、彼は右手に向きをかえるか北のほうに誘いこむように目を惹きつけられて眺めているうち た。まえに地図を調べたとき、その山脈がややカ 1 ・フを描いて、もに、やみくもにそちらへ頭をつきだしたくなった。絶縁されている う一つべつの孤立した峰のほうへ伸びていたのを思い出したので、 フェース。フレ 1 トの二重ガラスを突きぬけて、ヘルメットの拘東か それを当てにすることにした。知るかぎりでは、その山には名前がら逃れることができたら、あたりの環境をもっと・ ( ランスのとれ ついていなかった。だが、高さはピコ山の半分しかなかったけれた、たしかな感覚で知覚できそうな気がした。 ど、それは見誤ることのない目標であった。 もちろん、そこにはなにもない。彼はしぶしぶそのことを認め 左手の山脈はしだいに低くなって、起伏の多い丘陵になり、熔岩た。低い丘のように見えるクレーターの影を除いたら、五十マイル 四方に見えるものはなにもなかった。それに、たとえ見えたとして の層の下に沈んでいた。求めていた三ガ峰が視界に入ってくると、 ハンセンは、最後の岩の露頭のほうへ進んでいった。彼は広い岩のも、ごく小さなクレーターが二、三あるだけだ。 「じゃ、なにをさがしているんだ」ハンセンはぶつきら・ほうにいっ 上に登って腰を下ろそうとした。 た。「そんなことをして神経過敏になりたいのか。それに、ひとり 鎖で背中にくくりつけている大きなポンべの先端が、ヘルメット ランスを失って、岩の縁から転ごとをいうのはやめるんだ」 のうしろに当たって音をたてた。・ハ げ落ちた。手掛りを探し求める手の下で、熱に苛まれた岩の表面がけれども、跳び起きて、脱兎のごとく駟け出したいという止みが 薄片となって剥がれ落ち、彼は一度弾んでから地面に大の字に倒れたい衝動を懸命に抑えた。そのかわり、急に体をまわして、自分が てしまった。 いまその先端にいる尾根をじっと見つめた。 「クソッ」彼はうめいた。「いつになったら荷物をかついでいてもずいぶん南へきていたから、地光に照らされている側を眺めるこ一 ・ハランスがとれるようになるんだ」 とができた。尾根は、穏やかな海からせり出してくる怪物かなにか 体を起こすとポンべをおろした。タンクと・ ( ッテリーだけの正常の背中のように、遠くへいくほど高くなっていた。数マイル離れた なかさになったことを念頭において、露出した岩にもたれかかり、 ところで、支脈が南のほうへ突き出しているようだった。そして、 らくな姿勢で休息をとった。 地図に載っていた幅一マイルのクレーターを思い出した。 「しばらくくつろいだほうがいいかもしれん」彼は自分にいいきか いまでは、スーツの中がわずかだが気持よくなった。スペース・ せた。「空気循環器に汗を濾過する時間をあたえてやるんだ。それ に、疲れてしまって、連中がやってきたとき、見過ごすようなことス 1 ツの下に着込んでいるカ・ ( 1 オールが早く乾くように体の位置 5 を変えた。そして、腕を上げて首のうしろで手を組もうとしたとこ はしたくない」 右手の、彼が目指している峰とビコ山のあいだで、またはっきりろ、着ているものがそんなに柔らかくないことがわかった。
て考えた。高地の麓に広がっている天色の平地はまだよく見えてい 「すごく気分がいい」ほっとして、大声でいった。「こんなにスビ た。そこは適当に平らであったけれどーーおそらく〈雨の海〉を形 ドをあげて進むには荷物が重すぎるのに、ちっとも疲れていない 2 成した熔岩が大量に流出して、古いクレーターを埋めつくし、ただようだ」一瞬そう思ったが、すぐに自分を戒めた。「ま、それにし の隆起に見えるようになるまで、そこにあった山脈を溶かして押しても、疲れないにこしたことはない」 流し、平らにしてしまったのだろうがーーー丘や起伏がたくさんあっ彼はちょっと振りむいて、うしろにそびえている環状壁を眺め た。それは、トラクターから見るよりも歩いているほうがよくわか た。それは不気味に霞んだ姿を浮きあがらせており、他裂の濃い影 る。 が刻みこまれているのが望めた。月から地球に届く光より七十倍も 彼はそのクレーターを右後方に残して、そこを通りすぎた。かな明るい地球の光でさえも、亀裂の奥までは射し込まないのだ。 り平坦な場所にでくわすたびに跳蹤の速度を上げた。最初にそうし ハンセンはあわてて顔をそむけた。その山塊は彼を不安にした。 たときは、もんどりうってひっくり返り、出っ張った岩でスーツが内側のスロー。フでどんなに簡単に地滑りがはじまったか、それを思 裂けたのではないかと、ひやりとした。だから、ばかでかい酸素タ い出したのだ。 ンクのおかげで上体のほうが重くなっているのに慣れるまでは、慎「もうでかけたほうがいい」 重を期すようになった。 彼は勢いよく跳躍をはじめた、普通の駆け足ほど努力をしなくて 古い岩屑の最後の山を下りながら、ようやく自分が〈雨の海〉のもよい月上の駆け足で。地面はかなり平坦だった。それでも、うま 平坦な底にいることがわかった。そこは、。フラトンと、ばつんとそくタイミングを合わせることに全神経を集中した。一、二度、・ ( ラ びえている。ヒコ山との中間だった。右手はるか遠方で、後方から伸ンスを取りそこねて、すこしよろめいた。だが、すぐに歩調のリズ びている環状壁が、テネリフ = 山脈の名で知られている別の一群のムがとれるようになり、背負っている荷物に煩わされなくなった。 峰を目がけて突っ込んでいた。その連峰は、それより規模の小さい彼は、やや右手にむかって、環状壁が突き出している地点を目指し ビコ山脈といくらか似ているところがあった。彼が立っている場所て進んでいった。 は、かってはプラトンとおなじぐらいの面積があったのだろうが、 足場は粉のような灰色の砂地だった。二週間つづく月の昼と夜の いまはかすかな輪郭と支脈でそれとわかるだけの、別のクレータ 1 あいだに温度が極端に変化して、岩の表面がぼろぼろに脆くなり、 の一部であった。古い話だが、アイザック卿にふさわしいほかの陸収縮と伸張が繰り返される結果、ついには一番上の地層の結晶構造 マーク 標が決定される以前は、そこをニートンと呼んでいた天文学者もにまで影響が現れる。そうした層が薄片となって剥がれて、粉末が 分離された層を形成し、 ハンセンが砂地を駆けることになったの ハンセンはここまでくるのにほ・ほ半時間を要した。そしていま、 だ。振り返ってみると、たったいま自分が蹴立ててきた砂の粒子が 立ち止まって一息いれているところだった。 まだ地表を漂っているのが見えた。それが落ちていくようすは、砂
そういったんだ。あれだけいったのに ! 」 永遠の死の世界を支配する死の静寂に包まれて、彼は一人・ほっち 彼は声に出してしゃべっていることにほとんど気がついていなか った。岩が逆巻きながら滑り落ちていく塊の中のどこかに、彼がアだった。 ルキメデスから運転してきた真空トラクターが巻き込まれているの彼はそこに立ちつくしていた。保護スーツのクローム・イエロー だ。車体がまだ引き裂かれていなければ、その中にヴァン・ネスとの点がぼつんとひとつ。無彩色のヘルメットの透明な窓の奥に、・フ グロスワルド、それにフェルナンデスがいる。 ロンドの若い男の、たぶん二十六歳ぐらいだろう、顎が角張った細 ばろばろの岩と塵の堆積が、ちょっとのあいだ高台の端を越えて面の顔が見えていた。日焼けした肌とは対照的に、眉毛は滑稽なく 視界から消えていくのが望めた。だが、それははるか下のほうでふらい明るい色をしていたが、その下の灰色の目は恐怖をたたえて見 たたび姿を現わした。一度、光沢のある金属がキラッと光るのを見開いていた。 たような気がしたけれど、たちまち別の険しい急斜面を流れ下って丈は中背だったが、かさばったスーツがウエルター級の均整のと っこ 0 しー れた体型を隠していた。それに、酸素タンクと、無線機の・ハッテリ 保温。、ツド、そして空気循環器が入った。 ( ックのせいで、よけ 月相は〈上弦〉よりもむしろ〈新月〉に近く、太陽があまりにも いに外観がずんぐりして見えた。 地平線に近い低い位置にあったので、クレーターの底や、ハンセン の右前方にある三つの峰にすら光があたらなかった。ところが、凸 スーツの中を空気が循環するシューという静かな音で、ようやく が見つかるまで、トラクター 円形の地球からとどく光はけっこう明るかったので、彼は周囲の地われに返った。岩棚から下りるルート 表をすっかり見てとることができた。 が待機しているはずだった平坦な高台へ、彼は細心の注意を払って ノリと切り取られた 地滑りはついに底に達した。そこは、男がいる不安定な場所から登っていった。百ャード前方に、尾根からスツ。、 ほ・ほ三千フィート下にあった。彼は深呼吸をして、肩の凝りをほぐように、一個所大きくえぐり取られているところがあった。 そうとした。 「はるばるアルキメデスからここまできて、まだ、底を一目見るこ 「五分はかかったにちがいない」彼はつぶやいた。夢中で眺めていとすらしていなかったんだ」彼は低い声でいった。 るうちに、からだが不自然な姿勢のまま凍りついたように固くなっ 思いきってこのままクレーターの底まで下りていって、そこを調 ていることに気がついた。 べてみようか、としばし思案した。何世紀ものあいだ、地球から観 一時間以上もかかったような気がした。クレーターの底の薄暗い測したものの報告によると、・フラトンの底は日の出とともに暗くな がんせつ り、やがてそこはほとんど真暗闇になるとされてきた。ときには、 影の中で、空気がないから塵は急速に鎮まったけれども、岩屑は、 5 地球の場合よりもはるかに勾配の急な山とな 0 て積み上がったまま表面を覆い隠す霧状の雲の層ができたり、明るい線と点が模様を描盟 いて変化することもあるという。 だった。・フーツを通してハンセンが感じていたかすかな揺れもやん 」 0
らで、山が見えなくなるほど早く歩いたんだろうか。もちろん : たときは、きっとそれが意識の底にあったんだ」 走り出したときにもずいぶんうしろにあったが」 つまりは薄氷の上を滑っているようなもので、いっかは氷は割れ 自分が逃げるようにして駆けとおしてきたことを思い出し、急にる。一瞬のことだったが、現実的な可能性として、ここで押し潰され 恥ずかしくなって目を閉じた。 るのなら、そのほうがよほどましなのではないだろうかと考えた。 額に玉のように噴きだした汗が、頬骨や鼻を伝ってしたたりおちしかしそれなら、あの大きなクレーターの環状壁にいるあいだにや しずく はじめた。ときおり、汗の滴が目に入った。だが、ヘルメットの棺めてもおなじことだった。 の中で頭をいくら振ってみても効果はなかった。ひりひり痛んだけ「せつかくここまできた以上、このスーツを目一杯利用して、距離 れども、かんしやくを起こすには疲れすぎていた。 を稼げるだけ稼ぐさ」彼は声にだしていった。「もし生きながらえ 「どうしてあんなむちやをしたんだ」彼は低い声でうめいた。 ることができたら、基地へ入っていって、連中をびつくりさせてや 惨事が起こった当初は、冷静であったことを思い出した。だれかることもできるだろうに」 生存者がいないかどうか、おちついて見きわめたし、ぜったいに欠彼はにやりと笑って、こんな愉快な場面を空想した。 かせない酸素ポンべを取り、おちついて崖をおりていったし、性能 のよい双眼鏡があれば地球からでも見分けられるくらいはっきりと「よう、ポール、どこへいっていたんだ」 ムーンウォーク した目標に間違いなく導いてくれるルートをよく選んで、おちつい 「ああ、ちょっと月の散歩にな」 て出発した。 「で、月を散歩するのにどこまででかけたんだ」 もともとは、ビコ山か、せいぜい三ガ峰までしか行くつもりはな「プラトンを一巡りしてきたのさ。でもけっこう退屈たったよ、ち かったのだ。いや、本当にそうだったろうか。 んたらちんたら歩くだけでさ」 思えば、どんどん先へ進むことばかり考えはじめたのは、どこか 小型モーターが肉体的要求にどうにか追いついたところで、やっ はるか後方でだった。前進する理由などあるわけはなかったのに。 と深々と息を吸い込むことができた。ほっそりとした顔に浮かびか かっていた笑いが引っ込み、ゆっくりと歩いていた歩調が早くなっ ただ、救援がくるにしても、ひょっとしたら間に合わないかもした。 れないと、内心それが気になっていたのだ。 「自分をからかって、どうしようというんだ」彼は鼻を鳴らしてい 「あちらで、すでに救援隊を送りだしたとどうしていえるんだ」彼った。「まるで脅えきって、気がへんになったみたいだぞ。しか は自問した。「連中からすれば、いまごろこちらはまだプラトンのし、そうなって当然だ ! 」 内側にいて、すばらしく平坦なクレーターの底に腰をすえていると しか、思わないはずだ。さっきキルヒのどちら側を通るか考えてい 偵察ロケットで飛ぶことになっているパイロットのパッキー・オ 243
ドクター 「この調子なら、たいして時間はかからないそ」彼は気を取りなお ーニイは、壁にかかっている〈雨の海〉の地図の前 した。「この走りかたで、五マイルはこなしたはずだ。ひょっとしで行ったりきたりしていた。そのむかい側にある通信士たちの低い 3 2 たら、十マイルに近いかもしれん」 二段べッドはーーー一脚しかない椅子と同じように、キャン・ハスとア ごく小さなクレーター、つまり、差し渡し数百ャードの〈首飾〉ルミでできていたがーー三人の重すぎる重量を支えていた。主任天 レ を一周した。そのちょうど中央にちつぼけな峰があった。それは、文学者のドクター シャーマンよ、・、ツ キー・オニールとエミー 月のほぼ半数ちかいクレーターで見られる中央山塊に相当する。そ・ウォールの間に座 0 ていた。ウォールは、地質学者のチーフであ のときはじめて ( ンセンは、トラクターごと崖から落ちてしまったるだけでなく、・ ( ニイの副官でもあった。オニールは、ロケット カメラを惜しいと思った。 を送ってプラトン地域の写真を撮ることになった場合に備えてそこ 「運転に忙しくて、途中で一枚も写真を撮らなかったし、こんなに 完璧なミ = チアに出食わしたというのに、今度はカメラがないと「あの連中、自分たちの部屋を使えばいいのに、そう思いません きている」彼はぼやいた。「これだけの調査隊にしちゃ、情けない か」ジョーイがマイクの耳もとでささやいた。「・ハッキー以外はみ 予備カメラマンだよ」 な個室をあてがわれているんですよ。こんなにうるさくちゃ、どう そもそも月へやってくるなんておれはなんて馬鹿なんだ。そう思やって入電をキャッチしたらいいんです」 って、数分のことだが気を紛らした。本当はちっともきたくなんか うるさいとはいっても、この場合は溜息や、指でとんとん叩く なかったのだ。それに、はっきり言「て、も「と適当な、こういう音、それにシャーマンが座ったまま片手を顎に当てて地図を見つめ チャンスがあれば大よろこびするものがほかにたくさんいたのだ。 ているあたりから聞こえてくる苛立たしげな口笛が作り出す騒音で ところが不思議なことに、ほかにやりたがるものがいるから自分はあった。 したくないと思っていても、それをやらなくてはならないものも往「概略の位置には、ほとんど疑いがない」・ ニイがまた同じこと 往にしているものだ。 をいったものの、今度も前のように壁にぶつかってしまった。「な 彼はちらっと地球を見上げた。そして、輝いているその天体を左にか悪いことが起こったという確証がなければ、ほかの仕事をおっ 前方に見ながら、南へ進みつづけた。 ばりだして隊員を送りだすのはまずい」 「でも、きっとなにか厄介なことが起こったんですよ」ウォール ; マイクとジョーイは自分の無線機の前で、それそれ折り畳み式の いった。「最後に連絡をしてきたときは、なんでもなかったんでし よ 椅子と空き箱に座って、じかに話かけられないかぎり不機嫌そうに 押し黙っていた。彼らの小さな仕切り部屋が立て込んでいたから、 だれも返事をしなかったので、マイクがしかたなく前に言ったこ 二人は機嫌が悪かったのだ。 とをくりかえした。
「だとすれば、すばらしい跳躍はつづけられなかったはずだ」彼はできた。 思った。「中に十四ポンドの重量を抱えこみ、外には空気がまった細かい砂の上に座り込むと、安堵の溜息をもらして岩に背をもた 2 くないのだから、機械の助けがなくては関節をまげるのはたいへんせかけた。そして、体をもそもぞうごかして、もっと座りいい姿勢 をきめた。 っこ 0 いまでは、環状壁そいに光りの筋が見え、自分が壁のまわりを回「あんなに水を飲まなきやよかった」彼はうめくようにいナ ネックピース っていることがわかった。進むにつれて徐々に明りが強くなってき スーツの首隠しに項をもたせかけた。それは、不愉快ではなか て、しばらくして開けた平地へでるころは、壁は地光を浴びてほと った。もっとも、地球の光りがもろに目にあたることになった点を んど灰色をしていた。ふつうのクレーターに比べると、キルヒは新除けばの話だが。 しい外観をしていた。その底に熔岩は敷き詰められていなかった「明るすぎると思っていても、そのうちすっかり慣れてしまうさ」 ひとみ し、環状壁もそれほど長期にわたって熱の浸食に曝されていたよう彼は思った。「きっといまごろ瞳が猫の瞳孔のように大きくなって にも見えなかった。だから、周囲にまず海ができ、そのあとでキル るそ」 ヒ・クレーターが形成されたという可能性もある。 皮肉なことに、水脹れがどんどん大きくなっているような感じだ ハンセンは、腰を下ろすのに適当な場所を目で探しはじめた。まった。スペース・スーツの下に着ているカバーオールがところどこ もなく、自動車くらいの大きさの岩を見つけた。 ろでーー腕を振るときの脇の下、右の関節、股の内側などが 「水を飲むのが先で、場所を探すのはそれからだ」彼は溜息をついすれて痛んだ。体重がかからなくなったとたん、足が痛みはじめ こ 0 唇で細い。ハイ。フをまさぐるのをやめたとたん、実際に疲れている それに、目蓋がひりびりしたので、目のまわりや、目の中へ流れ ことがわかった。 こんできた汗のことも思い出した。 水は、外の寒さを防ぐために暖房コイルでほどほどにしか囲んで「ちがった景色が見たいもんだ」ぶつぶついいながら、彼は元気を なかったから、適当に冷えていて、体がシャキッとした。ただし、 とりもどした。「反対側を向いたら、おそらく目が休まるだろう」 ほんのちょっとだけだ。走ったおかげで、ロの中がひどく粘っいて荷物を背負うと、岩をひと巡りしはじめた。それから用心深く、 酸素ポンべをとりにもどった。どうしてポンべを引きずって歩くの ( ンセンは、背負ってきた大きなポンべを背中から下ろすと、具か、ちゃんとした理由は思いっかなかったが、なぜか、それがそば にあるとすごく気持がくつろぐ感じがした。 、くッテリーとタン 合のいい岩のくぼみのそばにおいた。つづいて クの・ハックの紐をゆるめた。パイ。フとワイヤーを保護している金属 で覆った接続部がけっこう長かったので、 ックを脇へおくことが 岩の反対側は表面が黒々と影に覆われているものだから、手頃な こ 0
にかくこれ以上足を傷めることはなかったんだ。それに、そのほう で、人が散りはしめた。 がらくだ」 とこか心の奥底 それに逆らう論拠は思い浮かばなかった。だが、・ ( ンセンは、スーツの首隠しに顎をのせて、と・ほとぼと歩きつづ けた。たえず移動している砂にしょ 0 ちゅう足をとられてはよろめに潜んでいる衝動が、立ち止まるのを拒否していた。 またもや休息をとらなくてはならなくなった。頻繁に立ち止ま「 の窓に額をぶつつけた。 き、そのたびにヘルメット て休むようになった。だが、腰はおろさなかった。 「これじゃ歩くのもらくじゃない」彼は馬鹿げたことを考えた。 二度と立ち上がれないことがわかっていたからだ。 「柔軟な首でももっていなきや歩き通せないそ」 彼は注意を集中して、たぶん百歩ほど歩いてから、ゆ「くりと当広く足を開いて、あえぎながら腕を両脇にだらんとたらしたま ま、その場に立っていた。膝の裏側で傷口がどくどくと鼓動を打っ 然の結論に達した。 のに耐えかねて、歯を剥き出したとき、顔がこわばるのが・わかっ 「そもそも、ここへでかけてくるんだったら、かなり柔らかくて、 しなやかな頭をも 0 ている必要がある。家にいてべ ' ドから出るべた。いまでは、血がすこしぐらい早く滴り落ちても、それが感じら きじゃなか「たんだ。。フラトンにとどま 0 ていて、なにか目印になれないくらい足がぬるぬるしていて、それに慣れてしま「ていた。 るものでも立てるべきだ 0 たんだ。基地がだれか送りだしたかもし気がつくと、ふつうよりも明るく、しかも白 0 ぽい黄色にう「す らと染まったところに立っていた。そういうところを何カ所か通っ : さっき見たのはロケットだったんだろうか。おそらく、 れない : 死ぬことになるだろうな : : : しかし、どのみち死にかか「ているんてきたことを思い出しながら、それらの場所がアリスティルスから だ。どうして、尻をすえて待たなか 0 たんだろう。そうすれば、との輝条であることが徐々にわか「てきた。そこは、クレーターが形 5 5 滅びゆく齦河帝国の 歴史に出現した 古・色蒼然たる拳銃 その名は・・ バリントン・ J ・べイリ 酒井昭伸訳 ・定価 320 円 ネ寺は この拳銃ど曇 それをめぐ衣々を 捗新た " 絢た第 : なてある 、にパャカウ文庫 $F ←