漆黒の姿が命を宿して震えはじめたかに見えた。 らを救う力があるのなら、いますぐそうさせろ ! 」 「鬼神の憑依はいま言われてすぐできるものではありません」咒法「そなたの戦士を招じ入れよ」と声が言「た。「入るは一度に五 人。顔をあげよとの命あるまで、床を見ているよう厳命しおけ」 師はささやくように答えた。「それには時間がかかります」 ・ ( ラント卿は室外に引きさがった。室内ではなんの音もしない。 「時間なそないわっ ! 十分もすればわれらは皆殺しぞ ! 」 「全力をつくしましよう。 = ヴ = リドよ、 = ヴ = リドよ、疾くきた少しの時間が過ぎた。やがて、疲れはてた五人の戦士が一列にな ってやってくると、うつむきながら室内に入っていった。 れ」 アンダースン・グライムズは咒法室に急ぎ、鬼面をつけ、ひとつ「ゆるりと顔をあげるがよい」と声は言った。「あれなるオレンジ の炎を見よ。大きく息を吸え、しかしてわれを見よ。われは怨念鬼 つまうの壁の前 かみの香をつぎからつぎへと火鉢に投げ入れた。いを われを見よ。われはたれそ」 には、巨大な姿が立っていた。漆黒の体、細く切れこんだ目、鼻のエヴェリド。 ない顔。上顎からにゆっと突き出した大きな白い矛。がっしりとし「汝は怨念鬼エヴ = リド」戦士たちは震え声で答えた。 た曲がった脚で立ったそいつは、なにかをつかもうとするかのよう「われは汝らが周囲に遍在す、あまたの姿をとりて : : : われ近づけ 。われいずこにありや」 に両手をぐっと突き出していた。アンダースン・グライムズはシロ 「われらがそばに」 ップのカップを飲みほし、ゆっくりと前後に歩きまわりはじめた。 「いま、われは汝らがうちにあり。われら一体となりぬ」 しばしの時がすぎた。 ふいに、五人の体がびくんと動いた。戦士たちの背筋がぐぐっと 「グライムズ ! 」 ・ハラント卿が外から呼びかけた。「グライムズ 伸び、顔つきが歪んだ。 「ゆけ。静かに前庭にいでよ。数分のうちに打ちいでて敵を誅戮せ 声が答えた。「恐れずに入るがよい」 ・ハラント卿は古代の携帯兵器片手になかに入った。が、たちまちん」 五人は歩み去った。さらに五人が室内に入った。 げつとうめいてあとずさった。「グライムズ ! 」とかすれ声でつぶ / ラントの騎兵が門のそばまで退却してきてい 城壁の外では、く やく。 「グライムズはここにはおらぬ」さっきの声が言った。「これなるた。城内にはまだ七人のファイドの騎士が生き残っており、城壁を 背にして・ハラントの戦士たちを門の開閉機構に近づけまいと奮戦し はエヴェリドそ。いざ、そばへきたれ」 ( ラント卿はこわばる足で前に進んだ。室内はまっ暗で、ただ火ていた。 ファイドのキャン。フでは、フスがコマンドアに声をかけた。「エ 鉢だけがほのかな明かりを発している。アンダースン・グライムズ は部屋の一角に腰をおろし、鬼面をつけた頭を低くたれていた。肉ヴ = リドが歩きだした。ケイリルを呼び出せ」 「戦士を呼べ」低く無慈悲な声でコマンドアが言った。「戦士をわ 体と顔を持っ影がゆらぎ、脈動し、実体化しようとしてもがいた。
「いや。義理の、あねさんなんだ。恩がある。だまされて、売りと悲鳴がきこえるわ。 それがさ」 ばされたんだ。まだゼアの娘なんだぜ」 「十七で ? おかしいんじゃないの、どっか」 「半月くらいまえになるかな。また若い、子供みたいな女がつれて 「固え家の娘なんだよう」 来られたんだけど、シクシク泣く声がずっとしてて、おとつつあん はやらなかったらしいのさ。ちらっとみたけどかなりのシャンだっ 「だまされて、売られるなんてさ」 モアラは沈んだ声でいった。 たから、きっとありゃあ、売れさきがきまってんだと、みんなでこ 「珍しくもないわよ、ここじゃ。あたいだって、だまされたような っそりいってたよ。買ってきて、おとつつあんが味見をしないの もんさ。 毎日、地下牢から、女の泣き声のきこえない日はない は、初物の売れさきの、決ってるやつだけだもの」 よ」 「そのあと、そいつは、どうなった」 「そうかい、わかったよ」 「さ、このとこ、泣く声もしないけど、どっかへつれていかれた イシュトヴァーンはむっとして云った。・ か、くたばったか、したんじゃないの」 「おめえは三回もいい思いして、二ラン半もふんだくって、それで「地下牢って、どこにある」 知らん顔をしようってんだな。わかったよ。あの人間トドに二ラン 「とても、行けないわよ。のそくのも、ムリよ。 半のこと、云いつけてやる」 はってるからね」 「そうじゃないったら」 「ふん : : : 」 モアラは泣き声で、 イシュトヴァーンは、下唇をかみ、考えこんだ。 「ねえ、あんた」 「あたい、怖いのよ。焼きごてがー モアラは、そっと指さきで彼の裸の胸にさがっている、玉石のペ 「おめえみてえな上玉に、焼きごてあてて、値うちをさげる、、ハ力は ンダントをさぐりながら、 いねえよ。云えよ。何か、知ってんだろ」 ってほどじゃない。本当よ」 「ちがってたらごめんよ。もしかして、あんた、イシュトヴァーン モアラは、イシュトヴァーンをさぐるように見て、つと、その耳 大コルドの弟子で、十六のすごいコロ師だという、ヴェントの に唇をよせた。 イシュトヴァーンじゃないの ? 悪魔っ子、といわれてると、 てたわね」 「あのね。じゃ、教えるけど」 ひそひそ声でいう。 「知ってんのかよ、おれを」 「いつも、おとつつあんは、どっかから、女をつれてきて、自分で「ときどき、ヨピスがあたいを敵娼にするのよ。張り師代の一部に 仕込んで店に出すのよ。いつも、女がくると、地下牢から何日か、 さ」 いつつも大 ' せい見 8
会社の自分の机につくなり、おれは尚子の実家へ電話をした。 今日子が掠れた声で、きて、と訴えた。 「はい、三島でございます」 おれは今日子の中に入って行った。 尚子の母親の声がした。 今までじっとがまんしていた今日子が、声をあげはじめた。 「あ、ごぶさたしてますお母さん。克夫です」 「は ? 」 3 「ええと、尚子、そちらへおじゃましてないでしようか ? ・ : : ・」 おれの隣の机に、同僚の保崎が出社してきた。昨晩飲み歩いた男 翌朝、おれは駅に向かって歩いていた。 だ。受話器を耳に押しあてたまま、彼に頷いてみせる。 明け方目覚めて、おれの腕の中に今日子がいるのに気づき、ぎよ 「尚子ですか ? 」 っとしたが、昨晩のことを、すぐに思いだした。 今日子は、まるで本当のおれの妻のように朝食をつくり、会社へ 「尚子はポストンですが」 送りだしてくれたのだった。 「ポストン」 「今日はよく晴れてるから、大お洗濯大会よ」 おれは素頓狂な声をだす。 とエ。フロン姿の今日子は、ドアの所で言って手を振った。 なんだか、おれはずっと今日子と夫婦生活を送っているような気「ポストンって、あのアメリカのポストンですか」 。そうですが : : : 」 がした。尚子との生活は、夢だったような気がした。だが、なろん「はあ : やけにのんびり母親は答える。 そんなはずはな、。 ゆるくカー・フしている道を歩き、やがて分れ道の分岐点までき「一昨年結婚してから、夫の海外赴任に、ついていっております。 来年日本に戻ってまいりますが ? 」 おれはうろたえた。尚子の母親はなにを言っているんだ。なにか おれは立ち止まり、つとふりかえった。 感ちがいしているのではないか ? 眼前に『亀岡』という表札の家がある。 そして左「あのですね、お母さん。尚子です。尚子のことですよ」 右が、今おれがマンションから歩いてきた道だ。 が、昨晩ひさしぶりに通って帰った小公園のある道である。 「はあ。そうですが。失礼ですが、どちら様でしようか ? もう一 あれ ? となんとなく頭の中でなにかが、ひっかかった。だが、度お名前を」 いったいそれがなになのかはわからなかった。 「克夫です」 おれは踵をかえして、駅への一本道を歩いて行った。 「はあ ? 」 「中沢克夫です ! 」 こ 0 4 8
たじろいでよけたが、あいては、すぐに、通ろうとしなかった。 そのかわり、どっしりと地面に根を生やしたように、そこに立っ て、イシュトヴァ】ンを上から下まで見た。 その目が、陰険に、細められる。 ( ゃべえツ。気づかれたかな ) イシュトヴァーンはなるべく、さりげないようすをよそおい 「ちょっと、失礼」 そのかたわらを、とおりぬけようとした。 せつな、男の丸太のような腕があがった。 イシュトヴァーンのあごは、ひょいと、海坊主のサムのカ・ハ・フー イシュトヴァーンは、少し考えた。それから、まわりを見まわ のように黒くて太い二本の指にはさまれていた。ぐいと、顔をもち あげられた。 し、そっと、女神亭の横の路地、というより、建物と建物のあいだ のすきまに、むりやり、身をすべりこませた。 「なツ、何しやがる」 海坊主は、動じない。小さな、奥にひっこんだ目が、じっとさぐ るように、イシュトヴァ 1 ンの顔にあてられている。 びったりとはりつくようにして、きき耳を立てる。 「どこかで、会ってるか、イ」 ぐ、トド婆の太い声がきこえてきた。 野太い声がいった。イシュトヴァ 1 ンは、あごをもちあげられたす まま、あわてて首をふった。 トドめ。おれがいうのは、別くちだ」 「よしやがれ、 「へえ」 「新入りか ? 」 「おい、海坊主。そりや、客だわさ」 「ほら、例の」 「ああ。オリ ー・トレヴァンかえ」 面白そうにみていた、トド婆あが云った。 「へえ」 「云うんじゃねえ。 が、殿下は、ああいう、目のきつい、やせ 海坊主は疑わしげにイシュトヴァーンをみた。 た若い男がお好きだ。おまけに、とにかくあきつぼくて、あとから あとから、とっかえひっかえときてなさるからな」 「このこまいのが、何を買うんだ」 「女さ」 「東チチアにや、そのくらいはいるだろ」 「上玉はなかなかいねえよ。こんど、いまのガキが来たら、うまい 「おれあまた、新入りの男娼かと思ったぜ」 大きな、ボラ・・ホラ魚の卵のような唇が、にやりとゆがんだ。や いくぶんのこり惜しそうに、男は手をはなした。 さしもの、向う気のつよいイシュトヴァーンとはいえ、退却のこ ろあいだけはいやというほどわきまえている。こんどばかりは、文 句も、無駄ロもたたかず、ごくすみやかに、かれは、大男の小わき をすりぬけて、おもてへとび出して、ようやくほっとした。 中から、トド婆が何か云い、二人でどっとわらう声がきこえた。
出してかけ出した。 ことびきとめといて、おれに使いをくれ」 ガタンと女神亭の戸があいて、何か叫ぶ声と、人の追ってくるら 「おやまあ、かどわかすのかい」 しい気配がしたが、イシュトヴァーンはもう、あとをも見ずにいっ 「話をつけるか、きかなけりや : 何か、身ぶりでもしたらしく、婆が黄色い声でわらい出すのがきさん走り、あっという間に、チチアのせまい路地から路地をかいく ぐり、夜と人波の中にまぎれこんでしまった。 こえた。 「が、そいつはあとのことだ。いいか、それより、婆あ、おれの用 は、伯爵さまのことだ」 「うううつ、ぶるぶる。ドライドンの緑のひげにかけて、冗談じゃ 「あいよ。まったく、助平のロにやこと欠かねえわさ」 ねえよ、全く ! 」 「あす、伯爵さまが、サイスとつつあんの賭場においでになる。ひ頭から、水をかけられて、逃走した猫のように、イシュトヴァー としきり遊んだあと、こちらにお越し下さるからな。いちばん、 いンが全身をぶるぶるっとふるわせて、やっと歩みをゆるめたのは、 いへやと、例によって、いちばんいい女ひとり、男ひとり、おさえ東チチアをはなれ、かれの縄張りのウミネコ通りへ、たどりついて といてくれという、用人さまのご命令を、伝えに来たのよ」 からだった。 「いいともな。ファーミアと、イランでよかろ。お泊りなら、二部大いそぎで、玉石をにぎりしめ、ヤヌスの印を切りながら、ロの 屋かえ」 中でつぶやく。 「たぶん、お帰りになるはずだ」 「何てこった。このイシュトヴァーンさまともあろうものが、かど 「あの助平伯爵も、気が多いわえ。ルキアを、つれてって、すっかわかされて、東チチアへ売りとばされたりでもしたら、末代までの 一生、ばくち打ちだなそと名のれやしねえや。くそ 恥さらし りご満足して、当分こっちへは、足がとおのくものとばっかし思っ ていたに」 う」 そこでやっと、 いくぶん正気にかえって、ぶつぶっとののしりな 「ところが、ところがドライドンよだ。そいつがよーーーーとんだこっ がら、道ばたの屋台で、つめたいカラム水を一杯買ってのんだ。 ガタンー しいことをきいたぞ。そうか、ルキア 「へええ。しかしそいつあ、 イシュトヴァーンはとびあがった。足の下で、夢中になったあまは、もう、チチアにやいねえのか。カンドスのやろうの邸につれて しかし、そう いかれたか。そいつが、知りたかったんだぜーー・が、 り、くさっていた桟をふみ折ったのだ。 か、上ヴァラキアか。ちと、厄介だな」 「誰だツ」 海坊主の声。 下ヴァラキアと、貴族の住む上ヴァラキアとでは、同じヴァラキ それをきくより早く、イシュトヴァ 1 ンは敏捷にすきまからとびア市でありながら、住むものの顔つき、アクセントまでちがう。こ ミヤオ
しい休養ともなる。やすらかな憩いのとぎでもある。 ・ : わたくしオ。ヒア語の変形と思われるそのことばで歌われれば、 いっそう味わ がもっとも恐れるのは、むしろむなしい生なのじゃ。そのむなしい いのあるものになったにちがいない。 時を、どれほど長く耐えて来たことか。 いずれにせよ、細いうつくしい指で琴をつまびきながら、カーテ 女王はつぶやくようこ 冫いった。ワインをすこしたしなんだため、 イスを見つめて歌う女王の姿には、見る者を酔わせずにはいられな だいぶ心がほぐれて来た様子であり、 いくぶん楽しげになってすらい魅惑にあふれていた。私達がふたたび嫉妬を感ぜずにはいられな いほど、女らしい情感にあふれていた。カーティスも、苦渋と恍惚 テー・フルのかたわらには、ふるいものらしい三弦琴がたてかけてのない交ざった表情を浮かべながら、聞き惚れていた。 あったが、それを手にするとつま弾いた。低いが美しい声でうたい このようなすばらしい女性に愛されたカーティスは、男冥利に尽 始めた。 きるといえたろう。だがあまりに強烈な愛は、相手を灼きほろぼす こともあるのだ。 ・ : 私はカーティスが、女王の愛をしつかり受け おお、砂に埋もれた恋よ。 止められるだけの自主性を持っていることを祈らずにはいられなか 砂漠の熱砂に埋もれた恋よ。 そは老いたる木の根のごとく、ひたすらに乾きちちみ、砂のなか で固まっていく運命にある : 私は奇妙な寝苦しさを覚えて、目を覚ました。 そしてその砂の上を時の風が吹きすぎて行く : : : 永劫に近い時が すでに夜も更けているらしい。ルーの町は、かすかなジャッカル 流れ、もはや砂漠にそれが埋もれたことを知る者もいない。 の吠え声が遠く響いて来るだけで静まり返っていた。 だがやがて奇跡が起きる。砂漠の彼方に雨雲が生じ、熱い愛に充燭台の淡い明かりが、かたわらのふたつの寝台を照らしだしてい ちた雨を降らせる。 ・ : その一滴が恋の化石に染み込なとき、おおる。グッドはよく眠っていたが、カーティスのそれは空だった。 いなる奇跡が起きる。 半身を起こすと、カーティスが開け放たれた窓の前に立って、夜 恋の化石は緑を取り戻し、つややかな大樹となって大空へと伸び空を眺めているのが目に入った。ふかい思案にふけっているようで ある。 て行き、みずみずしい情念の葉を茂らせるのだ。 その奇跡のなかでわたしは目覚める。すべてがふたたびわたしの 私はしずかに声をかけた。 ものとなったことを知るのだ。 「どうしたのです、ヘンリー ? 眠れないんですか ? 」 「こっちへ来たまえ、アラン」 ったない要約ではあるが、およそこのような意味の歌詞だった。 カーティスはふりむきもせずいったゞ 女王は英語で歌ったのだが、もちろん原語はナーガ語で、古代エチ 「月がきれいだよ」 99
こ 0 本隊を繰り出し、やつらを一気に踏みつぶしてくれよう ! 」 「体が燃える ! 咒われた魔道士どもがおれを焼いている ! 」男の 苦痛はほかの者たちの不快感に拍車をかけた。じきに城のあちこち だしぬけに、城の城門が大きくあけはなたれた。ついで、なかか から悲鳴があがりはじめた。 ら作り物の怪物がとびだしてきた。大地を蹴る足、ふりまわされる ハラント卿の長男は、 ( 、イン・フスみずからにとり憑かれ、鎖帷腕、ぎよろぎよろと動く目、発される奇怪な音。本来なら、ファイ 子をはめた手で盾をがんがん殴りつけた。「やつらがおれを焼いてドの戦士たちはその怪物のありのままの姿を見てとっただろう。三 いる ! やつらがおれたちをみんな焼き殺してしまう ! 焼き殺さ頭の馬の背に乗せられた、怪物の人形だ。だが、彼らは恐怖にとり 憑かれており、武器を構えることも忘れてあとずさった。 れるくらいなら戦うほうがましだ ! 」 戦うんだ ! 」苦痛に悶える男たちが口々に声をあげそこへ、怪物のあとから・ ( ラントの騎士団が押し出し、つづいて 「戦おう ! 徒士がどっと繰り出してきた。突撃隊は波に乗り、ファイド軍の中 る。 ( ラント卿はまわりを見まわした。だれも彼もが苦痛に顔を歪め央めざして斬りこんだ。 ファイド卿はたてつづけに号令を発した。軍律がひとりでにもの ており、なかには火ぶくれや火傷ができている者もいる。「われら を言った。ファイドの騎士たちは下馬して三隊に別れ、・ハラントの の咒法とてやつらを苦しめているのだ。もうしばらく待て ! 」 卿の弟がそ 0 とするような声で吠えた。「あの ( イン・フスが炎突撃隊を押し包み、同時に徒士は横列を組んで押し寄せてくる敵の にかざしているのは兄上の腹ではない、わしの腹だ ! 咒法の戦い徒士に矢を浴びせかけた。 剣戟の音が轟き、両軍は激しくもみあった。この突撃でファイド ではやつらにはかなわぬ ! 打ち勝っとすれば、武力をもってする 軍打ち破れずと見てとったパラント卿は、戦力の温存を図り、ただ しかない ! 」 ( ラント卿は必死で怒鳴った。「待て、わがほうの咒法も効果をちに退却を命じた。・ ( ラントの戦士たちはみごとな動きで城砦へと 表わしつつある ! やつらはじきに恐柿に駟られて逃げ出すはす後退した。なんとか城内にとびこもうと、ファイドの騎兵は退いて いく敵軍の直後に追いすがった。そのすぐあとから、装甲兵馬の押 だ。待て ! 待つのだ ! 」 卿の従弟が胴鎧を脱ぎすてた。「敵は ( イン・フスなのですそ ! す重い馬車が追っていく。門が閉じられぬよう楔を打っためだ。 ファイド卿はさらに命令を発した。十騎の騎士からなる予備小隊 やつが感じられる ! おれの足を炎に突っこみ、あの悪魔めが嘲笑 が側面から突撃をかけ、・ハラント騎兵の主力背後を突っきり、徒士 っている。やつは言う、つぎはきさまの頭だ、と。戦いましよう、 を踏みにじって城内に踊りこむや、門兵を斬り捨てた。 さもなければ、わたしひとりでも打って出ます ! 」 パラント卿はアンダ 1 スン・グライムズに怒鳴った。「やつらが 「やむをえん」・ハラント卿は覚悟を決めた声で言った。「出撃しょ う。まずは 〈獣〉を斬りこませい。敵が恐怖に陥ったところで城内に入った。急ぎおまえの咒わしき鬼を召し出せ ! やつにわれ 252
ファイド卿は咒法師らが準備を完了するあいだだけ待ち、それか った。窓という窓から炎が噴き出し、屋根がまっ赤に炎上して崩れ らつぎの使者を送って、あと二分のうちに降伏しなければ攻撃を開落ちた。 始すると伝えさせた。 テントのなかでは、ふたりの咒法師を筆頭に、おおぜいの祈祷師 一分がたち、二分がすぎた。使者たちは踵を返し、ファイドの陣と修祓師たちがつぎつぎと人形を手にとっては、それらをまっ赤に に駆けもどってきた。 燃えた火ばちのなかに突っこみ、念を凝らして、燃やされている人 ファイド卿がハイン・フスに声をかける。「準備はよいか」 形が形どる本人に精神を投射しはじめた。城内の兵たちは不安な気 「できております」野太い声でハイン・フス。 持ちに陥った。多くは体が燃えはじめるような感じを覚え、やがて 「では、はじめよ」 その感じは、心が火という観念に敏感になるにつれてますます強く フスがさっと片手をあげた。大舞台の前面から幕が落とされ、彩なっていった。 ハラント卿もその不安を感じとり、咒法師アンダースン・グライ 色された・ハラント城の大模型が露わになった。 フスは自分のテントにもどり、フラツ。フを閉じ合わせた。なかでムズに合図を送った。「咒法の応酬をはじめよ」 は火鉢が赤々と燃えており、アダム・マカダム、八人の祈祷師、六 城壁の前面に、ハイン・フスの模型よりも遙かに大きな絵がたら 人のもっとも優秀な修祓師たちの顔を赤く染めあげている。そのひされた。見るからに恐ろしげなけだものの絵を描いた幕だ。そのけ とりひとりが、何十体もの人形と、やはりまっ赤に燃える小型の火だものは四つ足で立ち、両手でびとりずつ人間をつかんで頭をかみ ばちを乗せた台の上で作業をしていた。祈祷師と修祓師は・ハラント ちぎっているところだった。その間、グライムズの祈祷師はファイ の兵士を形どる人形に咒いをかけはじめた。フスとアダム・マカダド の戦士を形どった人形をとりだし、絵と同じ獣の模型のロに突っ ムは。ハラントの騎士たちの人形を咒った。・ハ ラント卿その人につい こんで、ねじどめされた顎を閉じ合わせながら、恐怖と嫌悪の思念 ては、城主たちがたがいに培った儀礼により、向こうがファイド卿の投射をはじめた。怪物の絵を見つめていたファイドの戦士たち に咒いをかけるよう命じないかぎり、咒われないことになってい は、恐怖と怖じけを覚えた。 こ 0 フスのテントのなかでは、火ばちが煙を吐き、人形がくすぶって フスが呼ばわった。「セ・ハスチャン ! 」 いた。その姿をいくつもの目が凝視し、額から汗が流れ落ちた。と テントのフラップの前で待機していたフスの修祓師のひとり、セきおり、咒法師たちのひとりが喘ぎ声をあげるのはーー投射した思 ハスチャンがただちに答えた。「用意はできております」 念が敵の心に侵入したしるしである。城砦のなかでは戦士たちがっ 「ショーをはじめろ」 ぶやき、焼けるように熱くなってきた皮膚をたたいては、たがいの セ。ハスチャンは舞台に走っていき、導火線に火をつけた。・ハ ラン姿を見やって、みんなが同じ兆候を示していることに気づきはじめ ト城内の見物人たちが見まもる前で、・ハラント城の模型が燃えあが た。やがて叫び声があがり、着ている鎧をむしりとる者も出はじめ
ナイトテー・フルの上には、氷の溶けきったグラスがひとっと か具体的に知っている。そして豊かに与えられたものは、いずれ誰 手ぶくろがひとっ : かに与えることができる : グラスの中の液体は上が透明で三分の二が琥珀色をしている。ガ 「もう : : : 来ないと思ってた : : : 」 ラスの表についた水滴がテープルの上に流れて、手ぶくろを少し濡「どうして ? 」 らしている。 青年はシーツの間から右手を出した。その手は毛糸の手ぶくろを 少女は枕もとに肘をつき、首をのばして、顔をのそきこんだ していた。右手は、首すじにかかる毛布の端を、そっと内側からっ かむ。 二十四歳のはずだが、相かわらず少年のように、産毛のはえた白い なめらかな頬をしている。閉じたまぶたの先から、うっすらと長い 夏だというのにガンガンに冷却された空気のなかで、青年のから まっげがのびている。 だは凍えていた。 青年は何か空気の流れみたいなものを感じとって、ふうっと覚醒「 : : : ありがとう」 ふたりは同時に言った。そして思わず互いに頬をゆるめた。 少女と目が合った。 青年は左手をナイトテ ] ・フルの酒にのばす。少女はその手首をお 「いま : ・ : ・あなたの : : : 夢みてた : : ・・」 さえる。・ハジャマのそでがめくれて、注射針の跡が血管にそって無 数に散らばっているのが見えた。 まだ目ざめていない声で 「穢ないだろ ? 」 「どんな ? 」と少女。 青年はうっすらほほえんだ。 その言葉に、少女はビクンと肩を震わせる。 「・ : : ・忘れた」 「 : : : 誰も来てくれなかったんだよ」 少女は声をたてて笑う。そして母親がよくしてくれたように、青青年が言った。 年の頭を片腕で抱きあげ、そのあいだに羽根枕をたつぶりふくらま「いっ ? 」 せ、そうしてそこへ頭をそっともどした。 はぐらかされないように、まっすぐ目を見る。 青年は気持ちよさそうに笑った。 「そのまえにも : : : わからなかったんだよ、ぼくの顔」 母親が子どもに感じる愛情には、必ず触感的な気持ちのよさがあ「いっ ? 」 る。 「それは : 小学校の二、三年ごろかな。しばらく二カ月くらい会 少女はずっとたくさんのたくさんの愛を、母から受けてきた ってなくて、それでひさしぶりに学校まで迎えにきてくれたんだ 湯水のように、それこそシャワーのように浴びつづけてきたのだ。 よ。そしたら : : : ぼくが手を : : : 手をいっしようけんめいふってる だから知っている。豊かに与えられたから、それがどういうもののに : : : わからなかったんだよ、ぼくの顔」 円 4
きずに・ ( ギーのもとへ引き返したが、二日間歩いても・ ( ギーに帰り呼んできますと言って徴笑んだ。 つくことができなかった。血のような色の月を目安に方向を割り出宥現は石護婦らしい女が出ていくのを見送り、自分がペッドの上 して歩いたのだが、出発したときにそもそも北ではなくかなりずれで点滴を受けているのを知った。起き上がろうとしたが力が入らな た方角を目指したらしかった。浮遊塵雲のために星はまったく見えかった。 医師が入ってきて、きみは運がよかった、と言った。 ず頼りは・ほんやりとした月だけだった。 「わたしは、どうなったんです」 どちらにずれているか宥現にはわからなかった。最初は小さく、 月、こ、髭面の医師は黄色い乱杭歯を見せて笑い、こたえ だんだん大きなジグザグのコ 1 スをとるしかないだろうと宥現は考そのドし冫 こ 0 えた。 ミイラになる前にパギーを発見しなければならなかった。 出発して六日目の昼、砂丘の陰にテント代りに立てた幌の中で横「死んだんだ。海で溺れた」 にな 0 た宥現は、・ ( ギーを発見したとしても、遅かれ早かれこうし「助けていただいたんですね。砂漠でミイラになるところだ「た」 た状況になる確率が最も高か 0 たのだと考えて目を閉じた。水はま「海岸に流れついたきみは、死んでいたよ」 笑顔のまま医師は言った。 ったくなかった。 「わたしは生きている」 唇は乾き、発熱のために頭がはっきりしなかった。熱が脳の機能 「見かけはね」と医師はうなずいた。「でも死んでいるんだ。そう を破壊しつくすのも時間の問題だった。 砂の海で宥現が最後に考えたのは、八年前に死んだ女のことだ 0 そう、 = リクサーを飲まなくてはいけない。でないと身体が腐 0 て た。彼女を失ったとき、自分は悲しかった。悲しかったにちがいなしまう」 「よく意味がわからないな」 、と宥現は思った。 「なに、じきに慣れるさ」 魔姫、と宥現は女の名を呼んだ。声にはならなかった。 宥現は現実を把握できなくなった脳のために、幻の恋人の姿を求「ここはどこです」 「病院だよ」 めてテントを出て、いくらも行かないうちに倒れた。 「街ですか」 宥現は熱砂の海で溺れた。 「霊園市だ。死者の町さ」 「あなたも死んでいるわけですか」 「そうだ」 「動けるし、ロがきけるのに ? 」 「気がっきましたか」 女の声が聞こえた。宥現は目をひらいた。白衣の女が、担当医を「きみは液体のエリクサ 1 点滴で息を吹き返したんだよ」 ひろみ 7 4