ⅢⅢⅢ日ⅱⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅱリⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ膕 かく、過去いろんな作家にいろんなファンが熱狂してリ以上にサイエンス・フィクションに適していたかどうかにつ いては、・ほくはとりあえず反対の側に立っておきたい。 ぎた中で、巨匠と仰がれながら、熱心な読者がこんなに目立た 彼の書いたサイエンス・フィクションが、同じころのファン なかった作家も珍らしいだろう。 この事実は、やはり翻訳作品リストをじっくりながめてみるタジイと比べて、びどく古めかしく見劣りがするのに気づいた とわかる。なんとたくさんの翻訳者たちが関わりあっているこのは、かなり昔のことである。古びかたは、アスタウンディン とか。単行本を訳していても、みんな一冊どまり。短篇にいたグの同時期の作家たちと比べても歴然としたもので、時代を好 、ハインラんで近未来に設定するせいかとはじめは思っていたが、問題は っては、つぎからつぎへと訳者が変わり、クラーク イン、・フラッドベリあたりと比較すると、ほとんどマイナー作もうすこし奥深いところにあることがやがてわかってきた。彼 が政治や社会を語るとき、それに伴なって必ず現われる理想主 家の扱いである。 なぜこんなことになったのか、その理由を実感するには、や義が、国際政治のはざまに生きる日本人から見ると、かなりお はりスタ 1 ジョンをある程度通して読んでいただく以外にな説教くさく、鼻につくのである。教訓そのものはシン。フルで、 い。スタージョンはそのキャリアの中で、いくたびも変貌をと読者を感情的に巻きこんでしまう「雷鳴と薔薇」のような作品 げた作家である。肩書きこそ終生作家であったものの、ジは、例外といっていい。 五〇年代にはこの癖はかげをひそめ、ユートビア小説として ャンルにはおさまりきらぬ資質を持ち、その矛盾を解決できな いままに、矛盾じたいが魅力となるような小説を書きつづけときおり噴出するだけとなる。やはりこのあたりがスタージョ ンの頂点であり、矛盾するさまざまな要素が彼のなかでもっと た。ジョン・・キャンベルに見いだされながら、活動の場は 誌アスタウンディングではなく、ファンタジイ専門の姉妹も無理なく融合された時期といえるだろう。近作を中心に編ん だ『スタージョンは健在なり』は、おどけた題名が一部ファン 誌アンノウンであり、同誌の休刊後やむなくアスタウンディン グに鞍替えしたという事実も、作家としての不運なスタートをに喜ばれたようだが、いくつか読んだ短篇も、こんどは露骨に 教訓が押しだされた ( 昔はこんなじゃなかった ! ) 人情話で、 感じさせる。 この題名が悲壮な空いばりに見えたお・ほえがある。しかし、こ 対照的な例として思いだすのがレイ・ブラッドベリだ。・フラ ッドベリは熱心なファンから出発し、アスタウンディングの間『原子力濳水艦シービ = ー号』や西部劇のノヴ = ライゼー 誌に掲載されることを夢見たが、科学的な常識の欠如は目をおションぐらいは知っていたとはいえ、まさかエラリイ・クイ 1 おうばかりで、けつきよく憧れと資質との苦しまぎれの融合ン名義のミステリまで書いていたとは : が、あのユニ 1 クな世界を生んだ。スタ】ジョンの不幸は、本追悼にあるまじき、じめじめした話にのめりこんでしまった ヴォネガットの作中人物、かの有名なキルゴア・トラウト 来彼の気性にそぐわないサイエンス・フィクションが、持ちまが、 えのロジカルな頭脳のおかげで、偶然キャンベルの眼鏡にかなのモデルが、ほかならぬスタージョンだという説もある。こう ってしまったことだろう。ただしスタージョンが、・フラッドベなるのも仕方がないところか。 lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllltllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllilllilllllllllllllllllllilllllllllillllllllllllllllillllllllllllllllllllllllllillllllllllllllllillllllllllllll 円 3
ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢ まえるのだけれど、いまだに・ほくはこの作家にけりをつけるこ孤独で不幸な魂をもっ超能力者が集まってひとつの精神共同 とができない。だから依然、・ほくにとってスタ 1 ジョンは生者体を形成する。成長過程でねじくれて歪みを生じた集団が、欠 けたパ 1 ツを補充し完成し、さらに大きな共同体へ迎えられる である。 第簡単な話た。・ほくにはまだスタージョンという人がわからなスト 1 リーはとてもやさしくあたたかい。刊行当初、でてくた ・エンドの安易さに疑問を呈して あ欄で石川喬司氏がハッ いのだ。 いたように期待に反するロあたりのよさがある。 国わかっているのはスタージョンの感性は異常だということ。 わか「てきたのはスタージ「ンの小説がどんなに異常なのかとけれども実はこの小説が、まず第二章「赤ん坊は三つ」とし て出現したという事実、これを無視して当時の作品評価はフォ いうこと。 たとえば「雷鳴と薔薇」という最終戦争をテーマにした短篇ローできないのでないか。第一章と第三章は第二章の異様さを 薄めようとする反動的なパランス作業でなかったか。『人間以 がある。高校生くらいで読んだ時、あまりに力強くストレート に人類愛を訴えかける語り口に、読んでる方がたじたじとして上』はなにより「赤ん坊は三つ」の長篇化として読みとるべき 許容しがたく赤面したのであるけれど、あれもやつばり異常性ではなかったか。 の発露だと最近になってわかってきた。年少読者を対象に想定ロいわゆる″幻想派″の双璧であるゾラッドベリとスタージョ してのアシモフや ( インラインが展開したきれいごととはあれン。けれどもプラッドベリのように書くということ、スタージ ョンのように書くということ、二つの「ように」はまるで異な はまったく似て非なるものである。 異常と接触感染した儿人は気おくれし、混乱し、不安にからる意味をもつ。 ・フラッドベリのように書いても所詮工。ヒゴ】ネンを生むだけ れる。スタージョンの異常の水路を遡り、その根源を突きとめ でしかない。 なければスタージョンは殺せない。 ■スタ 1 ジョンという人の気もちの悪さというものをみんな喋けれどもスタ 1 ジョンのように書こうとすることは、あえて らなすぎるのではないか。優しい作家、愛を知る作家といった隘路に踏み込んでいく方法論的挑戦だ。 なぜならスタ】ジョンの幻想の質は、詰まるところ個人的心 ロあたりのいいフレ 1 ズばかり多用して、シャム双生児のよう にからみあった気味わるさという一面を一段見くだし優しさの象風景の域にとどまるプラッドベリと異なって、の伝統的 よ思考様式と根っから深くからみついたものだから。ただ、み 奥に押し込めようとしはしなかったか。それではたしてほんとオ うのスタージョンの魅力、ないまぜになった魅力は伝わるたろんなこわがって盗みとろうとしなかっただけ。なんといっても 作家という種族、基本的にはたいていみんな、とても健全 なのだから。 ロ『人間以上』という本の評価のしかたを間違えてたのでなか ろうか。あの小説が国際幻想文学賞を受賞したほんとの理由を厩これを機に、スタージョンの評判がぐっと盛りあがってくれ たらといったところが一ファンの正直な思いである。 かんちがいしていたかもしれない。 引ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 円 5
スタージョンは、巨匠と仰がれているわりには集中的な翻訳 に恵まれない作家だった、と・ほくは書いた。また彼の作品が、 時代と状況に応じて大きく変化していることも疑いない事実で ある。以上述べたのは、ばく自身の好悪をかなりはっきり出し 水鏡子 たプライベ 1 トなスタージョン観だが、それにしても翻訳作品 リストのてんでばらばらな訳者陣をながめると、彼の小説を訳あんまりこういうことをこういう場所で言ってはいけないの しがたいものにしている、そのいちばん肝心な理由があらためだけどね。スタ 1 ジョンの訃報にそんなにショックを受けてな て痛烈に意識されてくる。 。・ほくのなかで彼の魅力は五〇年代の深み奥行き歪みの やはり文章なのだ。 部分とあまりに深くよりあわされてて、時代の空気と切り離さ 文体といってもいいが、正々堂々と使えるほど馴染みのことれたスタ 1 ジョンが死んだと聞いてもなんかもひとっぴんとこ ばでもないので、ここは文章ぐらいでお茶をにごしておこう。 ない。同時代性のなかで死を迎えたディックなんかと事情がち しかしスタージョンの英語に対する気づかい、黙読するとき頭がう。 の中でリズミカルにころがる英語の快さは、無骨な文章全盛で けっしてスタージョンが過去の作家という意味ではない。た あった往時の界ではまことに得がたいものだった記憶があだ、その絶頂が、たぶん五〇年代にあったというだけのことで る ( 最近では O ・・チェリイみたいに、ものすごい文章を軽ある。「孤独の円盤」「輝く断片」「リュ 1 エリン向きの犯 軽と書く作家が現われているが : : : ) 。 罪」「帰り道」。あいかわらず生きているそっなくひょわな最 スタージョンの翻訳に積極的にのりだす気よ、、 冫しまの・ほくに近の若手作家の作品よりも昔のスタージョンの話のほうがいま は正直いって、ない ( ほかにたくさん仕事を抱えすぎている ) 。 でもずっとはるかに強烈に生の脈動を伝えてくれる。本体が死 しかし一つだけ、なるべく早いうちにかたづけておきたいもののうが生きようがそんなことは勝手であって、・ほくにとっての がある。二十年も昔にいい加減に訳した小説の、全面的な改訳スタージョンはちゃんといまでも生き続けている。 だ。題名は「輝く断片」。いっかどこかで短篇集におさめたい ロ生者の群れからひきずり出して死者の列に移すには、ちゃん と思っているが、あいにくこれは r-o ではない。ふつうの小説としたひとつの儀式が必要だ。 である。 紹介されたたくさんの作品をずっと眺めて、その背景に浮き そういえば、・ほくの好きなスタ 1 ジョンというのは、なぜどあがるスタージョンの肖像を、自分なりに解釈し正当化をす る。 れもこれもサイエンス・フィクションじゃないんだろう ? ースペクティ・フを固定し自分なりの結論を出す。そうし てはじめて作家というのはわけのわからぬものでなくなり、備 品目録に載せてしまいこめるようになる。ふつうの作家はたい てい生きてるうちに、すぐ備品目録に載せる儀式をすませてし 人間異常 円 4
.. 乃乙 / カ・ - フフプ ) / タゞプー & 一流グチチク昭和 3 、 5 年 4 引 2 日第三種郵便物認可昭和 34 年に月旧国鉄東局特別扱承認雑 / 卩昭和 60 年Ⅱ月旧印刷・発行 ( 毎月一回・旧発行 ) 第 26 巻第Ⅱ号 ダーテイベア・百五 + 枚 ! 高千穂遥 第ⅱ回ハヤカワ・ CDIL コンテスト発表 ! 海外特選ノヴ ジャック・ヴァンス 眉村 田中ツ ・ビギナーの SF 夏期集吽 ・ビジュアルスト・ 佐藤道明 / 七尾 ・スタージョン 山田三 ′ 7985 NO
、ⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ日Ⅲ で、名作といわれる第二部「赤ん坊は三つ」にはとうとうたど りつけなかった。それをいいだせば、翻訳作品リストにある小 説の半分くらいは、おそらく読んでいないんじゃないかと思 伊藤典夫 もちろん海外の紹介をいままでやってきた手前、未訳の 短篇中篇はそれなりに読んでいて、中には気にいったものもな 矢野さんには及びもっかないが、思いおこせばスタージョン いではなかったが、それにしてはリストの中に・ほく自身の翻訳 との ( 活字での ) - つきあいは長い。その昔、専門誌といえ作品はあまりにも少ない。スタージョンは好きだと、さんざん ば同人誌「宇宙塵」しかなかったころ、小隅黎訳の翻訳短篇に広言してきた人間にしては、これは妙な話だろう。 というか、ここで・ほくは考えこんでしまうのだが、もし・ほく つられて購読をはじめた・ほくは、そのおたより欄に、スタージ ョンの短篇ものせてくださいといった内容のたどたどしい手紙がだれかに″スタージョンは好きか ? ″ときかれたら、おそら を書いている。十五、六のときだ。 く言下に″好きだ″と答えるにちがいない。そのときのことば しかし、なぜほかの英米作家たちをさしおいて、ことさらスの裏にあるものは、ほとんど吟味するまでもない。スタージョ タージョンの名前をあげたのか、そのあたりの記億は曖昧模糊ンという名前が出たとたん、・ほくの頭の中には「孤独の円盤」 としている。当時スタージョンの翻訳は、東京ライフ社刊の抄とか「ビアンカの手」とか、年季のいった r-v ファンをある時 訳アンソロジー『宇宙恐怖物語』にのった「記念碑」だけ。そ期うならせた傑作のイメージがつぎつぎとうかび、そのほかの れもあまりビンとこない悪訳で、感銘をうけたお・ほえもないと雑念を文字どおり呑みつくしてしまうのだ。それらが総体の小 ころからすると、なにかほかに情報源があったとしか思えなさな部分でしかなく、とつつきの悪い鈍重な凡作が、この作家 。矢野さんかどなたかの海外紹介だろうか、・ほっ・ほっ拾に意外に多いのに気がつくのはしばらくたってからである。そ い読みをはじめていたギャラクシイや & 誌の書評ページの意味からすれば、スタージョンは、興味が持てないと言いき だろうか。とにかくシオドア・スタージョンが、かなり古くかるのがむずかしい作家に分類できるかもしれない。 ら、・ほくにとって気になる作家であったことは確かのようだ。 「スタージョンって好きですよ」と、編集部の君もいってい と、もったいぶって書いてはみたものの、いまふりかえる たが、それが口先だけのことばではないにしても、・ほくと同じ と、・ほくがスタージョンの熱心な読者でなかったことは、たちょうな意味あいでいった可能性は大いにありそうだ。いままで まちパレてしまう。そもそも ( さあ、大きく息を吸って : : : ) 数多く出会ったファンの中で、そうした ( こちらの目から ー・ハック版のリチャ】ド 『人間以上』を読んでいない。ペー すれば ) 凡作も含めて、スタージョンという作家に真底惚れて パワ 1 ズの表紙にひかれ何度か読みだしたことはあるけれ いた人間を、・ほくはひとりしか知らない。その人はいま、大き ど、あの重苦しい第一部を辟易しながら通過したのが最高記録な子供が三人 ( だったかな ? ) いるお母さんだが、それはとも スタージョン雑感 ll Ⅲ川ⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢい 円 2
つが、グッドの口から彼女の名を聞いたことはない。どうやらグッ ドはファウラタのことをすっかり忘れ去っているらしいのである。 : ともにい かくて私たちはいま三人三様の立場に立っている。 ながらも、心はたがい冫。 こよるかかなたをさまよっているのだ。なん とも残念なことであった。 広場へと柵に沿って歩きながら私はふと、向こうの小屋のかげに たたずむひとかげに気づいた。ひとかげはふたつで、かたく抱擁し あっているようである。 : : : 私は本能的に柵に身を寄せ、かれらの 正体を見届けようとした。 かれらは男女で、男の方は長身のナーガ人だった。甲冑を脱ぎ、 白い長衣をまとっている。女のほうはといえば : : : そのとき、ちょ うど雲間にかくれていた月が現われ、ふたりの姿をくつきりと照ら し出した。 私は息をのんだ。その女の髪が金色に月光にかがやいたのだ。・ : ククアナ人に金髪の女はいない。まぎれもなくリーサ・ヴァン・ ーベックだった。 同時に男の横顔もはっきりと見えた。百人長のルーファスだっ た。かれらがここでなにをしているかということは、問うまでもな 。人類が発祥して以来、人目をしのぶ男女が繰り返して来たこと である。問題は、ふたりがいっそのような仲になったかということ ルーファスは女王の信頼のあつい若手将校で、色は浅黒いが、ギ リシャ風の美しい容貌の若者である。リー サが魅せられたとしても 無理もないが、彼女はカーティスに思いを寄せて裏切られ、傷付い たばかりだ。その反動としてトム・アダムスに接近し、かれに付き きりでいたはずだ。もちろん寝場所はべつにしていたが。 当日Ⅲ ll 日日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日日ⅢⅢ ll ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ日ⅢはⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ日日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ卩 アラン、ヘンリー、ジョンの三人は、彼らの援助で僭王を倒し、 王座についたククアナ王イグノシからの救援の声に応じてククアナ へ向かった。その途上で、ソロモンの秘宝を得るために鉱山技師の トム・アダムスをやとい入れ、さらに土民に襲われていた宣教師の 娘リーサ、そして彼らを助けてくれたウムスロポガースを一行に加 える。ようやくククアナに至った一行の前にタロスと名乗る白人の 男が現れ、アラン、カーティス、グッドの三人を女王の客として迎 えに来たという。ククアナは女王の率いる国ナーガに減されていた のだ。他の者をその場に残してククアナの都ル】へ赴いたアランた ちだが、女王は不在だった。そして、女王の帰りを待っ間に彼らは ナーガ軍団の猿人ジャガ族とトラ・フルを起こしてしまい、残された 者たちが猿人の襲撃を受け、リーサがさらわれてしまう。ただちに ーサ救出に向かう彼らは、ジャガ族の村でピンチに陥るが、そこ に女王が現れ、彼らを救いだす。彼らは女王とともにルーの街に戻 り、そこで驚く・ヘき話を聞かされる。かってシ・ハの女王の時代の悲 恋の主人公ヒヤミムが実は女王であり、その相手であるアスタルの 生まれ変わりがカーティスだというのだ。しかも、女王は二人が結 婚をすることに決めてしまっているのだった。ナーガ軍の閲兵式の おりに女王は婚約を発表するが、ナーガ人の反応は冷たい。しかし 女王はそんなことは歯牙にもかけないが・ : 登場人物 アラン・クオーターメン : : ジョン・フル気質のアフリカ冒険家。 ヘンリー・カ 1 ティス : : : 冒険心に富んだイギリス貴族。 ジョノ・グッド : : : 快活で義侠心に富み、ただし女性に弱いイギリ ス海軍士官。 アイシャ : : : ナ】ガの女王 トム ( トマス ) ・アダムス : : : アイルランド人の鉱山技師。 丿ーサ・ヴァン・リー ・ヘック : : : 宣教師の父の遺志を継いでアラン 一行に加わった女性。 ウムスロポガース : : : アランと旧知のズール戦士。 8 9
ⅱⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日Ⅲ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ かれに会う直前、あの時代に、アメリカで半年を遊んでいて さえもだ。 敗戦のおかげで、・ほくは進駐軍 ( ! ) の兵隊が持ちこんでき たを知った。 それほど英語がわかったわけではないド よくにとっては、豚に 矢野徹 真珠もいいところだったはずだ。 だが、それはごみ屑だらけ、偽物まじりの真珠だった。 ひとり、またひとり、知っている人が去ってゆく。 、不ビル、、 その中で光っていたのが、ヴァン・ヴォ 1 ト、アシモフ、 ネイサン、スタ 1 ジョンと : インライン、そしてスタージョン。 ・ほくの頭を改造してくれた連中が。 かれらこそ、アスタウンディング t-n 誌編集長キャンベルに 日本の敗戦にともなって、・ほくの年代の人間が最も必要とし たのは、考え方を変えることだった。いまでいう発想の転換見出され、一九五〇年代の黄金時代を作り出した新しい波 と、まあ同質のことだ。 の旗手だったのだ。 いまでは古い波となっているのかも知れないが、・ほくにとっ だが、イノベーション時代に生まれ育った人には容易でも、 日本神国時代に生まれ育った者には、そう容易なことではなては、いまも同じ尊敬する作家たちだ。 その四人の中でも特に、スタージョンが・ほくの考え方を変え てくれた。 頭の中にあることを自由にしゃべってもかまわない相手が、 この世に生きているのだということでさえも、星新一氏が目の初めてかれに会ったのが一九五三年のフィラデルフィア世界 前に現れて馬鹿話をするまで、本当にはわかっていなかった・ほ大会。 くなのだ。 そこでの大ホテルに集まっているゾロの中で、それそれの私 シオドア・スタージョン追悼特集 シオドア・スタージョンの死を悼む ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅱ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅱ日ⅢⅢⅢⅢⅱい 円 0
= 腕きき日本人女探偵の痛快な半生記ー ン 0 ョ シ ク イ 0 れ内内 ン ノ いリカる ワ ャ デーヴィッド・アテンポロー 地球の生きものたち定価四八 8 円 。、ール・コリンウォー 猛獣はなぜ数が少ないか定価一 , 8 円 一浅草生まれの日舞の名取が、ひょ スティーヴン・¯) ・グールド んなことからアメリカに渡り女私 ターウイン以来 ( 上・下 ) 各定価一 = 8 円 . 立探偵に変身 ! 以来二十余年、 ジョン・マキノン 数々の難事件を手がけ、 いまやカ 日 わが内なる類人猿 リフォルニアきっての腕っこきに なるまでをつづった痛快な半生記チャールズ・マクドウーガル 滅びゆく森の王者定価一八 8 円 アラン・ムーアヘッド ターウインとビーグル号定価七〇 8 円 ヒト一フーの金脈 コンラート・ローレンツ ジェイムズ & スサンヌ・プール / 関口英男訳①定価 = 五〇〇円ソロモンの指環 ヒトラーが政権を獲得するには巨額の金が必要だった。その金をど プライアン・パートラム こから手に入れたのか ? ・ : 多くの関係者との面談、その他厖大な ライオン草原に生きる定価一三 8 円 文献資料を渉猟し、 " 政治権力と金。をテーマにえがく話題作ー ンヨン・ペイリング イヌとネコがやってきた定価一六 8 円 モーリス・・ハートン ウィリアム。サローン戯曲集 動物に愛はあるか定価一六〇〇円 改 加藤道夫・〈回健訳①定価ニ〇〇〇円 0 をへを新 20 To ャング・マサコ 定価七八〇円 ハヤカワ・ポピュラー・サイエンス 定価一八〇〇円 定価九五〇円
世界 SF 情 長篇部門のギ・フスンはこれが堂々五つめのプロ編集者部門にみられるように、本格 ・ヒューゴー賞もギブスンが制覇ロ 受賞で、八〇年代作家のトップに立った。受指向や世代交替などの界の潮流は明確に ヴァーリイ、・ハトラーは四冠王にー 賞作と同じハイテク世界を扱った第二長篇と反映されている。 ( その分、これはやはり ″アメリカの″賞なのだということと、 八月二十五日、オーストラリアのメルポル短篇集が来春刊行予定。この部門の次点はデ ・ハーマー『出現』ミ e ) アメリカ界の占める地位を実感させられ ンで開催中の第四十三回世界大会オーシイヴィッド・・ ーコンⅡにおいて、一九八五年度のヒュ 1 ゴ gence で、受賞作同様に処女長篇。若手がべる ) テランをおさえて上位を独占するのは、昨年 ー賞が発表された。 ・キャンベル記念賞はポールの手にー 〈長篇〉『ニ = ーロマンサー』 ~ きミミ ~ c と同じパターンである。 七月二十日、カンサス州立大学で八五年度 ノヴェラ、ノヴェレット各部門の受賞作は ウィリアム・ギ・フスン ジョン・・キャン・ヘル記念賞が発表され 〈 / ヴェラ〉「。フレス・エンタ 1 ■」会 PRESS ともに「アシモフス」誌に掲載されたもの で、ネビュラ、ローカス、クロニクル各た。結果は次のとおり。 ENTERB" ジョン・ヴァ 1 リイ 〈ノヴ = レット〉「・フラッドチャイルド」賞につぐ四つめの受賞。どちらも獲れるだけ◎『都市年代記』 The Years 0f 、、ミ 0 ・ 0 フレデリック・ポール ま B 一 oodch 一ミ当オクティヴィア・・・ハト の賞をすべて獲ったうえに四つある年刊傑作 選のうち三つに収録され、まさにこの年の第二席『緑色の眼』 G ) ごルーシャ ス・シェ。ハ 〉「クリスタル球」顔、といったところ。ヴァーリイは受賞作の 〈ショート・ス "The Crystal Spheres" ディヴィッド・ 長篇化を計画している。・ ( トラーは昨年度に第三席「ニ、ーロマンサー』ウィリアム・ギ プスン ・フリン 続いて二度目のヒューゴー賞受賞。ショート ー部門の受賞作は「アナログ」誌 〈ノンフィクション〉『驚異の申し子わが ポ 1 ルは以前『ゲイトウ = イ』でこの賞を 人生』ョ。、ミ c ミミ . ・ントに掲載されたもので、・フリンも二年連続のヒ獲っており、同じ作家が二度受賞するのはこ 、 Science . F ~ c 、 ~ 0 、、ジャック・ウィリ = ーゴー賞受賞となり、若手作家の中で一歩れが初めて。受賞作は、お得意のエクストラ アムスン 抜きん出た人気を証明した。今年も「ポレーションによるディスト・ヒア小説を集大 」誌はネビ = ラ・ヒ = ーゴー両賞でひとっ成した観があるもの。二席と三席は言わずと 〈ドラマ〉『 2 010 年』 ・エース・スペシャル〉。こ 知れた〈ニュー も受賞作を出せずにおわった。 〈プロ編集者〉テリイ・カ】 〈。フロ画家〉マイクル・ウィーラン プロ編集者部門を雑誌編集者以外が受賞すの賞は人気投票で見過ごされがちな部分に光 〈セミプ 0 ジン〉「 0 ーカス」誌 ( チャールるのはこれが初めて。カーはこれまでも年刊をあてることが目的なだけに、昨年の処女長 1 ドとギ・フス ズ・ Z ・プラウン編集 ) 傑作選や数多くのアンソロジ 1 編集の実績が篇の豊作ぶり ( なかでもシ = パ ンの評価の高さ ) 、そしてそれに象徴される ・エース・スペシャ 〈ファンジン〉「ファイル 7 7 0 」誌 ( マイあるが、昨年の〈ニュー ク・グリアー編集 ) ル〉シリーズの責任編集が受賞のきっかけとアメリカ界で進行中の変化の大きさがい っそうよくわかるというものだ。 〈ファン・ライター〉ディヴ・ラングフォー 思われる。 新人対象のキャンベル賞は、ヒ = ーゴー賞今年の審査員は、キングズリイ・エイミ ス、トム・シッピイ、サム・ルントヴァル、 〈ファン画家〉アレクシス・ギリランド の部門ではないが同時に発表される。シ = パ 1 ドはすでに二十篇ほどの中・短篇でロ 1 カウォルター・メイヤーズ、アルジス・・ハドリ ノノロン ス、クロニクル両賞受賞をはじめ各賞候ス、ニーレ・く 以上が受賞結果である。今年度は、久方ぶ補となり、また処女長篇の評価も高く、当然 りにネビュラ賞とのダ・フル受賞が三部門 ( 長の受賞といえよう。 篇、ノヴェラ、ノヴェレット ) も出るなど、 今年度の総投票数は四百四十三で、例年の なかなか盛りあがったようだ。 三分の一程度しかない。しかし、小説部門や ・山岸真 4
ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢ日ⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅡⅢⅢⅢ日日ⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢ 室パーティで人気のあったのが、キャンベルと・フラッドベリのスだった。 そのとき六十一歳のかれは赤いシャツを着て若々しく、トレ ード・マークだった髭も落としていたがいつもと同じにこやか そのときかれはもう、あくる一九五四年に国際幻想文学賞を さで、 取った『人間以上』の第二章「赤ん坊は三つ」を発表してい 「アッカーマンに聞いたよ。日本ではアメリカ以上の人気 になってきたんだってね」 どこから、あのホモ・ゲシ、タルトのような考えを思いつい と、嬉しそうだった。 たのかと尋ねると、 「批評家に転向で、もう書かないの ? 「・ほくは学校にあまり行かず、いろいろな職業についてきた。 と尋ねると、にやりと笑って それで知ったのは、人間が非常に孤独な生き物でありながら、 おたがいに頼り合わなければ生きていけないということだ。そ「好きなことを好きなときにやる。それがスタージョンさ」 と、元気なものだったが、そのかれもいまはいない。 れを、考えているうちに、人間の孤独さを絵に描いたような主 ・ほくの手元に残ったのは、かれのサインと『人間以上』だけだ。 人公のまわりに集まってくる集団人間となったわけさ」 未読のかたは、お読みいただけると、・ほくがかれに夢中にな と、いうようなことをいった。 それから何年かた「て、京都の〈密室〉という探偵小説の同った理由が、そして・ほくのかれに対する尊敬と悲しみが、そこ はかとなくおわかりになると思う。 人誌に「赤ん坊は三つ」を発表させてもらえることになった。 あれだけ長いものを一挙掲載してくれた編集長・竹下敏幸氏 の決断は大したものだが、翻訳するほうは同じくらい苦労した。 というのは、アメリカの批評家によると、 「スタージョンは英語と情事にふけっている作家ーだそうで、 情事ゼロの作家の英語でも理解困難なぼくには、手にあまる英 語だったのだ。 だが、若さはすべての困難を打破するものだ。おかげで、そ れから十年近くたった昭和三十八年、その一、三章を加えた 『人間以上』の全訳が早川書房から出版してもらえることにな かれと最後に会ったのは昭和五十四年の十一月、ロサンゼル っこ 0 スタージョンから矢野氏に贈られた Sturgeon is Alive and ト・ に記されたサイン 川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ !