これまでは、たとえ稚拙であっても、新ーグはいう。みんな子供のころ、お話を聞中でも最大のものが、読書感想文でも随 いて目を輝かせ、字が読めるようになって想でもなく、ただ小説を書こうとする衝動 しいを創造するぞーー、という「気迫」 ( ぼくにはこれが稀薄らしい ) であること からは自分で読み、その後みずから書くこ の感じられる作品が一つか二つはあった。 はいうまでもない。だがほかにも、自分の しかし今回はそれがなかった。上手下手ととによって学んでいったのだ。たとえば、 か、性の有無とかいうことよりも、そこんな風にーーあるとき誰それという人書いたものと他人の書いたものとをいかに が、どこそこに住み、かくかくしかじかの隔てるか、そっぽをむいた読者の気持をど の方が、私としては気になることだった。 ことをしていたところ、じつに驚くべきこのようにひきつけるかなど、書きながら学 だから、今年の総評をあえて一言でいえ んでゆくしかないことがたくさんありそう ば、「気迫不足リ」ということになるだろとが起こった : なんて言うはやさしいけれど、小説を書・こ。 くという行為がどんなにつかみどころのな第二次選考を通過した五篇は、数百篇の いものか、それは・ほくも承知している。翻応募作の中から選ばれただけあって、その 訳の作業を通じて、小説なるものがどんなどれにも、なるほどとうなずける長所をい 伊藤典夫要素から成りたっているか多少つかめてきくつか見ることができた。それがたんにう た気はするが、・ほく自身が一度も発表してなずける程度にとどまり、これはと膝をの いないことからも察しがつくように、そこりだすほどではなかったことが、今年もま どんな作家も、みんなはじめは小説のイ には知識や技術では割りきれないものが存た掲載作なしという結果につながったが、 ロハも知らないアマチュアだったのだ。 ぼくは失望していない。は世界的に、 これは、ぼくのことばではない。〈未来在する。 市場としては活況を呈しているものの、そ の作家たち〉というキャッチフレーズのも れは周辺作品が圧倒的に増えてきたことに とに、年に四回ずつコンテスト形式で新人 ーナッ化 よる見せかけの隆盛であって、 作家を積極的に発掘するシステムが、昨年 現象というのか、はその中で置きざり アメリカ r-o 界に生まれ、その最初の三期 にされている感があるからだ。波乱万丈の の成果がこのほどアンソロジーとして出版 された。冒頭のことばは正確な引用ではな 空想メロドラマが人気を博せば博すだけ、 ート・シルヴァ 選者のひとり口・ハ 、を思弁的な作品は影をうすくしてゆく現状で ・ある。その意味で、いまは何がかとい ーグが、その本の中に書いていたもので う疑問があらためて問いなおされ、作家た ある。 ちすべてが試行錯誤をつづけている時代と 小説とは何かを知ったうえで、小説を書 いえゑ今年で三年目にはいる″掲載作な きだした作家などいない、とシルヴァー・、 9 8
ー海外 SF 事情 最近注目のパヴロフもストルガッキーを超える 作家ではなさそうだ。ということで今回はスト ルガッキー、レムの新作を中心に紹介しよう。 榧日 ON ・深見弾 どうも、今回は原稿が書きづらい。先月『やわらかい鏡』のほうはまだ届いていな 号に波津博明氏の生きのよい現地取材が載いので目を通していないから、はっきり断 ってしまっては、なにを書くにしても精彩言することは差し控えるけれど、第一部を ・、ないことおびただしい。それなりにホッ 読むかぎり、たしかにストルガッキーを凌 トなニュースを抱えているのに、ここ一番ぐほどの作家とはいえない ( いまのとこ 気がのらないのだ。とはいっても、いまさろ ) 。しかし、けっしてとんでもない愚作 ら逃げるわけにもいかず、気をとりなおしを書く作家ではないこともたしかだ。あら て筆をとることに ( ワーゾロのキーを叩く筋だけで作品を判断しろというつもりはな いが、とにかく、七八年に「若い親衛隊」 ことに ) しよう。 まずは、今年度の〈アエリータ賞〉の情社から「ソビエト文庫」の一冊として 報から。ついに第五回を迎え、いまや恒常発表された第一部の内容を、「スキャ 的な行事になった〈アエリータ賞〉授賞式ナー」欄で紹介しておいたので、併せて読 は、今年も例年どおり、ウラルの工業都市んでもらい、おおよその察しをつけていた スヴェルドロフスクで四月末におこなわれだきたい。読んでみたかぎりでは、けっこ ういける。明らかに現代ソ連の一つの た。今回は長篇部門で、セルゲイ・・ハヴロ フの二部作 ( 第一部『〈月の虹〉号』、第一一潮流を代表する作品であるといってもいい 部『やわらかい鏡』 ) に賞がいった。波津氏だろう。 の記事の中に『月にかかる虹』とあるのは、 かってソ連では、科学的真憑性がないと この第一部のことだ。 いうだけの理由で、ミュ 1 タントを登場さ だいたいにおいて、ソ連作家たちは作品せることはご法度であったけれども、最近 のネーミングにまるで関心がないようだ。 ではけっこうミュータントものを書く作家 まったくセンスがないことおびただしい。 もでてきている。だが、戦前にペリヤ 1 工 この作品にしても、括弧がついているからフが書いた傑作『両棲人間』をしのぐほど どうやら固有名詞らしいと見当はつくものの作品はまだ現れていないのも事実だ。そ の、これが宇宙船の名前であることは、読こへ黒海生まれでシベリア育ちのパヴロフ むまでわからない。 ( それが狙いでもあるが、この大長篇でミュ 1 タント・テ 1 マに らしいのだが ) 。 挑戦したのだから、その意気はおおいにか 、こ、。七八年に第一部が発表されたとき 残念ながら、八三年に発表された第二部しナし
スタージョンは、巨匠と仰がれているわりには集中的な翻訳 に恵まれない作家だった、と・ほくは書いた。また彼の作品が、 時代と状況に応じて大きく変化していることも疑いない事実で ある。以上述べたのは、ばく自身の好悪をかなりはっきり出し 水鏡子 たプライベ 1 トなスタージョン観だが、それにしても翻訳作品 リストのてんでばらばらな訳者陣をながめると、彼の小説を訳あんまりこういうことをこういう場所で言ってはいけないの しがたいものにしている、そのいちばん肝心な理由があらためだけどね。スタ 1 ジョンの訃報にそんなにショックを受けてな て痛烈に意識されてくる。 。・ほくのなかで彼の魅力は五〇年代の深み奥行き歪みの やはり文章なのだ。 部分とあまりに深くよりあわされてて、時代の空気と切り離さ 文体といってもいいが、正々堂々と使えるほど馴染みのことれたスタ 1 ジョンが死んだと聞いてもなんかもひとっぴんとこ ばでもないので、ここは文章ぐらいでお茶をにごしておこう。 ない。同時代性のなかで死を迎えたディックなんかと事情がち しかしスタージョンの英語に対する気づかい、黙読するとき頭がう。 の中でリズミカルにころがる英語の快さは、無骨な文章全盛で けっしてスタージョンが過去の作家という意味ではない。た あった往時の界ではまことに得がたいものだった記憶があだ、その絶頂が、たぶん五〇年代にあったというだけのことで る ( 最近では O ・・チェリイみたいに、ものすごい文章を軽ある。「孤独の円盤」「輝く断片」「リュ 1 エリン向きの犯 軽と書く作家が現われているが : : : ) 。 罪」「帰り道」。あいかわらず生きているそっなくひょわな最 スタージョンの翻訳に積極的にのりだす気よ、、 冫しまの・ほくに近の若手作家の作品よりも昔のスタージョンの話のほうがいま は正直いって、ない ( ほかにたくさん仕事を抱えすぎている ) 。 でもずっとはるかに強烈に生の脈動を伝えてくれる。本体が死 しかし一つだけ、なるべく早いうちにかたづけておきたいもののうが生きようがそんなことは勝手であって、・ほくにとっての がある。二十年も昔にいい加減に訳した小説の、全面的な改訳スタージョンはちゃんといまでも生き続けている。 だ。題名は「輝く断片」。いっかどこかで短篇集におさめたい ロ生者の群れからひきずり出して死者の列に移すには、ちゃん と思っているが、あいにくこれは r-o ではない。ふつうの小説としたひとつの儀式が必要だ。 である。 紹介されたたくさんの作品をずっと眺めて、その背景に浮き そういえば、・ほくの好きなスタ 1 ジョンというのは、なぜどあがるスタージョンの肖像を、自分なりに解釈し正当化をす る。 れもこれもサイエンス・フィクションじゃないんだろう ? ースペクティ・フを固定し自分なりの結論を出す。そうし てはじめて作家というのはわけのわからぬものでなくなり、備 品目録に載せてしまいこめるようになる。ふつうの作家はたい てい生きてるうちに、すぐ備品目録に載せる儀式をすませてし 人間異常 円 4
ⅢⅢⅢ日ⅱⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅱリⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ膕 かく、過去いろんな作家にいろんなファンが熱狂してリ以上にサイエンス・フィクションに適していたかどうかにつ いては、・ほくはとりあえず反対の側に立っておきたい。 ぎた中で、巨匠と仰がれながら、熱心な読者がこんなに目立た 彼の書いたサイエンス・フィクションが、同じころのファン なかった作家も珍らしいだろう。 この事実は、やはり翻訳作品リストをじっくりながめてみるタジイと比べて、びどく古めかしく見劣りがするのに気づいた とわかる。なんとたくさんの翻訳者たちが関わりあっているこのは、かなり昔のことである。古びかたは、アスタウンディン とか。単行本を訳していても、みんな一冊どまり。短篇にいたグの同時期の作家たちと比べても歴然としたもので、時代を好 、ハインラんで近未来に設定するせいかとはじめは思っていたが、問題は っては、つぎからつぎへと訳者が変わり、クラーク イン、・フラッドベリあたりと比較すると、ほとんどマイナー作もうすこし奥深いところにあることがやがてわかってきた。彼 が政治や社会を語るとき、それに伴なって必ず現われる理想主 家の扱いである。 なぜこんなことになったのか、その理由を実感するには、や義が、国際政治のはざまに生きる日本人から見ると、かなりお はりスタ 1 ジョンをある程度通して読んでいただく以外にな説教くさく、鼻につくのである。教訓そのものはシン。フルで、 い。スタージョンはそのキャリアの中で、いくたびも変貌をと読者を感情的に巻きこんでしまう「雷鳴と薔薇」のような作品 げた作家である。肩書きこそ終生作家であったものの、ジは、例外といっていい。 五〇年代にはこの癖はかげをひそめ、ユートビア小説として ャンルにはおさまりきらぬ資質を持ち、その矛盾を解決できな いままに、矛盾じたいが魅力となるような小説を書きつづけときおり噴出するだけとなる。やはりこのあたりがスタージョ ンの頂点であり、矛盾するさまざまな要素が彼のなかでもっと た。ジョン・・キャンベルに見いだされながら、活動の場は 誌アスタウンディングではなく、ファンタジイ専門の姉妹も無理なく融合された時期といえるだろう。近作を中心に編ん だ『スタージョンは健在なり』は、おどけた題名が一部ファン 誌アンノウンであり、同誌の休刊後やむなくアスタウンディン グに鞍替えしたという事実も、作家としての不運なスタートをに喜ばれたようだが、いくつか読んだ短篇も、こんどは露骨に 教訓が押しだされた ( 昔はこんなじゃなかった ! ) 人情話で、 感じさせる。 この題名が悲壮な空いばりに見えたお・ほえがある。しかし、こ 対照的な例として思いだすのがレイ・ブラッドベリだ。・フラ ッドベリは熱心なファンから出発し、アスタウンディングの間『原子力濳水艦シービ = ー号』や西部劇のノヴ = ライゼー 誌に掲載されることを夢見たが、科学的な常識の欠如は目をおションぐらいは知っていたとはいえ、まさかエラリイ・クイ 1 おうばかりで、けつきよく憧れと資質との苦しまぎれの融合ン名義のミステリまで書いていたとは : が、あのユニ 1 クな世界を生んだ。スタ】ジョンの不幸は、本追悼にあるまじき、じめじめした話にのめりこんでしまった ヴォネガットの作中人物、かの有名なキルゴア・トラウト 来彼の気性にそぐわないサイエンス・フィクションが、持ちまが、 えのロジカルな頭脳のおかげで、偶然キャンベルの眼鏡にかなのモデルが、ほかならぬスタージョンだという説もある。こう ってしまったことだろう。ただしスタージョンが、・フラッドベなるのも仕方がないところか。 lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllltllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllilllilllllllllllllllllllilllllllllillllllllllllllllillllllllllllllllllllllllllillllllllllllllllillllllllllllll 円 3
つまり、地球人たちは宇宙船からクイらではないだろうか。例えば、第一章で死そんな詮索は脇においてこの作品が掛値 んだはずの主人公が、その後も繰り返し死なしの冒険活劇であることは保証す ンタ星を攻撃して、徹底的な破壊を行ない る。レムが、くだらないといいながらも、 ぬ。その理由がよくわからない。しかし、 はじめる。 『スター ・ウォーズ』を観るために、二度 どんな社会でも、ほとんど神に近いテク効果は悪くない。 ノロジーを持ち、卓越した科学者や道徳主人公は、結局最後には死ぬ。意味深長も映画館に足を運んだだけのことはある。 おそらく、この作品が映画化された場合の 家、教授がいようとも、結局のところ未熟なことに、もう一人、われわれの知ってい ことを念頭において筆をとったことはます で原始的な行動形態をとるのは避けられなる主人公ビルクスもこの作品の中で死ぬ。 まちがいないだろう。『スター いと、レムは言いたいようだ。その意味でレムはこの作品で一つの結論をだしてい ズ』のように楽しめて、しかも考えさせる は、われわれはいまなお穴 作品。きっと、それを狙っているにちがい た よい。もし『スター・ウォーズ』を作った 作連中の手で、同じように巨額の製作費を投 を殴り返すのだ。 製一じて映画化されたら、絶対に大当たりし、 地球の宇宙船〈ヘルメ 用ン大成功をおさめるはずである。単にレムの ス〉号に乗っている人物ー レ カ代表的な傑作になるだけでなく、おそらく ー軍事指導者、コンビュー 動世界史上、画期的な作品に挙げられる ・第 , 】・公度ようになるだろう。 籍年 かなり推敲の跡が見られるタイ。フ原稿を 初は理性的にふるまい、礼 読んだわけであるから、この作品は本国の 儀正しい態度をとっている ポーランドでもまだ出版されていない。 が、やがて徐々に堕落して る。その意味で『不成功』は、彼の人生のれに限らす、泰平ョンの回想記の続篇もま いく。その様子はひじように興味深い こだ原稿のままという状態である。これは、 『不成功』には、直接本筋とは関係のない節目となる作品といえるかもしれない。 情景や挿話が挿入されている。いくつかのこ数十年間、彼が避けつづけてきた問題ーたんに紙不足かなにか出版社の側の事情が あってのことで、別に深い理由があるわけ ーっまり、地球が自己破減する可能性 挿話の間で、不気味に対応する話が平行し ではなさそうだ。 て進行する。それがまた、この作品に独特のに真向から立ち向かったのだともいえる。 この様子では、国外で翻訳が出るほうが 趣を添えている。しかし、かならずしも成この作品は、実際にはアメリカとソ連と、 、・、こ、。きっと、レムそして、とめどない軍拡竸争の未来を占う早いかもしれない。 功しているとは言しカオし 乞うご期待。 0 も実際にはコントロールしきれなかったか物語なのかもしれない。
あらゆるメティア の SF を紹介する SF REVIEW 800K GU/DE み 26 8 々 4 INFORMATION 0 T movie disk game goods et cetera 批評や評論はもちそこになんらかの使命感・意義・効用をみい ろんのこと、研究やだして、出したいから出すのだ。それを求め 資料が充実してこる人間も、積極的にに関わろうとするも そ、そのジャンルののしか、いない。インデックスは利用しよう 0 めず成熟度をはかることとする人にと「て実に便利なものだが、それ ができる。そう思を″読もう″とすれば、さらにいろいろなも のが見えてくる。 この ()o c-u インデックスは、一九七五年八 この尺度を日本の 界にあてた場月号から一九八三年六月号分までの百冊を対 合、あまりにも淋し象としていて、これを″読む″と俯瞰図のよ うにシーンが見え、あらためて本誌が い状況であるのは、 0 読る あらためて指摘する界に果した役割を知ることができる。若手 までもないだろう。 ・新人といわれる日本作家がデビューし、伸 0 を考 びてゆく様が手に取るようにわかる。一冊一 特にインデックス・ 0 スを 資料は、どのみち商冊も重要だが、連続として雑誌を眺めること ークの 業出版に頼ることは できないし、それを 、くデう 期待するのは無理と いうものだろう。 ま、そんな状況の なかで、恒例の資料集が二冊出た。まずは石 原藤夫編『「 rn ーマガジン」インデックス ( ニ 0 一 ~ 三 00 ) フィクション篇』であ る。病膏肓となったファンならば、一度 はインデックス作りを思い立ったことがある だろうが、いざ実行に移すとなると、これは 大変な作業となる。完成までの苦労はどんな インデックスを作る場合にも変わりはない し、その苦労が報われることも、また少な 。それを承知で、インデックス作りが成さ れるのは、アメリカでも事情は変わらない。 ゴタゴタ言っても仕方ない。ファン出版は、 0 橋 。高
・ CDZ) ー Y>-O()I ー・最近 (J)LL がらみの読書比率ガ落ちている。理由はいろいろあるけれど、ばくの趣味では、今年の翻訳ØLL はここ数年で一番不作だ。 過程がどうあれ小説が最終的にはなにもの ってまだ本を買えずにいる人間なのだ。 映画に忠実そうな陳腐で御都合主義の筋立て 映画がらみの長篇を三冊並べてみるけれどをなそりながら、そのなかにいかにもホール にも寄りかからない作者固有の幻想世界とし て結実すると読むのはあるいは単なる希望にそういう先入感を含んでほしい。作家は一応 ドストックらしい観念的な幻想世界を盛り込 すぎないかもしれない。しかし読み手として一流どころ。どの本も映画がらみであるからむことに成功している。『リードワールド』 は譲れない一線でもある。 と別に手を抜いている気配はない。 『アースウインド』と気負いが過ぎて全体に ノヴェライズという役割を一番ちゃんとこ未整理のきらいがあった方だからストーリー 時には発想から資料収集、作品構成にいた るまで他人の手になるものがあり、作家はそなしているのはジョーン・・ヴィンジの作りの責任から解放されてむしろ喜んでいる 店 ようにみえる。だからこの本はこの作家の感 書のフォーマットに則って、書いてアレンジし『レディホーク』 ( 角川文庫 ) だろう。てい 印ていくだけという場合すらある。そこまで極ねいな筆致で戦闘場面や都市の景観、変身な触が色濃く反映されるぶん、作品の一画を他 円端でなくとも、たとえばアシモフとキャンべどをまるで映画のシーンを見るように、鮮や者に全面委譲している異物感がきわだってい ルとの「夜来たる」にまつわるエビソードなんかに想像力のかけらもなしに浮かびあがらる。外骨格生物の印象が強い。 この二冊に較べるとジョン・ヴァーリイの かも美化されて伝えられているけせる。キングの諸作の映画化みたいに原作と 『ミレニアム』 ど性格的には案外似た面がある。 映画のイメージ・ギャップに失望することは それでもなおかつ一線の希望をたぶんない。本を読んでイメージを抱えて映はずっと作者の 残しておけるのは、過程でどれだ画館に入るのも、映画の記憶を本を助けに呼固有性が強い。 - = け他人の手が加わっていようと作び起こすのも同じくらい自在に思える。もともともとが、同 2 . - ト・ 【者の意識を通過した、書くというもと妄想を疾走させていくよりもできあいのじ作者の短篇を 原案に予定され フォーマットにべったり文章を準り込んでリ 最終行為ですべては濾過され消化 た映画のための メイクするような作風だから案外オリジナル されて変成し、固有性となって排 泄されると思うから。裏を返せばよりノヴェライズの方が向いているかもしれ長篇で、しかも 著 ない。まあ肝腎の映画がどうなるか行先不明の状態らし 書かれたものにはそれだけの重み イ 二度三度味 く、少くとも小説鑑賞にあたってはけっして がこもっているはずで、アイデアがどれだけ ア レわう値打ち不利な要素ではない。 立派であろうと摂取した素材が未消化なまま ヴ オ はない話だ 時間の輪は陳腐なくらいオーソドックスで フ / 生のまま下痢便模様にちらばるものにいらだ けどね。 いいかげんでわかりやすく、他のヴァーリイ ちがつのる。そしてむしろ未消化であること が要求されているように思えるところにノヴ にない安つ。ほさがあって・ほくは好きた。冗長 メ 工 しし・カ、も ・ホールドの気味がある『ティーターン』より、 エライゼーションに対する・ほくの蔑視の根っ ス トックしれない。映画化を念頭に置いた派手さ、 こがある。内骨格生物の愛好者が外骨格生物 『エメラル いかげんさが、ヴァーリイらしいしつこさと と接するような違和感がある。とにかく・ほく ク ド・フォレ うまく調和して欠点だらけの魅力的な作品に は ( おそらく ) 映画とタイアップした成立事 しいかげんさも含めたところで 情が原囚で『 2001 年』を正当に評価でき イスト』 ( 新なっている。 ず、『 2010 年』による引退徹回に怒り狂 ル潮文庫 ) は作者の固有性にまとまっている。 イマジネーション
SF RF„VIEW 『切り裂き街のジャック』 菊地秀行著 / 引 7 頁 / 文庫 / 400 円 / 早川書房 ・ <Y—C< ー N<3< ・「ストップ・メイキング・センス」は最高。文甸なし。などと今頃言ってももう遅いガ。 久々に期待に胸おどらせながら本を寝床に 浮かべることも多い。それが一種の快感につ 持ちこんだ。今や超売れっ子になってしまっ ながるのだ。本書で感じた懐しさというのも た菊地秀行のである。 ( それに近いような気がする。 本人もあとがきで書いているように、早川 殺人鬼の跳梁する霧の都ーーーこんな世界は のとして出版されることにある種の照れ 誰もが ( 本物をでなくて ) 作品で見たり読ん みたいなものがあるようだ。そう言われてみ だりした世界を心の中に型として持ってい れば、ハヤカワ文庫に菊地秀行は初お目見え る。これを″再構成″してオリジナルな作品 なのてあった。 に仕上げるのは″級″ノベルの書き手とし 題材はもちろんタイトルからもわかる通り てはまさしく腕が鳴る仕事であろう。だが、 切り裂きジャック、ははあと思う。作者お得 生半可なことではうまくいきそうもないこと 意のス。フラッタをの仕組みの中でどう見 も容易に想像がつく。 せてくれるかが楽しみだ。 菊地秀行はあえてこれに挑んた。いや、彼 読み始めて、どことなく懐しさ はという形式をうまく利用してそれを成 みたいなものが漂っているのに気 しとげてしまったのだ。 がついた。懐しい手ざわり、懐し 舞台は二一〇五年、作中にまさに一九世紀 い興奮、懐しい恐怖。文章の端々 のロンドンを″再構成″させる人物が登場し に少しずつ異物をさしはさんで意 てしまうのだ。通常のホラーなら説明なし。 味を徐々に見知らぬところへ持っ チックな恐怖小説ならパラレルワールド てゆくのだが、全体を常におおっ やタイムマシンを使うところを、作者は正面 ているこの懐しさはどうだ。 切ってロンドンを創ってしまった。なんとい このことは、作者の小説を評すは感覚的に無定義で理解しろということか。 う力業であろう。 るときに巻で使用される″級感覚″という僕なりに ( 菊地作品を読みながら ) ・なんと霧のロンドンとジャック・ザ・ ーを描 ものに関係があるのかもしれない。 なく理解したのは、級と呼ばれている作品 くだけならば、まあ単なる″級″なのだ このところ″級″は大いに幅をきかせての多くに、ある世界や設定を″再構成″するが、菊地秀行はその″再構成″の仕組みをも いて、″ < 級″がむしろ肩身の狭い思いをす願望が見られるということだ。既知の行動。 ( 作中にとりこむことで″メタ級″とでも言 るぐら、ど ; 、 しナカこのターン、既知のスタイル、既知の笑い、既知うべきおもしろいものに仕上がっている。 ″ < 級″、″級″との恐怖 ドラマの基本として人間が知って初めてのと言いながら、の形式そ は一体」、つい、つこと いるこれらの行動・感情目録を自分の作品とのものを手なすけてしまった作者のしたたか か ? この用語を好んして″再構成″する。これが″級″の本質さを新たに認識した。それにヴィクトリア朝 て使う人も、あまり説と関係あることかもしれないと思ったのだ。 の仰々しさを模した文体での血まみれシーン 得力のある説明を用意 だから″級″作品に出てくるワンシーン、 はやつばり実にその、ゾクゾクするものなん してはいない。つまり ワンシーンは「ああ、あれだ」と出典を思い ですなあ。 伊沢昭 物地秀行
則Ⅳ囲 W 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 村上春樹著 / 6 田頁 / 四六判上製 / 田円 / 新潮ネ土 実は、先月号で、この作品をとりあげるつみくろ」がとても好きなのである。いやじっていなくてはならぬ。結果としてはサタイア もりでいたのだが、水鏡子氏がすでにやったさい、あれは可愛い やアレゴリイになっていても、過程としてそ ときいたのと、ちょうど『幻世紀は警告すしかし、このレビーでとりあげられたり うであってはいけないのだ。村上春樹の小説 る』が完結し、その方が緊急である、と考え新聞でも的として紹介されているけれどは現代文学としてはすぐれて自律性をそなえ たので、そのままになってしま 0 た。かなりも、この作品はま「たくではない、とはており、だから好きの若者たちにも受け 時期おくれにもなったし、安永航一郎のマン 云っておきたい。あくまでこれは「純文学」入れられるのだと思うが、しかし彼の小説は ガ『県立地球防衛軍』と、どちらにしようであって、でもファンタジーでもないとそのイメージのたしかさにもかかわらず具象 か、と迷ったが、この作品についてはいろい 思う。として、つまりシミ、レーションではない。 具象性とイメージのあざやかさは ろ評価がわかれているようだし、私は村上春とかスベキ、レーションとかセンス・オヴ・ ちがう。それで、私は彼の作品をよむと妙に 樹については、まだ一回も書いたことがない ワンダーとかとして読んではいけない、と警心もとない、面白かったのだが妙に不安なよ ので、やはり一応書いておくことにした。 告しておく。そうでないとをも、村上春うな、よく考えると何を云いたいのか、どう 私はこの村上春樹という作家、樹をも、誤解することになる。ガルシア・マ いう話だったのか、わかるような、わからん 決して嫌いではない。 ことに誰でルケスがでないのと同じくらいこれは純ような気持になる。それが、純文学だという もいうとおり、『羊をめぐる冒文学作品でしかない。といっても、別にけなのである。 険』は面白かった。 したことにはなるまい。どうしてかというとむろん純文学だからどうというわけでもな こんどの作品 ( 長いからタイト ちゃんと云うと大演説になってしまう いが、これは、ではないということを念 ル書くのがめんどくさい ) もさっ が、一言でいえば、というものは、ファ頭におきつつ読まないと、読みまちがいをし と読んで、面白い。とにかく、一 ンタジーも含めて、暗喩ではありえない。 やすい作品であると思うのだ。基本的には、 つの作品に必ず何がしかのあざや の描く怪物や終末、異次元、宇宙人、 これは、コト・ ( とイメージのつづれ織りのよ かなイメージを出してくるのがむ未来社会は、それ自体たしかに具象であり、 うな小説である。本当は、ストーリーはどう やみとうまい人で、その点、村上具象のもつ自己目的性と自己完結性とを具えでもよいし結構もどうでもよい ラストで二 龍 ( あのワニさんはよかった ) と共通してい つの作品が結びつく、といった小細工は る。もっとも誰でもほめるのであろう耳の美 りヾーヾ F 野暮である。ない方がよかった。やたら しい女とか、むやみとたべるやせた娘より、 すいすいと読めて面白いしイメージもあ レ 私がいいと思うイメージというのは、「やみ ざやかなのだが、読みおわってよく考え くろ」と、そして「夢を読む」職業とか、影 るとどう、何が面白かったのか、イメー 作〕 とのややいかがわしめの関係とか、あのへん ジやコトバも実体はどこにもなく、たた し : 、たまらない。耳のきれいな娘とかは、作 「やみくろ」や耳の女が中空にひっかか 者が、このへんのイメ 1 ジで読者を感心させ ってチェシャ猫のように浮かんでいるー てやろうという下心がみえすくようで、私な ーこれはそういう小説だ。だから、ま 学 どひねくれ者だから、いまいち素直にのりた 文 4 Ø峠判 あ、要するに「文学」なんだろうと思 、つ 0 よよよ。 くない。私などが、虚心に読むと、あの「や ・ <NDU)< Z<Y<N ー >< ・ようやっと申しわけていどの夏休みをとったら、たまによく寝て頭ガアホーになってしまった。もはや回復不可能てはないガと思う。 中島梓
ばれる。 凡例 空想英雄冒険譚。源は、神 セラの子ら』 link 】生物の進化史上て化 話や中世騎士物語。〈コ べム【 bug ・ eyed monster 】直石の発見されない空白部分ラグランジュ点一方が他方☆用語はアイウェオ順配列。 ナン・シリーズ〉 訳すると〃昆虫目玉怪物み をまわる二天体 ( たとえば☆【】内は用語の原つづり。 のこと。人類の進化史にも 非人間型宇宙生物の総称。 ファースト・コンタクト【 first 地球と月 ) の重力下て、微☆の印は関連作品名。 存在する。 参考文献 contact 】人類と未知の生命ホログラム【 hologram 】一一次 小天体 ( たとえばスペース メトセラ【 MethuseIah 】聖書 元平面に三次元立体の情報 ・コロニー ) が安定した運『世界の文学総解説』 体とが最初に出会うこと。 に登場するユダヤの族長の 行をなす、惑星軌道上の一一『事典』 その際の人類の対処方法が を集約した、いわば立体写名。九百六十九年生きたと 「マグローヒル科学技術用語 のテーマとなる。「ソ真。 され、ては長命族の代点のこと。 大辞典』 ラリスの陽のもとに」 ミッシング・リンク【 mising 名詞に使われる。「メト プラスター【 blaster 】未来の 火器全般をさす。主なもの はレイガン ( 光線銃 ) 、ヒー トガン ( 熱線銃 ) など。 プラック・ホール【 black hole 】超新星爆発のあとに てきるといわれる高密度な 天体。光さえその重力から 脱出てきないのて、こう呼 80 年代の SF 現在 S F はどういう動きをしているのでしよう。 ヒューゴー / ネビュラ / ローカス賞の受賞作を参考に、そ の動向を見てみましよう。 表を御覧になればわかると思いますが、 80 年に入ってから トリプル・クラウンを獲得した作品は、ディヴィッド・プリ ンの『スタータイド・ライジング』だけです。これは、七つ の作品がトリプル・クラウンに輝いた 70 年代にくらべるとか なり少ない状態です。 賞を目安にしただけの皮相な見方になりますが、 80 年代前 半は、他を圧倒し三賞を制するだけの力を持った作品が少な かったといえるでしよう。 「スタータイド・ライジング』は、「夢の蛇』以来 5 年ぶり のトリプル受賞なのです。 このプリンの活躍を契機に、 84 年には、それまで意欲的な 中短篇を発表していた作家たちが次々と長篇デビューを果た しています。まさに、混迷の 80 年代をきりひらく新しい世代 の作家たちの登場、といっても過言ではありますまい。 本年度ヒューゴー / ネビュラ両賞を受けたウィリアム・ギ プスンを筆頭に、キム・スタンリー ・ロヒンスン、ルーシャ ードなどが注目株です。 ーヌ、・う / 工 / ヾ また、大御所たちの活躍も見のがせません。アシモフ、ク ラーク、ハインラインらの新作発表は、大きな話題をまきお こし、アメリカでも大ベストセラーを記録しています。 新人の急成長と巨匠の健筆ぶりが、いったいどんな S F を 生みだすのか。 80 年代後半の S F の動向からは、まったく目 がはなせないのです。 年ヒューゴー賞 ネビュラ賞 タイムスケープ 雪の女王 」・ D ・ヴィンジ G ・ペンフォード The Claw of ダウンビロウ・ステーション the Concili ator C ・」・チェリイ G ・ウルフ No Enemy ファウンデーションの彼方へ ファウンデーションの彼方へ But Time トアシモフ トアシモフ M ・ヒショップ スタータイド・ライジングスタータイド・ライジングスタータイド・ライジング D ・プリン D ・プリン D ・プリン The lntegral Trees Neuromancer Neuromancer L ・ニーヴン w ・ギブスン W ・ギブスン ローカス賞 雪の女王 上 D ・ヴィンジ 多彩の地 」・メイ 84 85