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1. SFマガジン 1985年12月号

HUGO 0 れ d Ⅳお U. みみ DS ば、アイデアの扱いや。フロットのたて方の一方、ヒュ ーゴー賞の作品部門では候補十タイア、マーティン、ドゾア、ヴァーリイら 面で、四〇年代五〇年代的なサイエンス・ 五作中五作がアナログ誌の作品で、ファンの / ミネートにみられる、七〇年代作家へ フィクションを指向する傾向があるようなの間でのオ -- ルド・タイ。フなへの嗜好の評価にも注目しておいていただきたい。 印象も受ける。もちろんそこ このような界の建設的な様相は、し に、八〇年代の知識や感性が加 かし現在の拡散したシーンから見れば わっていることは言うまでもな ごく小さな部分にすぎない。大出版社が こうしたことを考えていく に求めるのが、基本的にビッグ 3 や特定 と、彼らが新しい時代のクラシ のシリーズのような大ベストセラーである ックを生み出してくれることを ロ ことに変わりはない。ゲームや、この年か 期待してよさそうな気がする。 ナら動きが活発化した。 ( ソコンとの結合は、 なお、今回の特集は、作品選 明活字にも何らかの対応を迫ることにな 択が少々ネビュラ賞寄りなこと りそうだ。ヒュ ーゴー賞のドラマ部門で、 もあって、こうした八〇年代 co ファンジンや。フロジンで激しく攻撃された の方向性よりも、現代の 『ジェダイの復讐』が圧勝したことは、メ 問題意識や文学性が強調された ディア中心に展開するシーンの状態 ものになっている。 や、の伝統・価値と無関係な読者の増 新しい流れは、中・短篇の発 加を証明している。昨年の世界大会 表の場とも関わりがある。この ( ワールドコン ) で、世界初の《スター 0 年から方針を変更し、若手のプ ウォーズ》三部作マラソン上映会が行なわ ロモートやシリアスな作品に意 れ、それのみが目当ての多くの参加者を集 欲的に取りくみだしたアシモフ めたことは記憶に新しい 4 誌は、両賞でも高く評価さ 八三年は過渡期であり、八〇年代界 れた。リストには示さなかった の核となるべき新しい動きが生まれつつあ が、ネビュラ賞では候補十九作 る年だった。その動きは後に引きつがれ、 中七作がアジモフ誌掲載作 出版の充実、若手作家によるカ作本格 で他誌より抜きん出ているし、ヒュー が読みとれる。 の輩出など、八四年、八五年の小さな黄 賞では同誌編集長の ' カーシーが、女性新しい方向性と少し離れたところで、ネ金時代といえる時代〈とつなが 0 ていくこ では初めてベスト・。フロ編集者に輝いた。 ビ、ラ賞長篇部門や、ビショップ、マッキンとになる。だが、それはまた別の話である。 イすのアン ゴ

2. SFマガジン 1985年12月号

ところが、年を越してからふり返ってみ ると、八三年はにとって近年になく明 るい年だったことがわかってしまった。ロ マンスやホラーでさえ不振をいわれる小説 界で、だけは各出版社とも大幅に売上 げをのばしていた。年間の総出版点数 も四年ぶりに上向きに転じていた。雑誌で 人気をのばしてきた若手作家が続々と長篇 を完成させ、それが出版社に順調に買いと られていた。各専門誌の部数ものびて 今回の特集の対象となるのは、八四年にる作品や中堅・若手作家にも積極的な、良 こうした明るい要素は、暗さの極致の 発表された賞 ( 八三年度ネビ、ラ賞 / 八四心的なシリーズと目されていた。それが、 ″タイムスケー。フ事件″を報じたローカス 年度ヒ = ーゴー賞 ) 、すなわち八三年に発他ならぬ採算性を理由に打ち切られてしま ったのだから、作家やマニアの間におこっ 誌七月号にも見てとることができる。この 表された作品である。では、八三年はアメ た混乱は大きかった。 リカ界にとってどんな年だったかとい 号には、現時点 ( 八五年 ) で中堅、若手作 このニースのすぐ隣には、この年の全家の依り処となっている・フルージェイ社 米書籍商協会の大会に出展されたが例が、年末から出版を開始するという記事が 八三年七月号というから、もう二年以上年より少なかったという記事がある。これある。書評は大きなスペースを割いて、プ も前のことになる。この月の情報誌ロは参加した出版社自体が少なかったせいもリンの『スタータイド・ライジング』を取 ーカスのトツ。フを、ショッキングな記事があってのことなのだが、 ()0 出版点数の下りあげている。この作品こそ、現在〈タイ ムスケープ〉の穴を埋めた格好の〈。ハンタ 飾った。ポケット社の部門である〈タ降速度はようやく鈍ったものの、まだ イムスケー。フ・・フックス〉叢書が打ち切ら界が不況感に神経質になっていた様がこのム・スペクトラ〉叢書発足の大きな契機と ロ事からうかがえる。 れるというのだ。いわゆる″タイムスケー なった作品であり、また、翌年から始まる 。フ事件〃の第一報であゑ出版界が商業的このほか八三年には、有力なセミ。フロジ若手作家の長篇進出の先陣を切った作品で な見地からのみをとらえる、つまり大ンの相つぐ休刊などの暗いニースや、大もあった。この月の専門書店調べのペ 家の作品や冒険などの売れる作品ばか手・フック・チェーンによる・フック・クストセラーでは、・フリンの作品と同じ意義 りが優遇される八〇年代初頭の風潮の中ラ・フの設立という、商業主義のいっそうのをもっマカヴォイの『烏竜とお茶を』 ( 未 で、〈タイムスケー。フ〉は野心作といわれ進行を予感させるできごとがあった。 訳 ) が、冒険ものでもなんでもない、しか 年ヒュ—- コー一ネヒュラ賞 漿解説 山岸真

3. SFマガジン 1985年12月号

前号より続く 剣と魔法 SWORD AND SORCERY / 、ローズーよノ、 ン》より 20 年先んじている。 パローズの《火星》シリーズで、《コナ った。特に名高いのはエドガー・ライス・ 界の創造は、バルプ雑誌の大きな目玉であ 創ではない。華麗な冒険の舞台となる異世 しかしながらハワードの小説は、彼の独 な超自然の悪が立ちはだかる。 も、めつぼう女好き ) の前には、さまざま 去であり、主人公となる無双の剣士 ( しか ( 1932 ) に始まるが、時は地球の空想の過 鳥の剣」 "The Phoenix on the Sword" この豪快な冒険ファンタジイは「不死 は、会員すべての意見は一致しているらし を、剣と魔法ジャンルの嚆矢とみる点で ド・テールズ誌に発表した《コナン》もの 、ワードがウィアー ラ襯といった。 属し、会誌 ( ファンジン ) の名前はアム グループである。多くのフ。ロ作家がこれに 名を記念して 1956 年に設けられたファン・ れはパルフ。作家ロバート・ E ・ハワードの Hyborian League の会員であったが、 ライノく - ー は , 、イボリア連盟 The 思えるのは、ヒロイック・ファンタジイで 新しい呼び名で、広く行きわたっていると ど、いろいろな名で呼ばれてきた。比較的 タジイ、ファンタスティック・ロマンスな ンス・ファンタジイ、ウィアード・ファン ンルとしてはもっと古くからあり、サイエ 1960 年に作ったとされているが、サプジャ この用語はふつうフリツツ・ライバーが ワードほど魔術を呼び物にはしなかったが ( 扱うときには、高度に進歩した科学とい うかたちで合理化した ) 、雰囲気としては 両者のあいだに明らかな連続性がある。主 流文学にも異世界ビカレスク譚の長い伝統 があるが、ハワードと比べると一般にもっ と地味 ( かっ文学的 ) で、ものによっては 覇気にも乏しい。ハワードにいたるこの伝 統の中でふつう引きあいに出される里程標 には、ウィリアム・モリスの少々軟弱な中 世ファンタジイ、ロード・ダンセイニの粋 ではあるがお行儀のよいロマンス ( 一種の 、、妖精郷〃に舞台をとることが多い ) 、 E ・ R ・エディスンのふんそりかえった騒々 しい冒険譚、エレガントで皮肉で手のこん だジェイムズ・プランチ・キャベルの《ポ アテーム》連作がある。これらはすべてい ウィアード・テールズに拠点をおく、剣と 魔法もののさまざまな作家たちに影響を与 えた。 H ・ P ・ラヴクラフト、クラーク・ アシュトン・スミス、 C ・ L ・ムーア、ヘ ・カットナーなどで、ハワードは影 響の受け方が少ない。異色はラヴクラフト で、彼の作品の大半は近い過去の地球が舞 台であり、魔法を剣よりもはるかに強調し ている。文学的な力量では、《ジレル》と 《ノースウェスト・スミス》をものした C ・ L ・ムーアがおそらく最高だろう。しか しハワード作品の色彩と迫力は否定しよう ハワードがこのジャンルに持ちこ がない。 んだ決定的な新趣向は、ヒーローの荒々し くもまたあつばれな大望に力点をおいたこ とであり、これは ( たとえば、キャベルの ヒーローにはほど遠く ) まったく皮肉ぬき に感心させられる。これは趣味の問題かも しれないが、ヒーローやヒロインが傷つき やすく不完全か、さもなければウィットの 才能があるような剣と魔法ものを喜ぶ読者 が多い。 、ワード作品には創意工夫はたく さんあるものの、さほど緊張感はなく、ヒ 278

4. SFマガジン 1985年12月号

ジェイムズ・・ホーガンの作品は、過ぎ式でやれば、生まれてくるという気がしたのたりしている。・ほくとしては、ホーガンがハ だ。もちろん、それは、・ほく一人だけの受け ードだという意見には、『星を継ぐもの』 去ったアメリカなのだ。 まったくの偶然で、ホーガンの処女作『星取り方だし、それがとして正しいあり方を読んだときのようなうれしさを感じてしま ードではないという意見に関して を継ぐもの』を読んだときから、・ほくはそう かどうかは、別問題だ。としては退歩だう。 確信している。一応、最初の紹介者というこという見方は当然あるだろうし、現実に、アは、当然だよな、というしか、ない。ホーガ とになっているけれども、何も、ホーガンとメリカ本国でのホーガンの評価の低さは、そンはハ ードか、そうではないのかという 設問自体が、すでにちがっている筈だから、 いう作家を読む前から知っていたわけでもなの退行的な内容にあるのだろう。 かったし、レヴューに目を通していたわけでそして、日本でも、ホーガンの作品に対す正しい解答など、ないと思えるのだ。必要な る反論が出てくるのは予期していた。いわゆのは、ホーガンの作品における科学というイ 京もない。月面に宇宙服の死体がある、ペー ー・ハックのパック・カ、、ハーに載っているシノるハード作家の一人である堀晃が『星をメージの意味だし、そこから今のにおけ る科学の意味を問うことなのではない 0 プシスだけで、読みはしめたのだ。たぶんア かを一田む、つ 0 ルジス・・ハドリスの『無頼の月』 がいけなかったのだろう、月面に そして『造物主の掟』は、ホーガン 自身がそれについて解答を与えている 説明不可能なものがある、それだ けで、その作品は、・ほくの読みた 作品のような気がする。最初は仇役で い本のリストのトツ。フのあたりに あるように見えるが、実は主人公であ ったカール・ザンペンドルフという偽 来てしまう。『星を継ぐもの』に ぶつかったのは、まったく幸運な 物の超能力者の存在が、それだ。つま り、この物語の前半は、タイタン上に 偶然というしかない。 ン そしていくら何でも、そりや無 発見された機械生命たちの世界と、こ 茶じゃないのという結末に至った の偽超能力の正体が正しい科学によっ Q. とき、・ほくとしては、怒るどころか、やけに て見破られる物語であるように読め ズうれしくなってしまった。色々な形で、科学継ぐもの』の科学的な仕掛けに対して、馬鹿る。ところが結末に至って、正しい科学が、 イめいたことを扱えば、確実に押しつけられてげているという正しい評価をした上で、その偽超能力者によって呑み込まれることによっ 工 くる正しさ、正しい科学という呪縛を「この馬鹿らしさに大喜びしてくれたのは、紹介者て終っている。この作品の全体を支配してい ジ 謎解きで、ホーガンは解き放ってしまったよとしては、おそろしくうれしかった。というるヒューマニズムのアメリカ的な嫌らしさに うに思えたからだ。 よりも、ホーガンの作品の価値は、ちゃんとついては触れる余裕はないけれども ( 逆にホ 一九三〇年代や四〇年代のアメリカが伝わっていくのだと、思えた。 ーガンのそれを非難することにさほどの意味 そうであったような、科学とは名ばかりの、 ところが、はっと気付いてみると、ホーガも感じない ) 、正しさというドグマに対する 見せかけの科学らしさで、が書ける。っ ノよハード g-k なのだという声が強くなってホーガンの作品による反論なのだ。ことによ いたり、あんなものハ まり、文学という名のもとで量産されるファ ードなものか、どると、ホーガンという作家は、想像以上に大 ンタシイに対する TJ が、このホーガンの方こがハ ードだというような声が強くなつ物なのかもしれない。 ・ <Y—C< Y<O<> ー・ますいことに、ついにファミコンを導入してしまった。これだけは避けねばと、思っていたのだガ、今後の締切については、 遅れたらみんなファミコンのせいである。 MAGAZ 鏡明 ライフメーカー 造物主のに ジェイム第を p ・ネーンイ 4 新・ル

5. SFマガジン 1985年12月号

ー特別企画・連載⑩ー THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION SF 工ンサイクロべディア ピーター・ニコルズ編 浅倉久志・伊藤典夫監修 伊藤典夫訳 Copyright ◎ ox わ Y Press Limited 1979 M J E : マルカム・ J ・エドワーズ 凡例 1 . 邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 (" ” ) でかこんで あるものは短篇。ただし、単行本としては 未刊の長篇や、単行本に他の作品とともに 収められている長篇は、短篇とおなじ扱 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は『』で、 短篇ならびにそれに準ずる作品は「」で かこんだ。 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作者名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のゴチック書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品や、ビデオ等のソフトが 発売された作品には邦題を『』でかこん で添え、原題をイタリック体で示した。未 公開作品は原題のみを示した。ポールド書 279 J C : ジョン・クルート ー・ニコノレス P N : ビータ 筆者 8 . コミックは《 ) でかこんだ。 体の年号は、本国での製作年。 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ誌 F& S F : ファンタジイ・アンド・サイ ュ・ンス・フィクションんじ、 TWS : スリリング・ワンダー・ストー リーズ誌 ・ワールズ誌 NW : 乞 : アンソロジー 異 : 版による題名の異同 : 加筆 置 : 改訂版 医 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニバス版 統 : 複数の短篇を加筆改訂し、長篇のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 : 抄訳 : 原作はおとな向きだが、わが国への 紹介にあたってジュヴナイルに翻案さ れたもの。いわゆる、、再話″。はじめ からジュヴナイルとして書かれた作品 は国指定されていない。 : 参照 * : 訳註

6. SFマガジン 1985年12月号

ーローの勝利はめだって予定調和的であ る。 そのような冒険の舞台 ( ほとんどが部族 社会か封建社会 ) を説明するのに、ときに は S F 的な仕掛けが使われることがある。 これは I F の世界や、バラレル・ワール ド、異次元のこともあれば、失われた世 界、アトランティス以前の太古、火星や金 星のような他の惑星、地球内部の空洞のこ ともあり、さらには銀河帝国の忘れられた コロニーであったりもする。何であろう が、それは重要ではない。要するに ごましたエキゾチックな背景があり ( 読者 の好みに従って、手が込んでいるほどよ い ) 、そこで完璧に二元論的な、というこ とは、善と悪が必ず対決するアクションが 起こりさえすればいいのだ。 ウィアード・テールズは 1940 年代のはじ めまで剣と魔法ものを掲載しつづけたが、 その多くはずっと後になるまで単行本にま とまることはなかった。クラーク・アシュ トン・スミスのきわめて華麗な宝石入 り〃の文章は人気があった。 C ・ L ・ムー アはおそらくもっともバロックな想像力の 持主で、特にそれはとてつもなく邪悪な脅 威を描くときに発揮された。彼女の作品は いまだに正当な評価がなされていない。し かし剣と魔法の物語は 1950 年代には衰退し ハイボリア連盟が活動をはじめ、ハワ ードやムーアの作品が単行本で ( 主として ノーム・フ。レスから ) 出版されるようにな るまで、この種のファンタジイは消滅する かに見えた。 J ・ R ・ R ・トールキンの『指 輪物語』 T ん 0 / 火切 gs ( 3 巻 1954 ー 5 ) が遅ればせながらも大当たりをと り、 T ・ H ・ホワイトの The 0 れ化 4 れイ ℃ King ( 1958 ; C の I 米 ) が、そこまでは行かないがそれでも目を見 はる成功をおさめなかったら、このジャン ルがいまのような異常な人気を博すること 277 0 はなかっただろう。 1960 年代初頭、こうし た作品が一般に知られるようになると、出 版社はとつぜん盛りあがったヒロイック・ ファンタジイ熱に応えるべく、先を争って その出版に乗りだした。 トールキンの豊かに空想された長大な作 ハワードのそれと同様に現代の剣と ロロは、 魔法の物語には重要である。二人の作家は 事実上、このジャンルの広がりの両極端に 位置している。ハワードには道徳とは無関 係の活力があり、トールキンの想像力には 深く澄みきった道徳性がある。両者の共通 点は、魔術が通用し、ヒロイズムが悪と拮 抗しうる世界という観念に全力で関わりあ っていることである ( もっともハワードの ヒーローは巨人であり、トールキンのは小 人という違いがある ) 。両者はたがいには 影響しあうべくもなかったが、この二人が 結東して現代のジャンルに最大の影響を及 ぼしていることは疑いない。 少々先を急ぎすぎたようだ。 トールキン 作品が出版されるころには、剣と魔法もの は別のところで息を吹きかえしはじめてい た。二人の優れた作家はフリツツ・ライ / く ーとジャック・ヴァンスである。《フアフ ァード & グレイ・マウザー》シリーズのラ イバーは、 1940 年代に剣と魔法ものを書い た数少ない作家のひとりで、 1939 年の「森 の中の宝石」 "Two Sought Adventure" ( 異 "The Jewels in the Forest") を第 1 作とするシリーズ全体は、陽気で、想像 力と活気に富んでいる。ライバーの作家的 手腕は、ひとりは巨人で怪力、もうひとり は小柄ですばしこく機転がきく、そんな二 人組みのヒーローを造型したことだろう。 ヴァンスの『終末期の赤い地球』 The Dying Earth ( 集 1950 ) と続篇 The 刃 3' ぉ に 0 rw の・ / ( 集 1966 ) には、とぼ けた味があり、皮肉で感動的でシニカル で、ウィットにも事欠かない。筆致は精密 III

7. SFマガジン 1985年12月号

家の台頭であり、もうひとつはサイエンス 長篇部門ではなく、また各部門 ・フィクションの復権である。これらは、 の候補作も大きくくい違ってい た。これは、以前この特集の解 論争″や″ファンタジイ汚染論 争″が建設的な形で実を結んだものと言う 説で安田氏が指摘したように、 こともでごよう。 八〇年代のアメリカ界が新第も《ト、一 ニ長篇部門の候補作をもう少し詳しくみて しい方向を模索していたためだ Z いくと、両賞でダ・フっているのが・フリンと といえる。長篇部門を例にとる マカヴォイの若手二人組。この二人に対し と ( 先月号「集中講座」参照。 て、ネビュラ賞では技巧派の中堅作家たち 賞の発表年による ) 、ネビラ賞 ~ 、 が、ヒューゴー賞ではアジモフ、マキャフ が八一年ペンフォード、 ウルフ、八三年ビショッゾで、 リイの二巨匠がそれそれ挑み、敗れ去った という図式がうかんでくる。 一方のヒューゴー賞は、順にヴ インジ、チェリイ、アシモフ。 中・短篇の分野では、ここ数年見られた 若手作家の台頭 ( より正確には、新世代作 ネビュラ賞が文学性の高い作品 れ を意識的に選んでいるのに対 矼家群の登場 ) が、疑いようもなく確固とし し、ヒュ たものになってきた。ペア、ロビンスン、 ーゴー賞はらしい 0 スターリング、ウィリス、ザーン、ディレ 設定で物語性豊かなグランド・ オペラ的な作品を素直に支持し イニーらは前年にひき続いてのノミネ】 ト。これに、ギ・フスン、スワニック、シェ ているのがわかる ( そうした要 の ドを加えたあたりが、いわゆる八〇年 素に乏しい八一年と八 = 一年のネ一 . ・ ~ ↑」 ゴ ビュラ賞受賞作は、ヒュー 代作家のリーダー格になるだろうか。これ 賞では候補にさえあがらなかっ ら新しい作家たちは、年齢的には ( 若干ば らっきはあるが ) 五〇年代前半生まれ。彼 た ) 。 これが、この年 ( 八四年 ) にようやく、 ネビュラ賞の側の変化だろう。文学性を若らに共通項を設定しようとするなら、アイ ー性の重視を指摘すること 複数部門のダ・フル・クラウンが復活し、し干犠牲にしてでも、界に見えはじめたデアやストーリ / イテク 氏やドゾアのように″、 かも長篇部門を独占した作品というのが、方向性を明確に打ち出していこうという姿も、小川 派″と″文学派″と大ざっぱにくくること 典型的グランド・オペラの『スタータイド勢が感じられる。 ・ライジング』なのだ。これは明らかに、 その方向とは、ひとつは新しい世代の作もできる。また、ちょっと見方を変えれ 『ミレアム』 6 7

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ntlllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll!llllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll TABOOS 神聖にして侵すべからざるものを攻撃 し、タフ・一を打破することにかけては、 S F はときとして分不相応な声望を得ている この種の作品は偶像破壊の項で論じ た。それとは別に、架空の、または異星の 社会を舞台に、タフ・一が社会構造の重要な 部分を占めるような小説も多く、そのいく つか ( ロバート・シェクリイとジャック・ ヴァンスがこれを得意としている ) は人類 学の項で論じた。 この項では S F 出版におけるタフ・一のみ を取りあげる。主流作家による SF は、 般の小説と同じく検閲の対象にはならない ので、、、タフ・一 〃とされる主題を比較的自 由に扱える器となることが多かった。ジャ ンル S F の内部では事情は大いにちがって いた。そこでは出版社側が一般読者を、と いうか、どんな読者をも遠ざけたくないあ まり、きわめて多くのタフ・一を持ちこんだ からである。タブーが生きていた期間は、 少なく見ても S F 雑誌が誕生した 1926 年か ら、 50 年代のなかばにまで及ぶ。タフ・一の 大半は、性と宗教と卑猥なことばに関する ものだった。宗教や性のタブーを破ったた め、発表先がなかなか見つからなかったい くっかの作品は、異星人の項にまとめた。 ・ハリスンの佳作「異星の十字架」 ハリイ "The Streets of Ashkelon" ( 1962 ) は、 きわだって過激とはいえないものの、キリ スト教の宣教師が異星に行っておかす人類 学上の過ちと、その悲劇的な結果を描いて 。ハリスンはキリスト教徒の不興を買 うかもしれないと、発表の場には苦慮した が、以後少なくとも 6 回はアンソロジーに 収録されている。 社会において、この種の偏見ほどすばや く様変わりしてしまうものもない。少なく とも第二次大戦以降の一般文学では、性的 な話題を扱うのに作家たちはかなりの自由 VI を享受するようになったが、雑誌 S F 界 は、シオドア・スタージョンとフィリップ ・ホセ・ファーマーの先駆的な仕事ののち も、お上品なままでありつづけた。この問 題は性の項でくわしく論じてある。 何もかもがタフ・一とされてきたわけでは ない。たとえば暴力はさしつかえなく、極 端に保守的な政治思想を持ちこむことも許 された。ただし社会主義 ( 社会ダーウィ ン説 ) は、ふつう編集者たちには受けいれ られなかった。その典型はジョン・ W ・キ ャンベルで、奴隷制を肯定的に論じた編集 前記は悪名高い。そのかたわらキャンベル のアスタウンディング・サイエンス・フィ クション誌は、性や卑猥語など喧伝された タフ・一のほかに、なんとも微妙なタフ・一を いくつか行使している。キャンベルは、人 類が何かしらで見込みがなかったり、異星 人にだしぬかれたりする陰気な小説の掲載 をひどく嫌った。これは必ずしも検閲のか たちを取ったわけではないが、作家たちは どの編集者にどんな傾向が気に入られるか を充分に心得ていた。近年では、一時期ア ンソロジー市場を大幅に牛耳っていたロジ ャー・エルウッドが、宗教と性の両面でき わめて保守的な考えを持っていたことはよ く知られている。総じて 1 0 年代まで、雑 誌 SF においてペシミズム ( 楽観主義と 悲観主義 ) は、まったくとはいわないまで も、おおむねタフ・一だった。 その一方、人肉嗜食は完全に許されてい た。 1 0 年代以前においても、それはジャ ンル S F に頻繁に現われたし、 ェリスンの「少年と大」 "A Boy and his Dog" ( 1969 ) のような近作では中心に据 えられている。ェリスンはニュー・ウェー ブ系のオリジナル・アンンロジーや雑誌で は、タフ・一の打破を意識的に行なったこ とで名高い。注目に値するのは、一連の Dangerous おんれ 5 アンンロジーだが 274

9. SFマガジン 1985年12月号

SF 翡①① K M 灘 ート・ *-a ・フォワードの新 イエスを誕生させて中世からの脱却の道を歩『竜の卵』のロ。ハ 頁 訳 ーナード星系の 訳 他 ませる。この作品でもホーガンが常に抱える作『ロシュワールド』は、、、 ( 美 訳 訳 テーマ、科学精神への信頼と謳歌が基調にな二重惑星での目をみはる現象と、そこに棲む 志 訳 黎昭 辻社 久房 っていて、ある種のすがすがしさを与えてく知的生命とのコンタクトを描いた作品。『屯 美 井元 隅土高倉 朱 れる。ただし、この作品での″約束事″であの卵』でも中性子星の生命が人類史をなそる トネ山 / 元房 ン京 る中世化したロポット社会には、少なからぬような歴史をたどることにいささかうんざり / 創 / 書 / 早 井房ス東 ン 疑問を抱いた。最初に記した・ヘイリーの言葉したが、それ以上にスリリングなコンタクト ジ ガ ホ円 東←早出 のように、異質なるものの精神の中味を描く ガッ早 ホ . 円ド円の . / ンコ / ことは、本来的に不可能だ。ほとんどの フ 0 ら—, 庫リア円 で擬人化して、地球人の延長として描かれて 掟・ ・ 6 一 5 か・文プムム の いる。そこをいかに科学的に描くことがてき ク庫 るだろう ? 機械生命の支配的種族はヒュー →イ文ノ一文ン の頁 マノイド・タイ。フになるのだろうか ? 宗教 ラ「ジ頁「ロ頁ドバ / 「マ / 「ウ が生まれるか ? 衣服をまとう必要を感じる だろうか ? ま、そんなことにひっかかりな ″華麗なる奇想の饗宴といったところ。書 ードコア がらも大変面白く読んだ。この、 名も「洞察鏡奇譚」としたほうがよかったの であるホーガンの作品を面白く読んだこ ではないだろうか。なにしろマッド・サイエ と、これは重要なことだ。『造物主の掟』が・の描写がまさり水準以上の作品となってい た。しかし『ロシ = ワールド』の異星人のあンス小説なのだ。そのサイエンスも理論科学 本国で初めてハードカバーで出版されたとい うことは、アメリカでのホーガンのそれまでまりに地球人的な感情、言語大系にはあきれであるから、奇想あふれる宇宙論が展開され る。アイディアを書くために小説があるよう てしまって物も言えない。おざなりなキャラ の作品の評価の低さを物語るものであるが、 それをさして、『星を継ぐもの』以来の日本クタ 1 描写に不要な = 。ヒソード。後半三分のなものだから、小説の結構などにそれほどか 「宇宙の探究」や「モーリー 一のアクション・シーンをぬけば、「公聴まいはしない。 での人気の高さ ( 売れ行きのともなったもの ) を云々するのは、搬来拝跪、万歳的教条主義会」の章だけで充分、そう言いたくなってしの放射の実験」などはその見本。錬金術的な ノタフィジシャンのアルフ であろう。ファン以外にも人気を博したまう。つまり、設定だけが面白いのである。妄想科学ゆえに、。、 レッド・ジャリに近づく。これほど形而上的 これは重要なことだ。いかに科学的アイディ ことは、作品の科学性云々を指摘するより も、日本人の琴線に触れるであったことアが優れていても、面白いとはならな妄想をかきたてる作家はいない。作品のトー ンは不可知論に陥った個の悲しみが支配して 小説を書こうとして失敗しているのだ。 のほうが重要なのである。実際の数字は知ら いる。この錬金術宇宙には、アイディアの奔 ないが、たぶんここ十年くらいの間で一番売 人気の・ ( リントン・・べィリーの短篇集流があり、根底には同じひとつの歌日アイデ れたハ ードコアではないだろうか。 ザ・ナイツ・オ・フ・リミッ ィアがあるだけで、作品はそのヴァリアント とはなにか、を考えるうえで、ホーガンの作『シティ 5 からの説出』は原題″超限騎士 だが、の源初的魅力をもった短篇集だ。 団″がその内容をよく表わしている。まさに 品を置き去りにすることはできないだろう。 ライフメーカ ロバート・ L ・フォワード 山高昭訳 ロシュワールド

10. SFマガジン 1985年12月号

えば、ゾルージェイ・・フックスの刊行した 由月アナログ出身の新人作家が急速に力をつけレッグ・ペアやヴァーナー・ヴィンジ、ジ ていることや、アナログ自体の成績や評価ャック・ダンらの評価はここにきて急上昇最初の本は、ディ日キャン。フらによる・ 事 も高まってきたことに注目せずにはいられしています。 ・ハワードの伝記でした。 LL ません。古典的ハードは″ポルトとナ フレンケルの好みは、・フルージェイでの そのフレンケルがデル時代に育てていた CD ・・カーヴァー でつくられる小説として評価が低く再録作家がスタージョンとディックを筆頭作家の一人にジ = フリー 外 なっていたのですが、 ・ゾソクスやべ エリスン、パングボーンといったしぶがいます。デル時代には亜空間を漂流する : イイン・・フックスのハイテク士い向、″サイ〒 い作家を中心としていることからうかがえ宇宙船パイロットの奮闘を描いた ンス修フィクシ ' ョン志向、近未来小説の追るでしよう。これらの作家はデル時代にも Rigger's ( 一九七八 ) や、ちょっと 求は、ニ = ーウェーヴ以降のの″文学収録していた作家です。 , また、・・・フ ハン・ソロ風の一匹狼の宇宙船パイロット 化″や七〇年代の″ライフス とその船に密航してきた若い娘との冒険を タイル TJ ″にうんざりしは 描いた、ををミ・ ( 一九八〇 ) を発表してい じめていたオールド・ファン ます。どちらも、大手ペ 1 ック出版 と、 《ル社デル・・フックスからでた作品らしく、娯 に歓迎されているようです。 楽色のつよいスペース・オペラで、スケ】 0 逆に " 文学的。か 0 意欲的′物 ( を一を《 ルは小さいながらも人物の描きかたなど、 0 ()n を多く刊行しているの 将来に期待がもてるとの好意的評価を与え が、ジム・フレンケルの・フル られていました。もっとも、将来が期待さ 1 ジェイ・・フックスです。こ れる注目株というのは、現時点ではまだ傑 こでは、トー やペインと異な 作ではないということですから、書評家が ードカヴァーとトレー 新人をとりあげるときの逃げ口上に近いも ー・ハックしか出版していないこと ロクスンやダイアン・デュエイン、ナンシのともいえます。たしかにこれらの作品は もあって、かならずしも tn らしさにこた ・クレス、シンシア・フェリス、コニ楽しめるものの、読んだあとに作家の名前 わることなく″読ませる″小説をめざし、 ・ウィリスといった女性作家による風変が忘れられなくなるといったたぐいの じっくり作家を育てようという姿勢が見てわりなファンタジイにも力をいれていまではなく、作者が多作でないこともあっ とれます。デル・・フックスで育てきれなかす。デル時代の大・ヘストセラー作家ロ・、 て、たちまち忘れ去られてしまうことにな った作家のフォローが設立の大きな要因でト・アントン・ウイルスンの新シリーズります。 丿ー・ロング あっただけに、既刊五十六点の著者三十二や、ティモシー・ザーン、 しかし、フレンケルはこの作家の力量を 人中、じつに十九人までがデル時代の作家イヤ 1 などの冒険もそろえているとこ信じ、・フルージ = イ・・フックスから八四 であり、とくに当時育てようとしていたグろに、幅のひろさも感じさせます。そうい 年、五四〇べ 1 ジの超大作『無限のリン 噎な業を : : ・ . ・ : し気 2 2 2