での道を半分以上稼げるところだった。そこからなら十マイルほどライの手をつかみ、親指で彼女の指のタコをなでた。 ファースト・ストリートで黒曜石は車をとめ、もう一度ライの指 6 歩けばよかった。こうなった今、いったいどれぐらいの距離を徒歩 で行くことになるだろう。どれぐらいの距離を徒歩で行くことにな示をあおいだ。そして指示どおり車を右折させたあと、ミージッ るのか、問題はそれだけですむだろうか。 ク・センターの近くで車をとめた。ダッシュポードから折りたたん だ紙を取りだし、広げる。ライにはそれが道路地図だとわかった。 ふつうならパスが左折するフィグロア通りとワシントン・・フール トの交差点で、あごひげの男は車をとめた。ライの方を向き、 そこに記されている文字は、彼女にとってなんの意味ももたなかっ どちらへ行くのかと身ぶりで問いかける。ライが左をさすと、男は 車を左折させた。ライはようやく気がらくになってきた。彼女の望男は地図を平らにのばし、ライの手を取ると、彼女のひとさし指 む方向へいやがらずに行ってくれているとすれば、この男を信じてをある地点に置いた。ライに触れ、自分に触れ、床を指さす。つま り″現在地″をさしているのだ。ライがどこに行こうとしているの しいかもしれない。 焼けくずれた地域に入り、うちすてられたビルや、空つばの駐車か、知りたがっている。ライにはそれがわかった。行く先を教えた 場、こわれた車や、部品をはぎとられた車の側を通過しながら、男いと思いながら、ライは哀しくくびを振った。読む力も、書くカ 冫 ( オしカってライは O I--Ä << で歴史を教えていた。フ はくびにかけていた金のネックレスをはずし、ライに渡した。金鎖も、彼女こよよ、。、 にペンダントがついている。すべすべしたガラス質の黒い石。黒曜 リーでものを書く仕事もしていた。それが今では、かって自分で書 いた原稿すら読めない。自宅には書物があふれているが、ライには 石だ。この男の名前はロックとか、ビーターとか、・フラックとかい うのかもしれないが、ライは黒曜石だと思うことにした。ときどきそれを読むことも燃料にしてしまうこともできなかった。記憶はあ 役に立たなくなる彼女の記憶力でさえ、黒曜石という名前なら覚えるにはある。だがその記憶も、以前にどれほど本を読んだか、思い ておけるだろう。 出させてくれることはあるまい ライは自分の名前のシンポルを、男に渡した。小麦の穂をかたど ライはなんとか見当をつけようと、じっと地図をみつめた。パサ・ った大きな金のビンだ。疫病と沈黙とが広がりだす、ずっと前に買ディナで生まれ、ロスアンジェルスで十五年過ごした。現在地はロ った品だった。今は自分の名前のライに近いものとして、それを身スアンジェルス市民センターの近く。パサディナとロスアンジェル」 につけている。黒曜石の男のように、以前の彼女を知らない人々 スの位置関係は知っているし、道路も方向も知っている。高速道路 は、ライの名前をホイート」 はこわれた車や、破壊された立体交差道で閉ざされているかもしれ ( ハ麦 ) だと思うかもしれない。そんな ことはどうでもいい。 名前を呼ばれることなど、二度とないだろないので、それは避けた方がいいということすら知っている。文字 ーししこと ) 、 は理解できなくとも、・ハサディナという場所を指させ・よ、、 黒曜石はライにビンを返した。ビンを受け取ろうと伸ばしてきたらい、当然知っている。
こんにち た。ダーク・ガラス越しに、ライがなんとか中をうかがおうとしてることがなくなった。また、今日の世界では、共通の言語といえる いると、後部扉が開き、人々が喉をつまらせ、涙をぼろぼろこぼしものはホテ : 。イ・ランゲージに限られているため、武器を所持してい ながらよろめくように出てきた。ガスだ。 るだけで、充分に効果がある。実際に銃をかまえたり、あるいは、 ライは倒れそうになった老婦人を助け、押しのけられ踏みつぶさ単にちらっかせる必要すら、めったにない。 れそうになった子供をふたり、あやういところで抱き起こした。前 あごひげの男のリポル・ハ ーはいやでも人目につく。 ' ( スの運転手 部扉では、あのあごひげの男が人々に手を貸している。けんかをしにはそれで充分だった。運転手はいまいましそうに唾をはき、もう ていた男のひとりがやせた老人を突きとばした。ライはその老人を一度あごひげの男をにらみつけると、大股で満タンの・ ( スにもどっ 抱きとめた。老人の体重によろめいたライは、そのおかげで最後に た。そして・ハスをみつめた。乗りこみたいのはやまやまなのだが、 出てきた若い男に突きとばされずにすんだ。鼻と口から血を流してまだガスがきつく残っている。いくつもある窓のうち、開いている いるその若い男は、乗客がかたまっている方へよろよろと歩いてい のは運転席の小さな窓だけなのだ。前部扉は開いているが、後部扉 った。乗客たちはむせびながら、やみくもにつかみあいをしてい 。かが押さえていないと閉まってしまう。もちろん、エアコンは る。 とっくの昔にこわれている。・ハスの内部の空気が清浄になるには、 あごひげの男は・ハスの運転手が降りるのに手を貸してやったが、 しばらく時間がかかるだろう。パスは運転手の財産であり、生計の 運転手は助勢を感謝しているようには見えなかった。一瞬、ライは資だ。。ハスの車体には料金として受け取る品物の、古い雑誌の写真 またべつのけんかが始まるのかと思った。あごひげの男は一「三歩の切りぬきがべたべたと貼ってある。料金がわりに集めた品物を「 うしろに退がり、運転手が威嚇的な身ぶりをし、ことばのない怒声家族のために持ち帰るか、物々交換に使うのだ。もしバスが走らな をあげるのをみつめた。 ければ、食えないことになる。しかし、また一方では、無意味な争 あごびげの男はじっと立っているだけだ。声も発しなければ、露いでスの内部をこわされでもすれば、やはり食えなくなってしま 骨なわいせつな身ぶりで応えようともしない。障害の程度が低い人 う。だが運転手は明らかにその事実を納得しかねていた。彼にわか 間にありがちな態度だ。肉体的な危害が及ばないうちは、一歩退い っているのは、もう一度パスを動かすまで、しばらく時間がかか て、相手が抑制できない叫びをあげ、とびまわるがままにさせる。 る、ということだけだった。運転手はあごひげの男にむかってこぶ 相手を理解しがたい劣等な存在と見くだしているような態度だ。こしをふりあげ、怒声をあびせた。その声にはことばのようなものが れは優越者の態度であり、・ ( スの運転手のような人間にはそれと察含まれていたが、ライには理解できなかった。それが運転手のせい しのつく態度だ。こういう〈優越者〉は、ふつう、暴力的制裁を受なのか、ライ自身のせいなのか、彼女にはわからない。 この三年と ける。死、がもたらされる場合すらある。ライ自身、何度もあやう いうもの、筋の通った話などぜんぜん聞いていないため、自分がど い目に会ったことがある。その結果、ライは武器を持たずに外に出の程度ことばを理解できるのかわからないし、自分自身にどの程度
立ちあがり、ライに思いがけない贈り物をくれた。ライが女の腕を選んだ。彼にとって、ロに銃を突っこむかわりが、古くさい制服と パトロールだったのだろう。そして保護する価値 つかんで引きずりはじめたとたん、女の子が叫んだのだ。「いや人けのない通りの のあるものができたいまとなって、彼は死んでしまった。 かってライは教師だった。自分の身ひとつを守ってきただけだ 「いや ! 」女の子はもう一度言った。そして女の死体の傍に立っ が、保護者でもあった。生きる理由がひとつもないときに、生命を た。「あっちにいけ ! 」女の子はライに言った。 「しやべっちゃ、だめ」男の子が女の子を制した。不明瞭な音声で守りとおしてきた。疫病がこの子供たちを見のがしたのなら、ライ もなく、支離減裂な音声でもない。子供たちはふたりともことばをが生命を守ってやれる。 話し、ライはそれを理解した。男の子は殺人者の死体を見て、それやっとのことで死んだ女を抱えあげ、車の後部シートに横たえ た。子供たちが泣きだした。ライは凹凸だらけの路上にひざをつ から少しでも離れようとした。女の子の手を取ってささやく。「だ き、子供たちにささやいた。長いあいだ使わずにいるため、耳ざわ まって」 なめらかな口調だ ! この女は話すことができ、子供たちに話しりなしやがれた声が、子供たちをおびえさせるのではないかと心配 かたを教えたために、殺されたのだろうか ? 夫のただれた怒りにしながら。 ふれ、あるいは、見知らぬ男の嫉妬の怒りにふれて、殺されたのだ「だいじようぶよ」ライは言った。「あんたたちもいっしょに行き ろうか ? そして、この子供たちは : : : 沈黙の時代が到来したのちましようね。さあ、いらっしゃい」子供たちをひとりずつ腕に抱き に生まれたにちがいない。それでは、疫病は最盛期を過ぎたのだろあげる。ふたりともおそろしく軽い。充分に食べていたのだろう うか ? それとも、この子供たちは、単に病毒を免れただけなのだ り、沈黙の後遺症をこうむる ろうか ? この子供たちが疫病にかか 男の子が手でライのロをふさいだ。ライはくびを振ってその手を 時間はあったはずだ。ライは思考を飛躍させた。この三歳だかそれどかした。「わたしなら話してもだいじようぶよ」ライは男の子に 以下の子供たちが保護を受け、ことばを学ぶことができるとすれ言った。「まわりに誰もいないところでなら、だいじようぶ」助手 ば ? この子たちに必要なのが教師だとすれば ? 教師と保護者。席に男の子をおろす。男の子はなにも言われないうちに体をずら ライは死んでいる殺人者に目をやった。認めるのは恥ずかしかっし、女の子のために席を空けた。子供たちがシートにおさまると、 たが、その男を駆りたてた感情の一部を、ライは理解できた。怒ライは窓にもたれかかり、ふたりをみつめた。子供たちはもうあま りこわがっていないし、不安と同じぐらい好奇の目でライを見てい り、欲求不満、無力感、狂おしい嫉妬 : : : 彼のような人間がいった る。 いどれぐらいいることか。自分が持てないものを破壊してやりたい と思う人間が。 「わたしはバレリー ・ライ」 0 とことずつ味わいながら話す。「あ 黒曜石は保護者だった。道理を知っている者のためにその役目をんたたち、わたしになら、話してもだいじようぶなのよ」
あらわされて このアルバムを聞いた人すべてに、私達からの、 名く メッセージが伝わってほしいーー去空色帽子の日』 バリ島で私し摩 十一ニ = ロ 多 は覚醒した状 館ル館館 毎月私は、このページで、自分のお気に入りのる。一枚のレコードは聴き手によって、ただの塩態にあり、自 レコードについて好き放題書いている。気に入っ ビ盤か、ひとつの宇宙か、どちらにでも変化す分の瞳を目い ている音に関しては、まるで自動書記のように原る。 つばい開いて 稿用紙がうまっていく。それは、自分がそのレコ そして今回は、その立場は完全に逆になり私瞳孔の中をの 大 0 桃、 0 榔、名渋 0 、一 = ードからどんなに多くの目に見えない。フレゼント の、ゼルダという。ハンドの、血と汗と涙の結品ぞき込んでみ のプ 5 をもらったか、という説明であり、その。フレゼン ( ? ) 世界が、目に見えぬ人々のエゴイズムにさた。茶色い山 トの内容、 ( 例えは、それは、精神の安らぎ、勇らされるのである。 山のむこう 気、戦慄、幻想 ) に見合う単語を適切に選びさえ という恐怖をふまえた上で、いよいよゼルダのに、無限の空 すれば、楽しい作業であるとさえいえる。何故楽サ ード・アルバム『空色帽子の日』について触れ 間が見えた。そしてその無限の空間にどこまでも しいのかといえば、それは聴き手側のエゴイズムてみたいと思う。まず、このアル。ハムのテーマは どこまでも続くらせんが見えたのだ。それから一 という立派な足場に立って書いているからであ「愛と自然」。この自然というのは、山や川だけ晩中、サヨコ ( ゼルダのヴォーカル ) と熱にうか を指すのではなく、好き勝手をやる、という意味されたように話し合い、その巨大な流れの存在を 子ほ江でもない。ここでいう自然とは、自分にとってもお・ほろげながら認識した。あの時のらせんは、 子代ち紀 っともリラックスできる、精神を解放できる瞬間 Z< だったのだろうか。東京に帰ってから瞳の中 亜佐さ富 澤橋嶋原でもある。 を何度も何度ものそいてみたけれど、らせんは二 小高小石 ら 自分と、世界中で一番愛している人間と、自然度とあらわれなかった。 カ の聖なる三角関係。正三角形のそれそれの頂占、そのバリ島での発見がひとつのキッカケになっ に、自分、愛するヒト、自外た事は確かである。ただ、それを曲にした、とか が、対等な形で存在する。それそういう事ではなく、そんな世界観で、このアル バムを創ったという事だ。 は山奥の村で愛する人と自給自 音的には、余計な飾りをなるべくつけず、素直 足の生活をする、というような BACK TO NATURE 的なな出来あがりになっている。 田ライフ・スタイルとはまったく DEAR おてんとう様よ私の麦わら帽 青い光に照らされたお月様はよそいき帽 違う。自然は、私達の背景、環 境という意味ではない。もっと 火をうけ水にもぐり風にそよぎ地を歩く 日 こんな大きな地球に愛を吸い込む深呼吸 のもっと大きなもの、原初からの テーマ曲でもある DEAR NATURAL の 巨大な流れなのだ。般若心経で 空し。 、えま、それは空という言葉で歌詞より。 ・ (J)<OI—IO YOD ー >< ・地獄のツアーの真最中て、私はもう果てそう″】今日、京都ガら帰って、明日の朝には広島へ、その後は九州を回って大阪て扣ち止めなのです。 DISK 小嶋さちほ 0 / れ 0 れ [ 'tC
ライはうなずき、指を三本立てると、顔をそむけて、どっとよみ 自分の欲望を要求するというよりは懇願する態度をとっている。だ がえってきた思い出を断ち切ろうとした。今、子供たちが生きてい が、そんなことは問題ではない。生涯の重荷にくらべれば、ひとと てもみじめな育ちかたしかできないのだ、と自分に言い聞かせる。 きの快楽がなんだというのだ ? 建物の元の状態や、なぜ現在のような姿になったのか、正確な記憶 男に引き寄せられ、ライは一瞬その心地良さに身をゆだねた。い おす い匂いがするーー雄の、気持のいい匂い。ライはのろのろと体を離もないままに、子供たちは街の谷間を走りまわることになるだろ う。今の子供たちは燃料として木材を集めるように、本を集めてい ートメントに手を伸ばしる。追いっ追われっして通りを走りまわり、チンパンジーのような 男はため息をつき、グロー・フ・コン・ハ 鳴き声をあげている。子供たちに未来はない。あるのは現在だけ た。次になにが起こるか予測がっかず、ライは体をこわばらせた で、それがずっとつづくのだ。 が、男が取り出したのは小さな箱たった。箱に書いてある文字は、 男の手がライの肩にかかった。ライはくるりとふりむき、小さな ライにはなんの意味もない。男がシールを破り、ふたを開け、コン ドームを取り出すまで、ライには箱になにが入っているのか見当も箱を手探りし、もう一度愛をかわそうと男を燃えたたせた。忘我と つかなかった。男はライを見た。最初ライは仰天して目をそらした快楽。それを与えてくれるものは、これまでなにひとつなかった。 これまでの日々は、ある行為に向かって過ぎていく時間の流れでし が、次にくすくす笑いだした。こんなふうにくすくす笑ったのがい かなかった。ライはその行為を避けようと、家を出たのだ。口に銃 つのことだったか、思い出せないほどひさしぶりだった。 男はにやりと笑い、後部シートを手で示した。ライは声をだしてを突っこみ、引き金をひくという行為を避けようと。 ライは黒曜石に、家に来ていっしょに暮らす意志があるかどうか 笑った。十代の頃でさえ、ライは車の後部シートでいちゃっくのは きらいだった。しかし、人けのない道路と荒廃した建物を見まわすを尋ねた。 男は驚いたが、ライの質問を理解すると、喜んだ。たが、すぐに と、ライはいったん車から降りて後部に乗りこんだ。男はコンドー は応えようとしなかった。そしてついに、ライが恐れていたとお ムの装着をライにまかせたが、彼女の熱っぽさに驚いたようだ。 時が過ぎ、ふたりは衣服を着けて他人にもどるのがいやで、男のり、くびを横に振った。警官ごっこをして女を拾う暮らしを、充分 ーをかぶっていっしょにすわっていた。男はあかんぼうを抱に楽しんでいるからだろう。 がっかりして黙って服を着たが、ライは男を怒る気にはなれなか いて揺するまねをすると、尋ねるようにライを見た。 ライは唾をのみこみ、くびを横に振った。子供たちが死んでしまった。おそらく男には妻も家もあるのだろう。ありそうなことだ。 例の疫病の症状は女よりも男の方がひどかった。男の方が多く死ん ったことを、どういうふうに伝えればいいのか、わからない。 だし、生き残った男たちも、女よりずっと後遺症がはなはだしかっ 7 男はライの手を取り、掌のひらにひとさし指で十字を描き、ふた た。黒曜石のような男はめったにいない。女たちは劣った男でがま たびあかん・ほうを抱くしぐさをした。に
んだ」 「でも、こわいのよ、わたし。どうすればい、 しの ? まるで、そば病気欠勤の電話を入れようかとも思ったが、家にいてアニーのこ にいてほしくないみたいじゃないの」 とやテレーズのことを考えるのは、この上なくみじめだとわかって 「きみは・ほくを責めてばかりいるじゃないか」 いた。自分のことを考えるのは、それ以上につらい ダグラスは立ちあがると、自分の食器を流しへ運んだ。 仕事着に着替えはしたが、朝食をとる気にはなれなかった。冴え テレーズは、のろのろと彼のうもろから皿を持ってついてきた。 ない顔色を自覚して、背すじをしゃんと伸ばしてみたが、学校まで 「あなたを理解したいのよ。あなたの人生はわたしのものでもあるきて車を下りたときには、またうなだれてしまっていた。 んだから」 びくびくしながらオフィスの中に入った。秘書が目をぎよろりと ダグラスは黙っていた。テレーズは、だれかから足音を残すなと上に向けて、彼に訴えた。 いわれたかのように、ひっそりと歩み去った。 「だれかがまたここの電話番号をもらしたんですよ」そういうそば ・ハスルームで服を脱ぎすてると、彼は長いことシャワーの下に立から電話が鳴った。もうひとつの電話はふさがっていた。「けさは ちつくした。アニーの匂いがしみこんでいるように思えた。テレー 男がびとり、窓のところに立って、わたしをのぞいてました。おじ ズはこの匂いに気づいたのだろうか。 いちゃんが追いだしてくれるまでずっと」 おれはなんてことをしてしまったんだ。なんてことを : ダグラスは頭を振って同情を示し、オランウータンの部屋へ向か 彼がシャワーを浴びおわって出てくると、テレーズはいなくなっ った。また、いやな気分になってきた。 ていた。 ヴァーノンはタイ。フライターに向かっていた。おそらく、自分の サイオン ジョーン・・ヴィンジ 宇野利泰訳 おれの名はキャット。物語は、おれが公安警察局留置センターから追いだされた ところから始まる。《超能力開発プロジェクト》に志願すれば、仮釈放してやる といわれたのだ。どうやらおれはサイオン、テレバシーの潜在能力を持っサイ能 力者らし、 ・ : 女流作家が華麗に綴る傑作 したかうまい話には裏があった・ 定価 580 円 ハヤカワ文庫 SF
愛の名のとに、グレースは彼を憎みきっている。 るあまり、今やグレースは異常なまでの。ハワーを発揮している。自 そう、彼は、はるか昔、クローゼットでグレースを強姦した男と分とゲイ = の秘密を直視するくらいなら、みんなを殺してしまおう そっくりなのだ。その男の顔は、彼女の記憶から消えている。きれとしているのだ。ジョーンはそれをはっきり悟った。 怒りに燃え、グレースはファイファ ] に襲いかかった。殺意のか いさつばり拭い取られていた。だが、最初にゲイ工と会ったとき、 彼女は衝撃を受けた。強く魅かれたが、同時に反撥もした。その男たまりになっている。ジョーンをつれてきたことがいけないという を愛したのだ。 のだ。ジョーンは押しつぶされるような苦痛を感じた。グレースの 心の泥に生き埋めにされているようだった。早くその思考から離れ ジョーンを通じて、ファイファーはゲイエの手札を見た。二の力なければ。さもないと、自分の思考がそれに絡みあい、同化してし まう。 ートが一枚と、クラ・フの六。コールしてもよかったが、二のほうが まだ少しはっきりしなかった。ハ ートのように見えるが、ダイヤか ジョーンは、血に飢えたグレースの欲望 : : : ファイファーへの殺 もしれない。もし間違えたら、このゲームを取られ、心臓まで取ら意を、ひしひしと感じた。 れてしまう。 グレースは思念でファイファーを捕え、黒く細い糸でがんじがら 「よく見えないんだ」援助を期待して、ファイファ 1 はジョーンにめにした。白想を使おうがどうしようが、もう逃れられなかった。 っこ 0 . しュ / 蜘蛛のように暗黒の糸で獲物をつつんだグレースは、相手の心理 だが、ジョーンは窮地に立たされていた。グレースに発見された的な弱点をさがした。何でもいい、とにかく傷を見つけるのだ。そ のだ。しかも、グレースの力は、予想以上に強力だった。ジョーン う、脳の中に、破裂しそうな血管でもあれば : は、グレースの中に閉じ込められ、自分が見つけた事実を相手に突 きつけようとした。が、グレースはそれを正視できず、否定した。 ジョーンは、激痛から、自分を押しつぶそうとしているコンクリ そして、噛みついてきた。 ートの重みから逃れようとした。思考にも質量があるのだろうか。 その瞬間、ジョーンは、自分がグレースと同化したのを感じた。皮肉なことに、彼女はそう思った。まもなく死のうとしている人間 二つの魂と二つの自我が白熱を発して一つになり、グレースの痛みが、そんな馬鹿なことを考えるなんて。そのとき、昔、父親から聞 と、胸苦しい記憶の重圧が彼女にのしかかった。だが、グレースとかされた話が、ふと記憶によみがえった。ユダヤ教の律法博士が死 ミニャン 完全に融合する前に、ジョーンは身を引き離した。これは生きるか にかけている。まわりでは、礼拝者が集まって祈りをささげてい 死ぬかの闘いなのだ。彼女は悲鳴を上げ、ゲームマスターに中止を た。律法博士は、その連中を腹立たしく思った。というのも、博士 求めた。が、グレースはただちにゲームマスターの心に入り、彼まは、外で人のをしている洗濯女たちの話を聞きたかったからだ。 でも手中におさめた。ジョーンの絶叫はとどかなかった。必死になずっとあとになって、父は、あれはユダヤ教の話ではなく、仏教の
さまじい恐怖を感じ取った。 傷しようとする相手が要注意だった。 ワイト・ / イス 「やめろ、おれの心をファックするのは ! 」胸の悪くなるようなお彼はこの状態を、白色雑音にひっかけて、白想と呼ぶことに ぞましいイメージを何百も放射しながら、ファイファーは叫んだ。 している。 そして、いきなりジョーンの防御を突き破ると、彼女の心の奥深い ファイファーは、自分のまわりをジョーンが風のように旋回する ところになだれ込んだ。相手の急所を見つけたファイファーは、貪のを感じた。すべてを隠すのは無理だが、自分の姿を彼女に見せな 欲にそれをむさぼった。 いようにすることはできる。彼女を利用するのだ。逆に、ジョーン やがてサイ連結は切られた。そのあと、本物のゲームが始まっ のほうも、彼を利用することができる : : : すでにわかったように。 た。まるで、何事もなかったかのように。 二人は、おたがいの弱味を握り、協調できるようになっていた。さ つきためしに接続をしてみたとき、彼女はファイファーの心に押し 同じようなフードつきの仮面をかぶった男と女が、ジョーンとフ入った。びつくりして、ファイファーも相手を攻撃した。 アイファーの正面にすわっていた。仕切り壁が引きあけられ、ゲー こうして二人はおたがいへの理解を深めたのだ。 ム台は完全な楕円型になり、木張りの部屋は二倍の広さになった。 二人は単純なシンポルを構築した。彼は一つの世界の中に入って ディーラーとゲームマスターは、細長いテー・フルの両側、対戦者の いる。神がみずからの手で創った傷一つない球体。人の思考のよう あいだに、向かいあってすわっている。ディーラーは、まっすぐな に堅牢で神聖な世界。その世界の大気がジョーンだった。のつべり 髪を肩のところで切り揃えた、思いつめたような表情の、丸っこい した地表には存在できない要素が、そこにはすべて取り込まれてい 顔の若者だった。おそらく、ゲームマスターになる修業の一環としる。彼の世界を守る外套がジョーンなのだ。 て、今の役目をおおせつかったのだろう。 二人は隠れるための記憶の巣をつくったが、おたがいに対しては ゲームマスターの顔は、黒いフードで隠されていた。サイ連結で無防備なままだった。しかし、ファイファーの見たところ、ジョー ゲームに入ってくるためだ。ゲームマスターはルールを説明して、 ンは受け身のままでいてくれそうだ これまでずっとそうしてき サイコンダクターを作動させた。い よいよ始まりだ。ジョーンとフ たように。しかも、彼女の中には謎めいた自由主義者の申し分のな アイファーはふたたび連結されたが、今のところ、テーゾルの向こ い良心があり、彼女はその自由主義者に恋をしている。ファイファ うの男女との接触はなかった。 ーはそれを見たーー少なくとも見たような気がした。 ファイファーは、レーザーの前に立っときや、インタビ、ーを始この女ならおれを危険にさらすことはないだろう。、 めるときのように、心の雑念を追い払った。自分の思っていること ファイファーは冷静な自分を賛美し、その冷静さをさらに確固た を隠す訓練はできている。というのも、四六時中、心の中を覗かれるものにした。ジョーンがそばにいるせいかもしれない。記憶の巣 る心配があったからだ。中でも、政治的やり方で、仕事中の彼を中をつくったのがよかったのか。いや、そうじゃない .o 意志の力なの ワイト・ソート
秘密通信扱い指定はいわば人々の習慣のようになっている。現物送邦経営機構の許可のもと司政官の命令で、司政機構を経由するすべ りの信書をわざわざ開封して検閲するのは論外だけれども、星間搬ての通信をチ = ックすることもあり得るだろうが : : : それはよほど 送方式などになると、そのままではいやでもいくつかのチェック機の、タトラデン世界そのものの存否にかかわるような場合の話であ 構を通過し、内容を読み取られることになる。指定をすることにより、そんな状況はまず考えられないのであった ) だから司政官への って、チ = ック機構経由を免れることになるのであった。もっとも手紙であっても、差出人が秘密通信扱いを指定していれば、中味を : 非常の場合などには、いくら指定があっても検閲されることに チェックされることなく届くわけなのだ。 なるであろうが、ふだんはそれで信書の秘密を保持できるのであ にもかかわらず、メルニアはその指定をしなかったのである。 る。 これはーーーと、彼は奇妙な気がし、しかしすぐに推測した。 ま、秘密通信扱いでないとしても、おびただしい数の送受信を処彼自身、メル = アに手紙を出したさい、そんな指定はしなかった 理している星間搬送機構が、自動的に読み取り記録にとどめたとしのだ。を経由して送り出したのである。に内容を知ら ても、問題のない限りごく短期間に記録は消去されるであろうかれずに出そうとすればできたけれども、変に秘密にすればの ら、大差はないともいえるわけだが : : : キタにとってみれば、秘密不信や疑惑を招くおそれがあると考えて、隠し立てめいた真似はし 通信扱いの指定がないために、タトラデンのが手紙の内容をなかったのだ。また、隠し立てしなければならぬ内容でもなかっ チェックし記録しているという、そのことが重要なのであった。 01 は、すでにこの手紙の内容を知っているのだ。 メルニアは、彼のその手紙を受けとり、即座に事情を察して了解 頭の回転が速い上に、待命司政官として、植民 本来、植民世界司政機構の中枢であるは、外来のすべてのしたのに相違ない。 通信をチェックしても不思議ではない。 ; カ : : : 植民世界の面倒を見世界の担当司政官との関係も学んだり耳にしたりしている彼 るサービス機能のひとっとして、人々の通信を扱うさい、個人間の女のことだ。自分も手紙を出すとしたら、同じゃりかたでなければ 信書全部を調べたりすれば当然問題がおこるわけで、従ってここでならない、タトラデンのに対してキタのマイナスになるよう も秘密通信扱い指定のあったものは、チェック機構を経ないような なことはすべきでない、と、思ったのではあるまいか。きっとそう システムが作られたのだ。これは【夕トラデン内だけのことではな だ。というより、その他に理由がないのであった。 く、タトラデンの外部からの送受信も同様であった。 ( もしも外の しかし : : : 自分の行為には理屈をつけ気を遣っている癖に、他人 世界からの、あるいは外の世界への送受信がことごとくチ = ックさの、それもメル = アが自分と同じことをしたのを少しの間にせよ不 れていたら、第四五星区の・フロック化も進行しなかったたろうし、 思議がるなんて、どうやら自分はだいぶ自己中心的な感覚になりか 進行するとしても別のかたちになっていたのではあるまいか ? なけていたのではあるまいかーー - 、と、彼は内心苦笑した。 るほどは、タトラデンが非常事態におちいったときには、連気をつけなければならない。 こ 0 っ一
「西カラザの町はずれです。ここまで・は、″鏡″を抜けてきた。し待っている」 かし、今また鏡を妄想すると、気配を奴等に悟られてしまうーーー」 、カ 彼女は、無事なのか ? 元気なのか 「″奴等〃というのはーーーあの、白軍のーーー」 「そうです。王子たちです。恐ろしい相手でした。もう少しで、彼「ポーンの無事も確認できました。しかし、今は、彼を探している 等の罠にはまるところだった」 余裕がない。大丈夫ーー彼なら、自分を、自分のカでどうにでもで ・ホーンも・ : つまり、彼も逃げのびたんだね ? 」 「あの部屋そのものが、反在士を無力にするための、言えば魔鏡の 「ええ。そして、恐らく この町のどこかに身を濳めているはす 役割を果たしていたんです」 「あの : : : 白い部屋が : です。その気配を、わたしは、感じる : : : 」 「あの、白い、影を放逐した部屋こそは、妄想を拡散、蒸発させて「気配・ : 「そうです」 しまうための一種の装置だったんです。そうに違いない。そして、 ライオンカ わたしがそこに出現しようとした刹那ーーその中を暗転させて、わ ・、、はっきりと答えた。 たしを、わたし自身の妄想の中に閉じ込めてしまおうとしたんで 「反在士どうしの、直感ですーー」 「なんと・ : ・ : 」 「さあーーー急いで ! 我々がこの町へ抜けてきたことは、当然、あ ライオンはさらに足早に、リョン・オイゲルを導いて、先へと進の王子たちに悟られてしまっているはずだ。すでに、全軍に動員の む。 命令が下ったと思える。非常警戒に引っかかる前に、テル、、 1 ・フと合流しなくてはーーー」 「ーーしかし、あの闇が、結果的には、わたしを救った。あの闇の おかげで、わたしはわたし自身の意識を遮断できた。意識を混濁さ「ーーーしかし : : : なぜ : : : あの王子たちが、我々の行方を察知でき せ、それを自らの夢界へと追いやった。そして、その中で、夢想とるんだ ? 」 しての鏡面を妄想したんです」 「彼等こそは、純粋な鏡人ーー実体を持たぬ鏡界の生き物です。自 「 : : : そして、わたしを ? 」 分たちが、そのことに気付いているかどうかは : : ともかく、彼等 にとっては、鏡の世界こそが自分たちの宇宙と言える。そこで生起 「そうです。その鏡面を通って、あなたをここへ連れだしたーー」 「ー・、・・で、どこへ行くんだ : : : 我々は、どこへ向かっているんだすることの全てを、知ろうとするなら、彼等は知ることができるは 「すぐです。この先の廃屋に隠れて、テル ミ・ファープが、我々を「鏡界の , : : : 生き物・ : : ・だとしたらーー」 5 5