思想 - みる会図書館


検索対象: 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義
306件見つかりました。

1. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

以て打破するを得べし。而しながら彼等は加工論なる者に殘りて對抗を試む。印ち今日の土地の 蓮弱なる加工説 上に加へたる長き間の勤勞と云ふとなり。而しながら斯る薄弱なる議論は共の所謂加工なるもの ゝ部落共有の占有に係る土地に對しての小作權に過ぎざりしとを忘却せるものにして、且っ著述家が畢世の心血を 濺ぎて書ける版權にしてすら時效によりて消滅するを知らざるものなり。土地の表面の一呎を攪亂せるに過ぎざる 僅少なる加工が如何にして天室より地軸に達するまでの所有權を確定し得るか、又數百年の後に至るも連綿として 時效の來ること無きを得るか。資本家の藏する應擧の畫幅に拙劣なる畫工が一抹の白墨を塗抹し是れ余が加工なり と云はゞ資本家は畫工の所有權に服從するか、此の地球は地主の奇蹟によりて六日間に創造せられたる者にあらざ るなり。 個人主義時代の而しながら吾人は斷言す、斯る議論は等しく共に個人主義時代の根據なき思辨的獨斷の權利論 獨斷的權利 なりと。權利とは社會關係なり、社會と社會との間、若しくは社會の會員と會員との間に於ける 意志の發動すべき限定されたる境界なり。人類と祚との間は宗敎が支配し、人類と他動物との間は生物學が支配す。 故に人類社會の關係たる權利の説明に於て、或は訷を雲間より引き卸して天賦の權利を唱ふる如き、或は人類は生 個人主義の權利の理想は形式に於て物なるが故に生存の權利ありと云ふが如きは、共の形式に於て社會主義の理想 似たるも社會主義と混同すべからすに類似せりと雖も全く個人主義時代の革命論なり。 ( 今日社會主義者に混ぜる 個人主義の革命論者は荷斯る權利論を爲す ) 。故に吾人は個人的生産時代の權利思想を以て現制度を辯護せんとす るものに向っては上述の如く共等の諸説の却て、そが嘗て貴族國に爲せし如く此の經濟的貴族國の根據を覆へすに 至るべきことを指示すと雖も、眞理によりてのみ言動すべき社會主義は誤れる個人主義時代の天賦人權論的思想に よりて社會の所有權を建設せんとするものにあらず。印ち此の經濟的貴族國に對しては社會主義も個人主義も共に 同一なる側に立つべきものなりと雖も、社會主義は社會主義にして根據なき個人主義とは同一視さるべからず。故 個人主義の法理學は亦其の經濟に個人主義の經濟學が再び繰り返へさるべき革命黨たるの外なき如く、此の權利 學の如く現社會の辯護にあらす論の問題に於ても個人主義の法理學は經濟的貴族國に對して辯護者たるべきもの

2. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

アリストーツルの國家して第三期の進化たりと考へらるべし。日本國も亦等しく國家にして古代より歴史の潮流 三分類を進化的に見よに從ひて進化し來りたる國家なるが故に、如何に他の國家と隔離せられたることに由りて 進化の程度に多少の遲速ありしとするも、獨り全く國家學の原理を離るゝ者に非らず。日本民族は原始的共和平等 の時代を他の國土に於て經過し巳に農業時代にまで進化せる家族團體として移住し來れるものなるを以て、固より 後世より謚名せられたる意義の天皇に非らざりしは論なしと雖も、家長國體及び君主政體の萌芽として來れること は最古の記録を悉く沒意義の者とせざる限り充分に想像せらるべし。而して共の人口の繁殖と共に當時の社會組織 に於て骨格たりし族制の混亂を來し、且っ皇族と併行し發達せる大族が共の家族奴隷の團結的強力を負ひて他の大 族たる皇族と封抗するに至るや、に皇族中の智識ある革命家によりて理想的國家の夢想的計畫となりーー恰も新 開國に於て空想的社會主義の屡々實現を試みられたる如く 國家主權の公民國體と共の機關としての君主専制政 體とが夢想せられたり。 而しながら斯る未開なる時代に於て理想國の單に理想たりしは論なく、理想の實現は遠き 後の維新革命に於てせられ、事實に於て建設せられたる者は君主々權の家長國にして中世史を終るまでの長き時日 は凡て家長君主としての天皇なりき。而して他に無數の群雄と名けられ諸侯將軍と呼ばるゝ家長君主ありて相抗爭 したりき。只、共の藤原氏時代の終るまでは天皇は日本全土と全人民とを『大御寶』として所有する家長君主とし て、例へ事實上は攝政關白の専横ありしと雖も、又例へ事實上は統治權の行使されたる所が近畿地方の狹小なる區 日本史に於ける君主國劃たるに過ぎざりしと雖も、天皇が唯一の君主として唯一の政權者たりしことは法律上疑 貴族國民主國の三時代ひなき所の者なりき。是れ政權の一人に覺醒したる進化の第一期なり。而して國司の土着、 土豪の發達より天皇の外に更に多くの家長君主を生じ以て維新の公民國家に至る迄の中世史を綴りたりき。彼の歐 州中世史の羅馬法王、聖皇帝、國王貴族の重複錯雜して最高の統治權、印ち主權を爭へるは、固より今日の統治 權に非らず今日の政權者に非らずと雖も、皇帝國王貴族の各々が國土及び人民の所有者としての統治權を有し、共 の統治權を相績遺言贈與結婚等によりて伸縮得喪し、國家を所有權の客體として取扱ひ各々の者が統治權の主體と して共等の階級に政權が覺醒したりしが如く、日本に於ても皇室は訷道的信仰の上に「祚道の羅馬法王』として統

3. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

歴史ーー・日本の土地蒹併は資本の侵略なりーーエ業革命の日本ーー。賃銀奴隷間の餓鬼逾的 競爭ーーー經済的群雄の元龜天正ーー恐惶ーー企業家の所謂「自己の責任」ーー、恐惶を負擔 するものは蚕社會なり 經濟的元龜天正はツラストの經済的封建制度に至る ッラス トの物價低落は經済的兵火なきが故に事實なり ッラストの誅求苛斂は野建なるが故に 亦事實なり 封建時代の百姓一とッラストに對する同盟罷工。ーー亶買關係の私法にあ らず公法の統治關係となるーーー經濟的封建制度は經濟史の完結にあらずーー・革命の發火點 は權利思想の變遷にあり 社會主義は權利論ー こよりて立っーー個入生義の掠奪せる所有 權沖聖の金冠ーーー權利思想の變遷ーー、腕力は所有權を確定すと云へる占有論の古代思想ー ー占有の國王貴族を顛覆せる勞働ーーー社會生義は社會の所有權聖を生張すーーー資本家 の機械占有と往年の奴隷占有。ーー機械は死せる祖先の靈魂が子孫の慈愛のために勞働すー ーリカードの不備の點と地代則の説明ーーー地代は人口幇加の結果なり 都會地の地代は 社會文明の賜なり 無數の土地所有權辯護論ーー薄弱なる加工ーー・個人主義時代の獨 斷的權利論ーー個人主義の權利の理想は形式に於て似たるも社會主義と混同すべからずー ー個人主義の法理學は亦共の經濟學の如く現社會の辯護にあらずーー。權利とは社會生存の 目的に適合する社會關係の規定なり 社會の利谷印ち權利にして正義なり 經濟的貴族國の實に此の經濟的貴族國に對しては貴族主義を主張するものに非ざるよりは、如何なる者と雖も 歴史的考察打破の外なきを認むべし。而して科學的社會主義は凡ての社會的諸科學の原理に立ちて根本的革 命を主張するものなり。故に社會主義は此の經濟的貴族國につきて歴史的智識を要す。如何にして革命せられたる 封建の敗墟の上に更に革命を繰り返へすべき經濟的貴族國の建設さるゝに至りしか。 此の詭明は「資本』と『土地」との解釋なり。然るに下等なる物質を以て組織されたる頭腦の學者は経濟的貴族 國の城廓たる資本の詭明に於て今荷勤儉貯蓄の結果なりと云ひて甘んず。斯る學者は貧困に生るれば天理敎を信じ 狐狸を禮拜して世を終るべき憐れなる天賦の爲めに、經濟史の進行に置き去られて一世紀前の智識に止まる者なり。 彼等は個人的生産時代の智識を以て社會的生産の現代を解釋せんとする者なり。而しながら彼等は己に充分に 4

4. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

大臣責任論を充してビ = ロー伯の名が甚だびゅろうたる共れの音響に似たるが故に外交の失策と等しく内閣大臣 問題は何が故に脱糞放屁を恥辱の放屁たる可と雖も、問題は何が故に獨乙皇帝自身が共の責任を負擔するを囘避 と感ずるかの理由の根本に存すして禪聖不可侵權を振ふかに在り。又、この書が御婦人諸君の手に上りたる時社 會主義者にもあるまじき女權の蹂躙なりとして攻繋さるべし。而しながら問題は女權論を主張する所の女學生等が 共口に送る燒芋は憚らず之を横町に求むるに係らず海老茶袴とやらんを掲げてのポテトーは嘗て解せざるかの如き 眺めを以て大道を濶歩するこの理由に在り。西洋の貴婦人が便所に出入するは親子兄弟の間にも知れざる一個の祕 密なりと云ふ、問題は何が故に祕密にせざる可らざるかの理由に在り。吾人が斯る問題に筆を染めたるは醫學者が 共の指頭を以て糞尿を攪亂するが如く科學的研究として些の恥辱に非らず。而しながら間題は何が故に糞尿を恥辱 となしつゝあるかの人類の現實に在り。而して共の恥辱と感ずる程度の小兄よりも成人に甚しく、野蠻人よりも文 明人に甚しき感情の進化に在り。吾人は斷言す、是れ理想に對して現實の到らざるを、印ち高き現實を望みて未だ 更に其れを恥辱すること小兒よりも大人に野蠻人低き現實を脱却する能はざるよりの感情なりと。目的論の哲學と 章 よりも文明人に甚しきに感情の進化が問題なり 八 生物進化論とはこの感情に詭明を與ふ。人類は進化的生物なり、 理想に到達せんとする目的の爲めに常に現實を脱却せんと努力して止まざる字宙の顯現なり。若し字宙にして進化 哲の目的無く、人類にして進化的生物に非らずとせば、決して排泄作用をなさざる所の祚若くは天女を理想に畫くべき 社目的論の哲學と生物進理由なく、從て共の理想と現實との甚しく懸隔せる脱糞放屁を恥づるの理由なし。恥辱の 化論は凡ての説明なり感情は理想に對照されたる現實の不滿なり。吾人は自己の道德につきて無數の恥辱を感じ こっきて無限の恥辱を感ず。印ち吾人が共善ならざるを恥辱とし眞ならざるを恥辱とするは、共の道德 進自己の智識こ 的理想若しくは智識的理想に對照して、共の遙かに及ばざる不善無智の現實を恥づるなり。吾人がソクラテスを 理想とする時共の哲學史の源泉をなせる眞と毒盃の全身に廻はるまで靈魂の不死を論きし善とに對照して誠に至ら 參凡て眞善美に係はる恥辱の感情は理ざる現實を恥づ。吾人がワシントンを思ひリンコルンを思ふときに共善を理想 想に對照されたる現の不滿なりとして到らざる現實を恥ち、マークスを思ひル 1 ソーを思ふときに共眞を理想 1 一口

5. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

勢力たらば社會が主權の主體たるべく、君主固有の力なりとせば君主の死と共に死すべし。 この相對抗しつゝ ある法律學界の二大思潮を同時に窃取すとは如何にすとも考ふべからず、吾人は僅かに兩頭の怪物を想像して思考 し得たり。上智と下愚の移らずと云ふは上智は自己の智なることを知るの智識を有し、下愚は自己の愚なることを 知るの智識すらも有せざることを意味す。穗積榑士は固より自己の愚なることを知るの智識を有するものにあらず と雖も、自己の智なることを知るの智識を有するを以て吾人は共の何れなるかを知る能はず。而しながら斯る兩頭 の怪物が帝國大學の講壇を獨占するが故に ( 而して近時大學の訷聖を唱へたりと云ふが故に、呵々 ) 、大學卒業生 なる者が嘲笑の材料とせられ、更に大日本帝國の意志を表白する重大の機關たるべき司法行政の登龍門に立ち塞が れるが爲めに思想の獨立を無上の權威とする少壯學者にして實に韓信の忍耐を以て彼の跨下を匍匐して過ぐるの外 章なきなり。土人部落ならずんば斯る兩頭の怪物なし。 十有賀博士と穗積重ねて謝す、吾人の有賀博士と穗積博士とを對抗せしめたるは決して盲者を衝突に導きて傍よ 第博士の衝突り嘲笑する頑童の悪戲を爲したるものにあらず。賴山陽日本外史の苦心焉そ彼等の諒察し得る所 義ならんや。 中世史の天皇の意義につきては有然らば、日本中世史の天皇は「訷道の羅馬法王』たる以外何等の一意義を有せざ 復賀博士も穗積博士も共に誤謬なりりしゃ。否、吾人は信ず、天皇はそれ以外に幕府諸侯と等しき統治權を有し、只 論強力に於て劣りしのみと。印ち、有賀榑士の統治權委任論の如く幕府諸侯が共の所有の土地人「民」の上に統治權 國を有したるは天皇の委任による統治權の用にあらずして各々統治權者たりと云ふことなり。穗積榑士の主權本質論 籬の如く他の強力に壓伏せられたることありと雖も維新以前の天皇は共の内容の凡てを幕府に奪はれて幕府のみが日 本の統治者なりしと云ふものにあらず、將軍諸侯天皇の各々凡てが統治者たりしと云ふことなり。 四 吾人が國體の進化的分類と云ふ主張はに在り。印ち、維新革命以前の國家は『家長國」と云ふ別種の國體にし 第 て必ずしも一國一主權にあらず、多くの統治者が共所有内の國土及び人民を自己の利益と目的との爲に私有財産と

6. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

するに至りしのみ。社會の進化は階級競爭の外に國家競爭あり。プラトーは土地國有論を共の否認さるべき國家の 2 「國家の外に在るものは神爲めに唱〈しか ! 萬國社會黨員の凡てよ。『國家の外に在るものは耐か然らざれば か然らざれば禽獸なり」禽獸なり』と云へるプ一フトーの言が、凡ての思想も道德も人種民族も悉く社會的作成 なりとする今日の科學的社會主義と合致すゑとを否定せざるならばーー何ぞ國家を否定し國家競爭を否定するや。 萬國社會黨員は悉く訷か然らざれば悉く禽獸ならざるべからず。ュト。ヒア的世界主義を以て原始的共和平等の世を 訷の鄕なりとしつゝあるトルストイは若年の時交接作用をなし今日荷天下に向って交接作用を止めよと云はざるを ベル君は排泄作用を餘儀なくせられつゝあるが故に決して訷にあら 獨乙皇帝と等しくべー 以て訷にあらざる如く、 乍ず。人類はこの交接作用と排泄作用と無き訷に到達せんが爲めに禽獸の如く個 國家競爭の現實なることは尚排泄イ 用と交接作用との現實なるが如し々に存在せずしてプ一フトーの言へる國家に在るものなり。 ( 『生物進化論と社會 哲學』に於て人類今後の進化の理想鄕を論じたるを見よ ) 。巳に國家に在り、國家競爭なからんや。固より國家競 爭の現實は速かに脱却せざるべからず、而しながら未だ脱却する能はざる現實たるこに於て排泄作用と交接作用と の止むべからざると同一なり。凡ては社會的作成なり。故に階級的道德、階級的智識、階級的容貌によりて今日階 級鬪爭の行はれつゝある如く、階級間の隔絶より甚しく同化作用に困難なる今日の國家間に於ては國家的道德國家 階級的作成と國的智識國家的容貌の爲めに行はるゝ國家競爭を避くる能はず。社會民主々義は階級競爭と共に國 家的作成 家競爭の絶滅すべきを理想としつゝあるものなり。而しながら現實の國家として物質的保護の平 等と精訷的開發の普及となきを以て、社會主義の名に於て階級鬪爭が戰はれつゝある如く ( 『社會主義の倫理的理 想』及び「生物進化論と社會哲學」を見よ ) 、經濟的境遇の甚しき相違と精的生活の絶大なる變異とが世界聯邦の 實現と及び世界的言語 ( 例へばエス・ヘ一フントの如き ) とによりて掃蕩されざる間、社會主義の名に於て國家競爭を 汝國外の人種民族に 無視する能はず。著しく卓越せる者に非らざるよりは階級的眞善美より超越する能はざるロく、 個人の世界に對する關係は階級接すること少なく又外國の言語思想を解せざる一般の國民に取りては國家的道德 と國家とを逋じての關係なり 智識容貌の外に出づる能はざるなり。印ち個人の世界に對する關係は階級と國家

7. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

用せしを以て ) 、孟子の政治學を民主々義と命名することは吾人の固より主張せんと欲する所なり ( 「所謂國體論の 復古的革命主義』を見よ ) 。而しながら、多くの學者が今荷思想の中樞となしつゝある個人主義の法理學の如く、 君主々義と云ふを以て近代の君主にも主權ありとし民主々義と云ふを以て亦個々たる國民が主權體なりとなし、甚 しきは單に治者の數の一人なるか多數なるかによりてアリストーツルの如く君主々義と云ひ民主々義と云ふならば、 孟子の政治學は一人専制の組織より外に考へ及ばせしことなきを以て彼れを此の一意味に於て民主々義と云ふは明ら 孟子は國家主權論者にして最高機關をかに謬れり。故に吾人は先きの法理論に於て論けるに當て箝めて下の如く孟 一人の特權者にて組織すべきを云へり子を考ふ、ーー孟子は國家の倫理的目的を認め政權者の行動は國家の利益を中 心とする倫理的行爲たるべく此の機關たる地位を逸出するときには服從の義務なき一夫紂となると云ふ黷に於て國 家主權論者なり。而して最高機關を一人の特權者にて組織し共の内心の政治道德に依賴して國家の意志たる所を表 白すと云ふ黷に於て吾人が政體の三大分類として掲げたる第一の者なり。大化の理想は是れにして、維新革命より 章明治二十三年までは孟子の政治的理想が全部實現せられたる者なり。而しながら明治二十三年の帝國憲法以後は國 家が共の主權の發動によりて最高機關の組織を變更し天皇と帝國議會とによりて組織し、以て『統治者』とは國家 十 第 今日孟子の如く天皇にのみ社會の特權ある一分子と他の多くの分子との意志の合致せる一團となれり。從て啓蒙 動民主々義を説くべからざる理由運動以外は法律的實現の上に於ても亦孟子の如く天皇をのみ社會民主々義者たら しめて足れりとする能はず、資本家地主等が上下の議院に據りて天皇の社會民主々義を實現せざらしむる法理的可 能を豫想せざるべかず。 生實に、孟子の國家主權論を唱へたるは政治的動物の本能よりして直覺的に國家の實在と目的とを知り、共れより 社して演繹的に君主に對する見解が君主機關論となりたるに似たり。佛蘭西革命前後の契約以前の個人は主權體たり 編多數政治の意味に於けるしと云ふ意味の民主 ~ 義、若しくは希臘哲學者の云 ~ る多數政治の一意味の民主政體は、 五民主的政體と政治的槓杆國家の目的に適合する國家の一意志を完全に表白する唯一の方法たる、『投票による多數 決』の發見されざる不幸なる國民に夢想さるべきにあらず。設票による多數決と云ふ方法によりて國家の一意志を表 419

8. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

「國體論』の如く亂臣賊子とは義時と奪氏とのみに 非戰論者の日露戰爭論謂社會主義者なるものに告げん。 は國體論式の論理なりして天皇の軍を敗りたる數十萬人は天皇の忠臣義士なりと云ふことの笑ふべきと同様に、 日露戰爭は三井岩崎と乃木東鄕との爲めに戰はれて四千五百萬人は餘儀なく開戰論を唱へ突盤隊となり決死隊とな りしと云ふことは、依然たる國體論式の論理なりと。 尊王攘夷論と國家の天則に不用と誤謬となし。奪王攘夷論は實に國家と云ふ人格が共の權威を野蠻なる形に於 覺醒せる中世的自由て主張し始めたるものなり。個人が共の權威に覺醒せるときに戰士となりて他の個人の上 に自己の權威を加へんとする如く、君主等の所有權の下より脱したる國家は共の實在の人格たる權威に覺醒したる 結果、他の國家の權威を無視して自己の共れを共の上に振はんとす。 , ・ー・帝國主義と云ふもの是れなり。天則に不 國家主義なくし用と誤謬となし。社會主義は國家の權威を主張すべき點に於て明らかに帝國主義の進化を繼承す。 て世界聯邦なし印ち個人の權威を主張する私有財産制の進化を承けずしては社會主義の經濟的自由平等なき如く、 國家の權威を主張する國家主義の進化を承けずしては萬國の自由平等を基礎する世界聯邦の社會主義なし。「帝國 主義」の最も始めの名はナポレオンの個人主義的世界主義に對して國家の權威を主張して叫ばれたる者なり。 社會主義者が却て個人主義的世界主義を取り資本家然るに何たる事ぞ、國家單位の世界主義を唱ふる社會民主々義 地主個人主義が却て國家を主張する帝國主義を取る者が今日飜て國家を否定し佛國革命の個人主義に擁せられたる ナポレオンの世界主義を取り、却て個人主義を執る所の資本家地主の階級が國家の權威を主張せる所の帝國主義を 掲げて立っとは ! あゝ思想界の大混戦の爲めに敵と味方とは共の旗幟を取り違へて立てつゝあり。個人主義なく 羅馬帚國はあり得べして全個人の權威の上に立てる社會主義なく、帝國主義なくして全國家の權威の上に築かる をも世界聯邦なしる世界聯邦の世界主義なし。故に凡ての個人が貴族君主の下に奴隷的服從を事とせし個人の 權威なき「平民」に社會民主々義が夢想なる如く、強力に仕ふるとを事として自國の國家的權威を解せざる國家の 瑞西は理想國に集合にては羅馬帝國はあり得べきも世界聯邦なし。この點に於て安部磯雄氏が共著『瑞西」を指 非らず して地上の理想國となし共の軍備の存するを遺憾なりとせしは論なく誤まる。彼の如く他の銑鎗

9. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

だっーー・現實と理想ーー卞等生物にては食物競爭の優者が同哮に雌雄競爭の優勝者たる 者多しーー入類に於て食物競爭の優勝者が雄雌競爭の優勝者たる過去及び現在ーーー臀下の 權利と男色奴隷ーー・積極的亶の男子階級ーー女子を購買するの權利と男子を購買するの 貧富同權論と云ふのみ 自由 : ー・男女同權論は私有財産制と共に實現せられたり 「」が結びの祺となれり 雌雄競爭によりて理想を實現すと云ふ理由ーー雌雄同數 ならざる下等動物の雌雄競爭と同數なる人類の進化ーー・家庭單位の食物競爭と理想の實現 に非らずして單に現實の承に止まる , ーー社會の進化と戀愛の理想の進化 , ーー現今の戀愛 の理想ーー理想の爲めに現實を犧牲とする下等生物ーー戀愛の理想の進化と自由戀愛論 舊思想の壓遉を排除すとの意味に於てする自由戀愛論ーー戀愛の自由は先天的に非ら ずーー・社會主義の自由戀愛論は革命の爲めに唱へらるーー詩人の直覺せる僥と戀の二大鉞 槌ーー戀の要求の最も充たされざる蟻蜂の社會 , ーー・全分子戀愛を要求する人類は全分子理 戀愛と平等主義 , ーー悲慘なる家庭論ーー金井博士の家庭論よりする 想を有する故なり 一般階級には再 社會主義の非難ーー私有財産制度は民主々義を確立し女子を開放せり 個人主義時代の男女 自由戀愛論と女權間題とは無關係なり び私有財産なくなれり 同權論の誤謬を纊承する所謂社會主義者ーー分化的進化をなせる個人としての男子と女子 とは同等にあらずーー自由戀愛論とは社會の全分子たる男女の理想とする所を自由に實現 經濟上の獨立による して社會を進化せしめんとする戀愛方面に於ける自由平等論なり 戀愛の自由 , ーー女學生の墮落とは女子の經濟的獨立による貞順の奴隷的義務の拒絶なり 鉉に於て當然の疑問は起らん。社會主義の世に於ては死刑による淘汰なく、腕力による淘汰、經濟上の競爭によ る淘汰なく、國家間人種間の戦爭による淘汰なし。然るを如何そ生存競爭によりて淘汰さるべき劣敗者と云ふやと。 社會主義の世に於て誠に然り、社會主義は社會の一分子たる個人の手に萬有進化の大權を掌握せしめ等しく分 固より生存競爭あり子たる所の他の個人の權威を蹂躙するの甚しき死刑淘汰の如き社會の進化を阻害する生存競 爭を廢滅せしめんとする者なり。高荷なる理想の實現に向って努力しつゝある經過的生物として食物競爭の爲めに 126

10. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

卑を定めたる如き依然として階級國家時代の系統主義なり。大寶令に於て官吏を任用するにも系統門閥によりて制 8 「を設けたるは如何に公民國家の計晝と背馳する思想なるかを見るべく、國家機關たる一切の官職が私有制度とし て系統門閥によりて定まり、重要なる官職は凡て藤原氏の私有なるは固より、法律は大江氏中原氏の家系の私有と し、漢學は菅原氏三善氏の私有としたるは、公民國家と云はんよりも疑ひなき家長國なりしなり。印ち、大化革命 の公民國家は明哲なる天智天皇のみの理想にして千三百年前の古代の社會に取りては未だ國家が國家自身の生存進 レバブリック 化の目的理想を有すと云ふ意識の覺醒せざるは論なく、恰もプ一フトーの理想國の如く古代に於て人類の政治的理想 として、プラトーの期待したる哲學者の君主によりて試みられたるに過ぎざるなり。 プラトーの理想國とプラトー の期待したる哲學者の君主大化革命「の」事實にせられたる部分は原始的宗敎の政々治の打破にして、凡て の理想は一千三百年の長き進化の後に於て漸く維新革命によりて實現せられたるなり。 實に公民國家の國體には、國家自身が生存進化の目的と理想とを有することを國家の分子が一意識するまでに社會 の進化なかるべからず。印ち國家の分子が自己を國家の部分として考へ、決して自己共者の利谷を終局目的として 他の分子を自己の手段として取扱ふべからずとするまでの道德的法律的進化なかるべからず。ー、ー法律的に云へば 一は君主 國家主權の國體は君主々權の時代より長き進化の後に於て國家主權の現代たる國家主義に至れるなり。 長を進化の後なり及び貴族 ( 印ち多くの君主等 ) の利己心の爲めに他の凡ての分子が犠牲として存すと云ふ點に 於て個人主義なり、他は凡ての國家機關が自己を社會の部分として社會の生存進化の目的の爲めに行動すと云ふ點 に於て社會主義なり。國家主義とは世界單位の大國家主義に至るべき地方單位の社會主義なり。 ( 吾人は故に國家 共者の否定を公言しつゝある社會主義者と稱する個人主義者は社會共者の否定に至る自殺論法として取らず ) 。而 してこの君主々義より國家主義に到逵する爲めには國家意識が社會の一分子若しくは少數分子に限らずして全分子 に擴張するとを要す。彼の『朕印ち國家なり』と云へるルイ十四世の言は之を社會全分子に國家一意識の擴張せし今 朕印ち國家なりとは法理上國家の一部分日に於て見れば誠に野蠻に驚かると雖も、朕印ち朕なりと云はんよりも大 なる君主が國家の全部なることを意味すなる進化なるは論なし。部ち、朕なる彼が瓧會の部分なることを先づ一意識