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検索対象: 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義
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1. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

謂ふ、理なり、義なり。聖人先づ我が心の同じく然る所を得たるのみ。故に理義の我が心を悅ばすは獪蒭豢の我が 口を悅ばすが如し』。聖人と我とを同類のものと云へるは實に平等論の根本主義を掲げたるものにして、全く類を 異にせる大馬の如くならば聖人なるものゝ社會に解せるべきの理なきを論じたる所、堂々として誠に古賢なるか な ! 而して現今の勞働者階級を論明して下の言あり。「餓ゑたる者は食を甘じ渇する者は飲を甘ず。是れ未だ飮 彼の説明せる下層階級食の正を得ざるものなり。饋渇の是れを害すればなり。豈に唯にロ腹に饋渇の害のみあら の道徳的低級の理由んや、人の心も亦皆害あり。人より饋渇の害を以て心の害をなすことなくんば印ち人に及 ばざるを憂へとなさず』。 實に、彼は社會進化の理想と理法とを素朴なる直覺的信念に於て把持したり。前途に理想を認め、而してその實 現さるべき理法を發見せるものは、決して公武合體論となり資本勞働の調和論となる能はざるなり。彼は最も急進 的根本的なる革命主義を掲げて天下を遊詭したり。『孟子性善を道ふ、言へば必ず堯舜を稱す』とあるもの、如何に 彼が社會主義の根本思想より一切の議論が口を衝て出で絲の如く演繹されしかを想望すべし。「性善』と『堯舜』 章 「性善」と「堯舜」とを掲とは今日の科學的社會主義の歸結と等しく、人性は社會的動物として社會的本能を有 十 第げたる急進的革命の意義すと云ふことゝ社會的動物として堯舜の原始時代は平和平等なりしと云ふことゝを直 動覺的に解したる者なり。彼はこの人性と社會との根本思想よりして今日の社會民主々義者の意氣を以て改良主義と 第云ひ調和主義と云ふものを徹頭より唾棄したり。「徒善は政をなすに足らず、徒法は以て自ら行ふ能はず』とはこ の の信念より迸れる喝破にして、子産が鄭國の首相たりしとき共の乘輿を以て人を湊淆に渡すや、 所謂慈善の嘲笑 義 「惠にして政を知らず。歳の十一月渡江成り十二月橋梁成る、民未だ渡るを病まず。君子その政 を平かせば行くには人を避けしむるも可なり。焉そ人に之を渡すを得ん。故に政をなすものは人毎に之を悅ばしめ 社 んとすれば日も亦足らず』と云ひしもの、共の君主國時代に入りて階級的臭氣の厭ふべきものありと堆も所謂「慈 五善制度』なるものが何の價値だもなきことを表はしたる者なり。而して彼は經濟的源泉の國有の爲めに、誠に根本 的急進的なる、恰も宮殿を毀て我れ三日にして建てんと言ひし基督の如くなりき。常に口を衝きて出づる『夫れ道 415

2. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

らかに法理學上の無效なりと雖も、共の良心の命ずる所によりて行動するならば共等より進化せる良心なりと雖も 進化せざる犯罪階級の良心と共に法理學上の犯罪なるは論なし。而しながら斯くの如きは法理學上の思辨に過ぎず して人の内心に立ち入りて國家機關が良心の命令に從ひしか將た利己心の發動を抑ふる能はざりしかの如きを知る 途なきは論なく、特に多く階級的良心によりて行動するを以て共の言行は凡て法理學上の效力を有するに至っては 將來の善を迫害しつゝある現代の善として上層階社會民主々義者なるものは誠に森嚴に考へざるべからず。平靜に 級は社會黨の迫害につきて自己の良心に背かず萬事を見よ、世に悪人は甚だ少なくして皆悉く自己の有するだけ の良心によりて行動しつゝあるものなり。社會黨に對して沈壓政策を執りつゝある上層階級を見て彼等の良心に背 反せる彼等の惡に基くと解するが如きは吾人斷じて執らず。彼等は現代の善によりて行動し、社會民主々義者は將 來の善によりて行動するなり。蠍に至ては凡て強力の決定なり。強力とは社會的勢力なり ( 單純に中世時代の腕カ が社會的勢力を集めたることを以て今日の強力を腕力と速斷すべからず ) 。社會的勢力は社會の進化に從ひて新陳 代謝す。 故に迫害とは權カ階級が認めて以て社會の生存進化に害ありと考ふる言行を社會的 迫害の定義 勢力たる能はざらしむる凡ての手段なりと定義すべし。人は先天的に自由にも非らず。平等にも あらず。自由を承認する社會、平等を原則とする國家の内に於て共の良心が自由平等を奪重する所の良心として作 成さるゝが故に自由平等なるなり。故に社會民主々義の時代と雖も個人主義の假定の如く個人の自由は絶對的のも のにあらず。裸體にて大道を行くとせよ、社會は共の自由を奪重する能はず。放火を敢行すとせよ、姦通を公行す とせよ、國家の土地と生産機關とを掠奪して私有財産制を復古せんことを圖るとせよ、斯る自由は社會民主々義の 張力を以て壓伏すべきは論なし。 ( 只、道德の本能化して個人的利己心と社會的利己心の衝突なく、從て他の個人 若しくは個人の集合たる社會と自由の衝突を來すことなしと云ふにあるのみ ) 。凡べては強力の決定なり。宗敎と 地方的良心の衝突たる國家競爭が張力に決せられし如く階級的良心の衝道德とを異にせる國家と國家とが共の地方的 突たる階級鬪爭に於て迫害が却て敵勢を盛ならしむと云ふは痴呆なり 良心の衝突を干戈に訴へて決定しつゝありし 時代に於て、猛烈なる攻撃は却て敵勢を盛ならしむと云へる痴呆ありしゃ。今日の日本の社會黨なる者が權力者の

3. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

慈善家とは基督を逆倒して人は。ハンの慈善家と名けられたる蝮蛇の類は共の最も善きものも自己の道德的快樂の のみによりて生くと考ふる者なり爲めに貧困者を犧牲として取扱ひ下等なる輩に至っては夜會舞踏の餘興より 以上には考へず。吾人はたとへ短銃を執て咽喉に當つるとも、掠奪者の裏門より投ぜらるゝ殘飯を嚥下し得るや。 この故に面目を重ずるものの貧困に陷るや救貧院に入るに堪へずして自殺し、共の肉體の救はるゝ者も精訷の殺さ れたる後なり。慈善家なる者の人生觀は全く基督を逆倒して人は。ハンのみによりて生くと考へつゝあるなり。慈善 家の最も悲憤慷慨的なるものは或は云ふべし、勞働者は淸貧の奪ぶべきものにして富豪等は席上の乞食なり、勞働 資本家地主は席上の乞食に者の勞働に衣食するものなりと。而しながら事實は決して然らずして彼等は乞食にあ あらず堂々たる掠奪者なりらず堂々たる掠奪者なり。吾人をして不德を暴露して曰はしめよ。若し貧困に生るゝ ならば吾人は地上の乞良たると席上の乞食たるとを問はず他の愛に縋らんよりも寧ろ盜賊となりて掠奪せんと。社 會民主々義者は君子と名くる蚯蚓的道德家とは別物なり。乞食は卑しめられ掠奪者は崇めらる。希臘の詩人は海 賊を高貴なる事業として詠歎し近き以前まで海賊の剛健がバイロンの詩に入りしほどに崇奪せられ、中世の騎士、 日本の武士、皆切り取り強盜を共の習ひとして一個の讃美なりき。乞食は歴史上讃美されたることなく金冠は常に 掠奪者の額に在り。如何に資本家地主を席上の乞食に比して自ら快を貪ばるとも、強者たる彼等の前に蟻の如く匍 匐して掠奪を讃美するものゝ絶えざる間は、掠奪されたる地上の乞食に對する輕蔑は永久に去らず。恵む手の唇に は傲慢の微笑あり、受くる所の首には屈辱の冷汗滴たる。而も是れが往年の如く個人勞働の結果たるものを涙の手 個人的生産時代の慈善と社會に割きて他の不幸なる個人と共に分ち喰ふならば、吾人はこの奪き人を地に伏して 的生産を掠奪せる今日の其れ拜すべし。然るに蒸氣と電気とによる社會勞働の凡てを上暦の少數部分にて掠奪し 共の掠奪の爲めに不幸に繋がれたる社會の大部分を『慈善制度』の牢獄に押し込みて鐵柵の間より麺麭屑を投じっ ゝありとは何たる殘酷ぞ、 悪魔にも優さる。野犬と講壇社會主義者とは慈善に欺かれ得べし。人類は大の如く 食を得て足れりとするものにあらず、社會民主々義に覺醒して貴族の如き個人の權威を得たる勞働者階級は講壇社 會主義者の如く路傍馬糞の傍に土下坐して黄金大名を禮拜するほどに無恥なる良心を持たず。慈善を言ふ者の前に

4. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

て全く混和して此の點より懸隔を立つる能はずと雖も、それはそれだけの事實にして是の故を以て天皇を是認し若 しくは否認するの理由とすべからず。天皇は國家の主權によりて是認せられ之を否認することは國家の主權に對す る背反なり。 然るに復古的革命主義は大に天下に蔓延し天皇を後へに排斥して驚愕すべき野蠻部落の土偶を作り上げたり、 して野蠻人は此の土偶に形容すべからざる角、牙、大口、巨鼻を着け顏面に紅白の粉末を塗抹し、而して雜多なる 「カ〕 虚僞迷妄惑亂の綱縷を補綴して被らせ、以て『四千五百萬同胞の土人等よ、この威靈の前に禮拜穃首せよ』と叫び 土人部落の蠻神は敎っゝあり。而して四千五百萬土人は悉くこの蠻訷の偶像の前に叩頭合掌して實に日本天皇の 育勅語を盜奪したり存在を忘却し果てたり。この蠻訷の前には釋奪も國體を傷くるものと罵られ、基督はナザレ 「謗カ〕 章の大工の子と毀られ、祚道の本義も悉く蹂躙せられ、訷話の科學的研究も一たび脅かされたり。而して蠻訷の祭主 十等は抱腹すべき擬古文を以て訟德祭禮を事とし、大日本帝國と皇帝陛下とが如何なる嚴肅の關係に於て維持されつ ゝあるかを一顧だもせざるなり。特に、天皇が詩人として天才を示しつゝある如く國家機關たる一意義の外に於て發 義表せられたる凡ての意見は必ず土人等の盜奪に逢はざるなく、土人等は共の盜奪物を汚して以て蠻訷の裝飾となす。 命蠻訷の怒りは學者も政治家も新聞記者も一切のものの尾を垂れて慴服する所にして、不敬漢 ! の一語は實に東洋 の土人部落に於ける社會的死刑の宣告なり。 ( 獨乙の専制なる現代と雖も驕慢なる皇帝あるのみ、日本國のみ何が 曰く爾は『爾臣民克く忠に』と命ずる敎育勅語に違反する不敬漢なりと。 復故に天皇の外に蠻ありや ) 。 論吾人は、實に國體と天皇の名に於て蠻訷の宣告を拒絶せざるべからず。『國體論』の國體は土人部落の國體にし 國て日本現代の國體にあらず、『國體論』の天皇は土人部落の土偶にして日本現代の天皇にあらず。ーーー吾人は實に 籬土人等の盜奪より敎育勅語を天皇の手に取り返へさゞるべからざるなり。 敎育勅語に就きては前きに屡々論明したり。土人部落に於ては些少なる信仰に對する背反も直ちに虐殺せらると 四云ふ如く蠻訷の土偶は思想界の上にも絶對無限權を有すべし、而しながら外部的生活の規定たる國家に於て天皇の 可能なる行動は外部的規定の上に出づる能はず。蠻訷の土偶は土人部落の原始的宗敎と原始的道德とを鬼訷蛇鳥の 367

5. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

實に、法律的理想及び道德的信念に於ては日本現時の道德法律は堂々として社會民主々義なり。吾人をして更に 以上の見解より憲法學の解釋に返へらしめよ。 憲法第一條の「萬世一系」とあるは加ち、憲法第一條の『大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す』とある『萬世 將來のことにして歴史に係はりなし一系」の文字は皇室典範の皇位繼承法に讓りて棄却して考へて可なりと云ふと なり。何となれば、假令萬世一系とは直系ならずして無數の傍系より傍系の間を上下縱横せる歴史上の事實なりと も、又萬世一系の天皇悉く全日本國の上に統治者として繼續せざりし歴史上の事實なりとも、現天皇以後の天皇が 國家の最も重大なる機關に就くべき權利は現憲法によりて大日本帝國の明らかに維持する所なるを以てなり。且っ 章「一系』とは直系に非らず止むを得ざる場合に於ては共れみ \ の順序によりて遠き傍系に繼承權を擴張するを得る 十皇室典範の規定あるを以てなり。而して又『天皇』と云ふとも時代の進化によりて共の内容を進化せしめ、萬世の 第長き間に於て未だ甞て現天皇の如き意義の天皇なく、從て憲法の所謂『萬世一系の天皇』とは現天皇を以て始めと 義し、現天皇より以後の直系或は傍系を以て皇位を萬世に傳ふべしと云ふ將來の規定に屬す。憲法の文字は歴史學の 命眞理を決定するの權なし。從て「萬世一系』の文字を歴史以來の天皇が傍系を交へざる直系にして、萬世の天皇皆 的現天皇の如き國家の權威を表白せる者なりとの意義に解せば、重大なる誤謬なり。故に「萬世一系』の文字に對し 復ては多くの憲法學者が『禪聖』の文字に對して棄却を主張しつゝあるが如く棄却すべきか、或は吾人の如く憲法の 論精祚によりて法文の文字に歴史的意義を附せず萬世に皇位を傳ふべしとの將來の規定と解するかの二なり。而して 國後者とせば一系とは皇室典範によりて擴張されたる意義を有す。 吾人は又先きの憲法論に於て、日本の現代は國家主權の國體にして天皇と國民とは階級國家時代の如く契約的對 立にあらず、 ( 歐州中世時代の階級國家の憲法は君主と國民とは契約憲法を以て直接に權利義務の對立をなしたり 四と雖も日本の階級國家時代の諸君主は革命によりて華族の痕跡となれり ) 、從て日本現時の憲法は天皇と國民との 契約憲法に非らざると共に又君主々權權利義務を規定せず、廣義の國民が國家に對する關係の表白なりと云へり。 = ロ 361

6. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

茜しきは一致すと論じて逃るゝが如きは日本に於てのみ見らるべき不面目なり。特に彼分國家止會主義を唱導すと 云ふ者の如きに至りては、却て此の「國體論』の上に社會主義を築かんとするが如きの醜態、誠に以て社會主義の 暗殺者なりとすべし。吾人は純正社會主義の名に於て永久に斯く主張せんとする者なりーー肉體の作らるゝよりも 社會主義の唯物的方面よ先きに精訷が吹き込まれざるべからず。歐米の社會主義者に取りては第一革命を卒へて りも一艮心の獨立の急務經濟的懸隔に對する打破が當面の任務なり、未だ工業革命を歩みつゝある日本の社會主 義にとりては然かく懸隔の甚しからざる經濟的方面よりも妄想の驅逐によりて良心を獨立ならしむることが焦眉の 急務なり。否、單に國民としても現今の國體と政體とを明らかに解得することは社會主義を實際間題として唱導す る時に殊に重大事なり。『國體論』といふ脅迫の下に大の如く匍匐して如何に土地資本の公有を鳴號するも、斯る唯 物的妄動のみにては社會主義は靈魂の去れる腐屍骸骨なりと。 而しながら今日に於ては。南都の信兵が訷輿を奉じて押し寄せたる如く、「國體論』の背後に陰れて迫害の刀を 揮ひ讒誣の矢を放っことは政府の卑劣なる者と怯懦なる學者の唯一の兵學として執りつゝある手段なり。而して往 年山信の訷輿に對して警固の武士が叩頭禮拜して慰論せる如く、『國體論』の訷輿を望みては如何なる主義も學詭 も只囘避を事とするの状態なり。然れば今、吾人が此の訷輿の前に身を挺して一矢を番へんとする者、或は以て冒 險なりとすべし。而しながら吾人は平安に此の任務に服せんとする者なり。何となれば信兵の禪輿中に未だ嘗て祚 罰を加ふべき眞の訷の在りしことなきが如く、『國體論』の訷輿中に安置して、觸るゝものは不敬漢なりと聲言せら 國體論中の「天皇」は迷信の捏造れつゝあるは、實は天皇に非らずして彼等山曾等の迷信によりて恣に作りし土偶 による土偶にして天皇に非らすなればなり。印ち、今日の憲法國の大日本天皇陛下に非らずして、國家の本質及 び法理に對する無智と、訷道的迷信と、奴隷道德と、顧倒せる虚妄の歴史解釋とを以て捏造せる土人部落の土偶な るなればなり。土人部落の土偶は假令社會主義の前面に敵として横わるとも又陣營の後へに轉がり來るとも、社會 主義の世界と運動とには不用にして天皇は外に在り。土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋の土人部落中亦 思想 之を爭奪して各々利する所あらんとするものありとも、社會主義は只眞理の下に大踏歩して進めば足る。

7. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

道のローマ法王として、他方では、弱小封建領王として存績した。物格として所有支配された下階級の自覺が高まり、百姓一 揆と下級武士の順逆論↑國體論 ) とによって貴族階級の支配 ( 腕力による土地人民の占有支配 ) を否認して維新革命となる。 萬機公論の國是を掲げて民主主義に踏みきられたこの法律的革命は、當初、國民の法律的信念と天皇の政治道德とによって維持 され、二三年の議會開設に至って完成した。幕末志士の國體論は、古典と儒敎という被布をかぶった革命論 ( 天皇への忠によっ て封建貴族への忠を否認 ! ) であり、その裏には、外國との接觸によって觸發された國家意識と國内に盛上ってきた平等観の擴 充とによる社會民主主義の要求があった。彼によれば、社會主義は、主權が國家にある ( 國體 ) となすものであり、民主主義は、 政權が廣義の國民にある ( 政體 ) となすものである。これが彼の言う公民國家である。そこでは、國家は國民の特權ある一部分 たる天皇と平等な權利を持っ他の部分とから成り、天皇は議會と共に國家の機關として活動し、國民は天皇の利益のためにで はなく、國家目的にのみ奉仕する。その意味で、彼は、國家法人説、天皇機關説を主張し、天皇王權説を否定する。彼によれば、 君民一家、忠孝一致、天皇王權説は、すでに述べた國家體制の進化を逆進的に理解する「復古的革命主義」〔反革命思想の意味〕 であり、こうした「朝憲紊亂」「國體破壞」の思想に對して現國體を斷乎擁護しようとするのがまさに彼の社會民主主義だと彼は 揚言する。 しかしながら、ここで注意しておかねばならぬのは、彼には、國家と社會との區別がなく、支配機構としての制度觀が確立さ れていないことであり、そこで、國家は「生命ある社會的實體 , として把えられ、法的人格は認められても、社團のようなたん なる擬制ではないと観念されたことである。社會を實體と見る以上、個人主義の否定は當然であり、この點が、じつに美濃部學 説と決定的に袂を分っところなのである。そして、彼が、このように、社會的實體の進化を考えたのは、おそらく田添鐵二の社 會進化論の影響ではないかと思われるが、こうした考えかたは、私見によれば、傳統的アニミズム的史観につらなるもので、そ うした歴史的生命體への沒入が、人類から類へ、小我から無我へ、國家社會の無政府的地上天國への進化という考えかたにお いて用意されていると私は思う。 そこで、第三に擧げなければならぬのは、彼の社會主義革命論である。 今まで述べたところでは、彼の社會主義は一種の民主主義と言われるにふさわし い。ところが、彼は、現時の社會間題たる貧 乏と犯罪との增加を指摘して、その原因を資本主義的機械文明と資本家、地主支配の經濟體制とに求め、これを救治するため、 440

8. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

論じ、第五編「社會主義の啓蒙動』に及で實現の手段を論ぜんとす。 貧困と犯罪。ーー實に社會主義の實現によりて斯の人生の悲慘醜惡なる二事が先づ社會より跡を絶っとせば、社會 主義は此の地球を導きて天國に至るべき軏道を發見せる者と云ふべし。而して社會主義は實に此の發見のために今 や全地球に征服の翼を張るに至れり。 所謂社會の秩序と然るに顧倒の甚しき。却て今の政府と學者とは社會主義を迫害し讒誣するに當りて、常に必 國家の安寧幸福ず社會の秩序を紊亂すといひ、國家の安寧幸輻を傷害すといふ。而しながら斯くの如き誣妄は 己に現今の社會に秩序あり、今日の國家に安寧と幸とあることを確實として云へるものなり。社會主義は實に反 問せざるべからず、現今の社會に紊亂すべきだけの秩序ありや、今日の國家に傷害すべからざるほどの安寧と幸一倔 とありやと。今日の科學的社會主義は徒らに感情的言辭を弄して足れりとするものにあらず、理性にして共の光を 文明の名に蔽はれざるならば、此の反問は實に凡てのロより聞かるべき疑問なり。若し或る階級の權勢と榮華とを 築かんがために警察官の洋刀と軍隊の銃鎗とによりて危ふく支へらるゝ妝態を指して秩序なりと云はゞ、 現今の社 會は斯る秩序の精微複雜なるものを有す。身命を失ふもの日に限りなくして財産は野蠻部落の如く多く各自の物質 力によりて各自に保護せらるゝに係らず、吾人は財産を保護し身命を安固にすといふ法律の下に國家の安寧幸輻を 受けっゝあり。社會主義は斯る从態の秩序と斯る安寧幸輻とを以て地球の冷却するまで維持すべきものなるかの如 く信ずるものにあらざるが故に、政府の迫害と學者の讒誣とは此の意味よりせば誠實なる憂慮より出づるものなり とすべし。同類なる人類の血と汗とを絞り取りて肥滿病に苦しむものに取りては今日の國家は安寧幸輻を與ふべし と雖も斯る滋養物の供給を負擔せしむる社會の秩序は血と汗との階級に取りては紊亂すべからざるほどに奪貴なる ものとは考へざるべし。生るゝとより死に至るまで脱する能はざる永續的饑饉の地獄は富豪の天國に隣りて存す。 この餓鬼道の餓死より遁れんが爲めに男は盜賊となり女は賣孅し、なり、而して國家は赤煉瓦の監獄を築きて盜賊 に安寧を與へ、妓樓を警官に護衞せしめて賣好婦に幸を受けしむ。この幸輻を受く可き賣婦を繋榮ならしめん 2

9. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

りて權利を設定す。故に秀吉は我は「我が力を以て天下を取れり』と云へり。強盜の社會に於ては他の張盜が一の 張盜の財布を強奪の印夜より認識するが如く、張力が所有權を確定せし時代に於ては先きの強奪されたる者を外に して全天下の強盜は掠奪者の第一世よりして共の權利を認識したり。故に家康は全國民よりして「天下様』と仰が れたりき。斯くの如くにして財布は常に強盜の手より強盜の手に轉々せられ、強盜は互に殺戮して之を爭奪せしと 將軍の悲壯なる末路に友し雖も、張力を失へる皇室はこの流血の外に傍觀者たるの外なく、爲めに萬世一系に て萬世一系の血痕なき理由血痕を附着せしめざりしのみ。將軍の末路が悲壯なる割腹を常とせしは財布を持ち て而して剛健に之を握れるが爲めにして、色紙に歌を走らすの指は財布の緒にも堪へず。而して亂臣賊子の國民は 一千年の遠き以前に於て強盜を働らき、幕末の歴史編纂に至るまで皇室が最も最初の所有者たることを忘却したる 亂臣賊子は張奪者たが爲めなり。貧民は颯盜の憂なし。天下の所有者たる意義を國民の亂臣賊子によりて奪はれ る必要なかりしなりたる禪道の羅馬法王は、強盜を招くべき懷を有せざりしなり。當時の強者に取りて訷道の羅 馬法王たる能はずまたその要なきは恰も獨乙皇帝が基督敎の羅馬法王たる能はず又その要なしと云ふと同一にして、 彼の木曾の猿猴冠が我れ己に法王に勝てり法王たらんか法王は法師なるを以て法師たらんも可笑しと云へる如き或 は一場の傲語ならざりしやも知るべからず。實に張盜等が張力を以て天皇を財布の外に排斥せしとの甚しき、中世 只一囘の後醍醐天皇の英傑に向ってすら殆ど刄に血ぬるの要なしとして隱岐の遠島に幽閉したる如きに見よ。源氏 然りき、北條氏然りき、足利氏然りき、戰國の一百年德川氏の三百年凡て皆然りき。ー・。・。幕末の眞正なる國體論者 は近代の權利思想を以てこの掠奪者を否認し以て革命論を唱へたるものに非らずや。今日その國體論を繼承して 王忠君を唱ふるものが當年の革命黨の如く掠奪に憤怒せずして却て掠奪者の亂臣賊子を蔽ひ、萬世一系は共等掠奪 幕末の國體論者は亂臣賊子の掠奪者を顛覆せんための努力な者の恩恵による奉戴の結果なるかの如く誣ゆるは獨り何 るに今の國體論者は掠奪を辯護して却て尊王忠君なりと云ふぞや。我が幕末の奪王論者は等しく奪王なる所の貴族階 級を顧覆せんが爲めに王を唱ふる如き自家撞着の應狂漢にあらず。維新の元勳なる伊藤博文氏の『憲法義解』を 見よ、實に明瞭に維新革命が主權の囘復なるを論せるに非らずや。囘復とは喪失を前提とす。

10. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

ぞ。日本民族の性格はルヰ十六世を斬殺せる佛蘭西人と同一なりと云はれつゝあるに非らずや、只皇室が日本最高 の強者たりし間は二三のものを除きて多くルヰ十四世の如くならず殆ど良心の無上命令として儒敎の國家主權論を 優温閑雅なる詩人として政權政治道德として遵奉し、皇室の共れが他の強者の權利に壓伏せられたる時には優温 爭奪の外に在りしを以てなり閑雅なる詩人として政權爭奪の外に隔たりて傍觀者たりしが故なり。萬世一系は皇 室の高遠なる道德の顯現にして誇榮たるべきものは日本國中皇室を外にして一人だもあらず、國民に取りては共の 亂臣賊子たりし所以の表白なり。若しチャールス王の如く政權に對する慾望を以て義時に對抗せしと假定せよ、何 佛蘭西國民よりも人か義時のクロムエルたらざりしを保すべきぞ。明かに降服の態度を示して東軍を迎へたるに 天皇を迫害したり係らず全國民の一人として死よりも苦痛なる三帝の流竄を護らんとせし者なきは、外國干渉の 章ロ實を去らんが爲めの餘儀なき必要ながら而も僅かに一票の差を以て死刑を決せし佛蘭西國民よりも遙かに殘忍な 十る報復に非ざりしか。 ( 吾人は今荷故鄕なる順德帝の陵に到る毎に詩人の斷膓を思ふて涙流る ) 。強力が所有權を決 第定せし時代は所謂切取り強盜は武士の習ひなりしを以て暫く強盜に例〈しめよ。張盜の刄を振ふは財布の目的なり、 義財布を獲たる後に刄を振ふとは殺人狂にあらざればなさゞる所なり。否 ! 既に財布を充分に膨らして持てる所の 命殺人狂に非らざれば如何なる強盗と雖も財布を奪ひたる後若しくは充分切り取り強盜の子孫は財布を遠き以前に失へ 的に膨らして持てる其の子孫は遠を以前に失へる所に向ってを加へずる所の者に向って殺人狂となるものにあらず。 復賴朝は巧妙なる脅迫の強盜にして義時は持兇器強盜なり。北條氏、足利氏、德川氏の守成の將軍等は父祖の強盜に 論よりて膨れたる財布を相績して不足なき有輻長者なり。彼等は凡て成功せる強盜なりき、而しながら何の理由によ 國りて強盜が同時に殺人狂たり、有輻長者が亦然らざるべからざるや。實に、一たび強盜の手に入りし財布は強盜の 籬子孫に世襲財産として傳へられ、共の數百年の經過の後には今日の法律に於てすら時效によりて臟品が禪聖なる權 利となる如く、時の國民によりて明らかに犯すべからざる權利とせられ先きの所有權者たる天皇は恰も今日數百年 四張盜の手より強盜の前の田地の持主が忘却さるゝ如く全く記憶に存せざりき。故に「天皇の御謀反』の語あり。 手に轉々せる財布而して世襲の財布は又更に他の強盜の白刄によりて強奪せられ、張盜は直ちに共の張力によ 325