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検索対象: 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義
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1. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

主國體なりと解釋しては斯る斷言の根據なくして明かに矛盾せる思想たるは論なし。想ふに凡ての國家機關論者を して今専制の迷霧中に彷徨せしめ、美濃部博士の如きをして斯る矛盾に陷らしむるは、國家の本質に就きて不注 意に經過すればなり。 吾人は考ふ、主權論の思想は法律學の文字によりてのみ解せらるべき者にあらずして、智識の基礎を國家學に求 憲法解釋に於て智識の基礎をめざるべからずと。固より憲法論は國家學に非らず、主權の本質は國家學の問題たる 國家學に求めざるよりの誤べきも主權の所在は憲法の明文と精訷とによるべく、特に國家の目的理想を掲げて現 行法を超越する如きは憲法解釋の方法に非らざるは論なしと雖も、共の現行の憲法共者が亦制定さるゝ當時の國家 學によりて影響されたることは明かにして、例へば『國の元首』の語が佛國革命反動時代の國家學に基き、從て比 喩的國家有機體論によらずしては解すべからざるが如し。而して主權とは國家の本質論によらずしては解すべから ざる思想なり。故に比喩的國家有機體詭を思想の基礎として今日の國家を解釋せんとし、『國の元首』と云ふ語を 國家耐識の宿る所なりと斷ぜる井上博士の態度は、共の全く消滅せる臆論なるに係らず先づ國家の本質につきて或 る信念を有し共れよりして國家の基礎法たる憲法の解釋に及びたるは、思考の順序として當を得たる者なり。彼の 穗積博士の如きも國家を以て一家の膨脹發達せる者なりと云ふ誠に舊き國家學の上に共の蜃氣樓の如き道的憲法 論を建設せるは、固より齒牙に懸くるに足らずと雖も研究の方法としては充分に正當なり。然るに今の國家主權論 者には悉く此の態度なく、研究の着手と結末とを顧倒しつつあり。一木博士が國の元首を以て主權の本體にもあら ず艾機關にもあらざる玄の又玄なる者の不可解に終りたる如き、又美濃部博士が『法律學上の國家とは現行の法律 美濃蔀博士の基を矛盾なく解釋するには如何に國家なる者を思考すべきかに在り』と云へる姑息を極めたる國家 礎なき國家觀觀の如き是れなり。現行の法律と云ふが如き絶えず動搖する所の者より歸納して、國家と云ふ者 を單に現行法の矛盾なき妝態に思考すれば可なりとは、假令個人主義の機械的國家觀を捨て比喩的有機體詭の獨斷 を捨てゝ未だ思想の基礎とすべき國家學を有せざるよりする止むを得ざる一時的の者なりとするも、共の姑息を極 めたる者なることは蔽ふ能はざるべく、特に始めより矛盾衝突を以て發布せられ又時代の進化によりて然に矛盾

2. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

は一のみ」と云へる如き、『若し藥暝眩せずんばその疾へず』と云へる如き、殆ど土地資本の公有以外如何なる 所謂社會改良主ことをも傲然として拒絶しつゝある現今の社會民主々義者を共の儘に表はす。戴盈之なる者が恥 義の排斥 「什が一にして開市の税を去るは今蠍に能はず、請ふ之を輕うして來年を待ち然る後に止めん」 と云ひしときーー何ぞ講壇社會主義者に似たるや、呵々ーー彼は實に社會主義の權利思想を以て經濟的正義の名に 於て斷乎として斥けたり。曰く、『今、人の日に共の隣の鷄を盜むものあり。或人之れを告げて曰く、是れ君子の道 にあらずと。日く之れを損じて月に一鷄を攘て來年を待ち然る後に止めんと。若し共の義に非らざるを知らば速に 止めんのみ、何ぞ來年を待たん』 而しながら孟子の言を以て凡て今日の社會民主々義と同一なりと考ふべからざるは論なし。印ち、彼は單に東洋 の思想史の上に於て最も明らかに理想的國家論を夢想し共の實現の爲めに終生を投じて努力したりと云ふ點に於て 重大なりと云ふことにして、共の土地國有論の如き一歩を轉ずれば直ちに土地君有論なり。而して共の井田の法と 彼の土地國有論は部落共有云ふものゝ單に部落共有制の原始時代〈の復古にして、機械農業を以てする科學的社 制時代の復古的夢想なり會主義の國家經營と云ふことゝ異なるは論なく、印ち萠芽なり。私有財産と云ひ君主 の絶對專制と云ひ人生の自然として社會進化の過程たる者、孟子等の如き特殊に卓越せる良心を以てすれば悪なり しと雖も、上古中世を通じての社會の標準として見れば社會の承認によりて得たる權利にして誅求苛斂も不道德の ことにあらざりしは吾人斷言すべし。何となれば彼等權カ階級が誅求苛斂によりて而も社會的勢力に奉戴せられた りと云ふこと共の事が當時の道德的水準を證明する所以にして、孟子の如きは一介の夢想家として取り扱はれたり しは歴史的記録の示しつゝある所なり。人口の稀薄にして漸く土着せるまゝなる堯舜の原人時代に於ては土地の自 由は空氣より聊か缺亡せりと云ふほどに天産物の豐富なりし樂園にして、社會の進化する所人口の增加を來して部 彼の承認せる掠奪階級の落單位の生存競爭となり、終に彼自身の言へる「心を勞する者は人を治さめ、力を勞す 發生と空想的社會主義る者は人に治めらる。人に治めらるゝものは人を養ひ、人を治むる者は人に養はる』と 云ふ如き掠奪階級の生じたる時代に於て、部落共有制を復古せんとすることの不可能事なりしは論なし。印ち私有

3. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

ったことに注意 ! ) が公武合體論の系統から出ていたよう鶯奉還論の否定は、資本勞働調和論や慈善事業や社會福利政策の 定となる。したがって、彼は、いわば幕末維新の武力倒幕派の直系と見なすことができる。すでに武力倒幕派において王が手 段化されていたように、北が革命の主體的勢力として一般階級に期待したのは、まさにその大多數が古來の亂臣賊子の子孫だっ たからにほかならぬ。この點で、彼はいわゆる右翼とは全く異なり、おそらく右翼中孤立した思想家ではなかったかと思われる。 第二に、彼は、階級鬪爭における運動の本除は、つねに下階級にあると言ったが、鬪爭の結果期待されたのは、摸倣と同化 とによって下階級が上に進化し、上階級が擴張されることであって、上と上との地位が逆轉して進化した ( ? ) 上 が下に引き下げられることではないとした。その意味で、彼は、「平民主義」という言葉を拒否し、社會主義をもって全社會 の「天才主義」、「貴族主義 . と考えた。この考え方は、建設の方向としては正しいが、革命の論理としては間題が殘る。 第三は、革命勢力の組織化において、もつばら軍事的團結にカ點を置いたことである。彼が、維新革命後公民國家が徴兵軍隊 を組織したように、經濟的維新革命後、經濟的公民國家は徴兵的勞働組織を作らねばならぬと考え、團結の自覺とそのカの發揮 という點から當時社會主義者の非戦論を排して日露戰爭を積極的に肯定したことが、このことを示している。後年、彼が、その 國家改造運動を下級靑年將校と結びついて行なうようになった動機も、一つにはここに胚胎すると言えよう。 第四には、彼は、革命のプログラムを「土地及び生産機關の公有とその公的經營」にあると言ったが、この表現は、一般に當 時の社會主義者の表現に對照すると、土地への關心が深かったように見えることである。ところが、本文中、農民に關説するこ とは極めて少く、勞働者についてはやや多いと思われるから、この點からは逆であるようにも見える。もし農民に對する關心が なく、土地に對する關心のみであったとすれば、このことは、生産の間題よりも領土的間題に對するより強い彼の關心を示すも のではないだろうか。 最後に觸れておかねばならぬのは、彼の社會主義思想の形成についてである。 彼が社會主義思想においてもっとも多く影響を受けたのは幸德秋水であるという説もあるが、幸德の影響が大きかったのは、 むしろ文章のスタイルについてであり内容的には片山潜の影響が大きかったのではないかと私は思う。そして思想的系譜として、 は、すでに言ったように、幕末維新の武力倒幕から自由民權を經て社會主義に至る系譜をさきの一一人を通じて受けつぎ、その媒 介者を越えて〈先祖返り〉している點があるのではないだろうか。このような〈先祖返り〉の條件は、おそらく日淸戦爭後の三

4. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

に非らずと云ふことを解せば足る。社會主義の權利論は議論の基礎を單に思想上に於て思考し得べき原子的個人に 置かずして社會を利益の歸屬すべき主體となす。故に若し利益と云ふ文字を一時的便宜又は眠前の政策といふが如 權利とは社會生存の目的に適き粗雜なる意味に用ゅゑと國家社會主義者の如くならず、社會と云ふ生物が ( 『生物 合する社會關係の規定なり 進化論と社會哲學』を見よ ) 共の生存進化の目的に適合する手段との意義に解するな らば、社會關係は共の目的に適合する手段として變遷し、關係の規定たる權利はその變遷に從ひて進化す。故に原 始的平等と部落共有制とは平和なる原人社會に於ては共の社會の目的に適合せる社會關係の規定たることに於て、 平等と共産とが共の當時の權利なりき。然るに人口の增殖して遊牧時代に入りて漂浪し農業時代に入りて土地を爭 ふに於ては共の社會生存の目的の爲めに他の部落を排斥して土地を占有することが權利として共の時代の正義なり き。而して斯く他部落に對しては強力の正義によりて權利を認むると共に、共の部落の社會内の會員間に於ては牛 羊を牧し農作を營む等の勞働に伴ふ果實に對する權利として私有財産制が設定せられたり。印ち掠奪による土地の 占有も或る時代に於ては權利にして私有財産制度も亦或る時代の來るまでは正義なり。然しながら社會の進化と共 一一に新らしき正義は古き權利を破りて進む。嘗て充分の正義たりし占有の權利思想は個人主義の權利思想たる勞働詭 によりて打破せられたり。而して今や又個人が終局目的なりとする思想は社會が利瓮の主體なりと云ふ新たなる他 正の正義によりて打ち消されたり。社會主義の權利論は社會が利益の源泉にして又利谷の歸屬する所なりと云ふ根本 思想に於て個人主義の共れを排す。 窈社會の利益部ち權故に社會主義は徹頭徹尾權利論によりて立っと云ふと雖も、共の權利とは獨斷的正義の理想 義 利にして正義なりに産憬して社會の利益を無視すと云はるゝが如き者に非らずして、社會の利益ち權利にして 會正義なり。然らば正義と權利との名に於て土地及び生産機關の公有を主張する社會主義は社會の生存進化の目的に 適合する利益なるか。

5. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

以上の歸結は下の如くなる。 今の生物進化論は凡て悉く共力を極めて排繋したる天地創造詭を先人思想として生物進化の事實を解釋しつゝあ 以上の歸結は今の生物進化論は凡て悉くその力を極めて排鑿したる者なりと云ふと。印ち人類は天地の始めより個々 る天地創造説を先入思想として生物進化の事實を解釋しつゝありに存在せりと云ふ個人主義の思想によりて個體の觀 念を作り、一元よりアミー バの如く分裂せる大個體なりと云ふ社會單位の生存競爭を解せず、從て個人單位の生存 競爭たる雌雄競爭と共れの食物競爭との生物進化論に置ける地位を定むる能はずと云ふこと。人類を天地の結局ま で存在すべきものなるかの如く考へて生物種屬の階級に於て人類の占むべき地位を解せず、從て理想の實現せられ て人類より上級の生物が人類に代りて地球に存在すべしと云ふ生物今後の進化を推論する能はずと云ふこと。而し て人類今後の進化によりて天國が地球に來ると云ふ科學的宗敎に到達せざるは、亦等しく天地創造詭の宗敎を先入 思想とするが故なりと云ふこと。 宇宙目的論の哲學と生物進化論の科學とは鉉に始めて合實に、社會哲學は人類社會と云ふ一生物種屬の生存進化の 致し相互に歸納となり演繹となりて科學的宗敎となる理法と理想とを論ずるものなるを以て、當然に生物進化論の 卷末の一章としての社會進化論として論ぜらるべし。而して字宙目的論の哲學と生物進化論の科學とはに始めて 合致し、相互に歸納となり演繹となりて科學的宗敎となる。只、吾人々類は相對的存在の生物種屬なるが故に、共 「類祚人』の一語は生れによりて見られたる字宙、考へられたる目的は之を字宙の大より見るときは相對的理想 物進化論の結論なり たるに過ぎずと雖も人類として生存しつゝある間は『訷類」が絶對的理想なり。 故に吾人は生物進化類に『類耐人』の一語なくしては結論なしと云ふ。 共の次ぎの章は固より「訷類』の筆執るべきことなり。 206

6. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

愼にして人をして一讀手中に汗を握らしむるものあり」 ( 東京日日新聞の評 ) と評され、「詭言怪證人心を惑はす」ものとして發 禁の憂き目を見る。このことは、きわめて重要である。なぜなら、このような國家社會の「飴と鞭 , が、彼をして、一方では、 限りない自信を培ってこれを信仰に依據させるとともに、他方では、理論的探究を放棄して實踐に赴かせることになったと思わ れるからである。このさい、重要なのは、すでに彼が到達した視點であり、把握である。 その點で、つぎに本書において注目しなければならぬのは、彼のいわゆる社會主義の立場から當時支配的な國體論そのものに 對決したことである。この對決の成否はともかくとして、國體論そのものを批判の爼上に乘せたことの意義は、思想史的にいっ ても、きわめて大きい。なぜなら、彼も指摘するように、當時すべての學者思想家が、「國體論に其の腦髓を打撃せられて」、批 判的精祚を完全に痳痺させられるか、さもなくば、ことさらに國體論との對決を囘避するか、いずれかに陷っていたからである。 おそらく、この國體論との對決は、彼自身にさきに言ったようなポレミークへとはげしく促迫する何ものかがなかったならば、 到底不可能であったにちがいない。してみれば、舊家に傳わり彼個人に内在した誇りは、けっして否定的にのみ解釋されてはな らぬはずである。 彼は、特有の歴史観に基いて彼のいわゆる社會主義を構想する。まず、彼は、人類と社會とが目的論的に進化すると見なし、 人類は、動物から進化したように、類祚人から訷類に進化し、この進化の契機は、食物 ( 獲得をめぐる異種屬間の ) 鬪爭と ( 配 偶者の選擇をめぐる同種屬内の ) 雌雄鬪爭とによる優勝劣敗の自然淘汰にあると考える。このことは、社會の進化においても、 同様である。食物鬪爭が解決されなければ、雌雄鬪爭は完全に行なわれないから、それだけ人類の進化は阻害される。社會は、 自由と平等の擴充によって進化し、それによって社會そのものの存在が認められるようになり、それだけ多くの人々が物格から 人格として承認されるようになる。これは、個人が社會の主體的構成要素として組みこまれてゆく過程だから、小我から大我を 經て無我に至る過程と見なされる。社會 7 國家 ) 體制は、君主國から貴族國を經て民主國 ( 公民國家 ) へ、腕力による專制的 説支配から投票と討議とによる合議制へと進化し、その究極には世界逋邦や一切の政體無用の地上天國が考えられる。古代におけ る大化の改新は、皇族中の智識ある分子が、國家主權の公民國體とその機關としての君主專制政體との實現を計晝した革命であ ったが、それはたんなる夢想に止まり、系統主義と忠孝王義とを奉じて團結した武士團の武力革命によって貴族國となったが、 解 倉・室町・江戸幕府の將軍は、封建制度の下に訷聖皇帝として全國を支配し、天皇は迫害されて政治に絶望し、一方では、訷 439

7. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

否定するの盲動なることを表白せしむるに至る。 無抵抗主義の非戰論は無抵抗主義のトル實に今の所謂日本社會黨の非戰論は共の自ら稱する者のある如く無抵抗 ストイスムとなり社會主義を否認せしむ主義の宗敎論なり。 而しながらこの宗敎論の無抵抗主義はトルストイ の共れの如く下脣階級が上に對する抵抗の階級鬪爭をも否認して社會主義を排斥するに至らしむ。原子的個人を 而しながらこの世界統一主義 假定して直ちに今日の十億萬人を打て一丸たらしめんとする如き世界主義なり。 原子的個人を單位としての世界主義は個人は個人主義の佛國革命に擁せられたるナポレオンの夢想を承認するもの 主義のナポレオンを承認して侵容となるにして、露西亞の侵略に對して日本國の獨立を放抛すると共に、支那朝 鮮に對して日本國の侵略せんとする場合にナポレオンの下に兵卒たらざるべからざるに至らしむ。ュトピア的世界 主義は個人主義の假定の上に立つ。個人主義が他の國家を無視するときにナポレオンとなり、自己の國家を忘却せ るときに猶太民族となる。 この故に吾人は斷言す、國家を否定するものは假令激語に於てすとも、 ( 而してマー 日露戰爭を否定せる萬國社會クスは激語に於てしたりと雖も ) 、社會民主々義は一の是認すべき理由をも發見せず 六黨大會の決議は取るに足らずと。この斷言は更に次ぎの斷言に導くーーマークスの共産黨宜言の激語を先人思想 第とし日本社會黨の個人主義者等の云爲を材料として決議せる萬國社會黨大會の日露戦爭の否認は斷じて執るに足ら 動ずと。 蒙微少なる吾人は全世界の社會黨を擧れる決議に對して一管の筆を以て抗し得べしとするものにあらず。而しなが のらマークスの偉大に心醉するとは今の全世界の社會黨に取りて由々しき誤謬なり。彼の偉大は近世機械工業の資本 生社會主義者はマークスよりにつきて歴史的に論明したる經濟學の方面と社會の進化が階級鬪爭によるとを發見せ 會も寧ろプラトーに據るべしる歴史學の局部とに於てのみにして、而も共の價格論は誤まり、階級鬪爭詭も心的考 察にあらず。社會民主々義とは十九世紀の發明にあらず、人類の文明に入りてより以來哲學史の源泉よりして流れ 五來れる大思想なり。プ一フトーの『理想的國家論」是れなり。社會民主々義の大思潮は古代に於て土地が唯一の經濟 的源泉たりしを以て土地國有論となり、近世に至りて資本が最も多く經濟的源泉たるを以て土地資本の公有を併稱 431

8. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

衝突に於て在するよりなき人爲の現行法よりして、矛盾なき國家と云ふ一個の法律學上の思想を抽象せんとす る如きは誠に奇蹟を試むる者なり。「禪聖』と云ふ文字の如き、「國の元首』と云ふ文字の如き現行憲法の條文を如 何なる方法によりて矛盾なからしめ、而して斯る矛盾に滿てる條文によりして如何なる國家の思想を歸納し得べき。 「祚聖』と云ふ文字を本來の意味に於て推究すれば帝王祚權詭なるか或は穗積轉士の如き高天ヶ原の國家に歸納さ るべく、『國の元首』と云ふ條文のまゝに推論すれば共思考さるべき國家は比喩的有機體論の首足胴腹ある動物と して歸納されざる可らず。決して美濃部愽士等の主張する主權の本體たる國家は是等現行憲法の條文よりして矛盾 なく思考さるべき思想に非らざるなり。己みならず、法律學上の國家を單に現行法の矛盾なき思考のための歸納に 過ぎずとなすならば、美濃部轉士の如く、「君主は統治權を總攬するものに非らず、統治權を總攬すと云ふが如き 憲法の條文は學理の性質を有する者にして、國家は學説の公定權を有せず、學者は自由に憲法の文字を改めて考究 九すべし』と云ふが如き權威ある言の吐かるべき根據なし。何となれば是れ明白に現行憲法の第二條に矛盾する者に 第して、矛盾なき思考としての國家觀念は矛盾せる條文を改めて攻究すべしと云ふ力を有せざればなり。吾人は信ず、 統治權總攬の文字は學理の性質を有する者に非らず學者國家は學詭の公定權を有せずと云ふは、恰も天動詭を命令す 命は矛盾せる條文につきて取捨の自由を有すと云ふのみる能はざる如く、國家學上の一學詭たる比喩的有機體論を強 的制する能はずと云ふことにして、學者は自由に憲法の條文を思考するを得べしとは、相矛盾せる條文は憲法の精訷 復に照らして孰れかの取捨を決定すべき思想の獨立を有すと云ふことなり。故に憲法第二條と他の重大なる第五條及 論び第七十三條と矛盾せる如きに於て、各々共の憲法の精訷なりと認むる所、國家の本質なりと考ふる所によりて自 國由に取捨するを得べく、彼の比喩的國家有機體詭の思想を有する者、訷道的信仰を有する者が第二條を取りて他の 條文を無視することの恣なると共に、吾人は亦第五條及び第七十三條に注意を集めて第二條を棄却するに於て自由 なるは、憲法の精と國家學につきて法文の文字は強制力を有せざる者なればなり。美濃部博士の考ふる如く統治 四權を總攬すの條文共の者は決して學理の性質を有する者に非らず、他の第五條及び第七十三條の存在せざるときに 於ては法律の解釋として第二條に從て天皇を以て統治權を總攬する唯一最高の機關なりと推論すべきは當然なり。 235

9. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

實に今日の上階級も下脣階級も法律と道德とが要求する國家社會の利 ( 企を目的とする良心は共の始めより胸裏に 空腹印ち犯罪飽腹印形成せられざるなり。是の一意味に於て室腹印ち犯罪なり、而して飽食亦加ち犯罪なり。 ち犯罪と云ふ意味人は只社會によりてのみ人となる。社會主義は倫理的生物が倫理的制度に於てのみ倫理的 生物たり得べきことを發見して革命の手を社會の組織に降しつゝある者なり。 社會主義と個人而しながら誤解すべからず、社會主義は社會の中に個人を溶解する者にあらず。倫理的制度に の責任 よりて倫理的生物たると共に、倫理的生物が平等の物質的保護と個性の自由を尊重する社會良心 の包容中に於て更に倫理的制度の進化に努力すべき責任を有することを要求す。社會主義の自由平等論とは印ち此 の意味なり。 ( 平等論の一意義につきては前編の「社會主義の經濟的正義』に於て詭けり ) 。偏局的社會主義時代の社 會良心は共の内包の甚だ狹隘にして個性の自由なる發展を許容せざりしが爲めに個人は全く社會の強力中に併呑せ られ、ソクラテスもルーテルもガリレオも皆犯罪者として遇せられ爲めに社會の進化に於て誠に遲々たるの外なか りき。而しながら佛蘭西革命に至るまでの偏局的個人主義の如く思想上に於てのみ思考し得べき原子的個人を終局 目的として、社會は單に個人の自由平等の爲めに存する機械的作成の者なりと獨斷せるが如き者に非らず。思想と 雖も、信仰と雖も、決して個人の自由に非らず、思想信仰の上に於て個人の自由を重する所の自由なる社會良心 あるが故に自由なり。故に社會良心が思想信仰の自由を許容せざりし時代に於てはソクラテスもガリレオもルーテ ルも悉く犯罪者なりき。良心の社會的作成なるこを歸納せる科學は思想も信仰も或る個性の特異が發展する場合を 外にして全く社會に先在せる思想信仰を繼承して共の個人の思想信仰を成作する者なるとを論結せしむ。思想と信 思想の獨立信仰の自由あるは其の獨立仰とは決して偏局的個人主義の獨斷するが如く始めより自由なる者に非らざ 信仰を認むる社會良心あるを以てなり るなり。社會専制國家萬能の偏局的社倉主義時代の思想信仰を有する社會良 心は個人の良心を作成して思想の獨立信仰の自由を認識せざる者とし、機械的社會觀を有する偏局的個人主義時代 の社會良心は假令社會の利谷を阻害するも思想の獨立信柳の自由は犯すべからずと云ふ思想信仰を以て個人の良心

10. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

醒を承けて社會良心が個人性の變異を重する今日及び今後に於てはデ = ルクハイムの所謂『罪惡は今假りに常態 とするも次第に共性質を變じ行くこと宗敎的信仰の如き者なりとするを得ん』と云へる如くなるべきを考へざるべ からず。氏は犯罪の數と質とを無視し、道德と法律とを無視し、而して普通良心の進化を無視す。 豊富なる學識を有する樋口氏の如きに向って斯る重大なる點を無視せりと云ふが如きは誠に道德現象の専攻者た る名譽に封して甚しき非禮たるを免かれず。而しながら是れ敢て氏の罪に非らずして過て講壇社會主義の誘惑に陷 れるが爲なり。講壇社會主義の純正社會主義に對抗しつゝある旗幟は實に「社會主義は餘りに多くを將來に期待す 社會主義は餘りに多くを將來に期る室想なり」と云ふ一語に在りとす。 あゝ空想 ! 社會主義は室想なりと 待する空想なりと云ふ先入思想云ふ先入思想の全社會に蔓延せるは、實に吾人社會主義者に取りて政府の迫害 よりも學者の讒誣よりも最も頑強なる敵なりとすべし。而して講壇社會主義なる者は此の先入思想に誤られて生じ、 此の先入思想に油を灑ぐことを以て任務とす。 ー吾人が講壇社會主義を以て純正社會主義の當面の敵として斷じ て思想界より驅逐せんと欲する所以の者は實に此の社會主義は室想なりと云ふ旗幟の飜れるを以てなり。何をか憚 章 四 重力落下の原則からんーー重力落下の原則が物理界に行はるゝ如く社會に行はるゝとを信ぜば、何そ過ぐる一世 第 と社會の進化紀間の進歩は中世暗黑の一千年間に優ることを忘却するや。胎兄の九ヶ月間は十億萬年の生物進 理化の歴史を繰り返へし、文明國の兒童は二十蔵にして六千年の文明を經歴す。社會主義は過去無一意識的進化の蠕動 理的進動に放任する者にあらず。吾人は明かに告げん、社會主義は實に驚くべき多くのことを社會進化の理法に隨ひ のて將來に期待する者なり。而して最も近き將來の期待は先づ『貧困」と『犯罪』との二事だけを社會より消滅せし 主むることに在りと。講壇社會主義を奉ずる經濟學者が講壇社會主義の爲めに誤られて貧困を人類と共に存する永遠 會不滅の者なりと信ずる如く、講増社會主義を奉ずる樋口氏は共の倫理學を講壇社會主義の爲めに誤られて犯罪を地 球の冷却するまで存する永遠不滅の者なりと解す。 由來講壇社會主義なる者は表皮を科學的研究の名に飾りて 貳根本思想は進化論以前の者なり。 實に、進化論の思想によりて社會進化の跡を見よ。犯罪は數に於て伺殘るも質に於て消滅せし者多く、法律は漸