實に斯くの如し。皇室の側に立ちて防ぎし者も、皇室の前に進みて打撃せしものも皇室の忠臣義士たらんが爲め と云ひ亂臣賊子たらんが爲めと云ふに非らずして、皆實に各自の主君に對して克く忠なりし傍發の結果なり。此の 日本民族は各自の主君に忠なりし傍發の點を最も明瞭に表白せる者は幕末の國體論の漸く唱導せられたる時の貴族 結果として皇室の忠臣となり亂臣となる階級の一人水戸齊昭の言なり。曰く 『人々天祖の御恩を報いんとし く心得違ひて眠前の君父を差し置きて直ちに天朝皇邊に忠を盡くさんと思はゞ却て僣亂の罪逃るまじく候』と。 水戸齊昭の所謂 貴族階級として此の要求は當然なり。而して維新革命に至るまでの上古中世を通じての階級國 眼前の君父家は實に此の眼前の君父と云ふことを以て一貫したるなり。此の『眼前の君父』を外にして眞の 忠孝なし。孝と云ふ道德が血縁の關係、或は共れに敵すべきほどの特殊の關係なき者の間に生ぜざる如く、忠と 章云ふ道德も自己が他の所有權の下に経濟物なるか、或は經濟的從屬關係なくしては生ずる者に非らざるなり。故に 十例せば、彼の忠臣義士の最も讃歎すべき理想的實例たる赤穗義士に見るも、共の忠臣義士たりしは齊昭の所謂眼前 第の君父たる貴族に對する經濟的從屬關係のありしが爲めにして、實に幕府の兵を迎、て城を枕に討死せんとは一た 義び赤穗城中の輿論たりしが如く、眼前の君父を外にして幕府の義士たり天皇の忠臣たゑとは齊昭の云ふ如く彼等に 命取りては却て僣亂の罪たるべきなり。故に眼前の君父たる正成の爲めに殉死せし湊川の三百人も、等しく眼前の君 的正成の殉死者と父たる高時に從ひて殉死せし當座の八百人と共後の數千人も、共眼前の君父たる貴族階級に對し 復高時の殉死者て經濟的從屬關係のあるが爲めにして、眼前の君父を外にして幕府の忠臣たり天皇の義士たる如 論き僣亂は彼等誠忠なる殉死者に取りては思ひも寄らざることなり。 此の眼前の君父に對する忠孝と云ふことは 凡ての民族に通ずる階級國家時代の鍵なり。皇室一家の移住時代に於ては共の限られたる家族團體と限られたる地 國 方とに於て天皇及び天照大訷は眠前の君父として忠孝の本體なりき。然るに社會の進化し人口の坿加して皇室と同 編貴族階級を組織せる無數の眼前の君父一なる系統の分派が諸大族となりて朝廷に枝を張り諸豪族となりて地方に根 四と其の下に衞星の如く從ふ亂臣賊子を擴ぐるに至りて、蠍に無數の眠前の君父は貴族階級を組織して天皇と同一 系統なり云ふことを自覺して天皇に對する平等親を作り、以て共忠孝の從屬者をゐて亂臣賊子を働くに至れり。 311
附するや。社會主義は資本家の無用を云ふのみ、決して資本の無用を口にしたることあらず。地主の無用を云ふの み、自然の無用を主張したることあらず。勞働者の開放と云ふのみ、勞働せずして生存し得と云ひしことあらざる なり。資本の無用と云ひて而も共の無用なる資本の公有の爲めに身を捨てゝ努力する矛盾は人類として有り得べか らざることにして社會主義にあらず。地主以前に自然あり、地主亡ぶとも自然は生産の源泉として存す。社會主義 は此の地球を去りて他の遊星に移住すべしとは云はざるなり。 斯る白痴の如き文字の使用は歸する所博士が社會主義につきて理解せる何者をも有せざればなり。社會主義の革 命主義たるは共の經濟學の歴史的研究に於て資本家掠奪の跡を知り而して現在掠奪しつゝある經濟的貴族國なるを 發見したるを以てなり。『資本は掠奪の蓄積なり』。此の一語は實に社會主義が革命の旗幟を飜へす城廓にして、若 氏は資本の説明と權利し社會主義に一矢を試みんとせば必ず此の語が的たらざるべからず。然るに博士の所謂資 論につをて無學なり本の説明なるものを見よ。『當時の所謂資本なるものは共の生ずるや否や直ちに消費され 章しを以て未だ眞正なる資本の利益を與ふるの暇なし。共れより漸時進みて以て漸く今日の所謂資本なるものを生ず 第るに至りしなり。之を資本の增加する大要とす』と。而しながら是れ一千頁に渉る大著としては餘りに大要なりき。 義而して社會主義が嚴肅なる權利論を以て立つに反して博士の共れは古來存在せる無數の權利思想の相刺殺する者を 的羅列して恬然たりとは驚くの外なし。「一個人の財産所有權は人類が占有と勞力とによりて外界の財産特に貨物に 濟捺印する所の人類としての性格に共の源を發し社會國家が法制上此れの性格を認むるに至り完備するものなり』と。 窈是れ佛蘭西革命を起したる占有論と勞働詭とが平坦なる頭腦の上に權利を爭はずして存在せるものにして餘りに完 主全に過ぎたる調和なりき。 ( 資本勞働の調和につきては『社會主義の啓蒙運動』を見よ ) 。 田島博士の「最新經濟論』は共卷末にカール・マークスの學詭の大略を解詭したるが如きに見ても、金井博士の 壹如く社會主義を勞働者主義と解し、資本と資本家と土地と地主とを混同するが如き醜態なきは論なし。而しながら 博士も亦國家社會主義者たることに於て國家社會主義の陷れる淺見は豸く免る能はず。共の人性の上よりして瓧會
に至るべきなり。強盪も窃も同じく他人の財産をは重するの感情を犯す者なり。されど強盪は悪事と感ずる者の 尚窃盗はさまでに感ぜざるがあるべし。他人の財産を犯すを惡しとする感情の愈々鏡くなりて強盜の減少するに從 ひ窃盜を惡と感ずる者は增加し行くべきの理。最初輕罪として扱はれたる窃盜が前よりは重き罪に問はるべきは自 然の勢。野蠻社會を見よ。我等の社會にては重罪に問はるべきことの日常に行はれて世の責罰を免かるゝを。同じ 社會につきても世の進むに從ひて輕き罪を重く見るに至り、同じ時代の中に於ても、種々の階級、小社會の中に は各異なれる良心ありて、政治社會にては罪とならざることの敎育社會にては罪となること多し。何れの社會にて も罪の絶えざるはこれが爲なり。 「抑々人は遺傳を異にし、體質を異にし、傾向を異にし、境遇を異にするを以て、全く同一の感情を有せんこと は想像し得べからず。既に共の間に多少の相異ありとせば、必ず普通良心の命ずる所に從はざる者の出づるを免か れ難かるべし。而して共の僅微なる犯罪も次第に張き感情を生ずるに至るべければ、罪人は終に絶ゆる時無かるべ しと云ふなり。 章 『是れに依て之を見れば罪惡は社會に必然なり。凡ての社會生活の諸事情と結合して離るべからざる關係を有す。 故に共の適度に現はるゝことは恰も婦人の月經の人身に有益なる如く、社會に對して有谷なりとせざるを得ず。 想 理 『人間社會の道德は次第に進化する者にして、此の進化は社會全般の進化に對して必要なるが此の道德の進化あ 理進歩の先驅者とらんためには道德の根底に横たはれる社會良心の極端に強からざるを要す。何となれば、若し社 犯罪者 の 會の良心が常に嚴重にして聊か之れに遠ざかれる者をも壓抑せば此處に變遷なく艾進化なかるべ 主ければなり。凡ての組織の保守的勞力ありて改革に妨害なるは前にも之れを言へり。實に過酷なる社會良心は却 社て社會を停滯せしむるを免かれず。詳言せば一人の罪人も出づる餘地なき社會は共の社會良心の權力強大なるの證 にして、誰も之れに觸るゝを肯ぜざるべし。從て社會進歩の途も社絶すべきなり。或る社會の進歩せん爲めには個 貳人の特性の發揮せらるゝを要す。ソク一フテスの道德界に出で、ガリレオの物理界に出で、ルーソーの哲學界に出で、 ルーテルの宗敎界に出でんためには、社會の智識。 こ若干の「ゆるみーあるを要す。此の「ゆるみーは一方に水平以
論じ、第五編「社會主義の啓蒙動』に及で實現の手段を論ぜんとす。 貧困と犯罪。ーー實に社會主義の實現によりて斯の人生の悲慘醜惡なる二事が先づ社會より跡を絶っとせば、社會 主義は此の地球を導きて天國に至るべき軏道を發見せる者と云ふべし。而して社會主義は實に此の發見のために今 や全地球に征服の翼を張るに至れり。 所謂社會の秩序と然るに顧倒の甚しき。却て今の政府と學者とは社會主義を迫害し讒誣するに當りて、常に必 國家の安寧幸福ず社會の秩序を紊亂すといひ、國家の安寧幸輻を傷害すといふ。而しながら斯くの如き誣妄は 己に現今の社會に秩序あり、今日の國家に安寧と幸とあることを確實として云へるものなり。社會主義は實に反 問せざるべからず、現今の社會に紊亂すべきだけの秩序ありや、今日の國家に傷害すべからざるほどの安寧と幸一倔 とありやと。今日の科學的社會主義は徒らに感情的言辭を弄して足れりとするものにあらず、理性にして共の光を 文明の名に蔽はれざるならば、此の反問は實に凡てのロより聞かるべき疑問なり。若し或る階級の權勢と榮華とを 築かんがために警察官の洋刀と軍隊の銃鎗とによりて危ふく支へらるゝ妝態を指して秩序なりと云はゞ、 現今の社 會は斯る秩序の精微複雜なるものを有す。身命を失ふもの日に限りなくして財産は野蠻部落の如く多く各自の物質 力によりて各自に保護せらるゝに係らず、吾人は財産を保護し身命を安固にすといふ法律の下に國家の安寧幸輻を 受けっゝあり。社會主義は斯る从態の秩序と斯る安寧幸輻とを以て地球の冷却するまで維持すべきものなるかの如 く信ずるものにあらざるが故に、政府の迫害と學者の讒誣とは此の意味よりせば誠實なる憂慮より出づるものなり とすべし。同類なる人類の血と汗とを絞り取りて肥滿病に苦しむものに取りては今日の國家は安寧幸輻を與ふべし と雖も斯る滋養物の供給を負擔せしむる社會の秩序は血と汗との階級に取りては紊亂すべからざるほどに奪貴なる ものとは考へざるべし。生るゝとより死に至るまで脱する能はざる永續的饑饉の地獄は富豪の天國に隣りて存す。 この餓鬼道の餓死より遁れんが爲めに男は盜賊となり女は賣孅し、なり、而して國家は赤煉瓦の監獄を築きて盜賊 に安寧を與へ、妓樓を警官に護衞せしめて賣好婦に幸を受けしむ。この幸輻を受く可き賣婦を繋榮ならしめん 2
會的作成の理由によりて先づ外部的強迫力を以て經濟物としての處分に服從すべきこを要求せらるゝなり。然るに 此の外部的強迫の他律的道德時代より内部的強迫の自律的道德時代に進化するや、自ら良心の無上命令として主君 が自己の身盟を経濟物として處分することの、印ち自己の道德的義務として主君の利益の爲に自己の生命を滅ばす 三の所謂忠と稱せらるゝ道德を生ずるなり。忠の最も原始的なる奴隷制度の他律的道德時代に於ては歐州に於ては 鎖と鞭とを以て、日本に於ても恐くは嚴酷を極めたる刑罰の外部的強迫力を以て、共の道德の履行を要求せざるべ 歐州の奴隸制度からざりき。只、日本に於ては歐州諸國の近き以前まで鎖と鞭とを以て奴隷制度を維持せし者の と日本の其れ如くならざりしは、彼に於ては常に外國との攻戦によりて、若しくは黑奴の捕獲によりて對等獨 立の外國人を新たに奴隷とし共の獨立心の發動を壓伏せしが爲めに鎖と鞭とを要したる者にして、訷武移住時代に 章於ける奴隷、共後の三韓蝦夷の奴隷は、征服せられたる若しくは捕とせられたる初めの一二代の奴隷に於ては獨 二立心による反抗の有りしことは記録の上に見らるゝ如くなりと雖も、共の子孫たる奴隷に至りては良心の社會的作 第成の理由によりて經濟物としての處分に對する絶封的服從を他律的に ( 或は進みて自律的に ) 承認するに至りしな 義り。 ( 而して如何に良心の作成が社會的境遇によりて自由に敏速に形づくらるゝかは『社會主義の倫理的理想』を見 命よ ) 。此の經濟物としての處分に服從する奴隷的道德の極度は加ち殉死なり。プ一フトーが共の社會主義の財産公有の 的中に人類たる奴隷及び婦人を包含したるは奴隷及び婦人が共に人格にあらずして經濟物たりしが爲めなる如く、殉 復忠の極度の履行たる死の時に金銀玉石の經濟物と共に近臣妻妾を土中に埋めたるは共等が經濟物なりしを以てな 「朝力」 殉死の他律的時代り。 而して忠の最も極度の履行たる殉死は日夜鳴號絶えざりしと云ふ如く崇訷天皇頂に至る までの原始的生活時代に於ては原始的道德の當然として全く他律的なりしなり。 此の人類を經濟物と見る奴隷制度は日本に於ても遙かに後世にまで繼績したりき。而して此の經濟状態と共れに 伴ふ社會組織の在る間は經濟物の處分たる殉死のみを社會の外に驅逐し得べきものに非らず。彼の崇神天皇が殉死 四に代ふるに土偶を以て代へたるは大に社會の進化し又進化せる社會の儒敎によりて社會意識の鏡敏になれる爲めな丐 りと雖も、尚純然たる以隷制度は賤民なる名に於て存し、共の賣買が官岩の屆出によりて爲され、奴隷の産める奴 1 三ロ
以降。平、源氏、北條氏、足利氏、德川氏に至る中世史。ーー此の聯綿たる亂臣賊子は實に系統主義と忠臣主 義の家長國の當然として共等家長君主の下に在る臣屬の忠によりて皇室を打迫害し來れり。而しながら等しく家 中世史の系統主長國の潮流なりと云ふも、系統の一事のみによりて社會の組織されたる古代とは中世史の大に異 義の特殊の説明なるは論なく、從て源氏と云ふ系統の一家のみ平家と云ふ系統の一族のみは家長制度と忠孝主義 とを以て亂臣賊子を働きたるべきは上述の詭明によりて解せらるべしと雖も、共等の系統以外の多くの祖先等が亦 等しく亂臣賊子に加擔せることは社會の進化に應ずる特殊の理由に求めざるべからず。先づ系統主義より説く。 此の詭明は聊か精細に道德の起原、良心の形成と云ふが如き科學的倫理學につきて考察せる者に取りては容易に 解せらるべきなり。言ふまでも無く、道德の本質は本能として存する社會性に在り。而しながら道德の形を取りて 行爲となるには先づ最初に外部的強迫力を以て共の時代及び共の地方に適應する形に社會性が作 道徳の本質 らるゝとを要す。道德とは此の形成せられたる社會性のことにして、單に道德とのみ云ひては恰 も物理學上の原子と云ふが如く思考上の者に過ぎず、地方的道德時代的道德として地方を異にし時代を異にする社 會によりて形成せられたるものとして始めて行爲に現はる。今日の野蠻部落に於ける慣習の些少なる者と雖も嚴格 を極めたる刑罰を以て強制するは實に社會性を外部的強迫力によりて形成しつゝある者にして、而して共の外部的 強迫力としては砠先敎多祚敎の日月星辰より犬馬木石に至るまで訷とせられたるを以て到る處無數の訷が外部より 他律的道徳時代との監視者として道德を強迫したりき。然るに社會の進化するに從ひて此の外部的張迫力を漸時 自律的道徳時代に内部に移して良心の強迫力となし、慘酷なる刑罰によりて臨まれずとも又無數の祚によりて 監視されずとも、良心共れ自體の張迫力を無上命令としてに自律的道德時代に入る。他律的道德と自律的道德と は人の一生に於て小兒より大人に至る間に進化する過程なる如く、社會の大なる生涯に於ても共の社會の生長發達 に從ひて他律的道德の時代より自律的道德の時代に進化する者なり。日本民族の道德發逵の順序と雖も亦この理に 洩るべからず。外國文明輸入までの應訷仁德に至る一千年間と傳論さるゝ周は、先きに言へる如く共の年數を轉論 8
日本帚國は宗教ことは吾人の義務にして、彼等山曾等の不敬呼ばりは假令鯨波のごとく起るとも厳肅なる議論に 團體に非らず一分の動搖を與へ得べきものにあらず。 , ーー大日本帝國と帝國の機關とは決して宗敎の基礎の上 に建てられたるものに非らず。訷道の信仰を以て家長國體を作り、天皇を祭主の長たる意味において共の信仰の上 に置ける時代は歴史の遠き頁に葬られたり。國體寺の山曾等は今日の國體と政體とを迷信の爲めに視る能はず、甞 て山曾等の爲せるごとく國民の迷信に眠れるを恃みて法律を突破し憲法を蹂躙して、天皇と全國民とにむかって訷 輿に禮拜せよと嗷訴しつゝあるものと云ふの外なし。國民の迷信に恐怖せし時代は山曾等の訷輿は警固の武士をし て兜を脱せしめたりき。今日、吾人は國體の擁護者たる名に於て科學の利刀を執るべきのみ。希くは國民の速かに 迷信より覺醒して國體寺を燒壞するに至らしめよ。 穗積博士の信仰穗蕷八東氏は實に國體寺の座主にして山曾の將軍なりとすべし。日く。「我が民族は同祖先の 十論と君臣一家論者なり。宗室として皇室を崇拜すと云ふは事實誤れりと云ふものありと雖も、之は我が論を破す るに足らず。見よ基督敎徒の團結するは祚を信仰するに由る。而も訷の有無の議論は此の團結を非認する能はず。 義信仰は第一にして智識は第二なり。ひとは悉く原因を尋ねて何事も爲すに非らず。信仰によりて動く。國民に於て 命も然り、必ず信仰によりて團結す』。是れ大學筆記より引用せる者にして、氏が國體寺の座主たる奪嚴を以て斬新 的なる信仰論あるは決して鼻を撮むべき、とに非らざるは論なし。氏の憲法論は凡て此信仰の上に築かる。曰く、「現在 復皇位にまします天皇が此民族を統治し給ふは印ち民族の砠先たる天砠の御位なり。天砠に代りて天砠の威力を受け 論て天祖の子孫を保護し給ふ者なり』。又曰く『我が國體は民族固有の宗族制度より發達せり。故に之を推して考ふ 國れば皇位は印ち過去に於ける皇位の天祖たる天照と、現在の天皇と、未來の君主とを結びたる觀念にして、一家に 於ける家長の位が印ち天皇の祖先の位たると同じく皇位は天皇の御位にして共子孫が此の位に昇り、天照の威靈を 代表して國民に臨む」。而しながら氏の所謂天照と云ひ天砠と云ひ信仰上の神を意味して用ひらるゝが如く 四史上の人物として取扱はれつゝあるが如く、浮動する意味を一語にて使用する氏の常態なるが爲めに、吾人は氏と 2 共に『天照大訷」を論議するに信仰上より考ふべきか科學酌考察の題目とすべきか殆ど處置に苦しむ。 旨ロ
質の者に非らざるが故に、法律學者としては之を削り去りて考ふるは當然なると同一なるを以てなり。『國の一兀首」 「國の元首』の文字に對すとは斯る意味の者に過ぎざるや、吾人は之を信ずるものなり。然るに今日日本の憲法 る凡ての憲法學者の態度學者の凡ては此の一語を思想の中心として議論を組織しつゝあり。穗積博士の如きが 之を執りて權威となすは固より、同じき君主々權論者たる井上榑士の如きは「國家訷識の宿る所なり』として之を 以て日本の國體を定め主權の天皇に存する唯一の論據とす。而して他の國家主權論者なる者と雖も共の國の元首と 云ふが故に國家の最高機關なりと論じ穗積轉士と封抗して國家主權論の頭首たる東京帝國大學敎授法學博士一木喜 德郎氏の如きは之を以て政體分類の基礎となし、國家は主權の本體にして日本の政體は君主政體なりと論ず。實に 「國の元首」の一語は今の憲法學者に取りては思想の根本たる者なりとすべし。 而しながら問題は「國の元首』と云ふ語の字義を論爭することに非らずして、一深く國家に元首ある者なりや否 やを疑はざるべからず。國家に元首ありや、而して共の元首は如何なる者なりや。此の點に於て吾人は井上轉士の 國家有機體詭を持して議論の基礎となしたるを嘉せざる能はず。吾人は固より國家有機體論を主張する者なり。而 比喩的國家有機體説は維持すしながら吾人の今日に於て主張する國家有機體説と、井上博士の執る『國の元首』と べからざる比喩の玩弄なり云ふ語の用ひられたる時代の國家有機體説とを同一視することあらば實に亞羅比亞 侶の錬金術と十九世紀後の化學とを混同するが如きなり。吾人が「生物進化論と社會哲學』に於て述べたる如く、 國家とは室間を隔てゝ人類を分子とせる大なる個體なり。印ち個體共れ自身の目的を有して生存し進化しつゝある 有機體なり。此の今日に唱へらるゝ眞正なる國家有機體詭は、『國の元首』と云ふ文字の用ひられたる時代に於て は全く發見せられざりし眞理なり。印ち、彼の佛蘭西革命まで唱導せられたる偏局的個人主義の歸結として國家 或は社會を人爲的製作物の如く全く機械視したる獨斷に反動して、他の獨斷、印ち單に國家は機械的のものにあら ずして生命あるものなりと言はんが爲めに國家を一個の生物に比較し以て之を國家有機體詭と名けたるに過ぎざる なり。而して此の比喩は兄戯に等しきまで玩弄せられたり。例へば領土は骨格にして人民は筋肉なりと云ふが如き、 郵便電信は經系統にして動脈靜脈等は鐵道船舶なりと云ふが如き、軍人は爪や牙の如き者にして音樂家演詭家は 228
國家の進化的分類と云ふ吾人の主張は弦に存す。 而しながら今の憲法學者と雖も西洋諸國の國家を歴史的進化に從ひて時代的に分類せざるにはあらず。只、我が 日本國を論ずるに於てのみ常に古今の差別を無視して「我が國體に於ては』と云ふ特殊の前置きを以て憲法論の諸 論より結論迄を一貫すとは抑々何の理由に基くぞ。ーー『萬世一系の皇統』と云ふことのあればなり。日本國民は此 我が國饐に於ての萬世一系の皇統と云ふことのあるが爲めに西洋諸國に於ては國體及び政は歴史の進化に從ひ と云ふ循環論法て進化せるも、日本民族のみ進化律の外に結跏趺坐して少しも進化せざる者なりと考へつゝある なり。故に日本の憲法學者に於ては、國體を憲法論に於て論ずるは我が國體は如何なる國體か、印ち主權は何處に 所在するかを決定せんが爲めなりと云ふに共の解釋としては常に必ず、萬世一系の我國體に於ては主權は天皇に在 りと一貫す。是れ少しも解釋に非らず、萬世一系の天皇に主權が所在するが故に主權は天皇に在りと云ふものなり。 日本國民は萬世一系の一語に頭蓋甲が年齡を問はれたるに乙と同じと答へ、更に乙を間はれて甲と同じと答ふる問 骨を毆打されて悉く白痴となる答の循環なり。笑ふべきは法律學者のみに非らず、倫理學者にても哲學者にても、 共の頭蓋骨を横ざまに萬世一系の一語に撃たれて悉く白痴となる。日本に於て國家の進化的分類なきは此の故なり。 萬世一系の皇統につきては後の歴史論に於て明瞭に論かん。只弦には憲法學に於て此の萬世一系の一語を一切演 繹の基礎となす穗積八朿氏を指定すれば足れり、博士の頭腦は此の語の打撲によりて憐むべき白痴となり、憲法に 徹頭より徹尾まてを矛係はる凡ての事が連絡もなく組織もなく、自ら述べて自ら打ち消し前きに主張して後に打 盾せる白痴の穗積博士破し、忽ち高天が原に躍り上りて祚集ひの訷道論をなし直ちに顧落して訷話の科學的研究 者となる。特に甚しきに至りては主權本質論に於て全く君主々權論者の地位を棄てゝ國家主權論者に一夐し、共の 歴史論と見らるべき言に於ても或は天皇主權論を唱ふる如く或は幕府主權論を唱ふる如し。本編は博士が國體論の 首領的代辯者なるが故に最も多く議論を及ばしたる者なり。或に吾人は轉士を能ふだけ精密に研究すべき必要のた めに、共の世に出したるだけの著書も見、諸雜誌に掲げられたる殆んど凡ての論説も見、年々歳々花相似たる大學
以て打破するを得べし。而しながら彼等は加工論なる者に殘りて對抗を試む。印ち今日の土地の 蓮弱なる加工説 上に加へたる長き間の勤勞と云ふとなり。而しながら斯る薄弱なる議論は共の所謂加工なるもの ゝ部落共有の占有に係る土地に對しての小作權に過ぎざりしとを忘却せるものにして、且っ著述家が畢世の心血を 濺ぎて書ける版權にしてすら時效によりて消滅するを知らざるものなり。土地の表面の一呎を攪亂せるに過ぎざる 僅少なる加工が如何にして天室より地軸に達するまでの所有權を確定し得るか、又數百年の後に至るも連綿として 時效の來ること無きを得るか。資本家の藏する應擧の畫幅に拙劣なる畫工が一抹の白墨を塗抹し是れ余が加工なり と云はゞ資本家は畫工の所有權に服從するか、此の地球は地主の奇蹟によりて六日間に創造せられたる者にあらざ るなり。 個人主義時代の而しながら吾人は斷言す、斯る議論は等しく共に個人主義時代の根據なき思辨的獨斷の權利論 獨斷的權利 なりと。權利とは社會關係なり、社會と社會との間、若しくは社會の會員と會員との間に於ける 意志の發動すべき限定されたる境界なり。人類と祚との間は宗敎が支配し、人類と他動物との間は生物學が支配す。 故に人類社會の關係たる權利の説明に於て、或は訷を雲間より引き卸して天賦の權利を唱ふる如き、或は人類は生 個人主義の權利の理想は形式に於て物なるが故に生存の權利ありと云ふが如きは、共の形式に於て社會主義の理想 似たるも社會主義と混同すべからすに類似せりと雖も全く個人主義時代の革命論なり。 ( 今日社會主義者に混ぜる 個人主義の革命論者は荷斯る權利論を爲す ) 。故に吾人は個人的生産時代の權利思想を以て現制度を辯護せんとす るものに向っては上述の如く共等の諸説の却て、そが嘗て貴族國に爲せし如く此の經濟的貴族國の根據を覆へすに 至るべきことを指示すと雖も、眞理によりてのみ言動すべき社會主義は誤れる個人主義時代の天賦人權論的思想に よりて社會の所有權を建設せんとするものにあらず。印ち此の經濟的貴族國に對しては社會主義も個人主義も共に 同一なる側に立つべきものなりと雖も、社會主義は社會主義にして根據なき個人主義とは同一視さるべからず。故 個人主義の法理學は亦其の經濟に個人主義の經濟學が再び繰り返へさるべき革命黨たるの外なき如く、此の權利 學の如く現社會の辯護にあらす論の問題に於ても個人主義の法理學は經濟的貴族國に對して辯護者たるべきもの