の軍事費を租税の如く全社會の購買者に負擔せしむ。而して戦鬪のために明を失へる彼等は各々需要を超越する生 〔ママ〕産をなし、掠奪されたる全社會が共の生産物を購買するのカ盡くるや恐惶となる。恐惶 ! 此の一 語は地震の如く戰勝者も戦敗者も共に仆す。如何にロッセルが『唯野蠻なる民族のみ恐惶を免かる ゝのみ、而も之を免かるゝも彼等は幸輻なりと云ふを得ず』と云ふとも、又リカードが『恐惶を歎くは富豪が共の 滿船の貨物の風波に逢はんことを恐れて貧民の安全を欲するの愚と等し』と云ふとも、そが野蠻人も知らざる如き 悲慘なる爆發を來たし實に全社會を船に載せて難破する如く數年の蓄積を一朝にして掃蕩す。而して之れ必ず十年 毎に來り共の小なる者は常に至る處に在り。而もヂヱオンスは共の責任を太陽の黑黷に負擔せしむ。 この經濟 的元龜天正の禍害を被むる者は、往年の戦亂の下に在りし百姓町人の如く實に勞働者と全社會となり。然るに凡て 企業家の所謂の經濟學者が彼等企業家なる者の定義を下すや、皆必ず、『企業家とは自己の計算によりて自己 「自己の責任』の責任を以て勞働者を雇倩して生産に從事する者なり』と云ふ。自己の計算と云ふことが室虚の 誤算と我利の計畫なりといふことならば充分に眞なるべく、生産に從事するといふことも或る程度まで僞りならざ 章 二るべし。而しながら『自己の責任』といふに至りては憤怒すべき欺懣なり。彼等は何日その責任なるものを盡くし たるとありしか。利益は自己の責任に於て負擔するとは便宜にして事實なり。而も需要供給が世界的經濟に擴張せ 正られて徹頭より暗中の飛躍に過ぎざる彼等が無謀なる計算のために、一切の損失困難鍋害を負擔する者は實に勞働 瀞者と全社會となることを知らざるべからず。掠奪の蓄積に過ぎざる資本の喪失は彼等冒險者にとりては本來の裸體 なり。而しながら工場の閉鎖によりて生ずる勞働者の失業、失業者によりて被る社會の危險と動亂とは『自己の責 生任』は別問題とするに似たり。愚味と殘忍との系統的組織に過ぎざる經濟學は、失業者の如きは小活字を以て一隅 會に葬り去る。而も一人の失業者は共の老母をして縊死せしめ、共の妻をして貧血に病ましめ、その女をして賣婦 恐惶を負擔するもたらしめ、而して彼自身をして『犯罪たるべき危險从態』として流浪せしめ、愈々食なくして 壹 のは全社會なり飢ゆるや終に一錢の窃盜となり更に殺人の強盜となる。經濟的群雄の元龜天正のために、一戰 敗者の生ずる毎に社會の下は實に一個の犯罪階級と化しつゝあるなり。而してこの犯罪者によりて害せらるゝも
社會黨を讃するものにあらず。而しながら共至る所の迫害に敢然として抗し天下を浪々する様の何ぞ颯爽として維 新革命黨の彼等に似たるや。 ( 志士幸ひに健鬪せよと云ふ ) 。 實に、今の社會民主々義者は維新革命の社會民主々義を經濟的革命によりて完備ならしめんとする經濟的維新革 命黨なり。革命黨の迫害せらるゝは共の社會的勢力を集中せざる間は社會の進化として常態なり。維新の革命黨が 貴族等の屈從より脱して浪人となれる如く、彼等の矯々たる頭は官吏となり會瓧員となる能はずして先づ經濟的強 經濟的維新革命迫の下に浮浪漢とならざるべからず。而して幕府諸侯の巡羅が維新革命の宜傳者を行く所に迫害 黨の迫害 せるが如く、放尿の判決權より外有せざるべき警察官の下に、堂々たる學者が言論も集會も印行 も身體共者の自由も脅迫せられ剥奪せられつゝあるなり。彼の維新革命の元勳伊藤博文氏に率ゐられたる政黨内閣 によりて、共の政黨内閣とは明白に穗積忠臣等の言ふが如く慣習憲法による共和政體の樹立なるに係らず、而して 維新革命黨が貴族政治を顧覆せる民主々義なるに係らず、『社會民主黨』の結社は亂臣賊子なりとして禁止せられ たり。今の官吏等が日本國民の凡てが亂臣賊子の子孫若しくは加擔者の子孫にして自身も内心に全く獨立の思想を 以て充たされつゝあるに係らず、『社會平民主義』と云ふものの一意義を暗號ならんかと臆測して何日かは繩にと待 ちかまへつゝありき。往年の維新革命黨が東山西海身を細るゝ所なかりし如く ( あゝ彼等は佛蘭西革命家の如く世 界の感謝をも得るなく徒らに君主々義者と誤られて如何に多くの英魂は土に葬られしょ ! ) 、經濟的維新革命黨の 後へには何處に行くも國家の費用にて蓄ひ置かるゝ人面の大が尾行しつゝあり。而して辯士中止、而して拘引、而 して牢獄。ーー理由に日く國家の爲めなりと。 あゝ國家の爲めに ! 國家の爲めと信じて屍を滿韓の野に晒らしたる國民は國家の爲めに艱苦しつゝある社會民 主々義者を發見して迫害に加はるべき國民にあらず。露西亞國民は怯懦の爲めにあらず國家の爲めならざるを明ら 旅順ロ閉塞の決死隊かに解せるが故に極東の戦爭に於て常に退却したり、而も國家の爲めには暗殺の決死隊に撰 と革命黨の實行委員ばれて革命黨の實行委員となる。國家の爲めなりとして旅順ロ閉塞の決死隊を爭へる日本國 382
眞理に非らずと雖も、天才が社會の土と肥料とによりて培養されたる花なりとは動かすべがらざる事實なり。然る に人類の今日までの歴史は如何。天才の種は植物の種子の風に吹かるゝ如く人生に落つるも、自由なき磽の爲め 自由の沃土なきに芽も出でず、芽ばえたるものも君主貴族の馬蹄に蹂躙せられたりき。而して共の僅少なる種子が 時代の天才自由を得たる上階級に落ち、若しくは上脣階級の手によりて自由の土地に移し植ゑらるゝとも、 社會の進化せざる時代として肥料の貧しきが爲めに開く所の花も誠に野花に過ぎず。斯くの如くなれば、史上の天 才なるものゝ眞に百代を隔てゝ望むは論なく、而して共の光も時代を隔つるに從て微かに消え行くなり。古人と今 人も母體を出づるときは同一なる原始人なり。共の天才も原始人の部落に於て原始人の天才たるべき個性の變異な り。只、社會の床に於て社會的累積の智識を遺傳せしめらるゝ生殖作用によりて、古人は古人となり今人は今人とな る。基督は天國を星の遠き彼方に指したりき、而しながら彼れよりも智識ある今日の吾人は近き將來の地球に樂園 豐富の肥料なきの在ることを認めて歩を運びつゝあり。釋奪は結跏跌坐して宇宙循環詭の外に出づる能はざりき、 時代の天才而しながら彼れよりも研究の積める今日の吾人は字宙人生の進化しつゝあることを明かに解し得 たり。アリストーツルは明哲なりき、而しながら吾人を以て見れば祚童たるとを免かれず。ダー年ンは生物進化論 の大成者なるが如くなりき、而しながら彼の遺傳を受けて彼の白髯よりも年老いたる吾人は二十三歳にして彼れ以 上の思想を有す。あゝ斯くの如く無限に累積し無涯に遺傳して止まざる『類祚人』の眞よ ! 個性は社會精訷を特 殊にするものにして社會は共の特殊にせられたる個性の精を受取りて普遍にし以て社會の精訷として後代に遺傳 社會精神とは過去の個性の精神なりと云するものなり。而して個性の社會精を特殊にせんとして吸收するは共の ふに於て社會主義と個人主義の合致社會が遺傳して普遍に存在せしむる先代無數の個性の精訷を吸收すと云ふ ことなり。社會と個人とは單に大我と小我との立脚地の相違なり。然らば何ぞ個人の自由を絶對に奪重する社會主 義を以て衆愚萬能主義と解するや。社會主義が物質的保護の平等と共に精訷的開發の普及を無上の要求となしつゝ あるは、如何なる天才の個性と雖も社會の水平線が餘りに下級にしては共特殊にしたる精も貧しく又共の精訷を 受取りて後代に遺傅する社會精訷となし能はず、爲に天才が無名にして腐っると共に社會の進化が遲々たるを以て 194
人民が貴族等の所有權の下に經濟物として存したりし者の如き亦奴隷制度なり。吾人は鏆と鞭とありし時代の奴隷 が三百弗の價せし間は今の勞働者より幸福なりしや否やを知らず。而も晝は鐵鎖に繋がれて働き夜は暗黑なる穴倉 の中に眠りし羅馬の奴隷と、今日、九尺二間の病毒に充滿せる裏長屋に豚の如く父子重り合ひて眠り、一日十三四 時間の長き一分の休息だに得ずして機械に縛せらるゝ賃銀奴隷とが然かく差別あるを信ずる能はざるなり。羅馬の 奴隷は餓うることだけは無かりき、而も今日の契約奴隷、賃銀奴隷は、會社の破産のために、失業のために、不景 氛の爲めに、雨天のために、數日數十日に渉る斷食ーー而して死は稀有のことに非らず。正義を顯現すべき法律 は實に明かに自由と平等とを萬人に與へたり。而しながら艘ゑて昏倒せんとするものゝ耳に就きて自由を囁やき、 眼に平等の法律を示すとも一片の麭の皮は遙かに正義よりも高貴なり。自由と平等とを呼吸して生活する能はざ る動物は共の妻子の恩愛のために如何なる苦痛をも侮蔑をも忍びて、嘗て共の足を顧みて繋がれたる鐵鎖を疑はん とだにせざるなり。昔時奴隷の子孫は家系によりて永久に奴隷となり、近世封建時代の百姓町人は階級によりて子 々孫々百姓町人たりしが如く、賃銀奴隷の腹より世に落ちたる子女は永劫に賃銀奴隷を脱する能はず、ト / 作人の子 は小作人に、日雇取の孫は日雇取たらざるべからず。戰敗の捕虜が奴隷とせられ、債務者が身を奴隷にして債權者 の使役に致せし如く、此の慘澹たる經濟的戰鬪の敗者と債務者とは又賃銀奴隷たるより外生くるの途なし。露西亞 の農奴が共の主人の名を記せる金屬を頸に搜みて働ける如く、蟻の如くエ場より這ひ出づる賃銀奴隷は共の印半纏 に奴隷所有主の記號を附けられて侮辱せらる。過度の働時間は彼等をして全く動物化せしめ、面貌は黑奴の如く 野蠻性の囘歸のために甚しく粗暴に愈々野卑となれり嘗て米合衆國の南部に於て、四年間に利益を得盡さんがた めに奴隷を極度まで酷使して斃死せしむべしとの動議が拍手喝采を以て可決せられし聯邦議會ありしが如く、天命 を短縮する長時間の勞働、人性を殘賊する婦人小兒の勞働を禁ずべき工場法案が有耶無耶の間に消え去りし大日本 帝國議會あり。羅馬の奴隷の病む者あるときは餌藥を與ふるよりも、更に強壯なる奴隷を買ひ求むる方が遙かに利 益なりとして之を河中の離れ島に棄て嗚號して死せしめたりと云ふ。而も今日の勞働者は病氣老衰にあらず職業の ために受けたる負傷も職に堪へずとして棄てらる。而も共の棄てらるゝや大都會の中央に於てし、無智なる世人は
附するや。社會主義は資本家の無用を云ふのみ、決して資本の無用を口にしたることあらず。地主の無用を云ふの み、自然の無用を主張したることあらず。勞働者の開放と云ふのみ、勞働せずして生存し得と云ひしことあらざる なり。資本の無用と云ひて而も共の無用なる資本の公有の爲めに身を捨てゝ努力する矛盾は人類として有り得べか らざることにして社會主義にあらず。地主以前に自然あり、地主亡ぶとも自然は生産の源泉として存す。社會主義 は此の地球を去りて他の遊星に移住すべしとは云はざるなり。 斯る白痴の如き文字の使用は歸する所博士が社會主義につきて理解せる何者をも有せざればなり。社會主義の革 命主義たるは共の經濟學の歴史的研究に於て資本家掠奪の跡を知り而して現在掠奪しつゝある經濟的貴族國なるを 發見したるを以てなり。『資本は掠奪の蓄積なり』。此の一語は實に社會主義が革命の旗幟を飜へす城廓にして、若 氏は資本の説明と權利し社會主義に一矢を試みんとせば必ず此の語が的たらざるべからず。然るに博士の所謂資 論につをて無學なり本の説明なるものを見よ。『當時の所謂資本なるものは共の生ずるや否や直ちに消費され 章しを以て未だ眞正なる資本の利益を與ふるの暇なし。共れより漸時進みて以て漸く今日の所謂資本なるものを生ず 第るに至りしなり。之を資本の增加する大要とす』と。而しながら是れ一千頁に渉る大著としては餘りに大要なりき。 義而して社會主義が嚴肅なる權利論を以て立つに反して博士の共れは古來存在せる無數の權利思想の相刺殺する者を 的羅列して恬然たりとは驚くの外なし。「一個人の財産所有權は人類が占有と勞力とによりて外界の財産特に貨物に 濟捺印する所の人類としての性格に共の源を發し社會國家が法制上此れの性格を認むるに至り完備するものなり』と。 窈是れ佛蘭西革命を起したる占有論と勞働詭とが平坦なる頭腦の上に權利を爭はずして存在せるものにして餘りに完 主全に過ぎたる調和なりき。 ( 資本勞働の調和につきては『社會主義の啓蒙運動』を見よ ) 。 田島博士の「最新經濟論』は共卷末にカール・マークスの學詭の大略を解詭したるが如きに見ても、金井博士の 壹如く社會主義を勞働者主義と解し、資本と資本家と土地と地主とを混同するが如き醜態なきは論なし。而しながら 博士も亦國家社會主義者たることに於て國家社會主義の陷れる淺見は豸く免る能はず。共の人性の上よりして瓧會
社會主義と偏局に過ぎず。ーー社會主義は全社會の驚くべき富有と個人の獨立とを共に得べきことを確信するも 的社會主義 のなり。吾人は決して奪敬すべき金井博士を通辯的學者なりと信ずるものに非らずと雖も、社會 主義を以て官吏専制の國家萬能主義と誤解して強烈に個人性の權威を主張する者は所謂個人主義なり。 ( 個人主義 の大なる意義につきては後の『生物進化論と社會哲學』を見よ ) 。而しながら誤解さるゝが如き偏局的社會主義は プ一フトー以前の遠きに千年前のことゝして如何に官吏の干渉を許したるかは婦人の貞操をまで監督せしめたるにて も知るべし。現今の科學的社會主義は決して斯る素朴なる本能的瓧會性によりて無意識に繋がれたる古代の復古主 義にあらず。十九世紀に至るまでの個人主義の淸鮮なる覺醒を受けて社會性と個人性との確實なる自覺の上に新ら しく築かれたる全く別個の理想なり。此の精細は更に『生物進化論と社會哲學』に於て詭く。而して官吏の監督無 くしては生産的活動を萎縮せしむと推想するこの人性に對する無智識。 こ基くことは前きに詭けり。而しながら社會 主義の世と雖も決して僅少なる監督者の凡て無用なりと云ふにあらず。只共の監督者とは今日の官吏と全く別種の 今日の所謂官吏と社者なることを忘却せざれば足る。今日の官吏の重要なる任務は權カ階級の維持の爲めに常に 會主義時代の監督者反抗せんとする劣弱階級を抑壓するとに在り、而して經濟的誘惑によりて腐敗し易き組織の 下に置かれ、階級組織の爲めに専制の驕慢と奴隷の卑屈あり。斯る者が社會主義の實現されたる曉に於ても荷存在 すと考ふるは、日出でゝ荷狐の隱れずと云ふと同一なり。今日の如く上官の前には叩頭の藝術家たるに過ぎざる者 が轉じて社會に對するや帝王の如き權力を振ふは此の經濟的懸隔と權力的階級組織の暗黒なる社會なればなり。監 督者の推擧に至りても決して今日の官吏の如く、妻君の縁故、形式の試驗、月謝納附の履歴書、政黨騷擾の獵官に 非らずして撰擧によりて立ち。而して共撰擧と云ふも共の軍中より撰出されし羅馬末年の皇帝の如くならず、勞働 の義務を終へたる局外者より勞働軍中の適當せる者を撰擧すとのべラミーの提案の如くせば何處に専制あらんや。 而して今日の司法官の職が人格ある人物の名譽職となりて權力の濫用を監視して個人の自由獨立を保護して立つべ 獨乙に於て社會民 、且っ勞働的兵卒も監督者も又今日の企業家に相當する所の重大なる機關も同一の分配を受 主々義と云ふ理由けて経濟的に對當の地位に立っとせば共間亦何ぞ専制と卑屈の官吏的階級あらんや。この故を
中世史の「天皇」の内容を古代の其れと等しと解の權利を決定せし正義の時代に於て、『我は我が力を以て天下を取 しては秀吉の宣言は天皇の否認たらざるべからずれり」との秀吉の宜言は天皇共者に對する否認ならざるべからず。 而しながら歴史上の事實は然らずして當時の天皇の一意義は假令衣食の缺亡に陷れるほどに土地人民を失へりとする も「訷道の羅馬法王』としての榮譽を傷けられざりしを以て、彼等強力者とは無關係なる別天地に於て共れ自身の 存在を繼續したりしなり。固より社會の進化と共に原始的宗敎の信仰が漸時に蓑退し行くは論なく、北條氏の兩統 神道の勢力の減迭立の苦肉策が禪學によりて訷道の法王に對する奪崇の薄らぎしや、又德川氏の殘忍冷酷を極め 退と其の惰カたる不斷の幽閉と不斷の脅迫讓位が儒學によって等しく然りしやは斷定すべき根據なしと雖も。 而しながら共の勢力の蓑退せるに係らず足利氏が北朝を立てて自ら訷道の法王とならず群雄戰國の貴族等が亦自ら 章天皇と稱せざりしは、『天皇」の内容が中世史に入りて天下を所有する強者と云ふと全く別なる「祚道の羅馬法王」 = 一の意義なりしを以てなり。基督敎の羅馬法王が歐州の訷聖皇帝によりて易置せられたる如く、祚道の羅馬法王は鎌 第倉の訷聖皇帝によりて中世史の一千年間を通じて極度の自由を以て改廢せられたりき。而しながら歐州の訷聖皇帝 義が自ら立ちて基督敎の羅馬法王の位を奪ひしことなく又共の必要なかりしロく、 汝訷道の羅馬法王が天下を取て最上 命將軍の天皇たらざリしは神聖皇帝の羅馬法王たの強者たることを目的とせる鎌倉の訷聖皇帝によりて奪はれざりし 的らざりしと同じく別天地の存在なるを以てなりは各々存在の意義を異にせるよりの必要なかりしを以てなり。實に、 復天皇の文字の内容を歴史の進化に順行して決定せずしては、古代の天下の所有者と云ふ意義の天皇と、「我れは我 論が力を以て天下を取れり』と公言し、天下の凡てより『天下樣」と仰がれたる將軍との双ながらなる存在は解すべ 國からざるなり。 吾人は固より天皇の希望として訷道の羅馬法王たる以外に荷古代の如く天下の所有者たらんと努力したることな 所 しとは言はず。而しながら希望と歴史上の事實とは別問題なり。平將門は天皇の裔なることを理由として他の裔な 四る天皇に取て代らんとの希望はありき、而しながら歴史上の事實は固より天皇にあらずして叛逆者の名を負はされ て後の貴族國の前に錬勝疾廣の任務を盡くしたるに過ぎざりき。強力が凡べての權利を確定せし古代及び中世に於 323
北條氏の號令の下に統一せられ、終に彼の三帝を追放せる如き亂臣賊子を働きたるに非らずや。而して彼の足利奪 氏の容易に北條高時を破りしは系統的誇榮に於て遙かに勝れたる源氏の後裔なるが故にして、奪氏の飜て後醍醐と 對抗するに至るや國民は亦奪き源家の後裔に從ひて忠を盡くし、奪氏を奉戴する熱情の餘り『八幡太郎義家の子孫 は必す天下を取らんと」の流言が行はれたるほどに非らずや。而して彼の義滿が太政大臣を望みて得ざるや、『よ し々々、義滿國王となりて斯波、細川、昌山、六角、山名を五攝家とし、土岐、赤松、仁木、京極、山内、一色、 武田を七攝家とし、共の外の諸大名を共の他の姓に任じ、菅家江家の式とし、橘、淸原の姓を以て共家を立て、諸 侯の陪臣の名高きを武家とし、鋒倉の管領氏滿を將軍として武道を糺して文事を起さば以て聖帯と云ふべし」とな し、百官公卿の所領を沒收して簒奪に着手したるや、實に共の權利を『我れ淸和の末なれば非理の道に非らず』と 章云ふ系統的誇榮に求めたりしに非らずや。ーー實に吾人が、日本民族は系統主義を以て家系を尊崇せしが故に皇室 を迫害せりと云ひ、系統主義の民族なりしと云ふ前提は凡ての民族の上古及び中世を通じて眞なり、而も共の故に 十 第萬世一系の皇室を扶翼せりと云ふ日本歴史の結論は皆明かに誤謬なりと云〈る者蠍に存す。 義而して系統主義は一面下層階級に對して系統崇拜たると共に、崇拜さるべき系統の貴族階級に取りては天皇と自 命系統主義は貴族階級をして天皇家とが同一の天皇より分れたる同一系統の同一なる枝なりと云ふ理由によりて平 的に對する手等主義とならしむ等主義の殺伐なる實行に於て詭明なりき。平氏の將門が『我は桓武の末なり』と 復して自立せんとしたる如き、源氏の足利義滿が『我れ淸和の末なれば非理の道に非らず』して簒奪せんとしたる如 論き實に系統を辿りて平等觀の漸時に發展したる者に外ならざるなり。 ( 吾人が前きに君臣一致論の却て大膽なる平 國等主義となりて自殺論法に終るを指示せるは徒らに歴史を無視せる推理に非らざるを見るべし ) 。 1 三目 所 中世史の忠孝主次ぎに論くべきは忠孝主義なり。忠と云ふ道德も古代の家長及び家長の間を聯ぐ遠き家長の靈 四義の特殊の説明に對する孝と云ふことゝ同一意義なりし者とは異なりて、忠共れ自身が充分に自律的道德として發 3 逹し、而して國民は忠と云ふ道德的義務の履行として亂臣賊子の下に皇室を打撃迫害したりき。
に賛同せる公卿に差控を命じ、父君典仁親王には合も恩威兼ね行ふかの如き面を以て ~ 母年二千苞を壻せしに過ぎ ざりき。實に德川幕府の三百年は終始を一貫せる義時奪氏以上の亂臣賊子なりしなり。斯くても三百年とは僅少の 例外か。 吾人は餘りに事實を羅列せざるべし。實に一千年間と傳詭さるゝ文字輸入までの原始的生活時代を除きて、爾來 の歴史的生活以後の一千五百年間は亂臣の手と賊子の足とを尾長猿の如く繋ぎて日本の歴史を編纂せるなり。固よ り皇室は第一の強者として最古の歴史的記録の編纂さるゝまでは強力によりて天下の權利を有したりき。而して此 の間に於て己に仁德天皇の如き理想的君主、雄略武烈天皇の如き専制的暴威を振へる君主と共に、社會の發達人口 の增加によりて蘇我族の強大となりて理想的の亂臣となり飽くまで専制的暴威を振ひし賊子を出したり。而して皇 日本歴史は亂臣賊子の連族中より大膽なる理想家の現れて漸くこの亂臣賊子を斃すや僅かに一百年を維持するに 絡して編纂したる者なり過ぎずして、記録的歴史以後は更に忽ち藤原氏の名に於て蘇我氏に代れる亂臣賊子を産 みしに非らずや。而して亦藤原氏の亂臣賊子去りて白河法王の驕慢なる政治に一瞬の榮華を夢みたりと雖も、直ち に曾兵と名くる亂臣賊子の暴力となり、淸盛と云ふ亂臣賊子の打撃となり、更に之を掃蕩して代れる亂臣賊子の木 曾義仲となれり。義仲と法王との對抗は共の餘りに露骨なるは一の喜劇にして、我れ己に法王に勝ちたり、法王と ならんか法王は法師なり、法師とならんも可笑し、天子は小兒なり、小 兒とならんも亦可ならずと壯語するに至れ 。而して此の亂臣賊子を破れる源賴朝は詐欺を以て主權の用を委任されし者にして ( 笑ふべき有賀博士よ ) 固よ り亂臣賊子なるべく、次に來れる義時は白刄に訴へて主權の用を委任せられし者にして ( 更に笑ふべき有賀博士 よ ) 又固より亂臣賊子なり。而して更に泰時時宗の亂臣賊子を經て高時の亂臣賊子に至り、終に時の皇室黨に敗ら れて北條氏の亂臣賊子は去りしと雖も、又更に足利奪氏と云ふ亂臣賊子を生じて共皇室黨を撃破し、義滿に至って 亂臣賊子の舞踏を充分に演じて足利氏の殺伐なる舞臺は廻轉せしと雖も、世は加ち戦國の群雄割據となりて全天下 悉く亂臣賊子となり、天皇を衣食の貧困に陷れて一顧だもせず、共の漸くに平靜なると共に猿面の亂臣賊子出でゝ 290
男性か女性か、プルンチュリーに從ひて男性なりと答ふべし。然らば和蘭は如何、男性の國家に女性の元首あるに 非らずや。而して更に見よ。英國と云ふ男性の國家には甞てヴィクトリアと云ふ女性の元首が附き今日現皇帝の印 位によりて男性の頭と變りたるは甚しき奇怪なる生物なるべく、而して斯る生物は人類種族中には共如何に高等な 天皇は國の元首りとも見られざる所の怪物にして、日本の歴史を顧みるに亦この奇怪なる生物たるを免れざるに にあらす 非ずや。然らば國家は牛馬にも非らず、鰐魚にも非らず、有性生物にもあらず高等なる人類にも 非らず、『國の元首』とは人類の頭にも非らず、鬚ある鰐魚の顏にもあらず、亦章魚坊主にも非らず。印ち何者にも 非ざる國の元首とは意味すべき何者も非らざるを以て、無一意義として棄却すべき文字也。今の憲法學者が『聖』 の文字を歴史的襲踏の形容辭として取扱ひ乍ら、等しく無意義になれる獨斷的比喩の痕跡たる『國の元首』の文字 を殊更に重大視して論議の焦點としつゝあるは理由なきも甚だし。 特に、斯る文字は學理の性質を有する者なり。而して國家は外部的生活を規定する者にして、思想の内部に迄立ち 入らざるは近代國家の原則とする所なり。印ち、法律命令を以て醫學上の眞理、化學上の方則を制定するこは國家の 爲さざる所なる如く、憲法の法文を以て國家學の舊き一學論たる比喩的國家有機體論を強制するとは大日本帝國の 試みざる所なり。只、憲法制定の當時に勢力ありし或る思想が偶々法文の上に痕跡を印したるに過ぎず。故に、假令ば 大日本帝國は三角形の地球にして此憲法の條文によりて月の周圍を運行すとの規定ありとも天文學者に強制の效カ を生ぜざると同一に、憲法學者は斯る國家學上の學理的性質を有する文字の外に獨立して自由に思考し得べきなり。 天皇は統治權を總實に吾人は此の主張によりて天皇は國の元首に非らずと信ずる者なり。而して更に憲法の精 纜する者に非らず訷と他の條文とに照して天皇は統治權を總攬する者に非らずと主張せんと欲する者なり。此の 主張は吾人をして今の凡ての國家主權論者の政體分類を絶對に排斥せしむ。 今の國家主權論者は最高機關によりて政體を分類し、君主政體と共和政體との大綱に二分す。而しながら斯くの 如くしては今の立憲君主政體の正當に思考されざるは論なきことなり。最高機關と云ふことが最も高き權限を有す