實に、法律的理想及び道德的信念に於ては日本現時の道德法律は堂々として社會民主々義なり。吾人をして更に 以上の見解より憲法學の解釋に返へらしめよ。 憲法第一條の「萬世一系」とあるは加ち、憲法第一條の『大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す』とある『萬世 將來のことにして歴史に係はりなし一系」の文字は皇室典範の皇位繼承法に讓りて棄却して考へて可なりと云ふと なり。何となれば、假令萬世一系とは直系ならずして無數の傍系より傍系の間を上下縱横せる歴史上の事實なりと も、又萬世一系の天皇悉く全日本國の上に統治者として繼續せざりし歴史上の事實なりとも、現天皇以後の天皇が 國家の最も重大なる機關に就くべき權利は現憲法によりて大日本帝國の明らかに維持する所なるを以てなり。且っ 章「一系』とは直系に非らず止むを得ざる場合に於ては共れみ \ の順序によりて遠き傍系に繼承權を擴張するを得る 十皇室典範の規定あるを以てなり。而して又『天皇』と云ふとも時代の進化によりて共の内容を進化せしめ、萬世の 第長き間に於て未だ甞て現天皇の如き意義の天皇なく、從て憲法の所謂『萬世一系の天皇』とは現天皇を以て始めと 義し、現天皇より以後の直系或は傍系を以て皇位を萬世に傳ふべしと云ふ將來の規定に屬す。憲法の文字は歴史學の 命眞理を決定するの權なし。從て「萬世一系』の文字を歴史以來の天皇が傍系を交へざる直系にして、萬世の天皇皆 的現天皇の如き國家の權威を表白せる者なりとの意義に解せば、重大なる誤謬なり。故に「萬世一系』の文字に對し 復ては多くの憲法學者が『禪聖』の文字に對して棄却を主張しつゝあるが如く棄却すべきか、或は吾人の如く憲法の 論精祚によりて法文の文字に歴史的意義を附せず萬世に皇位を傳ふべしとの將來の規定と解するかの二なり。而して 國後者とせば一系とは皇室典範によりて擴張されたる意義を有す。 吾人は又先きの憲法論に於て、日本の現代は國家主權の國體にして天皇と國民とは階級國家時代の如く契約的對 立にあらず、 ( 歐州中世時代の階級國家の憲法は君主と國民とは契約憲法を以て直接に權利義務の對立をなしたり 四と雖も日本の階級國家時代の諸君主は革命によりて華族の痕跡となれり ) 、從て日本現時の憲法は天皇と國民との 契約憲法に非らざると共に又君主々權權利義務を規定せず、廣義の國民が國家に對する關係の表白なりと云へり。 = ロ 361
王たる以外其の範圍内に於ける家長君主として 0 統治者たるこを失びしこなしーー貴族國 時代の「貴族」の意義ー・ー主權本來の意義は最高の統治者と云ふことにして統治者の上の統 治者君主の上の君主と云ふことなり 生權の思想は中世の出現にして今日は最高權と云 ふことなしーー・最高權の意義に於ける主權所在論は「王覇の辯」の名に於て天皇主權論と幕 府主權論との論爭なり 主權論とは無關係に天皇の君主たりしことに動きなしーー末 の國體論は天皇に對する尊王忠君を要求として唱へたるにて歴史上の事實として認めたる にあらず、萬世一系を奉戴すべき、とを要求として唱へたるにて歴史上の事實として奉戴し っゝありしと云ふにあらずーー・吾人は國體論の名に於て羅馬法王の敎義を排し、萬世一系 の連綿たるは國民の億兆心を一にして萬世缺くるなき亂臣賊子を働きたる結果なりと云ふ 章然らば如何にして誠に然り。然らば如何にして皇統は萬世一系なりや。日本民族は克く忠に萬世一系の皇統を 萬世一系なりや奉戴せりと云ふ從來の天動詭を顛倒して、亂臣賊子とは歴史を擧れる大多數にして二三の僅少 十 なる例外が皇室の忠臣義士なりと云ふ以上の解釋にして正當ならば、如何にして皇統は萬世一系なりやの反問は充 義分に理由あり。 命萬世一系の傳はれる理由は是の萬世一系の解釋は單に歴史解釋として重要なるのみならず、現今の國體及び政 的憲法學者に最も必要なり 體を研究する所の憲法學に取りて誠に看過すべからざる所の者なり。固より英國の憲 復法が共の憲法史によりてのみ解せらると云ふほどに明らさまに日本歴史によりて日本の現憲法が直ちに解釋せらる 論とは云はず。而しながらその西洋文明に接して共れの憲法を取り入れて現憲法の作られしと雖も、國家は直譯の被 國布を蒙ることによりて骨格まで變換するものにあらず。今の君主々權論を取る者が天皇を主權の本體となし、父國 籬家主權論を取る者が天皇を唯一最高の機關となすは、共に等しく憲法解釋の根底たる日本歴史につきて在來の天動 説を迷信するが故なり。 皇統は如何にして萬世一系なりや。この説明は依然として系統主義と忠孝主義となり。而して皇室は他の貴族階 315
崇拜と共等『眼前の君父』に對する經濟的從屬による忠孝主義とを以て皇室に對する亂臣賊子が成功したる、ーー ち謂はゞ亂臣賊子の紀念なり。斯る意味に於ける系統の繼績は今の出雲の禪官にもあり、彼は國民より主權者とし て奉戴されざる者なりと雖も耐代より連綿たりと云ふに非ずや。斯る一意味に於ける最も純粹なる眞の一系は印度の マラハーナにあり、彼は政權者にあらずしてクヰンスの權化したるより三千年の間只僅かに一囘傍系を養ふて繼 皇室の奉戴と云ふことゝ系統のがしめたることあるのみにして共の婚姻を結ぶは只印度の大皇室デルビー家に限 連續と云ふことゝは別問題なりらると云ふ、是れ無數の傍系より傍系に上下縱横し多くの人民の血液殊に藤原氏 の共れを無量に混ぜる日本の比に非らざるに非ずや。萬世一系そのことは國民の奉戴とは些の係りなし。秀吉は自 ら天兒屋根より多くの人民の血液と多くの傍系とによりて傳はれる萬世一系なりと考へたりしと雖も彼の父祖は 固より田園の匹婦なりしは論なし。穗積博士の如きは皇室も國民も同一なる血液にして自ら天照大訷の後裔なりと 考ふるを以て ( 白痴よ ! ) 、共の父砠が德川將軍に奉戴せられずとするも穗積家の斯る意味に於ける萬世一系なる 基督の後に羅馬法王ある如く國體論は羅馬ことは論なし。否 ! 單に萬世一系が國民の奉戴と係はりなしと云ふの 法王となりて今や眞理を迫害するに至れりみならんや、國民の餘りに亂臣賊子にして萬世一系が凡てを絶望せるを 以てなり。掠奪に憤慨せる維新革命の國體論者は、掠奪者を辯護して自らを天照大訷よりの萬世一系なりと考ふる 下賤なる國體論者を後繼とす ! 眞理の爲に十字架に昇れる基督の後に、眞理を僞はりて基督を十字架に昇す所の 羅馬法王あり。國體論が羅馬法王となれる今日、吾人は實に十字架に昇れる國體論者を思ふて涕泣せざる能はず。 枯骨夜陰に泣くや。 故に斷定すーー皇統の萬世一系あるは萬世の長き間國民が常に大膽殘忍なる亂臣賊子にして天皇は遠き以前に共 内容の大部分を掠奪せられ禪道の羅馬法王として絶望したるを以てなりと。實に萬世一系は亂臣賊子の紀念なり。 吾人をして十字架に昇れる國體論者の爲めに、國體論者を十字架に昇しつゝある所の羅馬法王に對して更に語ら しめよ。
皇室の復古的希望ては、大なる權利の獲得には大なる強力を要す。古代の天皇を見よ、九州の邊より畿内の端ま に伴はざる強力でを征服せる祚武、一劒虎龍の間を横行せる大和武奪、戰慄せる謀臣に抽でゝ自ら劒を振って 3 最強者を斬殺せる天智、斯る大なる強力の基礎に於てのみ大なる權利の君主國時代あるなり。 權利思想は時代 の進行に從ひて進化す。若し佛蘭西革命及び維新革命時代の如く貴族階級の強力による掠奪を中世の權利に非らず と否認するならば、共の否認の逆進は更に古代史に逆進して當時の天皇共者に對する由々しき結論を餘儀なくされ ざるべからず。斯る逆進的批判の歴史より外解せざるが故に、雄略天皇の當然なる權利を無視して暴逆無道なりと 云ひ、孝謙天皇の權利として行使せんとせる所を婦女子なるが故の溺愛なるかの如く考ふるなり。 吾人は古代 の天皇の絶對無限權が強力に伴ふ絶對の權利なることを強烈に主張す。而して中世の天皇が道の羅馬法王として の萬世一系なりしことを、貴族階級の亂臣賊子なりし事實によりて亦何者よりも強烈に主張す。 全日本の統治者たらんとの天皇の要求を國あゝ國體論者よ、この意味に於ける萬世一系は國民の克く忠なりしこ 民は常に張力に訴〈て拒絶しつゝありをとを々する國體論者に封して無恥の面上に加へらるべき大鐵槌なり。 印ち、天皇は深厚に德を樹てゝ全人民全國土の上に統治者たらんことを要求したりき、實に如何なる迫害の中に於 ても衣食の缺亡に陷れる窮迫の間に於ても寤寐に忘れざる要求なりき、然るに國民は強力に訴へて常に之を拒絶し たりと云ふとなり。ーー・何の國體論ぞ、斯る歴史の國民が克く忠に萬世一系の皇室を奉戴せりと云はゞ義時も奪氏 も大忠臣大義士にして、楠公父子は何の面目ありや。或は云ふべし、而しながら萬世一統に刄を加へざりしと。 ー亦何の國體論ぞ、是れ國民の凡てが悉く亂臣賊子に加擔して天皇をして共の要求の實現を絶望せしめたればなり。 幽閉の安全によりて系統斯ることが誠忠の奉戴ならば北條氏の兩統迭立と德川氏の不斷の脅迫讓位は何よりも誠 は斷絶するものに非らず忠なる萬世一系の奉戴にして幽閉の安全によりて系統は斷絶する者ならんや。問題は萬 世一系の繼續共事に非らずして如何にして萬世一系が繼績せしかの理由に在り。 斯る理由によりて繼續された 絶望の爲めに繼續したる萬世一系は亂臣る萬世一系は誠に以て亂臣賊子が永續不斷なりしとの表白に過ぎずして、 賊子が汞續不斷なりしととの表白なり 誠忠を弭辯する國體論者は宮城の門前に拜謝して死罪を待て ! 何の奉戴
國家の進化的分類と云ふ吾人の主張は弦に存す。 而しながら今の憲法學者と雖も西洋諸國の國家を歴史的進化に從ひて時代的に分類せざるにはあらず。只、我が 日本國を論ずるに於てのみ常に古今の差別を無視して「我が國體に於ては』と云ふ特殊の前置きを以て憲法論の諸 論より結論迄を一貫すとは抑々何の理由に基くぞ。ーー『萬世一系の皇統』と云ふことのあればなり。日本國民は此 我が國饐に於ての萬世一系の皇統と云ふことのあるが爲めに西洋諸國に於ては國體及び政は歴史の進化に從ひ と云ふ循環論法て進化せるも、日本民族のみ進化律の外に結跏趺坐して少しも進化せざる者なりと考へつゝある なり。故に日本の憲法學者に於ては、國體を憲法論に於て論ずるは我が國體は如何なる國體か、印ち主權は何處に 所在するかを決定せんが爲めなりと云ふに共の解釋としては常に必ず、萬世一系の我國體に於ては主權は天皇に在 りと一貫す。是れ少しも解釋に非らず、萬世一系の天皇に主權が所在するが故に主權は天皇に在りと云ふものなり。 日本國民は萬世一系の一語に頭蓋甲が年齡を問はれたるに乙と同じと答へ、更に乙を間はれて甲と同じと答ふる問 骨を毆打されて悉く白痴となる答の循環なり。笑ふべきは法律學者のみに非らず、倫理學者にても哲學者にても、 共の頭蓋骨を横ざまに萬世一系の一語に撃たれて悉く白痴となる。日本に於て國家の進化的分類なきは此の故なり。 萬世一系の皇統につきては後の歴史論に於て明瞭に論かん。只弦には憲法學に於て此の萬世一系の一語を一切演 繹の基礎となす穗積八朿氏を指定すれば足れり、博士の頭腦は此の語の打撲によりて憐むべき白痴となり、憲法に 徹頭より徹尾まてを矛係はる凡ての事が連絡もなく組織もなく、自ら述べて自ら打ち消し前きに主張して後に打 盾せる白痴の穗積博士破し、忽ち高天が原に躍り上りて祚集ひの訷道論をなし直ちに顧落して訷話の科學的研究 者となる。特に甚しきに至りては主權本質論に於て全く君主々權論者の地位を棄てゝ國家主權論者に一夐し、共の 歴史論と見らるべき言に於ても或は天皇主權論を唱ふる如く或は幕府主權論を唱ふる如し。本編は博士が國體論の 首領的代辯者なるが故に最も多く議論を及ばしたる者なり。或に吾人は轉士を能ふだけ精密に研究すべき必要のた めに、共の世に出したるだけの著書も見、諸雜誌に掲げられたる殆んど凡ての論説も見、年々歳々花相似たる大學
の末は長州薩摩の統治者等の上に最高權を發動する能はず、又皇室の強大を加へて從來の如く壓伏する能はざりし を以て當時の幕府を主權者なりと云ふ能はず。又假定して天皇を榮譽の源泉としてこの榮譽權を留保せしと云ふこ とを理由として國學者の如く天皇主權論を唱ふるも、共の榮譽權の行使が常に兵權によりて阻害せられ且っ榮譽權 の本體たる天皇が兵權者の自由によりて改廢せられしを以て或る時代に於ては此の意味に於ける主權者として議論 の貫徹せざるものあり。加ふるに強力が凡てを決定せし正義の時代に於て天皇御謀反の語あり、今日に於ても國際 間は尚多く強力による權利なるを以て主權國と非主權國とを分類するに兵權を第一要素に擧ぐる思想よりすれば、 吾人は斷言す、主權とは 主權論とは無關係に天皇の天皇主權論を以て一千年間を一貫することは困難なり。 君主たりしことに動ぎなし數多の家長君主等が抗爭の間に於て生ずる勢力の消長のことにして、主權者は共の時 代々々によりて決定すべく、決して不變のものにあらずと。故に吾人は斯る意味の主權論と無關係に諸侯幕府が各 々統治者たる君主にして天皇も亦決して統治者たることを失ひしことなしと斷言せんと欲す。加ち、天皇は天皇と して君主なりき、而して社會の進化は平等觀の擴張となり貴族階級が天皇を摸倣して到逵に努力し、群雄諸侯皆共 れ乙、に進化して共れた、の範圍内にて君主となりしなり。 故に、吾人は 幕末の國體論は天皇に對する鱇王忠君を要求として唱へたるにて歴史上の事實として認めたるにあらず、 萬世一系を奉戴すべきとを要求として唱へたるにて廳史上の事實として奉戴しつゝありしと云ふにあらず幕末の國體論者 の如く幕府諸侯が天皇の統治權を掠奪して天皇は實質なき室に名けられたる者なりと考ふるものにあらず、而しな がら彼等は國民は悉く天皇に尊王忠君なるべきことを要求として唱導したるものにして今の國體論の如く幕府諸侯 の掠奪を辯護して彼等を尊王忠君なりと稱揚したるが爲めに斬られたるに非らざりき。彼等は國民が萬世一系を奉 戴すべきことを要求として言へり、而しながら萬世一系が國民の奪王忠君に奉戴せられたる事實の爲めに零落悲慘 の極に達せりとして悲憤慷慨せざりき。彼等は零落悲慘なる萬世一系の繼績を橋土に伏して眺めたる時是れ國民の 萬世缺くるなき亂臣賊子の爲めに凡てを絶望せる罪惡の記念なりと感じたりや否やは知らず、而しながら萬世一系 は皇室一家のみの誇榮たるべき者にして國民の奉戴による数果に非らざることだけは確實に知れり。あゝ國體論は
者なるに係らず、荷且萬世一系の一語あるが爲めに國家主權者の根本思想の上に君主々權論を築き、特に共の代表 的學者たる穗積博士の如きは天皇も皇位も國家も一切を無差別に混同するに至れるなり。博士の憲法第一條を博士 の思想によりて組織し見よ、誠に下の如き奇怪を極めたる者となるべし。日く、國家に非らざる大日本の國土及び 人民は ( 然らずんば人格なき國土及び人民の二要素なる中世時代の大日本帝國は ) 、君主の利谷と目的との爲めに 存する私有地と奴隷にして、萬世一系の大日本帝國之を統治す。皇位或は天皇は大日本帝國なりと。 實に今の凡ての君主々權論者は共の執りつゝある近代思想を棄却して中世の國家觀に改むるか、然らずんば憲法 第一條より添削するかの何れかならざるべからず。 〔ン脱カ〕 而しながら誤解すべからず。吾人は決して憲法學の學理を法文の文字によりて定むべきものとなして斯るヂレマ 九憲法の文字と學を設くるものにあらず。故に今の凡ての君主々權論者にして憲法第一條の大日本帝國とあるを添 第理攻究の自由 削して國家に非らず單に土地と國民のみと改むるとも、固より學者としての自由たるべきなり。 義何となれば如何なる憲法も法文の文字共の儘を以ては決して解釋せられ得べきものにあらずして、憲法の解釋とは 命共の根本思想と共の表白たる多くの法文とが圓滑に考察さるべく共の法文の文字の意義を決定することに在ればな 。故に、萬世一系の天皇とあるを穗積轉士の之を萬世一系の大日本帝國と解釋することの自由なるが如く、又氏 復を除きて今の凡ての憲法學者の『天皇は禪聖にして犯すべからず』とある聖の文字を歴史的襲踏の意味なき者と 論して棄却しつゝある如く、吾人は又學理攻究の自由によりて憲法第四條につきて大に論議せざるべからず。印ち天 國皇は國の元首にして統治權を總攬し此の憲法の條規によりて之を行ふとある條文なり。 所問題は「國の元首』の一語に集まる。若し『國の元首』と云ふ語が訷聖の文字の如く單に歴史的襲踏の痕跡なら ば、學者は注意を拂はずして經過して可なり。何となれば、是れ恰も第一條が『櫻花爛漫たる大日本帝國は叡聖文 四武なる萬世一系の天皇之を統治す』と書き表はされたりとも、櫻花爛漫と云ひ叡聖文武と云ふが如きは法律學に取 ちては意義なきものにして、櫻花なければ帝國たるの要素に缺け叡聖文武ならざれば皇位に部く資格なしと云ふ性 1 三ロ 〔マこ 227
吾人が皇室の萬世一系あるは系統主義と忠孝主義と及び訷道の信仰によると云へるは以上の論明によりて解せら るべし。原始的生活時代は訷道の信仰と系統主義と忠孝主義の凡べてによりて共の勢力の及びたりし地方の間に於 て奉戴せられたりき。 ( 而して是れ他の凡べての部落は各その酋長を共の三者によりて奉戴することによりて逆進 的歴史家の所謂亂臣賊子を歴史的生活以前より一意味す ) 。歴史的生活時代に入りて君主國時代の初期は純然たる強 者の權を以て全日本に君臨し後大族の専横ありしに係らず系統崇拜の良心によりて萬世一系の犯さるゝことなく法 理上君主國時代として藤原氏の終局までを奉戴せられたりき。 ( 而して是れ藤原氏の系統を誇榮とする等しき系統 主義によりて君主國時代の殆ど凡べてを通ぜる亂臣賊子の壓迫なりき ) 。中世史の貴族國時代に入りては強者の爭 ふ所の者とは無關係なる「訷道の羅馬法王』として訷道の蓑退しつゝありし信仰に奉戴せられたりき。是れ賴朝よ 一千年とは今の先進國の文明に 章皇室の萬世一系あるは系統主義と忠主義とり德川氏に至る一千年の長き間なり、 十及び神道的信仰によると云へる以上の説明至るまでの歴史なり。さればこの長き間の社會の進化に於ては最早皇 室は系統のみによりて崇拜せられず陪臣の世と云ふが如く平等觀は實に強力の手によりて廣大に擴張せられ、維新 義 革命の王侯相將豈種あらんやとの共れが先づ一匹夫秀吉の腕によりて實現せらるゝに至れり。斯くの如くにして皇 命室は平等觀が更に擴張して貴族階級を顧覆するに至るまで、貴族階級だけに擴張せられたる平等觀によりて君主國 時代の意義を失ひ、全く『訷道の羅馬法王』として宗敎的榮譽を有したるに過ぎずなれり。固より吾人は革命以前 復は共の階級國家たるゆゑを以て社會の組織が系統主義と忠孝主義となりしを否むものに非らず。而しながら共の系 論統主義とは却て天皇と同一の枝なりと云ふ、若しくは父砠より天下の主たりと云ふ系統的誇榮による平等觀若しく 國は強者の權の表白として皇室に對する貴族階級の亂臣賊子となり、共系統的誇榮を負ふ所の貴族階級の下に隷屬す 籬る武士農奴の下暦に取りては系統崇拜の良心による亂臣賊子の加擔者として桀狗堯に味ゆるの理由をなすに外なら 編ず。忠孝主義は經濟的獨立による政治的自由の貴族階級に取りては全く意義なく、單に他の貴族若しくは皇室と對 四抗する場合に於て共の經濟的從屬の下階級に向って對抗者を打撃すべき義務の要求たるに過ぎず。 , ・ーー實に、中 世以後の萬世一系の繼績は皇室に對する系統崇拜に非ず、又天皇に對する忠孝主義に非ず、貴族階級に對する系統 327
共の所謂一要素の在る所天皇を指せる者なればなり。加ち憲法第一條の大日本帝國と明示されたる國家を統治權 の本體とせずして、萬世一系の天皇を統治權の本體なりとし從て天皇を國家なりと命名しつゝある者なればなり。 而しながら斯る混亂せる文字の使用は思想を秩序正しく排列する方法なりと云ふ定義の目的に反するのみならず、 思想の根底より混亂せしむることに於て徒らに法律學を攪亂するに過ぎず。近代國家の産物たる憲法に於て帝國と あらば博士等の定義する如く三要素ある近代思想の一國家なるべく、萬世一系の天皇とあらば又等しく斷絶せざる 皇統の天皇たるべし。然るに博士の如く、國家主權論の國家觀たる國家とは主權的に見れば統治權の主體なりとな し、從て共の主體たる天皇を恣に國家なりと命名するならば、日露戦爭は國家の戰爭にあらずして天皇一人の戰爭 となり六萬の死者を出したる者は萬世一系の天皇なりと論ぜざるべからず。斯る方法に於て文字を使用するが故に 今の國家主權論者も愽士を上智の移らざる者として優遇するの外なきなり。吾人が今日國家と云ふ思想を各々の國 九語によりて口より耳に送る時、共思想は必ず一定の領土の上に政治的團結を爲せる人類社會なりと云ふ近代思想の 國家觀なるは論なく、然るを況んや國家と云ふ時に亞米利加人が議會を思ひ出し、佛蘭西人が選擧人を考へ浮べざ 義る如く、吾人が大日本帝國と云ふときに榑士の如く皇位若しくは天皇を想起するが如きとあらんや。若し榑士の如 命く皇位印ち國家なりと云はゞ、或は高御倉なる者の上に田畠あり牛馬あるべく人民も往來すべく種々の建築物もあ 皇位或は天皇を國家なりるべく、而して伊太利の皇位は長靴の如く、日本の皇位は一千哩に渉る蛟龍の如しと考 復と命名することの結果ふる小學校生徒も無きに非らざるべし。又若し博士の如く天皇印ち國家なりと云はゞ、 論國家に美男子もあるべく頗る長芋に似たる面相もありと云ふべく、國家が鼻を垂らし居る時代もあるべく頭が追々 國禿げる國家もありと云ふに至るべし。獨乙の國家は愚を極めたる鬚を有して驕慢に滿てる演詭をなし、英國の國家 籬は一婦女子と婚して接吻することあり。君主が傷くときには國家が痛しと呼び、君主が散歩するときには國家は散 歩すべく、又君主が他に漫遊するときには國家は地球の上を移動し他の國家と撞突し他の國家の表面を滑べり行く 四べし。而して彼の治療の時に共の足を斷つや國家は今その足を失ふと云ひしフレデリック三世の言は穗積博士の憲 法學に於て引用を忘るべからざる權威たるべく、特に權威中の權威たる朕印ち國家なりと云へるルヰ十四世の言を 「ママ〕 223
十四世の如き專制權を振びしと解すとも亦等しく彼等の自由たるべし。吾人は吾人の見解、加ち天皇の褪先は皆多 く優温閑雅の詩人的天才を遺傳的に有し、儒敎の政治道德學を理想として國家の利益と目的との爲めに行動すべき ことを期待したりとの意見に於て爭ふも、敎育勅語違反の不敬漢なりと云ふが如き卑陋はロにだもせず、天皇と 吾人とは彼等を迫害すべき權利なきものなり。果して然らば、臣民は克く忠孝に世々その美を濟して萬世一系を奉 戴せりとの天皇の見解と吾人の見解と全く合する能はずとも、その天皇の歌風と「星〕菫詩人の文句とが背馳する が如き者と等しかるべく、吾人は學理攻究の自由によりて、皇室の常に優温閑雅なりしにも係らず、國民の砠先は 常に皇室を迫害打撃し、萬世一系の傷けられざりしは皇室自家の力を以て護りしなりと斷定するに於て何の憚りあ らんや。由來學理上の問題に政治的特權者の見解を引用して自家の醜劣を蔽ふの狂態は東洋の土人部落を外にして は見らるべからず。又他面より考ふるも敎育勅語中の共文字の如きは單に天皇の國民を稱揚したる者として見れば 可なり。幾多の戰爭に於て勝利を得る毎に、天皇より受くる稱讃に對して皆型の如く、是れ皆大元帥陛下の御稜威 に依るとして辭退しつゝあるに非ずや。皇室が自家の護りたる萬世一系を國民の奪王忠君なるが故に然りしかの如 く解し、却て皇室に恩を售らんとするが如き跡あるは獨り何ぞや。而も吾人の如く國民の砠先が皇室に對して悉く 天皇の鐵柵内に不忠不義の者のみなりしとを言はんとするものあらば恐らくは呼ばるゝに『不敬漢』の一言を以 侵入する者てすべし。斯る發狂は如何なる精訷病學者も病名に苦しまん。國家の刑法は國家の利益の爲に設 けられたる制度として、天皇と皇室とに不敬を加へたる者を許容せず。國民が歴史の鏡に照されて過去の行爲と良 心とを敘述さるゝに不敬罪を以て護るあらば、是れ天皇の鐵柵内に四千萬の國民が侵入する者なり。穗積博士の如 きは此侵入者の例にして、共著『憲法大一意」に於て『日本國民を忠孝の念に乏しと云ふ者は之を侮辱する者なり』 と云へるが如き是れなり。歴史をして充分に侮辱せしめよ。 日本には未だ歴而しながら日本に於ては歴史的事實の記録されたる者あるも未だ一の歴史哲學なる者なし。歴 史哲學なし史の一意義は社會進化の過程を知ることに在り。印ち歴史哲學とは社會哲學に包含されたる社會進