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検索対象: 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義
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1. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

サ 言はゞ間接の關係なり。彼の一般人民が土百姓として土地と共に恰も貴族の財産なるかの如く相續與或は殺戮せ られたる如き是の故にして、特に武士が共の仕ふる所の貴族の一意志によりて他に贈與せらるゝも自己の一意志を以て 拒絶する能はず、貴族の自由に御手討にするも自己の獨立を以て自家防衞を爲す能はざりしは、實に全く此の土地 に封する經濟的從屬關係よりして生ぜる奴隷的服從なり。而して今日の科學的倫理學が道德の進化を分ちて本能的 道德時代、摸倣的道德時代、批評的道德時代、と爲しつ、、ある如く、道德進化の過程として如何なる民族に於ても 貴族階級の土地を占有せる階級國家時代と土百姓中世史頃までは現存の道德を批評して共の上に超越せる道德的理 及び武士の經濟的從屬關係より生ぜる奴隷的服從想を掲ぐる能はざる摸倣的道德時代なりしを以て、己に社會の進 化して共の道德的形式を自律的に於てする時代に入れるに係らず、共の内容は古代より社會に現存する奴隷的服從 章の道德的訓誡を摸倣して受け入るゝの外無く、此の點よりしても中世史の武士道が各自の君 ~ 亠イする奴隷的服從 實に、此の貴族階級の土地を占有せるが爲めに生ずる經濟的從屬係と、中世 十を最高善とするに至りしなり。 第史の程度なる摸倣的道德時代と云ふ二つの理由によりて、自律的形式の壯嚴華麗なる武士道は共の道德的形式とし 義ては誠に高貴なる者なるに係らず道德的判斷の内容を奴隷的服從を以て充塞したりしなり。而して歐州中世史の . ナイト・キャラクター 命騎士氣質も共の中世史なることゝ階級國家なることに於て同様なり。 吾人が政治史と倫理史とは經濟状態の時代的考察によりて解せらると云へる者これなり。實に經濟的基礎に於て 復獨立する者は政治上に於ても道德上に於ても獨立の權利を有し、經濟的基礎に於て從屬する者は政治上に於ても道 論德上に於ても服從の義務を負ふ。故に、天皇が共の強力を以て凡ての土地 ( 而しながら事實に於て近畿、後に至っ 襃ては諸大族の分割となる ) を所有したる古代に於ては凡ての人民は天皇の下に政治上道德上の服從者なりしと雖も、 籬貴族階級の經濟的獨立に源平以後の貴族國時代に人りては同じき強力による土地の掠奪によりて經濟上の獨立を よる政治的道徳的獨立得たる貴族階級は天皇に對して政治的道德的の自由獨立を以て被治者たるべき政治的義 四務と奴隷的服從の道德的義務を拒絶し、而して共等の亂臣賊子の下に在る家の子郎等武士或は土百姓は共等の貴族 階級に對する經濟的從屬關係よりして貴族を主君として奉戴すべき政治的義務と共下に奴隷酌に服從すべき道德的 フ 307

2. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

凡ての道德は社會の生存進化の爲めなり、道德的判斷は社會の生存進化の目的に應じて作らる。而して社會の形 態は經濟關係の共れ々々異なるに從ひて組織を異にす。故に又道德の内容も社會組織の異なれるに從ひて異なる。 是れ今日に於ては何人も知れる所の者にして、經済的要求を充たす能はざる境遇の野蠻人が人肉を喰ふことを事 に非らずとし、幼兒を殺し或は遺棄することを不道德に非らずとするは共の經濟妝態を異にするによりて異なる道 道徳の形態と社德にして、移住の際にプラジル土人が頭大の棒を振って老人を撲殺するを道德上の權利と考へ、 會の經濟的境遇飢餓の時にエスキモー人は老人自ら發議して部落の會議にて自殺を決することを道德上の義務と 思ふは、亦經濟的缺亡の社會組織に伴ふ異なれる道德なるなり。然るに經濟的要求の充分に滿足さるゝ支那の如き は全く道德を異にして古代より老人を敬養することを最高善となし今日の文明國に於ては殺兄の如きは戰慄すべき 犯罪とせられつゝあるに非らずや。斯くの如きは固より極端に相異せし事例を擧げしに過ぎずと雖も、社會生存の 維持たる道德が共の社會の置かれたる經濟的境遇によりて共れ々々異なるの斯くまでに甚しきは以て推想さるべし。 此の社會の組織道德の形式が經濟妝態によりて各異なると云ふことを皮想的に土地或は黄金とのみ見ず、生命維持 の物質的資料と解するならば、社會と云ふ大なる個體の生物が共の生命を維持せんが爲めに經濟状態の異なるに從 ひて共の組織と、及び組織を繋ぐ道德とを共の目的に從ひて共れ々々霞化せしむるは當然のことなり。實に社會と は一個の生物にして生物は生存進化の目的の爲めに共の境遇に適應する形式を取る者なればなり ( 『生物進化論と 政治史及び倫理史の根底と社會哲學を』見よ ) 。故に道德の進化と云ふことは社會の進化と云ふことにして社會の して經濟状態の時代的考察進化と云ふことは經濟妝態の進化と云ふことなり。是を以て道德の進化を見る倫理史 と社會の變遷を察する政治史とは凡て經濟妝態の時代的考察によりて解せらる。 忠とは經濟物としての處分に服 印ち、人類が他の人類の所有權の下に經濟物たりし奴隷制度に於ては經濟物と 從すべを奴隷の道徳的義務なりしての處分に服從すべき道德あり。印ち自己の身體が自己の所有に非らずして自 〔マこ 己を處有する他の人類の之を贈與し賣買し殺傷すべき權利を承認する所の道德なり。是れ忠と云ふ奴隷的道德の最 も原始的なるものにして、家長の所有權の下にある家族及び征服せられたる奴隷の子孫は、前きに詭ける道德の社

3. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

のまゝに受取るとするも恰も今日幾萬年の歴史を有する南洋の土人が依然として野蠻を繰り返へしつゝある如く、 原始的生活時代の當然として祖先の無數の靈魂は固より、日月風雷より蛇島魚石の訷に至るまで無數の外部的強迫 力によりて社會の維持せられたる他律的道德の時代なりき。然るに遙かに進歩せる社會の儒敎佛敎等の自律的道德 の入るに及びて、從來他律的に系統主義を以て家長の下に團結したりし者、明確に自律的一意識として訓誡せられ、 國民は系統的團結を道德の最高善となし外部的強迫力たる祖先の靈魂或は刑罰等を待たず、自ら良心の無上命令と して進で系統主義の下に一切行爲を爲すに至れるなり。而して良心とは單に道德的判斷の本體と云ふ一意味にして、 如何に道德的行爲を判斷すべきやとの内容は全く出生後の社會的境遇によりて作成せらるゝものなり。 ( 『社會主義 の倫理的理想』に於て良心形成の理由を詭ける所を見よ。 ) 而して又道德とは社會を進化せしむるより先きに、現 章存の社會によりて作り始めらるゝが故に、先づ社會を現存のまゝに維持することより外なく、而して共の事を以て 十摸倣的道徳時代の最初の任務となす。故に等しく良心による自律的道德と云ふも、今日に比しては固より社會の 第中世史と系統崇拜進化せざりし時代なりしを以て現存の道德の上に超越して現存の道德を疑ひて更に進化せる道 義德の理想を掲ぐるなく、 而して特に海洋に封鎖せられたる日本民族の中世史に於ては今日の如く他の社會の 命進化の程度或は方向を異にせる道德とを比較對照してさらに進化せる道德の理想を得て、現存の道德を批判するの 機會なかりしを以て、良心の形成に於ては全く投射的摸倣的にして己に社會に存在する道德的慣習倫理的訓誡を受 復け入るゝに止まりたりしなり。斯くの如き疑問なき摸倣的道德時代の中世史に於て、如何なる民族にも嘗て一たび 論崇拜せられたる系統の價値が強烈なる渇仰を以て迎へられたることは當然にして。人口の坿加による同一系統の繁 國殖と社會の衝突動亂による社會意識の發展とによりて・ーー印ち系統を辿りて或は系統を越えてーー人類の平等觀が 漸時に擴張せらるゝに係らず、何々の末、何々の後と云ふこは誠に奪貴なるものとして絶對に服從すべき者なりと して受動的に道德的判斷の内容が作られたるなりき。是の系統崇拜は敢て日本民族のみに限らず、社會意識が系統 四を辿りて發展しつゝありし上古及び中世に於ては今の歐州民族と雖も實に長く社會の良心を支配せしものにして、 今日荷取るにも足らぬホー ( ンツォルゲンを鼻に脱糞する聖の獨乙皇帝社會民主々義の前に抵抗を試みつゝ 一三ロ 301

4. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

今の法律道德の理想が社會主義によりて實現せられたるの世は然らず。道德に努力なく克己なし。人は悉く社會 性の自由に從ひて必致的に道德に從ふ。故に道德的行爲を以て克己と努力とに在りとせば、社會主義の世には道德 家と稱せらるゝ者なく、共最も必要なるものなるに係らず人は空氣の如く無代價に感ずべし。 是に於ては道德 社會主義の世は無道世界と云ふも不可なく無道德の世と云ふも可なり。今日に於ても盜賊と貧困者に取りては殺 徳の世界と云ふべしさず盜まずと云ふことが大なる努力と克己とによりて達せらるべき道德なるに係らず、恒産 と恒心とあるものには單に共れだけにて何の奪きことを加へざる平常の無意識に非らずや。今日の如く黄金と權カ との社會組織に於てこそ、吝嗇ならずとか、賄賂を貪らずとか、買收されずとか、權力を濫用せずとか、云ふに過 ぎざる消極的の道德行爲も、大度なる實業家と云はれ淸廉なる官吏と云はれ高潔なる議員と云はれ賢良なる大臣と 云はるゝなり。而して是れ大なる努力と克己とによりて不德に抵抗し得たる僅少の人格にして、共の多く要求せら れて誠に少なきダイヤモンドの如くなるを以て燦爛たる光輝を放ちっゝあるなり。而しながら、黄金と權力との社 會組織の去れる社會主義の世に於ては、恰も盜賊と貧困者が大なる努力と克己とによりて逵する殺さず盜まずと云 ふ道德の如く誠。 一こ價値なき平凡のことゝなる。凡ての個人は社會に經濟的從屬關係を有するを以て大我共者の一分 子たることを意識して獻身的道德を生ず。 ( 第二編『社會主義の倫理的理想』及び第四編『所謂國體論の復古的革命 主義』に於て經濟と道德法律の關係を説けるを見よ ) 。社會は社會性の自由に活動すべく社會の利益を目的として 凡ての制度を組織せるを以て、社會性の他に壓伏せられて共の自由の東縛を感ずることなく、個人性は個人自身が 社會の一分子としての發展として共の自由を尊重せられ、自我の發展共れ自身が道德的意義を有すべし。斯くのご とくならば意志自由論もなく一意志必致論もなく各人の恣なる行動それ自身が道德的行爲となるべし。 而して恣 なる行動が凡て道德的行爲ならば是れ誠に無道德の世なり。而して、社會性を培養する所の社會組織によりて強盛 にせられたる社會性は、雌雄競爭によりて累積せられて遺傅し更に強き社會的本能となる。本能とは遺傳の累積な り。印ち後天的の社會的境遇によりて強盛にせられたる社會性は、共社會的境遇の強盛を遺傳して先天的に瓧會性 の強盛なるものを有する、所謂聖の天なるものとなる。若し、是の道德の本能化を否むものあらば、是れ實に天地 186

5. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

以降。平、源氏、北條氏、足利氏、德川氏に至る中世史。ーー此の聯綿たる亂臣賊子は實に系統主義と忠臣主 義の家長國の當然として共等家長君主の下に在る臣屬の忠によりて皇室を打迫害し來れり。而しながら等しく家 中世史の系統主長國の潮流なりと云ふも、系統の一事のみによりて社會の組織されたる古代とは中世史の大に異 義の特殊の説明なるは論なく、從て源氏と云ふ系統の一家のみ平家と云ふ系統の一族のみは家長制度と忠孝主義 とを以て亂臣賊子を働きたるべきは上述の詭明によりて解せらるべしと雖も、共等の系統以外の多くの祖先等が亦 等しく亂臣賊子に加擔せることは社會の進化に應ずる特殊の理由に求めざるべからず。先づ系統主義より説く。 此の詭明は聊か精細に道德の起原、良心の形成と云ふが如き科學的倫理學につきて考察せる者に取りては容易に 解せらるべきなり。言ふまでも無く、道德の本質は本能として存する社會性に在り。而しながら道德の形を取りて 行爲となるには先づ最初に外部的強迫力を以て共の時代及び共の地方に適應する形に社會性が作 道徳の本質 らるゝとを要す。道德とは此の形成せられたる社會性のことにして、單に道德とのみ云ひては恰 も物理學上の原子と云ふが如く思考上の者に過ぎず、地方的道德時代的道德として地方を異にし時代を異にする社 會によりて形成せられたるものとして始めて行爲に現はる。今日の野蠻部落に於ける慣習の些少なる者と雖も嚴格 を極めたる刑罰を以て強制するは實に社會性を外部的強迫力によりて形成しつゝある者にして、而して共の外部的 強迫力としては砠先敎多祚敎の日月星辰より犬馬木石に至るまで訷とせられたるを以て到る處無數の訷が外部より 他律的道徳時代との監視者として道德を強迫したりき。然るに社會の進化するに從ひて此の外部的張迫力を漸時 自律的道徳時代に内部に移して良心の強迫力となし、慘酷なる刑罰によりて臨まれずとも又無數の祚によりて 監視されずとも、良心共れ自體の張迫力を無上命令としてに自律的道德時代に入る。他律的道德と自律的道德と は人の一生に於て小兒より大人に至る間に進化する過程なる如く、社會の大なる生涯に於ても共の社會の生長發達 に從ひて他律的道德の時代より自律的道德の時代に進化する者なり。日本民族の道德發逵の順序と雖も亦この理に 洩るべからず。外國文明輸入までの應訷仁德に至る一千年間と傳論さるゝ周は、先きに言へる如く共の年數を轉論 8

6. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

義務とを有して從屬したりしなり。從て共從屬する所の貴族が共の政治的道德的の自由獨立を所謂亂臣賊子の形に 於て主張する場合に於ては、貴族の下に生活する中世史の日本民族は、共經済的從屬開係よりして忠の履行者となや り、以て亂臣賊子の加擔者となりて皇室を打撃迫害したりしなり。彼の武士道の幼期とも名くべき時代の賴朝の訓 誡に、「主從互に恩義を重ずべきと」とあるは此の經濟的從屬關係を論明するに、主君を經濟的恩恵よりして土地 米祿を與ふるものとし土地米祿を受くる臣僕に對して恩惠に對する從屬的義務を要求したる者なりと見るべく、彼 れ以後の發逹せる武士道が『共の酬に命を君に參らする者ぞかし、我が物に非らずと思ふべし」 武士道の理論 と云ふを以て訓誨の理論とせるは、主君の經濟的恩惠によりて臣僕の一身一家の維持さるゝを以 て主君の恩惠によりて繋がれたる身命は主君の利谷の爲めに酬いとして捨つべき身命なりと云ふ、經濟的從屬關係 より生ぜる政治的道德的服從の承認なり。而して武士道は此の忠を良心の無上命令とする貴き自律的形式に於て行 ふ、中世貴族國の一千年間が全く皇室に封する亂臣賊子を以て一貫せる者論なきことなり。印ち武士道の良心を以 武士道は皇室をてする皇室の迫害なりしなり。 實に、吾人が、日本民族は忠孝主義を以て忠孝を最高善とせ 迫害せる者なりるが故に皇室を打撃したりと云ひ、忠孝主義の民族なりしと云ふ前提は凡ての民族の上古及び中 世を通じて眞なり、而も共の故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云ふ日本歴史の結論は皆明かに虚僞なりと云へる 者弦に存す。 井上博士は土人今日の國體論者は武士道と共に起れる武門を怒り武門起りて皇室ふと悲憤慷慨す。而も萬世 の酋長なり 一系の鐵槌に頭蓋骨を打撲せられて武士道と共に天皇陛下萬歳を叫びつゝあり。土人部落なるか な。 ( 彼の文科大學長文學博士井上哲次郎氏の如きこの土人の酋長なりとす。彼の凡ての著書を見よ ) 。 所謂例外の忠臣義士なる者系統主義と忠孝主義に對する以上の説明は所謂皇室の忠臣義士なる者の僅少なる例 につきて更に一段の考察外につきて更に一歩を進めて考察せしむ。 先づ忠臣義士と稱せらるゝものを國體論者に習ひて歴史の始より數ふるに、四道將軍あり武内宿ありと屈指さ

7. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

の努力によりて始めて道德的評價を附せらるとせば、好んで妻を愛し友を愛し社會國家を愛する如きは道德的行爲 とさるゝ價値無かるべく、母が自身の身よりも子を愛するこは苦痛にもあらず又克己にもあらず努力にも非らざる 〔君子力〕 を以て些の道德的なりと云はるゝ理由なし。又、君主の所謂七十にして心の欲する所に從ひて規を超えずと云へる ごとき習慣化せる道德的行爲は共の苦痛なく努力なく克己なきに至るを以て、習慣化せざる時代よりも大に道德的 價値に於て下落せざるべからざる筈なるべく、 父祖の遺傳によりて道德的傾向を繼承せるものゝ行爲の如きは全く 努力なきを以て市場に於ける道德的價格は無代價なりと論ぜざるべからず。而も是れマークスの價格論の誤謬にし 個人主義の倫理學は社會性のて吾人は天産物なりとて價値共れ自身に代價を拂ひっゝある如く、所謂天品の仙骨 滿足の爲めなる道徳を解せずのごとき最も奪重せらるゝに非らずや。 而しながら如何なる價値ある者も室気 の如く存すれば價格なし。價値の少なき者も需要に應ずる能はざる少數の者は價値以上の價格を表はす。今日『道 德」が無限の價格を表はれつゝあるは共の要求の甚しくして、而も天産物として存する聖の天なる者がダイヤモン ドよりも少なく、又非倫理的社會組織の中に於ては徒らに努力多くして人造の寶石が得られざるの故なり。人は個 八 人の立脚點より見ての利己心を有すると共に、社會の立脚點より見ての社會的利己心を有す。故に、彼の意志自由 意志自由論と意志必論と云ひ、意志必致論と云ひ、顯微鏡以後の個體の科學的基礎より考ふれば少しも論爭すべ 哲致論とは合致す・ヘしきことに非らず。意志自由論は一意志の自由とは最も多き内心の必致なりと云ふ點に於て意志 社必致論と合致し、一意志必致論は亦等しく意志の必致とは最も多き内心の自由なりと云ふ點に於て一意志自由論と合致 論す。印ち、吾人が道德を行ふは最も多き内心の必致に驅られたるにて、吾人の罪惡を犯すは最も多き内心の自由に 進從びたるなり。人は内心に於て社會性と個人性とを有す。内心に於て社會性が最も強盛にして他の個人性を壓して 物働くときに於ては人は共の最も多き社會性の必致に驅られて道德をなし社會性はに自由を感じて意志自由論とな る。而しながら壓伏せられたる個人性は共の自由を失ふが故にこの意味に於て意志必致論なり。是れと同じく、共 參の内心に於て個人性が最も盛にして他の社會性を壓して現はるゝ時に於ては人は最も多き個人性の自由に打ち勝 たれて社會性は必致を感じ一意志必致論となる。而しながら打ち勝ちたる個人性は共の自由を得たるが故にこの一意味

8. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

奴隷制度の繼續と隷の子は恰も牛の子が農夫の所有たるが如く産みの親の之を賣るときに於ては盜罪に處せられ 自律的時代の殉死し程なれは、大化革命後に於て三族の誅滅を以て殉死の禁を勵行せしに見ても如何に甚しく行 3 はれたるかを推想し得べし。斯く人類を經濟物とする奴隷制度は荷中世に繼績して、倭寇時代には人商人、人買船 と稱せらるゝ者ありて奴隷賣買の行はれ、羅馬に於けるが如く奴隷の病むや平常之を愛用せしに係らず小屋の隅或 は路傍に放置し、又姨捨山の物語にある如く奴隷の老度者を山林に捨てたりき。實に忠と云ふ道德は人類の人格を 剥奪し之を經濟物として共の所有主の處分に服從せしむる奴隷的道德なり。從て殉死と云ふが如き經濟物の處分は 此の奴隷制度の繼績する間忠なる名に於て種々なる形式の下に存績せしことは當然にして、共の自律的道德時代に 入るや奴隷の聊か人格をもたげつゝ始まりし家の子郎等が主君の戰死に伴ひて共の屍の傍らに殉死し、德川時代の 武士が幕府の嚴罰を以て諸侯を戒飭せるに係らす大名の死と共に冥途の御伴なりとして必ず二三の殉死者を絶たざ りし如き是れなり。彼の『貞女は兩夫に見えず忠臣は二君に仕へず』と云ふの言は、婦人及び臣僕が夫と君との所 有物なることを自律的道德に於て承認すべきことを訓誡する者にして殉死の聊か輕減せられたる者と考へらるべし。 武士道は奴隷の道徳を實に、日本中世史の武士道は共の自律的道德にまで進める點に於ては誠に美はしきもの 自律的形式に於て行ふなりと雖も、共の人格たるべき人類を君主の所有物、印ち君主の所有權の下に物格として 贈與せられ殺戮せらるべきことを承認したる奴隷的道德の繼承なりき。是れ敢て日本のみに限らず社會の進化道德 の發達の過程として如何なる民族も必ず一たびは經由せざるべからざる進化の一階段にして、歐州中世史に於ても 日本と等しき貴族國たることに於て、日本と等しく忠を眠目とせる騎士氛質を産みし如き是れなり。而しながら 弦に注意すべきは社會の漸時的進化のことにして、中世貴族國の家長君主等は共の家長君主等の目的と利益との爲 めに土地及び人民が共の所有權の客體として存したる者なりと雖も、古代の家長制度よりも漸時に進化して共の所 有物たりし人民も、古代の家長の下に在りし奴隷より或る程度まで人格を認識されたる者なり。印ち人類共れ自體 が直接に貴族の所有權の下に經濟物として取扱はれず、人類を養ふべき土地が貴族の所有物なりしを以て土地に對 する經濟的從屬關係よりして土地に養はるゝ人類共の者を土地の所有者たる貴族の從屬物と考ふるに至りしなり。 ナイト・キャラクター

9. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

日吾人の社會主義を難ずるに個體責任論を以て對抗するが如きは、實に個人主義以前の偏局的社會主義時代の如く 個人が上階級に從屬して一個の責任體たらざりし共れと同一視する者なり。 賣買廢止は亦こ社會主義が徴兵的軍隊組織の勞働法を以て個人間の賣買關係を維持せんとする講壇社會主義を の理由による 排するは亦理由の一をこゝに有す。固より單純なる經濟論として考ふるも、無數の商店、商人、 店員、仲買人、取引所、ありて無用の資本と無用の勞力とを投じて相破壞し以て強大の浪費をなし、生産より直に 消費に移らず交換と云ふ戰場を通過して生産物の多くを破壞せられ軍事費を負擔せられて生産費に倍增せる價格と して消費者の手に來ることは、人類の當然に棄却すべき愚劣なりと雖も、純正社會主義が特に徴兵的勞働組織の生 産法を主張するは、經濟的從屬關係に於て社會と個人とを直接ならしめんとするに在り。印ち徴兵的勞働に於て生 産せられたる貨物を凡て一たび社會の者となし更に社會より社會の貨物に對する平等の購買力を表示する紙片とし て分配せらるゝことは、個人をして社會の爲めに存するとを明確なる責任に於て自覺するに至るべきを以てなり。 ( 前編の『社會主義の經濟的正義』に於て公共心の經濟的活動を論じたる所を見よ ) 。彼の武士の階級亡びて武士 獻身的道徳の武士道と素町人の利己的道徳との差は道滅び、卑劣なる利己心を中心とせる素町人道德が今日に跋扈 經濟的關係に於て責任を有すると有せざるとによる する所以の者は共の武士道なる者の貴族階級に對して奴隷的服 從の卑むべき要素を含むに係らず、經濟的從屬關係を有する主君の爲めに身を捨てゝ盡くす獻身的道德の高貴なる に反し、素町人道德は自己の經濟的勞力によりて自己の維持さるゝを以て自己中心の卑むべき道德となり、而して 今日は凡ての個人が社會國家に從屬する經濟的關係なく自己の経濟的努力によりて自己を維持しつゝありと信ぜら るゝが故に素町人道德の個人主義を繼承しつゝあるなり。個人主義は社會主義の下に於て奪とし。個人は社會共者 の幸輻進化に努力する良心と行爲とありて奪とし。個人共者の自由獨立の爲めに個人の自由獨立は價値なく、社會 ナイト・キャラクー の幸進化の爲めに個人の自由獨立はとし。故に貴族國時代の武士道騎士氣質が共の經濟的從屬關係を有する貴 國家社會に對する經濟的從屬關係より族に對して獻身的道德を有したる如く、經濟的貴族國の打破せられて經濟的 國家會に当する獻身齣道徳を生すに一國家一瓧會となるに至るや、全國民全會員は共の經濟的從屬係を有す

10. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

普人は故人を嘲笑せんが爲に笑謔の材料として斯る引用を爲す者にあらず。穗積榑士が基督敎の世界主義に於て 訷道のアダム、イヴを執るか、或は父訷道のアダム、イヴを猫太敎の排外思想に於て取るかの撰擇に利するあらん としての善意のみ。穗積博士は今荷社會の起原を家族團體なりと云へる舊き臆詭によりて解する程なるが故に、生 物進化論を解せざることに於て恰も黑川榑士が古典を引用して對抗せしに敵すべし。果して然らば黑川博士の、 『外邦の人民は猿の化したる者なるべけれど我が人民は然らず』と斷定し、「猿ならざること明瞭なり』と一末千 鈞の力を以て結べる確信の程度は、實に議論の一貫せることに於て遙かに穗積博士を超過せりと云ふべし。若し穗 神道の勢力の皆積榑士の猶太敎的訷道の信仰にして斯くまでに固く、他人に訷道的信仰を要求する如く氏自身の 無 衷情に於て君臣一家論や忠孝一致論を信仰個條とするならば、誠に以て國體寺の座主たるべき榮 譽に孤負せざるなり。而しながら注一意すべきことは、國體寺は腐敗せる本願寺よりも多くの信者を有せざることに 在り。然らざれば翁嫗の念佛唱名を壓して『高天ヶ原に訷づまり』の聲が日本全國に蚊の鳴く如く聞え渡らざるべ からざる理に非ずや。而して新智識者と稱する者の社に叩頭する者の少なくして敎會に行くものゝ多くなれるは 解すべからざる現象に非らずや。斯く迄に訷道の信仰が皆無となれる今日に於て大日本帝國と共の重大なる機關の 一たる天皇を祚道の基礎を以て代へんとするは何たる革命家そ。否、恐く國體寺の座主共の人と雖も共の科學的攻 究を以て訷道の敎義を毀傷しつゝある如く、只革命論の便宜の爲めに唱ふるに過ぎずして衷心は決して些の信仰だ も無かるべしと考ふ。 吾人は理由なくして他の信仰の衷心に迄立ち入りて想像を逞うするの愼むべき一とを知る。而しながら穗積博士の 議論は之を今日の國家主權の國體より見る時に於ては明かに革命論として斷ずるの外なく、大化革命の遠き昔より 氏は天皇を空虚の理想として畫かれ明治維新に於て漸くに實現せられたる公民國家と、共の國家の機關として國 上に置きて覆〈す家の基礎の上に置かれたる天皇とを、自家も信ぜざる訷道の信仰の上に置かんとする者に非ら ずや。自家も信ぜず天下も信ぜざる信仰とは信ずる者なき死せる信仰と云ふことにして、室虚の上に天皇を置くと 云ふことなり、印ち何者の上にも置かずして覆へすと云ふことなり。 事實は歴史の上に存在す、大化革命を以 「髮カ〕