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検索対象: 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義
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1. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

男性か女性か、プルンチュリーに從ひて男性なりと答ふべし。然らば和蘭は如何、男性の國家に女性の元首あるに 非らずや。而して更に見よ。英國と云ふ男性の國家には甞てヴィクトリアと云ふ女性の元首が附き今日現皇帝の印 位によりて男性の頭と變りたるは甚しき奇怪なる生物なるべく、而して斯る生物は人類種族中には共如何に高等な 天皇は國の元首りとも見られざる所の怪物にして、日本の歴史を顧みるに亦この奇怪なる生物たるを免れざるに にあらす 非ずや。然らば國家は牛馬にも非らず、鰐魚にも非らず、有性生物にもあらず高等なる人類にも 非らず、『國の元首』とは人類の頭にも非らず、鬚ある鰐魚の顏にもあらず、亦章魚坊主にも非らず。印ち何者にも 非ざる國の元首とは意味すべき何者も非らざるを以て、無一意義として棄却すべき文字也。今の憲法學者が『聖』 の文字を歴史的襲踏の形容辭として取扱ひ乍ら、等しく無意義になれる獨斷的比喩の痕跡たる『國の元首』の文字 を殊更に重大視して論議の焦點としつゝあるは理由なきも甚だし。 特に、斯る文字は學理の性質を有する者なり。而して國家は外部的生活を規定する者にして、思想の内部に迄立ち 入らざるは近代國家の原則とする所なり。印ち、法律命令を以て醫學上の眞理、化學上の方則を制定するこは國家の 爲さざる所なる如く、憲法の法文を以て國家學の舊き一學論たる比喩的國家有機體論を強制するとは大日本帝國の 試みざる所なり。只、憲法制定の當時に勢力ありし或る思想が偶々法文の上に痕跡を印したるに過ぎず。故に、假令ば 大日本帝國は三角形の地球にして此憲法の條文によりて月の周圍を運行すとの規定ありとも天文學者に強制の效カ を生ぜざると同一に、憲法學者は斯る國家學上の學理的性質を有する文字の外に獨立して自由に思考し得べきなり。 天皇は統治權を總實に吾人は此の主張によりて天皇は國の元首に非らずと信ずる者なり。而して更に憲法の精 纜する者に非らず訷と他の條文とに照して天皇は統治權を總攬する者に非らずと主張せんと欲する者なり。此の 主張は吾人をして今の凡ての國家主權論者の政體分類を絶對に排斥せしむ。 今の國家主權論者は最高機關によりて政體を分類し、君主政體と共和政體との大綱に二分す。而しながら斯くの 如くしては今の立憲君主政體の正當に思考されざるは論なきことなり。最高機關と云ふことが最も高き權限を有す

2. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

ゝも、荷且っ民主々義を解せざるかの如き面貌を装ふ國民の狡猾とは正反對なる露骨なりと雖も、而も全國民が彼 を共和演詭を爲せる大臣を打撃したる如く排斥せずして、奪氏に次ぐ權力者として奉戴せるは政黨内閣論者の祖先 たるに恥ぢざる亂臣賊子の國民と云ふべし。足利義滿の如きは北朝の天皇を自家の恣に製作し南朝の天皇を降伏せ しめ、共の太政大臣を望みて與へられざるや、張迫や威示に非らずして自ら立ちて天皇たらんとし、共死するや天 皇より實に太上天皇の謚名あらんとせしに非らずや。足利氏は恰も後白河法王が源平二氏の權力平均の上に榮華を 夢みたる如く、他日の戦國と名けられ群雄割據と稱せられて知らるゝ家長君主國の大混戦の上に暫く金閣寺を建て ゝ徒らに段上人の風流を學びしに過ぎざりしを以て、皇室が足利氏以降の零落窮困につきて獨り責任の負擔者たる べからざるは論なし。而しながら所謂國體論者に於ては戰國時代に於ける皇室の悲慘を極めたる零落につきて何者 が責任者なるかを指示せざるべからず。土御門天皇が崩ぜし時葬式の費用なくして葬る能はざるが爲に柩に入れて 戰國時代の皇室御殿の黑戸に置くこと四十餘日間、近臣宮女等宿直して之を護りしに皇太子の來りて十善の身に の悲慘の事例は貧調なしと白居易の歌ひしは僞りなりと聲を放ちて泣きしと云ふに非ずや。後柏原帝の印位式 を行ふ能はずして費用を時の管領細川政元に求めたるに、政元は將軍にて足る他は要せずと拒絶して顧みず、二十 年間之を行ふ能はず、漸く本願寺兼光より金一萬貫を借りて式を繆へたりと云ふに非らずや。後奈良天皇の時には 貧困殆ど極度に達し三條西實隆の苦心によりて諸方の豪族より數石の米數兩の金の寄附を求め廻りて漸く衣食の料 を得たりと云ふに非らずや。而して公卿の勸説によりて得る所も限りあるを以て天皇自ら共の能書を售りて米粟の 費を補ひしと云ふに非らずや。隊を組める野武士の火を放ちて盜を爲せるが爲めに公卿は共の妻子を引き連れて 敗殘の皇居に雜居せしと云ふに非らずや。外廓も塀も無く三條橋より内裏の火が見られ紫宸殿前の橋下に市人が茶 菓を賣りたりと云ふに非らずや。歌の會のある時には色黒く煤けたる三寶の上に赤豆を載せて出せしと云ふに非ら ずや。曚米者の事々しく信長の忠義などゝ云ふに限らず共の爲せし所の如き眞の僅かなる修繕に過ぎずして、共れ までは『邊土の民屋に異ならず、竹の垣に茨など結び附けし様なり。老人小兄の時には遊びて縁の上に土などねや し、破れたる簾を折節擧げて見れば人もなき様なり」と云ふほどの赤貧なりしに非らずや。是れ言ふまでも無く信 284

3. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

信仰の自由は君主除きての外は脅かす能はざる者なればなり。或る場合とは臣民たる義務に背く場合を云ふ。吾 との契約に非らず人は前きに臣民の義務とは直接に天皇と對抗せる契約によりて負ふ義務に非らず、國家に對し て國家の一分子として負擔する者なることを言へり。臣民と云ふは天皇の所有權の下に在る無限服從の奴隷に非ら ざるは固より、天皇との權利義務の關係に於て契約的對立を爲す者に非らずして、國家の臣民なるとを言へり。故 に臣民たる義務に背かざる限りに於て信仰の自由を有すと云ふ憲法の條文は、中世の階級國家の契約憲法の如く、 君主との契約によりて君主の信柳に係らず臣民は自由の信仰を有すべしと云ふに非らず。今日の天皇は國家を所有 して國家の外に立っ天皇に非ず、美濃部博士が廣義の國民中に包含せるが如く、日本國と云ふ有機體の室間を隔て たる分子の人類として、印ち日本帝國の一員として特權を有する政權者と云ふ意味の天皇なり。此の特權ある一分 子と他の分子とは決して契約的對立に非らず、故に他の凡ての權利義務が直接に要求し負擔する者に非らざる如く、 信仰の自由につきて臣民の義務に背かざる限りに於てはと云ふ前置きの義務も、決して國家の分子が他の等しき分 子たる特權者に對して負へるに非らず。印ち臣民たる義務に背かざる限りに於てと云ふことは、國家に對する義務 天皇の信仰と臣民のの一たる兵役を拒絶するクエ , ーカー宗の如き宗敎の除外を示す者なり。然れば假定として、 信仰とは無關係なり穗積博士と匹敵すべきほどの神道の迷信者が皇位に印き、穗積博士の如く國家の臣民を君主 の所有する臣民と解し、共の道を信ぜざることを以て臣民たる義務に背くとなすとも、是れ固より大日本帝國の 國體と政體とが許容せざる要求なり。 ( 現皇帝は實に基督敎をも包容しつゝあり ) 。又聖武天皇の如き佛敎の熱誠な る信奉者が出でゝ佛敎の信仰を國家の臣民に要求すとも、大日本帝國の前に有する信仰自由の權利によりて穗積博 士は共の奪貴なる訷道の信仰を放棄するに及ばざるべきなり。又、今後の天皇が基督敎を信仰するに至るとも、全 國の嚴肅なる戒律を守れる圓頂等は今日基督敎に向って爲しつゝある如く、佛敎は逆賊なりとして攻撃さるべき理 由なき者なり。吾人は皇室が如何なる信仰を有するやを知らず、而しながら亦等しく知らざるべき土偶の國體論者 が、自家の迷信と背馳するのゆゑを以て他に對するに印ち不敵呼ばりを以てすとは抑々何の權利ぞ。天皇に不敬を 加ふることは國家に對する非違にして國家の許容せざる所なり。復古齣命思想に對航して國家の主權を防術する

4. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

の文明と云ぶも該に最も近き近代のものに過ぎざればなり。果して然らば斯る原始的生活時代に於て例へ共が一千 年間なりとするも、將た十萬年間なりとするも、文字なき時代は政治史の取扱ふ所に非らざるを以て、而して艾取 扱ふにも及ばざる價値なき暦日の流轉に過ぎざるを以て、共の間例へ何事が皇室の祖先と國民の祖先との間に存在 せしとするも原始的生活時代は原始的道德を以て評價すべく、歴史は後代の順逆論を以て逆進して批判すべき者に 非らざるなり。印ち記録すべき文字なかりしと云ふ一千年間と數へらるゝ傳論的年代は當然に政治史より削除すべ きことを主張す。實に支那の歴史家が各一萬八千歳なる壽を算して支那の歴史を數萬年なりと云はざる如く、日本 歴史を「二千五百年」史と云ふことは大なる恥辱なりとす。而して特に注意すべきは今日四千五百萬人の砠先の多く は當時の近畿地方に限られたる戰勝者とは關係なき他の地方の部落の原始人なりしこなり。固より訷武天皇の傍に コロンプス時代の羅馬法王の世界於ては普天の下王土に非らざるなく率土の濱王臣に非ざるなしと後世の古典によ 所有權と皇室初代の日本所有權りて想像せられたりとするも、共は恰もコロンプス時代の羅馬法王が未だ發見せ られざる世界の所有者なりとせられたるに係らず、支那も日本も印度も決して法王の王土にも非ず王臣にも非ずし て共れん獨立なりしが如く、順逆論の逆進的批判に入るべき者は實に近畿地方の小區域に過ぎざりし也。彼の始 めて租税、寧ろ祭祀の費用として熊皮鹿角等を徴集せし崇禪天皇が『遠荒の民今荷正朔を奉ぜず』と云ひしは、固 より羅馬法王の世界所有權と等しき思想を以てせし古典の逆進的ロ吻なりと雖も、意味する所は印ち天皇の統治權 が拒絶せられたりと云ふことにして東北に獨立せる蝦夷九州に在りし支那の屬邦或は獨立の部落冫 こ取りては他の侵 故に建國の始めより日本天皇を以て今日の地 逆進的批判に入るべき略を防禦して對抗せりと云ふことなり。 地方と全國獨立の部落圖面に散布せる國民の祖先の君主にして國民の祖先の凡てと今日の土地の凡てとが王臣王 土なりしと云ふは歴史を無視する者なり。國體論と云ふ羅馬法王に取りては古事記日本紀はバイプルたるべしと雖 も土偶は歴史哲學の全能者に非らず傳詭の補綴は神聖不可侵に非らず。ーー而して亦近畿地方に於て天皇たりしと するも、始めは天皇の所有の最も大なりしに係らず他の大族の發逹と共に共の所有地と所有民は愈々強大を加へて 終に皇族と對抗して相下らざるに至り、天皇の所有地の外なる土地及び所有民の外なる人民は他の族長の所有地所 274

5. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

の類なり』と云ふ反野の極翡に走れるなり。振子は永久に振動する者に非らず、吾人は此の振子を止まるべき翡に 止まらしめざるべからず。若し今日の學者によりて想像さるゝ如く、吾人のと稱して人類より遙かに進化せる生 物が他の遊星に生息するならば、而して吾人々類の生息しつゝある此の遊星が他の共れの如く進化しつゝあるなら 減亡すべを經過的ば、而して進化に極黷なく、人類が進化の極黷に非らざるならば、吾人々類は將來に進化し 生物「類神人』 行くべき訷と過去に進化し來れる獸類との中間に位する經過的生物なり。今日、吾人々類は人 類の猿猴類と分れたる時代の砠先の化石を發掘して類人猿と名くる者を見出すならは、吾人々類が類人猿として消 滅せる如く更に人類として消滅せる後に於ては、吾人々類より分れて進化せる人類の子孫なる祚の化石學者によ りて「類祚人』として發掘せらるべき半訷半獸の或者なり。 ( 此の詭明は詳しく社會進化の理想に於て論ずべし ) 。 彼等生物進化論者にして、人類が類人猿より來り、類人猿が四足獸より來り、四足獸が鳥類と共に驚くべき形態を 有せし爬蟲類より分れ來り、爬蟲類が今日と全く形態を異にせる魚類より來りたりと云ひ、而して人類は一胎兒の 生物進化論者は進化の跡を見九ヶ月間に於て魚類よりの十億萬年の生物進化の歴史を繰り返へすと云ひ、以て過 五 て更に進化し行く後を見す去の囘顧に於て大膽に推理力を發揮しつゝあるならば、共の推理力が人類今後の進 今日までの生物進化 化と云ふ將來の進行に至て全く挫折して働かざるは誠に以て抱腹すべき現象に非らずや。 哲論は恰も人類を進化の終局なるかの如き獨斷の上に組織せらる。ダー年ンの時代よりして生物進化論は人類を祚に 社よりて作られたる祚の子なりと云ふ基督敎の信仰を破らんが爲めに全く人類の動物なることを更に他の諸科學の上 論より立證し、骨骼を比較し、筋肉を比較し、内臟を比較し、腦髓を比較し、發生の妝態を比較し、以て基督敎の科 進學的批評に堪へざる獨斷に過ぎざることを論ずるに於て實に間然する所なし。吾人固より人類を以て全く祚の子な 物 りとなして他の生物と隔絶せる天室に置くとの非科學的なるとを否む者に非らず。而しながら、骨骼も、筋肉も、 内臓も、腦髓も、發生の妝態も、發生して後も、決して他の獸類と全く同一に非らざるものを、 編獸類教の迷信 獸類と全く同一にして異ならずと獨斷する彼等は、彼等の罵りて以て科學的批評に堪へずと爲す 基督敎以上に科學的研究に於て注意深き者に非らず。全くの子なりと云ふことの非科學的なるならば、全く類 IOI

6. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

を一個の見果てぬ夢として記載せられたれども「社會主義全集」に同理の講話せらるゝ所に徴すれば夢に託して著 者の社會主義を述べられたる者なるは明かなり。果して然らば氏も亦極樂式の社會主義を持する者に非ざるか』と。 9 以て如何に相背馳する社會主義と個人主義とが却て社會主義者にも非社會主義者にも混同せられつゝあるの甚しき 奇觀を見るべし。 遮莫。純正社會主義は極樂と云ひ天國と云ふ者を在來の哲學宗敎の如く死後の他世界に求むる者に非らずして、 社會進化の將來に期待する者なり。而して人類社會は一の生物社會なり。故に社會哲學は生物進化論の一節たる社 會進化論として論ぜざるべからず。

7. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

天皇對内閣全員爭するや、藤原氏の一族は皆退朝すべしとの號令の下に對皇帝全内閣員と云ふ大ストプイキを以 のストライキて打ち勝ちたるに非らずや。女帝の寵愛によりて國家の戸主權を相績せんとせし受動的の道鏡の 血液による皇位みが例外に非らず。國民たる自家の血液を以て皇室祖先の血液と代謝せしめ皇室詛先の血液の多 の侵犯 量なるものを排斥して皇位繼承權を獨占したる藤原氏の連綿たる専制時代は、例外なる亂臣賊子 と云はんには餘りに長き數百年の例外なり。 藤原氏專制時代の終幕と共に淸盛入道の登場となる。而しながら精確に言へば共の間に甚だ短き一幕の茶番狂言 あり。印ち山曾等の禪輿にして皇位は實に是れが爲めに夥しく脅迫せられたることなり。固より當時の白河院政と 稱せらるゝ前後數十年間は何の基礎なく、 單に漸く政權を爭ふまでに進みつゝありし豪族なる家長君主等の權力平 均の上に榮華を夢みたる者なりと雖も、共の夢を第一に起ちて打破したる者は實に山曾の輿なりしなり。今日、 山憎の活動と平權力の前に尾を振りて國體寺の後に從ひっゝある輕蔑すべき圓頂寺よ。陛下の宸襟を惱まし奉る 清盛 逆賊とは新思想の入り來る毎に必ず用ひらるゝ宣言なりと雖も、双六の恣ならざるに比せし白河 法王の歎息は實に佛敎徒の放誕なる活動の爲めなりき。大乘敎と敎育勅語との牴觸せずとは今日の國體寺の曾侶等 の輿論なりと雖も、當時の山僣は信餘慶を天台寺の座主とすと命ぜる一條天皇の勅語を引き裂き共の勅使を辱しめ て追ひ返へせるに非らずや。今日の世人は皇居の外濠に集りて萬歳を唱ふるより外知らざるに、當年の彼等は塀を 破り門を打ち碎きて宮殿の階前に至り、數珠を揉みて祈り、言聞かれざるならば地獄に落すと威嚇したるに非らず ゃ。地獄に落すと云ふが如きは今日に於てこそ何の脅迫にも非らずと雖も、當時の智識の程度に取りては羅馬法王 の破門と云ふとと少しも異ならざる数カありしなり。否、彼の放氏と稱せられて時の最上の權力者たる藤原氏の上 に加へられたる者は明白なる破門にして、未だ天皇を破門せし例は非らざりしと雖も、是れグレゴリオ七世の山信 無かりしに非らずして天皇自ら地に降りて遙かに共の訷輿を禮拜せしが故なり。天皇を地に降して禮拜せしむとは 何たる大膽の脅迫なりしぞ。今の無恥なる圓頂等は曰ふべし、彼等は破戒のものにして吾々の如き勤王的大乘經を

8. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

曾共の禪輿を粉碎すべく、頑迷なる國體論者の土人等を排斥して内地雜居の條約を締結せる者は實に大日本帝國皇 帝陛下の名なりしぞ。 否 ! 今日に於て君臣一家に非らざるは固より、歴史時代に於て國民が天皇の赤子にして天皇が民の父母に非ら ざりしは固より、建國當時より日本民族は一家の膨脹せる者に非らざるは固より、日本民族共の者が己に混淆せ る血液に於て歴史以前より存在したることの定詭となれる事實を如何する。吾人は斯ることにつきては殊の外門外 漢なるが故に無數に提出せられたる日本人種論につきて可否を決し得るものに非らずと雖も、高天ヶ原とは察間の 日本人種研究論高き所にあらずとなして地圖的に考察せられつゝありて、日本民族は特別に伊諾那岐伊册那美の と國體論者 二人より繁殖し外國人のみ猿なりと主張する者の無きことだけは確實なり。 ーー此の事だけの確 實と云ふことは日本民族は一家の膨脹せる者なりと云ふ國體論の根本思想が確實に虚妄なりと云ふことに非らずや。 十吾人は敢て黑人種を輕侮せず又白晳人種を崇拜せざるが故に日本民族の祖先をフィニシア人が印度を經て南洋に至 、南洋より潮流に從ひて日向に上陸し支那より移住せる人種と混和して成れる民族なりと云ふ解釋を必ずしも悅 義ぶ者にあらず、而しながら斯く解する者の存することは君臣一家論を證明する所以に非らざることは確實なり。又、 命林家の詭の如く呉の泰伯跡を荊蠻に暗ますと云ふ語よりして、又凡ての文明が支那大陸と朝鮮牛島とより來れる歴 史以後の事實より推して、吾人の祖先は悉く支那朝鮮より移住せる者にして日本民族は純然たる支那人種なりと云 復ふ見解の必ずしも信ずべき者なりとも云はす、而しながら所謂古典派なるものよりも古來斯る詭の勢力ありしこと 論は忠孝一致論に材料を供給する所以に非らざることは確實なり。又、一般の科學的研究者の如く、一言語學、解剖學、 國人種學の上より考察して、日本民族は馬來人種と蝦夷人種と漢人種との雜種なりと斷定せらるとも吾人の可否を云 ふべき權なきは論なし。而しながら何事も科學的攻究の今日に於ては儒者や國學者なる者の室論に耳を傾くるより 所 も、科學者の研究の結果一般に信賴せられつゝある詭明に從ふの外なきは當然なるべく、而して未だ一人の學者と 雖も日本民族は始めより此國土に住みて特別の一人種なりと主張する者の見られざるが故に、兎に角或る處より來 りて或る人種の混淆せる雜種なりとの見解は不動なる者とすべし。果して然らば、如何に下等なる物質にて組織せ 265

9. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

することに於て明かに自由平等論を繼承す。而しながら社會主義の自由平等論は個人主義時代の革命思想の如く、 獨斷的平等論と自由の爲めに自由を、平等の爲めに平等を唱ふるものに非らず、又人は元來自由平等なるが故に 獨斷的不手等論不自由不平等なる社會を打破すべしと云ふものにあらず。何となれば元來より自由にして平等な るものならば不自由不平等なる社會を ( 個人主義の思想なるを以て契約によりて ) 組織するの理なく、自由のため の自由、平等のための平等とはフ = リーの政治的手好なりと云へる如く数果なきことなればなり。而しながら社會 主義の自由平等論は田島博士の如き人は元來不平等なりとの根據なき臆詭を許容するものにあらず、何となれば原 人社會に對する科學的推理は本能的社倉性に於て平和に存在せる原始的平等なりと云ふことに在ればなり。 ち社會主義の平等論とは斯る恣なる臆説の如く元來よりの平等と云ひ元來よりの不平等と云ふに非らずして、社會 の生存進化の爲めに階級的不平等を去りて平等の平面の上に自由なる活動を爲さしむべしとの要求なり。故に共の 平等を説くに當りても『身長肥痩強弱性情趣向等は不平等なれども推理し談話し理性を有する動物として他の動物 と異なる點に於て等し』と云ふが如き生物學の許容せざる非科學論斷を爲さゞると共に、又個性の不平等を認識す るに於ても『最も下等なる人類と最も高等なる人類との間に在る優劣は、最も高等なる動物と最も下等なる人類と の間に在る差よりも大なり』との言を科學的權威の如く遵奉して議論の基礎を築くものに非らず。何となれば推理 し談話し理性を有することは單に人類に限らず他の動物の高等なる者に於ては或る程度まで之を有するを以て人類 をのみ特別に他動物と隔絶せる天室に置く能はざるは生物進化論の原理なると共に、接近を同一分類に置くと云ふ 生物分類の原則によりて恰も大の黑きを猫に分類し赤きを狐に人れ洋夫の大なるを馬に和大の小なるを羊に組み込 まざる如く、高等なる動物を人類に組み込むか下等なる人類を高等動物に分類するかに非ざれば野蠻人と高等動物 の接近を人類間の隔絶より甚だしと形容する能はざればなり。印ち社會主義の自由平等論は人に元來より平等なる が故にとして正義なるかの如く主張せざると共に、人は元來より不平等なりとして自由平等を非義なるかの如く考 ふるものにあらず。正義とは社會の生存進化に適合することを示す外包的言辭にして共の内容は地理的に又時代的 に異なる、社會の生存進化の爲めに古代の奴隷制度は充分に正義にして中世の君權萬能、族専制も決して非義に 4

10. 北一輝著作集 1 国体論及び純正社会主義

大江廣元の策略を用ひて立法司法行政の主權凡ての發動を掌握せる賴朝は、秀吉に敬愛せらるべき人物たるも漆川 に建てられたる伊藤博文氏の銅像よりも忠臣義士の人相に非らざりしことは想像し得べし。今日多くの守錢奴が種 々の名に於て漸く爵位を購ひて世俗に誇示するに比すれば、坂東の老尼禮に慣はずとの皮肉を極めたる反語を以て 拜謁を嘲笑し、形式的敍爵を拒絶せる賴朝の妻政子は、今の令夫人なる者よりも勤王家に非らざりしは共の驕慢 ならざる外交的辭令によりて亦推察し得べし。北條氏に於ては是れ所謂國體論者に取りても、如何ともすべからざ る困難として止むなく例外に數〈っゝある者なり。然りと雖も、例外の亂臣賊子は彼等の考ふる如く義時一人に止 まるべき者に非らずして、義時の共犯或は從犯として三帝を島も通はぬ遠島に放逐せし他の十九萬の下手人、荷後 より進撃せんと待ちっゝありし二十萬の共謀者を忠臣義士の中に數ふるとは國體論をして訷聖ならしむる所以に非 らず【逆進的批判者が = 一帝を遷し奉れり』 = ふ = 對し吾人」放逐 0 文字を用ゅ。何となれば斯潤飾を極めた「 0 文字は戦々兢々の奪崇を以てする行動を表白すべく、後鳥羽天皇が隱岐に三十九年間巖崛に小屋を差し掛けて住ひ、 北條氏の三帝放順德帝が佐渡に於て今日荷順德坊様と呼ばれつゝあるが如く物を乞ひて過ごせし如き極度迄の迫 逐と國民の共犯害窮追を表はすべき言葉に非らず。安德天皇を矢の來らざる船に移し奉れりと云はゞ理由あるべ く、松の下露に袖沾れて落ち行くものを兵力に訴〈て連れ來ることは捕ふと云ふことにして、居住の自由を奪ひて 都會の榮華より無人島に流竄したることは明白なる放逐に非らずや。禪官が恭敬恐縮を以て舊殿より大祚宮を捕〈 て新殿に放逐したりと云ふものあらば發狂視せらるべきが如く、義時が兵力を以て三帝を隱岐佐渡に移し奉れりと 云ふが如き文字の使用は逆進的敍述も沙汰の限りと云ふべし。多くの歴史家は增鏡に見ゆる、泰時が父義時に向ひ て若し天皇の御輿を陣頭に立てゝ進み來らば如何すべきやと問ひしに義時の答〈て然らば矢を折りて降れとある信 ずるにも足らざる記事を引用して、如何なる義時の如き亂臣賊子と雖も日本國民の良心は内に潜みて皆斯くの如し と論じ、以て共の所謂例外の辯護を爲しつゝあり。而も共の義時は死よりも遙かに深甚たる苦痛を三帝に加〈、共 の泰時は後に安藤義景の順德の皇子立たば如何と問ひしに對して、膝を折りて降れよとは答〈ずして之を廢すべし と命じたるに非らずや。兩統併立の如きは皇室の自ら求めて齠きたる禍なりと雖も、泰時時宗等の賢明にして大膽 282