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検索対象: 北一輝著作集 2
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1. 北一輝著作集 2

の爲めに共の位を窃み、一度び權勢の毒果を味ひてより肝腦頽壞して魘質に變じ、以て萬悪爲さゞるなきに至れる のみ。諸公。支那は固より君主政體たり得べし。何となれば建國以來の歴史が然りしを以てなり。唯袁世凱が有す る中世的思想と中世的代官階級とは巳に亡びつゝある過去の者なるが故に、彼は近代的君主政體を建つべき國民的 基礎を有せざるを如何せん。支那は亦固より共和政體たり得べし。何となれば君主建國の歴史が急激發展して然り し佛蘭西あるを以てなり。唯孫逸仙が有する植民地的思想と米國的社會組織とは支那大陸が水河に洗はれて無人の 平野となるべき大將來のことなるが故に、彼は聯邦制と大總統責任制とを移住せしむべき土地を四億萬民に占據さ れつゝあるを如何せん。不肯は斷言す。袁に依らざる君主政體と孫に導かれざる共和政體とは共に兩つながら支那 に於て眞理なりと。而して更に斷言す。眞理とは實現の立證を待ちて眞理たるものなるが故に君主政體と共和政體 とは支那に於て兩つながら交はるみ、或は幸ひなれば同時に行はるゝものなりと。 此逆詭眞理は佛蘭西革命と維新革命とが形式及び徑路に於て悉く異なるに係らず、『自由」と『統一』との歴史 的進行の本質に於て全く同一なることを看取せる者にのみ理解せらるべし。凡て革命とは舊き統一印ち威壓の力を 失へる專制力が弛緩して、新たなる統一を求むる意味に於て強大なる權力を有する專制政治を待望する者なり。而 して近代革命とは此の統一的專制的權力が自由に發表せらるる國民の政治的理解を代表するものなる觀察點に於て 義自由政治を樹立する者なり。印ち同一なる自由にして未だ新たなる統一的權力を得ざる時期のーー例へば腐朽せる の舊專制政治の弛緩せる結果として生ずる、脱税し得る自由、法網を免れ得る自由、罪惡を犯して罪する力を見ざる 和自由、兵變暴動を起して征討されざる自由、帝カ我に於て何かあらんの自由は、是れ革命前の政治的解體と稱すべ きものにして近代的意義の自由に非ず。彼の孫君等の非論理的低腦は支那の現時に斯る社會的解體の存するを見、 又舊權力を拒斥し得る各種の自由なる一言論及び行動の存在するを見て、我が支那は古來自由の民なりと妄斷す。而 君も斯くの如きは彼自身の努力する自由を得んが爲めの革命共事が屋上架屋の無用事なりといふ自殺的反撃に逢ふも のなり。而して亦袁の夢想する專制政治とは専制し得る權カ共者より弛緩朽腐して存在せざるが故に殆ど無より有 を生ぜしめんとする者。彼の凡ての努力は今後永久に太陽をして地球の表面に支那の部分だけを照らすことなから 143

2. 北一輝著作集 2

族諸侯等と同様なる中世的罪惡の根源を爲すものあればなり。印ち『官に封建なくして吏に封建あり』といへるも 史 の是なり。固より中世史の佛蘭西及日本は全國割一の統治を行ふ能はざる必要より、貴族と諸侯とが數十百の小地 外 命域に割據して各統治者たりし時代なりき。四百餘州の廣大なる大陸は二國の如き封建制度の形式を採らざりし代は りに、封建的全權能を有する無數の統治者を全國に分遣せざることを得ず。同一なる時代的要求は同一なる時代的 支制度を生む。佛蘭西の貴族日本の諸侯と支那の官僚とを對比せば外見甚だ異なるが如く然りと雖も、共の制令する 地域の人民に對する權能に於ては生殺與奪の絶對的自由を有し、軍事財政司法一切の專權を行使すること全く中世 的統治者なり。只統治者の上の最高なる統治者印ち主權者に對して、日本の諸侯が德川將軍に、佛蘭西の貴族がル ヰ王に於て多少の拘東を感ぜし程度の權利主體なりしとは異なり。支那に於ては最高の主權者の權力強大なりしが 爲めに、官僚は人民に對して中世的統治者なるに係らず皇帝に對しては單純なる代官なりき。印ち支那は地理的區 劃なきが爲めに封建的統治を必要とせる中世期に於て早く己に強大なる君權の確立せるあり。爲めに必要に應ずべ く封建的統治者を君權の代官として分遣したる者なりき。而して封建時代の人民が直屬せる領主よりも遠隔の所有 者より派遣せられたる代官の誅求暴逆に苦しめられる各國の事例は、支那の官僚が日本の諸侯よりもより多く國民 の膏血を絞り國租を私腹したるべき推定を敢てせしむ。諸侯は共領土の肥痩人民の休戚に對して、土地人民の所有 者としての永遠なる利害を自己の利益の爲めに感ずるものなるが故に、誅求暴逆の却て自己共者に不利なゑとを知 る。彼等の善良聰明なる者は所有者たる權利に伴ふ十全の義務を負荷し、假令自己の利谷の爲に家畜を撫育するが 如き意味なるにせよ、共の被治者に對して父母の愛を自任したり。代官は權利を與へられて義務なし。借用者は所 有者に比して器物の取扱ひに不親切なり。生殺與奪の全權能を借用し、己が殺し己が奪へる終局の不利谷が己に歸 せざるものなりとせば、是れ凡ての義務より免除せられたる桀紂なり。支那の代官的官僚が誅求暴逆爲さざるなか りしは當然なりとす。佛蘭西の貴族が父祖の居城に土着して所有者たる義務を履行せし間は革命起らざりき。共の 悉く巴里の宮殿に集まり、恐るべき中世的統治權を義務なき借用者の代官に行はしめて顧みざるに至るや、天地震 實に支那は歴史の紙 撼の爆裂は都市田園を通じて一整呼應して起れり。淸末の所在烽起と符節を合する如し。 122

3. 北一輝著作集 2

張を放抛したるは恐らく組織的捐金、印ち革黨の權力を握りたる後に法律的に掠奪せんと欲したるが爲にして、驕 外慢者の指笑する如き薄志弱行なるに非ず。而して共の國民捐徴集者の多くが革命黨及革命的階級の人々にして、應 命ぜざる者に對して威嚇強迫を加へたるは政治的能力の缺如せる民族なるが故にあらず。一に唯彼等がネッケルた らずしてダントン、ロベス。ヒールたり得べき財政革命の無自覺的信念を有するが爲めなり。黄君の國民捐と其徴集 那 支者の掠奪とは、『愚呆』と『驕慢』との惡聲に關せず財産權の法理が革命佛蘭西の論證を擧げて十分に是認するを 如何せん。佛蘭西の愛國者は當時四隣の亡國階級等に笑罵せられたり。支那の革命が日本に同情せらるゝ所以は日 本人の胸奥に殘存潛在する興國的氣魄の共鳴する者にして國家の前途安んずべきに似たり。而も不省は荷彼等の革 命的施設を迎ふるに一種輕侮の情を以てするもの多きを見て却て日本の墮落的傾向を反證するものならざるやを恐 る。不肯は佛蘭西に合理的なりし掠奪が今後或は支那革命の過程中に行はるゝ時諸公を昏迷せしめざることを信ぜ んと欲す。共の東洋民族なるが故に野蠻行爲なりといふが如きは卑屈なる無智なり。 實に支那の凡ての事物は革命せらるべきものにして改良し得べき者に非ず。改良とは現存せる根本組織の健全を 是認する者なるが故に其の法律慣習に從ひて枝葉を矯正整理せんとするもの。革命は舊國家舊社會の組織共者より 否定さるべきものとして遵據すべき一切の舊秩序を許容する能はず。淸朝は己に共の國家組織の根源たる主權者共 者より否認せられたり。從て其の否認せられたる主權者が設定せし權利組織は當然に且つ一律に否認せられたるも のなり。諸公。維新革命は三百貴族の統治權を否定すると共に、共の財政的基礎たる土地領有の權を否定して版籍 奉遺の名の下に數百年來の財産權を無視したるに非ずや。當時の亡國階級たる武士は共職業とせる帶刀の營業權を 剥奪せられ、子々孫々世襲すべき食祿の財産權を侵害されたるに非ずや。維新革命に於ける財産權蹂躙は權利本來 の原理に照らして日本に是認せられたり。然らば現下の支那革命が共展開に隨ひて必ず遂行すべき亡國階級等の財 産に加ふる處分に就きて無智半解なる權利論を爲すが如きとあるべからず。今日の日本人にして日本は維新革命を 要せず德川の改良にて足れりとするものなし。艾、諸侯及び武士の政治的權力を否定して、獨り共の版籍と食祿と は財産權なるが故に保持せしめて侵すべからずと云ふものなし。然らば日本及び列國は大淸皇帝の主權共者を否認 ー 20

4. 北一輝著作集 2

らず歎賞する所たるべし。超人的論明者は袁が南京參議院の推擧を受けて而も一たび南下すべきの約を果す一とを好 まず、密かに北京の兵を煽して唐蔡宋等歡迎使一行の宿旅を掠奪せしめて威嚇し、傍々以て自ら北京を去る能は ざるのロ實を作りしかの如く解す。斯る度すべからざる袁崇拜家は所謂「燒け太り』といふが如きを解して、彼の 商店は繁榮ならんが爲めに自ら求めて類燒したりといふの愚呆と一般。若し黎元洪を解して彼は副大總統とならん が爲めに先づ密かに漢ロの爆彈を破裂せしめ自ら計りて張振武等の強迫に悲泣したりと解せば洪笑さるべきにあら ずや。黎袁の差が泣きしか泣かざりしかの一點に存する朽木糞土に過ぎざるを知らば、黎に考へて笑ふべき解釋を 獨り袁に及ばして疑ふ所なしとは迷妄と云ふべし。北京に兵變ありしは同時に南京に於て兵變ありし如く、否維新 革命後西南洲の第二革命亂に至るまで日本に數十囘の兵變相亞ぎて絶えしことなかりし如く、革命後の一般的現 象なり。袁の統一大總統に推擧せられしことは兵變以前にして、又北京が首府たるべく決せられしは袁の推擧せら れざりし以前の輿論なりき。あゝ北京。彼等が涙を呑みて敵將の占據する北京に走らざるを得ざるに至らしめし所 以の者は抑々誰の責ぞ。 日本なり。亞細亞の自覺史に東天の曙光たるべき天啓的使命を忘れて英國の走狗たりしのみならず、更に露西亞 の從卒たらんとしたる日本なり。あゝ國運頽勢に向ふ時上下徒らに威に驕り權に侫り國交一點正義の輝なきもの古 中 今擧げて斯くの如きか。日露戰爭を戰へる意義は日淸戰爭の共れにあらず。日淸戰爭は日本が天佑によりて列強の の分割より免かるゝと共に、黄人諸國の盟主たるべき覇位爭奪の墺普戰爭なり。而も日露戰爭に至ては東洋の普魯西 爲が亜細亞の墺太利を保護せんが爲めに露西亞の侵略を退けたるものなり。墺普戰爭に於ては戰勝に醉へる近眼者流 戒が土地の割讓を主張せるに限らず、一ビスマークのありて兩國同盟の根基を此の間に築くことを誤まらざりき。當 時の日本に於ける伊藤公陸奥伯等がビス「ークの達識と決死的膽勇ありて輿論を制御するを得たりしならば、遼東 對半島に三國干渉を誘致するが如き大失態を演ぜざりしなるべし。而も既往は追ふべからず。又日露戦爭に支那の參 一加せんことを中込みしに係らず日本は之を拒絶し、支那亦日本に拒絶せられたるが故に茫然として傍觀したり。是 れ兩國の將來が同盟を以て露國の東進に對抗すべき運命に立てること、恰も墺太利が共の南下に對して獨逸と共に 101

5. 北一輝著作集 2

ニョレ 0 大違反者ノ罰則ハ戒令施行中前掲ニ同シ。 原 註。ーー大資本ガ社會的生産ノ蓄積ナリト云フコトハ社會主義ノ原理ニシテ明白ナルコト論明ヲ要セズ。然フ・ハ社 案 造會則チ國家ガ自己ノ蓄積セル者ヲ自己ニ收ムルヲ得ルハ亦論ナシ。 家 國註ーー現時ノ大資本ガ私人ノ利益ノ爲ニ私人ノ經營ニ委セ一フル、コトハ人命ヲ殺活シ得へキ軍隊ガ大名ノ利益ノ 爲ニ大名ニ私用セ一フル、コト、同シ。國内ニ私兵フ養ヒテ私利私慾ノ爲ニ攻伐シッ、アル支那ガ政治的ニ統一セ ル者ト云フ能ハザル如ク、鐵道電信ノ如キ明白ナル社會的機關フスラ私人ノ私有タ一フシメテ甘ンズル米國ハ金權 督軍ノ内亂時代ナリ。國民ノ安寧秩序ヲ保持スルコトガ國家ノ一任務ナリトセバ國民ノ死活榮辱フ日夜ニ亘リ終 生ヲ通シテ脅威シッ、アル此等フ處分セズシテハ國家ナキニ同シ。無政府黨ハ怖ル、ノ要ナシ。國家ガ國家自一フ ヲ無視スルコトヲ長ルへシトナス。 註ーー積極的ニ見ルトキ大資本ノ國家的統一ニョル國家經營ハ米國ノッフスト獨逸ノカルテルヲ更ニ合理的ニシ テ國家ガ共主體タル者ナリ。ッラストカルテルガ分立的競爭ョリ遙カニ有理ナル實證ト理論ニョリテ國家的生 産ノ將來ヲ推定スペシ。 註・・ーー大生産業ノ徴集ニ於テ共等ヲ有シ更ニ土地徴集ニ於テモ各所ニ共等ヲ . 有スル大富豪等ハ要スルニ只三百萬 圓ヲ所有シ得ルノミナリ。之ト同時ニ三百萬圓以下ノ株券ヲ有シ合資ヲ有スル者ハ共ノ干與セル株式會社合資會 社ノ徴集セラル、時一ノ傷害ナキ賠償ヲ受ル者ナリ。印チ所謂上流階級ナル者ヲ除ケル中産以下ノ全國民ニハ寸 毫ノ動搖ヲ與へス。 資本徴集機關 , ーー 私人生産業限度ヲ超過セル資本ノ徴集機關ハ在鄕軍人團會議タルコト前掲ニ同 238

6. 北一輝著作集 2

蔑ニシ國家改造ノ根基ヲ危フクスルモノト認メ、戒厳令施行中ハ天皇ニ危害ヲ加フル罪及國家ニ 對スル内亂ノ罪ヲ適用シテ之ヲ死刑ニ處ス。 註ーー經濟的組織ョリ見ルトキ現時ノ國家ハ統一國家ニ非ズシテ經濟的戦國時代タリ經濟的封建制タフントス。 米國ノ如キハ確實ニ經濟的諸侯政治ヲ築キ終レルモノナリ。國家ハ嘗テ家ノ子郎等父ハ武士等ノ私兵ヲ養ヒテ攻 戰討伐セシ時代ョリ現時ノ統一ニ至リシ如ク、國家ノ内容タル經濟的統一ヲナサンガ爲ニ經濟的私兵ヲ養ヒテ相 殺傷シッ、アル今ノ經濟的封建制フ廢止シ得ペシ。 註ーー。無償フ以テ徴集スル所以ハ現時大資本家大地主等ノ富ハ其實社會共同ノ進歩ト共同ノ生産ニョル富ガ悪制 度ノ爲メニ彼等少數者ニ蓄積セ一フレタル者ニ係ハルヲ以テナリ。理由ノ第二ハ公債ヲ以テ悉ク此等フ賠償スル時 ハ彼等ハ公債ニ變形シタル依然タル巨富ヲ以テ國家ノ經濟的統一ヲ毀損シ得ベキカヲ有スルヲ以テナリ。第三ノ 理由ハ國家トシテハ不合理ナル所有ニ對シテ賠償ヲナス能ハズ實ニ共資本ヲ國家ノ資本トシテ有史未曾有ノ活用 フナスベキ當面ノ經綸ヲ有スルフ以テナリ。 註・・ーー死刑フ以テセントハ必スシモ希望スル所ニ非ス。又固ョリ無産階級ノ復讐的騷亂ヲ是非スルニモ非ス。實 ニ貴族ノ土地徴集ヲ決行スルニ大西鄕ガ異議ヲ唱フル諸藩アフハ一擧討伐スベキ準備フナシタル先哲ノ深慮ニ學 プペシトスル者ナリ。二三人ノ死刑ヲ見バ天下悉ク服セン。 産改造後ノ私有財産限度超過者ー・・ー國家改造後ノ將來私有財産限度ヲ超過シタル富ヲ有スル者ハ共 有ノ超過額ヲ國家ニ納付スペシ。 二國家ハ此合理的勤勞ニ對シテ共納付金ヲ國家ニ對スル獻金トシテ受ケ明カニ共ノ功勞ヲ表彰スル 卷 ノ道ヲ取ルへシ。 229

7. 北一輝著作集 2

此の謂ひなり。則ち米國は中世的掠奪者を本國に放棄したる近代的人類の集合にして、集合共自身が共和政治なり き。彼等は各人悉く財産權の主體にして近代的人格なりき。彼等は生れながらにして自由政治の基礎なる中産社會 外 命なりしなり。從て彼等は自由政治を建設するに當りて共の前提たる革命の勞力を要せず。ーー・ , 米國の共和政治とは 勤勉なる開墾事業にして破壞建設を流血に訴ふる佛蘭西及び支那の革命と何の相似たる所ぞ。彼等に取りて開墾共 支事が自由の建設なり。ワシントンは單なる開墾事業の大村長にして亂世を統一する英雄の事業と何の係はりありや。 革命の努力なかりし國を範として將に革命されつゝある本國の指導者たらんとせし孫君の低腦に基きて革命の支那 を考ふる者よ。米國が歐洲各國の革命を啓發せしことは彼れが歐洲の移民によりて得られたる最初の近代的理想の 實現なるを以てのみ。而も移民の得たる所を本國の求むるに及んでは、移民の有せずして本國に存する中世史の破 壞より始めざるべからず。ルソーとカントとは米國に無用なり。彼等は人格として耕やし人格として持てり。彼等 は彼等自身が目的にして彼等を手段として取扱ふ皇帝と貴族侶を有せず。而も彼等の本國に於て彼等を學ばんと するには、先づ天賦人權詭によりて人類としての動物的本能より覺醒せざるべからず。耕作用に馴育したる家畜の 鎖を斷ちて、曠野に放たれたる猛獸としての人類に覺醒されざるべからず。而して中世的權力の鎖は腐朽して自ら 斷たれたり。家畜は檻を出でて猛獸の天賦を現はしたり。動物は食はざるを得ず。人類は財産權を求めざるを得ず。 彼等は食ふべき財産權を寺院の土地に奪ひ貴族の領土に掠め帝王の中世的所有權に求めたり。革命とは移住民の組 合組織に築かれたる自由民に起る何等の理由なし。則ち近代史が自由なき中世史より脱却せんが爲めに人類を獰猛 なる破壞に驅る期間を名けて革命と云ふ。然り。近代史が自由政治を意味せば尚未だ中世史を脱却せんとしつゝあ る過程中の支那に向って、自由政治の基礎たるべき中等階級なしと論ずるは、古來自由ありと答辯する孫君と伯仲 すべき論理的錯亂に非ずや。革命起るまでの佛蘭西に農奴ありて中等階級なく、維新史に至りて日本は土百姓より 自由民の中農階級を生じたり。印ち二國共に共の國家の中堅たる中等階級は革命によりて生まれたものにして革命 の前に存在したるに非ず。固より佛蘭西革命が植民地發見に係かる海外貿易の爲めに新たなる中等階級を都市に萠 芽し、日本亦鎖國の嚴法を破りて密貿易をなして富める都市の新中等階級を發生して、近代的權利が中世的共れに 150

8. 北一輝著作集 2

( 一行削除 ) 大註一。大資本ガ社會的生産ノ蓄積ナリト云フコト ( 社會主義ノ原理ニシテ明白ナルコト論明ヲ要セズ。然フバ社 法會則チ國家ガ自己ノ蓄積セル者ヲ自己ニ收得シ得ルハ亦論ナシ。 註ニ。現時ノ大資本ガ私人ノ利益ノ爲 = 私人ノ經營 = 委セ一フルル「ト ( 、人命ヲ殺活シ得ベキ軍隊ガ大名ノ利益 ノ爲ニ大名ニ私用セ一フルルコトト同ジ。國内ニ私兵フ養ヒテ私利私欲ノ爲ニ攻伐シッツアル現代支那ガ政治的ニ 統一セル者ト云フ能ハザル如ク、鐵道電信ノ如キ明白ナル社會的機關ヲス一フ私人ノ私有タ一フシメテ甘ンズル米國 ハ金權督軍ノ内亂時代ナリ。國民ノ安寧秩序ヲ保持スルコトガ國家ノ唯一任務ナリトセバ、國民ノ死活榮辱ヲ日 夜ニ亘リ終生フ通ジテ脅威シッツアル此等ヲ處分セズシテハ國家ナキニ同ジ。無政府黨ハ怖ルルノ要ナシ。國家 ガ國家自一フノ義務ト權能トヲ無視スルコトヲ長ルペシトナス。 註三。積極的ニ見ルトキ大資本ノ國家的統一ニョル國家經營ハ米國ノ「ツ一フスト」獨逸ノ「カルテルーヲ更ニ合 理的ニシテ國家ガ共ノ主體タル者ナリ。「ツラスト」「カルテル」ガ分立的競爭ョリ遙カニ有理ナル實證ト理論ニ ョリテ國家的生産ノ將來フ推定スペシ。 註四。大生産業ノ徴集ニ於テ共等ヲ有シ、更ニ土地徴集ニ於テモ各所ニ共等フ有スル大富豪等ハ、要スルニ只一 百萬圓ヲ所有シ得ルノミナリ。之ト同時ニ一百萬圓以下ノ株券ヲ有シ合資フ有スル者ハ、共ノ干與セル株式會社 合資會社ノ徴集セラルル時一ノ傷害ナキ賠償ヲ受クル者ナリ。印チ所謂上流階級ナル者ヲ除ケル中産以下ノ全國 民ニハ寸毫ノ動搖ヲ與へズ。 ( 二行削除 ) 註。 ( 四行削除 ) 改造後私人生産業限度ヲ超過セル者。改造後ノ將來、事業ノ發達共他ノ理由ニョリテ資本ガ私人 308

9. 北一輝著作集 2

共産時代ノ回顧ノミ。 私有財産限度超過額ノ國有。私有財産限度超過額ハ凡テ無償ヲ以テ國家ニ納付セシム。 此ノ納付ヲ拒ム目的ヲ以テ現行法律ニ保護ヲ求ムルヲ得ズ。 ( 三行削除 ) 註一。經濟的組織ョリ見タルトキ現時ノ國家ハ統一國家ニ非ズシテ經濟的戦國時代タリ經濟的封建制タラレトス。 米國ノ如キハ確實ニ經濟的諸侯政治ヲ築キ終レルモノナリ。國家ハ、嘗テ家ノ子郎等ハ武士等ノ私兵ヲ養ヒテ 攻戰討伐セシ時代ョリ現時ノ統一ニ至レリ。國家ハ更ニ共ノ内容タル經濟的統一ヲナサンガ爲ニ、經濟的私兵フ 養ヒテ相殺傷シッ、アル今ノ經濟的封建制ヲ廢止シ得ペシ。 註ニ。無償フ以テ徴集スル所以ハ、現時大資本家大地主等ノ富ハ共實社會共同ノ進歩ト共同ノ生産ニョル富が悪 、公債フ以テ悉ク此等ヲ賠 制度ノ爲メ彼等少數者ニ停滯シ蓄積セ一フレタル者ニ係ハルフ以テナリ。理由ノ第二ハ 償スル時ハ、彼等ハ公債ニ變形シタル依然タル巨富ヲ以テ國家ノ經濟的統一ヲ毀損シ得ベキカヲ有スルヲ以テナ リ。第三ノ理由ハ、國家トシテ不合理ナル所有ニ對シテ賠償ヲナス能ハズ實ニ共資本ヲシテ有史未曾有ノ活用フ ナスベキ當面ノ經綸ヲ有スルヲ以テナリ。 註三。違反者ニ對シテ死刑ヲ以テセント云フハ必ズシモ希望スル所ニ非ス。又固ョリ無産階級ノ復讐的騷亂フ是 非スルニモ非ス。實ニ貴族ノ土地徴集フ決行スルニ、大西鄕ガ異議ヲ唱フル諸藩ア一フ。ハ一擧討伐スベキ準備フナ 度 限 シタル先哲ノ深慮ニ學プペシトスル者ナリ。二三十人ノ死刑ヲ見バ天下悉ク服セン。 有改造後ノ私有財産超過者。國家改造後ノ將來、私有財産限度ヲ超過シタル富ヲ有スル者ハ共ノ超 二過額ヲ國家ニ納付スペシ。 國家ハ此ノ合理的勤勞ニ對シテ共ノ納付金ヲ國家ニ對スル獻金トシテ受ケ明カニ共ノ功勞ヲ表彰 299

10. 北一輝著作集 2

れる正當の國際債務を蹂み躪りて、ロマノフ帝國の大戰敗に加算すべき天命の如く内亂外戰の幾十萬人を殺ろした。 殺人の多きは革命の徹底だなど云ふ迷信で自己辯護は許されない。革命家に過誤なしと云ふ無反省は、羅馬法王に 過誤なしと云ふと同一なる中世史の音である。諸君の革命行程に於ける國際戰爭は悉く是れ諸君の自己迷信より 發したる大過誤に原因する者である。但し古來露西亞民族ほど國際戰爭を戦った民族はないが故に自分共も親讓り の遺傳梅毒だと中さるゝならば亦何をか云はんやである。 革命支那の承認に返へらう。支那の革命は漢民族の土地を征服して君臨せる異民族に對する追放戰の理論と運動 であった。革命の烽火は異民族の首府北京方面から擧がらず、漢民族の中心地方より起った。彼は異民族の大淸帝 國に對峙せる交戰團體として中華民國と號した。革命の始より別個の國家、二個の國家である。處が革命の進展と 共に國際間に彼等の占有すべき領土問題に面接したのである。異民族の帝國と全然沒交渉なる別個の民族が他の領 土に共和國を建る時は、異民族の所有せる帝國發祚の領土南北滿洲を放棄しなければならぬ法理に落ちて來る。又 蒙古民族の住する内外蒙古、西藏民族の住する西藏の領土を占有すべき法理的根據を失ふことになるのだ。支那の 諸君はに於て全國一齊に革命理論を根底より轉換した。曰く大淸皇帝の退位と同時に民族革命は終結した。今後 は支那に存する五族を統一して、大淸皇帝の領土全部を繼承するのであると。彼等は理論及び行動の全部的一變と 同時に共の革命旗をも一變した。民族革命と社會革命とを併べ掲げた孫逸仙考案の國旗を棄てゝ、五民族統一の國 開家を表はす今の五彩旗にしたのは是故である。理論が大事か革命が大事かと云ふ問題は、馬が大事か騎手が大事か 公 ると云ふ問題である。露西亞諸君の如き騎手は百頭の名馬を以てするも償ふ能はざる英雄漢と信ずるが故に、共の理 ふ 訓論として乘れる馬を捨つること支那の諸君の如くすべきであったのだ。 則ち社會革命はロマノフ皇室を倒すま での理論であった。今ロマノフは倒れた。吾々はロマノフを繼承した。吾々の馬は正に大帝國主義、大軍國主義で 君 = あると。 ( これは失敬 ! 又社會主義より帝國主義〈の御詭を御勸め申した ) 。 而かし、國際的に承認を求めると云ふ以上は、承認の實質則ち前代主權者の領土繼承を承認せよと云ふことの外 には無い。馬に騎して野を渉り山を越えて來た。今ゴビの大沙漠に來た時に馬を駱駝に代へて旅することが革命行 401