而 - みる会図書館


検索対象: 北一輝著作集 2
439件見つかりました。

1. 北一輝著作集 2

保全せんとする支那共者より割取したるに非ざゑとは炳乎として蔽ふべからず。視易き引例を用ゆれば、彼の沿海 黑龍江州の如き昔時淸國の領有たりしものを露西亞より占有する場合に於て、日本が支那保全主義を欺むかざると 同様なりと言ふべし。不宵は固く信ず。天の配劑によりて日本が滿洲に占據したるが爲に全支那は北露の分割より 消極的に保全せられ、更に日本がバイカル以東黑龍沿海州の一帶に進出したる時始めて支那保全主義は根柢より積 極的に確立すべきものなりと。奴隷的外交は支那の聊か關係なき日露二國の大戰の戰利品として露西亞より得、且 っ戰爭の意義の爲めに守持せざるべからざる南滿洲を以て、單に支那を欺きて約束せしめたる揚子江流域の不割讓 と相殺し得べきものと考ふるや。不割讓の誓約は團匪亂の當時支那分割の將來を假想したるもの。則ち日本が共の 腰間の秋水に掛けて保全主義を取るべしと宜明せざりし以前の想定に過ぎず。之を換言すれば日本の支那保全主義 が列強の經濟的分割に敗退したる日本自身の亡國の場合に於てのみ有效なるべき空文なり。日本が共の陸軍と海軍 とを有して、誠實に而して勇敢に全亞細亞の保護者を任じて毅立せば千百の不割讓條約ありと雖も反古に等し。然 り而して特に不省等の如何にすとも了解する能はざる他の一事は割亡の假想の下に存せし不割讓の誓言と、利權 を獲得し得べき勢力範圍とが、英國の利益の爲めに日本に於て混同せられて承認さるゝかの如き疑惑是れなり。 此の全然異なれる二者の混同ーー揚子江流域不割讓の誓約が同時に英國利權の勢力範圍なりとい」曲解が英國によ りて主張せられ而して日本が承認せざるべからざるものとせよ。靑島占領後袁政府をして宣言せしめたる沿岸不割 凱讓の誓約を更に袁現時の窮境に乘じて全支那に擴充せしめ、十八省全部の不割讓を日本に對して誓約せしめたると 世 きーー・これ何たる平易にして合理的なる可能事ぞーーー日本は支那全土を日本利權の勢力範圍なりと主張し、英國亦 之れを承認して鐵道と鑛山を荷ひっゝ東洋より退却すべきや。功利弄策を事とする白人國外交の顰に倣はず日本が の嚴然共の國際的正義を支那保全主義に持して動かざるならば、揚子江流域に於ける不割讓誓約は全然無一意義なり。 公特に況んや優越權の如きは保全主義の本義に撞着する一個の侵略として許容すべき限りのものに非ず。不省は日本 對外策の根軸が支那保全主義に存すべきを確信す。故に共れと兩立せざる日英同盟の存績を南支那の爲めに理解す 十 る能はざるものなり。支那保全主義は北支那の爲めに日露戰爭を戰はんとして英國を利用したり。同一なる保全主

2. 北一輝著作集 2

果して彼は共愚策が嘉納せられたるに安じて起っと共に、始て排滿興漢の澎湃たる大勢を見て狼狽したり。武漢 外勃發を聞きて伊集院公使を筆頭とせる日本の吏僚凡てが淸朝の荷萬歳なるべきを盲信せし如くに、彼が慶親王の文 命書を携へたる陰昌と河南の草廬に會見せしは實に十月十七日にして黎擁立後五日目なりしとを忘るべからず。當時 固より革命の噴火口は湖北省の一地域に過ぎず。爲めに伊集院氏が淸朝を扶けて暴動を鎭壓すべしと進告せしと等 支しく、彼は武功を以て君寵を買はんといふ輕卒なる樂觀に基きて大命を拜受したる者なりとす。而も彼の輕卒なる 樂觀は二十二日湖南の長沙及び宜昌の噴爆と、更に同日北京に近き山西省太原府に於ける獨立の聲に打破せられた 。翌々二十四日江西の九江亦陷落し、更に翌二十五日陝西の西安府革命の火を擧げ、諮政院は北京に於て盛宜懷 を彈劾し、南に向へる鳳山將軍は叛徒に殺され、驚心骸目の凶報櫛の齒を引くが如し。凡々たる俗吏は大命を拜受 して而も一週日に激變せる此不可解不可測の大勢に錯愕喪心したり馮國璋と黎元洪とが漢口を爭奪しつゝある間 に於て、彼は亡國階級の典型に從て己に敵に媚を呈する巾幗的行動に出でたり。馮の軍が確實に漢口を囘復せし如 く更に武昌を衝きて陷るるを得たりしならば、彼は忠臣義士の因襲的墮力に從て或は少しく勇者を學びたるべし。 大命拜受後腹背の各地に起れる革命の聲に萎縮したる彼は、馮の軍が武昌の砲彈に辟易して江の半より退却せし如 、亡國階級としての怯懦に襲はれたり。革命黨及び日本留學生等が上海關門の襲撃を企てつゝありし日、攝口に 屯せし彼より武昌に送られたる彼の密使は明白なる投降の申出なりき。一戰漢口を奪還して革軍の膽を寒からしめ 以て妥協を申込める彼の遠謀計るべからずとなす者の如きは噴飯すべき支那崇拜論者なり。去就に迷へる彼は淸室 に對する舊道德の排滿興漢の大勢に逆行し得べからざる恐怖との間に立ちて首鼠兩端を持せざるを得ざりしのみ。 革命のモットー が滿漢の爭を掲揚したるが故に凡ての亡國的官僚が吾亦漢人なりとして投降のロ實たりしと同様に、 内閣總理の任命を飛電辭退せし彼は攝政王の歎息して袁も終に淸室を輔けざるかと言へりし如く己に投降の易きに 選びつゝありし一亡國的官僚に過ぎず。武昌都督府に於て黎元洪、胡瑛、故宋敎仁三氏の前に恐惶俯伏せし二人の 密使は、彼が淸室に對する臣節と漢人たる義務に迷へゑとを愁訴し、宋君等より漢奸となりて墓陵を發かるゝより も、明末忠臣の跡を繼ぎて興漢の義士たるべしと鼓舞せられて活路を發見せし事實を見よ。而して密使の送派が北

3. 北一輝著作集 2

く彼地と南京との疎隔たらんとしつゝありしことは彼の大局的眼光の看過せざりし所なり。彼は群衆心理が藜派と の密通者ならずやと猜推しつゝある時、自己に對する排斥同盟が企てられつゝある時、正副元帥が一意義を失へるを 以て孫を大總統とせば黎元洪の副大總統推擧は當然なりとして奔勞せる如く、湯君の推選も等しく彼が武昌と南京 實に南京と武昌との斷絶は同時に袁と黎との握手を意味す。是れ所謂南 との聯鎖を憂惧せし一例と見るべし。 北講和の時を待たずして當時に彼及び具眼者の凡てが孫系の盲進を憂惧せし所なりき。而して彼の憲法草案は佛人 より見れば佛國的大總統なりと感ずべき如く、日本人より見れば日本的統一制なりと解すべき如く、又支那人自身 が見て唐の郡縣的盛大の復活なりと自負し得べき如く、一個嚴然たる東洋的共和制なり。不省は實に此國家大典の 樹立せし際に於て支那の覺醒が深き根據を有するを見たり。則ち日本的思想により國粹文學によりて己に國家的覺 醒統一的要求の眞精祚なくんば、米國制の非國家的分立的飜譯は當時の孫君の光輝と群衆心理によりて新共和國に 禍因を播きしやも知るべからざりしなり。不肯は日本的思想の勝利を悅ぶ日本人たる立場よりも廣く東洋民族の誇 に立ちて、覺醒せる東洋精訷が斯くの如く恣に歐米の長短を取捨しつゝありしを視て滿の欣快を感じたる者なり。 一夜張君が自己の高遠なる社會革命的要求の或者、印ち萬人は平等に土地を所有するを得との一ヶ條を加へしめん として彼と爭ひっゝ不省を顧みて、宋君の如くんば日本憲法の飜譯なり民國と帝國と何の差ぞと痛語せしとあり。 而も傍聽者は是れ反對語を以て支那の統一的覺醒を立證するものとして欣快愈 ) 深からざるを得ざりしなり。而し 過ながら故宋君は日本帝國憲法を編纂せし伊藤公の如く泰平の學究的研究に耽る能はざりき。彼は革命黨の祕密運動 é頃に於て常に革命の成否を決するもの實に日本の向背如何に存すとして憂慮せし如く、彈雨中の武昌都督府に於て 崩日本國民の赤熱的同情に落涙感謝し日本政府の善意なる傍觀に胸撫下したる如く、彼は一たび日本に赴きて革命の 第目的と兩國の將來を共の朝野に訴〈んと欲する切迫せる願望を抱けり。彼は法制院總裁として憲法草案の筆を執り 京っゝ再び不省の勸めに從ひて自ら遣日全權代表の任に當れり。群衆心理は悪夢の醒めたる如く滿場一致の拍手を以 て參議院を通過したり。彼は其手大典の章句に動きっゝ共耳は霞關の叫に聳ちたり。果然、内田君の長電によりて 不省は彼に戦慄すべき警報を傅へざるを得ざりき。印ち長州元老等の發一意なるべき滿淸皇室を存績せしめ、立憲

4. 北一輝著作集 2

米國的思想の飜譯は横井小楠の洋學が日本憲法に於ける功績と多くの差等なかるべし。而しながら他の國粹的復古 主義者も日本的國家民族主義者も、異人種の統治を排除したる後にルヰ十六世に代ふべきォルレアン公を有せず、 德川に代ふべき天皇を持たず。爲めにに歐米の一政治的形式を取り入れて東洋的消化を經たる共和政體を樹立し たる者。一孫の影響乂は歐米の模倣と云はんよりも、實に漢民族の政治能力がラテン、チ = ートン等の共れに劣ら ざる有力明白なる實證として寧ろ吾人の光榮に非ずや。 兎に角孫逸仙君は共和政の犯すべからざる首唱者にして同時に權化なりき。張繼君の居中調停によりて彼と宋君 ッドに腰かけっゝ釋然として曰く。 との握手は上海に歸りし共の夜の談笑に成立したり。彼は不肯の眠りを覺ましべ 今朝南京に於ける暴言は之を陳謝す。孫君は實に好人物にして東京に於て見たる如き不遜無禮を悔悛せり。反對多 き黄君よりも輿望ある彼を立つるとは人心の緝攬に於て如何ばかり革命を利すべきぞ。彼は大總統として革命の中 心に立つべし、黎と黄とは武昌と南京とより各 ~ 軍旅に從ふべし、余は内務總長印ち國務卿として實權を把握して 全力を統一に注がば各 ~ 適處に共の適する所を用ゆる者ならずや。今夜孫君と約せし所斯の如し。米佛の政體的形 式は今日論ずるの時機に非ず、請ふ安んぜよと。不肖は晝車中の懽語に於て國家至上主義者と無政府主義者の温情 を視、夜又米國的夢想家と佛國的實際家の握手を聞き、實に舊友懽會の涙が一切を溶解する一に弦に至るに感じ戲 れに揶揄して日く。貴國古語あり呉越同舟これなりと。彼は色を正して討滿の大目的を説き勳功の有無に係はるべ 相きに非ざるを辯じたり。不幸なる運命の兒よ。彼は共手孫君と握れる間に於て共足が孫の輩下馬君武氏に攫はれつ のゝありし事を知らざりき。訷も恐くは知らざりしなるべし。何となれば孫君の人格に於て最も稱すべき點は共の歐 設米化せるだけに支那獨特の陰謀の如きは聊も無かるべき一事にして、凡ての言動の公明正大なるこは不省の保證せ 府んと欲する所なればなり。而しながら大勢なり。大勢と名くる群衆心理は彼が敗將を擁立せんとしたる不合理の爲 京に己に彼の不利に渦けり。而して彼が孫君と握手せるこは此の渦流の堰を徹するものにして彼自ら奔瀑に卷き込ま れざるを得ず。孫君は誠實に共手を差し延べ彼は懽喜して共れを握れり。此の間に何の陰謀權略の存すべきなし。 彼等の握れる手と手は舊友の温き血と亡命せる頃の涙と、囘天の大業に相携へんとする鼓動の通ぜるのみ。孫君の

5. 北一輝著作集 2

と共に月餘ならずして各省競ひて呼應したる所以は各省の彼等に同様なる國家的一意識民族的情操の覺醒せられて存 するが故なりとは前説の如し。從て共の共通的心意を組織し統一する一意識中樞としての中央政府に首腦たる者は、 同一なる一意識情操に共鳴し共通的心意に普く認識されたる人物ならざるべからず。實に有形的組織立法的統一は此 の心的共通の上に築かるべきもの。舊組織舊統一の除かれたる後を享けて新らしき中央政府を組織して各省を新ら しく統一せんとするに當り、己に心的中心たる黄興を推さんと決意せるは亦正當なる計畫なりと言はざるべからず。 彼は黄君が敗軍の逃將なることに苦心したり。而して急遽大總統の名を用ゆることの共和政の本義に於て各省の感 想如何を考慮したり。不肯は日本人の頭腦を以て革命戰爭中兵馬の大權を總攬せば可なるかの如く考へ、『大元帥』 の文字を勸め彼は交遊の好一意に誤られて後の災禍を熟圖せざりしとは何事ぞ。敗將を大元帥となすの不合理は宋君 の知らざりしに非ず。一に各省の統一の爲めに心的中心を要めたると、黄君をして今一度び兵馬の功を立てゝ敗辱 をすゝがしめ己れ自ら總理として經世的確信を亂廱の間に施さんとしたるに在りしが如し。彼は顯然たる此の不合 理を遂行するに渾身の猪勇を揮ひたり。彼は戰勝の誇を負ひて御すべからざる聯軍諸將を論伏して敗將の推戴を承 諸將は不懣ながら歡迎の準備を整へて新頭領の入城を待てり。然るに何事ぞ、迎へらるべき黄君 認せしめたり。 は來らずして逡巡し始めたりとは。支那のルソー章太炎は東京より歸り來りて先づ反對の聲を擧げたり。動亂の群 衆は此の愚なるが如き大賢を渇仰して一宣言の出づる毎に共の金玉の文字を拜跪したり。彼は先づ宋君の總理たる 相べきを天下に推薦したり。 而して大總統は必ず黎元洪たるべく、黄輩の如きは一逃將須らく一戰の功を建てて罪を の償ふべしと宜言したり。彼の文字は今日袁世凱が登極の上論を求めて得ざるが爲に毒殺せしと傳へられし程に支那 設に有力なる者にして、何事も理解せざる群衆は此の堂々たる宣言に隨喜したり。革命の洶濤に渦き流るゝ不可解不 府可測なる群衆心理は逡巡せる黄君を視るに却て功なくして榮を窃む者となし、波動の及ぶ所總理たるべしと推宣せ 京られたる宋君を以て專制を企て野望を抱く者なるかの猜疑に雷同したり。而も確信と猪勇に滿てる彼は逡巡せる黄 君と太炎の宜言と南京諸將軍との間に立ちて天稟の組織的手腕を揮ひっゝ、大元帥黎元洪副元帥黄興の決定を斷行 し、副を以て正の實權を行使せしめんとしたり。彼は此の正副元帥の決定を以て正副大總統の別名となし、當時の

6. 北一輝著作集 2

紹介によりて聯合軍の隊中に加はりし二三供骨君は陷落の進捗せざるに焦慮して上海に來りて曰く。彼輩に放任し て南京を拔き得べきに非ず、願くば爆彈を與へよ決死の一隊必ず城門を破るべしと。輕侮的援助者が斯の如く乃公 外 命在らずんば勝敗決せすとなして燕飮流連せし間に陷落の報告は來れり。不省の一喝を喫して醉眼呆開せし滑穃は支 那那革命に赴ける日本浪人に價値を類推すべきものに非ずや。而して渡來囂々たりし日本人が殆ど全部斯る酒間の聲 支援者なりといふ事實と、斯る古物によりて城門の破壊されたりといふ事實とは 日本商館の暴利を貪りたる廢銃 廢砲が未だ横濱の税關をも通過せざりし頃なるが故にーー・・實に武漢の起義に於て上海の關門に於て他の各省の凡て に於て然りし如く、最後の南京に於ても日本及日本人は革命に對して何等感謝さるべき恩を估らざる立證たるもの に非ずや。之を要するに戰爭としては斯る古物の砲撃によって陷落せしほどに一顧の値なきものなり。而も革命と 戰爭と判別して考ふる者に取りては、南京の占領は漢陽の敗によりて將に逆轉せんとせし天下の大勢を盛り返へし、 以て革命黨の威信を繋ぎたる點に於て大局的意義を認むべし。前に黄君の漢陽に敗れ更に電告に從はずして下江す るを聞くや、窓を隔てたる隣室に於て終夜默考椅坐せし宋君は一睡して欠伸しつゝ入れる不肖に向ひて曰く。足下 碁を圍まず。一石の投下を誤れば全局面の勝敗地を替ふる者は共れなり。黄の敗走は誠に我黨を死地に陷れたる者。 余萬考曉に至るも此局面を恢復するの途は只速に南京を得ることのみ。武昌の杞憂を終に弦に視ると。斯くの如く 彼は漢陽の敗後天下の革黨に對する向背一に繋りて南京の成敗に在るを洞察せる者。則ち徐固朱瑞及び故林述慶 君等聯軍諸將の交 ~ 都督を爭ふを調停して老廢程德全を推し、身親ら民政長の名を以て全權委任を執り、以て革黨 の力を堅確に明の古都に樹立したり。不省は死者を萬能訷視する東洋的慣習を醜くしとするものなりと雖も、彼が 武昌都督府を出でし決意と、南京を出入せし冒險と、都督の實權を把握せる民政長官との間に不惑不屈の方針を視、 共の堂々たる大局的眠光に兄事したる者なり。 實に彼は黄君と共に江を溯りつゝ謀り、獨り江を下りて企てたる中央臨時政府設立の地を占領せられたる南京に 得たり。彼は十數日前將に共首を城門に梟さるべかりし都城に今實權都督として聯合各軍の勢力を負ひて臨めり。 而して彼は各省の日本的思想系の全部に普く認識さるゝ興を以て中央政府の言腦となさんとしたり。武漢の擧義 2

7. 北一輝著作集 2

支那は進んで共の公開を耽ぶべし。是れ財政監督にあらず。普通に行はるゝ事業の經營方法なり。行政費の缺陷を 補はんとして共の費途に容喙し、囘收の不安なるが爲めに徴税權の行使に參與せんとする者は財政監督なり。事業 命の經營に於て計畫を有效にし會計を公明にすることは、外資たると内資たるとを問はず國營と民業とを論ぜず一般 の通則なり。民國元年、不省は六國借款の交渉さるゝ時隣國の諸友にカ詭して曰く。何ぞ六國の款を用ひて獨立せ 支る鐵道經營を斷行し、以て各國の經濟的分割圏を抹除して經濟的保全に一轉せしめざるや。六國を一團とせる鐵道 院の會計と計畫の下に列強の既設鐵道を買收し一切の未設線を取消さば是れ彼等をして自ら保全に努めしむる者な り。津浦鐵道の南段と北段とに見る如く北支那と南支那とを英獨に協定せしむることは鐵道による支那分割の亡淸 的遺策なり。ノックスの鐵道中立案は日露の滿洲に企てられたるが故に夢想に終はりしと雖も、彼が先づ英佛白等 の支那本部に在る共れと、今後の敷設さるべき凡てとを列強の投資による中立とせば日露亦悅んで參加すべかりし なり。今は則ち共時に非ずやと。實に當時孫袁のーー言ふべからざる提携ーー固き私利的握手なくんば、革命黨は 亡國階級の維持に浪費されたる六國借款を鐵道に導きて列強と支那の前途とを平和の間に解決して保全的基礎を築 きしやも知るべからず。固より形勢の化に應ぜんとする今の開戰による鐵道沒收が英雄に非ずんば爲す能はざる 如く、此の『六國資本の鐵道統一に依る經濟的保全策』が袁政府の交通部と孫文輩の鐵道總辧を以てしては所謂虎 を描いて狗に類すべきは明かなり。而しながら孫にして寸分の經濟的識見ありしならば袁を倒す上に於ても行政費 に消ゅべくして監督の可否の論爭さるゝ者に投資すべきや、收利の明かにして材料の供給に利し會計の明白なる者 に投資すべきやを資本の安全性に訴ふべき筈なりしなり。六國財團が袁政府を棄てゝ孫總辧に走るべきは論なく、 則ち孫の恢復にして袁の失脚に非ずや。 今にして顧る、實に英公使ヂヨルダンの旨を受けたる一英醫モリソン の結べる孫袁の握手が東亞の大局を浮ぶべからざる深淵に投ぜんとせし殆ど粟膚戰慄に堪へず。而しながら諸公。 見えざる偉いなる者は終に正義を顯はし東亞諸邦を救はんとす。此の文字を草しつゝある中に宋を上海に暗殺せる 陳其美は實に同じき上海に於て天の暗殺を受けたり。第二革命の因を爲せる宋が敵味方に悼惜されたるに反して、 第三革命の妨げを爲せし彼は敵味方に欣ばれつゝ終はれり。而して早く巳に籌安會を僻散せし袁が終に刑戮に至る 198

8. 北一輝著作集 2

ち飽食暖衣して泡沫の空名に甘んじ徒に萬言を列ねて國民捐を鳴號する如くんば黄興と雖も共任に堪へず。昔者亡 史 國敎の文士歌ひて曰く、古來征戰幾人遺と。何ぞ然らんや、明治大皇帝の日本と窩濶臺汗の中華民國とは征戰勝っ 外 命て遺りし者に非ずんば今の時特に統治の任に當る能はず。不幸屍を馬革に包みて終らば護國の鬼。徹底的革命後の 大總統は斷じて露支戰爭の凱旋將軍ならざるべからず。兵は四億萬の組織さるべき國民軍あり。資は亡さるべき代 支官階級の富數十億萬の山積せるあり。而して各省亂離の統一、財政基礎の革命、一大陸軍國の根柱、自らにして成 る。大奈は訷に非ず唯此平凡事を成せるのみ。あゝ爪牙なき熊を屠りて窩濶臺汗の蒙古大共和國を築くものは誰 ぞ。況んや精鏡なる兵器を供給すべき日本を背後に有するに於てをや。 以上の論述を點檢さるゝことによりて、諸公は日支兩國が全く獨墺同盟と等しき存亡的一致に立てることを首肯 せらるべし。實に今の日本に必要なる人物は近眼輕佻なる俗論を鎭壓すると共に、充實せる興國の正氣を向ふべき 所に向はしむる一個のビスマークのみ。彼は墺普戰爭によりて一握の土を求めす、戦勝に醉へる軍將の要求を排し、 一見支那の如き割亡に終はるべき墺太利との同盟を策するに自殺の決心を以てしたり。ーー・何ぞ日本朝野の對支策 と相距る甚しきや。彼は曰く、墺太利の舊屋は或は瓦解すべし。而も獨逸は彼のセメントなり。否瓦解すと雖も獨 逸は煉瓦の一片を求むるものに非ずと。淸末よりの支那は正しく解體したる箍なき大なる桶なりき。日本が眞に保 全主義を唱ふるならば北露と南英との領土を奪ひて四百餘州を抱く雄大なる箍を外交方針とすべかりしなり。軍人 と國論とが侵略主義を高調するは興國の正氣にして妄りに抑壓すべきものに非ず。要は向ふべき所に放つに在り。 ビスマークは墺に向はしめずして當時強大を極めたる佛に放ち、以て一擧歐洲の覇位を爭へり。戰時中なるが故の 耐忍に得々として我れは日英同盟の主位なりと誇り、露は終に我に抗する能はずとして苟安に送るが如き日本現時 の覇位はビスマークの與みせざる所。恰も儼父不在の留守居を幸ひとして亂舞する頑童の行ひなり。歸來拳の戒 は鏡にかけて見るが如し。而して一瓦片をだに求むべからざる墺太利に對して第二革命の個人的加擔者が數人死傷 せりとしては則ち艦隊を派して威嚇し、英の妨害によりて日支交渉の頓挫するや鋒を彼れの強大に向けずして却て 涕泣合掌の弱者に加へんとす。不肯は日本歴代の内閣を一貫する斯る醜態を見て、「現下支那に統一の大器なし」 ー 90

9. 北一輝著作集 2

の警鐘亂打によりて行はれたるのみ。然らば支那の代官階級の一掃と財政革命の基礎とがロ舌的借款亡國論に望む べからざるは論なし。 不省は固く信ず、對露一戰の軍費は代官階級の富を沒收徴發することによりて得べく、 政治的財政的革命亦對露一戦に依りてのみ始めて望むべしと。四萬々民の存亡を叫んで軍資徴發を代官階級に要め ば秩序整然として三十億圓を徴發するに數ヶ月を要せざるべく、蒙古の戦場若し國民軍苦鬪に陷らば更に頗る可、 貝ち公安委員會が 一年百億何ぞ難とせん。軍政改革亦然り。ビスマークが一戰して分立的侯國を統一せし原則は、リ 巴里の城門を閉ち獄裏の貴族を屠殺して奈翁の統一的佛蘭西を準備せし原則。腐敗墮落して國内の革命的暴動をす ら鎭壓する能はざりし都督將軍等の代官階級は逃亡して『泥土の將軍』と『地下の金鑛』とがゴビ沙漠の陣頭に 立つべし。千百のカルノーありと雖も首都の四十哩前に敵騎を見ずんば一躍徴兵制度を強行する能はず、國民亦死 を決して來り加はる者なし。恰も日本の共れが數百年の制度に對する急變を緩和せんとする條件付にして而も戸籍 を僞る徴兵忌避の養子を流行せしめ、血税の文字を誤り血液を絞りて電柱に塗布すとして所在噴飯すべき竹槍蓆旗 を演じたるが如し。佛蘭西と同一なる支那の危機は、日本の如き氣樂なる旅行を許さずして、四億萬民共者の休戚 を決する護國軍となりて出現すべし。代官に購買せられたる『最惡なる人民』の中世的軍隊は四散して、『國家の 爲めの國民』に覺醒せる至純なる農民の組織せる愛國軍を見るべし。部ち高杉晋作等に卒ゐられたる馬關砲撃の如 同き團匪亂を裕ける國民が一躍大山乃木に指揮さるゝ國民軍として戰線に立つべしといふことなり。或は佛蘭西の如 經く毎月一億萬の不換紙整を濫發する如きことは今の時無かるべし。而も彼れが如く巡警劔を典して口を糊し將士馬 日を賣りて饑を凌ぐの窮に陷ることなしとせず。革命とは賽を投ずゑとなり。支那は一九一一年に於て己にルビコン 盟を渡れり。戰はずんば亡。戰へば亡中興の險路あり。奈は支那に見るが如き年少なる革命將校なりき。伊太利遠 支征の途に上らんとして共軍に諭して日く、佛蘭西は諸子に負ふ所大なり。而も國庫室うして諸子に報ずる能はず。 日 諸子の衣は裂け靴は破る。願くは死を共にし父榮を與にするの日を見んと。對露一戰は日本の憲政擁護者流の禪輿 九となりて得意に狂する如き浮華輕佻の孫文輩を見て推論し得べき支那の將來に非ず。窩濶臺汗と共諸汗とが大風起 って雲飛揚するの時、馬背に立ちて鳴鞭憤叫國家の存亡を訴ふるならば何ぞ國民軍の弊衣破靴を憂へんや。我は則 189

10. 北一輝著作集 2

念の盛寰に根源す。羅馬が或る信念によりて興り或る信念によりて亡び、波蘭土が或る信念によりて興り或る信念 史 によりて亡び、佛蘭西が或る信念によりて興り、獨逸が或る信念によりて亡びんとし、而して或る信念によりて蒙 外 命古人の彼れが如く偉大なりしものゝ或る信念によりて今の如く貧弱なる、 是れ古今東西興亡の訷髓なり。亡國 那敎の爲めに常に異人種の侵迫に惱みし支那が、或る偉大なる他の者の把握によって却って倒まに征服の鐵鞭を擧ぐ 支る一大陸軍國に至り得べきは一に唯革命なるが故の眞理なり。凡ての鍵は國民の心的傾向なり。亡國階級に率ゐら れたる當時の佛蘭西軍隊と革命政府の下に集まれる無訓練烏合の國民兵との差等を一顧せよ。將校の凡てが貴族に 占有されしこと恰も維新前の武士が護國の權利を獨占せし如くなりしが爲めに長劔肥馬の美は至れり。而も墺太利 一國の交戰に用ひし時一兵を見ざるに營を棄てゝ逃がれ一彈を放たずして走れること殆ど滿洲旗人に等し。佛蘭西 革命が歐洲を征服したることは奈翁の軍略與からざるに非ずと雖も、歸する所國民の自由的覺醒に依る國家的信念 に存す。見よ、奈の現はれざる以前土耳古を撃破して來れる新勝の獨墺同盟軍に對戰せしものは、實に貴族の亡 命したるが爲めに指揮官を失へる五萬の補充兵と九萬五千の市民農夫の烏合なりしに非ずや。彼等は自由の覺醒に 彼等は共の權カ階級の逃亡 よりて國家が王貴族の私有財産に非ずして彼等自身の責任に存する信念に赤熱したり。 によりて些の防禦力なき裸體の國家を負へる者なりき。彼等は侵入軍がセダンに陣しロングビーを陷れヴェルダン を砲撃しつゝある絶望的亡國を守らざるを得ざるに加へて、嘗て己等の支配者たりし人々が敵の嚮導をなし、王共 人の賣國奴を處置せざるべからざる未曾有の内憂を持てり。彼等は更に英艦隊に擁護せられたるルヰ十七世のツー ロンに擧兵せるを防がざるべからず。是れを支那に取りて詭明すれば、英露の分割同盟軍に日本の參加し今の各省 都督諸將軍等が共の嚮導をなすに對して、年少なる革命政府と擾々たる農民とが護國軍を組織せりと云ふことなり。 諸公。同一同時代なる佛人にして亡國階級に率ゐられし時は今の支那軍隊よりも怯懦に、自由的覺醒による國家的 信念に立てる時は三國同盟軍を撃退して奈翁に些の遺憾を感ぜしめざりしに非ずや。自由意志に基く信念覺醒なき 時代の獨逸が佛蘭西の自由的國民軍に降伏せし時間は一週日半を要せざりき。共卑怯無氣力にして非愛國的なりし ことは宗社黨の公逹も及ぶべからざる醜態なりき。而も自由と統一を得たる後の彼等はビスマークの指揮の下にル 170