一米國的夢想家の他カ本願主義によりて誤解せられたる革命援助の聲が、今 挫せられたる憾をも有するものなり。 日経に日本の庇護の下に革命せしむべしとする積極的干渉に近きものに變化せざるや。不省は此の侮蔑と恐怖と、 革命後の兩國々交に却て重大なる禍因たるべきを憂惧して止まざる者なり。 以上の概詭によりて、孫逸仙君の日本に於て知らるゝ理想及び日本の朝野に試みつゝある運動が、支那革命黨の 理想にも革命的支那の要求にも非ざるとを了解せられたるべし。是れ固より多く必要ならざる談義なりと雖も、孫 逸仙の名が世界の觀察眼を暗黑ならしめつゝある今日に於ては詭明の明瞭の爲めに玉石の判別より出發せざるべか らず。に於て疑問は當然に起らん。曰く然らば如何にして支那は共和政體を採りしか。日く如何にして孫逸仙は 民國の第一大總統に推擧せられしかと。不肖は是等に答ふるに先ち革命の思想的原因より序を追ひて考察せんと欲 ずす。孫黄譚宋等の個々人の成敗を褒貶するは別に共人あるべく論述の目的は冷頭なる革命の因果的研究に在り。 っ あ 想 理 の 想 理 の 仙
一一孫逸仙の米國的理想は革命黨の理想にあらず 一般に孫逸仙を以て革命の理想的代辯者となす前提的誤謬ーー・グッド / ーの共和政不可行 論、ーー板垣伯の言論によりて日本憲法を解釋せんとする如しーー米國と支那の建國精禪よ りの相異 , ーー米國的自由政治は支那に於て他の自由を認めざる一黨專制政治となる・ーー米 國的飜譯の聯邦論、ー・来合衆國の建國は十三獨立國の對英攻守同盟を永久にしたる者其の ず 膨張亦獨立國を購買し征服したる者。ーー支那は建國より歴史を通じて統一國家なり ら ラファェットの聯邦國的飜 新革命の時の獨立國的各藩は各省的感情の比にあらざりき あ 譯が封建的區劃を存せし佛蘭西にさ、行はれざりし理由ーーー米國的飜譯に提はるゝ外國援 想 助運動ーー , 外國に援助せられたる舊権力と戦へる佛國革命と、外國の兵力授助によりての の ワシソトンは北米の永久中立を宣言 み獨立を得たる米國獨立戦爭とは全くの別物なり したるモンロ 1 なり 日本が革命を援助せず夂妨害せざりし所以は別個の倫理的理由に 革命は國士の事業。ーー孫は革命運動の代表者にもあらずーー、・日本浪人の援助運動 想 と革命黨との矛盾阻隔ーー個々人の褒貶に非ず革命の因果的研究なり。 米孫逸仙の名は祕密結社時代よりの中國同盟會總理たり南京臨時政府の第一大總統たりしより、世人は彼を以て支 の 那革命黨の理想を代表し彼の言論する所は新支那の要求なりと推定し、從て彼を解釋することによりて支那革命黨 逸 の眞相を觀革命の支那を想察し得べしと感ずるに似たり。是れ一見正當なる見方にして、凡て支那を論ずるもの袁 孫 世凱に對して孫逸仙と云ひ『北袁南孫』の語は支那自身に於ても新舊兩黨の代名辭として用ひらる。彼の支那の革 命に同情するものが彼を通じて同情し、革命黨の理想を考察せんとするものが亦彼の思想を批判して可否せんとす
たるに非ずや。彼の凡腕は投降者を主位に置きて革黨の客たるべき實質上の顛倒事を現出せしめたりとはこれを何 史 とか言はん。彼は革命の始めに來らざるのみならず、革命が終りつゝある時に來り、他の凡ての革命的指導者等が 外 命凡て共の任務を盡くしたる後に來れる者。而して只彼の爲めに殘されたる此の一任務にすら孤負したる斯くの如し。 支那浪人團と共れに雷同する衆愚とは孫逸仙の名に眩惑して恥となさず。而も當時隣邦國士の擧りて、孫文虚榮の 那 支爲めに虚位を窃みて天下の大事を誤れりとせる切齒痛憤の情は不省敢て一管の筆を以て之を後世史家に殘さざるべ からず。に於て疑問あるべし、 , ーー・袁世凱の大總統たりしは孫君の木偶なりしが故なるかと。
るは當然なる措置と言ふべし。少くも彼の人格的價値を重視せざるものと雖も、孫逸仙は理想に過ぎずとして暗默 史 の間に彼が支那革命の理想的代辯者たることを肯定するものゝ如し。而しながら是れ實に甚だ輕卒なる假定より出 外 命發せんとする者に非ずや。不は祕密結社時代の中國同盟會に干與せし時、彼の邸に於て彼に對して誓盟せし關係 上、常に彼を理解するに深き同情を以てしたるものなり。而しながら長き歳月と厳正なる事實は繆に斯く斷言せざ 支るを得ざらしむ。孫君の理想は傾向の最初より錯誤し、支那の要求する所は孫君の與へんとする所と全く別種の者 なるを見たりと。若し此の斷定にして正しからば、彼によりて革命運動を察し革命されつゝある支那を考へんとす る努力は徒勞なるべきなり。印ち一般の世人が爲す袁と孫の人格的重量の考較によりて兩者の對立的勢力の消長を 察せんとする如き、乂は兩者の代表せるかに見せる君主主義と共和主義との孰れが支那の國情に適當せる政體なる やを判定せんとする如き、實は甚だ枝葉なる皮相なる觀察方法なりと云はざるを得ず。根本の問題は斯る袁孫等の 泡沫を浮消せしむる支那の革命的潮流の本體に存す。袁が誠に脆薄なる一泡沫に過ぎざることは後章に論ずべし。 只孫逸仙の名が支那革命の權化なるかの如く觀察者の明を蔽ふ陰影となれるが故に革命黨の眞の理想と革命的支那 の眞の要求を點檢せんとするに當り、先づ彼の米國的理想 ( 彼の親米主義と判別すべし ) が、彼等の理想にも彼國 の要求にも非ざる殆ど沒交渉に近き者なることを明白ならしめざるべからず。 常識を以て考ふるも、袁世凱の野蠻なる國體更の計割に對し、又は君主政にあらずんば支那を統治すべからず とするグッドノー等の學究的批評に對して、孫君の米國共和制を以て對抗せんとするは餘りに根據なき主張にあら ずや。則ち革命黨の有する東洋的共和主義と彼の米國的共れと同一なるものならば、共和政治は支那の統一を失ふ べしと云ふ袁のロ實も、革命黨の計畫は凡て空想なりといふ外人の嘲笑も、悉く道理あることにして不省亦袁とグ ッドノーに從はざるを得ざるなり。米國人たるグッドノーは共の故國の共和政と共れを飜譯輸人せる孫君のものと を比較して支那には此の一意味の共和政は不可行なりと斷ずる者、此の範圍に於ける彼の見解は正當なりとすべし。 何となれば日本自身が有する東洋的君主立憲政が數十年を經たる今日尚英國に解せられざる如く、支那自身が要求 する東洋的共和政は短時日の政府顧問たりし米人の身を以ては考ふ可らざるものなればなり。ち彼も亦一般の輕
反那革命外史 類物格代の佛蘭西及び日本ーー・岑の支那に中等階級なきが故に自由政治の基礎なしと云 米國は中世的掠奪 革命前の日本佛蘭西に中等階級ありしか ふは因果律の類倒なり 者を本國に見捨てたる近代的人格の集合にして、始めより自由政治の基礎たる中産社會な りきーー米國の獨立と革命とを混同する一般の俗見ーーー古來支那に自由ありといふ孫君の 論理的錯亂・・ー・ー海外貿易より生ぜる中等階級の萠芽の支那に存することは荷日本佛蘭西に 其等の然りし如きのみーー・ , 支那の自治政治と中等階級は官僚討伐後に來る者。ーー、自由民の 支那は恐怖すべき大富強を推想せしむーー・・・自由と統一を君生政に得たる日本、其等を共和 政に求めつゝある支那。 諸公。天人惧に許さゞる所謂第三革命の大罪悪は日本の大誤策によりて亡ばされたり。天は魔を打つに魔を以て するの方便あり。而して暗黑時代の三年間に於て、支那は元勳先生等の贋造貨幤なることを發見し、日本は共の後 援せる袁世凱より十分に裏切られたり。日本を裏切れる魔と支那を欺ける魔とは相戦ひて共に天の斧鉞に終るべき 運動を知らず。袁は北京に於て孫箝胡君等の路を踏み迷へる革黨諸氏を集めて『籌安會」を作り自ら皇帝たら んとしたり。孫は東京に於て『中華革命黨』なるものを組織し、陳共美戴天仇居正田桐の諸氏を集めて亦籌安會と なし、孫逸仙訷權説を主張したり。魔は終に愚。袁魔は日本が誤策より覺めて彼が英國の買辧たることを發見せし を知らず、自ら皇帝たらば鄰邦の承認容易なるべしと孜々三年を勞めたり。孫魔は支那が第一革命の事を破り、第 二革命亦同志を死地に投じて遁竄せし彼の諸罪を斷獄すべく準備せることを知らず、我れ共和を叫ばゝ鄰邦の後援 ーーー努めたるかな兩魔よ。天日未だ輝かず魔軍相爭ふ暗黑の 國を擧げて來るべしとなし、亦切々三年を努めたり。 今日までに於て、亦天の審判を知らざる日支兩國の群小は各共の從ふ所によりて政體論を爭ひたり。利を啗へる吏 僚政客は曰く、支那は袁世凱の力に依ってする專制の君主政體ならざるべからずと。名に餓ゑたる支那浪人等は曰 、支那は孫逸仙の理想に照らされたる共和政體ならざるべからずと。投降將軍と遁竄元勳と籌安會と中華革命黨 と、袁氏皇帝論と孫家權論と、是等何程の相違ぞ。二人者始めよりの使にあらず。唯共の器にあらずして外援 ー 42
一緒言 二孫逸仙の米國的理想は革命黨の理想にあらず 三革命を啓發せる日本思想 四革命黨の覺醒時代 五革命運動の概觀 : 六革命渦中の批評 : 七南京政府設立の眞相 八南京政府崩壞の經過 九投降將軍袁世凱 : 十英公使の買蝣袁世凱 十一對日警戒の爲めの北京中心 十二亡國借款の執達吏 十三財政革命と中世的代官政治 : 十四支那の危機と天人許さゞる第二革命 十五君主政と共和政の本義 目十六東洋的共和政とは何そや・ 序・ 目次 五 0 七六 ・一 0 七
ことあらば、日本は支那と共に共の兵力を以て供託せる保證金を沒收すれば足る。戰費賠償金の前渡しを以てする 史 ならば不省等何ぞ日米開戰詭に興みせざらんや。五國借款の執達吏と黄白兩大陸國の支配と、一に唯外交革命の一 外 命轉機によりて分る。淸末と袁世凱との時代に於て借款亡國論たりしものは窩濶臺汗の共和國に至て借款興國策に一 變すべし。是れ鎖港攘夷論が德川氏の亡國組織に於て皇帝及び革命的靑年によりて唱へられしに係らず、革命政府 支成立と同時に開國進取の宣言に一變せしと同様なり。開鎖の論は末なり。墨銀三百萬弗を贈りて馬關攻撃を依賴せ る竹本淡路守の心を以てする開港と、聯合艦隊に敗られて對等の休戰を頑守せし高杉晋作の心を以てするの共れと は興亡の精訷を異にす。然らば同一なる外國借款が中世的代官階級の時代に行はるゝ時亡國論となり、團匪的正大 氣に充實せる革命政府の利權囘收論的精に施さるゝ時興國策の一となるに何の疑ひなし。故に曰く、借款は唯日 獨米を聯ねたる英露撃攘の大策に立ちて親ら馬を蒙古西藏に驅るの英雄に非ずんば爲す能はずと。誤解する勿れ、 故に是れ所謂親米主義に非ず。哭廷芳の如く日本は貧國なり米は富家なりとして銅臭紛々たる代官根性を以て行 ふべき政策に非ず。彼徒凡ては米國投資が日本の保證の下に非ずんば支那に入る能はざる經濟學の原則・ーー資本の 安全性ーーを理解せざる程の亡國的吏僚なればなり。海外投資は此原則によりて武力の後援を要す。彼の唐紹儀と 袁世凱孫逸仙とが共に計りて南北講和後の急需に白耳義シンジケートを借れる如き無智淺見の凡俗をして當らしむ べき者にあらず。彼等は共外形を見て侵略的性質を帶びざる小國の資本なりと誤解し、現下の大戰に暴露されたる 如き露佛同盟の羊皮せる者なるを察せずして愕くべき露國の鐵道を導かんとしたり。不省をして日本の五國借款加 入を辯護せしめよ。共の當時嘗て一言の反對だにせざりし孫逸仙が第二革命に臨んで怯懦なる大の如き五國ポイ コットなんどの吠聲を擧げしとあり。而も孫と袁世凱と唐紹儀との責任に出づる露國の侵入を導ける白耳義借款は 當面に日露の均勢を破り、終に日露再戦の場合に於て日本を不利に陷るる者。日本に取ては孫黄の八百ダースより も露國の共に代れる滿蒙五鐵道が必要なりしなり。則ち日本の五國借款加入は共前渡金を以って孫唐等の禍根を植 ゑんとせし白耳義借款の償還を條件としたるを以てなりとす。同一なる借款にして國を亡ばし國を興すと斯くの如 く、同一なる親米主義にして團匪酌興國魂より發せる者と代官酌慣習の腐腸より露出せる者と、天淵亦斯くの如 ー 94
の取らんとする共和政如何の前提を考察する眼目を閑却せしめたり。亞細亞各邦の蓑ふる久しと雖も國體の決定を 米人輩の批判に仰ぐ程の哀れなる革命黨にあらず。孫逸仙を視て革命黨を解すべしとする日本人の多くは研究的用 外 命意を缺ける彼の失態に鑑みて相警むべきことなるが如し。 那孫君の米國的夢想と革命黨の東洋的共和主義とを混同するよりして否定的結論を爲すグッドノーに反して、肯定 支的議論をなすものに我國の支那學者内藤愽士あり。則ち孫君の米國的飜譯より來れる各省聯邦論を容れて支那の將 來は聯邦共和制を可とすべしと論著せる如き是れなり。而しながら是れ單に肯定に行くと否定に來るとだけの相異 にして、孫逸仙の陰影に研究眼の聰明を蔽はるゝ遺憾に於て相選ぶ所なし。斯くの如き夢想が覺醒せる革命黨の理 想にもあらず革命されつゝある支那に行はるべき要求にも非ざる事は支那の歴史が明白に擧證すべきに非ずや。米 合衆國は共の名の示す如く十三國の集合せる歴史に始まりて聊かも支那の共れと似たる所なし。彼れの聯邦制は獨 立せる意志を以て集まれる移住民の獨立的小邦國が、他の征服艾は併合に依らず、英國に對する攻守同盟の爲めに 聯合せる國際的提携を永久にしたるものなり。共小邦國の獨立的意志たる、實に淸敎徒、羅馬敎徒、王黨員等各宗 派が地域を限りて植民し信仰の爲めに土地の交換を要せし程に相犯すべからざる者なりき。而して膨脹したる今日 の四十八州と雖も、佛蘭西より購入せるルイジアナ、西班牙より購入せるフロリダの如く、墨西哥より離反して加 人せるテキサス、カリフォルニア、アリゾナの如く、 歐洲の各本國の支配を要せざりし程に巳に十分に國家的發達 を遂げたる邦國の聯合なり。建國當時の十三州に五倍せる今日の米合衆國は實に十五囘に亙りて斯る獨立的邦國が 聯合し集合したる者なり。則ち米國は國家學上『集合國家』と名けられて『單一國家』に分類さるゝ支那と全然歴 史的發達を異にせるものなり。支那は歴史ありて以來統一せらる。假令古へ群雄の割據し兩朝の抗爭せしとあるも、 是れ日本に元龜天正の分立時代あり南朝北朝の爭覇時代ありしと同様なり。若し此中世あるが故に日本の帝國憲法 に米國の飜譯を輸入して各藩聯邦制を探るべしと言はゞ笑ふべき歴史觀に非ずや。春秋の時と雖も天下一に定まる の日を待望し、孔明の鼎立策と雖も統一の爲の準備に過ぎず。治者と民衆の理想が常に統一に存して共の分立し抗 爭せる時代は統一的覺醒が未だ擴汎せざりし歴史的過程に過ぎざることは多言を要せざる所なり。支那の表皮を觀
天下亦之を以て中央政府設立の根柱を樹てたる者と信じたるは論なし。而も禪ならぬ身の俘虜と敗將を擧げて天下 史 の耳目を欺くの繆に破綻すべき彌縫なることに氣附かざりき。年少三十歳に過ぎざりし彼は頭首を堵して得たる南 外 命京を以て天命革黨に降るの確信に赤熱し、己れ大權を總攬せば手に唾して滿淸を蹴倒すべしの血氣に逸りたり。是 れ脚下の陷穽を知らずして七卿の都落ちを演じたる桂小五郎の若さにも比すべし。革命の洶濤は渦き流れ、群衆心 支理は猫眼の如く變じて朝にタを知らず。彌縫は忽ち破綻したり。破綻のロを外人の要らざる差出口に求めて、群衆 は己に大元帥のあらば共上に何人を奉ずべきかの問題を提起したり。 是れ等しく日本人が援助なきのみならず 革命に禍せる例證ならずや。日本に於て大元帥の音響が絶封至上權の感想を暗示するとは反對に、支那に於ては此 の同一文字が古來元帥在於域外不奉天子之命の如く共上に何等か或者の存在を暗示す。而して俘虜と敗將に不滿な る群衆心理は此の暗示と歐洲より歸來しつゝある孫逸仙とを結合せしめて考へたり。沸々洶々として渦きっゝあり し大勢は弦に斷崖を見出して奔瀑の如く急轉直下したり。 數十日前揚子江の水軍が未だ黄龍旗を飜へせる頃なりき。不肯は武昌に溯らんとして萬里の平野と大江の上に照 る滿月に會したり。靜寂共の響なるかの如きスクールの音を聽き深更の甲板に落つる我影を踏みつつ俯仰古今の感 に堪へず、終に船窓一書を認て在京の一友に送れり。書に日く。昔者革令兒奈翁巴里の危急を聞き共軍を埃及の沙 漠に棄てて單身歸京したり。孫公今にして尚歸へらざるに何の愚ぞと。然しながら武漢の勃發と共に米國に在りし 孫逸仙の體軅は五彩の光輝を放ちたり。全世界は全く祕密の鐵函に封ぜられたる革命黨の爆發を見て固より解すべ き道理もなく、 一に彼と共れとを同視したり。奈翁が敵艦の封鎖を破りて直行せし如くに、奈翁よりも多く偉大な らざる彼は直路故國に到るの斷を缺けり。然しながら光の尾を引きて歐洲の天に懸りし彼は兎に角英雄の如く上海 の埠頭に立てり。彼の刎頸の友池亨吉君が語る如く廣東の同志等が彼の行を憂へて長江に人らば舊同志に殺さるべ しと諫止したるや否やは保せず又池君滔天君等が各 ~ 共の團集を代表して彼を香港に迎へたるを見て、ワシントン よりも更に善良なる彼は日本人によりて保護さるべしとの他カ本願的米國宗に安堵したるや否やは亦詮議するの要 なし。英雄は眼前に立てり。俘虜と敗將に不滿なる群衆心理は大元帥の上に立つべき或者の實に此の英雄なるとを ツ、、ロ
佛との心的傾向に淵源す。往年の蒙古大共和國と今の大日本帝國と、何ぞ言論文章によりて共の大を爲さんや。諸 公。不省等が危きを踏み險を冒かして隣邦諸友を鼓舞指導する所以の者、實に今の支那が數千年の凡てを否定して 命或る何等かの者を求めつゝあるを以てなり。求めよ、然らば與へられん。彼等は自由の。ハンを求めて孫逸仙より米 國制の石を與へられたり。彼等は再び統一を求めて袁世凱より孔子尊崇の亡國敎を與へられたり。求めて止まざる 支者は終に得べし。ーー窩濶臺汗の大共和國の慈悲折伏の妙法蓮華經と、何ぞ蒙古民族と明治大皇帝の専有ならんや。 此の推論は支那の覺醒が世界の恐怖たるべし云ふ黄禍論に裏書きする者なり。大に然り。粟小日本群島の覺醒に して己に然り。況んや四百餘州四億萬民の戈を提げて起っに於てをや。