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検索対象: 北一輝著作集 2
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1. 北一輝著作集 2

支那の文字を誤記する代はりに英語の練達せる如く、思想に於て支那人と云はんよりも英米人なり。英米人の如き 權利思想を有する彼は「正義の女優』を渇望しつゝある群衆の前に中國同盟會總理たる權利によりて立てり。彼は 陳腐なる禪讓的形式を蔑視して言下に大總統の推戴を受理せり。是れ中部同盟會の盟主たる譚人鳳が武昌城中に於 て禪讓的舊道德を墨守せる純支那人なると兩極の反對なり。彼は譚人鳳の頑固なる團匪的愛國黨にして至純なる犧 牲心の魂なるとは正反對に、國家觀念に於て許すべからざる缺陷あり決死的犧牲心の驚くべき程乏しき人物なり。 而も彼の顯著なる長所は自由民權の宗敎的信者なることゝ、己を信ずるの篤くして動かざる一事に在り。當時革 黨有力者は斯る局外者の大總統たるを見て武昌に於ける黎元洪の擁立と大差なき木偶として顰蹙せるは論なし。 而も彼の自信力と權利思想と當時の群衆心理とを考ふれば敢て必ずしも然らざるべきなり。特に彼の中華民國史に 於ける百代不磨の功績として看過すべからざる事は、彼が此の新建國の始めに於て支那の將來は必ず共和政ならざ るべからずといふ大憲章の精訷を宜布したることなりとす。嚴格に言へば彼の來らざる以前十一月末武昌の十一省 代表者會議に於て宋君の草案せる『中華民國臨時政府組織大綱』が決議せられ、戰時中明確に支那の共和政なるべ 後の史家は共和政の宣布者が何人なるかを嚴査すべし。固より孫君の共れは全 きを宣布したゑとは事實なり。 く錯誤せる米國的思想の祖述に過ぎずして甚だ皮相淺薄なるは固よりなり。而もこれ維新革命に於て然り、佛蘭西 艾宋君の國家主義の然らざるを得ざりし如し。是れ革命さるべき程に頽發せる國民に深遠 革命に於て然りし如く、 相なる思想の生るべからざる古今の通則のみ。而し乍ら共和政は支那の國粹的革命黨に萠芽せず又日本の國家民族主 の義にも片影だに見られざる者なり。然らば彼が如き自由民權の宗敎的信者が巳に祕密結社時代に於て各省の先覺者 設に影響せる所を、更に大總統として此の建國の際に宜布したる支那將來の幸幅や測るべからざる者あるべし。輕薄 なる輕侮論者は英公使の輿夫が共和政とは大淸皇帝に代はりて袁陛下を見ることなりと云ひしとかを盾として南京 京臨時政府の精訷を輕視す。而も是れ一國の過渡期に於て賤民階級が常に新理想と沒交渉なる歴史的原則を忘却せる 者なり。狒蘭西革命に於て自由とは訷を拜せず淫蕩を恣にすること、平等とは富家を掠奪して財を等分する事なり と解して彼の戰慄すべき暴民の信條が作られたりといふに非ずや。是れ袁を皇帝と同視する輿夫を待たず、巳に南

2. 北一輝著作集 2

大 卷八國家ノ權利 改 國徴兵制ノ維持ー・・・ー國家ハ國際間ニ於ケル國家ノ生存及ヒ發達ノ權利トシテ現時ノ徴兵制ヲ永久ニ 亙リテ維持ス。 徴兵猶豫一年志願等ハ此ヲ廢止ス。 現役兵ニ對シテ國家ハ俸給ヲ給付ス。 兵營又ハ軍艦内ニ於テハ階級的表章以外ノ物質的生活ノ階級ヲ發止ス。 現在及ヒ將來ノ領土内ニ於ケル異民族ニ對シテハ義勇兵制ヲ採用スル者アルペシ。 註ーー支那 = 於テ傭兵ト云フ者英米 = 於テ義勇兵ト名付ク。則チ雇傭契約 = ヨル兵士ナリ。是レ彼等ノ國民精訷 = 適合スル制度ナリ。米國ノ建國ガ社會契約詭ヲ理想トシテ植民セル者ノ契約結合ナル ( 前詭ノ如シ。英國又實 = 共ノ謬詭ノ誕生地ナルヲ以テ今荷ジ , ンプルソサイテート名クル如ク英帝國共者ヲ組合視シ會社視シテ悉ク社 會契約詭 = 基ク立法ナラサルナシ。從テ共國防 = 於テモ組合ト組合員トノ間ニ雇傭契約ヲ締結スル ( 米ノ建國ト シテ英ノ國家組織トシテ ( 少シモ不可ナシ。而モ此ノ故ヲ以テヴ = ルサイ會議 = 於テ英米ガ傭兵制度フ日本 = 張ヒタル ( 何タル迷妄ゾ。日本 ( 建國精訷ョリ現代國民思想ノ凡テ = 於テ日本帝國ヲ契約 = ョリテ組織シタル者 ト一考セシコトモ無シ。日本國民ノ國家觀 ( 國家 ( 有機的不可分ナル一大家族ナリト云フ近代ノ社會有機體論フ 深遠博大ナル哲學的思索ト宗敎的信仰ト = ョリ發現セシメタル古來一貫ノ信念ナリ。徴兵制度ノ形式 ( 獨佛 = 學 ヒタルモ徴兵制度ノ精祚タル國民皆兵ノ義務 ( 中世封建ノ期間ヲ除キテ上世建國時代 = 發源シ更 = 現代 = 復興シ 26S

3. 北一輝著作集 2

しめたり。革命は雷の如く振ひ電の如く馳けれり。袁内閣成立の十六日と共の日とに於て京畿背面の鎭臺吉林黒 外龍の二省は各保安會を組織して兩端を持すべきを表白したり。二十二日に至ては四川の重慶獨立を宣布し、二十 命六日に至ては噎天蔚を都督として眼前指呼の奉天に革命の炬火を見たり。翌二十七日黄興が漢陽の敗走は彼及び亡 那國貴族等に於て聊か愁眉を開きしやも知るべからずと雖も、對岸の武昌は馮軍の嘗て江の半ばより却走せし所。特 支に同日成都獨立し全蜀擧げて革軍の領有たりし驚愕を相殺し得るものに非ず。而して翌二十七日彼の自ら認めて大 策とせる一切の降伏條件を具備せる憲法信條が大廟に宣誓されたる日、彼の同僚端方は四川に進む能はず湖南に退 く能はずして資州に屠られたり。討伐將軍の血髑髏が共の親兵の鎗尖に懸かれりとは如何に淸室三百年の大夏傾き て支ふべからざるを全天下に示すもの、怯懦なる袁輩の戰慄や想見すべきなり。更に五日を隔てゝ南京陷落の飛報 あり。全局の勝敗明かに決して墮躬なる忠臣義士は淺謀小策の案出すべきものだに無し。 之を約言すれば、數年間の獵官運動者は革命が單なる暴動なるかの如く湖北省の一角に噴出しつゝありし十月半 ばに於ては輕率なる欽差征討大臣たりしことは事實なり。湖南直ちに亞ぎて起ち、長江の各省動き、北方の守亦危 うからんとし、江の兩岸勝敗視るべからざるに至りし同月末に於ては彼は自ら變じて講和大臣となれり。而して實 に北京に入りて太后に謁せし十一月ばに於ては、彼は恰も革命軍政府より派遣せられたる勸降使なるかの如く豹愛 したるものなり。印ち彼は一定の謀略計畫を有せしものにあらずして單に大勢に附隨せし事大主義者なりしのみ。 不省は支那輕侮觀者と異なれる論據に立ちて支那人の多くが事大主義者なることを唾棄す。事大主義とは多くの支 那人に見る如く、維新前の日本に於て又歐洲各國の寰亡期に於て示されたる如く、 亡國階級の通有性なり。知己を 百世に待つの論議、千萬人と雖も吾行かんの操守は獨り新興の國民に於てのみ視るを得べく、内治外交たゞ強者の 勢力に阿付隨從するに至りて國は則ち亡ぶ。寰亡期の淸國が只強國に阿從するを事とし、共の亡國階級の一人たる 袁の外交が常に事大主義なりしことは世人の周知する所にあらずや。然るに獨り革命の大渦亂中に於ての彼の對革 黨策が事大主義ならざりしとは不肯等の信ずる能はざる論法なり。事大主義者とは謂ふまでもなく卑怯屈從を一意味 して、天下を奪はんとする奸雄の堂々たる膽略と何の相似たる所ぞ。操守なく識見なく大勢に阿從して頭言の全き

4. 北一輝著作集 2

註ー , ・日本現時ノ大地主ハ共經濟的諸侯タル形ニ於テ中世貴族ノ土地ヲ所有セルニ似タルモ所有權ニ於テ全ク近 代的ノ者ナリ。中世ノ所有權思想 ( 共所有ガ奪取ナルト否トヲ問 ( ズ強者ノ權利ノ上ニ立テル者ナリキ。維新革 命ハ所有權ノ思想ガ強力ニョル占有ニ非スシテ勞働ニ基ク所有ニ一變スルト共ニ此強者ガ共強力ヲ失ヒテ共所有 權ヲ喪失シタル者。此ノ私有地限度超過ヲ - 徴集スルコトハ近代的所有權思想ノ變更ニ非ズ。單 = 國家ノ統一ト國 民大多數ノ自由ノ爲ニ少數者ノ所有權ヲ制限スル者ニ過キズ。故ニ私有財産限度以下ニ於テ所有權ニ伴フ權利ト シテ賠償ヲ得ル者ナリ 註ーー故 = 中世貴族ノ所有地ヲ現今ニ至ルモ解決スル能 ( ズシテ終ニ獨立問題 = マデ破裂セシメタル愛蘭ノ土地 問題ト此ノ私有地限度制ト ( 共思想ニ於テモ進歩ノ程度 = 於テモ雲泥ノ差アルヲ知ル ( シ。又現時露西亞ノ土地 沒收ノ如キ ( 明カニ維新革命フ五十年後ノ今ニ於テ拙劣ニ試ミッ、アル者ニシテ彼ガ多クノ點印チ軍事政治學術 共他ノ思想ニ於テ遙カニ後進國ナル ( 論ナシ。土地問題ニ於テ英語ノ直譯ャレニンノ崇拜ハ佳人ノ醜婦ヲ羨ムノ 土地徴集ノ機關ー、ー在鄕軍人團會議ハ在鄕軍人團ノ監視ノ下ニ私有地限度超過者ノ土地ノ評價徴 集ニ當ルへシ。 註ーー前掲ノ如シ。 紛將來ノ私有地限度超過者、ーー・將來ソノ所有地ガ私有地限度ヲ超過シタル者 ( 共超過セル土地ヲ國 土家ニ納付シテ賠償公債ノ交付ヲ求ムペシ。 三此納付ヲ拒ム目的ヲ以テ血族共他ニ贈與シ又ハ共他ノ手段ニョリテ所有セシムルコトヲ得ズ。違 反者ノ罰則ハ別ニ法律ヲ以テ定ム。 233

5. 北一輝著作集 2

限度以上ニ及パズ。 共ノ私有財産ト賠償公債トノ加算ガ私産限度ヲ超過ス ル者ハ共超過丈ケ賠償公債フ交付セズ。 違反者ノ罰則ハ戒嚴令施行中前掲ニ同ジ。 註一。日本現時ノ大地主ハ其經済的諸侯タル形ニ於テ中世貴 族ノ土地ヲ所有セルニ似タルモ、所有權ノ本質ニ於テ全ク近 代的ノ者ナリ。中世ノ所有權思想ハ其ノ所有ガ奪取ナルト否 トヲ間ハズ強者ノ權利ノ上ニ立テル者ナリキ。維新革命ハ所 有權ノ思想ガ強力ニョル占有ニ非ズシテ勞働ニ基ク所有ニ一 變スルト共ニ強力ガ其強力ヲ失ヒテ共所有權ヲ喪失シタル者。 之レニ反シテ此ノ私有地限度超過ヲ徴集スルコトハ近代的所 有權思想ノ變更ニ非ズ。單ニ國家ノ統一ト國民大多數ノ自由 ノ爲ニ少數者ノ所有權ヲ制限スル者ニ過ギズ。故ニ私有財産 限度以下ニ於テ所有權ニ伴フ權利トシテ賠償ヲ得ル者ナリ。 註ニ。故ニ中世貴族ノ所有地ヲ現今ニ至ルモ解決スル能ハズ シテ終ニ獨立間題ニマデ破裂セシメタル愛蘭ノ土地間題ト、 此ノ私有地限度制トハ其思想ニ於テモ進歩ノ程度ニ於テモ雲 泥ノ差アルヲ知ルペシ。夂現時露西亞ノ土地沒收ノ如キハ明 カニ維新革命ヲ五十年後ノ今ニ於テ拙劣ニ試ミツツアル者ニ 分過ギズ。彼ガ多クノ點印チ軍事政治學術其他ノ思想 = 於テ遙 處カ = 後進國ナルハ論ナシ。土地間題ニ於テ英語ノ直譯ャ「レ 土 = ン . ノ崇拜 ( 佳人 / 醜婦ヲ羡ムノ類。 = 一土地徴集機關。在軍人團會議ハ在軍人團ノ監視ノ 下ニ私有地限度超過者ノ土地ノ評價徴集ニ當ルペシ。 共ノ私有財産ト賠償公債トノ加算ガ私産限度ヲ超過ス ル者ハ共超過襭丈ケ賠償公債ヲ交付セズ。 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇。 註一。 ( 以下註一、謹ニ上段に同じ ) 387

6. 北一輝著作集 2

テ全ク近代的ノ者ナリ。中世ノ所有權思想ハ共ノ所有ガ奪取ナルト否トヲ問ハズ強者ノ權利ノ上ニ立テル者ナリ キ。維新革命ハ所有權ノ思想ガ張カニョル占有ニ非ズシテ勞働ニ基ク所有ニ一スルト共ニ、強者ガ共強力ヲ失 ヒテ共所有權ヲ喪失シタル者。之レニ反シテ、此ノ私有地限度超過ヲ徴集スルコトハ近代的所有權思想ノ變更ニ 非ズ。單ニ國家ノ統一ト國民大多數ノ自由ノ爲ニ少數者ノ所有權ヲ制限スル者ニ過ギズ。故ニ私有財産限度以下 ニ於テ所有權ニ伴フ權利トシテ賠償ヲ得ル者ナリ 註ニ。故ニ中世貴族ノ所有地ヲ現今ニ至ルモ解決スル能ハズシテ終ニ獨立問題ニマデ破裂セシメタル愛蘭ノ土地 問題ト、此ノ私有地限度制トハ共思想ニ於テモ進歩ノ程度ニ於テモ雲泥ノ差アルフ知ルペシ。又現時露西亞ノ土 地沒收ノ如キハ明カニ維新革命フ五十年後ノ今ニ於テ拙劣ニ試ミッ、アル者ニ過ギズ。彼ガ多クノ點印チ軍事政 治學術共他ノ思想ニ於テ遙カニ後進國ナルハ論ナシ。土地問題ニ於テ英語ノ直譯ャ「レニン」ノ崇拜ハ佳人ノ醜 婦ヲ羨ムノ類。 ( 三行削除 ) 註。 ( 一行割除 ) 將來ノ私有地限度超過者。將來共ノ所有地ガ私有地限度ヲ超過シタル者ハ共ノ超過セル土地ヲ國 家ニ納付シテ賠償ノ交付ヲ求ムペシ。 分此ノ納付ヲ拒ム目的ヲ以テ血族共他ニ贈與シ又ハ共他ノ手段ニョリテ所有セシムルコトヲ得ズ。 違反者ノ罰則 ( 、國家ノ根本法ヲ紊亂スル者 = 對スル立法棈禪 = 於テ、別 = 法律ヲ以テ定ム。 徴集地ノ民有制。國家 ( 皇室下附ノ土地及私有地限度超過者ョリ納付シタル土地ヲ分割シテ土地 303

7. 北一輝著作集 2

大 卷八國家ノ權利 法 本徴兵制ノ維持。國家 ( 國際間 = 於ケル國家ノ生存及ビ發達ノ權利トシテ現時ノ徴兵制ヲ永久 = 亙 日 リテ維持ス。 徴兵猶豫一年志願等ハ之ヲ廢止ス。 現役兵ニ對シテ國家ハ俸給ヲ給付ス。 兵營又ハ軍艦内ニ於テハ階級的表章以外ノ物質的生活ノ階級ヲ度止ス。 現在及ビ將來ノ領土内ニ於ケル異民族ニ對シテハ義勇兵制ヲ採用スル者アルペシ。 註一。支那ニ於テ傭兵ト云フ者英米ニ於テ義勇兵ト名付ク。則チ雇傭契約ニョル兵土ナリ。是レ彼等ノ國民精訷 ニ適合スル制度ナリ。米國ノ建國ガ社會契約詭ヲ理想トシテ植民セル者ノ契約結合ナルハ前詭ノ如シ。英國又實 ニ其ノ謬詭ノ誕生地ナルヲ以テ、今荷「ジョンプル、ソサイテー」ト名クル如ク英帝國共者ヲ組合視シ會社視シ テ悉ク社會契約詭ニ基ク立法ナ一フザルナシ。從テ共ノ國防ニ於テモ組合ト組合員トノ間ニ雇傭契約フ締結スル ( 、 米ノ建國トシテ又英ノ國家組織トシテ少シモ不可ナシ。而モ此ノ故ヲ以テ「ヴ = ルサイユ」會議ニ於テ英米ガ傭 兵制度ヲ日本ニ強ヒタルハ何タル迷妄ゾ。日本 ( 建國精訷ョリ、乂現代國民思想ノ凡テニ於テ、日本帝國ヲ契約 ニョリテ組織シタル者ト一考セシコトモナシ。日本國民ノ國家觀ハ國家ハ有機的不可分ナル一大家族ナリト云フ 近代ノ社會有機體詭フ、深遠轉大ナル哲學的思索ト宗敎的信仰トニョリ發現セシメタル古來一貫ノ信念ナリ。徴 兵制度ノ形式ハ獨佛ニ學ビタルモ、徴兵制度ノ精訷タル國民皆兵ノ義務ハ、中世封建ノ期間ヲ除キテ、上世建國 時代ニ發源シ更ニ現代ニ復興シテ漲浴シッツアル国民酌大信念ナリ。日本ノ講和委員ハ何ガ故ニ英米ト日本トガ 338

8. 北一輝著作集 2

註ニ。我ガ日本ニ於テハ國民生活ノ基礎タル土地ノ國際的分配ニ於テ將來大領土ヲ取得セザルべカラザル運命ニ 大在リ。從テ國有トシテ國家ノ經營スベキ土地ノ莫大ナルヲ考フペシ。要スルニ凡テヲ通ジテ公的所有ト私的所有 法ノ併立ヲ根本原則トス。 註三。日本ノ土地問題ハ單ニ國内ノ地主對小作人ノミフ解決シテ得べカラズ。土地ノ國際的分配ニ於テ不法過多 本ナル所有者ノ存在スル「ト = 革命的理論ヲ擴張セズシテ ( 、言論行動一暼ノ價値ナシ。 ( 國家ノ權利參照 )

9. 北一輝著作集 2

國ニ發スト雖モ、日本國自身ノ原則トシテハ國民タル槿利ノ 綱上 = 立テザルべカラズ。則チ如何ナル國民モ間接秘ノ負擔者 案ナラザルハナシト云フ納税資格ノ擴張セラレタル普通選擧ノ 法義 = 非ズ。徴兵ガ「國民ノ義務」ナリト云フ意義 = 於テ選擧 ハ「國民ノ權利」ナリ。 改 本註ニ。國家ヲ防護スル國民ノ義務 ( 國政ヲ共治スル國民ノ權 利ト一個不可分ノ者ナリ。日本國民タル人權ノ本質ニ於テ、 羅馬ノ奴隷ノ如ク、又昇殿ヲモ許サレザル王朝時代ノ大馬ノ 如ク、純乎タル被治者トシテ或ル治者階級ノ命令ノ下ニ其ノ 生死ヲ委スベキ理ナシ。此ノ權利ト此ノ義務トハ一切ノ條件 ニ依リテ千犯サルルコトヲ許サズ。從テ假令國外出征中ノ現 役將卒ト雖モ何等ノ制限無ク投票シ且ッ投票セラルペシ。 註三。女子ノ參政權ヲ有セズト明示セル所以ハ日本現存ノ女 子ガ覺醒ニ至ラズト云フ意味ニ非ズ。歐洲ノ中世史ニ於ケル 騎士ガ婦人ヲ崇拜シ其眷顧ヲ全ウスルヲ士ノ禮トセルニ反シ、 日本中世史ノ武士ハ婦人ノ人格ヲ彼ト同一程度ニ尊重シッツ 婦人ノ側ョリ男子ヲ崇拜シ男子ノ眷顧ヲ全ウスルヲ婦道トス ル禮ニ發逹シ來レリ。コノ全然正反對ナル發達ハ社會生活ノ 凡テニ於ケル分科的發逹トナリテ近代史ニ連ナリ、彼ニ於テ 婦入參政運動トナレル者我ニ於テ良妻賢母主義トナレリ。政 治ハ人生ノ活動ニ於ケル一小部分ナリ。國民ノ母國民ノ妻タ ル權利ヲ擁護シ得ル制度ノ改造ヲナサバ日本ノ婦人間題ノ凡 テハ解決セラル。婦入ヲロ舌ノ鬪爭ニ慣習セシムルハ其天性 ヲ殘賊スルコト之ヲ職場ニ用フルョリモ甚シ。歐米婦人ノ愚 ナル多辯、支那婦人間ノ強奸ナルロ論ヲ見タル者ハ日本婦 入ノ正道ニ發逹シッツアルニ感謝セン。善キ傾向ニ發逹シタ 376

10. 北一輝著作集 2

鋕と、遺憾なく革命議會のヒステリック錆奮を爆發せしめたり。怒罵は曰く、宋の家に郎州王たりし陳猶龍の居た るを見たり、彼は專制家なりと。是革命黨の二大目的の一たる共和の反逆者にして、佛蘭西に於て人民の敵と誣ひ らるゝが如し。大音聲は曰く宋の居は滿人の家なり彼は必ず漢好なりと。これ亦共一たる倒滿の裏切を意味して、 佛蘭西に於て貴族黨なりと疑はるゝが如し。此群衆心理の音頭を取りし馬君は勿論不正なる人物にあらず、只小器 の熱血男子なるが爲に討究も調査も許さゞる革命議會には適役たりしのみ。斯くして佛蘭西の參議院が自由の名に 於て自由の元勳等を斷頭臺に送りし如く、支那の革命議會は此の國家主義の代表者民族運動の指導者を漢好の寃に 於て否決したり。後、老廢程德全を内務たらしめしは亦彼の實權的國務卿を代表せしむること南京都督に於ける如 くならしめんとせし者。而も大勢は如何ともすべからず。之を要するに故宋君は黄擁立の不合理と孫に讓歩せる時 の一歩の不注意との爲めに、共の頭首を堵して企てたる中央政府設立と同時に身先づ共門外に驅逐せられたる者な りとす。何たる顛倒事ぞ。俘虜は大元帥となり、敗將は副元帥となり、正義の女優は中華民國大總統となり、而し て中央政府建設の實働者は終に斯くの如し。特に悲憤見るに忍びざりしことは長江各省の盟主たりし譚人鳳の獨り 『北面招討使』として白髯を撫しつゝ一千の親兵を上海龍花廟に閲みして政權爭奪を知らざるものゝ如くなりしこ となり。不省は弦に於て前に閑却せし問題に答ふべし、印ち孫逸仙は如何にして第一大總統たりしか。曰く黎元洪 が副大總統たりし一意味に於て大總統たりしのみと。 相此の變事を報ぜる宋君の特使と共に南京に向ひっゝ、不省は車中默想の胸裏に犀憤情の迸り來るを感じたり。 の敢て私交の故ならんや。革命生起の由來と共の展開の眞相を熟知する者誰か此の顧倒事を愴まざる者そ。 設