雑木林 - みる会図書館


検索対象: 科学のアルバム ギフチョウ
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1. 科学のアルバム ギフチョウ

四月上旬、関西の都市近郊の小さな村。農家 の裏山の雑木林の木ぎが芽ぶきはじめ、ヤマ サクラもさいています。こんなところに、キフ チョウはすんでいます ※この本の撮影地は、おもに関西の都市近郊の里山 です。ギフチョウの成虫のあらわれる時期は、地 方によって少しすっちかいます。 かっしーうし翩ん 春の里山 ギフチョウのすんでいる場所は、里山 ちかやま さ印うリようちたい といって、人里に近い山や丘陵地帯です。 さとやま 第、、つ医」 里山には、クヌギやコナラなどの雑木 林、スギやヒノキの植林地、そして果樹 園などがあります。このような場所は、 てきど ひと 適度に人の手がくわわっていて、まった しせんしようたい くの自然状態ではありません。 の、つか 四月上旬、ある農家の裏のクリの木 で、ギフチョウが休んでいました。クリ 畑の地面には、前の年の秋にしきつめら れた落ち葉や、クリのいがにましって、 くさ 草が芽ぶきはしめています。里山に春が やってきたのです。 はやし かっしようしゅん ~ ごレ一やま ひとさと まえ やす しよくリんち としあ」 さとやま さとやま

2. 科学のアルバム ギフチョウ

* うしなわれつつある「春」 さて、在のギフチョウはどうしているでしよう。 さんら ←かっては、この地もギフチョウの産地でした。背 ぞうきはやし 後に雑木林をひかえ、田烱のひろがる田園風も、ついこのあいだまで、人びとは雑木林の自然をた すがた レ」ー ) か せきゅ 都市化の波にのまれ、すっかり婆をかえてしまい き力しよくい小っ たくちぞうせいち くみに利用して生きてきました。ところが、石油や ました。宅地造成地には、帰化植物のセイタカア ワダチソウが、いま花ざかりです。 プロバンガス、化笋肥料などの使用がひろま 0 た塘 ぞうきはやし 在、雑木林は利用されなくなりました。このままだ しようト、ついしゆりん と、ふたたび、うっそ、つとした照葉樹林にもどって いちだい しまいます。ギフチョウにとっては一大事です。 はってん そればかりではありません。都市が発展するにつ しようし玉、つし 0 たくちぞう そうきはやし れて、そのまわりの雑木林や照葉樹の森が、宅地造 かいはっ 、ツ ) ~ 一成などのために、ねこそぎ開発されているのです。 のうやく カかくひリよう また、田や、果樹園には農薬や化学肥料がふん だんにつかわれています。いまや人びとは、四季の うつりかわりや、自然のめぐみをわすれてしまった ような生活をしています。 てきど 自然とが適度に調和をたもっている場所は、 カんきよう ギフチョウにとっても、すみよい環境です。そうい った場所が、大規模にきえようとしているのです。 せいかっ らよう ひと ひと

3. 科学のアルバム ギフチョウ

0 ギフチョウ観察地の環境変化 かんきよう ひと ギフチョウのすむ環境は、そこにすむ人びと かんさっしよき のくらしとともにかわっていきます。観察初期 しよくリんち さいきん には、まだおさなかった植林地の木も、最近で は背たけかのび、林の中はうすぐらくなってき しよく ! っ ました。そのため食草のいきおいかなくなり、 へんか ギフチョウの産卵する範囲も変化してきました。 0 0 一 0 0 公 0 。。一 cS Qr 一 0 し樹 3 樹 い葉葉 00 へ ) さんらん い / 、リ い / 、ソ わん 、レ 1986 年 し : くリんち ヒノキの植林地 クリ畑 したくさ や下草はたい肥にして、田畑の肥料につかいました。 しようよ、つしゆりん 一て、つきはやし 雑木林はほおっておくと、またもとの照葉樹林に 落ち葉 もどります。でも、ときどき木をきったり、 したくさ をかきあつめたり、手入れをしているので、下草に おおわれたり、うっそうとした林になることはあり そうきばやし ません。このような雑木林の利用は、つい二十 5 三 し戸る 。場れ十年まえまで、印本のあちこちでみられました。 しゅうへん そうきばやし 多み見 雑木林とその周辺は、ギフチョウには、とてもす カカ ん日 . カんきよう , 産 ~ 産みよい環境です。ギフチョウはここへうつりすみ、 勢力をひろげていきました。 けんちくよ、つ ところか、いまから二十年くらいまえから建築用 ぞうきはやし もく」い の木材の需要がふえ、雑木林はきり開かれ、スギや しよく〔リ / ん ヒノキの植林がおこなわれるようになりました。植 しよくリんち えてしばらくのあいだ 若い植林地は日かよくあた そた しよく、、つ 食草もよく育つので、ギフチョウには、やはり かんきよう すみよい環境でした。でも、植林された木が大きく なるにつれて、林の中はうす暗くなり、ギフチョウ かんきよう には、すみつらい環境になってきたのです。 はやし たはた はやし おお

4. 科学のアルバム ギフチョウ

0 いまから 200 年ほどまえ ~ 20 年ほどまえまで 0 いまから 1 0 ~ 20 年ほどまえ 0 いまから数千年以上まえ * 人問どどもに歩んできたギフチョウ ぞうきはやし 雑木林の木は , 20 ~ 30 年ごと にきりました。そのつど , 食 章がふえましナ ギフチョウの祖があらわれたたむかしには、い かんきよう れ較 まギフチョウがすんでいるところとにた環境が、自 、」ひ比 とか しようたい せん 然のままの状態であったのかもしれません。 や亠食 かつどう / たずくす でも、すっとのちになって、人間が活動しはしめ はるま 、 \ の明ち 罧は ( 育たころの日本列島は、大部がう 0 そうとした照葉 い樹い所く しゆりん 【葉場樹林で、ギフチョウがくらすには、あまり適してい い照る的 し、ら , カ ませんでした。そのころのギフチョウは、、 ひら あか 開けた明るいところにすんでいたのでしよ、つ。たと えば、川筋のがけがくすれたところなど、飃通しが 一一よく、木がまばらにはえているような場所です。 にんげんかつどう そのうち、だんだん人間の活動がさかんになり、 一か所にすみついて村ができると、そのまわりの森 、りくよう はきりひらかれ、あとにクヌギやコナラなどの落葉 ぞうきばやし カカ。 樹からなる、雑木林ができました。また、食料をと すあす たはたひら かじゅえん でくま 緑よえるための果樹園や田畑も開かれました。 常が、 はひ日か 江戸時代には、雑木林はまきや麗などの燃料にす キは草 ノち地亠食 ヒ林にるために、さかんに利用されました。また、落ち葉 や以植的 しよう、々つ」し 2 ギいし時 ※照葉樹は、シイやカシ、ヤブッパキなど、葉の表がてかてかして しようリよく - マつ、つに ) ) ス若こ いて、冬でも葉をおとさない常緑広葉樹。 し一うりよく ねん むら よ、つ しよくりよう てき

5. 科学のアルバム ギフチョウ

したくさ クリの実の収穫のために、下草 \ ー、〕い をかってしまいますが、カンア、ハい。 オイは背たけが低いので、かり、、、、、ーリ・、「凵ー - 、 とられずにのこります。 ひょう また、卵をうみつけるカンアオイも、そのこ ろ、新しい葉を芽ぶきます。 このように、春の短いあいだに、つぎの世 代への橋わたしをすべておえてしまい、あと は、一見ねむったようなくらしかたをする生 き物が、スプリング・エフエメラルです。 ギフチョウの成虫は、スプリング・エフェ メラルの植物たちが花ざかりのあいだに、羽 さんらん カタクリと・キフチョウ スプリング・エフエメラルの代表的な しよくレ小っ ぞうきはやし クリの木の葉がおちて、日ざしが地 植物が、雑木林にさくカタクリです。 表までさしこみます。落ち葉はふと てんしよう きた 早春、カタクリは、林の天井が葉っぱ んとなって、地表を保します。 国では雪がふとんの役目をします。 でおおわれてしまわないうちに、日の光。見 をたっぷりあびて花を開き、昆虫をよんて カンアオイ で実をむすびます。このとき、ギフチョ はなひ・ら ひとやく の花が開き ウやヒメギフチョウも一役かっています。カ ます。。 初夏、林の天井が緑ですっかりおおわ , 図 れるころには、カタクリはとけるよ、つに すがた 地上から姿をけします。そして、一年の 大半は、地下で球櫺の姿でねむります。 カタクリは求櫺で、ギフチョウやヒメ ギフチョウはさなぎで 。植物と昆虫ク のちかいはありますが、そのくらしかた はトま / \ にてい土 6 す・ 低温のため生長がとまる -- - ・・ー もの ちしよう てんしよう せいらゆう みどリ みしか しよく」小っ たいリよう一、」