はんしよくち タンチョウの繁殖地 , エサ場 屈斜路湖 標津町 クナシリ島 なかしべつ、 中標津町 摩周湖 弟子屈町 のつけざき 野付崎 よんねん ツルは千年も生きる、といわれていますが、タンチョウは年くらい生きら きろく どうぶつえん ねんし、く れるのでしようか。動物園では、八十二年飼育したという記録があります。野 生のツルは、三十 5 五十年と考えられています。燧避では、にあた「て死 おお ぬ事故が多くなってきました。 」室 わ艮 ぬむあし 根室市 てね人ぬんよっしていち 天然記念物指定地 、、風蓮 厚床 せんねん にちや第よー 鷸村卩塘路湖 ィーころしげん - ′釧路湿原 はまな 0 ・、 浜中町 あか、 ・阿寒町 釧路市′ 平洋 あっ ) いし、 岸町 はんしよ ( ち ーは繁殖地 ・はエサ場 しつげん は湿原 電線にぶつかったり , 足をひっかけたりして死ぬツルが多く なった。病気やうえで死ぬツルもいる。 びようき
キタヨシやスゲのおいしげる くしろしつげん 釧路湿原。 ←雪の中で、 卵をあたためてい る親ヅルもみられる。 おや なか たまご すみかにかえるタンチョウ きいろ 四月、フクジュソウの黄色い花かさきはしめる はつかいどう しつげん はる と、北海道の湿原にもおそい春がやってきます。 ふゅ ひとざと ちか 冬のあいだ、エサをもらいに人里に近づいてい しつげん たタンチョウたちは、また湿原にかえってきます。 そして、タンチョウのつがいは、なかまたちか くさ らはなれたところに、かれ草をもりあげて巣をつ その上に二つの卵をうみつけます。 ほっかいどう きこ、つ はる ゆき 北海道の気候はきびしく、春になっても、雪が おや ゆき ふることかよくあります。親は、雪でおおわれた しつげん 原に、つすくまるよ、つにして、いっしよ、つけんめ い卯をあたためます。 たまご がっ うえ たまご
あどがき ツル類のようなの鳥は、世噬に弘少してきております。タンチョウは、 じもとひと ぜっめつ さいきん 地元の人びとのあたたかい心により絶滅からすくわれましたが、最近、またタ こ、つぎよう とちりレっ せいそくち しつげんのうぎよう かいはっ ンチョウ生息地である湿原が農業、工業の土地利用などに開発されて、せばめ すす ぜっめつ られてきております。このようなことがどんどん進むと、また絶滅してしまう しんばい 心配かててきました。 しやしん ほん やくねんかんわたくし せいたい この本にのせた写真は、約十年間私なりに、タンチョウの美しさと生態を撮 どくしゃ 影したもののなかからえらんだものです。読者のかたがたにすこしでも、タン チョウのことをわかっていただき、タンチョウの保護に理をしていただくの やく に役たてば、これほど、つれしいことはありません。 これまで、タンチョウのことでお世話になったかたがた、またこの本の出版 せわ にあたりお世話になったかたがたにお礼を申しあげるとともに、今後もはげま ねが つぎ しやアドバイスをいただけるようお願いいたします。とくに次のかたがたには ふか か読しゃ 深く感謝いたしております。 しやしんか しよし たなかこうしようぎようだてつお みのぐちまさお しせんこう、るんたかはし 写真家の田中光常・行田哲夫・蓑ロ正夫の諸氏。タンチョウ自然公園の高橋 くしろきよういくきよく くしろしりつきようどまくぶつかんあさひこうカくこうぎようかぶしき力いしゃ 良治氏。釧路教育局。釧路市立郷土博物館。旭光学工業株式会社。 林田恒夫 こころ せわ れい うつく はやしだ ほんしゆっぱん つねお さっ
一日をおえてねぐらへいそ ぐタンチョウ。 にち せいかっ 、 ) つばいになったタンチョ タガ、エサ場でおな力し ウたちは、またねぐらにかえっていきます。 ふゅせいかっ タンチョウの冬の生活は、ねぐらとエサ場をいっ たりきたりすることのくりかえしです 三月末、春がまぢかになると、親ヅルたちは新しい ヒナをうむために、すっかり成長したヒナを口ばし しつげん でつついておいはらい、 ヒナをのこして、また湿原 にもどっていきます。のこされたヒナは、きびしい 生活をのりこえ、成鳥へとそだっていくのです。 がっすえはる おや せいちょう あたら くち
とくべってんねんきねんぶつ 特別天然記念物タンチョウは、 ねむろ とかちちほう ほっかいど、つ 北海道の釧路・根室・十勝地方の、 しっちた、 人の近づけないような湿地犠に、 とり 生息している美しい鳥です。 くしろ うつく
ヒナの成長 うまれたばかりのときは、せたけ十五センチメー トル、重さ百五十グラムくらいだったヒナも、一か げつ 月もすると二儒ちかくに成長します。よたよたで、 およ あし 歩くより、冰ぐほうかとくいだったほどの足か、六月 ごろこよたきくしよ、つふになり、す・ばし「こく「亜原 をかけすりまわるよ、つになります・ はね がっしつげんみどり 七月、湿原が緑一色になるころ、ヒナはもう羽を ばたっかせ、飛ぶためのしゅんびをはしめます。 はね りはえかわり、自 そして八月、ヒナの羽がすっか 曲にた空を飛べるまでに成長したヒナをつれて、親 あたら 子は、新しいエサ場をもとめて飛びたちます。 れんしゅう はばたいて飛ぶ練習をする にち うまれて七十日めのヒナ。夏のあいた、親子か、どこでどのよ、つなくらしを 羽力はえかわりはじめて、 しているのか、まだ、あまりわかっていません。 はね なっ おもひやく かっ おやこ しよく せいちょう がっ
エサ場におりるタンチョウ エサ場 ねぐらから飛んできたタンチョウたちは、つぎつ こおり ゅ」 ぎとおりてきます。ここは、雪や氷にとざされてエ さとひと サがとれなくなったタンチョウのために、里の人た じんこ、つ ちがつくった、人工のエサ場です。 くしろちほう ちゅうしん エサ場は、 釧路地方を中心に三十か所ほどあり、 ねんがっ 十一月からよく年三月くらいまで、トウモロコシか まかれています。 ちゅうしん ふゅ 冬のタンチョウの生活は、このエサ場が中心にな 。しょやノ、 一か所に約九十豺も集まることがあります。 かっ せいかっ あっ
おやどリ 親鳥はこの部分が白い。 ( この鳥は若い鳥 ) あめおお ーまわ はわ 雨覆い羽風切り羽にく、 らべ て , 羽毛はやわらかい * タンチョウのからだ ーよわ 次列風切り羽 黒色枚。 さんれつかせき ばわ 三列風切り羽 黒色 6 枚。 この部分は , つばさをたたん だとき尾の上にたれるので , 尾が黒いとまちがえられる うえ はそなが はいいろ 足細長く , こい灰色。わす みす かに水かきがのこっている。 せいら一う 成鳥は泳がないが , ヒナは生 まれてまもなく , じようすに 46 くしろしりつきようどはくふつかんしよぞう ( 釧路市立郷土博物館所蔵のはく製 )
42 40 147 1 79 2 1 2 1 7 1 200 1 70 1 72 會えづけによって年とともにふえたタそして昭和一一十七年、タンチョウは、はっき でんせん さい強ャん ンチョウも、最近、電線にぶつかっ まえすがた たり、足をひっかけたりして死ぬもり人びとの前に姿をあらわしたのです。二月の かいはっせい第 ) 、すうげんしよう かんば くしろちょう ふぶき のがふえている。開発が生息数減少 日各也方を吹雪や寒波がおそい ことでした。釗足土 の原因のひとっとも考えられる。 ←「ツルのおじいちゃん」としまれ湿原はす「かりやにとざされてしまいまし あかんらようやまざきさだじろう ちか ひとざと る阿寒町の山崎定次郎さん一家。家 ぞくせんた、 た。エサがなくなったタンチョウは、人里に近 族全体でツルの保護につくしている。 づいてきたのです。 これを見たや陬町の人びとは、窒の にトウモロコシをおいてみました。すると、 ( うえたタンチョウたちは、よろこんで食べたの こえ です。「タンチョウをたすけよう」という声かい たか ちどに高まり、タンチョウのために、あちこち レしーんこう に人工のエサ場ができるようになりました。 しよう せいそくすう とし この年に、タンチョウの生息数の調査が、小 きようりよく 、」う ちゅう ' つ、」う 「中笋校三十校の協力でおこなわれ、三十三の らようさ タンチョウを発見しました。毎年この調査はっ ー ) りよう じゅうしっ・ づけられ、ではタンチョウ保護の重要な資料 しようわ せか、てきちゅうーツ . 、 として世的に注目されています。昭和二十七 年には、別然誣然物に指定されました。 かんが しようわ まつけん ねん ま、ねん ちょうさ がっ