ふく しゃれたえんび服をまとい、春のおとすれとともに、村 ・した しつない ←むかしから人びとに親しまれ、た 2 や町なかにすがたをあらわすツバメ。家ののき下や室内ま せつにされてきたツバメは、今も人 家のちかく ~ や 0 てきて生活する。で、あらゆる場所に巣をつくり、ひなをそだてるツバメは、 ひと むかしから人びとに親しまれ、愛されてきました。 の、つか 農家の人びとは、ツバメがたんばや畑の上をとびまわり、 かいちゅう いろいろな害虫をとらえることを、よくしっていました。 まいねん そして、毎年きまっておとすれるツバメのために、庭に水 なや をまき、巣つくりのどろをつくってやったり、納屋を開放し しせつにしてきました。 たりして、ツバメをむかえいれ、た、 あか かねも ツバメが巣をつくれば、その家は金持ちになる。明るく こ、つふく ~ 幸福な家には〉〈メがくる。ッ〈メ。たまごにふれると手 , 《かくさる。ツバメを殺すと火事になる。このようなツバメ ひと をたいせつにおもう人たちの心が、むかしからのいしオ たう きせつ えとして、いろいろのこっています。また田植えの季節に むし ・は、あぜに紙でつくったツバメをまつり、虫よけのましな ふ、つしゅう いにする風習があったことも、かたりったえられています。 * ツバメど人問 まち ひと かみ した こころ はる はたけ にわみす むら
イ、ムゝ 0 島 ^ 朝鮮 ポルオ - 、 すえ ンバメのえさであるユスリカなどが発生し、ツバメにとってすごし ふゆさむ やすかったのです。しかし、冬の寒さのために死んでいくツバメも かいはう てん しつ ふくやま いたので、福山さんは、家の一室をツバメに開放し、天しようには まいねんがっ でんねっせん はおん 保温のために電熱線をはってまもったのです。それ以来、毎年十月 ふゅ がっしよしゅん 末から四月の初旬まで、ここで冬をこすツバメがみられます。 ここへあつまってくるツバメがどこからくるのか、どうしてわた りをしないのかなど、まだよくわかっていません。 たいわん いフィリピン はんとう マレー半島 はっせい インドネシア につん 0 日本にくるツバメのコース オーストラリ
ふうふ 家ののき下へ、ツバメの夫婦がせっせと ふうふ 力いと、つ どろをはこんでいます。この夫婦は、街灯 、つ、 しちゅう の支柱の上に巣をつくることにきめたよう にち です。一日め、支柱の上にすこしだけどろ をもりました。かわきぐあいをみているの かせとお です。風通しのよい場所では、巣のできあ がりをはやめます。 二日め、三日め、朝早くから、さかんに どろをはこびます。ねばねばしたどろは、 つつきます。 本のかべに 9 もよノ \ ノ かたち 四日め、そろそろ巣の形がととのってき ました。からだをおりまげ、どろをくちば しでおしつけるようにして、どんどんつみ かさねていきます。 した しちゅう あさはや 、つ、え
五月六日。足の弱いッヾ メは、ものへとまること おばね がにが手。尾羽をいっぱ しにひろげ、 からだをさ さえる がっ あし 人がゆきかう町なかを、すいすいとひかうツバメ。 くち みんな口いつばいにどろをくわえて、のき下や家の なかへきえていきます。 しゅう のき下では、ツバメの夫婦が古巣の修ぜんにおわ うえ でんとう ふうふ れています。電灯のかさの上では、わかい夫婦が、 えき おお くりに大わらわです。駅のホームで はしめての巣づ も、ビルのなかでも、いろいろなところでツバメの 巣づくりがどんどんすすんでいます。 のかべに、ツバメが巣をつく 垂直なコンクリト りはしめています。ひらひらとびながら、一つぶ一 あしば つぶかべにどろをつけ、ます足場をつくります。足 坦かかわくと、そこにつめをひっかけて、かべにヘ おばね ばりつき、尾羽をいつばいにひらいて、からだをさ さえなからどろをつけていきます ひと すいちよく した まち ふうふ ふるす あし
※がよも日ひ みつの付 らて。は るの北神力 。日ひに奈な イ疆長知は ′、ん 、日相さ か本虹 なで原鸞 りは市し ち場ばお が所日ナ ← 四月ニ日。のき下をとびまわる じんか ツバメ。人家に ) 果をつくるツヾ まいねん メは、←毋生・おなじにもどっ てくる がっ へ した 春、そよ風が、サクラのたよりをはこんでくるの そら につばんかくち をまっていたように、日本各地には、空からのお客 さまがやってきます。 ふゅ それはツバメたち。冬のあいだ、あたたかな東南 しま なんせん ( アジアの島しまですごしたツバメたちが、何千キロ たび につばんれっと、つ かえ もの旅をおえて、また日本列島に帰ってきたのです。 はる ひ まちかど 春のやわらかい日ざしが、朝の街角にさしこんで ふうふ います。ツバメの夫婦が、家いえののき下をとびま とし わり、まえの年の巣が、どうなっているかをたしか ふうふ す り , こト小 めます。わかい夫婦は、はしめての巣づ 場所を、たんねんにさがしまわります。 まち 四月、日に日に町なかをとびまわるツバメの数も ひ ふえ、いよいよにぎやかな日びがはしまります。 帰ってきたツバメ かせ はる がっ ひ ひ す あさ かす と、つなん きやく
あどがき まいねん 春になると、毎年のようにおとすれていたツバメが、もしも、わたしたちの まち かえ すむ町へ帰ってこなくなったら、どんなにさびしいことでしよ、つ。さいわいな まち まいねん かえ ことに、わたしのすんでいる町では、毎年ツバメが帰ってきて、ひなをそだて さいきん かそくどてき まちはってん るすがたが見られます。しかし、最近の加速度的な町の発展を見ていると、そ かん のような日がもうまぢかにせまっていることが、感しられてなりません。 ねんかん さっえい この二年間、ツバメの撮影のために、いろいろな場所をたすねてみました。 ところか、どこでもきまって、すくなくなったツバメのことをなげく人びとの まち むら と力しカ 声がきかれるのでした。そのような村や町では、どんどん都会化がすすみ、ツ ハメのえさ場であるたんばや畑が、 ほとんど見うけられませんでした。 まち あまど なんねん でも、ある町では雨戸に巣をつくりひなをそだてるツバメのために、何年も あまど ひと 21 ′んしよく のあいだ、雨戸をとしたままにしている人もいました。また、家のなかで繁殖 あさはや はやお するツ、ハメが、朝早くひなのえさをとりにいく ので、早起きして、ツバメのた めに、戸をあけてやるおばあさんもいました。 そして、いろいろなところで家族の一員として、あたたかくむかえいれられ こ、つりゅう ひと ているツバメと人びとの交流をながめていると、わたしの心もなごむのでした。 すかわ、わこうじ 菅原光ニ はる こころ ひと
でんねっせん 電熱線がはりめぐらされた、あたた よる さむふゅ かい部屋で、寒い冬の夜をすごすッ ハメたち。 * ツバメのわたり 日本へわたってくるツバメの多くは、中国南部、フ デ ~ いイリピン、マレー半島、一部 = = ーギ = ア方面から台 わん 湾をへて、島づたいに北上してきたものです。 なんせいしよとう につばんれっとう がっしよじゅん 二月初旬には南西諸島にあらわれ、日本列島をせつ とうおんせん にち 氏九度の等温線にそって、一日二十キロから三十キロ ほっかいどう がっげじゅん すっ移動し、四月下旬には北海道にあらわれます。 えっとうち しかし、日本のツバメの越冬地がどこなのか、まだ ふくしまけんあしわ はっきりしていません。福島県で足輪をつけたツバメ な ~ か、フィリピンで発見されたことがあり、そのあたり えっとうち が越冬地ではないかと考えられています。 てき 夏鳥であるツバメの最大の敵は、寒さとそれからくるえさ不足で きおん かつどう す。気温がせつ氏五度くらいになると活動がにぶり、とべなくなっ さむふゅ につばん てしまいます。しかし、寒い冬のあいだでも日本ですごしているツ ノメかいま亠 9 ・ しようわ ふゅ はまなこはん ふくやま 浜名湖畔にある福山さんの家には、昭和の初めごろから冬をすご なんびやつば すツバメたちがおとすれるようになりました。ときには、何百羽も えっとう ふゅ のツバメがあつまって越冬します。このあたりは冬でもあたたかく、 なつどり につばん どう につばん はつけん ほ′、しよう さむ かんが おお ちゅうごくなんぶ
はってん にんげんしやかい 人間社会の発展とともにいきてきたツバ でんとう メ。このツバメは、家のなかの電灯のか さに巣づくりの場所をみつけた。 むかしから人びとは、空をとびまわるツバメをながめて、天 くうちゅうひく きよほう 気予報のかわりにしました。ツバメが空中を低くとべば雨降り よそう たか せいてん かちかく、高くとべば晴天がつつくと予想したのです。 てんこう かつどう それは、ツバメがとびながらとらえるこん虫の活動に、天候 きおん や気温によってちがいがみられるところから、だいたい正し まな ひと しぜん といえます。これは人びとが、自然から学んだちえなのです。 ちきゅうじよう まえ 力いがんさんち ツバメは、人間が地球上にあらわれる前には、海岸や山地の しゅうだん がけやどうくつに集団で巣をつくっていたと考えられています。 しやカい はってん やがて人間があらわれ、社会が発展するにつれて、ツバメは けんぞうぶつ 人間のすむ建造物にうつって、巣をつくり生活しはじめました。 おお あくてんこう あんぜん たてもの んのすむ建物は、悪天候にたいしても安全だし、多くの外 あんぜん しぜん てき 敵がねらっている自然のなかの巣にくらべても安全だからです。 また、人間のすむ・ちかくには、たんばや畑があり、そこには ※むかしにくらべて、爐近ツバメの数が ~ 「てきえさになるこん虫がたくさんいるからです げんいんつぎ しゅ た。その原因に次のようなことが考えられる。 はたけ すいでん 北極・南極・ニュー 世界には、約八十種のツバメがおり、 ①水田や畑がすくなくなり、そこにすむツバメ のうやく せかいカくち ぶんぶ のえさであるこん虫がへった。②農薬がよくっ らゆう ーランドをのぞく世界各地に分布し、そのほとんどがわたりを かわれるようになった結果、こん虫がへった。 っち すざい叮よう にっぽん ③このほかになどでは、巣の材料になる土します。日本には、ンバメ・コシアカッヾメ・イワッパメ・シ が、コンクリートやアスファルトでおおわれて げんいんかんが ョウドウッパメ・ミナミッパメの五種類がやってきます しまったことも原因と考えられる。 せかい ひと ちゅう しゆるい ほっきよく せいかっ はたけ ちゅう かんカ なんきよく あめふ ただ 力し てん
ニに 、 ) メ ) みす 螢が 、ひ ち 1 も ー 5 ど 。月と一仁 、メはせつ つけ仁水 と見 てしまっ。
はね 四月八日。羽を一本一本、ていね しに手入れをするツバメの夫。 まいにち 羽の手入れは毎日かかせない たび ほ、つ、」、ってん 四月五日。方向転かんも意のまま あたたかな春の日ざしが、旅のつかれをい にとびまわるツバメの夫。お かけっこをしているように見える。やしてノ \ れま亠 9 わたりをおえてほっとひと息。ツバメの夫 っしようけんめいです。 帚は、身つくろいにい さいしょ おはね いたんだつばさや尾羽の手入れは、最初にお こなうたいせつな仕事です。 ふうふ 手入れのあいまにも、ツバメの夫婦は、し きりにクチュクチュッとさえすりあいます そうだん つくりの相談をしているのかもしれません。 ふうふ やがて、身づくろいをおえたツバメの夫婦 あおぞら は、青空めがけてさっととびたちます。はり でんせん めぐらされた電線のあいだを、たくみにくぐ すいめん りぬけ、水面を矢のようにかすめ、あとにな りさきになり、 いつまでもとびつづけます。 がっ がっ はね はる し」と ふう