けっしよう うみ 海にうかんだ氷の結晶。 きた かえ うみ 北の海に帰っていくアデリ こおり ーベンギンの群れ。 ーベンギン・北の海へ 三月、どのヒナも、ほとんどうふ 毛がぬけかわって、りつばなアデリ ーベンギンになります。 夏のあいだ、 見えていた海水面に けっしよう こおり 小さな氷の結晶がうきはしめると、 もう夏もおわりです とお アデリ ーベンギンは、遠のいてい く海をおいかけていくよ、フに、ヒナ をまもりながら、あたたかい北の海 へ移動しはしめます。 そして五月のおわりごろから、夜 ふゅ ばかりつつくきひしい夂、かはしまり ます。 なっ うみ がっ なっ どう かっ かいすいめん きた うみ よる
エサをさがしに南極にとん できたオオトウゾクカモメ。 なんきよく まいにち にち にち 夜ばかりの毎日がおわると、一日一日と日か 長くなります。十月をむかえると、きゅうにあ うみ たたかさもまして北のほうの海では、はりつめ こおりおと ていた氷が音をたてなからわれはじめます。 なんきよく はる 南極に春がやってきたのです。 南極の春 よる きた
こおり 皇帝ペンギンは、氷の上 うみ落とします。メスはエ サをとりにいき、オスはお なかのひだにたまごをくる み、マイナス三十度という ち寒さのなかであたためます。 約二か月後、灰色のわた 毛のヒナがかえります。 親たちは、ヒナを足の上 。郁にのせ、颶に背を向けて、 背きびしい寒、さか、らま 9 もりま
おしあいへしあいしながら、 とびこむのをまつアデリ ←ペンギンのエサになるオキア ミ。 ( 五センチメートレ うみ ーダーが海に おや ーベンギンの親たち。 エサとり おや , し / 、じよ っしょ 保育所にヒナをあすけた親たちは、い うみこおり になってすぐそばの海や氷のわれめにエサとり にでかけます ペンギンのエサは、おもにオキアミという大 きなプランクトンです。朝からタ方まで、ヒナ た ぶん に食べさせる分もいつばいのみこんで、ヒナた , しノ、ドしょ かえ ちかまっている保育所に帰っていきます。 あさ ゅ、つかた おお
こうてい にちほっき 日没期・はじまる 皇帝ペンギンの巣作り アデリ ーベンギンとちが って、皇帝ペンギンは、一 、つみ 年じゅう大陸のそばの海で くらしています アテリ ーベンギンが、あ うみかえ 。たたかい北の海に帰り、 よる にちばっき ン日しゅ、つが夜だけの日没期、 なんきよくふゅ 皇きひしい南極の冬がはしま こうてい ると、こんどは、皇帝ペン うみ こおり まギンか、海にはりつめた氷 さんらん ん卩 の上で、産卵をはしめるの 會です。 、つ、え 29
← 0 0 岩場にたどりついた アデー 丿ーベンギン。 0 こ、ってい 十月も半ばすぎ、五に生まれた皇帝ペンギ 4 ンのヒナたちが、やっとひとりだちするころ、 まいねん „-r の海からアデリー 毎年きまったように、ヒ 4 」いり ) 、 ギンが大陸にむかってやってきます。 む こおり 二羽三と小さな群れをつくり、氷の上をよ ゆき ある ちょち歩いたり、 腹ばいになってしようすに雪 のおをすべったりして、なん印もなん印もかか って大陸にたどりつくのです。 ちか しようわきち ちか 昭和基地の近くでは、十月もおわりに近づく せんば かす きゅう と急にペンギンの数がふえて千羽をこすことも かすすく しようわきち あります。昭和基地のまわりは、数が少ないは きち まんば ちか れん うで、ソ連の基地の近くでは、数十万羽のアデリ ペンギンかいるところもあります。 がっ なか ーベンギンがやってくる きた うみ かっ すう うえ
* 南極のペンギンごよみ なんきよく こうてい 皇帝ペンギンとアデリ が大へんちがいます。 4 」いり ) 、 ふゅ アテリ ーベンギンは、春になると大陸にやってきて、冬 こうてい うみ には、また北のあたたかい海にかえってしまうのに、皇帝 うえ たいりくちか 。ペンギンは、一年しゅう大陸に近い海氷の上でくらします。 はる また、アデリーベンギンは、春、岩場に巣をつくるのに、 こうてい ふゅ ン皇帝ペンギンは、冬がはしまるころになって、巣はつくら こおり 2 すに氷の上にたまごをうみおとします。 こうてい 皇帝ペンキンは、マイナス三十度という寒さの中で、し ミ , ぞ : アかも、つめたい海氷の上でたまごを三十度以上のあたたか : 、ゞとさにたもたなければなりませんから、ためていたしばうを ナだんだん使いはたし、ヒナがかえるころには、体重が半 のぐらいに減ってしまうといわれています。 たルきよく 応・ 0 レ、ギこのようにくらべてみると、南極の生きもののなかで、 こう・てい てきおう もっとも、きびしいかんきように適応しているのか、皇帝 會ペンギンだとい、つことかできるでしよ、つ。 こうてい うえ きた かいひょう ねん うえ はる ーベンギンでは、 かいひょう くらしのこよみ さむ なか
はじめて極瑟測船宗衍が極に向か 0 たのは、昭和三十一年秋のことです。 こおリ しようわきち はりつめた厚い氷とたたかいながら、やっとのおもいで、今の昭和基地の十三 とうちゃく キロメート ル手まえまで到着したのは、よく年の一月二十五印のことでした。 そうや すすほうこう こおり あっ その日、わたしは五の隊梵と、宗谷の進む方向にスキーをはいて、氷の厚さ ていさっ をはかるため偵察に出かけました。そのとき、一羽のアデリ ーベンギンがわた しろひょうげんうえ ある したちを見まもりながら、白い氷原の上をよちょち歩いてついてきたのは、 わす おも でも忘れられない思い出のひとつです。 なん力い なんきよく えっとうせいかつおく それからわたしは、何回も南極に出かけました。そして二度の越冬生活も送 って、わたしには、南極といえばすぐにかわいいアデリ ーベンギンの姿がま そんざい たこ、つ、カ、お。 : よど、なっかしい存在となっています。それはなぜでしようか。そ なんきよく えっとうたいい れは、南極でくらす越冬隊員たちにとって、あのエンビ肚をきたようなスタイ ルをしたペンギンは、あいきようをふりまいてくれては、わたしたちのさびし なかま さをなぐさめてくれたかけがえのない仲間だったからです。 わたしたちは、このかわいいペンギンがほろびないようにたいせつに保護し おも なければならないと思います。 鳥居鉄也 0 あどがき あっ なんきよく ねん がっ とりいてつや すがた