はな ・コオニュリの花にやってきた キアゲハ。キアゲハは総 , - 又コ叨 てだす の手助けをします。コオニュ はな リの花は , オニュリの花より もだいぶ小型です はな ちゃいろ オニュリの実が、こげ茶色になりま 第した。さわってみると、水分がなくな り、かさかさです。もう、中のたねか しゆくしたころでしよ、フ。 おな 同じころ、オニュリによくにたコオ あ ちゃいろ ニュリの実も、こげ茶色になりました。 てま わいそして強いがふく日、コオ = ュリの がび み実と飛 実がわれて、中からあふれるようにで てきたたねが、にふき飛ばされなが のを リ嵐 らちっていきました。 ュ オね ところかど、つしたことか、オニュー コた るた ちでの実は、どんなに強いをうけても、 びれ なかなかわれません。なぜでしよう。 オニュリのたね み
不斗学のア丿レノヾム 94 ュリのふしぎ 0 著者 今井國勝 住発行者 岡本雅晴 印刷 株式会社精興社 0 写植 株式会社田下フォト・タイプ ■製本 中央精版印刷株式会社 ■発行所 株式会社あかね書房 〒 101 東京都千代田区西神田 3 ー 2 ー 1 電話東京 ( 3263 ) 0641 ( 代 ) 1991 年 2 月発行 いまいくにかっ N D C 479 今井國勝 ュリのふしぎ あかね書房 1 9 9 1 著者との契約により検印なし ◎ 1987 K. lmai, printed in Japan I S B N 4 - 2 5 1 - 0 5 5 9 4-9 54P 23X19Cm ( 科学のアルバム 94 ) ■表紙写真 キアゲハがやってきたオニュリの花 ■裏表紙写真 ① ④ ② ⑤ ③ ⑥ ①オ ②オ ⑤オ おうた / 、めん ⑥オニュリの葉の気孔 ( 顕微鏡写真 ) ニュリのつばみの横断面 ④オニュリの鱗片のでんぶん ( 顕微鏡写真 ) け人び ! : うしやしな ③オニュリの地下のようす ( 6 月ごろ ) ニュリの花とつは、み ニュリの茎にできたムカゴ オニュリの葉の気孔 ( 顕徹鏡写真 ) ■目次写真 オニュリのムカゴからの芽ばえ 扉写真
オニュリとコオニュリのたねを、実からと ひかリ りだしてしらべてみました。下から光をあて ねすると、中のようすかすけてみえます。 芽かでるもとになる「丕 月」か、コオニュー ニ・すのたねにはあるのに、なぜかオニュリのたね コろ黒 にはありません。これでは実を育てたねをま きちらしても、むだなことだったのです。 とっせんへん じつは日本の野にさくオニュリは、突然変 異でうまれ、実ができなかったり、できても そだ どん たねに胚を育てるしくみのないユリなのです。 ねま でも、オニュリは、たねにかわるいのちを きゅうこん みたやさない方法として、球根をはしめ、たく そだ オ胚 さんのキゴやムカゴを育てています。 らうおう カッ ) 芽ばえないオニュリのたね なか につばん よ、つよ、つ
あとがき のば さっえい しすおかけん 今から二十数年まえ、静岡県のある山を撮影のために登っているときでした。 ぐんせい しやめん 斜面に四十 5 五十本もさいていたでしようか、ヤマュリの群生をみつけました。 それが、わたしと野生ュリとのはしめてのであいでした。 こうげんうみべ かんどう あの感動がきっかけになり、高原や海辺などに、野生のユリの写真を撮るた ちか なんかい めに、何回もでかけるようになりました。ところがある日、家のすぐ近くにオ みちか ニュリかさいているのに気がっきました。そして、こんな身近なところにさく かんさっ かん リに、とても親しみを感しるようになり、観察をはしめました。 オニュリは、ふつうのユリとすこしちがっていました。たねができないこと や、たまにできたたねをまいても、芽ばえることがありません。また、ムカゴ 4 っしよう きゅうこんっち 地上の茎にできるふしぎなユリです。 という小さな球根が土の中でなく、 こうやっていろいろしらべているうちに、この一冊の本ができあがりました。 まいねん でも、まだたくさんのふしぎがあります。たねをつくらないのに、なぜ毎年 うんめい 花をさかせ、虫をよぶのでしようか。野菜としての運命をもっオニュリですが、 しぜんとうと わたしたちに花の美しさや自然の尊さを教えるためのメッセージでしようか。 おわりに、本書をつくるために、元神奈川県譫た物園園長の清水基夫先 ーしど、つ か′ルしゅう かた 生に監修と指導をしていただきました。また、そのほかたくさんの方がたにも も、つ せわ ノ、にかっ お世話になりました。心よりお礼を申しあげます。 今井國勝 オニュ すうねん ぼん うつく こころ やま やさい おし さつほん しやしん
ばいたい 0 三倍体の植物 ーまいたい ュリのほかにも , 染色体の数が三倍体にな きゅうこんしよくぶつ っている植物があり , 球根植物のなかまに おお 多くみられます。オニュリといっしょに日 った 本に伝えられたヒガンノヾナも , やはり三倍 こんらゆう 体で , 花に昆虫がやってきてもたねはでき ません。 0 ュリのなかまのいのちののこしかた はうはう ュリのなかまはどのような方法でいのちをのこして だいひょうてき いるのでしようか。代表的なユリでしらべてみまし はうはう た。〇はその方法でいのちをのこせます。 せんしよくたい 球根 はな 方法たねキゴムカゴ 〇 しゆるい 種類 オニュリ コオニュリ〇 テッポウュリ〇 スカシュリ〇 ヤマュリ〇 ( 分主求 ) 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 なかせんしよくた、 受精することによって花粉の中の染色体とたまごの中 せんしよくたい の染色体がであい、びったり重なりあったときに、はし めて紐胞の裂がはしまります。ます二つに、そしてさ らに四つに裂がすすみ、おす、めす両方の性質をあわ せもったたねが育ちはしめるのです。 ところがオニュリの染色体は三俶といって、対にな 一カ カふんかん る数ではありません。花粉管がたまごにたどりついて花 かさ せんしよくたい 粉とたまごの染色体が重なりあったとしても、やはり対 の数にはならす、紐の裂がはしまりません。これで 」しゅ、小′ん たす は昆虫の助けをかりて受粉したとしても、オニュリはた そだ ねを育てることができないわけです。 オニュリももともとは二儒体で、たねを育てていたは すです。おそらく瓏壜の変化などで、突然、染色体に ちゅうこくたいり しよう 常があらわれたのでしよう。その証拠には、中国大陸に はえているオニュリの中に、ちゃんとたねができるもの しせん もありますし、日本海にうかぶ島、対馬に自然にはえて いるオニュリは二で、でもりつばにたねを育てつ つけています。 かす こんちゅう 一一ほ′ん力し かさ しよう、】 そだ
會育ちきったムカゴ。成熟すると , そとがわ 外側が茶色に色づきます。 リにつばみか ムカゴは、初夏、オニュ そだ 育ちはしめるころになると、葉のつけね にできます。ムカゴをつけるのは、ユリ のなかでもオニュリだけです。 ムカゴをたてに切ってみました。球根 おな と同しように、葉のようなものか重なり あっていることかわかります。 既鏡でのぞいてみると、気孔があり よす えき じまます。切り口にヨード液をつけてみると いろへんしよく 根っむらさき色に変色します。でんぶんがた しようこ くわえられている証拠です。 断重 このことから、ムカゴは葉のつけねに、 ゴん片 かた へんか カ珖鱗 小型の球根だとい 葉が変化してできた、 、つことかわかります・ だんめん せいしゆく ちゃいろ いろ くち ーしよか きゅうこん かさ きゅうこん
はな たくさんの花がかたまっ とお てさく姿が , 遠くからみ がお ると赤ら顔の鬼のように みえたのでしよう。 , ーとからオニュリという はな なまえ 名前がつきました。花の くさ 直径は 14 ~ 15cm 。草たけ は 1 ~ 2 m にもなります。 すがた らよっけい オニュリのさくころ たいよう まなっ がっちゅうしゅん かつじようしゅん 七月中旬 5 八月上旬。真夏の太陽がギラ くさ どて みち ギラ照りつけるあぜ道や土手の草むらで、 赤みの濃いユリの花かさいています。花び てん らには、たくさんのはん点かついています。 これがオニュリです。 じんか ちか オニュリは、どうして人家の近くにしか さかないのでしよ、つ。 オニュリは、古い時代に、中国大陸から、 につばんった 食料として日本に伝えられたといわれてい 也りはこ ュれあこと ます。それ以来オニュリは、ユリ根 ( 球櫺 ) ニあ荒もそた ひと やさい オいといっ を食べる野菜として、人びとの手により、 くなこてあ さかるいカ た家 に家 家のまわりに植えられてきました。それか ・ぜ以人てし人 ・あこ ( し力しす のくさすかでふえて野生化したのでしよう。 田近でまむろ しよくリよう やせいか ふる ちゅうごくたいりく
はな △ヒガン / ヾナの花 でんらい オニュリの伝来 らゆっしん きて、栽培をこころみたことでしよ、つ。 オニュリは、アジア大陸を中心にはえていた野 しぜん リよう オニュリは、もともとアジア大陸に自然にはえ 生のユリで、栽塩にむくように改良されました。 しよくよ、つやノ、レ玉う 同しように改良されたと思われる穢物に、ヒ ていた野生のユリです。古い時代に食用、薬用と ガンバナやャプカンゾウがあります。これらの植 らようせんはんとう して、ヒガンバナやャプカンゾウなどといっしょ 物も、オニュリといっしょに、朝鮮半島をへて、 かんが につんった 印本に伝えられたと考えられています。 に日本に伝えられたといわれています。 ヒガンバナの穢には有皮がふくまれてい 中国では、印本よりもはるかにはやい時代から て、そのままでは食べられません。そこで、むか しの人びとは、穢をつぶして水にさらし、毒分農業がおこなわれていました。中国の人びとは、 しよくりよう をぬいたあとにとれるでんぶんを食料にしました。 オニュリやヒガンバナの球穢が食用や薬用になる ことに、はやくから気ついていました。そして、 これらのかわ 0 た性質、たねをのこさないで球 てき でふえる性質が、かえって栽培に適していること おも に目をつけ、改良をかさねていったと思われます。 オニュリやヒガンバナは印本の風土にもよくあ ったのでしよう。を収穫する野菜として、長 こっんしゅうひろ じだい い時代をへて、印本中に広がっていったのです。 しかし、今日では栽培していたものがにげだし じんか やそう て、それらが野草になって、人家のあとや田のあ ・みち ぜ道などにはえてのこっているのでしよう。 ぶつ △ヒガンノヾナの球根 らようせん 鮮〕島 朝半 につ一一ん らう 中国夫陸 ちゅう ) 」く りよう ふる
* もくじ きせつ ュリの季節・ 2 オニュリのさくころ・ 4 花のしくみ・ 6 かふん もりあがる花粉・ 8 、しきなカたまり・ 2 4 床櫺のひみつ・ のびつづける芽・ 葉・茎のひみつ・ ムカゴ・キゴのひみつ・ 8 つばみのひみつ・ 花がちって・ オニュリのたね・ 芽はえないオニュリのたね・ あたら 新しいいのち・ 4
たは葉そ素 みのパ緑 立鏡ュる・ 気気。微ニあ・つ 蟻顕オにの ・葉のつきかた オニュリの葉は、太陽の光が じゅうぶんにあたるように、お た力いか重なりあわないような 方向で、茎からでています。 かさ たいよ、つ い、を けんびきようしやしん 會オニュリの葉の気孔の顕微鏡写真 葉 の裏側に多くみられます。 うらカーわ オニュリの葉を 1 まいとってみました 水分や養分のり道になる葉脈が , 平 行にのびています。これは , たねから 芽ばえるとき , 子葉が 1 まいしかでて たんしようしよくぶつ こない単子葉植物の特ちょうなのです。 ←これに対して , アサガオのように , 子 葉が 2 まいでてくる双子葉植物の葉脈 は , あみ状になっています。 ようみやく すいふん ようみやく そうしようし : くぶつ